どうやら私は、人魚姫にはなれないみたい。
● 黒の教団的猛暑の過ごし方 ●
「暑い……」
は呻いた。
声にはまったく張りがなく、今にも死にそうな調子である。
季節は夏真っ盛り。
いくら風通しのよい談話室にいようとも、今日の暑さはしのげそうになかった。
起き上がっていることも出来ずにソファーに撃沈する。
室温計など見たら気絶できるんじゃないかなと思う。
熱を孕んだ空気にドロドロにされそうだ。
「暑すぎて溶ける……」
再びがそう漏らすと、その場にいたもう一人が言った。
「ああ、それは愉快な現象ですね。さぁ思う存分溶けて僕を楽しませてください」
その言葉を聞いては怒るより先に感心してしまった。
緩慢な動きで視線を巡らせ、斜め前の一人掛けソファーに座っているアレンを見る。
この暑さにさすがの彼もシャツの袖を捲り上げていたが、だらしなく映らないのがこの少年の羨むべき特性である。
は尊敬の眼差しでアレンを見つめた。
「すごいねアレン。こんなに暑いのに、そんなに冷ややかな言葉が言えるなんて。さすが腹黒魔王」
「誉めてられてない」
「ああ、もし言葉に温度があったらどんどんアレンに罵ってもらうのに。涼しくなれるならそれくらい我慢するよ、あとで報復するけど」
「全然我慢する気ないじゃないですか」
「そんなことないよ。3倍返しぐらいで許してあげるよ。すっごく我慢して!」
「それより、とっとと起き上がってください!」
べしりとテーブルを叩いて、アレンが怒った声を出した。
見た目はそうでもないが彼も暑さで機嫌が悪いらしい。
何だかその顔は赤かった。
「さっきからスカートの中が丸見えなんですよ!!」
はそう怒鳴られて、ぼんやり瞬きをした。
この暑いのに何を怒っているんだろうアレンは。
横長のソファーにだらりと横たわったまま考える。
確かに自分は片膝を立てて寝転んでいるから、アレンの座る位置からはスカートの中が丸見えだろう。
でも、だから?
「ああ、えっと。みっともないもの見せてごめんなさい。目を逸らしてくれると嬉しいです」
「何で僕が動かなきゃいけないんですか。君が何とかしてくださいよ」
「えー」
「えー、じゃなくて」
「ごめん、むり……。私は今、溶けるか溶けないかの瀬戸際だから。デットオアアライブさ迷っているところだから」
「僕が今すぐ生死をはっきりさせてあげましょうか……?」
そこでアレンが恐ろしい声を出したのだが、は暑さのあまり団服の首もとを緩めていたのであまり聞いていなかった。
金髪が流れてソファーに散らばる。
覗いた胸元と鎖骨に、アレンは目眩を覚えた。
それは暑さのせいか、怒りのせいか、それとも違う何かか。
肌の白さを着ている黒が際立たせていて、アレンは我慢できずに立ち上がった。
その一瞬後。
ズガンッ!!
と凄まじい破壊音が黒の教団に響き渡った。
床に転げ落ちたは蒼白な顔で目の前に立った少年を見上げる。
そして彼の発動した左手と、それが木っ端微塵に破砕したソファーを確認して、背筋を凍らせた。
あと少しでも回避が遅れていれば、はソファーと同じ運命を辿っていたことだろう。
どうやらアレンは本気での生死をはっきりさせてやる気らしい。
ゆらりとアレンの頭が揺れて、のほうを振り返った。
は引きつった悲鳴をあげて逃走しようとしたが、素早く襟首を掴まれる。
「待ってください、どこに行くんですか。暑いんでしょう?親切な僕が今すぐ涼しくしてあげますよ」
「冷たくするの間違いでしょ!?は、離せー!私を開放しろー!!」
「わかりました、ご希望通り開放してあげますね。この世から!永遠に!!」
「何が何でも殺る気だ!!」
暑さのせいか、いつもよりキレるのが早くて攻撃が過激なアレンに、は本気で涙を浮かべた。
貴重な水分が蒸発していく。
掴んでくる手から逃れようと暴れていると、先刻の悲鳴を聞きつけたのか、入り口から二人の青年が談話室に入ってきた。
「うるせぇんだよ、何騒いでんだ」
「この暑い中よくやるさー……」
「神田!ラビ!」
はナイスタイミングで登場した友人達の名を呼んだ。
彼らもこの暑さに耐えかねたのか、いつもより薄着である。
ラビなどはタンクトップの裾を掴んで風を送り込もうとバタバタしているから、引き締まった腹が丸見えだった。
「たすけて、アレンに殺される!!」
はとりあえず二人にそう訴えたのだが、反応は予想外に冷ややかなものだった。
「ああ、そうしてもらえ。テメェが消えたらこの暑さも少しはマシになるかもしれねぇ」
「確かにのテンションって地球温暖化の原因っぽいもんなー」
「どんな人間だよ私!環境に悪影響を与えるほどなの!?」
「安心してください、。とりあえず僕の精神状態には害を及ぼしてますよ!」
「今まさに私に害を及ぼそうとしているヤツに言われたくなーい!!」
それからしばらくアレンとは取っ組み合って暴れていたが、暑さにどうしようもなくて争いを中断した。
床にへたり込んで熱を冷まそうと努力するが、どうにも虚しい。
「あーもう!何だってこんなに暑いんさ!!」
ラビが怒ったように言って、我慢できずに着ていた上着をばさりと脱いだ。
上半身裸になった彼を見やっては呟く。
「羨ましい……。私も脱ぎたい……」
「脱げば?手伝ってやるさ」
「おっ、ありがとー」
「………………………………って、おかしいでしょうどう考えても!ラビ、何言ってるんですか!?もやめてください!!」
何の恥じらいもなくそう言う親友同士に、アレンは大声で怒鳴った。
はバンザイをしたまま、ラビはその服を脱がそうと手をかけたまま、アレンを振り返る。
「「なんで?」」
「……………………何ですか、この敗北感。まるで僕が間違ってるみたいな雰囲気ですけど、間違ってるのは絶対にそっちですよこの非常識人たち!!」
「?だって暑いし。インナー1枚になるだけだって」
「そうそう。ところで今日の下着は何色さ」
「えーっと、忘れた。脱いだ後で確認する」
「そうさな。ほい、腕あげて」
「うん、バンザーイ」
その瞬間、銀色が閃いた。
先刻と同じようなズガンッ!という激しい轟音が響く。
反射的に身を引いていたとラビの間。
そこに『六幻』の刃が突き刺さり、床を粉々に破壊していた。
は腕をあげたまま硬直し、ラビは自分の足先ギリギリに振り下ろされた凶器に冷や汗を浮かべる。
「………………おい、そこのバカコンビ」
『六幻』をゆっくりと持ち上げながら、神田が低く言った。
鋭い瞳で二人を見下ろし、唇の片端を吊り上げる。
「そんなに暑いなら二度と何も感じないようにしてやろうか」
どうやら神田まで殺る気満々になってしまったみたいだ。
それを瞬時に悟っては無理やり笑った。
引きつった声でそれでも明るく言う。
「い、嫌だなぁ神田!暑さのあまり口走っちゃった冗談だって!」
「そ、そうさ!そんな怒んなって!アレンもちゃっかり発動しているその左手を下ろしてくれ!!」
必死にそう訴えると神田は舌打ちと共に『六幻』を下げた。
何だかとラビの言動に腹を立てたというよりも、気晴らしにバカを斬りたかっただけのような気もする。
ちなみにアレンはというと、左手を下ろしたが発動はまだ解いていなかった。
が怯えた目で見れば、にっこりと微笑んでイノセンスをちらつかせる。
なんて恐怖だろう。
「ただでさえ暑いのに……。何なんだよ、もー」
がっくりと肩を落としてが呟くと、ラビが首を傾けた。
不思議そうな顔での漆黒のスカートを掴む。
「オレたちよりは涼しいだろ。こんな短いスカートなんだから」
「短いからこそ、そうでもないんだよね」
「は?……って、ああ。そっか」
言いながらラビはのスカートをぺらりとめくった。
それはカレンダーをそうするかのような、本当に何気ない動作だった。
そしてのスカートの中を見て、半眼になる。
「そんなスパッツ穿いてたら、そりゃあ暑いさ」
めくりあげられたスカートの向こうに覗いたの脚は、短いスパッツに覆われていた。
これは昔からの習慣なのでラビも知っていることである。
不満気に唇を尖らせて言う。
「子供じゃないんだし、いい加減やめろって」
「だって戦闘のとき見えちゃうじゃない。何だって教団の団服はこんなミニスカートなんだか」
「そりゃあらゆる期待を込めてだろ。それをオマエはこんな形で裏切り続けてるんだからさ。もう脱いじゃえよ」
「それよりラビ。ちょっと離れようか。何だか白いほうも黒いほうも、また恐ろしい感じになってきてるから」
は冷や汗をかきつつ、ラビの裸の胸を押した。
ラビは視線を巡らせて殺気を迸らせている白と黒の鬼を発見し、即座にから距離を取る。
それを見届けてからアレンが口を開いた。
「。スカート直して」
何となく目を逸らしながらそう要求する。
ラビにめくられたままだったのでスカートの裾から中が見えてしまっていたのだ。
「へ?ああ……、でもちゃんと下に穿いてるよ?」
「だからって堂々と見せない!さっきから目の毒なんですよ!!」
「何さ。アレンってば、やーらしー」
そこでラビがニヤニヤ言ったから、アレンの左手が空を切る。
悲鳴をあげて避けた彼を見下ろして、にっこりと微笑んだ。
「目の毒なんですよ。何かの比喩じゃなくて、本当に!心の底から!!」
「ひい!わかったって、オレが悪かったですスミマセン!!」
「そ、そんな力いっぱい言わなくてもさぁ」
「バカ女は黙ってろ。そしてその見苦しいものをとっとと隠せ」
「神田まで……」
苛立たしげに言い捨てる神田を見上げてはぼやいた。
その眼前にアレンが登場して、尊大に立ちはだかる。
「スカートを直したら次は上着です。ボタンをきっちり全部かけてください」
「や、やだよ!暑いじゃない!」
「腕まくりくらいなら許してあげるから。でも二の腕下までです」
「何で?どうしてそんな細かい要求をするの!?」
「肩なんて出したら腕が無くなりますよ」
「いやいや、もうイノセンスを構えている意味がわからない!!」
は恐怖に涙を浮かべて後ずさったが、どんと背中が何かにぶつかってそれ以上の後退を阻まれた。
視線をあげると、それは『六幻』を手にした神田だった。
「立て」
「は?」
「そしてその無様な服装をなおせ」
「あんたもアレンと一緒か!」
「テメェは女として扱うのが面倒くさくなるような奴だってのに、外見がそうだから腹が立つんだよ!」
「な、なにをー!」
「うるせぇ、いいから早くしろ!!」
そこで『六幻』を突きつけられたから、は跳ねるように立ち上がって、その場から飛び退いた。
「もう、何なの二人とも!」
「別に。ただ、が露出していると妙に腹が立つだけです」
「ああ、どうしようもなくな」
据わった目で頷きあうアレンと神田に、離れた場所にいるラビはぼそりと呟いた。
「なんて過保護なんさ……」
けれどそんなことをは知らないから、怒ったように言う。
「どんな格好をしたって、それは私の自由だと思う!」
「駄目です。目に異物が入った感じになります。イタタタターです。ものすごく辛いです」
「どれだけ良い日でも一気に気分が悪くなるな。少しは自重しろ、この歩く災害が」
「僕は心臓に激痛が走りますよ。本当に」
「俺はおぞましくて息が止まるな」
「いえいえ僕なんて……」
「それがどうした、俺なんて……」
わけのわからない張り合いをはじめたアレンと神田は、それからしばらく本人の前でいかにの露出が辛いかを語った。
それはいつまで経っても尽きることがないかのように、延々と続く。
お互いに対抗意識を持っているのでその内容は徐々に激しくなり、終いにはイノセンスを構えて一触即発の事態となった。
この二人に暴れられるのは何とも面倒くさい。
そう判断してラビは軽く片手を振った。
「おいおい二人とも。やめ……」
「ストーップ!!」
唐突にラビの言葉を遮って、そんな大声が響いた。
驚いて視線をやると、が肩をいからせて仁王立ちになっていた。
アレンと神田は怪訝そうに振り返り、彼女を見やる。
「何だよ、バカ女」
「と言うか、まだ服をなおしてないじゃないですか!早く……」
「うるさぁい!もういい、もういいよ!!」
はそう怒鳴って両手を腰にあてた。
顎をぐいっ、と引いてアレンと神田を睨みつける。
金の瞳は強い光を放っていた。
「何なの、そんなに私は見苦しいか!目に入った異物か、歩く災害か!身体に異変を起こすほどのつわものか!だったらいっそ、その生命活動を止めてやりたい気持ちで一杯よ!!」
「まずいキレた……!」
ラビは事の重大さにいち早く気づいて立ち上がった。
けれど駆け寄る前には言い放った。
その調子はほとんど自棄だった。
「こうなったらせいぜい露出して、あんた達を苦しめてやる!!」
そしては事もあろうか自分の上着を鷲掴むと、ばさりと豪快に脱ぎ捨てた。
金髪が舞い、白い肌の大部分が晒される。
アレンと神田はあまりに突飛なことに一瞬硬直したが、がそれでも止まらなかったので今度こそ本当に驚いた。
それこそ心臓が止まるかと思った。
何故なら彼女は続けてこう言ったのだ。
「いっそ胸のひとつやふたつ、盛大に放り出してやろうか!!」
もう本当には怒りと暑さに自棄になっているらしい。
据わった目に、熱で赤くなった顔。
憤然とした様子で下に着ていた白く薄っぺらいワンピースのようなものに手をかける。(おそらくリナリーが選んだ服だ)
フリルを引きちぎらんばかりの勢いで脱ごうとしたから、ラビはほとんど飛びつくようにして彼女を捕まえた。
アレンと神田も手伝って、ぎゃーぎゃー言いながら4人はもみくちゃになる。
「ちょっと馬鹿ですか、君は!!」
「テメェには恥じらいっつーもんがねぇのか!!」
「そうさ、いくらなんでもそれはダメだって!!」
「離せー!腹立つアレンと神田を苦しめるんだー!!」
復讐に燃えるがこれでもかと抵抗するから、男3人は必死にを取り押さえる。
後ろから羽交い絞めにしながらラビが叫んだ。
「よく考えろ!オレはともかく、コイツらは男なんだって!それはさすがにマズイさ!!」
けれどその言葉にアレンが反応した。
「ちょっと待ってください、何ですか“オレはともかく”って!!」
「オレはいいんさ!親友だから!!」
「いいわけあるか!テメェそこ動くなよ、バカ女もろとも叩き斬ってやる!!」
「はーなーせー!くっつくなぁ!暑い暑い暑い、もうホントに脱ぐー!!」
「「「だからやめろって言ってるだろ!!!」」」
男3人の遠慮容赦ない怒声が黒の教団に響き渡った。
その時だった。
ピンポンパンポーン、と現状に不似合いな明るい音色が流れてくる。
4人は動きを止めて壁に設置されているスピーカーに視線をやった。
どうやら教団内放送らしい。
ほどなくしてコムイの声が聞こえてきた。
『あーあー、マイクテスト、マイクテストー』
コホンと軽く咳払いをして、彼は言った。
『ハローエヴリバディ!みんな元気かな!?』
「何この教育番組に出てる体操のお兄さんみたいなテンション……」
が冷や汗の滲む声で呟いたが、コムイには聞こえるはずがないので彼はそのまま続けた。
『ちなみにボクは暑くて死にそうです!もう本当に死にそうです!こんな暑い日に仕事なんてやってられるかぁ!皆だってそうだろう!?うんうん、ボクには聞こえるよ大切な仲間達の苦しむ声が!!』
何だか一人で盛り上がるコムイの背後では、やんややんやと科学班の者たちの声がしていた。
雑音がひどくてよく聞き取れないが「さすが室長!」とか、「初めて発明が役に立った!」とか言っている。
歓声を背負いながらコムイは微笑んだ。
『そんなわけで!きちんと仕事をするためにも、今日は思い切って皆で涼んじゃおう!!』
「「「「は?」」」」
『避暑地モード、オン!!』
何に影響されたのか、コムイは妙にアップテンポなメロディを口ずさんでいる。
同時にスイッチを押すような音が聞こえてきた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……という振動が響き、何かが起動する気配がする。
4人は全身で不穏なものを感じて身構えていたが、突然床が動いたものだから、さすがに驚いた。
慌てて飛び退くと、背後で部屋を区切っていた壁が持ち上がり、天井へと収納されていく。
同じように床もどんどん折りたたまれて眼前から消えていった。
そして最終的にだだっ広い空間が現れたのだった。
「……………………」
は絶句して目の前の光景を眺めていた。
それは大きな大きな長方体だった。
眩しくてわずかに目を細める。
キラキラ弾ける光と、ゆらゆら広がる波紋。
巨大な長方体の内側を満たす、大量の水。
これは、
「プール……?」
そこにはまるでリゾート地のようなプールが存在していたのだ。
それだけではなく、周りの施設まで充実している。
どうやらこれが、我らが室長曰く『黒の教団、避暑地モード』らしい。
あまりに予想外の展開に呆然とする一同の中で、一番に自分を取り戻したのはラビだった。
「うっわ、すっげぇ!!」
弾んだ声でそう叫び、プールのほうへと駆けてゆく。
元気に跳ねるその姿を見送ったところで、はくらりと目眩を覚えた。
その背後でアレンと神田が至極まともなことを言う。
「何でこんなものが教団に……?いつの間に作ったんですか!?」
「暑いから仕事ができないだと……?それ以前にこれは時間と金と労力の無駄遣いじゃねぇか!!」
いやはやまったくその通り、とは思ってしまったのだった。
とか何とか真っ当なことを考える者は多かったが、所詮は人間だ。
つまりこの暑さを前にして、冷たい水の誘惑に勝てなかったのである。
最初は疑問や文句を並べていた団員達も、最終的には笑顔でプールに入っていったのだった。
「まぁ……、確かに涼しいかな」
プールサイドに腰掛けたアレンは、足を水に浸しながら呟いた。
冷たさが心地良くて思わず微笑む。
着慣れない水着で最初は落ち着かなかったのだが、その居心地の悪さもすぐに消えていった。
水の中で歳も性別も関係なくはしゃぐ団員達を見れば、自然と明るい気持ちになれる。
視線を遠くに投げるとパラソルの下で長椅子に寝そべっているコムイを発見した。
サングラスをかけて夏を満喫している彼に、後でお礼を言いに行こうと考える。
するとそこで声をかけられた。
「おーいアレン!何やってるんさ、一緒に遊ぼうぜ!!」
視線をもどしてみると、プールの中からラビが笑ってこちらを見ていた。
両手でビーチボールを掲げている。
すぐ傍には神田の姿もあった。
おそらくビーチバレーの試合をするから来いと言われたのだろう。
こういうのが嫌いな神田でも、アレンも参加するとなれば闘争心を剥き出しにしてそこにいるのも納得がいく。
アレンは望むところだと思って、身軽に水の中に飛び込んだ。
素早く泳いで彼らのところまで行く。
「いいですよ。勝負しましょう」
「そうこなくっちゃな!」
「ハッ、俺に勝てると思ってるのかモヤシ」
「ええ、もちろん」
「……いい度胸だ」
「まぁまぁ、はじめようぜ!」
鋭い視線でにらみ合うアレンと神田をいさめて、ラビが言った。
アレンは頷いたが、そこで確かな違和感を覚えて首をひねる。
「あれ?は?」
こういう勝負事には必ずと言っていいほど彼女は参加する。
むしろ進んで音頭を取るはずだ。
なのに姿が見当たらないとはどういうことだろう。
がいないなんて何だかとても落ち着かなかった。
奇妙なことこのうえない。
「どこに行ったんですか?」
「あー……」
アレンが尋ねると、何故だかラビは気まずそうな顔になった。
言いよどむ彼を不思議に思って、ますます首をひねる。
すると神田が口を開いた。
「バカ女ならあそこだ」
神田は親指で自分の背後を指した。
アレンはそちらに視線をやり、途端に半眼になる。
「何やってるんですか、あの馬鹿は」
最大級の呆れを込めてため息をつく。
額に手をやり、天を仰いだ。
はプールサイドにいた。
色鮮やかなシートに座り、パラソルの下で(女の子にあるまじきことに!)あぐらをかいていた。
Tシャツの上にだぼだぼのパーカーを着て、短いズボンを穿いている。
頭には大きな麦藁帽子だ。
それだけでもそこのオヤジだ!と突っ込みたいところなのだが、これで終わるほどは甘い奴ではなかった。
彼女は一生懸命にその行為に取り組んでいた。
つまり両目に双眼鏡をあて、遥か遠くを眺めていたのである。
何を見ているかなんて考えなくてもわかる。
それは水と戯れる可愛い女の子たちだ。
は、何とも素敵な笑顔で彼女達を観察していた。
「どこの変態ですか……」
アレンはのあまりの馬鹿っぷりに脱力してしまい、がっくりとうなだれた。
あまりに呆れたので立っているのも辛くなったぐらいだ。
ため息と共に言う。
「すみません、ちょっと行ってきます」
「え、あ、おい!アレン!!」
「先にはじめててください」
アレンはそれだけ告げると、ラビの止める声も聞かずにのもとまで泳いでいった。
神田の舌打ちはもちろん無視した。
「うわーあの子かっわいい!さすが私の友達だなぁ、水着似合うなぁ」
はにこにこしながらプールで遊ぶ女性たちを見つめていた。
もとより水に入る気はなく、プールサイドに腰を落ち着けて女の子を愛でようと思っていたのだ。
けれどあまりにだだっ広くてよく見えず、不満に頬を膨らませていた。
すると優しいコムイが双眼鏡を貸してくれたというわけだ。
どうにもリナリーから目を逸らさせる作戦のような気もするが、とりあえずは幸せだった。
みんなとても楽しそうに水遊びをしていて、見ているだけで嬉しくなる。
加えて女の子たちの水着姿は華やかで可愛い。
何だか娘の成長を喜ぶ母親のような気分で、笑顔になるのを止められない。
「おおっ、あのお姉さんセクシー!憧れちゃうぜ!」
「いい加減にしてください、馬鹿」
唐突に冷たくそう言われた。
同時に横から双眼鏡を奪い取られる。
はああっ!と大声を出して、隣を振り返った。
そこには水からあがったばかりのアレンが、仁王立ちになっていた。
「何を堂々と犯罪行為に走ってるんですか」
その言い草にはむっと眉を寄せた。
「人を変態みたいに言わないでよ」
「確実にそうでしょう。君の行動は全力で変質者のそれです」
「ちがーう!私は別に変な目的があるわけじゃないもの。ただ純粋に可愛い女の子たちの楽しむ姿を見ていたいだけ。それによって日々の生活でささくれ立った心を癒しているんだから」
「これはまた犯罪者らしい逃げ口上をベラベラと。単に女の子の水着姿が見たいだけでしょう?」
「だって可愛いじゃない!!」
「胸を張って言うことか!!」
アレンはべしりと軽くの頭をはたくと、彼女の横に腰掛けた。
濡れた前髪をかきあげる。
するとが手を差し出してきた。
「ん」
「……何ですか」
「双眼鏡返して」
「嫌です。没収です」
「けーちー」
「そんなに水着姿が見たいなら、自分で着ればいいでしょう」
ため息まじりにそう言うと、が目を見開いた。
何だかすごく驚いた顔をされたので、アレンは双眼鏡を彼女の手の届かないところに置きながら首を傾ける。
「なに?」
「………………アレンは私の露出が辛いと言ってたはずなんだけど」
「ああ……。それはもう嫌ですけど」
アレンは何となく落ち着かなくなって、首筋に張り付く髪を払いのけた。
随分伸びてしまったと思う。プールに入るにはちょっと邪魔だ。
「でも一人でこんなところにいられるのはもっと嫌ですね。いつもなら一番に特攻するくせに、どうしたんですか?」
「べつに。特に意味はないけど」
「プール、入らないの?」
「うん」
普通に肯定されてアレンは眉をひそめた。
変だ。
のくせに。
皆で楽しむべき状況で、この態度はおかしすぎる。
「……もしかして、さっきのこと、そんなに怒ってるんですか?」
「え?ああ、私の格好にさんざん文句をつけてきたこと?」
そう、と頷きながらアレンは考える。
確かにちょっと言い過ぎたかもしれない。
あれはの露出に腹が立つんじゃなくて、それを見る自分が落ち着かない気分になるからだ。
そして他の人間(主に男性)に見られるのが嫌なだけだったのだが……。
「さっきのは……、その。君だって見た目は女の子なんですから、きちんとしてほしかっただけですよ」
「見た目は、って……。まぁいいや。別にアレンや神田が文句を言ってきそうだから水着にならないわけじゃないよ」
は自然な口調で、謝ろうとするアレンをかわし、その背後にまわった。
アレンは振り返ろうとしたが軽く頭を押さえられて止められる。
の指先が白髪に触れた。
「むしろ二人を苦しめるために豪快に着たいところだけど!」
「……じゃあ、何で?」
「だって、自分でそんな格好しても面白くないじゃない」
「おもしろ……って」
「だったらここで可愛い子たちを見てるほうが楽しい」
「……………………」
「それだけだよ」
そう言ってはアレンの後頭部をぽんとした。
そこに手をやってみると、首筋にかかっていた髪がひとつに結われていた。
が手早く結んでくれたらしい。
長くて邪魔だと思っていたから、アレンは彼女を見て言う。
「あ、ありがとう……」
「いいからホラ!アレンも遊んでおいでよ」
笑顔でぐいぐいと背中を押されて、アレンは唇を引き結んだ。
何だろう、何だか嫌だ。
楽しい時間にがいないのは、すごく変な感じがする。
それは自分勝手な想いだと知っていたけれど、アレンはの手を掴まずにはいられなかった。
「一緒に行こうよ」
アレンがそう言うと、は驚いた顔で目を瞬かせた。
そしてすぐに笑う。
「私の話、聞いてた?いいから行っておいでって」
「でも」
「それにこの格好じゃプールに入れないでしょ」
は苦笑しながら自分の着ているTシャツを掴んだ。
確かに水着でなければ水には入れない。
けれどその格好でも別にいいんじゃないかな、とアレンはけっこう真剣に考えた。
それを伝えようと口を開く。
しかし声を出す前に背後からこう言われた。
「だったら水着に着替えればいいじゃない、」
二人が振り返ると、そこにはリナリーが立っていた。
黒いワンピースタイプの水着が、スレンダーな彼女の体型に映えている。
アレンは笑顔を浮かべ、英国紳士の名にふさわしい対応をした。
「可愛いですねリナリー。似合いますよ」
「あら、ありがとう」
リナリーはにっこり笑ってお礼を言ったが、すぐに不満気な顔になった。
足の付け根でフリルになっている部分を掴み、ため息をつく。
「でも兄さんがうるさくて、ワンピースタイプの水着しか許してくれなかったの。他にもいろいろあったのに。これだって着ることを説得するのにどれだけ苦労したか……」
「あはは……、大変でしたね」
アレンは冷や汗をかきながら、リナリーに深く同情した。
病的にシスコンなコムイである。
男達の視線が気になって、愛しの妹が露出の高い水着姿になることに耐えられなかったのだろう。
リナリーは少しの間嘆きの表情をしていたが、気を取り直したかのように笑顔になった。
「それより。他の人ばかり見ていないで、あなたも……」
「………………」
「?」
は硬直していた。
それも雷に打たれたような衝撃の表情で。
しばらくした後ふらりと立ち上がり、おぼつかない足取りでリナリーの前まで歩んで行く。
「どうしたの、」
心配そうに問いかけるリナリーの肩に、は勢いよく両手をかけた。
何だか体が震えている。
どうやら襲いくる感情の波に、必死に耐えているようだ。
そしては涙の滲む声で言い放った。
「か、かわいい……っ」
は感動のあまりむせび泣いていた。
口元を手で覆って一生懸命リナリーの姿を見つめている。
ぼろぼろと涙を落とすに、アレンは呆れて大きなため息をついた。
その耳に明るい声が届く。
「かわいいよリナリー!すごいよ、最高だよ、感激だよ!ビバ水着姿!!ありがとうありがとうありがとう、世界中にありがとーう!!」
「本当?にそう言ってもらえるとすごく嬉しいわ」
「うんうん、もう胸きゅんだよ、ストライクだよ!ホント大好き!愛してる!結婚しよう!!」
「うふふ、いいわよ。幸せにしてね」
「まっかせなさーい!!」
目の前で抱き合ってラブラブし始めた美少女2人をアレンは半眼で見やった。
何だろうこの光景。
すごく、すごく、複雑だ。
「あの……、リナリー?」
おそるおそる声をかけると、との時間を邪魔された恨みからか、リナリーに鋭く睨まれた。
びくりと肩を揺らせば、ようやくリナリーも自分を取り戻したらしい。
瞬く間に笑顔になる。
「ああ、そうだったわね。も水着を着て見せて。きっとすごく可愛いわ」
けれどそこでは視線を泳がせた。
「あー、えっと……。自分で着るのはちょっと」
「あら。どうして?」
「リナリーたちの可愛い姿を見られただけで、もう満足だから。ね!」
「でも……」
リナリーは不満そうな顔で続けようとしたが、プールの中から声が飛んできた。
「本人がそう言ってんだし、いいんじゃねぇの。リナリー」
振り返るとそこにはいつの間にか近づいてきたのかラビがいた。
ぽんっとボールを放って神田に投げ渡しながら、こちらを見上げる。
「それに水着なんか着せたら、はいろんな奴らに変な目で見られるぜ?リナリーはそんなの許せるんか?」
「………………それは、確かに嫌ね」
「だろ?」
プールの淵に両腕をかけて、ラビはにやりと笑った。
その視線がのほうへと向いたから、アレンは軽く眉をひそめた。
何だかラビがに目配せをしたように見えたのだ。
けれど何の意味合いを込めたものなのか、検討がつかない。
も視線を返すようにラビの前にしゃがみ込むと、額に張り付いた彼の赤毛をかきあげる。
「ど?涼しい?」
「すーげぇ気持ちイイ。ストライクな姉ちゃんいっぱいいるし」
でへでへ笑うラビの邪魔な前髪をちょんまげのように結ってやりながら、も笑う。
「うわ、やらしー顔。神田、この子斬っちゃってー!」
「そんなのいつものことだろ。俺を巻き込むな」
神田は馬鹿ばかしそうに言って、ボールをの頭に当てた。
落ちたそれをラビが拾い、今度はアレンに投げ渡す。
「ほら行こうぜアレン。ビーチバレーの試合すんだろ。リナリーもやるか?」
「ええ、やっぱり諦めきれないもの」
強く断言されて、一同はリナリーを振り返った。
彼女は何だか決意に満ちた様子で目を輝かせていた。
そしての傍に駆け寄ると、その両手をしっかりと握る。
「さぁ。水着に着替えに行きましょう」
どうやら彼女はまだ諦めていなかったらしい。
ラビが半眼になってリナリーに呆れの視線を投げる。
「おいおいリナリー。だからさぁ……」
「いいのよラビ。他の人に見られるのは惜しいけど、私だって可愛いが見たいんだもの。仕方がないわ、我慢する」
「え、我慢?そんなのしなくていいよ。私は……」
「不愉快だと思ったらその人に踵落としをきめるだけよ」
笑顔のままリナリーはさらりとそう言った。
冷や汗をかきながらアレンは思う。
ああやっぱり彼女はコムイの妹だ。
「ねぇ、。いいでしょう?」
しばらくは困ったような顔をしていたが、リナリーが切なげに小首を傾げてこう言ったものだから、話は簡単にまとまった。
「お願いよ。……駄目かしら?」
「……っ、オッケイです!ぜんぜん大丈夫!どーんと来いだぁ!!」
「本当?嬉しい!」
可愛い女の子のお願いにとことん弱いは、反射的に大きく頷いてしまったのだ。
それをいいことにリナリーはの手を引いて、素早く彼女を更衣室まで連行した。
一瞬のうちに二人は扉の向こうに引っ込んでいく。
その後ろ姿を見送りながら、ラビがため息まじりにぼやいた。
「ばっかだなぁ、……。せっかくフォローしてやったのに」
アレンはそれが意味するところを掴み損ねて、首をひねるしかなかった。
バシッ!
という音と共に顔面に衝撃を喰らって、アレンは我に返った。
ボールは跳ね返って、てんてんと水面を転がってゆく。
それを受け取ったラビが半眼でこちらを見ていた。
「アレンー……」
「…………痛いです」
「そりゃあ、何回も顔面でボールを受けてりゃな」
「すみません……」
「そんなに気にせんでも、どうせは可愛いって」
どうにも試合になりそうにないのでビーチバレーを放棄して、ラビはぷかりと水面に浮いた。
気持ち良さそうにのびをするその顔に、アレンは水をぶっかけてやる。
「そんなこと気にしてない!」
「ぶえっ、鼻に水入った!何するんさ!!」
「ラビが変なこと言うからでしょう!?」
「だってオマエさっきから落ちつかねぇんだもん!そりゃあのことが気になるんだろうけど、どんだけ心配したって仕方ねぇじゃん」
「し、心配なんて……」
してません!と続けるつもりが何だか言葉にならなかった。
むすっとむくれて視線を落とす。
ラビが苦笑して、お返しとばかりに水をかけてきた。
「アイツ見た目は美少女だからなぁ。いろんな奴らに見られるだろうけど、そんなのわかってたことだろ」
「……………………」
「どうせなら自分が一番に可愛いを楽しんでやれば?」
「………………何で、あんな見た目なのかなぁ」
アレンは思わずそうぼやいてしまった。
確かに一緒に遊びたいとは思ったが、水着となるとやっぱりいろいろ心配だ。
こうなってくるとの見た目に文句をつけたくなってくる。
ただでさえ髪も瞳も目立つ色なのに、造作まで整っているとなると、もう見てくれと言わんばかりではないか。
アレンは重いため息を吐き出した。
どうせが見るに耐えない顔をしていたって、彼女に対する気持ちは変わらないのに。
「確かに余計な気苦労は増えるよなー」
「うん……」
「まぁそれはゼータクってもんさ。それにオマエだってのこと言えないんだし」
そう言ってやるとアレンは不思議そうに瞬いた。
どうやら彼はのほうにばかり気に取られていて、自分に注がれている女性達の熱い視線には気がついていないらしい。
それは今もひしひしと感じられるのだが。
「にっぶー……。近くで見てるオレのが気苦労が多いかも」
ラビは小声でそうこぼしたが、仕方がないとも思っている。
見目の良い青少年とは常に人目に晒されているものなのだ。
ラビはそんな視線を集めているもう一人の仲間へとボールを投げた。
「ユウもいつまでそうしてるつもりさ」
プールサイドに片膝を立てて腰掛けた神田は、左手でぱしりとそれを受け取った。
彼は何やらピリピリしたオーラを全身から放っている。
右手には当然のように『六幻』が握られていた。
こんな場所でも刀を手放さないとは、さすがと言うべきか。
「バカ女が出てくるまでだ。姿が見えた瞬間ぶった斬る」
「おいおい過保護もそこまで行くとヤバイって」
「うるせぇ。俺はあいつが女の格好しているだけで不愉快なんだよ。団服だってそうとう腹立たしいと思ってる」
「ホント対等の相手っつーか、男扱いしてんだな……」
わかっていたことだがハッキリと断言されてラビは吐息をついた。
肩を落とした彼をふいに不思議に思い、アレンが言う。
「ラビは平然としてますね」
「へ?」
「いつもならリナリーと一緒になってはしゃぐのに、今日はどうしたんですか?」
「あー、それな。なんつーか」
ラビは後ろ頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
「オレはもっと別のことが気になってるからさ」
「別のこと……?」
アレンは眉を寄せて考え込んだ。
それがあったから二人は目配せをしていたのか、と思い至る。
どうやらラビはが水着になりたくなかった理由を知っているようだ。
アレンはそれに気がついて少しむっとしてしまった。
親友同士だから当たり前のことかも知れないが、自分が知らないことをラビが知っているというのは、何だか面白くないような気がした。
だから普通に言おうと思ったのにひどく不機嫌な声になってしまった。
「へぇ。相変わらず仲が良いんですね」
「はれ?アレンどしたん?」
「別に」
「もしかしてヤキモチさ?」
「違います」
「照れんなってー」
「照れてませんよ」
「あっ、リナリー!つーことはが出てくるぜ!!」
「馬鹿にしてるんですか。そんな手には……」
引っかかりませんよ、と言いながらアレンは半眼でラビを見やった。
けれど神田までそちらを振り返ったので釣られて顔を動かす。
そして本当にリナリーの姿が見えたものだから、驚いて目を瞬かせた。
「お待たせ。着替えが終わったわよ」
にこにこと笑いながらリナリーが言った。
右手が扉から伸びた手を掴んでいるが、その人物は扉板に隠れていて見えない。
その向こうからげんなりした声が聞こえてきた。
「ねぇリナリー……。この格好、すごく落ち着かないんだけど」
「大丈夫よ、とっても可愛いわ。素敵よ!」
「いや、そーゆーことじゃなくてね……。まぁいいや。リナリーが喜んでくれるのなら」
少しだけ気持ちの持ち直した口調で言って、が更衣室から姿を現した。
金髪が輝いて、そこだけ明るくなったように感じる。
ラビが口笛を吹いてアレンの頭をどついた。
けれどアレンは目を見張ったまま、から視線が逸らせなかった。
彼女は白い水着を着ていた。
ビキニタイプのもので、縁を黒のレースが飾っている。
胸元の同色のリボンを掴んではリナリーに微笑んだ。
「貸してくれてありがとう、リナリー」
「いいえ、それだけ着こなしてくれれば本望よ。すごく似合っているわ」
「そうかなぁ」
は落ち着かない様子で自分の体を見下ろした。
大きく開いた胸元と、露出した背中に腹部。
すらりと伸びた細い手足が惜しみもなく晒されている。
が首を傾けると、リナリーが結い上げたであろう金髪が側頭部で揺れた。
「どうにも肌が出すぎのような気がするんだけど。変じゃない?」
「平気よ。だってホラ、みんなの注目の的じゃない」
リナリーがそう言って指し示した先を見て、はびくりとした。
何だか本当に注目の的だったのだ。
たくさんの団員たちによる視線の集中砲火を浴びて、は戸惑いの表情になる。
その中でもオープンな人々が声をひとつにして叫んでくる。
「さーん!素敵ですー!!」
どうやらに口説き落とされた経験のある、ファンの女の子たちのようだ。
はすぐに笑顔になって、大きく手を振った。
「ありがとー!でもみんなのほうが素敵だよー!!」
そう返せば一塊になった黄色い悲鳴が聞こえてきた。
はリナリーを含む女の子たちに喜んでもらえたことを知って、心から嬉しそうに微笑んだ。
神田はプールサイドに腰掛けたまま、そんな彼女を見上げて忌々し気に呟く。
「お前……」
「ん?」
「本当に女だったんだな」
「どーゆー意味かなぁソレ!」
は怒った顔をしたが、神田がそう言うのも無理はない。
普段からそれとわかっていても衣装が変われば雰囲気が変わる。
ましてや肌を見せ、体の線をハッキリと出した水着ならなおさらだ。
いつもは意識していなくても(と言うよりが意識させないように努力していても)、結局彼女は自分たちとは違う“女性”なのだ。
何だかそれを目の前に突きつけられた気がした。
そのせいだろう、神田は脱力して斬る気が失せたらしく、ため息と共に『六幻』をおさめた。
そこでアレンはハッとした。
ラビがアレンの腕を引いて、のいるプールサイドまで泳ぎ出したからだった。
「さすがリナリーチョイス。すっげぇ似合ってるさ!」
ラビはアレンをプールの中に残して身軽に水からあがった。
の前に立ち、上から下までその姿を眺め回す。
しみじみとした調子で言った。
「オマエ、本当に成長したなぁ。完璧に女に見えるさ」
「あんたといい、神田といい、私を何だと思ってるのだろう。ケンカ売ってるのなら買うよ、買っちゃうよ、この拳が火を噴くよ!」
「ばっか、誉めてるんだって。うん、かわいいかわいい」
ラビは相好を崩すと親友の金髪を撫でた。
は少し不満そうだったが、すぐにくすぐったそうに笑う。
けれど互いの姿が唐突に遠のいたので目を見張った。
リナリーが後ろからの腕を引き、ラビから距離を取らせたのだ。
「、あんまり私以外の人とベタベタしちゃ駄目よ?」
「べたべた?しないよ。むしろちょっとボコボコにしたい」
「ならいいけど。ああ、ホラそろそろ……」
リナリーが頬に片手を当てて振り返った瞬間だった。
遠くから発狂したような叫び声が響いてくる。
それはリナリーを呼ぶコムイの絶叫だった。
「そろそろいなくなったのがバレるころだと思ったわ……。兄さんが暴れ出す前に一度戻るわね。また後で一緒に遊びましょう」
「うん。……がんばってね。いろいろと」
「ええ。……がんばるわ。いろいろと」
はげんなりした顔で片手を振り、リナリーも同じような表情で手を振り返す。
最後ににっこりと微笑んで彼女は去っていった。
「くれぐれも変質者には気をつけてね」
遠ざかってゆくリナリーの後ろ姿を、アレンは冷や汗をかきながら見送った。
そう言われたこそ、変質者まがいなことをしてたんですけど……。
微かにため息をついて視線を戻すと、思いがけずと目があった。
アレンは何だかびくりとして目を見張る。
はアレンに何か言われると思ったのか、わずかに身構えた。
けれどアレンは口を開く言葉がない。
変だな。こんな時いつもならいくらでも物が言えるのに。
他の女の子なら「可愛い」でも「似合う」でも、素直に誉めることができる。
相手なら皮肉をまじえて言うだけだ。
いつもそうしてきたのに何故だろう。
今は言葉が出ない。
何も言わないアレンを不審に思ったのか、が眉をひそめた。
そのとき遠くからを呼ぶ声が聞こえてきたので、彼女はそちらを振り返る。
どうやら別の班に所属している友人たちのようだ。
ラビがぽんとの肩を叩いた。
「呼んでんじゃん。行って来れば?」
「うん、そうする。後でね」
「おう。後でな」
はラビにそう告げて身軽に踵を返した。
途中でプールサイドに座っている神田の、その肩に散らばった髪を払ってやる。
にこりと笑った顔がやけに印象的だった。
背中で跳ねる金髪。
そしては待ち構えていた女の子達の輪に駆け寄り、その中へと入っていった。
ほどなくして華やかで明るい笑い声が響いてくる。
アレンがその姿を目で追っていると、唐突に衝撃を感じた。
驚いて振り返ると、水面の上をボールが転がっていくのが見えた。
瞳をあげれば不機嫌そうな神田と、投球したポーズのままのラビが映る。
「ばーか」
ラビに半眼でそう言われても、アレンは何も言い返すことができなかった。
たくさんいる友人たちの間を行ったり来たりして、は満足感のある疲れを感じていた。
普段と違う状況と格好のせいだろうか、みんな興奮していて話がとても弾んだのだ。
おおいに笑って騒いだ後、は最初に腰を据えていたパラソルの下に戻ってきた。
シートの上にぺたりと座り込む。
コムイが再び機械を動かしてプールを広げたので、皆はそちらに行ってしまったらしい。
の眼前にある水辺には人がまばらになっていた。
遠くに神田とラビを発見する。
何やら神田がビーチボールを力の限りでラビにぶつけようとしていた。
哀れな悲鳴が聞こえるが、まぁいつものことだ。
は片手に持ったグラスを引き寄せて少し笑った。
けれどストローを口にくわえたところで首をひねる。
何故なら彼らの傍にアレンの姿がなかったからだ。
これはファンの女の子たちに捕まったかな、と考えたその時。
誰かが隣に立つ気配がした。
見上げると、脳内で噂になっていた人物がそこにいた。
「アレン」
驚いて名前を呼ぶと、彼は何だか気まずそうに視線を逸らした。
変な沈黙が流れる。
それからアレンは妙にぎこちなくの横に腰掛けた。
「なに。どうしたの?」
「…………別に」
不思議に思って尋ねれば、アレンは視線を落としてはぐらかす。
は眉を寄せた。
「へんなの」
「変じゃありません」
「ふーん。飲む?」
ストローから口を離してグラスを差し出すと、アレンは素直に受け取った。
ガラスの向こうで透き通ったオレンジの液体が揺れる。
一口飲んでアレンが訊いた。
「これ何?」
「知らない。ジュース」
「それはわかるけど」
「もらったものだから、何かはわかんない」
「……………………返す」
「何で?おいしくない?」
「どうせ男の人にもらったんでしょう」
「え。ううん、医療班のエイミーちゃんだよ」
がそう言うと、グラスを返そうとしていたアレンの手がぴたりと止まった。
弾みで中身がこぼれそうになったから、は慌てる。
けれど次の瞬間にはその心配もなくなっていた。
何故ならアレンがグラスを仰ぎ、一気にジュースを飲み干してしまったからだ。
「ああーーーーーっ!ぜんぶ飲んだ!!」
「うん。おいしい!」
「ちょ、コレわた、私のだよ!?」
「何を言ってるんですか。一度くれると言ったからには全てを僕に捧げるのが常識でしょう」
「すごいね、何その俺様ルール!!」
は続けて怒鳴ろうとしたが、アレンに何かを口に突っ込まれて強制的に黙らされた。
噛んでみると酸味が広がる。
どうやらグラスに飾られていた輪切りのオレンジらしい。
「ひゃれんのあか」
「アレンのばか、ですか?もぐもぐしながら喋らないでくださいよ」
「だれにょせいだー!」
「それはもう僕のせいですけどね。…………でも、本を正せば君のせいなんだから」
アレンはから視線を逸らすと、言いにくそうに目を伏せた。
片手で空になったグラスを弄んでいる。
どうにも落ち着かない様子だ。
「ひゃれん?」
「ちょっと黙ってて」
少しだけ強くそう言ってしまって、アレンは気まずそうな顔になった。
小さく謝ってから呟く。
「ああもう、調子が狂うな。本当にのせいだ」
「はへ?」
「あー、っと。その。」
「ひゃい」
「………………に、似合いますね」
「にゃにが?」
「その水着が!!」
アレンに噛み付くようにそう告げられて、は目を見張った。
同時に口の中のオレンジを一気に飲み込んでしまう。
それが喉にぐっと詰まり、呼吸が塞がれてしまった。
ゲホゲホと盛大に咳き込みながらうずくまる。
アレンは硬直してそれを眺めていたが、しばらくするとぎこちなくもの背中をさすってくれた。
「だ、大丈夫?」
「苦し……っ、の、喉に詰まった、ビックリさせないで……!」
「ごめんなさい……」
「急に何を言い出すかと思えば!!」
は苦しみに涙の浮いた瞳でアレンを見上げた。
アレンは赤くなった顔で、不満そうに呟く。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
「だってアレンが私を誉めるなんて!どうしたの!?」
「べ、別に誉めたくて誉めたわけじゃありませんよ!」
アレンはぷいっ、と顔を背けると何だか止まらない口調で言った。
「ラビが言ってこいってうるさいから……っ」
「げほっ……、ラビが?」
「そうです。他の女の子なら英国紳士らしく誉めすぎるくらい誉めるくせに、には出来ないのかって。そんな文句をつけられたら受けて立たないわけにはいかないでしょう」
「出たよ、アレンの負けず嫌い……」
「とゆーわけで誉めます。誰もがウンザリするぐらい誉めちぎります。覚悟してください」
「いい、いい。そんなのいらない」
は呼吸を取り戻すと、すでにウンザリした顔で片手を振った。
抱えていた脚を投げ出し、体の後ろに手をついてそこに体重をかける。
苦笑めいたため息をついた。
「慣れないことしないほうがいいよ。アレンが私を誉めるなんて何だか変な感じがするし」
「そりゃあ、まぁ……。普段は言いませんし……」
「思ってもないことを口にするのは体に悪いでしょ。ただでさえアレンは他人に気を使いすぎる傾向があるんだからさ。私の前でまでがんばらなくってもいいんじゃない?」
はさらりとそう言うと、肩にかかった金髪を払いのけた。
いつもより高く、後ろの位置で結われた髪が揺れる。
左耳が覗いて、ピアスの穴が見えた。
さすがに水着なのだから装飾品を全て外しているようだ。
イノセンスであるロザリオもどこかに置いてきているらしい。
こうやって見ると、本当には普通の女の子だった。
いや、普通ではないか。
少なくともアレンにとっては。
そこでが驚いた顔で振り返ってきたから、アレンは気がついた。
無意識の内に自分の手が、彼女の腕を掴んでいたことに。
「……僕が君に、思ってもない事を言えると思う?」
「え……?」
捕らえた腕の上を滑らせて、の手を握る。
「はもう少し自分の実力を理解したほうがいいよ。君の前で僕は無理をしないし、できないんだ。それこそ体に悪くて、嘘をつけない。きっと見破られてしまうから」
アレンはを見つめた。
ラビにせっつかれたのは嘘じゃないけれど、これだって本当だ。
素直な心を唇に宿らせる。
「かわいいよ」
そう言うとが瞬いて、金の瞳が光みたいに見えた。
アレンは何だか胸が温かくなるような感じがして、自然と微笑んだ。
「本当に、似合ってる」
このときアレンは意識していなかったが、浮かべていた笑顔は滅多に見せない素敵なもので、の心に深く刻み込まれた。
光みたいだと思ったのはお互い様だった。
握られた手が確かな熱度を持っている。
はしばらく何も言わなかった。
ただアレンを見ていた。
けれど本当に何も言わないから、アレンは不思議に思って首を傾ける。
するとは普通に立ち上がった。
掴んでいたアレンの手からするりと抜け出し、数歩先に置いてあった鞄を開く。
そして中から取り出してきたパーカーを無言で着込んだ。
しかもご丁寧にフードまで引き被った。
どうやらそれはラビから奪ったものらしく、には大きすぎて、ほとんどすっぽり全身が覆われてしまう。
それから彼女はアレンに背を向けたまま膝を抱え、小さくなってしまった。
アレンは思い切り顔をしかめた。
「………………ちょっと」
「……………………」
「」
「なに」
「誉めた途端、何で上着を着ちゃうんですか」
「…………知らない」
「僕への当てつけのつもり?」
「そんなんじゃない、けど」
「けど、何ですか。まったく」
アレンは呆れた顔での傍まで膝で移動した。
顔を覗き込もうとしたらフードを引っ張って隠される。
何だか拒絶されたみたいな気分になって、アレンは眉を吊り上げた。
腹が立ったので問答無用でフードを剥いでやる。
ぐいっと引っ張れば服がずり落ちて肩まであらわになった。
が変な悲鳴をあげた。
そしてアレンは目を見張った。
「ば、ばか!やめ……っ」
「……………………」
「ひい!やだっ、見るなぁ!!」
「……………………」
「ちょ……っ、ホントに嫌だって!離して!!」
「……………………」
「離して離して離して離せー!!」
はしばらくジタバタしていたが、アレンがその両手首を掴んでいるので逃げることは出来ない。
諦めるようにうなだれて、自分の膝に顔を埋めてしまった。
アレンはしばらく絶句してその金髪を見下ろしていた。
それからそっと口を開く。
「……………………」
「……………………何よ」
「顔が赤いです」
「うるさぁい!普通に言うなーっ」
「すごいです。耳まで真っ赤」
「や……っ、やだ!触るな!つつくな!楽しむなぁ!!」
何だか面白くて横から指先で頬に触れると、確かな熱を感じた。
そのとき片手を離してしまったので、それでが顔を覆ってしまう。
掴んでいる腕が力の入れすぎで真っ白になっていたので、アレンはそっとを解放してやった。
目の前でうずくまった少女を眺める。
朱に染まった頬を何とか隠そうとしている、見慣れないその姿。
アレンは何だか呆然と言った。
「えーっと……。は、もしかして……照れてるの?」
「……っ、仮にも英国紳士を名乗ってるなら、もっと他の言いようがあると思うな!」
「…………………………僕に可愛いって言われて、照れてるの?」
「だからさぁ!!」
「へぇ。そうなんだ……」
そう言った言葉の最後で、アレンは思わず笑い出してしまった。
胸の中がくすぐったくて、腹の底から愉快だった。
くすくす笑うアレンには顔を伏せたまま言う。
「べ、別に……!これは暑いから……っ」
「今更じゃないですか。ラビやリナリーにさんざん言われたでしょう?他の人にも」
「だから、これは……!」
「可愛いなんて言われ慣れてるくせに」
はたまにこうやって照れるから面白いとアレンは思った。
手を握ったり、抱きしめたりしても、彼女はまったく平然としている人種なのだ。
おそらく誰も異性として意識していないのだろう。
だからこそ、こういう反応を返されるとついつい嬉しくなってしまう。
「ねぇ、しばらく赤い顔のまま?」
アレンは両手を伸ばしての頬に触れた。
くいっ、と仰向かせると身を引かれそうになったので、逃げられないように捕まえる。
はアレンから目を逸らして悔し気に呟いた。
「しばらく直らない……、と思う」
「それは楽しいね」
「…………悪趣味」
「じゃあもっと可愛いって言えばどうなるのかな。今より赤くなってくれる?」
「いぃやーーーーーーー!嫌だ本気で謝るから土下座するからやめてくださいホントお願いします!!」
「嫌がられるとますます試してみたくなります」
「黒いよ馬鹿アレン、うわぁ何だか涙出てきたー!!」
そう叫ぶの瞳に、本当に滲んだ涙を発見して、アレンは声をあげて笑った。
思わず彼女を引き寄せると大人しく寄りかかってくる。
そのほうが顔を隠せるからだ。
側頭部をアレンの胸につけて、がうめくように呟いた。
「慣れない人に慣れないことを言われると、慣れない気分になる…………」
「そう?」
「けなされると思っていたのに、誉められたんだもの。ビックリするなっていうほうが無理だよ」
「じゃあこれからもたまにだけ言うことにしよう。赤くなったは楽しい」
「鬼畜だ」
「うん。かわいい」
耳元で言ってやると治まりつつあった赤が肌の上に戻ってきた。
体を強張らせたが逃げないようにしっかりと肩に腕をまわす。
アレンは髪を避けて彼女の頬に触れた。
「本当に面白いなぁ」
「……っ、本当に悪趣味だなぁ!」
「それはどうも」
「…………何なの?アレンがいつも女の子たちにそーゆーことを言っているのは、反応を楽しむためなわけ?」
「まさか。あれは礼儀でしょう?」
「すごい英国紳士発言だ!!」
「女性が普段と違う格好をしているのに誉めないなんて、失礼になりますからね」
「……私が誉められたのは、今回がほぼ初めてなんだけど」
「……もっと言って欲しいの?」
からかいまじりにそう訊くと、ぐいっと胸を押された。
はアレンの体を押しのけて背中を向けると、またフードを目深く引きかぶる。
肩がいかっているからたぶん怒っているのだろう。
それとも怒ったフリか。いつもの照れ隠しの。
「……………………アレンに言われると何だか落ち着かない」
「かわいいって?」
「だ、から……っ、落ち着かないんだってば!ちょっとは手加減してよお願いしまっす!!」
勢いよく言われてアレンはまた笑った。
の隣まで四つん這いで進み、座り込む。
が少し落ち着くまで待とうと思ってアレンは口を閉じたままでいたが、その沈黙すらも彼女は我慢できない様子だった。
「アレン、ちょっと変だよ。暑さにやられた?それともプールではしゃいでるの?」
「僕はどこの子供ですか。別にそんなんじゃありませんよ」
「でも何だかすごく楽しそうだよね」
金の瞳でちらりと見られてアレンは微笑んだ。
「楽しいですよ。とても珍しいものが見れたし」
「……………………」
「それに水辺で遊ぶだなんて初めてなんです」
言いながらアレンは己の左手を持ち上げた。
水着を着ているから露出された赤い腕。
普通とは違う、歪な体の一部を。
「僕は異形だから、人前でこの左手を晒すのを避けてきたんです。今もやっぱり人目は気になるけれど……」
アレンは微かに銀灰色の瞳を細めた。
恐れられ、醜いといわれてきた手だった。
これのせいで自分は実の両親に捨てられたのだ。
もちろん全てを疎んじているわけではない。
この手のおかげで師匠に見出されることになり、エクソシストとして生きる術を手に入れることができた。
けれど人目に晒されることが怖いと思うことも、また仕方がなかった。
「でもここには理解してくれる人がたくさんいるから、こうして見せることができるよ。それだけで僕は嬉しい」
「アレン……」
「今すごく楽しいよ」
微笑んでを見れば、彼女も微笑み返した。
腕を伸ばして掲げていたアレンの左手に触れる。
そのまま握られて、ぶんぶんと上下に振られた。
アレンが瞬くと、が言った。
「コムイ室長の発明に感謝、かな」
「……そう、ですね」
「その調子でもっと楽しんでおいでよ」
握っていた手を離して、はアレンの腕をぽんっとした。
それは確かな親愛の宿った動作だった。
「アレンはここの一員なんだもの。遠慮なんて少しもいらないんだから!」
言われた言葉はアレンの耳に響いて、心を揺らした。
目の前で微笑んだ顔が何だか眩しい。
アレンは引き戻されてゆくの手を掴んだ。
「じゃあ遠慮なく」
「うん。……って、ええ!?」
そのままぐいっと引っ張ってアレンはを立ち上がらせた。
明るく笑って言う。
「ホラ、行きましょう」
「いや、待って!何で私まで!?」
「最初から言ってたじゃないですか。一緒に遊ぼうって」
「あ、ああ……、でも……、うわ!」
は戸惑い気味に目を泳がせていたが、着ているパーカーにアレンが手をかけたので驚いた声をあげた。
アレンは構うことなくからその服を剥ぎ取る。
そちらも見ずにそれを放り出すと、水着姿に戻った彼女の手を引いてプールの方へと歩き出した。
「ア、 アレン!」
「はい?」
「待って!ちょっと待って……っ」
「何でですか?早く行きましょうよ」
「え、えっと、そのー……あのね」
「ああ、あそこにラビや神田もいますよ」
「わ、私はいいから一人で行っておいでよ!」
後ろからそう言われてアレンは振り返った。
は何だか必死な顔をしていた。
不審に思って眉を寄せる。
「一人で、って……。どうして?」
「どうして……、かなぁ!」
「意味がわかりませんよ。だいたい楽しんで来いと言ったのはでしょう」
「う、うん。だから一人で皆のところに……」
「がいないと楽しくありません。それに君だってせっかく水着になったのに」
「あ、あの……、だから私は」
言いよどむに、アレンはますます眉をひそめた。
彼女は何故だか足を踏ん張って、手を引くアレンに抵抗している。
意味もなく視線をさ迷わせ左右を見渡すなど、挙動不審もいいところだ。
がじりじりと逃げようとするので、アレンはその腕を引っ張った。
「ホラ、行こう」
けれどは思いがけず強い力で抵抗していたらしい。
引き寄せればそれが反動となって、は思い切りよろける。
たたらを踏んだと思ったら、そのままプールの中にダイブしてしまった。
バシャン!!という水音にの口からあがった悲鳴がかき消された。
豪快に跳ねた飛沫から顔を庇っていたアレンは、微笑んでプールサイドにしゃがみこむ。
「ね、冷たくって気持ちいいでしょう?」
そのままアレンはが水面に出てくるのを待っていた。
すると遠くでラビと神田が不思議そうにこちらを見てくる。
何をしているかはすぐにわかると思って、アレンは笑った。
けれど、
「……………………?」
しばらく経っても彼女が顔を出さないから、不思議に思って呼びかける。
「?」
水面はしん、としていた。
波紋ひとつ浮かんでこない。
あまりに静かすぎる状況に、アレンは少し声を大きくした。
「?ってば!」
返答はなかった。
眼前では静かな水面がたゆたっているだけだ。
何となく嫌な予感がして水の中に飛び込むのと同時に、アレンの耳に声が届いた。
それは事態を察したラビが遠くから叫んだものだった。
「馬鹿アレン!早く引き上げろ!!」
彼は心底焦った声音を響かせた。
「は泳げないんさ!!」
それを遠くに聞きながら、アレンは水の中に潜った。
コムイが作ったプールだけあって、やけに深い。
けれど照明が明るいから視界は鮮明で、すぐにを見つけた。
ほどけた髪が扇状に広がっている。
影の落ちる水中で、あの目立つ金髪が光っている。
容姿に文句をつけたいと思っていたアレンも、このときばかりはそれに感謝した。
アレンは全速力で潜水していって彼女の腕を捕まえた。
水中だからほとんど抵抗なく引き寄ることが出来る。
アレンはそのままを抱え込むと、一気に浮上した。
「ぷはっ」
詰めていた息を吐き出して、吸うより先に泳ぎ出す。
プールサイドに近づけば、先回りしていたラビが水中からの体を引き取った。
「おい、!」
ラビが叫んだ。
アレンは水から上がり、横たわったの傍に駆け寄る。
見れば彼女は目を閉じていて眠っているように穏やかな顔をしていた。
大声で呼びかけるラビの隣から、神田がその頬に手を当てた。
彼は運動神経の良いがこんな状況になっていることが信じられないらしい。
いつもよりさらにしかめっ面になっていた。
「コイツが溺れた?本気かよ……」
「だから言っただろ、は泳げないんだって!」
「……おい、起きろ」
神田がの肩を掴んで揺らした。
反応がないから、今度は容赦なくその頬を叩いた。
「起きろ!」
何度か平手打ちをしたがはがくりと倒れたままだ。
アレンは心臓がせり上がってくるような、吐き気にも似た感情を抱いた。
「どいてください!!」
大声で言ってラビと神田を押しのける。
あまりの剣幕だったので二人は咄嗟に身を引いた。
アレンはの傍に膝を寄せると、その白い首に手を当てた。
脈があるのを確認して、次に口と鼻の前に手をかざす。
は息をしていなかった。
その事実に一瞬意識が真っ暗闇に放り込まれる。
けれど臆している暇はなかった。
脈はまだあるのだ。
片手で額を押さえて、もう一方の手の二本指で顎を上に持ち上げる。
気道を確保してが何も吐いていないことを見ると、アレンは躊躇いなく彼女の口に自分の口をかぶせた。
ラビと神田が傍で目を見張っていたのだが、アレンはの胸が動いているか確認するのに忙しかった。
きちんと上下したのを見ると、今度は腹に手を置く。
膨らんだ乳房の間、その線上の胸骨の結合部を探す。
水着を着ていて肌が晒されていたからか、すぐに見つけることが出来た。
アレンはそこに掌を重ねて、体重をかけて押した。
肋骨が折れても構わないぐらいにガンガン続けて、また口に戻る。
それから胸に移行しようとしたとき、
「かはっ!」
が息を吹き返した。
体が震わせてうつ伏せになり、膝を立てる。
額を床に押し付けて何度か苦しそうな咳をした。
「げほっ、げほ……、っげほ!」
そのまま水を吐いたが、量は少なかった。
あまり飲まずに済んでいたようだ。
は喘ぐように荒い呼吸を繰り返したかと思うと、掠れた声で呟いた。
「し、死ぬかと思った……」
「………………それは僕の台詞だ!!」
口元をぬぐったアレンが大声で叫んだ。
真っ青になっていた頬に朱がのぼり、本気で怒っているのがわかる。
けれどがまだ苦しそうなので、アレンは代わりにラビを睨みつけた。
「どうして早く言わなかったんですか!が泳げないって!!」
「えっ、いや……、それは、その……」
「ラビは知ってたんでしょう!?」
だからは水着になりたがらなかったのだ。
そんな姿になればいつ泳げないとバレるかわからないから。
「ご、ごめんって」
今までぽかんと心肺蘇生をするアレンを眺めていたラビは、唐突に詰め寄られてひどく驚いたようだった。
たじろぎながら言う。
「に言うなって口止めされてたんさ」
そうしてラビはぜいぜいしているの背を撫でてやる。
心配そうにその顔を覗き込んだ。
「ダイジョブか?気分は?」
「へいき……。気持ち悪いけど……」
呻くように呟くと、が視線をアレンに向けてきた。
アレンは何か怒鳴ってやろうと思ったが、それより先に言われる。
「あ、ありがとう……」
「…………………………」
「助けてくれたの、アレンでしょ……?」
金の瞳が瞬いて、その弾みで水の雫が頬を伝った。
それを見てアレンは何だか泣きたくなった。
同時に肩の力が抜けて、その場にへたり込む。
手を伸ばしての腕を握った。
「死ぬかと思った……」
「生きてるよ……、アレンのおかげで」
「そうじゃなくて」
思わず指先が震えた。
それを隠したくて力を込めてを捕まえる。
「僕が、死ぬかと思った……」
「…………アレン?」
「びっくりして、死ぬかと思った……」
そのときアレンは相当ひどい顔をしていたのだろう。
が慌てて身を起こそうとした。
けれどふらりとよろけて後ろから神田に支えられる。
彼にお礼を言って、はアレンの前に座った。
「ご、ごめんなさい」
「……………………」
「ごめんね、アレン。助けてくれてありがとう」
嫌いだと、アレンは思った。
の金色なんて嫌いだ。
目に染みてどうしようもない。
どうせ彼女がいなくなったって、僕の意識を支配し続けるんだ。
眩しくて視線を逸らせなくて、それでいてその光で心を一杯にしたいと願わずにはいられない。
何だか本当に泣きそうになった。
同時に猛烈に腹が立ってきて、を睨みつけて言い放つ。
「この……っ、馬鹿!!」
そしてアレンは座っているの肩に腕をまわし、膝裏にもう片方を入れると、そのまま強引に抱き上げた。
丁寧とは言えない手つきだったので短い悲鳴があがったが、アレンは無視してラビと神田に言う。
「二人で医療班の人を捜してきてください。できれば班長のラスティさんをお願いします」
そして呼び止めるラビの声を無視して、アレンはずんずん立ち去って行った。
もちろん攫うようにを腕に抱いたまま。
「なぁ、ユウ…………」
「……何だ」
「アレンって、何かすごいな」
あらゆる意味を込めたその言葉に神田は舌打ちをひとつすると、踵を返して歩き出した。
そこには早く医療班の者を見つけてやろうという魂胆が見え見えだった。
「なんて無様なんだろう……。カッコ悪い、情けない、へちょい、どうしようもない…………」
戻ってきたパラソルの下でがえぐえぐと泣きながら呻いていた。
安静にしていろときつく言い渡されて、シートの上に横になっているのだ。
頭からパーカーを引き被り、哀れな調子で続ける。
「ダサいよダサすぎるよ……。仮にもエクソシストが!戦場に立つ者が!娯楽施設で死にかけただなんて……!」
「……………………」
「こんなアレな死に方したら、あの世で何人に大爆笑されるんだ……っ」
「……………………」
「ううん笑われるだけマシだよ、グローリア先生に見つかったらどうなるか……。いやぁ!お、恐ろしい……、恐ろしすぎる!!」
「……………………」
一人で言って勝手に悲鳴をあげているの横で、アレンは膝を抱えていた。
表情は最高潮に不機嫌なものだ。
膝の上で組んだ腕に顎を乗せて、アレンは眼前のプールを睨みつける。
不幸中の幸いと言うべきか、この辺りにはあまり人がいなかったので、が溺れたという事態は広まらずにすみそうだ。
けれど一番にそれを気にしたには腹が立つ。
本人は「そんなカッコ悪いこと、みんなに知られたくない!」と言っていたが、それは嘘だ。
自分のせいでみんなの楽しい時間を壊してしまうのが、嫌なだけだ。
(もっと自分のことを気にしろ、馬鹿)
アレンは腹の中で言って、隣に視線を滑らせた。
するとと目が合った。
上に掛けたパーカーの裾から少しだけ顔を覗かせている。
「ありがとう……っ、アレンは本当の意味で命の恩人だ!あんたがいなかったら、私はあの世で死ぬより恐ろしい目に合わされるところだったよ……!!」
妄想の果てに涙ながらにお礼を言われて、アレンは片眉を吊り上げた。
ちょっと首を締め上げてやりたくなったのはたぶん罪ではないだろう。
べしりとその額を叩いて顔を背ける。
「アレンー……」
しょげかえった弱々しい口調でが呼んだ。
それでも無視していると、ふいに温もりを感じた。
見てみると隣にが座っている。
大人しく寝ていろと言ったのにコレだ。
「……本当にごめんなさい」
はきちんと頭を下げて、アレンにそう言った。
俯いている顔は捨てられた子犬の風情だ。
本当に反省しているようなので、アレンは少しだけ溜飲を下げた。
「……馬鹿」
「うん」
「ドジ」
「うん」
「まぬけ」
「うん」
「…………………………言い返さないって、気持ち悪いな」
「毒舌を駆使してけなしてこないアレンって変だよ。ぜんぶ単語だよ」
「悪いけど、今はそんな余裕ないから」
「……っ、ああもう!本当にごめんー!!」
いつもと違う怒り方をするアレンに何かの限界がきたようで、は半泣きでそう叫んだ。
同時に横から抱きついてくる。
アレンは倒れないように床に片手をついた。
「ごめんごめんごめん、どんなに手ひどく罵ってもいいから、こっち見て怒ってよー!!」
触れてくる温もりにアレンは頬を赤くしたが、普段みたいに突き放すことはしなかった。
そうやってくっついていると、の心臓の音がよく聞こえたからだ。
その鼓動に心から安堵してアレンは目を閉じた。
「…………別にのことだけを怒っているわけじゃないんだ」
「え……?」
「ああでも、当然君にも腹を立ててるんで、そこは勘違いしないでね」
「は、はい。もちろんですスミマセン」
「それでも、………………僕が溺れさせたようなものだから」
アレンは自分の首にまわされたの腕をぎゅっと掴んだ。
間髪いれずに彼女が首を振る。
「それは違うよ。アレンは私が、その…………泳げないことを知らなかったんだもの」
“泳げない”のところだけ小さく言って、は続けた。
「だから、アレンが気にする必要なんてナシ!ね?」
「そこも腹が立つんだよなぁ……」
ぼそりと言ってアレンは間近にあるの顔を見上げた。
その目つきが異様に険のあるものだったので、は若干たじろいた。
その腕を握ってアレンは言う。
「どうして僕に泳げないことを言わなかったの?」
「え、いや……、その……。弱いとこ、見せたくなくって……」
「…………………………」
「べ、別にアレンだけってわけじゃないんだよ。誰にも言ったことないし」
「…………ラビは?」
「………………………………小さいころにラビに海に連れて行かれて。入ってみたらすぐさま溺れたのよ。だから知ってるだけ」
「ふぅん……」
「私、そのときまで自分が泳げないことをわかってなくって」
「…………………………………………馬鹿?」
「だ、だって!泳いだことなかったんだもの!教団に来てからも水に入る機会なんて皆無じゃない!!」
「海で練習はしなかったの?」
「………………溺れたあとだから止めとけって言われて。それっきり」
「ダメダメじゃないですか」
「返す言葉もない……」
はがっくりとうなだれると、アレンを離して座り込んだ。
乱れた金髪が肩にかかっているから、アレンはそこに指を引っ掛ける。
くいっと引っ張れば綺麗にほどけた。
「……他には?」
「え?」
「苦手なこと。他には?」
アレンは金髪を弄びながら訊いた。
は困ったように視線を逸らしたが、逃げられる雰囲気ではないことを知っているらしい。
静かに怒り続けるアレンに相当こたえているようだ。
観念したように口を開いた。
「だ、誰にも言わないでね」
「誰にも言わない」
「まず、泳げない」
「それは知ってる」
「……料理が出来ない」
「それも知ってる」
「寒さと睡魔に勝てない」
「脆弱者ですね」
「豆乳の賞味期限が怖い」
「無視して飲んじゃうくせに」
「………………弱みを見せたくない」
「僕だけ別にしてください」
「あとは……、アレン」
躊躇いつつもきちんと言って、はアレンを見た。
真っ直ぐな瞳をしていたから、アレンも見つめ返す。
彼女の今は色の悪い唇が動いた。
「いつもと違うアレンは、何だか困るよ」
「………………僕も、殊勝なには困りますよ」
アレンはの金髪を離すと手を伸ばした。
首の後ろに掌をつけ、ぐいっと引き寄せる。
そのまま強く抱き込んだ。
何だかため息が漏れた。
触れた肌は冷たかったけど、その芯は温かくて柔らかい。
生きてるんだなぁ、と当たり前のことを考えた。
そうしたら自然と唇から言葉がこぼれていた。
「もうあんな怖いことになるのは嫌だ」
二度と先刻のような事態になりたくない。
をあんな目に合わせたくないし、自分もそれを見たくなかった。
アレンがぎゅっと抱きしめると、はこちらの背を叩きながらもう一度謝った。
アレンは彼女の側頭部に頬をつけて囁く。
「……もういいよ。反省してるんでしょう?」
「う、うん。すごく」
「じゃあ、がんばれるよね」
「がんばる……?」
静かに言うアレンに、が問い返した瞬間だった。
壮絶な殺気が迸った。
は咄嗟に飛び退がる。
なびいた金髪が一房もっていかれる。
あまりに驚いたのではそのまま尻餅をつき、床の上からアレンを見上げた。
彼は満面の笑みを浮かべていた。
そしてその左手は、当然のように発動していた。
「え、いや、あの、アレンさん……!?」
「さぁ、がんばりましょうね。大丈夫、君は運動神経だけは良いんだから。無様にもがいていればそのうち泳げるようになりますよ」
「は……?ええ!?何言ってるの!?」
が顔色をなくして叫んだが、アレンは気にもかけずに右手を自分の胸にあてた。
「僕をこんなに振り回したんです。その身を犠牲にして償ってください。つまり、“死ぬ気で泳げるようになれ”!!」
「いやいやそれ以前に水に入ったら私死んじゃう……!」
「安心してください。僕がいますから」
アレンはそう言いながら一歩、一歩と足を運んだ。
ゆっくりとに迫ってくる。
その笑顔の壮絶なこと。
輝かんばかりの微笑みで、アレンは告げた。
「かつて泳げない少年がサメに追われることでそれを克服したという話があります。この話から学ぶことは、ただひとつ。溺れることより恐ろしいものが背後に迫れば、人は泳がざるを得ない!!」
「つまり……?」
「僕が恐怖となって君の後ろから追い立ててあげますよ!!」
「やっぱりー!?」
嫌な予感の的中に、は涙を浮かべて悲鳴をあげた。
けれどそれは猛烈な速さで振り下ろされたアレンの左手によって封じられる。
は床を転がるように避けて、続けざまに迫る攻撃を側転で回避。
砕け散るコンクリートの向こうに、アレンの笑顔を見た。
「さぁ、がんばってください!!」
「アレン、実は予想以上に怒ってるんでしょー!?」
「何言ってるんですか、いつも通りにしろと言ったのは君ですよ!!」
「いつも通りすぎるわーーーーーーーーー!!!」
それからはアレンに延々と破壊活動を繰り返しながら追いかけられて、最終的に飛び込み台まで引っ立てられ、一緒にダイブするというとんでもない事態に陥った。
若干溺れながら泣き叫ぶ劣等生のと、一応命綱にはなっているが少しも甘えを許さないスパルタ教師のアレンをプールサイドから観戦しながら、ラビは呟く。
「そんなにと一緒に遊びたいんかねぇ……」
隣にいる神田の舌打ちは合計52回にもなったそうだ。
「脇が甘い!足が止まってる!そんなんでこの大海原を乗り越えられると思ってるんですか!?」
「わっ、ぷはっ、ここプールなんだけど!?」
「立ち止まるな!泳ぎ続けろ!………………ああ、天国のマナもよく似たようなことを言っていたなぁ」
「わ、わかったから、ひゃあ、手を離さないで!私が天国に行っちゃう!!」
「思ったより進まないですね。よし、気合を入れるためにもう一回飛び込み台からダイブしましょう!!」
「い、いや!あれものすごく怖いもの!ちょ、ヤダって!ヤダ……、いやぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!」
それはとある暑い夏の日のこと。
飛び散った飛沫のように、笑い声が弾けた日の出来事だった。
夏休みということで、プールのお話です。
楽に読めるくだらないものを……、と思って書いていたら予想以上にくだらなくなりました。特にオチ。(笑)
我が家のヒロインは負けず嫌いなので隠していますが、意外と苦手な物が多いです。
日々克服に向けて奮闘中。
泳げないのはきっと夏でも水が冷たくて、冬には湖が凍ってしまうようなところが故郷だからでしょう。(若干ネタバレ)
泳いだことがないので、泳げないんですね。
アレンの猛特訓で泳げるようになったらいいですね!(丸投げ!)
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