ご注意を〜
これは未来のお話です。苦手な方はご遠慮ください。
・アレンとヒロインが成人してます。20代です。
・いわゆるそういう関係です。
・いろんな意味で精神的に大人な方推奨。(別にエログロはないですよ!)
上記をご理解いただけたうえで、「それでもいい、むしろ何でも読んでやるぜ!」という勇気に満ち溢れている方は、スクロールでどうぞ。
響く教会の鐘。
乙女は純白のヴェールに包まれて、聖なる道を歩み行く。
さぁ祝福を与えましょう。
ただし不良聖職者ですので、あらかじめご了承を!
● メサイア ●
それは壮大な婚礼だった。
街中の者が集まったのではないかと思うほど、教会を取り囲む人垣は厚い。
中に整列した親族達も数え切れないほどだ。
石造りの壁は白い薔薇とリボンで飾られ、祭壇には美しい刺繍の布が掛けられていた。
そして十字架の下には聖書を片手にした神父が立っていた。
この職業にしては珍しいことに、若い風貌である。恐らくまだ二十代だ。
さらに珍しいことに髪が雪のように真っ白だった。
長く柔らかなそれは、うなじの辺りでひとつにまとめられている。
身に纏うのは漆黒の聖職者服。
胸元には金色の十字架が揺れていた。
式が始まろうというこのとき、歳若い神父は、眼前に立つ新郎よりも周囲の視線を集めていた。
彼の持つ優しげな銀灰色の瞳と、端正な顔立ちも、もちろんその一因だ。
けれど一番の注目は、その左頬にあった。
そこには、赤黒く歪な傷跡が、くっきりと刻み込まれていたのである。
ちらちらと好奇の視線を投げられて、神父は憂いを帯びたため息を吐き出した。
何だかいろいろと面倒くさい。
どうして自分はこんなところにいるのだろう。
(まぁ、これが仕事なんだけど)
偶然通りかかったこの街で、結婚式の司式を頼まれたのだ。
何でも来るはずだった神父が急病で倒れてしまったらしい。
だったら延期すればいいものを、親族達は妙に式を急いていて、無理矢理この場に引きずり出されたのである。
こうなった以上、代役を務めるのは自分の仕事だ。
それにしても何て縁起の悪い。
そう考えて、ため息が止まらない。
予定していた神父の急病といい、こんなエセ聖職者を招くことになったことといい、最悪中の最悪だ。
断言しよう。
この結婚は、絶対に上手くいかない。
「……し、ぷ……ん。神父さん」
「…………………………」
「アレンさん!」
「え?………………はい?」
唐突に名前を叫ばれて、アレンはハッと瞳をあげた。
いまだに「神父」と呼ばれるのには慣れていなくて、反応が遅れたようだ。
アレンは長い白髪を揺らして声の主を見た。
「何でしょう?」
軽く首を傾ける。
促すと、白いタキシードに身を包んだ新郎が言った。
「花嫁はまだですか。一体いつまで待たせるつもりです」
そんなこと僕が知るか。
思わずそう返しそうになって、笑顔で押し留める。
アレンは顔を合わせたときから、この男を快く思っていなかった。
何だかものすごく勘に触るのである。
「ハッ、もしかしてメリアは恥らっているのだろうか。何せ今から、女性にとっては人生の大イベントである結婚式が始まるのだから」
「…………………………」
「少しでも綺麗な姿を僕に見せたいと、お付きのシスターにだだをこねているに違いない!」
「…………………………」
「ああ、そんなメリア!僕のために!!」
「…………………………」
「安心しておくれ。君は間違いなく、世界一美しい花嫁さ!そして世界一幸せな女性さ!この僕が夫となるのだからー!!」
「…………………………」
アレンは一人で盛り上がる新郎を黙殺し続けた。
何だか顔を赤くして身もだえしているが、見たくないので見ないフリだ。
この舞い上がりきっている新郎はダニエル・マクウェルといって、容姿はまぁまぁの男性である。
しかし性格に難あり。
この街を治める地主の御曹司で、いわゆる道楽息子だ。
それはさておき、このはしゃぎっぷり。
まぁ好きな女性とようやく結婚できるというのだから、多少ハイテンションなのは目を瞑ろう。
けれど、
「嗚呼、愛しのメリアー!!」
「……………………っつ」
うざい。
ものすごくウザイ。
胸元から写真を出してきて、熱烈キッスをぶちかましている光景が非常にウザイ!
しかも続けて愛の囁きなんて始めたものだから、アレンは全身に鳥肌を立てた。
内容が気持ち悪すぎて、聞いた傍から脳内消去していく。
この男、軽くストーカーなんじゃないのか。と思うようなことを、延々と大声で喋り続ける。
黙れと叫びたいが、立場上ぐっと我慢した。
そもそもこんなことを言っておいて、このダニエルという男は、別の女性を口説こうとしたのである。
結婚式前に。
新郎であるにも関わらず。
しかも聖職者であるシスターを!
そのことをまざまざと思い出して、無意識に拳を固めた。
アレンが一番に気に入らないところはそこだった。
このウザイ男は、事もあろうに、アレンの連れを口説いたのである。
連れといっては語弊があるかも知れない。
つまり何年も一緒に旅をしている女性で、その…………いわゆるあれだ。
この歳で寝食を共にしているのだから、そういうことだ。
神父であるにも関わらずだが、しょせん破戒僧なので気にしない。
と言うか彼女と一緒にいられないのなら、こんな身分、今すぐドブにでも投げ捨ててやる。
そんな彼女は、今はシスターという職に就いていた。
ただ単に女性の聖職者という意味なのだが、虫除けの効果があるので、格好もそうしてもらっている。
頭には白いレースの裏地の付いた黒頭巾。
裾の広がった漆黒のワンピースを身につけ、足元は白いブーツだ。
胸には昔からお馴染みのロザリオを下げている。
長かった金髪は頭巾に被る時にかさばると言って、肩までばっさり切ってしまった。
アレンはそれを見てひどく落胆したのだが、
「アレンも長髪が好みなの?クロス元帥と同じだね」
と言われて以来、気にしないことにした。
あの師匠と一緒にされるのは不本意だし、彼女が彼女なら、他はどうでもよかったからだ。
そんなシスター兼、自分の…………その、あれだ。な彼女は、名前をという。
実はこれは偽名で、本名も知っているのだけど、昔からのクセでそう呼んでいる。
とは元同僚で、あの、つまり、…………そういう関係になったので、今でも一緒に旅をしているわけだ。
そんな彼女はひとつ、大きな問題を抱えていた。
こればかりはアレンももどうしようもない、大問題。
目立つ、のである。
その光り輝く金髪も、宝石みたいな金眼も、透けるほど白い肌も、ひどく人目を引くのだ。
何だか自慢しているみたいであまり言いたくないのだが、この際はっきり言おう。
は、美人なのだ。
それはもう、ちょっといらないくらいに。
そんなのは知り合った当初からだったけれど、歳を重ねて、女性らしさが強まってくると、本当にどうしようもなくなってきた。
アレンは別に彼女の容姿が綺麗だから好きになったわけではないから、今さら喜ぶも何もない。(そりゃあ、体の成長は男として嬉しいけれど!)
けれど、はただ居るだけで注目される。
そうすればいらない輩が寄ってくる。
シスターの格好をさせていても、もはや焼け石に水状態。
メリアさんとやらにご執心のダニエルでさえ、を見てぽーっとなって、手を握って言い寄ってきたのだ。
すぐに自分が新郎で、式の直前であることを思い出したらしいが、それより先にアレンが行動に出ていた。
間一髪でに制止されたのが、いまだに悔しい。
彼女はちょうど花嫁に付き添ってここにはいないから、今からでも遅くない、殺ってしまおうか。
アレンは眼前のうざい男を睨みつけて、不穏なことを考えた。
しかしそんな純粋な想いは、実行する直前に止められる。
教会の扉が大きく開かれたのだ。
辺りがざわめき、やがて静かになった。
現れたのは当然ながら花嫁だった。
花の刺繍が施された純白のドレスは、優美なひだを描きながら流れ落ち、赤い絨毯を染めている。
白いヴェールを深く被っているので顔はよく見えない。
髪もきつく結い上げているのだろうか、色すら判断できなかった。
ダニエルがあまりにも騒ぎ立てるのでどんな女性かと思っていたのだが、その容貌は誓いのキスまで拝めそうになかった。
花嫁のメリアはダニエルの屋敷に住み込みで働いていたメイドだと聞いていた。
いわゆる玉の輿だ。
ダニエルが熱心に口説いて、半ば無理やり結婚に至ったらしい。
そんな彼女は親族がいないため、誰のも手を取られることなく、一人で祭壇の前まで歩んでくる。
長いヴェールの後ろを持つのはシスターだ。
そこでアレンはちょっと眉を寄せた。
何だか動きがおかしい。
あのにしては妙に恐縮した感じだ。
その前を歩む花嫁は威厳を感じるほど堂々と、人々の視線を浴びながら、教会の中心を渡ってくるものだから、ますます変に思えた。
(?)
視線で問いかけるが、深く俯いていて目が合わない。
花嫁は颯爽とアレンの前までやってきた。
シスターはしずしずとそれに続く。
「あああっ、メリア!何て美しいんだ!僕は感激で死んでしまいそうだよ!!」
どうぞ逝ってください。何て間違っても思ってないような笑顔で、アレンはダニエルの言を流した。
法式に則り、聖書を朗読し、誓いの言葉に入る。
「汝ダニエル・マクウェルは、健やかなる時も病める時も、メリア・フリークを愛すると誓いますか?」
ダニエルは勢い込んで頷いた。
まぁ彼は現在進行形で病んでるっぽいから、この誓いはあんまり意味がない気がする。
アレンは視界の端で感動にむせび泣いているダニエルを見て思った。
次に行こう、次に。
気を取り直してメリアに言う。
「汝、メリア・フリークは…………」
そこでアレンは言葉を失った。
何故かはわからなかった。
けれどそれは、確かな予感だった。
ダニエルの感涙が激しさを増してきたから、何とか我に返って続きを口にする。
「メリア・フリークは、健やかなる時も病める時も、ダニエル・マクウェルを愛すると誓いますか?」
花嫁は同然、はいと答える。
………………はずだった。
「いいえ」
予感は、当たった。
というか、外れるわけがなかった。
式の流れを全く無視した答えを返した声は、アレンが他の誰よりもよく知ったものだったからだ。
(まさか……、やっぱり……!?)
そして花嫁は、頭に被った純白のヴェールを鷲掴む。
そのままそれを勢いよく脱ぎ捨てた。
水晶飾りが涼やかな音を激しく鳴らす。
結い上げていた髪がほどけて散った。
その金色。
アレンを見据える黄金の瞳。
化粧が施されてますます鮮やかになった唇が、にやりと微笑む。
「健やかなる時は一緒に大爆笑で、病める時は間髪入れずに愛の鉄拳を叩き込む!」
そうして花嫁衣裳を纏ったは、誰もが見惚れる笑顔で言い放った。
「どうせ誓うのならばコレくらいじゃなくっちゃね!」
次の瞬間、アレンは聖書をぶん投げていた。
それはえげつない音を奏でてにクリーンヒット。
美しい花嫁はその場にぶっ倒れた。
「いい加減、その無茶苦茶っぷりを治したらどうだ!!!」
教会中にアレンの怒号が響き渡った。
優しげな笑顔はもはや跡形もなく消え去り、鬼のような形相で眼前を睨みつけている。
床に正座させられたは緊張した様子もなく、ちらりとそれを見上げた。
「教会で大声を出したら駄目よ。神父さま」
「原因である君が偉そうに言うな」
「聖職に就く者は、いつも穏やかな心を保たないと」
「だったら僕の心臓を握り潰すような真似はやめてくれないか。もう少しでショック死するところだった………………」
「うっそだぁ、即座に攻撃してきたくせに!」
「ああ、死にたいのは君の方だったんだね。ごめん、気付かなくて」
「って、ちょ、痛い痛い痛いいたいいいい!!」
アレンに勢いよく掴みかかられて、は悲鳴をあげた。
ドレスの胸倉を掴まれて引き寄せられる。
そんな乱暴な動作ですら優雅に見えるアレンが憎い。
このままではくびり殺されそうなのでは必死に言った。
「殺生はダメ!暴力も禁止!私たち聖職者でしょ!?」
「知るもんか。それより君に思い知らせる方がよっぽど重要だ」
「ば……っ、仕事なくなっちゃうよ!?」
「そもそも向いてないし。いいじゃないか、明日からは無職で」
「………………それで、どうやって生活していく気?」
「どうとでもなるよ。君と二人分ぐらい、僕が稼いでくる」
「………………………………」
「何その顔」
「い、いや、何かそれって…………」
プ、プロポーズみたいじゃない……?と俯いて小さく言うに、アレンは盛大に眉を吊り上げた。
彼女を掴む手に思い切り力を込める。
響き渡る悲鳴に負けないくらいの音量で告げた。
「そんなの今さらだろう!!」
周囲を囲む人々はそれを呆然と眺めていた。
殺しあっているか、イチャついているのか、どちらかよくわからない争いだ。
「シスター!」
けれど唐突にその喧嘩を遮った声があった。
振り返れば顔を真っ赤にした新郎が肩をいからせて立っていた。
は涙目のまま返事をしようとして、アレンに思い切り邪魔された。
肩を掴まれ、無理に後ろに追いやられる。
「ちょ、アレン……」
「何でしょう、ダニエルさん」
抗議するを綺麗に無視して、アレンは完璧な笑顔を浮かべた。
どうやらこの神父様はダニエルとが会話をするのが気に食わないらしい。
それどころか姿を見られるのも極力避けたいようだ。
はちょっとだけ呆れてアレンの背中を引っ張った。
「ねぇ、これじゃあ新郎の顔すらよく見えないんだけど」
「。今の自分の格好を、よーく思い出してみて」
「は……?」
「それからしばらく口を閉じていてね」
「………………」
アレンはあくまで笑顔でそう促した。
けれど瞳だけは全然笑っていないから、は大人しくそれに従う。
自分の姿を見下ろせば、サイドの髪がぱさりと落ちてきた。
ほどけた肩までの金髪は白薔薇が飾られている。
ヴェールを取ってしまったから、純白のドレス姿が惜しげもなく人目に晒されていた。
むき出しの両肩。
開いた背からは少なからず素肌が見えていて、は何となくアレンの不機嫌の理由を知る。
その間にアレンは例の表情でダニエルを問い詰めていた。
「それで、に何かご用ですか?」
「い、いや……。その、シスターに」
「だから何です」
「お聞きしたいことが……」
「僕が承りましょう」
完璧完全にと会話させない構えである。
はさすがにおいおいと思って、アレンの隣まで歩み出た。
「ごめんなさい、ダニエルさん。お聞きします」
何だかアレンに思い切り睨みつけられたが無視だ。
かわりに見えないところで彼の手を握った。
そうすれば少しだけ、その怒りが和らいだようだった。
「メ、メリアはどこです?どうしてそんな……」
ダニエルは狼狽しながらも、この場にいる者すべてが抱いているであろう疑問を口にした。
「何故あなたが花嫁衣裳を着ているのですか!?」
「え、やっぱり似合いません?」
はとんちんかんな答えを返した。
アレンは思わず嘆息する。
目を見張るダニエル達の前ではドレスの裾をつまんでみせた。
「いやぁ、私もどうかとは思ったんですよー。こんなカッコウ私なんかがするものじゃないって。でも抜き差しならない理由がありましてね」
「そ、それは是非ご説明いただきたいものですな」
そう言って進み出てきたのは、正装の男性だった。
寂しくなってきた頭髪と出っ張ってきた腹という中年の特徴を見事に兼ね備えた彼は、新郎の父、つまりこの辺り一帯を治める領主だ。
彼は戸惑いを滲ませながら、それでも厳しい口調で言う。
「一体どんな理由があるというのですか。それしだいでは我々も対応を考えねばなりませんよ」
露骨に攻撃的な態度を取られて、それでも真正面から受けて立つのがだ。
けれどアレンは色々と気に食わなかったらしく、笑顔のまま領主を睨み返した。
その視線に気がついて彼は言った。
「察するところ、神父様にとっても予想外だったようですな」
真っ先にを糾弾したのがアレンだったので、どうやら自分の味方だと思っているらしい。
とんだ思い違いだ、という意思をアレンは思い切り表情にしてみせた。
口だけは穏やかな調子を続ける。
「ええ。何てことをやらかすんだと思いましたよ」
「つまり、式をぶち壊したのはシスターの独断ですか」
「そうなりますね。まぁ、それは別にいいんですが」
「な……っ」
「この程度で驚いていては、彼女と一緒にはいられません。確実に心臓がもたない」
「…………………………」
「破天荒なのはいつものことですから」
絶句する領主にアレンは笑顔を深めてみせた。
「何か勘違いをされているようなので訂正をしておきますけれど、僕の怒りはただが無断で花嫁衣裳を着たという一点に尽きるんですよ」
そして横目で金髪を睨みつけた。
「よくもまぁ……僕の前でそんな格好をして、違う男性の隣に立ったものだ」
「だ、だから……、抜き差しならない理由があるんだってば…………っ」
は身をすくめつつも必死に言う。
もうそれどころじゃないから人目も気にせず繋いだ手をぶんぶん振ると、痛いほど握り返された。
「へぇ。言い訳をするの」
「す、するよ、そりゃあ」
「何で?」
「なんでって……」
「どうして、?」
「……………………」
アレンが笑顔で問い詰めると、は視線を逸らしてしまった。
何となく頬が赤い。
アレンはわかっていて苛めているのだから、それはもう満足して、繋いでいる手を引き寄せる。
指先に口づけを落として微笑んだ。
「二人きりになったらちゃんと言ってね」
「……………………」
「ちなみにその時それ脱がすから」
「は!?ぬ、脱が……?」
「当たり前だろう。そんな他の男の欲望が詰まった服、引き千切ってやりたい」
「うわぁ、女として喜ぶべきかのか悲しむべきなのかどっちだろうね!」
は顔を引きつらせてわずかに距離を取ろうとしたが、アレンが当然のようにそれを許さなかった。
それどころかますます引き寄せられる。
相変わらず手にキスをしてくるからは逃げられなくて、ちょっとだけ落ち込んだ声で言う。
「そ、そんなに似合わないか……」
「はい?」
別にアレンに見せるのが目的で着たわけではないけれど、せっかくこんな格好をしているのに言われたことが“引き千切りたい”とかだし。
ドレスは苦手だし嫌いだけど、そりゃあ女だから憧れが皆無だったわけでもない。
むしろ絶対に着る機会などないと思っていたものだから、不謹慎だけどちょっぴり嬉しかったのに。
はがっくりと肩を落すはめになった。
けれど間髪入れずにアレンの呆れ返った声が降ってくる。
「何バカなこと言ってるの。似合ってるよ」
当たり前の口調で告げられて、はハッと顔をあげた。
目が合うとアレンは不敵にでもなく、意地悪でもなく、優しく微笑んでくれた。
「腹立つけれど、すごく綺麗」
「……………………」
「だから、脱がせるのは飽きるまで眺め倒してからにするよ」
「え」
「いや、押し倒す方が先かな」
「えええええっ」
「今夜が楽しみだね、」
見惚れそうなほど素敵な笑顔で言われて、は顔を赤くしたり青くしたりした。
ちょっとこの神父さま何言っちゃってるの。
しかも教会の中で、こんな大勢の前で。
そこでは今の状況を思い出した。
同時に苛立った声が割り込んでくる。
「いつまで続けるつもりだ!」
怒声の主は領主だった。
振り返れば彼は顔を怒りで染めていた。
「息子の結婚式をぶち壊しておいて、何を人前でふざけたことをしている!いい加減にしろ!!」
「ふざけてなどいませんよ」
いきりたつ男にもアレンは笑顔を向けた。
ただし、それは先刻とうって変わって絶対零度の微笑だ。
「僕はが相手なら、いつだって本気です」
ああ、また火に油を注ぐようなことを。
はちょっと真面目にアレンをどうにかしてやりたくなった。
真剣な問いにも答えず目の前でいちゃこらされたら誰だって頭にくるだろう。
明らかにこちらが悪いというのに、何て言葉を返すのだ。
とにかくはアレンと領主の間に割って入った。
彼らの不機嫌の理由は間違いなく自分だし、現状況には責任があるので、きちんと話を修正する。
「申し訳ありません。けれど私も悪ふざけでこんな格好をしたわけではないんです」
ドレスの胸に手を当てて、領主を見据える。
本当はダニエルに弁解をするべきところだが、この場で実権を握っているのは間違いなく父親の方だった。
は的確にそれを見抜いて話を続けた。
「式を台無しにし、ご子息の面目を潰してしまったことはお詫びいたします」
「ふん。そんな言葉で片付くものか!聖職者だろうと関係ないぞ。裁判を起こしてお前を貶めてやる!!」
「どうぞ、お気のすむように」
「…………やけに往生際がいいな。何が目的だ?それに花嫁はどこに行った?お前が隠しているのだろう」
「隠してなどいません。彼女はずっとこの場にいますよ」
強い口調にもきつい眼差しにも動じずに、は冷静に告げた。
教会内にざわめきが広がる。
皆が顔を見合わせる。
けれどが口を開けば、再び全員が彼女に注目した。
「私が頼まれたのはただの時間稼ぎ。余興とでも思ってくだされば嬉しいですね」
そうして嫌味でもなく小さく笑うものだから、アレンは握ったままだった彼女の手を胸の辺りまで持ち上げた。
「それなら僕も得意だよ」
「そうだね。玉乗り、ピン投げ、曲芸も」
「せっかくだから、二人で踊ろうか」
「音楽がないのが淋しいな」
「君が歌を歌えばいい」
「けれど一曲もいらないよ」
互いに瞳を見つめて言い合う。
の薄紅の唇がにっこりと微笑んだ。
「すぐに王子様が、本当の花嫁を攫いに来るもの」
次の瞬間、バァンと大きな音をたてて、教会の扉が開かれた。
外界の光が一気に差し込んで目が眩む。
真っ白な視界にようやく認めたのはひとつの人影だった。
「メリア!!」
黒の仕立てのいい服を着た男だった。
呼び声に答えての傍に控えていたシスターが頭巾を脱ぎ捨てる。
灰色の髪の毛がほどけて背に流れた。
アレンは状況を察して、へぇあれが噂のメリアさんか、と思う。
器量の良い、優しそうな娘だった。
彼女は緑の瞳に涙を浮かべて叫ぶ。
「フレッド!!」
乱入してきた人物は人々の列を突っ切って、メリアの元まで駆けてきた。
彼女も飛び出してフレッドと呼んだ男の胸に身を投げる。
二人はしっかりと抱きしめあう。
完璧に恋人同士のそれに一同は唖然とした。
ただひとりアレンだけがため息をついた。
誰よりも早くが事をやらかした理由を悟ってしまったからだった。
「まったく……」
微笑交じりで呟けば、隣でが肩をすくめてみせた。
声を出さずに“ごめんなさい”を言われたから、誰も見ていないのをいいことに、一瞬だけその唇を塞いでおく。
何事もなかったように離れたちょうどその時、ダニエルの叫び声が響いた。
「お、おおおおおお、お前は執事のフレッドじゃないか!」
ぶるぶる震える指先は、メリアを抱きしめる茶髪の男性に向けられていた。
けれど恋人達は互いの存在を確かめるのに忙しいらしくて返事をしない。
仕方なくは歩み出た。
「おとぎ話なら、ガラスの靴。それとも目覚めのキスかな。お姫さまを解放する魔法は何であれ、王子さまが持ってくるものですよ」
近寄ると、フレッドとメリアはようやく顔をあげ、を見た。
けれど胸がいっぱいの様子で声が出ないらしい。
はあらあらと目を瞬かせた。
「どうやらお二人は愛を確かめ合うことに夢中のようですね」
わざとおどけたように言ってみせて、フレッドが手にしていた封筒を受け取る。
教会に参列した人々を見渡して、微笑んだ。
「では僭越ながら、私が代わりに」
そう告げると、は封筒の中身を取り出し、流れるような動作で放り投げた。
それは紙きれだった。
ひらひらと降ってくるのは何かの資料のようだ。
人々は何だろうと手に取り、すぐさま驚愕の声を漏らす。
ざわめきは波のように広がってゆく。
アレンも降ってくる紙を一枚掴まえて見た。
「なるほどね」
おもわず呟きが漏れる。
がばら撒いているのは、領主の日陰の姿。
つまり、汚職の記録だった。
「職権乱用、強要・脅迫に、公文書偽造、賄賂はお決まりですね。自然災害にあった際の対応も駄目です。これじゃあ修復したことにならない。不法建築にあたります。ああ、経理のほうは絶対に言い逃れできない感じですねー」
気楽な調子で言いながらはどんどん資料を投げてゆく。
「同一人物による筆跡が続きすぎています。調べによればインクやペンも均一だし、紙もほぼ同じ時期のもの。恐らくまとめて書き直したのでしょう。つまり改ざんですね」
「な、何を……」
領主は怒鳴りながら紙を拾い、ざっと目を通して顔色を変えた。
血の気が引いて真っ青になる。
資料を掴む手が震えた。
「少し内緒の話をしましょうか」
舞い落ちる紙吹雪の向こうでが言う。
「真っ白なドレスとベール。それを纏った花嫁さん。皆から祝福される彼女は、何故だか浮かない顔です。挙式前の彼女の傍に、最後まで居られるのは聖職者だけ。だからシスターは聞いてみたんです。“綺麗な花嫁さん。どうしてそんな悲しそうな顔をしているの?”」
まるで物語を語るように声は続いた。
「そうすれば花嫁さんは泣きだしました。“お仕えしているお屋敷の悪い秘密を知ってしまったの。だから無理やり結婚させられる。親族に取り込んでしまえばそれをバラされる心配はないと、旦那様が考えたから”」
はそこで微笑を深めた。
いっそ恐ろしいほど美しい笑顔だった。
「口封じのために、権力でメリアさんを手に入れようとしましたね。貴方の息子が彼女に恋をしているのをいいことに」
「………………………」
「我が子のために結婚を援助してあげるだなんて、なんて良い父親でしょう。その実は自らの利害しか考えていないだなんて誰も思いませんよ」
「……っ、デタラメだ!こんな資料、でっちあげだ!!」
「それを彼の前でも言えますか?」
必死の声を張り上げた領主には尋ねた。
間髪入れずにフレッドが叫ぶ。
「旦那様の一番近くでお仕えしていた私が調べ上げたものです!量が多くて、今までかかってしまいましたが……間違いなどとは言わせませんよ!!」
「フレッド、お前……!」
「先代の執事から仕事引き継いだとき、貴方の不正を何となく知らされました。それだけでも失望したのに、事もあろうかメリアを巻き込むだなんて……!」
「主人を裏切る気か!!」
「こんな汚い方法で彼女を奪われてたまるか!!」
怒鳴る領主に、フレッドは決して負けない声で返した。
しっかりと抱き合う恋人達の前に、まるで彼らを庇うようにしてが立つ。
金の瞳が陽に透けて光った。
「言ったはずですよ。私はただの時間稼ぎ。王子さまが花嫁を解放する魔法を持って来るまでの、余興にしかすぎません」
が腕を大きく振る。
残りの資料が一気に放り上げられ、教会の中をはらはらと舞った。
「全ての罪は彼らが暴いた。さぁ、次は貴方の番です」
「こ、この……っ」
「弁解でも懺悔でもお聞きしましょう。それが聖職者の役目ですから」
「ふざけるなよ、小娘が!!」
領主は顔を真っ赤にして、汚職の証拠をばら撒くへと掴みかかった。
けれどその手が触れる早くアレンが動く。
の体を掻っ攫い、そのまま横抱きして大きく後方に跳躍。
祭壇の上に飛び乗った。
白い髪が流れて舞う。
のドレスの裾と連動して、とても優雅に人々の目には映る。
「どうりで変な教会だと思いましたよ」
言いながらアレンは自分の立つ足元、つまり祭壇へと踵を叩きこんだ。
上に乗るだけでも神父にあるまじき行為なのに、さらにそれを蹴りつけたのである。
あまりに罰当たりなその所作に人々は絶句したが、もっと驚くべき事態が彼らを待っていた。
アレンが衝撃を与えたことで祭壇がばっくりと割れ、中から金を吐き出したのだ。
領主が悲鳴のような声をあげた。
アレンはそんなもの無視して、床に雪崩れ出た金を見下ろす。
軽く肩をすくめて言った。
「教会には権力者が集まる。贈賄に適した場所ですからね。そこに受け取った金を隠してしまえば安心だ。…………残念ながら一目でおかしいと感じましたよ。祭壇だけじゃない。ここには妙な点が多すぎる」
アレンはあっさりとそう告げると、視線だけで背後を振り返った。
「そう、例えばあの十字架の裏とかもね」
呟きながらちらりと領主を確認してみると、彼の全身が震え出した。
はアレンの腕に抱かれたまま、降ってくる資料に手をかざす。
舞い落ちてくる紙の雨。
「ねぇアレン。素敵だと思わない?ライスシャワーの代わりに白い紙吹雪だなんて」
「それにしては内容が黒いけれどね。確かに綺麗だ」
間近で見詰め合って、アレンとは微笑んだ。
瞳には不敵な光が宿っている。
そうして二人は宣言した。
「不誠実な誓いは無効となる。私達はこの婚礼を認めない」
「これは聖職者としての決定です。式は中止だ。皆さんどうぞお引取りを」
十字架を背に、金をこぼす祭壇の上で、美しい花嫁を抱いた神父。
アレンは優雅に微笑んでみせた。
「さぁ、贖罪のために走り回っていただきましょうか」
その言葉が放たれた瞬間、領主は踵を返して逃げ出した。
妙な奇声をあげながら扉をぶち開け、転がるように教会から出て行く。
呆然と立ち尽くしていたダニエルはハッとして、父の名を叫びながら後に続いた。
残された人々はわずかに沈黙したあと、怒声をあげる。
そして怒涛の勢いで領主親子を追いかけていった。
彼らが捕まるのも時間の問題だ。
罪は暴かれた。
後は然るべき場所で裁かれることになるだろう。
誰もがいなくなってがらんとした教会の中で、アレンはようやく本来の笑顔を浮かべた。
「そして、花嫁は結婚式を」
優しく言われたメリアは、吃驚して顔をあげた。
が身軽にアレンの腕から降り、恋人達の前に立つ。
二人の手を取って重ねた。
メリアとフレッドは戸惑いと、少しの恥じらいに、瞳を見合わせる。
は仕上げとばかりに自分の頭から白薔薇を外し、メリアの髪へと挿した。
「これが、私達の本来の仕事よ」
はとびっきりの笑顔を浮かべてみせた。
「さぁ笑って、“幸せな花嫁さん”!」
金色の瞳がウィンクをする。
それを見つめる緑の双眸に涙が滲んだ。
そしてメリアは泣き出しながら、に思い切り抱きついた。
「ありがとう、聖職者さま!!」
天井の硝子絵が光を取り込んで、美しい色を床に落としている。
静謐なる教会。
整然と並べられた長椅子、その最前列に黒い頭巾を見つけて、アレンは瞳を細めた。
入り口から足を踏み入れ、教会の中央を歩んでいく。
傍までくると優美な横顔が見えた。
閉じられた瞼の白さで彼女が祈りを捧げていることを知る。
アレンは椅子の背に手を置いて尋ねた。
「何を熱心に祈っているの?シスター」
そうすれば金色の双眸が開いて、答えを返した。
「そんなの決まっているじゃない。神父さま」
両手を組み合わせたままは真剣に言った。
「“アレンの怒りが少しでも和らぎますように”、よ」
「へぇ……」
わずかに感心した声を漏らしながら、流れるような動作で彼女の隣に腰掛ける。
祈りの形にされた手に指をかけて優しくほどかせてやる。
「それはまた、無駄なことを」
「……………………」
満面の笑みで言ってやれば、わかりやすくの身が強張った。
そのままじりじり離れていこうとするから肩に手をまわして引き寄せる。
自然な感じで自分へと寄り添わせて耳元で囁いた。
「神頼みとは、らしくないね」
「…………、反省はしてるのよ」
「うん」
「してるんだけど、アレンの期待するような謝罪方法も遠慮したいわけ」
「……………………なるほど」
うぅ……と弱りきった調子のに、アレンは微笑んだ。
けれど表情とは裏腹に声の温度が急激に下がる。
「は、僕がどれだけ怒ってるか、よくわかってないみたいだ」
わかってると返そうとしたを許さずに、顎を掴んで無理に仰向かせる。
そうすることで黙らせると、アレンは顔を近付けた。
指先をぴったりと首筋に突きつける。
「着替えられたときはガッカリしたけれど、今となっては良かったと思うよ。まだドレスを着ていたら、僕はそれを確実に引き裂いていた」
「き、鬼畜発言……」
「仕方ないだろう。君が勝手にあんなことをするから」
「……………………」
笑顔のまま、けれどその実は不機嫌な調子で続けて、を沈黙させる。
アレンは彼女の顎を掴む手を滑らせ、白い頬を撫でた。
「フレッドさんが証拠を持ってやってくるまでに、結婚式が終っては話にならない。けれどそれだけじゃなくて……。メリアさんは、花嫁衣裳を着て彼以外の隣に立ちたくないと言ったんだろう」
「………………な、何でわかるの?」
「女性の恋愛心理ぐらいわかります」
「さすが英国紳士……!」
「けれど君の考えていることはさっぱりだ」
「………………………」
本当は誰よりも理解しているけれど、わかりたくないと思うこともある。
そう胸中で言いながらも、アレンは決して笑顔を崩さない。
瞳を伏せたが手に触れてきた。
「彼女は式を強行されるのが怖いと言ったのよ」
それから何とか顔をあげて、無理に笑ってみせた。
「綺麗な女性が泣いているんだよ。これは、何とかしてあげなきゃ!……でしょ?」
「知ってる。君はそういう人だ。でも、…………」
そこでアレンは言葉を切ると、唐突にの唇を塞いだ。
軽く触れただけと思わせて、その形を確かめるようにさらに深く口づける。
が驚いたのが雰囲気でわかった。
わずかに震えた彼女の肩を強く掴んで抱きこむ。
長いようなキスの後、そっと唇を離してアレンは囁いた。
「僕以外の男に、こうされたらどうするの」
の瞳が見開かれて、金色の光が揺れた。
アレンはそこに映った自分の顔を発見し、舌打ちをしたくなる。
にこやかに問い詰めて、ただ苛めてやろうと思っていたのに、いつの間にか本気が顔を出してしまったようだ。
腹が立つからそのまま続けた。
「可能性はあったんだ。…………周りはそれを望んでいた」
「私は本当の花嫁じゃなかったのよ?」
「けれどドレスを着ていたのはだ」
「……………………」
「あの場にいた皆が君たちを祝福してたんだよ。そのまま間違って誓いの口づけまでさせられていたかもね」
「ま、まさか!いくらなんでもダニエルさんが気付くよ」
確かにそうだが、アレンはどうにも彼が信用ならなかった。
「あの人なら花嫁が違うことを知っても、キスくらい平気でしてくるんじゃない?」
「新郎が?あれだけ花嫁に惚れ込んでいたのに?メリアさんに泣きつかれたときも、騒動の最中も、私、ダニエルさんには申し訳なく思っていたのに……」
どうやらは、ダニエルを父親の陰謀に巻き込まれた哀れな息子と思っているらしい。
対外的に見ればそうだと言えるが、ある事実がアレンの中で彼を決定的に敵にしていた。
「純粋にメリアさんが好きだったなら、式前にどこぞのシスターを口説いたりするものか」
冷ややかに言い捨てて、改めてを眺めてみた。
瞳をすがめて嫌そうに呟く。
「この顔に見惚れていたんだ。メリアさんじゃないと気付いても、どさくさに紛れてキスくらいはしてきたよ。絶対」
「それはアレンの思い込みよ。絶対」
「…………君は男というものをわかっていない」
「そうだね。ありがたいことに私の一番身近にいる男性は、間違ってもそんなことしないもの」
あっさり言われてアレンはちょっと反応に困った。
自分が信用されているのは嬉しいのだが、そうなると、この微妙なところにある怒りを伝えきれない。
うやむやにするのも嫌だった。
だって二度目があってみろ。
そうしたら僕は、今度こそ相手の男を…………。
「なんか今、物騒なこと考えてない?」
「いいえまさか殺すだなんて野蛮なことはしませんよ産まれてきたことを後悔させるだけです死ぬよりも辛い地獄の苦しみとやらで本当」
「何その絶望的な言い訳!」
アレンが慌てて口走った内容は、本当に取り繕う気があるのかと疑いたくなるようなものだった。
本音がだだ漏れである。
これで隠したつもりなのならば、絶対に実行させるわけにはいかない。
「博愛主義はどこ行った……」
「君には一心に注いでるつもりだけど」
はくらりと目眩を覚えた。
片手で額を押さえて俯く。
黒頭巾が流れて顔を隠した。
その影で吐息混じりに言う。
「あのね。アレン」
その妬心を何とかしてやろうと思って、彼の頬を両手で挟んだ。
瞳だけをちろりとあげて、アレンを睨みつける。
「もし仮にそういうことが起こりそうになっても、私が許すわけないじゃない。この唇は奪い取り自由じゃありません!」
「……………………そうだね。僕でもたまに逃げられる」
何だかついでに愚痴られたが今は無視しておく。
はアレンと額同士をくっつけて、指先で頬に触れた。
傷跡を伝って撫でる。
「……………………本当は、私。ヴェールをあげられるまで花嫁のフリを続けるつもりでいたのよ」
「え……?でも」
聞き返すアレンに、は頷いて見せた。
「そう。……誓いの言葉が言えなかったの」
そこで銀灰色の瞳が大きく見開かれたから、は目を逸らしたくなったけれど、何とかこらえた。
代わりに頬が朱を帯び、怒ったような口調になる。
「あなたの前では、嘘でも、他の人を愛するとは言えなかったのよ」
そこでアレンの双眸に驚きと何か別の感情が閃いたから、はどうしようもなくなって、思わず身を乗り出した。
唇で彼の言葉を封じる。
それは今なにか言われたなら、恥ずかしくて死ねると思ったからだ。
「にしてはすごい進歩だ」
それだというのにアレンはキスの合間に言った。
聞きたくないから口を塞ごうとしても、彼の方が早い。
「できればドレスを着る…………、ところからやめてほしかったけれど」
「黙って」
キスで邪魔してやったのに、唇が離れた隙に続きを口にされる。
は悔しくてアレンに噛み付いた。
「ん……、っ、君がメリアさんを見捨てられるはずもないか」
「黙ってよ」
「誓いの言葉を拒んだだけ、成長したと思うべきだね……」
「もうっ」
「でも、キスだけじゃ誤魔化されないよ」
触れていた唇が、笑んだ調子でそう言った。
今まで受身だったアレンの手が急に積極的になる。
ぐんっと力を感じて、世界がまわる。
気がついたときには背中に固い感触がしていて、見上げた先にアレンの瞳があった。
自分の顔に落ちてくる彼の影。
その向こうには優美な装飾が施された天井が見えた。
教会の長椅子に押し倒されたのだと認識した途端、は半眼になった。
「信じられない」
「何が?」
アレンはきょとんと聞き返した。
小首を傾げる姿は可愛らしいが、それに組み敷かれている状態ではそうも思えない。
とりあえず離れようとアレンの胸を押して、は低く言った。
「だからアレンの行動が信じられない」
「だから何が」
力では敵わなくて、抵抗する手は軽々と押さえ込まれた。
手首を取られて長椅子に固定される。
おいおいと冷や汗をかいて、はごく一般的な意見を口にしてみた。
「教会でシスターを押し倒す神父がどこにいるのよ」
「君の目の前に」
「ああ、うん!そうだね!私ったら現実から目を逸らしちゃったみたいでごめん、とりあえず離して」
「嫌だ」
「離せ」
「いやだ」
「はな……っ、…………」
そこでは言葉を途切れさせた。
アレンが自分の首筋に触れてきたからだ。
別にそれだけならどうって事ないのだが、肌を撫でる指先に込められた感情がわからないほど、彼を知らないわけではなかった。
何となく表情が取り繕えなくなる。
アレンの手が喉を辿って胸元まで下りてきた。
「ちょ……、待っ…………」
「……………………」
「アレン!」
名前を呼んだ瞬間、ぷつり、と音がした。
慣れたような手つきで聖職者服のボタンを外されたのだ。
は思わず顔を背けた。
すると耳に吐息が降ってくる。
「キスだけじゃ、僕を誤魔化せないよ。ねぇ」
「……………………」
「ドレスを着た君が、どんな風だったか知っている?」
「…………知らない。自分じゃよく見えないもの」
「綺麗だったよ」
何の誤魔化しもなく、アレンの声がそう言った。
そこに込められた熱を感じては強く目を閉じる。
「僕は詩人じゃないから上手く言えないけれど。………………綺麗だった。本当に」
「………………それは、ありがとう」
「今でも目に焼きついてる」
「……っ、………………」
「たぶん一生消えない」
言う間も肌に触れてくるから、うまく言葉を返せない。
耳の後ろにキスをされた。
そのまま唇で耳たぶを遊んで、鼓膜に直接囁く。
「おかげで今夜は悪夢を見そうだ」
「……………………え」
そこではばちりと目を開けた。
首を戻して見上げてみると、アレンは本当に憂鬱そうな顔をしていた。
は頬の熱が引くのを感じる。
「え……、ええ?何?どういうこと?」
わけがわからないなりに色々と思うことはあって、は半笑いで首を傾げてみせた。
「ここ、怒るとこ?」
「ううん。僕が怒るとこ」
「なんで!」
「だから目に焼きついてるんだよ!花嫁姿の君と、その隣に立つあの道楽息子が!!」
勢い込んで訊くと、もっと勢い込んで返された。
その忌々しそうな表情に、はアレンの言葉の意味を正しく理解する。
どうやら彼は最初に言っていた通り、自分が花嫁衣裳を着て別の男性の隣に立ったことが非常に気に食わないらしい。
神父としてそれを真正面から見ることになったのが、そうとうなダメージだったようだ。
「が花嫁なのに、隣にいるのは僕じゃない。最高の悪夢だ」
「そんなこと有り得ないから。忘れて」
「ドレス姿の君が強烈過ぎて無理」
「忘れて!」
「絶対に夢に出てくる。確実に眠れない……」
「ああ、もう。ごめんなさい!」
は叫ぶようにそう言うと、捕まっていない方の手を伸ばして、アレンの髪に触れた。
ゆっくりと撫でて必死に慰める。
「私が何とかしてあげるから!」
「…………何とか?」
「そう。眠れないときは温かい飲み物がいいのよ。それと子守唄かな。あとは、えーっとえーっと」
「それより効果抜群の方法があるよ」
「え?なに?」
聞き返してからは後悔した。
何故なら今まで暗い顔をしていたアレンが、信じられないくらい明るい笑顔を浮かべたからだ。
「添い寝」
「…………は?」
「が添い寝してくれたら、きっとよく眠れる」
にっこりと、見惚れそうなほどの笑顔でアレンはそう言った。
そう言い切りやがった。
は一瞬固まって、それから純粋に顔を赤くして、すぐに真っ青になった。
無意識の内に逃げようと身をよじれば、アレンの掌が肩を長椅子に押し付けてくる。
細められた瞳は、確実に獲物を捕えた獣の色をしていた。
「ねぇ。何とかしてくれるんだろう?」
「……………………そ、添い寝はちょっと……」
「どうして?」
「私も一応、年頃の女なので…………」
「だからこそなんだけど」
「その、もっと慎みってやつをね…………」
「僕と君の仲じゃないか。遠慮することないよ」
「いや遠慮って言うか、そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ、どういう問題?」
「………………………………」
は完璧な笑顔のアレンに追い詰められて、瞳に涙を浮かべた。
耐え切れなくなって彼の胸をぽかりと叩く。
アレンのバカと思い切り叫んでやった。
「“添い寝”だなんて、絶対にそれだけじゃすまないじゃない!」
「もちろんすませないつもりだけど何か?」
「あっさり認めたー!」
「キスぐらいじゃ許さないって言っただろう」
「ごめん、本気で謝るから思い留まってっ」
「へぇ……。は僕が毎日毎日、悪夢にうなされてもいいって言うんだね。なんてひどい」
アレンはわざとらしく嘆いてみせたが、それよりは蒼白になった。
「まいにち……?」
「毎日」
普通に頷かれて、ちょっと死にたくなった。
もうずっと遠慮していたいと思っていた謝罪方法が、予想を大きく超えて目の前に突きつけられている。
今にも泣き出しそうなに、アレンは追い討ちをかけた。
「僕を忘れさせない君が悪いんだよ。“綺麗な花嫁さん”」
それって私の責任なのか。
そう声を大にして訴えたかったが、アレンの満面の笑みが許してくれなかった。
「……………………それじゃないとダメ?」
「駄目」
「ま、毎日はさすがに…………」
「ああ、あの時の光景が目に浮かんで消えない胸が痛くて死ぬ」
一気にまくしたてるアレンは完璧に確信犯なのだが、切なげな顔をされると思い切りはまってしまうのがだった。
頭の中で何かが切れて、口が勝手に言い放つ。
「……っ、わかったよ!わかりましたとも!!」
「本当?ありがとう」
了解を得られた途端、アレンが純粋に嬉しそうな顔をした。
笑んだ唇でそのまま口づけてくる。
子供か犬のように喜ぶ姿に、はちょっとだけ溜飲を下げた。
キスを受けながら考える。
まぁ添い寝といっても、がんばれば本当にそれだけにできるだろう。
どうせ一緒に眠るのはいつものことだし、さすがのアレンも体に無茶はさせないはずだ。
前に一度本気で怒ったらしばらく触ってくれなくなって、こっちが淋しくなったくらいだし。
そもそも、それ自体が嫌なわけではないし……。
「ん?」
そこでは妙な感覚を覚えた。
「ん……っ、ぁ…………」
「……………………」
「…………っ、は、…………んんっ」
「……………………」
「ちょ……っ、く……、アレ、ン!」
「なに?」
「何じゃない、やめて!」
いつの間にかキスが濃度を増して、口内をいいようにされていたのだ。
は頬を真っ赤にして怒ったが、アレンは至って涼しい顔だ。
「どうして?」
「どうしてって……!」
「嫌じゃないなら黙って」
「そういう問題じゃ……っ、んん!」
「嫌でも黙らせるけど」
だったら聞く意味ないじゃない!
はそう言ってやりたかったが、口を開こうとすればキスで塞がれ、アレンの侵入を許す結果となった。
舌が唇を割り吐息と共に絡む。
口内を這う感覚に意識がおかしくなる。
深い口づけと軽いキスを何度も繰り返された。
「……」
ふいにアレンが囁いた。
は乱された呼吸を整えながら彼を見上げる。
相変わらずの笑顔だ。
けれど何だか瞳が揺れている。
切羽詰ったような様子が見え隠れしているような。
「あの時の、誓いの言葉」
アレンの指がの頬を撫で、顎を伝い、首筋を辿る。
そして鎖骨の辺りに掌を当てて双眸を細めた。
「隣にいたのが僕だったなら、“はい”と言ってくれた?」
表情は、笑顔のままなのに。
何故だかひどく切ないように見えた。
は言葉を失った。
目を見張ってアレンを見つめた。
彼の指先が胸元を撫でる。
わずかに唇を震わせて、それでも声が出せないでいると、心臓の上に手を置かれた。
鼓動も命も握られて、さらに心までも掴もうとする指先。
アレンと触れ合うといつだって自分の存在を強く感じた。
それほどまでに全てを懸けて、彼が求めてくれるからだ。
「それは…………」
はきっぱりと答えた。
「わからない」
「…………ええっと。何?ここ、怒るとこ?」
アレンは笑顔で言ったが、その口元が引きつっている。
眼も何だかおかしい。
確実に動揺している。
胸に置かれた手に力を込められたから痛いと言ったけれど、まったく聞いてくれなかった。
「だって、実際にそうなってみないとわからないじゃない。憶測だけで答えるのは失礼な質問だと思ったんだけど」
「うん……。まぁ、そうだけど。それだけじゃ納得できない感情が不思議」
「ああ、でもね」
は手を伸ばしてアレンに触れた。
その左胸に掌を当てて鼓動を感じる。
彼の心まで届けばいいと思った。
「健やかなる時は一緒に笑っていたい」
あなたの幸せな笑顔が見たい。
「病める時は間髪入れずに鉄拳を叩き込んでやりたい」
あなたの哀しみを壊してあげたい。
「そう思うのは、きっとアレンだけだと思うよ」
出逢った時からずっと傍にいた。
喧嘩ばかりで、互いに罵り合って、それでも一緒にいた。
惹き合う力でもあったのか、今となっては不思議だけれど。
自分の絶望も苦しいだけの問題も全て飛び越えて、閃光のように消えて行く私を掴んでくれた。
全身に火傷を負っても離さないでいてくれた。
それは紛れもなくアレンで、人生でたったひとりの人間だ。
だから…………。
はアレンの瞳を見つめて微笑んだ。
「一生、あなただけよ」
あいしてる。
唇で心を辿れば、瞳に映ったアレンの頬が確実に朱に染まった。
しばらく無言で見つめ合った。
眼を逸らせば負ける気がする。
恥ずかしさに誤魔化せるような気持ちではないから、は真っ直ぐにアレンを射抜いた。
案の定アレンが先に視線を外した。
全身の力を抜くようにため息をついて、がっくりとうなだれる。
「今のは……」
アレンが呻くように呟いた。
「卑怯だと思う」
「何が」
「一度叩き落したくせに」
「正直に答えただけよ」
「…………そうだね。が素直に“はい”と言ってくれるわけがないんだ」
「だからその時にならないとわからないってば」
「じゃあその時になってみる?」
「…………………………」
普通に言われては目を瞬かせた。
何だかんだ言ってきたが、それは結構今さらな話だった。
もうずっと二人で旅をしているし、泊まるときも一部屋ですますし、ほとんど毎晩一緒に寝ているし、その他にもいろいろ。
恋人になってからも長いから、事実上、結婚しているのと変わらなかった。
ただ法律上そうしていないだけで。(厳密に言うと、諸事情により自分が国籍や戸籍を持つことができないからなのだが)
「式がしたいの?」
はきょとんとして尋ねた。
それしか思いつかなかったから訊いたのに、アレンは俯いたまま嘆息する。
「君に“はい”と言わせたいだけ」
後はどっちでもいい、と声が続く。
「またドレス姿は見たいけれど」
「あ、でも。もしするのだったら皆を呼びたい」
「皆を?」
「そう。神田もラビもリナリーもコムイしつ……、もう室長じゃないか。コムイさんもリーバーさんもラスティさんも皆みんな!」
「そうだね。懐かしい」
「元気かなぁ。会いたいな……」
「うん……」
「…………………………………………っていい話している最中に何をしやがってるんですかアレンさん」
そこで唐突に言葉の調子を変えて、は自分の上に乗っかったアレンを睨みつけた。
その右手は器用にシスター服のボタンを外していっている。
襟を掴まれて引かれ、白い胸元が完全に露出した。
「何って。説明しようか?」
「いらない」
「を脱がしてるんだよ。いつも思うけれどこの服、面倒くさいな」
「文句をつけながらも慣れた手つきでホントそろそろ止めようか」
「最近また痩せたよね。この辺の触り具合が変わってる。もっと食べないと」
「腰を撫でまわすの止めて変なところチェックしないで」
「胸とかは充分なんだけど、他は本当に細い……。あれだけ活動して、あの食事の量は信じられないよ」
「だから私はあなたの行動が信じられないんだけどってオイこらー!」
「おっと、危ない」
スカートに手をかけられたから思わず脚を繰り出せば、本気の構えで防がれた。
そのまま捕まってぐいっと持ち上げられる。
布がずり落ちて太ももまで晒されて、そこに何の躊躇いもなく掌が当てられる。
「本当に信じられない…………」
は喉の奥で呟いた。
「ここ、どこだと思ってるのよ。神父さま」
「恋人たちが愛を誓う場所じゃない?」
確かに間違ってはいないけれど。
アレンがキスを降らせてくる。
傷はつけずに跡を残して、白い肌に刻み付ける。
男の人にしては繊細な指先が熱い。
好き勝手に触られて張り飛ばしてやりたいのに、服と一緒に思考までぐちゃぐちゃにされるから、その力もなくなってゆく。
翻弄される感覚。
声が漏れそうになって唇を噛んだ。
顔を逸らせば短い金髪が頬に当たり、睫毛をこする。
見上げた先に十字架があった。
「アレン……」
最後の抵抗で、は言ってみた。
「神さまが見てる」
アレンの動きが一瞬止まった。
指先が肌を離れる。
けれど遠のくことはなくて、黒頭巾を掴んで剥ぎ取られた。
それを床に捨ててしまえば、服を乱れさせたはもう聖職者ではなかった。
逸らしていた顔を、顎をもって引き戻される。
アレンはもう片方の手で自分の胸にかかっている十字架を取ると、それに一瞥もくれずに落とした。
黒頭巾の上へと。
「見せつけてやればいい」
普段より低い声が、鼓膜を震わせた。
確かな熱を持って囁かれる。
揺れる白髪。
今は長くなったそれが、二人きりの夜の中で銀色に輝くのを知っている。
細くて綺麗な指先が、愛しさを伴って触れてくるのを知っている。
幾千もの魂を救ってきた腕が、この心ごと抱きしめて離さないのを知っている。
は背中がぞくりとするのを感じた。
胸が締め付けられて、痺れのようなものが切なく体を拘束する。
銀灰色の瞳を光らせるのは愛欲で、それに気がつけばは本当に困った。
「いやだ」と言えなくて困った。
眼が合えば、どちらも言葉もなく、合図もなく、口づけをしていた。
瞼を閉じて自然とそうしていた。
アレンが捕まえていた手を離してくれたので、は彼の肌に指先で触れる。
心音と体温を感じた。
もっと感じていたかった。
この先も、ずっと。
絶望を伴侶としていた私を攫って、一緒に生きていこうと言ってくれた。
ならば私もその言葉を返そう。
は自分を抱きしめるアレンの耳元で、小さく囁いた。
“ I do ”
愛の誓いは教会の中に静かに響く。
そして二人は幸福に手を取り合い、光のように笑った。
二周年記念夢、『メサイア』でした。タイトルの意味は救世主。
アレンもヒロインも互いの存在のおかげで世界が救われた……という感じです。
それはともかく、まさかの未来パロです。
この二人を好きだという方がたくさんいらっしゃったので(ありがとうございます!)、幸せになった彼らを書いてみました。
そして考えてみたら、聖職者夫婦しか思いつかなかったという……。
この二人は普通の生活には甘んじないと思います。戦いが終っても救済を願って、旅を続けているんじゃないかな〜と。
そしてまさかのバカップルです。何だこいつら書いている最中ぶん殴ってやりたくて仕方がありませんでした。(笑顔)
特にアレンが勝手に喋る喋る、本当ノンストップですよ。神父さま自重して!^^
ヒロインも結局は大胆な性格なので、止める人がいないといつでもどこでもイチャついていそうです。
ストッパーで神田かラビが欲しいところ。どうせアレン様に負けるだろうけど。(爆)
そんなわけで二周年ありがとうございました!
ここまで続けられたのは皆さまのおかげです。
心から感謝申し上げます。
そしてこれからもお付合いいただけますよう、どうぞお願いいたしま〜す!!
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