関わりたくないのはお互い様。
なのにどうしてこうなるんだ?






● 永遠の箱庭  EPISODE 1 ●







アレンは目の前の扉をノックした。
呼び出されて来たのだから、返事を聞く前に中に入る。
視界に飛び込んできた室内は相変わらずの散らかりっぷりだった。
壁を覆う背の高い本棚には本が乱雑に並べられ、床には一面書類がぶちまけられている。
奥には机が備え付けてあり、そこに一人の男性が腰かけていた。


「コムイさん」


アレンがその名を呼ぶと、男性は手にしていた資料から視線をあげた。


「やぁアレンくん。朝早くに悪いね」
「いえ。コムイさんこそまた寝てないんですか?」


彼の眼鏡の下にある黒い双眸には深い疲労の色が浮かび、その縁には何十もの隈ができていた。
アレンがそう尋ねればコムイが微笑む。


「平気だよ、いつものことだから。それより大変なのは君たちだからね」


アレンは室内に進んで、コムイの机の前にあるソファーに腰かけた。
同時にリナリーが資料を手渡してくれる。
お礼を言って受け取って、室長を見上げる。


「任務の話ですよね。場所はどこです?」
「あー、ちょっと待って」


コムイはコーヒーカップを傾けながら、右手を軽く振ってアレンを制した。


「もうひとり来るから。説明はいっぺんにやりたいんだ」
「もうひとり?」


言われてアレンは、ああと納得する。
おそらく今回のパートナーのことだ。
エクソシストの任務はその危険性にあわせてチームを組むことがほとんどである。
コムイの口ぶりから察するに、今回は誰かとコンビになるらしい。
アレンは任務の資料を見下ろしながら、どうせなら付き合いやすい人がいいなと思った。
一緒に行動するのならやはり気持ちよくいきたいものだ。
いつぞやの神田は、それはもうやりにくかった。


そんなことをぼんやり思い出していたら、司令室の扉がリズミカルにノックされた。
どうやら“もうひとり”が来たようだ。
アレンは何となくどきどきしながら後ろを振り返る。


しかし勢いよく入ってきた人物に、アレンの儚い期待は分子レベルにまで打ち砕かれた。




「はよっす室長、元気ですかー!私は眠くて死にそうです徹夜明けに任務に行かせるとはどーゆー了見だ、こうなったら実力行使も辞さない構えだぞー!!」




……………………………………………………………………終わった。
さよなら、僕のつかの間の平穏。


アレンは思わず溢れ出しそうになった涙を堪えて、下を向いた。
しかし扉から入ってきた金髪の少女も、アレンの姿をそこに認めると動きを止めた。
完璧に固まった状態で、きっちり10秒アレンを見つめる。
そして、


「ぎゃー乙女の天敵がいる!朝から会うなんて最大級に不吉だ、逃げろ私っ」


一目散にその場から走り去ろうとした。
その寄行にコムイは特に慌てずに言う。


「アレンくん、死んでもその子逃がさないで」
「嫌ですよ。なんで僕があの人のために死ななきゃならないんですか」


無茶な室長命令に、アレンは不愉快そうに顔をしかめた。
あの馬鹿のために死の危険にさらされるなんて、それこそ死んでもごめんだ。


「と、いうわけで逃がしません」


アレンはソファーから大きく跳躍して、が司令室から逃げ出す寸前で、華麗に足払いをきめる。
ものすごい衝撃をくらってはぶっ倒れた。
アレンがいい汗流したとばかりに笑顔で見下ろしてやると、彼女は床の上で激痛に悶えていた。


「うぉぉお痛い!猛烈に痛い!そしてエスケープ失敗……!」


徹夜明けのせいか朝から無駄にテンションの高いの叫びなど無視して、アレンはその首根っこを引っ掴んだ。
まるで物を運ぶかのように無造作に、室内へと強制連行する。


「やだやだやだーっ、離せコノヤロお家帰るー!」
「宇宙にですか?それはよかった、全人類のために即刻故郷である星に帰ってください」
「私はメルヘンの国出身だー!!」


いつ通りの妄言にアレンは腹を立てて、をぽいっとソファーに投げた。
彼女の体はそこで一度バウンドして、そのまま勢いで床に転がり落ちる。
またもや少女のものとは思えない悲鳴があがった。


「っ……この!なんて乱暴な!訴えてやるっ」
「いいけど訴訟起こすお金は自腹でねー」


呆れたようにため息をつきながら、コムイが言った。
その表情は妙な憂いを含んでいて、アレンは首をかしげる。


「コムイさん?」
「どうしたのコムイ室長。似合わない哀愁なんて漂わせて」


も床の上でひょいと身を起こして我らが室長を見上げた。
そんな少年少女に浴びせるようにして、コムイは机の上に積み上げられていた白い紙の束を放り投げた。
ヒラヒラと大量に降ってくる紙片のひとつをアレンは捕まえて見る。
その瞬間、げっと顔をしかめた。


「領収書……」
「そう。君たち二人が暴れまわって壊した建物、器物、その他もろもろの修理費だよ」
「これ全部……?」
「それ全部」


頷いて、コムイは妙に据わった目で二人を見つめた。


「頼むからこれ以上、無駄なお金を使わせないでくれる?」
「だってさ。気をつけなよモヤシ」
「すみません、ものすごい勢いで自分のこと棚にあげるのやめてくれませんか」


さり気なくアレンにすべての罪を着せようとするに、思わず声が低くなる。
横目で睨みつけてやったけれど、彼女は気にせず降ってきた領収書を一枚手に取ってせっせと紙飛行機を折り始めた。


「コムイ室長、それは無駄遣いと違うよ。この魔王を倒そうっていう勇者の尊い軍資金だよ」
「とうとうそこまで調子にのった発言をするようになりましたか。随分と成長しましたね、お祝いに直通で地獄にぶちこんであげますよ」


真っ黒な笑顔で伸ばされたアレンの手を全力回避しながら、は叫ぶ。


「ホラ聞いた?今のが乙女に対する言葉だよ!?信じられないってホント!」
「信じられないのは君が乙女だとか言う妄言のほうです」
「どーゆーことだろうそれ。私ってばケンカ売られてるのかな」
「ええ、ばっちりその通りですよ。どうぞ定価で買ってください」
「よーし出血大サービスで買ってやろうじゃない。言っておくけど、流すのはあんたの血だからね!」

「だからどうしてそう仲が悪いのかな、君たちは」


互いに身構えてじりじりしているアレンとを眺めて、コムイが呟いた。
ため息と共に愚痴を吐き出す。


「君たちはありとあらゆるブラックリストに載る気でしょ。そうとしか思えない破壊っぷりだよ」
「まっさかー!私が載りたいのは腹黒絶対撲滅委員会のリストにだけです!むしろ私が創始者で会長です!」
「それを言うのなら僕なんて!君と知り合ってからは本物の乙女を保護するために、性格がイタい子反対絶滅同盟に参加中ですよ!」
「へっへーんだ!性格がイタい子って誰のこと?さっぱりわからないなぁ!」
「君こそ誰が腹黒だって言うんです?僕には検討もつきませんね!」
「嘘つかないでよ、あんたの他に誰がいる!その辺で署名活動したらすぐにその事実が判明するよ!!」
「だったらやってみてくださいよ!君なんて人気投票を行ったらぶっちぎりでイタい子クイーンのくせして!!」
「なにをー!」
「なんですか!」
「あーハイハイ、わかったから。今すぐその構えているイノセンスを下ろしなさい。発動も解くこと。ホラ、二人共だよ!」


コムイのテキパキした声が、終わらない不毛なケンカに割って入った。
促されて、アレンとはしぶしぶその指示に従う。
どちらも激しく不本意そうだ。


「怒られた。あんたのせいだ」
「馬鹿言わないでください。君のせいですよ」


並んでソファーに座りながらアレンが言ってやると、はますますむくれた顔になった。
面白くなさそうに領収書で作った紙飛行機を飛ばす。
それがふわりと机の上に着地したところで、コムイが口を開いた。


「というわけで、君たち二人には一緒に任務に行ってもらうよ」

「「嫌です!」」


素晴らしい二重奏で、アレンとは叫んだ。
あまりに見事なハモり具合だったので、コムイが感心した声を出す。


「何なの?君たち実は仲いいの?こっそり打ち合わせでもしてるのかい?」
「それより何でそんな肝試しを!?」


は真っ青になって、全力で訴えた。


「この人と一緒に任務だなんて、100パーセント悲劇にしかならないじゃないですか!!」
「それは僕の台詞ですよ……っ」


アレンはあまりに不幸な現実に怒りと脱力を覚え、ソファーに身を沈めた。
天井を仰いで目を閉じる。
あぁ、頭が痛い。
その間もは元気に文句をたれている。


「だって室長聞いてよ、私今日いくところまでいっちゃってるんですよ!?具体的に報告すると朝から神田に 踵落しを決め損ねて九死に一生スペシャルを展開しちゃうし、サプリメントはいつもより2.25割り増しで苦かったし、ラビはバカ面で挙動不審だし、しまったこれはいつもか、そしてとどめに豆乳が賞味期限切れ! 何なのこの不幸、たぶんツイてない乙女ナンバーワンだよ、私の運勢これ以上下がってたまるかー!!」


はアレンが愉快になるくらい馬鹿なエピソードを一気にまくしたてたが、コムイはいつもの笑顔でそれに応じた。


「うんそうだねー、可哀想だねー、ちなみに九死に一生スペシャルは神田くんに絡んだ君が悪いね、 サプリメントは飲む前に成分表をよく読むこと、ラビのことはどうでもいいとして、豆乳の賞味期限は そんなケチなこと言わないの主婦かい君は、以上」


そのあまりに鮮やかな切り返しに、アレンは思わず拍手喝采でコムイを称えた。
の悔しそうな顔がものすごく気持ちいい。
今ならコムイが「実はボクは正義の味方、シスコン仮面だったんだ!」とか馬鹿な告白をしてきても、問答無用で信じることができそうだ。
それでもはめげずに言った。


「思いつめた私が破壊活動に走ったらどうするんですか!?」
「それならもう手遅れじゃないですか」


アレンは思わず突っ込んでしまって、に殺人的な目で睨まれた。
コムイはそれを見やって、机の上で指を組むとそこに顎を乗せる。


「そもそもね、ちゃん。わがままは聞かないよ」


そう言ったコムイの顔は真剣で、の表情も一瞬にして引き締まる。
やはり彼女は生粋のエクソシストなのだ。
先刻までの豊かな感情が一切排除されたその顔は、美しさに引き立つ。
彼女はただ黙ってコムイを見つめていた。
アレンも同じようにして口を閉じ、彼を見上げる。
コムイは静かな口調で厳かに告げた。


「これは大元帥のお決めになったことだよ。…………………………………という設定にボクが捏造した」


「なんだそれー!?」


ああもうぶち壊しだ!
が声をあげ、アレンは思わず手にしていた資料を叩き置いた。
それでもコムイは普通に続ける。


「ちなみにあみだくじで」
「ふざけんなー!」
「あみだくじをバカにしちゃだめだよちゃん!この選定法はその昔、神の意思を伺う聖なる手段で……」
「どうでもいい!むしろバカにしたいのはあなたの頭ですよこの大ボケ室長がー!」
「あぁボクの素晴らしい脳みそを賞賛してくれるんだねアリガトウ!!」
「もうホントありえないよー!何なのこの人絶対おかしいってー!!」


力の限りで嘆くに、このときばかりはアレンも味方した。


「何なんですかコムイさんは!そんなことを言うために真剣な雰囲気をつくらないでくださいよ!」
「そうだそうだ!もっと言ってやれっ」
「大体あみだくじ如きでこんなのと一緒にされちゃ困ります!」
「こんなの?あれ?今こんなのとか言った!?」
「コムイさんだって知ってるでしょう、この人が独創的かつ殺人的な人格の持ち主だってことは!」
「すごい評価されてるな私って!ビックリだよ!?」
「とにかく!こんな激しく猟奇的な人間と一緒に任務なんて出来ません!!」
「よーし歯ぁ食いしばれー!!」


言い終わった瞬間に胸倉を掴まれたが、アレンにはまったく身に覚えのない暴行だったので正義的に振り払う。
また何か怒鳴ろうとする彼女の口を塞ぐ意味で、頬をつねってやった。
するとはぽかぽかとアレンの頭を叩きだす。
再び取っ組み合いのケンカが始まろうとしたが、コムイの言葉がそれを止めた。


「言っておくけどそれも理由だからね」
「「え?」」


アレンはの頬を引き伸ばしながら、はアレンの髪の毛を引っ掴みながら、疑問の声をそろえた。
そんな二人にコムイの指先が向けられる。


「君たち仲悪すぎ。そして破壊活動に走りすぎ。ここはひとつ、一緒に任務に行って仲良くなってもらおうじゃないか!」


不満の声がアレンとの口から同時にあがり、何を言っているのかわからなくなる。
コムイは完璧な笑顔で、キッパリと断言した。


「言ったはずだよ。わがままは聞かないって」


決然としたその態度に、アレンとは嫌そうに視線を見合わせた。
お互いに命の危機に瀕しているようなひどい顔をしている。
が片手をあげた。


「コムイ室長、ちょっとタイム。話し合いの時間を要求します」
「無駄だと思うけど、いいよ」


お許しが出たので、アレンとは超速でソファーの背の向こうに隠れた。
小声と呼べる最大ボリュームで話し出す。


「どうするんですか。激しく厄介な事態に陥っちゃいましたよ」
「どうするって言ったって……。そもそもあんたが私に突っかかってくるのが悪いんじゃない」
「何言ってるんですか。突っかからずにはいられない君の馬鹿さ加減が全ての原因です」
「言ったな!」
「君こそ!……ってこれが駄目なんですよ」
「ダメなんだよね」
「こうなったら仕方がありません……」


なんとか打開策を見つけないと生死に関わる不幸が襲ってくるので、アレンは命懸けで提案した。


「ここはお互いに妥協しましょう」
「妥協?」
「そうです。コムイさんが僕たちをパートナーにしたい理由は、この仲の悪さなんです。つまり僕たち二人が良好な関係になればいいんですよ」


アレンが言った瞬間、は絶望的な顔をした。


「そんな無茶無謀を言われても……」
「本当に仲良くなれるわけがないじゃないですか恐ろしい勘違いをしないでください。そうじゃなくて、フリですよ」
「あ、そっか。仲のいいフリね!」
「それならギリッギリセーフでしょう?」
「限りなくアウトに近いけど……、うん。やるっきゃないんだよね」
「そうです。ここでやらなきゃ明日はありませんよ」


二人して蒼白な顔で言って、深呼吸をする。
いくらフリでも相当な心臓負担になるだろう。
心の準備は必要だ。
冷や汗が頬を伝うが、自分たちがやらねば誰がやる。
世のため人のため、世界平和のため!
アレンとは勢いよく立ち上がると、コムイの方を向いて親しげに微笑みあった。


「あれ?どうしたんですか、今日は何だか可愛いですね!たぶん異常現象でしょうけど!!」
「そうかなぁ?あなたこそ今日も素敵な笑顔!腹の黒さが全開の邪悪な笑みだね!!」
「あはは、そんなに誉めても死人しか出ませんよ!!」
「うふふ、そっちこそ遠慮なんてしないで滅亡させてあげるよ!!」


二人は額に青筋を浮かべながらも、にこやかに会話を交わす。
それからうろん気な目をしているコムイに訴えた。


「ほら、見てくださいよコムイさん!」
「私たち、こんなに仲良し!」
「ふーん。じゃあそのまま仲良くハグでもしてみせてよ」


特に興味なさそうにコムイが言った。
瞬間、二人はお互いを突き飛ばすようにして物凄い勢いで離れた。
アレンは本棚に額を押し付け、は床に突っ伏して震えている。


「すみません、これ以上自分を殺すとこの世から僕という存在が消えてしまうことに……!!」
「それだけは許してください土下座なら軽くしちゃうから本当もう無理……!!」
「ハイ任務行き決定。さっさとそこに座って。急ぎでもないけど重要な任務なんだから」


首尾よく二人を丸め込み、コムイは軽く手を叩いた。
そもそもパートナーが嫌だっただけで、任務に行くこと自体には文句などないアレンとなのだ。
その大切さは重々承知しているし、命を懸ける覚悟もしている。
だからコムイにそう言われてしまってはソファーに並んで腰かけるしかなかった。
あぁ、パートナーがこの人でなければ無駄な時間を食わずにさくさく先に進めたのになぁ。
アレンはそう思ったけれど、隣のも同じことを考えているのは明らかなので黙っておいた。


がエクソシストの顔で資料に目を通しながら言う。


「場所は……ロンドン?イギリスじゃない」
「そう。そこでね、イノセンスが発見されたんだけど。ちょっと厄介でね」
「厄介?」


アレンが聞き返すと、コムイは頷いた。


「なんでもそれが公爵家の家宝らしいんだよ」
「ちょっと待って。まさかその貴族さんが、家宝は渡さない!とかバカ言ってるんじゃないよね?」
「あはは、ハッキリそう言うほどバカじゃないよ貴族も」
「……ってことは遠まわしにそう言ってきたんですね」


アレンとは思わず顔を見合わせて、ため息をついた。
が呆れ混じりに言う。


「バカ貴族!」
「そうは言ってもね。相手は公爵だから、さすがにないがしろにはできないんだよ」
「そんなの無視だ、ローマ教皇直属の軍事機関である『黒の教団』の権限でぶん取って来いっ」
「うん、だからね。君たちがぶん取って来て」
「…………………は?」


即座に肯定されてぽかんとしたに、コムイは微笑んだ。


「気位の高い貴族様はどうしてもと言うのなら、“黒の教団の上層部の人間に取りに来させろ”とおっしゃってね」
「いや、でも私たち一介のエクソシスト……」
「“黒の教団の上層部”である室長のボクが、君たちに行ってほしいと言ってるんだよ?問題はないさ」


コムイは事も無げにそう言って、さらに続けた。


「それにいつまでも探索隊ファインダーの結界装置だけでは守れない。いつアクマがイノセンスに気づいて襲ってくるとも知れないからね」


コムイはアレンとの顔を交互に見て、静かに告げた。


「危険性がハッキリしない任務だ。何も起こらないかもしれないが、何が起こるかもわからない。…………気をつけて」


思いがけず真剣にそう言われて、アレンとは頷いた。
しっかりとコムイを見つめて。


「はい」
「了解。華麗にぶん取って来てあげる」


その様子にコムイは微笑んだ。


「期待してるよ。公爵様なんて厄介な相手、言動の丁寧なアレンくんと押しの強いちゃんのコンビがぴったりだ」
「……………………それが本音ですか」


アレンは苦々しく呟いた。
互いの仲を良くするためだけに任務のパートナーを決めるだなんて、実際には有り得るはずがない。
そんなことがまかり通るのなら、これからアレンのパートナーはか神田だけになってしまう。
さらに言えばあみだくじ云々なんてもっと有り得るはずがなかった。
しかしそれを指摘しても、コムイの笑顔は崩れなかった。


「どっちも本音だよ」
「まぁ、いいですけど……」


アレンは脱力したようなため息をついて、隣へと視線を滑らせる。
資料を読むの横顔。
彼女はそのままでアレンに言った。


「万が一戦闘になったら、あんたのことじっくり観察させてもらうから」
「何ですか、それ」
「戦いぶりくらいはクロス元帥に似てないかなー、っていう乙女のささやかな期待」
「またそれですか。僕は師匠とは違います」


そう答えながら、ふいにアレンは機会があれば彼女に訊こうと思っていたことを思い出した。


「そう言えば、に武術全般を叩き込んだのは“先生”だって言ってましたよね」


これから一緒に任務に赴き、場合によってはアクマとの戦闘も有り得る。
彼女の腕っぷしの強さはなんと言うか……嫌というほど思い知っていたが、それでも知っておいて損はないだろうし、興味もあった。
は本当にありとあらゆる武術を身に着けているから、それを教えた人物がただ者ではないことは明白なのだ。
だからアレンは訊いた。



「その“先生”……、君の師匠って誰なんですか?」


「アレンくん」



すぐさまコムイに名を呼ばれた。
その声には制止の意味が込められていて、アレンは驚いてコムイを見た。
彼はかすかに首を振った。
わけがわからにままに視線を戻すと、資料をめくっていた彼女の手が止まっている。
その金の瞳はじっと、床に映る自分の影に落とされていた。


何か、触れてはいけないものに触れてしまったようだ。


アレンは慌てて何か言おうとしたが、それより先にがこちらを見た。
そして微笑んだ。


「グローリア・フェンネス」
「……え?」
「私の先生の名前」


あまりにもあっさり言われたので一瞬理解が遅れたが、アレンはその名を知っていた。


グローリア・フェンネス。
アレンの師匠であるクロス・マリアンと同期のエクソシスト。
クロスと並ぶほどの有名人で、二人の間にはそれなりのやりとりがあったようだ。
何年か前、アレンが家の整理をしていたときの話だ。
棚の奥で見慣れない酒瓶を何本も見つけたことがあった。
クロスに聞いてみたところ、それはグローリアが寄越したものらしい。
本部に寄り付かずにブラブラしているクロスをどう探し出したのか、グローリアはよく彼のもとに押しかけてきたそうだ。
そして大量の酒を残していっては、


「また来る。それまでに私の酒を飲んだら殺す」


とだけ二日酔いの青い顔で告げ、去って行くのだという。
あのクロスにそんな口の利き方をできるという事実だけで、アレンは会ったこともないグローリアを尊敬していた。


「グローリアって、あの有名なグローリアさん?クロス師匠と友達の!?」
「そうそう!そのグローリアさん!!」


思わず勢い込んで言うと、も同じ調子で頷いた。
それからこう続けた。




「でも先生死んじゃったけどねー」




その声はあまりにも明るかった。
アレンは目を見張った。
そんな話、クロスから聞いたことがなかったのだ。


「死んだ……?」
「あれ?なんで知らないの?私クロス元帥にも手紙書いたのに」
「師匠はそんなこと一言も……」


呟きながらもアレンは混乱していた。
おかしい。
何故クロスはグローリアの死を一度も口にしなかった?
そして何故、は笑ってそんなことを言うのだ?


「5年前のことなんだけど。そういえば返事は来なかったな」


5年前といったら、アレンがクロスの弟子になる前の話だ。


「死体は教団の掟で火葬されたし、形見も……」


は言いながら自分の左耳に触れた。
そこには黒曜石のピアスが光っている。
小さな石を、縦に三つ連ねた形のそれ。


「このピアスだけだったから、クロス元帥に何か送ってあげることもできなくて」
「……………………」
「もしかして先生が死んだこと、知らないなんてことはないよね?」


は笑いながら首をかしげた。
その笑顔は綺麗すぎて、普段の彼女から考えれば不自然な表情だった。


「クロスにはボクから連絡したよ」


コムイが机の向こうから静かに言った。
はびくりとそちらを振り返る。


「そ……そっか。よかった!もう5年も前のことなのに、今さら死んでましたとか言われてもね!元帥も困る困るっ」


は妙に明るく口走ると、唐突に立ち上がった。


「じゃあ私、出発の準備してきます。集合時間に遅れたら任務中ずっと語尾に“ニャ”ってつける罰ゲームに処すからね」


前半はコムイに、後半はアレンに向けてそう言って、は普段と変わらない足取りで扉まで進み、踵で振り返って一礼。


「それじゃ、失礼しましたー」


律儀にそう言って、部屋から出て行った。
アレンはそれを見送って、コムイが長いため息を吐き終わるのを待ってから、彼に向き直った。


「コムイさん。グローリアさんって……」
「死んだよ」


コムイは瞳を伏せて囁いた。
それだけで、グローリアと彼が親しい仲だったことが窺えた。
深い悲しみの声が告げる。


「5年前、任務中にね。ちゃんはそれを目の前で見ていた」


アレンは息を呑んだ。
コムイの声は続く。


ちゃんがグローリアのことを口にしたのは、彼女が死んでから今日が初めてだよ。ボクの知る限りではだけど」
「師匠の死がふっきれた……わけじゃありませんよね」


アレンが抑えた声でそう訊くと、コムイは微かに微笑んだ。


「君もちゃんのことがだいぶわかってきたみたいだね。あの子は少し気丈すぎる。悲しみも痛みも他人に悟られたくないんだよ。特に、近しい者にはね」
「……………………」
「グローリアの死をふっきったわけではないだろう。彼女が死んだ時のちゃんの様子から思えば、それは無理な話だ」


アレンは奥歯を噛み締めた。
嫌な音がした。
けれどそれ以上に嫌な気分だった。


「あんなこと、僕は訊くべきじゃなかったんですね……」


俯くアレンをコムイの黒い双眸が見つめる。
その表情は哀しく、そして優しかった。


「アレンくん」


コムイに呼ばれてアレンは顔をあげた。


「少し話をしようか」
「……話?」


眉をひそめたアレンにコムイは微笑んだ。


「そう。お題は『ちゃんについて』でどう?」


アレンはそのとき何故だか曖昧に笑ってしまった。
それは聞かないでおこう、と思う心が少しも自分の中に発見できなかったからかもしれなかった。



そう。それは結局のところ、自分は彼女のことを何も知らないということだったのだ。








オリジナル任務、『永遠の箱庭』はじまりです。
早速(会話上だけですが)、オリキャラ登場。
ヒロインの師匠です。詳しくはオリキャラ設定にてどうぞ!
この章はめちゃくちゃ長くなる予感が……。がんばります。
ちなみにあみだくじが“神の意志を伺う聖なる手段”だったのは本当ですよ〜。室長は嘘つかない!(笑)
次回はアレンが核心に触れます。