段階的な期待と落胆。
彼女はどこまで僕を振りまわせば気がすむんだろう。
● St. Valentine’s Day 2 ●
「何をしてるんですか」
唐突に頭上から降ってきたのは呆れたような声だった。
いや実際、心底呆れているんだと思う。
そしては、うわー嫌な奴に見られちゃったよ!と思う。
それでも無視することは(後が怖いから)できないので、はゆっくり顔をあげた。
見えたのは予想と寸分も違わない、アレンの嫌そうな表情だった。
「何をしてるんですか」
こちらが何か言う前に、もう一度同じことを訊かれた。
何だろうコイツ。前フリもなしにいきなり本題とはどういうことだ。
このご時勢、他人とのコミュ二ケーションはとても大切だというのにこの態度はいけない。
時代の最先端を突っ走ることが目標のとしては、流すことの出来ない緊急事態である。
「あーさっきぶりだねアレン。どうしたの、こんなところで」
「質問に答えてください」
「今は食事の時間じゃないから厨房に来ても何もないよ」
「ちょっと」
「あ、もしかしてジェリー料理長に何か用事?」
「人の話を聞いてますか」
「ごめんね、料理長はちょっと掃除道具を取りに行ってくれているところで」
「………………………………そんなに僕の質問に答えたくないんですか、君は」
「いやいや私はただ前フリもなしにこの状況を説明できるほど寛大じゃないってゆーか」
「…………………」
「………………誤魔化したかったんです、ごめんなさい」
は床にへたりこんだ姿勢のまま、がくりとうなだれた。
泡だらけの雑巾を置いて、両手をエプロンでぬぐう。
そのエプロンは妙にフリフリしたレースのもので、かっぽう着を持参してやってきたに「乙女がなんた
るかをわかってない!」とブチキレたジェリーが無理やり着せたものだった。
当然にしてみれば不服で仕方がない。
かっぽう着に三角巾のほうが動きやすいのに。
しかし今はそれより、目の前の天敵をどう処理するかの方が重要である。
「あの、すごく見下されてる感があるんだけどー……」
「気にしないでください」
「バカにしてるでしょ!今、私のこと全力でバカにしてるでしょ!?」
「安心してください。僕は君を馬鹿にしてるんじゃありません。馬鹿だと思ってるんです」
「そっかそっかー。バカにしてるんじゃなくて、バカだと思ってるんだ……って余計に悪いわー!!」
は怒りに吠えたが、アレンはさらりと流して再び訊いた。
「それで?今度は何をやらかしたんです」
「……………………なんで私がやったって決め付けるかな」
「君以外にこんな破壊活動をする人がいますか、いいえいません」
「反語!?」
高度な切り返しをされては思わずうなった。
くそぅ、敵はかなりの実力者のようだ。知ってたけど。
は何か反論してやりたかったが、確かにアレンの指摘通り、厨房は凄まじいことになっていた。
木っ端微塵に破壊された調理器具に、激しい焦げ跡、床にぶちまけられたチョコレートの残骸と、それを
処理する洗剤の泡。
まるで嵐が通り過ぎたかのような、悲惨な惨状だった。
「えーっと……。、ここで何をしてたんでしたっけ?」
「……チョコレート作り」
「それで、どうしてこんなとんでもない事態になるんですか」
「愛とは凄まじいものなのです!」
「うわー、すっごく殴り倒したくなるような返答ですね!」
真剣に答えたのにアレンが恐ろしい笑顔になったので、は慌てて雑巾を持ち直した。
せっせと厨房の床掃除に戻る。
その金髪をアレンはまだ見下ろしている。
「何でここまでひどいことになるんだか……」
「すぐ片付けるってば。ホラ見てよここの床!超ピッカピカ!!」
「……僕の足元はまだチョコレートまみれですが」
「そこは今からするの、いちいち突っ込まない!そして滑ったら危ないからそこどいて!!」
が足元に突撃してきたのでアレンはそこから飛び退いた。
ちぇ、身軽なやつ。ちょっとだけくらわせてやろうと思ってたのに。ほんのちょっとだけ。
の不満が伝わったのか、アレンは顔をしかめた。
「何なんですか一体」
「別に。それより何しに来たの」
「別に。何もしに来てません」
「は……?」
意味がわからなくては盛大に眉をひそめた。
あのアレンが用事もないのに自分のもとに来るだなんて、あり得ない。
物理法則的にも、宇宙の神秘的にも、絶対に起こりえない異常現象である。
というか、そんなことは例え神様が認めても、この私が許さない。なんか怖いから。
「どうしたのアレン。なにかあった?」
「……別に」
ちょっと真剣に心配になってが言うと、アレンは厨房の入り口にもたれてうつむいた。
伏せられた瞼が少し赤い気がする。
何だどうした、風邪でも引いたか。
彼は妙に居心地悪そうに、片足をぶらぶらさせた。
「ちょっと……、気になって」
「何が」
「……………………」
「やだ何、本当にどうしたの?暇すぎて死にそうとかそんな感じ?私をいじめて気を晴らすつもり?新種の
乙女虐待でも思いついたわけ?」
「………………………………どうしてそういうことになるのかな、君の思考は」
本当に理解できないと腹立たしげに嘆いて、アレンはをにらみつけた。
はそれを見つめ返す。
「だって、あんたが私に言いよどむだなんて変じゃない。いつも何でもズバズバ言ってくるくせに」
「…………僕にだって、こういうときもあります」
「あ、そ。じゃあ気長に待ってるんで、言えるようになったら声かけてね。私はここで掃除してるから」
は意識して普段と同じ声でそう告げた。
少しでもアレンが言いやすくなればいいな、と思って。
だって何だかこんなのはむずかゆい。
いつもと違う自分達なんて、変な感じだ。
けれどアレンの憂いを帯びた独り言が、それをぶち壊した。
「に気遣われるなんて、末期かもしれないな……」
「あんたやっぱりケンカ売りに来たんでしょー!?」
は思わず跳ねるように立ち上がって、アレンに掴みかかろうと手を伸ばした。
彼はそれを軽く避けて、反撃を繰り出そうとしたが、その瞳がふいに大きく見開かれる。
唐突にアレンの手がの両手首を掴んだ。
そのままぐいっと引き寄せられる。
それがあまりに強い力だったので、は驚いて声をあげた。
「う、わ!ちょっと、何……!?」
「馬鹿!!」
戸惑うをアレンは容赦なく怒鳴りつけた。
その瞳は本気で怒りに染まっていたから、は言葉をなくして瞬く。
アレンは力づくでの袖をめくり上げた。
「火傷してるじゃないですか!!」
言われて自分の両腕を見下ろすと、確かに先刻負ってしまった火傷が見えた。
白い肌がただれて赤く腫れあがっている。
調理中は腕まくりをしていたため、直接熱が皮膚に触れてしまったのだ。
「平気だって。たいして痛くないし」
「この……っ、馬鹿!!」
「ちょっと人をバカバカ言わないで……」
「火傷は早く手当てしないと跡が残るんですよ!!」
「知ってるけど、そんなの別に」
「あぁもう!いいから来てください!!」
アレンは問答無用でを引っ張って歩き出した。
いや、歩くというよりはほとんど走っている。
食堂を一気に突っ切って、廊下に飛び出す。
そこで掃除道具を持って帰ってきたジェリーと鉢合わせになったから、アレンはひどく早口に言った。
「ジェリーさん、ちょっとこの馬鹿を医療室まで連行してきます!厨房お願いしますね!!」
「え、は、アレンくん?ちゃんがどうかしたの?」
戸惑うジェリーを見て、は掴んでくるアレンの手を引っ張った。
「アレン、私まだ片づけが」
「うるさいそんなの却下です、早く!!」
そのままはアレンに手を引かれて走り出した。
それはほとんど全力疾走といえるほどのスピードだったので、は悲鳴をあげる。
「ちょ……っ、待っ、速い速い速い転ぶって!周りの景色が走馬灯のようだよギャー!!」
そして医療室に着くころには、二人とも盛大に息を切らしていたのだった。
「うーん。なんて言うかさぁ、君ってさぁ」
の目の前に座った茶色い髪の男は淡々と言い、そしてやはり抑揚もなく続けた。
「馬鹿だよね」
「馬鹿ですよね!」
間髪入れずにアレンは同意の声をあげた。
茶髪の男はどこかぼんやりとした(いや、いつもこうなのだが)目でアレンを見、それからを見た。
場所は黒の教団、医療室。
白く清潔なその空間の一角で、白衣に身を包んだ男は椅子に腰掛、向かいに座っているの腕に
包帯を巻いていた。
彼は医療班の班長で、名をラスティ・デフォンという。
長身痩躯で茶色い猫毛、いつも気だるそうな表情が特徴的な彼は、医療室に担ぎこまれることの多い
アレンとの面倒をよく見てくれる人間のひとりだ。
やや面倒くさそうにではあるが。
相変わらず無表情で、の火傷を手当てしながらラスティは言う。
「うん、本当に馬鹿なんだと思うよ。何で任務でもないのに怪我なんてするのかな。なに?俺への嫌がらせ?
あーもうすっごくダルイなぁ、面倒だなぁ」
「ごーめーんーね!ちょっと乙女の事情があったんです」
いつも通りのラスティの言葉に、は怒ったように答えた。
口元は笑っていたが。
どうやらこの二人は付き合いが長いらしい。
「乙女の事情……。うん、すっごく興味ないや。言わなくていいからね。聞きたくないからね」
「仕方ない、そこまで言うなら語ってあげよう!それは遡ること今日の朝……」
「いらないって言ってるのに言葉が通じないなぁ。明らかに俺には関係ない話でしょ、ソレ」
「ラスティ班長にも私の素晴らしい功績を称えてもらおうかな、って」
「君の頭の悪さなら称えてあげてもいいよ。はい、次そっちの腕」
淡々とをかわしてラスティは促した。
は素直にもう片方の腕を差し出し、笑顔になる。
「なんか、手当てされてる時にラスティ班長と喋るの久しぶりだよね」
「そうだね。君はいつも馬鹿みたいに大怪我して、アホ面で失神してるからね」
「そんなこと言ったって、いつも綺麗に治療してくれるくせに。感謝してます大好きだ!」
にこやかに言うをラスティは目を細めてしばらく眺めて、その隣に当然のように寄り添っているアレンを
見上げた。
彼は険のある目つきでを睨んでいた。
何となくラスティはため息をつく。
「……あまりそういうことは気楽に言わない方がいいと思うよ。君」
「え、何で」
「アレン君に訊いてみたら?」
はきょとんとしてアレンを仰ぎ、アレンは驚いたようにラスティを見た。
「なんでアレン?」
「なんで僕なんですか?」
「え。なに、二人ともボケなの?俺が突っ込まなきゃいけないの?わぁめんどくさーい。と言うわけで流すね。
ハイ俺も大好き、愛してるよー」
「超棒読み!!」
「ともかくアレン君にお礼を言いなさい」
ラスティは少しだけ口調を変えて、包帯を巻き終えたの腕をぽんと叩いた。
は微かな痛みに肩を揺らす。
「この程度ですんだのは彼のおかげ。あのまま放っておいたらもっと腫れただろうし、跡も残っていたよ」
ラスティは少し責めるような口調だった。
それはがそのことを知っていて、それでもなお自分からは手当てを必要としなかったからだろう。
アレンも不機嫌そうに口を開く。
「跡が残ってもいいだなんてよく言えますね。どこまで自分に無頓着なんですか。自称とはいえ、乙女のくせに」
「……別に。困らないし」
「っ、馬鹿じゃないですか!?」
思わず怒鳴りつけると、は膝の上できつく拳を握った。
「そうだよバカだよ、知ってるくせにゴメンね、ありがとう!!」
うつむいたまま一息に告げられる。
アレンは咄嗟に言い返そうとして、彼女の最後のほうの言葉に気がついて、瞠目した。
そんなアレンをは勢いよく見上げた。
怒ったような顔をしていたが、そうではないことを赤くなった耳が知らせていた。
「バカでごめんね、ありがとう」
「………………」
アレンが思わず押し黙ると、は唐突に立ち上がった。
何だか慌てているような乱暴なような動作で、普通にこちらを眺めているラスティに頭をさげる。
「手当てをどうもです、お騒がせしましたぁ!」
「…………ちょ、!」
そのままは逃げるように医療室を飛び出していったから、アレンは急いで後を追う。
出入り口のところでラスティを振り返る。
「ありがとうございました。失礼します!」
超特急でやって来て、超特急で去っていった変な二人組みを見送って、ラスティは珍しく小さな笑みを
浮かべた。
「……二人とも馬鹿だなぁ」
ほんの少し素直になるだけで、きっともっと幸せになれるのに。
ま、そのために若者は苦労するべきだけど。
ラスティは20代とは思えないことを呟いて、それからそそくさと近くにあるベッドに向かった。
勤務時間を無視してシーツに潜り込む。
それは仕事をサボりたいとかじゃなくて、純粋に昼寝がしたかったからだった。
「ちょっと!待ってくださいよ!!」
大声で呼びかけてもは足を止めてくれなかった。
何だか早足でずんずん前に進んでいく。
金髪を流して歩くその姿は、傍目には怒っているようにしか見えなかった。
アレンは少し離れてその後を追う。
本部の長い廊下で妙な追いかけっこが展開されていた。
「待てって言ってるんです。無視しないでください」
「ごめん私、忙しいから。厨房に戻って片付けの続きしないと」
「それでも少しぐらい時間はあるでしょう」
「ない。悪いけどそんなのは皆無。ごめんね。後でね」
「じゃあ片付けを手伝います。それなら……」
アレンは何となくの動向が気になって仕方がないので、そう申し出た。
しかしそれを言い終える前に、口を閉じる。
がものすごい勢いで振り返ってきたからだ。
アレンは思わず足を止めた。
は頬を染めて、今にも怒り出しそうな泣き出しそうな、変な顔をしていた。
「……?」
真剣に驚いてアレンが呼ぶと、はハッとしたように顔を前に戻した。
「いい。手伝いはいらない。ひとりでやる」
「……………………」
「それに厨房は女の戦場なんだから!絶対に入って来たらダメ!!」
またずんずん歩き出しながら、は強い調子でアレンに言う。
どうやら本気で厨房に来て欲しくないようだ。
背を向けていてもわかるくらい、彼女は一生懸命な様子だった。
アレンはそんなに困惑すると同時にラビの言葉を思い出して、何とも言えない気分になった。
落ち着かなくて仕方がない。
どうしようもないから、アレンは前を行くの手を掴んだ。
「待って」
は猫のようにびくりとして、咄嗟に手を引き戻そうとしたが、アレンはそれを許さなかった。
強く掴んで引き寄せる。
よろめいたの肩が、アレンの胸にぶつかった。
「ちょっと、私忙しいんだってば……!」
「誰ですか」
アレンはほとんど頭で考えることなく喋っていた。
だって気になって気になって、このままだと何も手につきそうにない。
アレンは金の頭を見下ろして、訊いた。
「君の好きな人って誰なんですか」
「………………」
は驚いたように身を固くした。
それからアレンを見上げる。
見開かれた金の瞳と、真剣な銀の瞳がぶつかった。
は先刻までの挙動不審が嘘のように、軽く首を傾けた。
「知りたいの?」
「……一応。仲間ですし」
嘘だ。
そんなのは言い訳でしかない。
わずかに目線を逸らしたアレンを眺めて、は普通に言った。
「へぇ。でも内緒」
「……何ですか、それ」
「すぐにわかるよ」
意味不明なことを言ってはするりとアレンの傍から離れた。
ふたりの間に距離が出来る。
はそのまま歩き出そうとしたが、アレンはいまだにその手を掴んでいた。
「おーいアレンさん。私忙しいんだよー、早く片付けてチョコをつくらないと」
「……どうして」
何だか頭が混乱していて、アレンはの手を離せなかった。
過剰に避けてきたと思ったら、好きな人の話をふっても平然としている。
意味がわからない。
「……そんなに」
「え?」
「火傷しても気にならないくらい好きなんですか」
何だか悔しくなってきた。
彼女の言動に振り回されて、期待したり落ち込んだりするのは何とも腹立たしい。
どうしては、いつもいつも自分の意識を捕らえて離してくれないんだろう。
「そんなに一生懸命になるくらい、その人のことが好きなんですか」
低く訊くとアレンの気なんて知りもしないで、の頬が薔薇色に染まった。
照れている。
ものすごく恥らっている。
普段からは想像もできないそんな彼女の様子に、アレンは思わず鳥肌を立ててしまった。
「ちょ……、何か気持ち悪いです。いきなり女の子にならないでください」
「え、何それ。私は産まれたときから女だよ!」
「いや、それにしたって……。そ、そんなに好きなんですか……?」
もう一度恐る恐る訊くと、は微笑んだ。
それは意識してそうしたわけではなく、勝手に口元が緩んでしまったようだった。
ほころんだ花色の唇に、朱に染まった両頬。
照れてわずかに逸らされた瞳は、少しだけ潤んでキラキラ光っている。
見たことがないほど可愛らしい様子で、が言った。
「え、えーっと。うん。好きなの」
「………………」
「たくさんのものを私にくれたんだ。とっても大切な人」
「…………………………」
「チョコレート、喜んでくれるといいんだけどなぁって何すんの痛い痛い痛いいいいいいいい!!!!」
が唐突に悲鳴をあげたので、アレンはハッと我に返った。
そして視線を動かして驚く。
無意識のうちに自分の左手が、の頬を思い切りつねりあげていたのだ。
「あ、すみません。何だかあまりにも幸せそうだったんで……」
「いいいいいいいいいからはにゃしてーーーーーーーーー!!(いいから離してー!)」
「ええ?でも離したらまたあのふぬけた顔をするんでしょう。やめてくださいよ腹立たしい」
「おみゃいこそひゃめれーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!(オマエこそ止めろー!)」
何だか止まらなくて右手でも頬をつねり出したアレンに、は本気で抵抗した。
アレンの手首を掴んで引き剥がそうとするが、力の差は歴然でびくともしない。
は半泣きになりながら最終手段に出た。
つまり下から連続三段蹴りを繰り出したのだ。
「わ、っと」
アレンは少し驚いた顔で後ろに飛び退がり、その攻撃を避けた。
はすぐさまアレンから距離を取り、真っ赤になった両頬を押さえる。
「なんてことするの、本気で痛かったって!」
「ごめん、君の幸せそうな顔見てると何だか無性に頬をつねってやりたくなったんです」
何とも不機嫌そうに言うアレンに、は涙目のまま無理やり笑顔を浮かべた。
「へー、そうなんだ!うん怒ってないよ全然怒ってないよ、とりあえず10回くらい殴らせろ!!」
「嫌です」
「キッパリ拒否だ!!」
は怒ってまだ何かを叫んでいたが、アレンは無視してため息をついた。
悔しいのを通り越して、何だか意味もなく落ち込んできたのだ。
重くなった心では、まともにの顔も見れなかった。
「…………ごめん」
「アレン?」
もう一度だけ謝って、アレンは身を翻した。
驚いたようなの声を置き去りにして、歩き出す。
「ちょ、ねぇ、アレン!」
「いいから君は厨房に戻ってください」
口から出た自分の声は普段よりもずっと硬かったので、胸が痛んだ。
おそらくは、意味もわからず自分に冷たくされたと思うだろう。
わけもなく傷つけるなんて、最低だ。
けれど自分ではどうにもできなかった。
「僕なんかに構ってる暇はないんでしょう」
「……何それ」
予想通りは低く答えた。
「相変わらずアレンは意味がわからない。どうしてそうも急に態度が悪くなるのかな。私はあんたのそーゆー
不機嫌そうな顔が大嫌いよ」
歩き去るアレンの背を、の声が追う。
彼女は一度息を吐いて、それから言った。
「でも、それも今のうちだけ」
そこでは笑ったようだった。
ひどく楽しそうに、強気な口調で言い放つ。
「すぐに嬉しくてどうしようもなくさせてやるんだから!」
アレンは思わず振り返った。
見張った目が捕らえたのは、なびきながら翻る、長い金髪。
は踵を返すと、アレンに背を向けて元気よく駆け出した。
「せいぜい喜びにむせび泣く準備でもしておくことね!」
まるで悪に徹しきれない微妙な悪役みたいな捨て台詞を残して、はアレンの前から去って行った。
長い廊下にひとり残されたアレンは、しばらくその場に硬直していたが、唐突に自分も走り出す。
もちろんとは逆方向に。
そこには特に、理由はなかった。
ただどうしようもなく胸がざわめいて、じっとしていられなかったのだ。
「………………ってに言われたんですけど、どういう意味なんですか!?」
談話室の一角、広々とした大きなソファー。
そこに座ってアレンは勢いよく尋ねた。
その大声に、クッションを抱きかかえて向かいに腰掛けていたラビは顔をしかめる。
「い、いやぁー、オレに訊かれてもなぁ……」
「何ですか。普段は自慢げに“の親友さー”とか言ってるくせに、肝心なところでそれですか」
「な、何さ!その責めるような目つきは!!」
「いえ別に。この役立たず!!なんて思ってませんよ?えぇちっとも」
「思ってるさ、絶対思ってるさ、つーかむしろ言ってる!!」
「あぁもう、何なんだ一体!!」
「いやそれオレの台詞だと思う……」
ラビは冷や汗をかきながら呟いて、目の前でうんうん呻っているアレンを眺めた。
その視線に呆れの成分が大量に含まれているのは、仕方のないことだろう。
思わず半眼になりながら、ラビはこうなった経緯をぼんやりと思い出した。
うららかな午後。
が構ってくれず、神田にも放置されたラビは、談話室で雑誌を読んでいた。
片手間に食べるのは本日の戦利品、チョコレートだ。
もちろん生産のまがい物ではなく、女の子達の熱いハートがこもった美味しいほうをである。
あーチョコってこういう味だった!と妙に感動しながら、その辺にあった雑誌を読みつつゴロゴロと寝転がって
いたのだが。
唐突に凄まじいスピードで誰かがその空間に走りこんできた。
ラビは驚いて身を起こし、そのまま談話室を通過していく人物に目を見張った。
「ア、 アレン?どうしたんさ、そんなに慌てて」
思わず声をかけてしまったところでラビはしまった、と思った。
振り返ったアレンがなんとも恐ろしい形相をしていたからだ。
血走ったような双眸に、妙に据わった目つき。
頬は真っ赤で口元が引きつり、何だか今にも暴れ出しそうな雰囲気だった。
こ、怖……!
ラビは咄嗟に片手をあげて、とりあえず笑った。
「あーゴメン!なんか声かけちゃマズかったみたいさ、うん!気にしないでどうぞ通過を!!」
「……………………………………ラビ」
慌てて恐怖を回避しようとするラビを、アレンは地獄の底を這うような声で呼んだ。
ラビは思わず悲鳴をあげてソファーの背にへばりつく。
雑誌がバサリと音をたてて床に落ちた。
アレンはそれには目もくれず、ラビをひたりとにらみつけると、猛烈な勢いで距離を詰めた。
この時点でラビはもう半泣きだった。
本当は号泣しながら逃げ出したかったのだが、体が硬直していうことをきかなかったのである。
「ラビ!」
「ひい!わかったわかったオレが悪かったですゴメンナサイすんません!!!」
「どうしよう……!!」
「オレが悪かったって言ったじゃん、言ってんじゃん、頼むから命だけは許してくれさーーーーーーーーー!!!
って、は……?」
全力で叫んでいたラビは、そこでぽかんとアレンを見上げた。
その辺にあったもので自分の身を隠そうとがんばっているマヌケな姿のまま、目の前の少年を凝視する。
彼は何だか子供みたいな顔で、頬を真っ赤にして、目を潤ませていた。
はけ口がなくて爆発しそうな自分の感情を、必死に押さえ込んでいるようだ。
アレンはラビの胸元を強く掴むと、心底困惑した様子で叫んだ。
「に変なこと言われたんですけど、どうしよう!!」
そこから永遠との言った“変なこと”を聞かされ続けて、はや3時間。
ラビはいい加減うんざりしてきてうなだれた。
するとすぐさま声が飛ぶ。
「ちょっと聞いてるんですかラビ。僕がこんなに悩んでるっていうのに!」
「聞いてる。聞きまくってる。オマエ自覚ないかもしんねぇけど、今のでその話78回目だから」
「嘘つかないでください、そんなに言ってません」
「“私はあんたのそーゆー不機嫌そうな顔が大嫌いよ。でもそれも今のうちだけ。すぐに嬉しくてどうしようもなく
させてやるんだから!”」
「………………………」
「“せいぜい喜びにむせび泣く準備でもしておくことね!”……オレ記録するのがクセだって言っただろ」
「…………………………ラビがの真似すると、本気で気持ち悪いですね」
「そのわりには顔が赤いさ。なに?思い出しちゃった?」
「………………っ、だからその言葉の意味を聞いてるんです!とっとと答えてください!!」
こんな様子でアレンはラビに、の言葉の真意を聞き続けているのだ。
その間顔を赤くしたり、頭を抱え込んだり、虚空をにらみつけて固まったり、突然クッションを投げつけてきたりと
挙動不審この上ない。
ラビは本日何度目かわからないため息をついた。
「この返事も78回目だけど。オレはじゃねぇから、そんなこと聞かれてもわかんないさ」
「………………しんゆう、っていうのは?」
「もーオレだって傷ついてるんだって!なんで言ってくれなかったんさ!アレンのことが好きだって!!」
「す、好きなんですか……!?」
「そうとしか思えねぇだろ!なに!?わかってて言ってんのか、言わせてんのか!?」
「すき……」
「頬を染めるな、このハート泥棒!!」
かぁっと顔を赤くしたアレンに、ラビは思わずクッションを投げつけてしまった。
そんな命知らずなことをしてしまうほど、今のアレンは何だかムカつくのだ。
「あーなんかおもしろいことになると思ったのになぁ。盛大にオマエらいじって遊んでやろうと思ってたのになぁ。
なんっか腹立つ!よりアレンのほうが恋する乙女みたいで腹立つ!そしてその相談に乗らなきゃなら
ないオレのポジションが一番腹立つー!!」
ラビはソファーに倒れこんで苛立ちにジタバタ暴れ出した。
友人同士の恋愛すったもんだほどややこしいものはない。
そしてこれ以上に見ていて恥ずかしいものなどない。
あぁもうオレって可哀想!
「しかも相談というより一方的に話を聞かされてるだけだし……。それも強制だし……」
「すき……」
「おいコラいつまで意識飛ばしてるんさ、帰って来い!!」
いまだに呆然としたままのアレンに、ラビは今度は雑誌を投げつけた。
資料・書物を大切にするべきブックマンにあるまじき行為だが、が買ってきた“健康第一!〜女の子の
口説きかた〜”とかいうわけのわからない雑誌などでよしとする。
きっとパンダジジィだって許してくれるはずだ。
そしてアレンはそれを見事に顔面で受けた。
普段の彼なら余裕でかわせる攻撃である。
ソファーに沈没したその姿を眺めながら、ラビは嘆息した。
「こりゃ重症さー……」
手のつけようがない。
このまま放っておいたら爆発死するんじゃないかと思うほど、アレンはいっぱいいっぱいなのだ。
ラビは何だか頭痛を感じて、バンダナの上から額を押さえた。
「おい、アレン」
「…………………………」
「おいってば!!」
「……………………………………何ですか」
ソファーの上に屍のように横たわったアレンから、今にも死にそうな声が漏れてくる。
伏せられた顔をさらに両腕で隠そうとしていたが、耳や首筋まで真っ赤になっているのであまり意味はない。
彼の綺麗な白髪が、さらにその赤さを際立たせた。
「いいかげん話を進めようぜ」
ラビは妙に神妙に言った。
3時間永遠と堂々巡りをして、ようやく本題だ。
「はたぶん間違いなく、オマエのことが好きだ」
ハッキリと言葉にすると、アレンの肩が微かに揺れた。
あぁもう本当にコイツ死ぬんじゃないのかとラビは思ったが、それでも彼の友人として、の親友として
これだけは譲れなかった。
だから真剣な声音で訊く。
「それで?オマエはどうするんさ」
「え……?」
ようやくアレンが顔をあげた。
ラビはその瞳を真っ直ぐに見つめた。
「に好きだって言われたら、オマエはどうするんさ」
「……………………」
アレンは黙りこんだ。
どうやら言葉を失くしたようだ。
彼はしばらくラビと視線を合わせていたが、徐々に顔を伏せていった。
ソファーに手をついて、身を起こす。
そして小さな声で答えた。
「…………………………わかりません」
「アレン」
「だって……っ、今まで嫌われてると思っていたし……、急にこんな」
かげる睫毛、その下で銀灰色の瞳が儚げに揺れる。
「こんな、の……」
震える声で呟いて、アレンは胸を押さえた。
何だかすごく苦しそうだった。
ラビは足を静かにバタバタさせてそれに耐えていたが、ついに我慢できなくなって絶叫した。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!もう!じれってぇ!!!」
弾かれたように立ち上がって、両手の指をわらわらさせながら怒鳴る。
「恥ずかしい!アレンお前すっげぇ恥ずかしい!見ているこっちのほうが恥ずかしいんだよ、何だその乙女っ
ぷりは!!しかもわかんないって何だ、ふざけんなオマエの気持ちなんてなぁ、バレてるんさ、モロバレなん
さ、そうやって悩んでる時点でわかりきってるんさーーーーーーッ!!!」
ラビは激しい剣幕で一気にまくし立てた。
ぜいぜいと肩で息をしていると、目の前の少年は言った。
きょとんと目を見張って、とても不思議そうに。
「は……?僕の気持ち?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッツ!!!」
いい加減、我慢の限界というものだった。
何だコイツは、どうでもいいところは鋭いくせに、こんなところだけ鈍感か!
そんなお約束みたいな恋愛ベタ設定いらないんさ!!
ラビの苛立ちが頂点を突き破り、逆流し、そして大爆発した。
「もういい!オマエと話すことは何もない!行くぞ!!」
「は!?ちょ……、どこへですか!?」
戸惑うアレンに突進し、その腕を引っ掴むと、ラビは矢のように走り出した。
猛スピードで進みながら盛大に怒鳴る。
「のところに決まってんだろ!とっとと告白されて、さっさと自分の気持ちを認めちまえ!!」
「ええ!?ちょっと待……っ」
「うーるーせぇ!たまには年下らしくお兄さんの言うこと聞けっつーんさ!!」
ラビは有無を言わさぬ勢いでそう言い、アレンを引きずって駆け続けた。
3時間の実を結ばない会話は、こうして終わりを迎えたのだった。
終わらなかった……!(爆)
すみません、そんなわけで続きます。
よろしければ引き続きお楽しみくださいませ。
そして全然本筋には絡みませんでしたが、オリキャラ一人登場。
本当はメイン連載の方でお目見えするはずだったんですけど、何故かここが初登場の場に。
詳しくはオリキャラ設定にてどうぞ〜。
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