きっとすべては恋のせい。
● St. Valentine’s Day 1 ●
事のはじまりは何気ない一言だった。
「私は今までとんでもない間違いを犯していたよ」
そう呟いたのは、やはりと言うか何と言うか、トラブルメーカー代表のだった。
厄介な問題を引き起こすのは、決まってこの人知を超えた未確認生物である。
というか、それ以外にいてもらっては事が余計にややこしくなるので、心からご辞退願いたい。
は朝食の席で、テーブルに頬杖をついて、物憂げな表情をしていた。
視線は落とされ、妙に切ないため息が何度も漏れる。
アレンは向かいの席でそんな彼女を珍しそうに眺めて、それから口を開いた。
「君みたいな変人がこの世に生息していること自体がそうだと思いますけど、何が間違ってるって?」
「…………親切に聞いているフリをして、きちんと嫌味を言うあたりがさすがの手腕だね。アレン」
「それほどでも」
アレンはにこやかに言って食事を再開しようとしたが、素早くスプーンを奪われた。
は一瞬前までアレンが食べようとしていたものを、なんのためらいもなく自分の口に放り込んだ。
アレンは思わずそれを睨みつける。
「…………ちょっと」
「あぁおいしい!でも落ち込んでる乙女を放っぽりだして、普通に食事を続けるなんてひどいと思うなぁ」
「それより人の食べかけを口にしないでください。ほら、スプーン返して!」
今度はアレンが奪い返そうとしたが、はひょいとそれを避ける。
スプーンを指揮棒のように振って、彼女は話を戻した。
「だから間違ってたと思うんだ、私」
「……それは、僕もそう思いますよ」
アレンは呆れたように半眼になって、視線をの隣の席へと滑らせた。
そこにはぱんぱんに膨らんでいる紙袋がいくつか。
溢れんばかりに詰め込まれたそれは、色とりどりのラッピングが施されたチョコレートだった。
「バレンタインデーに同性からそこまでたくさんチョコレートを受け取る女の子なんて、絶対に間違ってます」
「チョコの数に関しては、あんたも人のこと言えないじゃない」
はそう言って、アレンの脇を指差す。
そこにはチョコレートが山のように積み上げられていた。
嬉しいことは嬉しいのだが、まさかここまで大量に渡されるとは思っていなかったから、アレンは思わず
ため息をついた。
「びっくりしましたよ、本当に……。君は準備万端だったみたいですけど」
「2月14日は紙袋必須の日なんだよね」
「事前に言っておいてくださいよ……。それにしてもすごいな」
「戦争中でも女の子は恋をしたいものなんだってさ」
は自分も女の子のくせに、妙に他人事のようにそう言った。
そしてまたアレンの皿から料理を奪おうと、スプーンを伸ばす。
「まぁ国によっては女の子だけじゃなくて、男の人からもプレゼントを渡すらしいけど」
「知ってますよ。僕のいた国ではそうでしたから」
腹が立つのでアレンもの皿から料理を奪う。
彼女が食べているのはいつもの健康食で、やっぱり健康的な味がした。
「それで、君の言う間違いって何なんです?」
は無類の女の子好きだから、チョコレートをたくさん受け取ることを間違いだなんて思うはずがない。
渡す側の気持ちも、否定したりしないはずだ。
それでは何故、彼女はここまで、ちょっと気持ち悪いくらいに落ち込んでいるのだろう。
アレンが首を傾けて訊いたが、が答える前に、別の声が割って入った。
「アレン!!おはようさ!!」
二人が振り返ると、そこにはわっさわっさと大量の紙袋を抱えたラビがいた。
隣には神田が立っていたが、彼はどう見てもラビに無理やり引きずってこられた様子だった。
が目を見張る。
「どうしたの、ラビ。今年はやけに盛況じゃない」
「ああ、これ半分はユウがもらったヤツだから」
そう言ってラビは紙袋の半分を神田に押し付けた。
黒髪の青年は露骨に嫌そうな顔をした。
「おい、俺はいらねぇっつただろ」
「なーんてトンチンカンなことを女の子たちに言うもんだから、いったんオレが受け取ってやったんさ」
「なるほど、そういうことですか」
彼ららしいと思って、アレンは頷いた。
神田が素直に女の子の気持ちを受け取るはずがないし、下手をすると傷つけかねない。
見かねたラビが助け舟を出したのだ。
神田は不服そうな顔をしていたが、ラビは軽く流して彼をの隣に座らせた。
そして自分もアレンの横に腰掛ける。
「そっちも盛況じゃんか。、今年の男女比は?」
「半々ぐらいかなぁ」
「去年は確か六四ぐらいだったよな。女からのが増えたんか?それとも」
「男の人からのが増えた」
は脇に置いた別の紙袋を指差して、返答。
ラビはヒュウと口笛を吹いた。
「さっすがオレ!予想的中、そうじゃないかと思ってたんさー」
「え、なんで?」
「だってオマエ、昔に比べたらずいぶん成長したもん」
そう言うラビの視線は、体に注がれていた。
主に胸とか、ウエストとか、お尻とかに。
アレンはそれに気がついて、思わずテーブルの下でラビの足を踏みつけてしまった。
「い……っ!?」
「あ、すみません。何か反射的に」
「って、まだグリグリ踏み続けてるさ!」
「それより。話の続きは?」
「ああ、それでね」
骨が軋まんばかりの強さでラビの足を踏みにじりながらアレンは訊き、痛みに耐えているその様子になど
まったく気がつかずには少しうつむいた。
「本当に間違ってたと思うんだ。毎年たくさんの気持ちとチョコレートをもらって満足していたけど」
「あんな甘ったるいもの、よく食えるな」
「満足してたのならいいじゃないですか」
「そうそう、それより足が痛ぇんさ……!」
「私、誰かにチョコレートをあげたことがないんだよね」
は切な気なため息とともに、そう吐き出した。
それを聞いて、ついさっきまでちゃちゃを入れていた男三人は固まった。
激しく沈痛な面持ちで、顔を見合わせる。
それでもは続ける。
「この完全無欠の乙女である私だけど、あんた達はそれを片っ端から否定するじゃない。不愉快すぎる
その理由を考えてみたんだ。そして気がついたの。私に不足していたもの、そうそれは……」
はバンッとテーブルをぶん殴り、力強く言った。
「ラブ!つまり恋愛よ!!」
「君に不足しているものは脳みそだと僕は思いますよ」
アレンが親切にそう指摘すると、神田とラビも大きく頷いて同意してくれた。
「ただでさえ朝からいろんな奴に絡まれてイラついてるのに、これ以上俺を不愉快にさせるな」
「あー……、なんつーか、辛いことでもあったんか?お兄さんが聞いてやるから話してみるさ」
「ちょっと待て、何だその反応!」
至極まっとうな反応だろう、と男三人は思ったが、は憤然と抗議した。
「ねぇ、だって私も女の子なんだよ?それなのに今まで一度もチョコレートをあげたことがないなんて、
乙女として間違ってるよ、何だかすごく可哀想だよ!そんなのあんた達も心が痛むでしょ、不幸になっ
ちゃうでしょ!?」
「君が可哀想なら僕は幸せです」
「頼むから少しは本音を隠して!!」
天使の微笑と見まごうばかりのアレンの表情に、は全力で怒鳴る。
しかしアレン、神田、ラビの心は一つだった。
つまり頭が気の毒なこの馬鹿が、いつも通り、理解不能な暴走をはじめたのだ。
これを厄介と言わずして、何が厄介だろうか。
それなのには、皆の態度がひどい、とあり得ないことで嘆いていた。
「せめてオブラートに包んで言って!小さじ一杯分でもいいから遠慮とか配慮をお願い!」
「ああ驚いた。君から最も縁遠い言葉が、その縫い付けたくて仕方がない口から飛び出すとは」
「えらいえらい。よく覚えたさ、そんな難しい単語」
「バカのわりには努力したな。ほら、褒美だ。蕎麦でも食え」
「もういいよオマエらー、滅亡しろよー!」
は椅子の上で器用に膝を抱え、そこに顔を埋めてしまった。
それでも神田が蕎麦を差し出すと、ものすごい速さで器を奪い取り食べ始めたので、ダメージは軽いとみえる。
もとよりこんなのは自分達のいつもの調子だった。
そしていつもの調子で、が蕎麦を完食しようとがんばりだし、絶対阻止しようとする神田との激戦が始まる。
それを呆れたように眺めながら、アレンはラビに言った。
「今回はどう処理しましょうね」
「どうするかなー」
面倒くさいことを言い出したにどのように対応するか、という恒例の会議である。
形だけで、有効な対応策が出たことはないのだが。
「そもそもチョコをあげたいとか言われても困るさ」
ラビはテーブルに頬杖をついて、を見た。
「オマエの場合、相手がいねぇもん」
「ハッ!そうだぜ、恋だの愛だのテメェには無関係だろ!!」
の魔の手から蕎麦を死守した神田が、勝ち誇ったように言った。
は彼に容赦なく小突かれた額を押さえながら、涙目で反論する。
「失礼!神田は私に失礼だ!」
「本当のことだろうが」
「何でよ!」
は仕返しとばかりに神田の髪を引っ掴みながら、叫んだ。
「私にだって、好きな人ぐらいいるよ!!」
その瞬間、静寂が訪れた。
先刻まであれだけガヤガヤしていた食堂が、水を打ったような静けさに包まれる。
見渡してみると、何故だかそこにいる全員がを見ていた。
そして一拍後に、激しい騒音が響き渡る。
食具を落とす音、皿が割れる音、人が転ぶ音、さらに黄色い叫びと絶望の声。
まさに阿鼻叫喚である。
「え、な、何!?」
飛び交う悲鳴には驚きを隠せない。
戸惑いに眉を寄せて顔を戻すと、ポニーを引っ張られたまま神田が固まっていた。
ラビはぽかん、と口を開けてこちらを凝視している。
そしてアレンは、
「ちょ……っ、大丈夫アレン!顔が真っ青だよ!?」
この世の終わりとばかりに蒼白になって、フラフラと目眩を起こしていた。
「…………」
「わーわーちょっとマズイってその顔色!」
は慌てて手を伸ばしたが、それが届く前にアレンが口を開く。
「今なんて言いましたか……?はい?何?すきなひと……?」
「え」
「君が……?」
「そうだけど」
「…………本気ですか?」
「うん」
が頷いた途端、アレンはテーブルを飛び越えて、瞬間移動のような速度で距離を詰めた。
そしての額に手をあてる。
「熱!熱があるんでしょう!?それともアレですか、また変な健康食品でも爆食したんですか!?ああもう
だからその食い意地をなおせっていっつも言ってたんですよ僕は、馬鹿ですか君は!!」
これ以上ないまでに混乱したアレンにわめかれて、は耳を塞ごうとしたが、その肩が掴まれる。
アレンと同じようにテーブルを乗り越えてきたラビが、横からがくがくと揺さぶってきていたのだ。
「オマエ本当にどうしたんさ!いや、おかしいのはいつものことだけど、今の発言はおかしすぎるだろ、一気に
パワーアップしすぎだろ!?」
「これ以上変になったら手の施しようがないっていうのに!!」
「あぁもう絶望的さー!!」
救いようがない!と全力で嘆く二人の背後で、神田が重々しいため息をついた。
「…………ついにここまでトチ狂ったか」
なんとも悲痛なその呟き。
は友人達のこの反応に、さすがに少し引いてしまった。
「え……、や、大丈夫だって。私ちゃんと正気だよ」
「いいですよいいですよ、そんな無理しなくて!!」
「アレンの言う通りさ!ホラ気分悪ぃんだろ背中さすってやっから!!」
「、蕎麦は全部やる。だからさっさと食って今すぐ寝ろ」
「わーい何てホットな友情だろう、とりあえず謝れ?」
真剣に心配してくる友人たちに、は激しく引きつった笑顔を向けた。
なんていいリアクションだろう。
嬉しさのあまり目の前が遠く霞むようだ。
みんなの夢のような優しさに、いっそ夢であれ!と強く願うが、これが現実なのだから仕方がない。
これ以上バカにされてなるものかと、は真面目な表情をつくった。
「だから大丈夫だってば」
「………………じゃあ何ですか」
真剣なの瞳を、さらに真剣な眼差しでアレンがのぞきこむ。
「好きな人がいるとか、本当に、本気で、本心から言ってるんですか……?」
「うん」
「………………っ、あ!わかったアレだろ、リナリーが好きとかそんなんだろ!?」
「違うってラビ。ちゃんと男の人」
「………………ジェリーとかか?」
「神田!それはありえないよ!」
はあははと笑ったが、男三人は微妙に青い顔でそれを見つめた。
その視線は何とも痛そうである。
神妙な表情で、アレンがの両肩を掴んだ。
「………………」
「ん?なに」
「頭は元気ですか」
「何だその哀れみを大量に含んだ顔!むかつくなー、めちゃくちゃ元気だよ」
「………………医療室に行ったほうが」
「なんで。私に好きな人がいるの、そんなに変?」
「いや、変って言うか……」
言葉が見つからずにアレンは視線を逸らした。
から手を離して、何だかうつむく。
はそれを眉を寄せて眺めていたが、今度はラビに腕を引っ張られた。
「……マジで?マジで言ってんのかオマエ」
「何でみんなして疑うのよ。しつこいってば」
「ばっか、オマエ……!」
そこまで言って、ラビはふと口をつぐんだ。
上目づかいにをにらみつけて、それからくるりと背を向ける。
彼は妙に恨みがましいオーラを放ちながら、床の上に“の”の字を書きだした。
「ちょっと、そこのウサギ」
「………………いいんさ、いいんさ。誰が好きだとかそんなのの勝手だし?でも何でオレに言ってくれ
なかったんさ。オレってオマエの何?親友じゃなかったっけ?」
「うわー、わかりやすくいじけだしたよ。ごめんって、怒らないで」
「別に怒ってなんかねぇもん。ただ水くさいにもほどがあるっていうか、そんないじりがいのあるネタをどうして
オレに提供しなかったんさバカ!とか言いたいことが山ほどあるだけでー」
「そしてわかりやすく自分勝手な子!さすがマイベストフレンド!」
「べーつーにー!いーいーけーどーさー!!」
落ち込んでいるくせに大声で自己主張するラビに、はため息をついた。
手を伸ばして向けられた背をぽんぽんと叩く。
そして優しい声で言った。
「ごめんね、ラビ」
その言葉にラビは少し不機嫌そうに、けれどすごく嬉しそうに振り返る。
「それで、オマエの好きな人って……」
言いかけたラビの口に、は何かを放りこんだ。
満面の笑みと共に。
「お詫びのしるしにそれあげる」
彼女が言った途端、ラビの絶叫が響き渡った。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!うっわ、馬鹿オマエなに入れたんさ!?」
「チョコレート」
「ああ、なーんだ……」
「生産のね」
「うぉあ、まずっ、ちょ、何だコレありえねぇ、むしろ舌痛ぇえーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
ラビは激しい叫び声をあげながら食堂の床をのたうちまわった。
一瞬ホッとしただけにダメージが大きかったようだ。
は慈愛の表情で、凄まじい反応を示すラビを助け起こした。
「とにかくチョコを渡そうと決めたので、試作品を作ってみたの。どうかな、おいしい?遠慮しなくっていいよ
正直に言ってみて!」
「うえぇぇえ、口ん中ピリピリする、舌がもげる、ちょ、マジ無理……!!!何だよコレぇぇぇぇえええ!!!」
「だから生産のチョコレート」
「嘘つけ世界最強の食物兵器だろ!!!」
ラビは本気で泣きながらに食ってかかった。
そうとう衝撃があったらしい、普段なら絶対にしないことなのだが、の胸倉を掴んでいる。
しかしはそれを普通に払いのけると、ラビを放り出して立ち上がった。
「やっぱり失敗してたか……」
「やっぱり!やっぱりって言ったさ、わかってて何でオレに食わしたんだよ!!」
「ハイ、じゃあ次これね」
わめくラビを無視しつつ、は続いて白い皿を引っ張り出してきた。
それをドンッ!とテーブルの上に置く。
アレンが怪訝な顔をする横で、神田が身を翻した。
「そうだ、俺は今日から旅に出る予定だった。しばらく帰ってこないが心配はするな。そして絶対に探すな」
明らかに逃走しようとしている神田の足は、一瞬後にピタリと止まった。
背後からが、彼のポニーテールを引っ掴んでいたのだ。
それもギリギリと、渾身の力で。
神田は振り返ることなく言う。
「おい、離せ。旅立つ俺を止めるな」
「じゃあ餞別ってことで。私のチョコを食べて行け」
「テメェに少しでも人間らしい感情があるなら、快く見送れよ……!」
「私にちょっとでも友情を感じるのなら、気持ちよく一気食いしてよ!」
「テメェは俺を殺す気かー!!」
「よーし、死ぬ気で食えー!!」
二人は叫びながらポニーの引っ張り合いを開始した。
振り返った神田と額を引っ付けるような勢いでは顔を近づけ、そして低く言う。
「いいから食べろ、さもないとこのポニーを根こそぎ引っこ抜くぞ」
「……………………」
神田はもともと青くなっていた顔を、さらに蒼白にした。
テーブルの上の白い皿に、ちらりと視線をやる。
そしてアレンが不思議そうにフォークでつんつんしているその物体を見て、盛大に顔をしかめた。
「おい、何だあの糞コロガシの力作みたいな黒い塊は……!」
「ばっか、チョコレートケーキだよ!!」
その答えに、神田は怒りなのか悲しみなのか、よくわからない感情に叫んだ。
「あれがか!?あれがチョコレートケーキなのか!?」
「そうだよ、見紛うことなき立派なチョコレートケーキじゃない!」
「ふざけんな!チョコの匂いどころか、そもそも食いもんの匂いがしてねぇんだよ!これだけ離れていて
この異臭ってどういうことだよ!!」
「なんてゆーか……、恋の香り?」
若干頬を染めて、照れたようにそう言うの胸倉を、神田は容赦なく掴んだ。
「テ……ッ、メェ!謝れ!今すぐ謝れ!!チョコレートに謝れ、恋とやらに謝れ、世界中に謝れ、そして俺に
命がけで謝れーーーーーーーーーー!!!!!」
「や……だっ、神田ってばジェラシー!?」
ふざけた冗談をほざいたに神田は本気でブチキレたが、それより早く冷静な声で言われる。
「わかった。わかったから、とにかく食べてよ」
「………………」
「お願い。友達をたすけると思って」
「…………食えってか?あの糞コロガシの力作を?」
「…………神田の頭も私の力作にしてあげようか?」
いい加減、あまりの言われように腹を立てたのか、が睨みつけてきた。
まずい、本気だこのバカ女。
は据わった目で鼻歌を歌いだす。
「アフロがいいかな〜、それともモヒカン〜、やっぱりアイドル神田は落ち武者ヘアーでラララララ〜」
「…………っ」
「折れた矢もつけてあげましょ、力作!斬新ヘアーアレンジ〜!!」
「あぁもうわかった!食えばいいんだろ、食えば!!」
このバカなら本当にやりかねないと判断して、神田はヤケになったように叫んだ。
その瞬間は顔を輝かせ、青年の首に勢いよく抱きつく。
「さっすが神田!最高だー!!」
「脅しといてふざけたことぬかすな、離せ!!」
神田は遠慮なくその華奢な体を引き剥がして、どさりと椅子に腰掛けた。
何故だかアレンがこちらを睨んでいたが、それよりも自分の命の方が大切なので、無視して白い皿を
見下ろす。
その上に鎮座した、黒い塊。
しかも妙にデカイ。
放たれる異臭に顔をしかめながらも、神田はフォークでそれを口に運んだ。
ぱくり。
「……………………」
妙な沈黙の後、どきどきしているに、神田は低く訊いた。
「…………おい、これ何入れた?」
「え。なんかその辺にあった粉」
「…………俺の味覚が変じゃなければ、これは甘くない。むしろ辛い」
「ああ、若干そういうのも混ざってる」
「ジェリー!!!」
のあり得ない返答に、神田は食堂の責任者を大声で呼んだ。
黒の教団で料理を作るとなると、ここの厨房しかないのだ。
つまり、この生産のブツはジェリーの監督のもとで作られたことになる。
「こんな食物の底面にも置けねぇもんを何で作らせた!!!」
全力で怒鳴る神田に、遠くカウンターの向こうからジェリーは答える。
「じゃあアンタが止めてみなさいよぉ!その子がアタシの言葉を聞くと思う!?」
「思わねぇよ、思うわけねぇけどな!!」
「無理よ、その子の暴走は誰にも止められない!“まずは湯煎して”って教えたら、チョコレートをそのまま
お湯の中にぶち込んだりするんだから、手に負えないわよ!!」
ジェリーの口から語られたの料理秘談を聞いて、神田は目眩をおこした。
食物とも呼べない物を食べさせられたおかげでえらいことになった顔色で、それでも怒鳴る。
「テメェはアホかーーーーーーーー!!!」
「何でよ、チョコをお湯で溶かして、って言われたからそうしたんじゃない!」
「文字通り過ぎるんだよ!!」
「ごめんね、素直な乙女なもので!!」
いい笑顔で立てた親指をグッと突き出してくるに、ラビに引き続いて神田も沈没した。
その様子には数回瞬きをして、それからため息をつく。
「ちぇ……。やっぱりこういう反応かぁ」
「やっぱりってことは、いつもこうなんですね」
ただひとり生き残っていたアレンが普通に言ったから、床の上に横たわったままのラビが死にそうな
声で訊く。
「あれ……?アレン、驚かないんか?」
「が料理下手だってことに?驚きませんよ。むしろ上手だったりしたら死ぬほど驚きます。この
未確認生物にそんな良いどっきりはありえませんからね」
「どうせね!!」
アレンの言葉にムッとしたが、ひったくるようにしてテーブルの上の皿を回収した。
それを見てアレンが目を見張る。
「え?僕は食べなくていいんですか?」
「………………」
今度はが目を見張る番だった。
ラビや神田も驚いたように身を起こしている。
「え……、いや、あの……」
しどろもどろになりながら、が言った。
「た、食べてくれるの……?」
「と言うか、どうして僕には食べさそうとしないんですか」
「だ、だって」
ひとりだけ仲間はずれにされたような気分でアレンが眉を寄せてみせると、は困惑した顔で続けた。
「あんたが食べてくれるとは思えないじゃない……」
「ええまぁ、本心ではものすごく食べたくないですけど」
「ホラ!それに今までにないほどの嫌味を言ってくるに決まってるもの!」
「それは僕が決めることです」
逃げるように身を引くに、アレンはますます眉をひそめた。
試作品すらもらえないなんて、自分はどれだけ嫌われているのだろう。
そもそもが好きな人がいるだの何だの騒ぎ出したときから、ものすごく妙な気分でイライラしている
のにこの仕打ちは許せない。
アレンは問答無用でから皿を奪い取った。
「わ、ちょ、待って!ダメだって!!」
「うるさいです、いただきます!!」
怒ったように言って、アレンは無理やりのチョコレートケーキを一切れ自分の口に放り込んだ。
そして、沈黙。
ラビや神田が沈痛な面持ちで見守る中、アレンは硬直していた。
それから妙に優しい笑顔が満面に広がる。
春の日差しのようなその笑みに、は何だか鳥肌を立てた。
「あ、あの。アレンさん……?」
「………………」
見たことがないまでの異常に優しい微笑で、アレンはを見つめた。
「すごいです」
「え……?」
「ごめん、僕は今まで君をなめてました。君は本当にすごい人だったんですね」
「は?いや、あの、ええ……?」
意味もわからず絶賛されては本気で蒼白になった。
怖い。なんだかアレンがものすごく怖い。
けれど以上に蒼白な顔で、温かな笑みを浮かべたアレンは言う。
「何かを食べて、こんな凄まじい衝撃を受けたのは初めてです」
「………………」
「すごいです、これはもう人間が食べるものじゃないです、って言うか人間が作ったものじゃない」
「…………え、あれ?私、今人間だってこと否定された?」
「あぁ何だか眠くなってきました……。それとももう夢の中かな、マナがお花畑で手を振ってる……」
「どこ行っちゃってるのアレン!まずいから、それはまずいから!今すぐ帰って来ーい!!」
は冷や汗をダラダラ流しながら、必死にアレンを揺すって意識を引き戻そうとした。
焦点の合っていない目で微笑み続ける彼の口に、無理やり水を流し込む。
そして何回か申し訳ない程度にその頬を引っ叩いた。
「ちょ、大丈夫!?ダイジョブ、こら大丈夫って言え!返事しろー!!」
「……っ、ハッ!!」
突然我に返ったように、アレンの体が揺れた。
呆然とした顔でを振り返る。
そして妙に悲し気に呟いた。
「せっかくマナと会えたのに……」
「いやもう、それはごめんね!邪魔しちゃってごめんね!でもたぶん私は正しいからさぁ!!」
「最後にこう言われました。“アレン、自分をないがしろにするな。命は大切にしろ”って……」
「うわーすごく良いこと言われたみたいだけど、微妙にケンカ売られてる気がするのは何故だろうね!!」
は思わず唇を引きつらせたが、それでもアレンが無事生還したことに喜んで、すぐに泣き笑いみたいな
表情になった。
「と、とりあえずよかった!生きててよかった!!」
「いえもう本当にすごかったですよコレ。何が、何があったんですか、どうしてこんな形容不可能なことに……」
アレンは意識が朦朧としているのか、そんなの様子には気がつかずに、自分を命の危機に陥れた
チョコレートケーキを眺めた。
そして微笑して、言った。
「一般的に、料理ですぐ失敗してしまう女性は可愛いって言うじゃないですか。僕は今、気がつきました。
そんなの可愛いわけがない……!!」
「いや待てアレン。ちょっとの失敗は可愛いんさ。ちょっとなら!!」
「モヤシ、現実を見ろ。これは明らかに限界点突破しまくってるだろうが!!」
「……………………」
嫌なところで意気投合しだした男三人に、は沈黙した。
確かに料理の腕に自信はない。
物心ついたころにはもうこちらの住人だったので、そんなものを教わる機会などなかったのだ。
さらに師匠であるグローリアはそんな家庭的なタイプではなかったし。
今までも他の女の子達が手作りのお菓子をたくさんくれるから、自分で作ろうと思ったこともなかったし。
わかっている。自分が悪いのだ。
料理が殺人的に下手な自分がいけないのだ。
けれど、
「そこまで言うことないじゃない!!!」
は全力で怒鳴りながらテーブルをぶん殴った。
その威力があまりにもすごかったので、テーブルは真っ二つに割れ、木屑を撒き散らしながら床に落ちた。
ぎょっとして振り返ったアレン、神田、ラビをにらみつけては言う。
「何なの!せっかく今年は好きな人にチョコレートを渡そうと思って、一生懸命がんばったのに!何よその
ひどい言い草!もういい、ごめんねマズイもの食べさせちゃって!!」
「あー……やばい。キレちまったさ」
「おい、何とかしろ。このままだと手に負えなくなる」
「いえ、もうすでに無理って言うか、何でふたりとも僕の背を押し出してるんですか!?」
非情なラビと神田に背中をぐいぐい押されて、アレンはいきりたつの前に突き出された。
アレンは凄まじい怨念の瞳でふたりを振り返る。
すると前方から小さな呟きが聞こえてきた。
「本当に感想を聞きたかった相手が臨死体験だもの。笑えないよ……」
「え……?」
アレンが驚いてを見ると、彼女は真っ直ぐにこちらを見上げてきた。
そして力強く宣言する。
「これはあんた達からの挑戦とみなした!」
「はぁ?」
「死ぬほどおいしいチョコレートを作って、絶対好きな人のハートをぶち抜いてやるんだから!!」
それだけ言うと、は颯爽と身を翻した。
ずかずかと乱暴な足取りで厨房へと向かっていく。
そこではジェリーを除く料理人達が避難を開始していた。
「な、何ですか、あれ……」
アレンが呆然と呟くと、その視線の先でが唐突にユーターンした。
そして一直線にアレンのもとへと戻ってくる。
意味不明な行動をするに、アレンは眉を下げた。
「今度は何……」
「……………………」
はむくれた顔で団服の襟首をほどき、首の後ろで何かを外した。
そしてそれをズイッ、とアレンに突きつけた。
「持ってて」
「はい?」
「料理するときはアクセサリー禁止なの」
アレンが見張った目で捕らえたのは、薄紅の石のペンダントだった。
食堂の照明の下でキラキラと輝いている。
何だかすごく見覚えのあるそれは、数ヶ月前にアレンがにプレゼントしたものだった。
ペンダントをアレンに手渡しながらは言う。
「失くしたら嫌だから、よろしくね」
「……………………」
アレンが顔をあげたとき、再びは駆け出していた。
腕をまくりつつ、勇ましい様子で厨房に乗り込んでいく。
お願いだから調理器具を破壊しないでね、と懇願するジェリーの叫びが響いていた。
「本当に何なんだ……」
アレンはわけがわからなくて瞬いた。
すると肩に重みを感じた。
振り返るとラビの片腕が乗っかっている。
彼はしげしげとアレンの掌、そこに握られたのペンダントを眺めた。
「なぁ、それってアイツがクリスマスからずっとつけてるやつだろ?」
「ずっと……?」
それは知らなかったので、アレンは思わず目を見張ってしまった。
そうしてほしいとは言ったが、普段は団服に隠れていて本当に身につけていてくれているかどうかはわからな
かったのだ。
ましてやはこういう物に無頓着だから、すぐに忘れてしまわれても不思議はないと思っていた。
「そっか、ずっと……」
思わず口元をゆるめたアレンを、ラビが半眼でにらみつけた。
「やっぱりアレンがあげたヤツだったんさ……。の奴、誰にもらったか言わねぇんだもん」
「………………」
「それで?どういう風の吹き回しさ?」
「………………何のことです」
「だっておかしいだろ。いっつも喧嘩してる相手に、そんなものあげるだなんて」
一番訊かれたくないことを言われて、アレンはラビから顔を背けた。
そんなこと、自分でもよくわからないのに、答えられるわけがない。
「……別に。深い意味はありません」
「ふーん……?」
ラビが至近距離で検分するように眺めてくるので、アレンは思わず口を開いた。
「た、誕生日にあげるつもりだったんです!」
「誕生日?」
「日頃のお礼って言うか!激しく不本意だけどあの人に救われた部分がちょっと、かなりかな……、あるから!
何かあげようかなって……」
「ふんふん、それで?」
「任務の時にリナリーの買い物に付き合ったんです。その時に見つけて……、でもよく考えたらって
誕生日わからないじゃないですか」
「あー……アイツはな。うん。そういうこと他人に言っちゃいけねぇから」
「だからクリスマスにあげたんです。それだけ!」
「ふーん。へーえ」
苦しまぎれのアレンの言葉を聞いて、ラビは含みをもった相づちをうった。
当然アレンはムッとして何か言おうとしたが、それより先にラビが動いた。
アレンの掌で光る薄紅の石を奪おうと、手を伸ばす。
その瞬間、アレンは素早く身を引いて、ペンダントをポケットの中に入れてしまった。
まるで大切なものを隠すかのように。
咄嗟の行動だったのでアレンはしまった、と思ったが時はすでに遅い。
ラビは満足そうに笑ってアレンを指差した。
「アレン。そのペンダントの石がなんていうか、知ってるさ?」
「……ローズクォーツでしょう。お店の人に聞きました」
「そうそう。それで、その石の意味は」
「知りません……」
顔をしかめるアレンの眼前で、ラビはいたずらっぽく微笑んでみせた。
「素直な心、真実の愛」
「………………」
「っていう意味らしいぜ。前に本で読んだことあるさ」
「……………………………」
「あれー?なんか顔が赤いさ、アレン」
「…………っ!!」
にやにや笑って頬を突いてくるラビの手を、アレンは思い切り振り払った。
どうしてそんな乱暴なことをしてしまったのかなんて、考えたくもない。
「知りませんよそんなこと!ただの偶然でしょう!?」
「うーん。まぁ、そういうことにしておいてやってもいいさ」
頬を染めたアレンを軽く受け流して、ラビは背後を親指で指し示した。
「なんかユウが怖いし」
「モヤシの趣味の悪さに驚いただけだ」
そう訂正する神田の声は、恐ろしく低い。
振り返って見ると、彼はアレンをきつく睨みつけていた。
「あのバカ女を気に入るとは、テメェもそうとう異常だな」
「な……っ、違……!」
「どうでもいいが、妙なマネだけはするなよ。あいつが騒ぐと俺にまでとばっちりがくる」
「だ……、から!違いますって!!」
アレンは必死に否定したが、神田は聞かずに踵を返してしまった。
そしてひどく不機嫌そうに食堂から去って行った。
「あーあ。ユウ的には娘を取られたような感じなんかなー」
まぁ気持ちはわからんでもないけど、と続けるラビにアレンは眉を寄せて目を閉じた。
「だから……っ!そんなんじゃありませんってば!!」
うなるようにそう言うと、ラビはぺしぺしとアレンの頭を撫でた。
「まぁまぁ。それよりさ、の好きな人ってアレンなんじゃねぇの?」
「………………………………は?」
突然言われた言葉にアレンはつい先刻までの怒りも忘れて、ぽかんと口を開けてしまった。
少々マヌケな表情で、ラビを凝視する。
ラビはそんなアレンに平然と告げた。
「だってアイツ“今年は”って言ってただろ?これってつい最近好きな人が出来たみたいな言い方さ」
「……………………」
「それに、本当にチョコの感想を聞きたかったのはアレンだけだったみたいだし」
「……………………でも、最初は食べるなって」
「これから本命を渡す相手に、わざわざ試作品を食べさせるバカもいないだろ」
そこまで聞いて、アレンは本気で硬直した。
頭が混乱している。
まずい。ここまで脳みそが使い物にならなくなったのは初めてだ。
どうしようもなくて、アレンは呆然と笑った。
「…………………………………………………………まさか」
「ま、どうなるかはわかんないけどな」
言うだけ言って、ラビはにやりとした。
「いやーなんかおもしろいことになりそうさ!」
そうして棒立ちになったアレンを置き去りにして、ラビはるんるんと食堂から出て行った。
「ええ…………?」
ひとり取り残されたアレンは本当に何も考えられなくなって、思わず近くにあった椅子へとへたり込んだ。
瞬きも忘れて虚空を見つめる。
まさかまさかまさか。
頭を巡るのはそれだけで、気分が落ち着かなくて仕方がない。
厨房から響いてくる破壊音との声。
それが妙に恨めしかったのは気のせいだと思いたかった。
いつものノリのバレンタイン夢です。
少しでも甘くしようと、バレンタインらしく恋の話にしてみました。
さて、ヒロインの好きな人はいったい誰なのか!(笑)
よろしければ続きでお確かめください。
本筋にはあまり関係ありませんが、オリキャラも出ますのでご注意を。
ちなみにヒロインの料理の腕は相当ひどいです。超デンジャラスです。
アレン達が死ななかったのはエクソシストだからです。頑丈で、丈夫だからです。(よかったね!)
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