この感情の名は、どうか。
腹が立つから知らないままで。






● 逆さまのココロ ●







アレンはある扉の前に立っていた。

時刻は午前10時。
もう陽も高い。
人々がめまぐるしく動き回る時間帯である。
そのため部屋ばかりがずらりと並ぶこの廊下には、人影がひとつもなかった。

それをいいことに、アレンは周囲を気にもしないで目の前の扉を容赦なく叩いた。
一応ノックのつもりだが、遠慮は欠片もしなかった。


!いつまで寝てるんですか!」


ドンガンと騒々しく扉を殴りながら、アレンは大声で部屋の主に呼びかけた。
相手があのでなければアレンもこんなことはしないのだが、そうなのだから仕方がない。
騒音ノックで彼女を起こそうと試みる。
しかし、今回も無駄なようだ。
いつも通り反応はない。
アレンはどうしたものかとため息をついて、なんとなく目の前の扉に手を伸ばした。
ノブに指をかける。
すると、


カチャリ……


軽い音をたてて、あっさりと開いてしまった。


「また鍵をかけ忘れてる……」


アレンは呆れてうなだれた。
本当にどこまでも自然体で生きている人だ。
自分が女であることなどお構いなしである。(そのくせ乙女だと主張するから腹が立つ)


これは一発、きつーく注意してやらないと。
アレンは強くそう思って、室内に自分の身を滑り入れた。
普通に扉を閉め、辺りを見渡す。
部屋の中は薄暗かった。
分厚いカーテンが窓からの日光を遮っているからだ。
手で壁を探って、証明を点ける。
照らし出されたのは、本と書類の紙切れで埋め尽くされた床。
その他にはサプリメントの瓶や、ダンベルなどの健康増強グッツが転がっている。(どんな部屋だと毎回思う)
そんな女の子らしさが皆無の室内へと、アレンは足を進めた。


「……っ」


ふいに何かに躓いた。
踏みとどまって見下ろすと、そこには………………『腹黒魔王』と油性マジックで書きなぐられたボロボロの
サンドバック。
しかもかなり使い込まれている。年季ものだ。
アレンは思わず頬を引きつらせた。
何度見ても不愉快なシロモノだ、これは。
苛立ち紛れにそれを軽く蹴り飛ばして進路方向から退け、さらに歩を進める。


最初から部屋に備え付けてあった飾り気のない机とイス、スタンド。
そして一番奥にはベッドがあり、そこにこの部屋の主はいた。
白いシーツを頭までかぶって丸くなっている。
規則正しい、幸せそうな寝息がその下から聞こえてくる。


アレンは手を伸ばして、シーツに包まったその塊を揺さぶった。


、起きてください。今日もコムイさんの仕事を手伝うんでしょう?」


すーすー。
寝息は止まない。


「昨日さんざんそう言いふらしていたのは、それを聞いていた誰かに起こしてもらおう、っていう魂胆なのは
わかってます」


すーすーすー。
それでも寝息は止まない。


「なんとも姑息な手ですが、ホラ!心優しい僕が来てあげましたよ、感謝してください!…………違った、起きてください!」


すーすーすーすー。
それでもまだ寝息は止まない。


アレンの片眉が跳ね上がった。
ここまで完璧に無視されては、いくら相手が眠っているからといっても腹が立つ。
相手がともなれば、なおさらだ。


「ああもう!起きろってば!!」


アレンはシーツの裾を掴むと、それを全力で引き剥がした。
確かな手ごたえがあり、を包んでいたそれは見事アレンの腕の中に。
しかしそこでアレンは全ての動きを止めた。
目の前に現れた光景に、完全硬直する。


「……………………」


上掛けを剥ぎ取られて、それでも気持ちよさそうに寝入っているのは、ゆるく波打つ金髪をベッドに散らした、
優美な顔立ちの少女だった。
白い頬にかげる睫毛が、時折儚げに震えている。
しかしアレンが凝視しているのは、そんな文句なしの美少女の、あどけない寝姿ではなかった。
はっきり言って、そんなものはもう見慣れていた。
今まで何度もを叩き起こしてやった経験があるのだ。


アレンが呆然と見つめているのはの隣。
そこで当然のように、少女に寄り添って眠っている赤毛の青年。
整った顔をゆるめて、むにゃむにゃと寝言を言っている。


何でラビがここに。
の部屋で、のベッドで、の隣で、こんなにも幸せそうに眠っているのか。


アレンは真っ白になった頭で、そんなことをグルグル考えていたが、


「んー……」


寝息と共にごろんと寝返りを打って、ついでに隣のを抱き枕のように抱きしめたラビを見て、さらに頭が真っ白になった。


そうして次に気がついたときには、ベッドからを情け容赦なく叩き落していた。












「ひどいよアレン!何するの!?」


激痛に涙を浮かべてが訴えた。
しかしアレンは一ミリの哀れみも交えず、彼女を冷ややかに見下ろした。
かつて神田に教わった東洋独特の座り方、‘正座’をさせているので(当然、床の上に)、その綺麗な旋毛がよく見える。


「それは僕の台詞です」


アレンは鋭い声音で言う。


「君こそ何をしてるんです」
「はぁ?」


きょとんと聞き返してくるに、アレンは目元を凄ませた。


。僕の目がおかしいんですか?君と同じベッドで、ラビが寝こけているように見えたんですけど」


そう言われては自分のベッドを振り返り、いまだにそこで爆睡しているラビを発見して、頷いた。


「そうだね。その通りだね」


が平然と肯定した瞬間、アレンは部屋に転がっていたダンベルをがっと掴んだ。
そのまま普通に振りかぶるものだから、が悲鳴をあげる。


「ちょ、なっ、待って!何なの、何で怒ってるの!?」
「そんなのはあの世で考えてください……!」
「いやいやいやいや、落ち着けアレン!」

「うー……何事さー。うるさい」


何とも寝ぼけた声が、じりじりしている二人の間に割って入った。
視線をやるとそこには、ベッドの上半身を起こして、眠そうに顔をしかめているラビがいた。
その緑の瞳は半分も開かれていない。


「人が寝てる横で騒ぐなよー……」
「ラビ!たすけて、アレンに殺される!!」


半泣きのにひしっとすがられて、ラビは寝ぼけ眼で辺りを見渡した。
壮絶な殺気を纏ったアレンと、絶体絶命の危機に瀕したのいる、何とも殺伐とした室内を。
それからへと視線を戻す。


「乱闘するなら外でやるさ」
「この状況で言うことがそれ!?」
「うんうん。わかったからオレの安眠を妨げるな」
「そんなのひどいよ、マイベストフレンド!!」


どうでもよさそうに欠伸をかますラビに、はベッドに飛び乗って、彼の体に抱きついた。
無理にでも味方がほしい状況なのだ。
こうしていればアレンも攻撃してこないだろうと、力の限りでラビにしがみつく。
は助かったとばかりに吐息をついたが、突然吹っ飛んできたダンベルがラビとの間を引き裂いた。
ダンベルはそのまま壁にえげつない音をたてて激突。
コンクリートをしたたか砕いて、ベッドに落ちた。
が青ざめて振り返ると、そこには笑顔のアレンが立っていた。



「ひい!?」
「僕との話の最中に、何ラビと遊んでるんですか」
「いやあの遊んでたわけじゃないですスミマセンごめんなさい」
「つーか、何でアレンがの部屋にいるんさ?」


ダンベルを避けるためにベッドに転がって、そのままの体制でラビが訊いた。
眠そうな表情で特に興味もなさそうだったが、アレンはそれに眉をしかめた。


「それを言うならラビこそ。どうしての部屋でいるんです?」
「どうして、って。そんなの一緒に寝るために決まってんだろ」


ラビがそう言った瞬間、アレンは物凄い目つきでを睨んだ。


「…………どういうことですか」
「ひ……っ、や、その、なんてゆーか、私も知らなかったってゆーか」
「まさか気がついていなかった、いつの間にかラビが隣で寝てた、なんて言いませんよね?」
「……………………」
「言いませんよね?」
「……………………………………」


が蒼白な顔で視線を逸らしたまま黙っているので、アレンはふっ、と破顔した。
口元に微笑を浮かべて、胸に片手を当てて目を閉じる。


「何だろうこの気持ち。今、無性に何かをもぎたい気分です。の首とか首とか首とか」
「殺す気だ!!」


は涙目になって、大声で訴えた。


「ちょっと待ってよアレン!何で私がそんなに怒られないといけないの!?」
「へーえ。ほーお。言わないとわかりませんか」
「だってこんなの普通だって!ねぇラビ!!」


は勢いよく背後を振り返った。
そこにいたラビがこくりこくりと船を漕いでいたから、必死に揺すって意識を引き戻す。
彼は目を開けもせずに、気だるげに言った。


「あー……うん。そうだな。普通だな」
「ホラ!ホラホラ!ねっ!?私たちの間じゃ普通なんだって!!」
「普通……?何が普通だって言うんですか」


盛大に顔を歪めたアレンに、は身振り手振りで言い訳をした。


「私とラビは長年の友達!親友!一緒に寝るのなんてよくあることなの!!」
「……つまり?」


アレンは額を手で押さえながらラビに視線をやった。


「今回はどうしてこんなことになったんですか」
「あー……つまり。昨日怖い話聞いちゃってさー、独りで眠れなくなったから夜中に無断で侵入して、のベッドに潜り込んだんさ」


事もなげにそう言った瞬間。

ラビは何故だか正座させられていた。
0.2秒でベッドから引きずり下ろされ、床に跪かされたのだ。
顔をあげると、そこには壮絶な笑顔を浮かべたアレンが仁王立ちになっていた。
そのあまりの恐ろしさに、ラビの眠気は一気に吹き飛んだ。


「え、や、何……、どうしたんさアレン……!」
「夜中に。無断で。ベッドに潜り込んだだって……?」


アレンの笑んだ唇が、引きつるようにして動く。


「しかもそれがよくあること……?ふーん……そうですか。そうなんですか」
「ア、 アレン……?、なんかアレンが怖いさ!」


異様な雰囲気のアレンに恐れをなして、ラビはに助けを求めた。
しかし彼女は我関せずとばかりにベッドに潜りこんでいたから、ラビが悲鳴をあげる。


「何ひとりで逃げてるんさ!ちょっとオイー!!」
「うるさい、アレンの怒りがあんたに移ったんだからこれみよがしに逃げてやる!むしろ二度寝してやる!!」
「オマエは鬼か!親友への愛はどこへ行ったんさ!」
「ごめんね、アレンへの恐怖がラビへの愛を大幅に上回ってるから」
「何?実はオレのことが大嫌い!?」
「ばっか、大好きだよ。私の身代わりになってくれるのなら愛してると言っても過言じゃないね!」
「歪んだ愛情ー!」


ラビはよっぽどのダメージを受けたのか、ベッドの上にいるに飛び掛った。


「オーマーエーは!なんちゅー裏切りっぷりさ!!」
「わ、バカ!あっち行け!大人しくアレンに蹂躙されてこい!!」
「そんなの嫌さ!」
「私だって嫌だよ!」


二人が騒々しく言い合っていた、その時だった。
にわかにの部屋の扉が、大きな音をたてて開かれた。
同時に放たれたのは嫌というほど聞きなれた怒声。


、テメェ!俺が買って来いっつたのは牛乳石鹸なんだよ、何だこの豆乳石鹸とかいうやつは!こんなもんで髪が洗えるか!!」


一同が振り返った先には、憤慨しきった神田の姿があった。
彼は肩をいからせ怒りを露にしていたが、部屋の中の惨状に気がついて固まった。
視線は真っ直ぐベッドの上へと注がれている。

正しくはそこで取っ組み合いを繰り広げていた、とラビへと注がれている。
もっと正しく言うと、ベッドに押し倒されたと、その上に覆いかぶさるようにして乗っかったラビへと注がれている。


神田の背後に暗雲がたれこめた。
稲妻効果の逆光で、表情はよく見えない。
しかし彼の全身から迸る殺気が、全てを物語っていた。
のお気に入りである彼の黒髪が、怒りのあまりとぐろを巻く。


「ユ……ユウ?」


恐る恐るラビが声をかけると、神田は静かに口を開いた。


「もういい、何も言うな」
「え……?」
「とりあえず死ね」


神田は問答無用でとラビに斬りかかった。
その鋭い剣戟が、シーツを引き裂き、ベッドを真っ二つに叩き割る。
転がるようにして床に落ちた二人は、同時に悲鳴をあげた。


「イキナリ何するんさユウ!」
「そうだよ、人の部屋で暴れるとは何事だ!」

「黙れ今すぐ地獄に堕ちろ……!!」


唸るようにして神田が言った。
とラビはその気迫にすくみあがる。


「ひっ……!何なの、私の部屋に恐怖が大集合!?」
「いいから選べ」
「え、選ぶって何をさ!?」
「自ら腹を切るか、俺に斬られるか」


神田はきっぱりと無茶苦茶な選択肢を提示した。
右手に握られた『六幻』がちらちらと揺れていて、彼の本気が強烈なまでに伝わってくる。
とラビは互いの手を取り合って、ガクガクした。


「な、何で!?どうしてそうなるわけ!?」
「ああ?至極まっとうな流れだろ。3秒以内に決めろ。でなければもういい、俺が斬る」
「お、落ち着こうぜ、ユウ……!」
「俺はかつてないくらい冷静だ」

「ちょっと待ってください、神田」


目がイッてしまっている神田にストップをかけたのは、我らが英国紳士、アレンその人。


「駄目ですよ、斬るだなんてそんな」
「ア、 アレン……!」


ラビは天の助けと顔を輝かせたが、は不幸が100倍になったとばかりに絶望的な表情になった。
アレンはとびっきりの笑顔で神田に言った。


「甘いですよ」
「は?」


きょとんと目を見張ったラビに視線を向けて、アレンはさらに続ける。



「斬るだなんて甘っちょろいです。ぶっつぶさないと」



その場にいた者は、魔王の降臨を目の当たりにした。
アレンの浮かべる絶対零度の笑顔。
背後からはドス黒いオーラが放たれまくっている。
その禍々しい表情は、もはや笑顔と形容していいものかと躊躇われるほどだ。
室内の温度が一気に氷点下に達した。
ラビは恐怖のあまり反射的にに抱きついたが、即座にアレンによって引き離された。
彼はの襟首を掴んで、神田に素敵な笑顔で言う。


「神田はそっちの馬鹿をお願いします。僕はこっちを始末しますから」
「ぎゃーやだー!ラビー!!」
ー!!」
「言い残すことはそれだけだな」


がくがく震えるとラビの目の前で。
アレンと神田のイノセンスはすでに、当たり前のように発動されている。
彼らはこれ以上ないまでに冷たい視線で、口元を笑みの形にした。


「モヤシ、心臓なんて狙うなよ。あのバカ面に数十発撃ち込んで、盛大に金髪を飛び散らせろ」
「神田こそ、八つ裂きなんかで終わらせないでくださいね。あの意味もなく首に巻いているマフラーを引っつかんで教団中を引きずりまわしたあげく、指先から一寸刻みに削ってやってください」
「ああ、まかせろ」
「こっちもがんばります」

「何でこんなときだけ仲いいのオマエらー!!」


が絶叫したが、アレンと神田は遠慮容赦なく迫ってくる。
その恐ろしさに、はラビをかばうように前に出たが、彼に腕を引かれて逆に背後に押しやられた。
ラビはを自分の体で隠しながら、目の前の鬼たちに訴えた。


「タンマ!頼むからちょっと待つさ!」
「……テメェらこそちょっと待てよ」
「……何かばいあったりしてるんですか」


白髪と黒髪の鬼は、そろって顔をしかめた。


「うさんくせぇことしてんじゃねぇ」
「そんな綺麗な友情劇は誰も求めてませんよ」
「じゃあどうしろって言うの!何がそんなに不満なの!?」


ラビの体を少しでも鬼たちから引き離そうとがんばりながら、は訊いた。
するとアレンと神田は怒りに震える手で、を指差した。


「そんなの決まってるでしょう!?君がラビと無駄にくっついてるのが嫌なんですよ!!」
「ああ、不愉快で仕方ねぇ……!!」
「え……、それって」



「「如きが女みたいに見えて、心底腹立たしい!!!」」



「どうせそんなことだろうと思ったよ!」


声をそろえて盛大に怒るアレンと神田に、はブチキレた。
あまりにひどいその態度に、殺意すら沸いてくる。


「何さソレ!だたの嫉妬じゃ……」
「黙れ殺すぞ!!」
「おぞましい単語を口にしないでください!!」
「ふーんだ!そんなジェラシー野郎たちにはは渡せないさ!!」


何やら騒々しく言い合っている男供など眼中外で、はすくっ、と立ち上がった。
ある決意を胸に拳を握る。


「わかったよ!これなら誰も文句ないでしょ!?」
?」


何をする気かと見上げてきたラビの体を、はベッドに突き倒した。
続いてアレンと神田の腕をひったくり、問答無用で引っ張って、一緒にベッドへとダイブする。
4人はもみくちゃになってシーツの上に倒れこんだ。


「さぁ、今から4人で寝よう!!」

「「「…………………………」」」


アレンの銀の瞳が。
神田の黒い瞳が。
ラビの緑の瞳が。

の金髪の上で交差した。


そして3人同時に絶叫した。



「「「アホかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」」」



その後、3人の手によってが永遠の眠りに落とされそうになったのは、言うまでもない。








  そしてアレンさんは最後に、こう言ったそうです。

  「間違っても、二度目があるとか思わないでくださいね」(超絶笑顔)

  拍手のお礼なのにアレンさんが黒くてごめんなさい。(汗)
  ともあれ拍手ありがとうございました!
  よろしければこれからもお付き合いくださいませ。
  どうぞ、よろしくお願いします!