ほんの少しだけ語りましょう。
私とあなたの秘密言葉。
過去からの内緒話。
● 花咲く記憶 EPISODE 1 ●
何だかおかしい。
変な感じがする。
アレンは正体のわからない違和感を抱えたまま、本部の廊下を歩いていた。
胸の辺りに手を置いて、首をひねる。
何だろう。
別に体調は悪くない。
食事もいつも通り、おいしく食べることができた。
天気はいいし、心配事もないし、任務もないから、今日は文句のつけどころがないくらい良い日だ。
それなのに、どうしてだか、気分が落ち着かない。
何かが欠けていて、自分の気持ちが不完全な気がするのだ。
何だろう何だろう何だろう。
ぼんやりと歩きながら考える。
それでも足りない物の正体が掴めなくてひとりで眉を寄せていたら、突然背後から声をかけられた。
「アレン!」
呼ばれて返り見た視界に、ラビが手を振りながら近づいてくるのが映る。
アレンは口元を緩め、笑顔を浮かべた。
「ラビ。お帰りなさい」
彼はここのところ、また師匠と共に姿を消していたのだ。
それは“ブックマンの仕事”とやらだったので、詳しいことは何も聞かせてもらえず、いつ帰ってくるかも知らなかったから、アレンの顔は自然とほころぶ。
「よかった、これで……」
そこまで言って、アレンは言葉を止めた。
心に浮かんだものに自分自身で驚いて、口を閉じる。
その間にラビはアレンの傍まで来て足を止めた。
「たっだいまー!元気だったか?ユウは?あ、でも」
アレンの様子になど気づかずに、ラビは笑いながら言った。
「まずに会いに行かねぇと。アイツ強がりのくせして淋しがり屋だからな。なぁアレン、がどこにいるか知ってるさ?」
「……………………」
「アレン?」
何だか固まってしまったアレンに、ラビは首をかしげた。
その様子を眺めながら、アレンはぐるぐる考える。
“よかった、これで、が元気になる”
先刻そう言おうとした自分自身に、心底驚く。
ラビが帰ってこない間、彼女は普段とちっとも変わらなかったが、どこかほんの少しだけ元気がないように感じていたのだ。
けれどそれはアレンには関係ない。
むしろあの暴走娘が大人しくなることは大歓迎である。
だから驚く。そんな些細なことで、を気にかけていた自分に。
そしてもっと驚くべきことは、朝からずっと感じていた違和の正体がだったということだ。
「…………今日はまだ会ってません」
アレンは何だか顔をしかめながら、呻るように言った。
そう、今日はまだに会っていない。
だから落ち着かなかったんだ。
いつもの強気な金の瞳を見ていないから、物足りなく感じていたんだ。
アレンのその不機嫌そうな顔を見て、ラビは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑った。
それは何だか含みのあるニヤニヤ笑いだった。
「へぇ。まだ会ってないんか」
「はい」
「今日は」
「……今日は」
「だからって、そんなにスネんなよ」
「誰が!!」
思わず顔を赤くして怒鳴ると、ラビが声をあげて笑った。
それが腹立たしくて、アレンは彼を置き去りにして歩き出した。
後ろから楽しそうな口調と足音が追いかけてくる。
「うんうん、わかるぜ?アイツって賑やかだし、やること為すこと強烈だから、会えないとつまんねぇよな」
おかげでここしばらくオレも暇で仕方がなかった、と言うラビを振り返ることなく、アレンは答えた。
「そうです。あの変人があまりにも僕の日常をかき乱すから、平和な今日がかえって変に感じたんです」
それで胸の違和感を説明して、アレンはひとりで頷いた。
いつの間にか彼女が引き起こす騒動の数々が、アレンの生活の一部になってしまっていたのだ。
だから何もない今日をこんなにも妙に感じて、物足りない気分がしているのだ。
「いつもの馬鹿さ加減にはうんざりしてるのに。大人しくされたら、それはそれで落ち着かないだなんて、どこまで迷惑な人なんだろう」
「だよなぁ、つまんなくてどうしようもねぇよな」
「苛々する。不愉快です。ちょっと胸倉を掴んで喧嘩を売りたい気分です」
「まぁまぁ」
「だって普段の波乱万丈な日のほうが、今日のような平和な日よりしっくりくるだなんて、おかしいじゃないですか!」
「そうか?」
「無駄に元気で暴走一直線ののほうがいいだなんて、いつもそれを毛嫌いしている僕は何なんだ?」
「素直じゃないだけだろ」
「行きましょうラビ、何だかものすごく腹立たしいです!を見つけて盛大に文句を言ってやらなきゃ気がすまない!!」
「なー前から思ってたんだけどさ」
何だか勝手に怒り出したアレンの背後で、ラビが訊いた。
それはもう、軽い口調で、あっさりと。
「アレンって、のこと好きなんか?」
「…………………………」
アレンはぴたりと足を止めた。
それからラビを振り返った。
その表情があまりにも真っ白だったから、ラビはおやおやと瞬いた。
すると見る見るうちにアレンの顔が冷ややかになる。
「馬鹿なこと言わないでください」
「馬鹿なこと?」
「好きなわけないでしょう、あんな未確認生物」
「ふーん。だったらいいけど」
ラビが釈然としない顔をしていたから、アレンはさらに冷たく言う。
「ラビは僕の話を聞いてなかったんですか。僕は怒ってるんです。僕を振り回して、かき乱すに、心底腹を立てているんです」
「でもそれってのせいじゃないだろ?」
普通に言って、ラビはまた歩き出した。
目を見張ったアレンの傍を通り過ぎる。
「アイツはただ自分の自由に動いているだけで、別にオマエをどうこうしようと思ってるわけじゃねぇさ」
「……………」
「それにオレには、オマエが自らの引き起こす騒動に巻き込まれに行ってるようにしか見えねぇんだけど」
「まさか!」
本気で吃驚してアレンは大きな声を出した。
けれどラビは頭の後ろで手を組んで、そのまま歩き続ける。
後ろからついていくしかなくなったアレンに彼は言った。
「だってからオマエに突っかかってるところなんて、ほとんど見たことねぇもん」
「……じゃあ何ですか」
アレンは不機嫌そうに眉を寄せて、恐ろしく低い声で続けた。
「僕が好き好んで、あの人の振りまく原子爆弾級の火の粉を浴びに行ってるとでも言うんですか」
「んー、そうさね」
「何のために!?」
「だから、好きなんかなって」
「あり得ない!!!」
アレンは真っ赤な顔で怒鳴って歩く速度をあげた。
ラビを追い抜かしてずんずん前に進んでいく。
頭の後ろで小さな笑い声がした。
「でも、今から会いに行くんだろ?」
「文句を言いに行くんです!」
「口実にしか聞こえねぇさー」
「……っ、だったらもういいです!会いになんて行きません!!」
アレンはキッパリとそう宣言した。
そんな変な誤解をされるくらいなら、一日ぐらい何だ、の顔なんて見ないまま元気に楽しく過ごしてやる!
どう考えたって、その方がお互いの精神衛生上いいということもわかっていた。
だからアレンはそのまま立ち去ろうと、さらに歩くペースをあげた。
しかし談話室を通り過ぎようと、その入り口に至ったところで、足を止めた。
それは反射的なことだった。
追いついてきたラビが不思議そうな声で訊く。
「アレン?」
「………………」
「何さ、どうした……って」
途端にラビは呆れた顔になった。
アレンはというと、もっともっと呆れた顔をしていた。
二人の視線の先で、華奢な足が揺れていたのだ。
ソファーから飛び出したそれは黒く光るラウンドトゥの靴で、何だかものすごく見覚えのあるものだった。
アレンは嫌そうにため息をつき、ラビが額を押さえながら呟く。
「アイツ、こんなところでひっくり返って何やってんだか……。おい、!!」
大声で呼びかけながらラビがソファーに近づくと、驚いたことに、ではない声が返事をした。
「しーっ!大きな声出さないで」
「リナリー?」
目を見張ってラビが彼女の名前を呼び、アレンも不思議に思って近づく。
二人揃って覗き込んでみると、ソファーに腰掛けたリナリーが人差し指を唇の前で立てていた。
そしてその膝の上に頭を乗せて、が幸せそうに眠り込んでいた。
リナリーの漆黒のスカートの上に長い金髪が散らばり、閉じられた瞼はほんのり色付いた白。
胸が小さく上下して、唇から微かに寝息が漏れている。
相変わらず顔の造作だけは完璧だったが、何だかいつもより血色が悪かった。
「どうしてこんなところで寝てるんです?何かあったんですか?」
体調でも崩したのかと思って少しだけ焦りながらアレンが訊くと、リナリーは困ったように笑った。
「ううん、違うの。ただちょっと徹夜明けで……」
言いながら談話室のテーブルの上に視線を滑らせる。
アレンとラビはそれを追って、そこに山積みにされた書類やら本の大群を見て、顔をしかめた。
量が半端ではない。
これだけの仕事を一晩で終わらせたとなると、の顔色の悪さも納得がいった。
ラビが眉をひそめて書物の山を叩く。
「コムイの奴、またをこき使ったな……」
「違うのよ。確かに兄さんが頼んだのだけれど、私が任務でいなかったから、その分までかわりにやってくれたみたいなの……」
「はぁ!?ただでさえコムイの頼む仕事は骨が折れるだろ!それを一晩で二人分!?」
「しーっ!ラビ、声が大きい!が起きちゃうわ」
「この程度で起きるほど疲れてないわけねぇだろ、それよりなんつー無茶したんさ!」
ラビは一瞬本気で腹を立ててに掴みかかろうとしたが、その安らかな寝顔を見て、ギリギリのところで思い留まった。
息を詰めてしばらく腕をジタバタさせて、後ろのソファーに倒れこむ。
「ああもう目を離すとすぐにこれさ!」
「ねぇ本当に」
リナリーが同意して長いため息をつく。
アレンもの馬鹿加減に腹を立てていたから、彼女の寝顔を睨み付けた。
それから苛立たしげに嘆息して、ラビの隣に腰掛け、リナリーに尋ねた。
「前から不思議だったんですけど、リナリーは室長助手なんですよね」
「ええ、そうよ」
「だから君がコムイさんの仕事を手伝うのはわかるんです。でも何で、まで?」
「それは、オレの幼馴染だから」
答えたのはリナリーではなくラビだった。
彼は天井を仰いで、目元を片腕で押さえながら、重い吐息と共に言う。
「コイツがちっさいころから黒の教団にいたのは知ってるだろ?」
「ええ」
「そのうえ厄介な事情を抱えてるから、普通に勉強を教えるわけにもいかなくって」
「……………………」
「だからウチのジジイが面倒見てたんさ。オレを仕込むのと一緒にな」
アレンは目を見張ったが、これはリナリーも知らなかったことらしい。
同じように驚いた顔をしている。
「そうだったの……。だからはこんなにも優秀なのね」
「優秀、なんですか?その……、が?」
何となくアレンは冷や汗をかいた。
なぜなら普段のは、優秀とは程遠い、馬鹿丸出しの人物なのだ。
けれどリナリーの認識はアレンとは違うらしく、少しだけ怒ったように言った。
「あら。どうしてそんなに信じられないって顔をするの?は本当に優秀なんだから」
「当たり前さー。オレと一緒にさまざまな学問を学んだんだから」
ラビがクッションを抱きかかえながら説明する。
「ありとあらゆる言語に歴史、数式、物理、天文、生物、考古学、民俗学とかもう手当たりしだい色々。本当はブックマンになるための最低限の知識なんだけど、普通じゃそれだけ身につけておけば優秀だろ」
「…………もしかしなくても、って頭いいんですか?」
「知識的にはな。いつもはまるっきりアホだけど」
「そんなことないわよ。はいつだって素敵よ」
そう言ったリナリーの頬は何だか薄紅色に染まっていて、夢見るような調子だったから、アレンは少しうんざりしてしまった。
“が優秀”という有り得ない事実だけでも頭が痛いのに、リナリーの彼女に対する評価の高さは、アレンの理解を遥かに超えているのだ。
優しい熱のこもった視線での寝顔を見下ろしながら、リナリーは言う。
「未来のブックマンであるラビに仕事を手伝わせるわけにはいかないけれど。こんなにも優秀なだから、コムイ兄さんはいつも仕事を頼んじゃうのね」
「はぁ……。そういうわけでしたか」
を非難するとリナリーは信じられないくらい恐ろしくなるので、アレンは大人しく頷いた。
すると話を聞いてくれるだと認識したのか、リナリーが顔を輝かせる。
「本当にはすごいのよ。難しい書類でもあっという間に仕上げちゃうの!」
「走り書き過ぎてたまに読めねぇけどな」
「これだけ大量の仕事もたった一人でこなしちゃうし!」
「今現在、疲れきってぶっ倒れてるけどな」
「お願いするとどんなことだって引き受けてくれて!」
「盛大に文句を言い続けるけどな」
「………………」
「オレは嘘は言ってねぇさー」
「もう!とにかくは素敵なの!!」
遠慮なくの駄目なところを指摘するラビに、リナリーは頬を膨らませた。
「いつもとっても優しいし」
「それは女相手だけ。オレらには容赦ねぇさ、なぁアレン」
「ええ。まぁ、こっちもまったく容赦してませんけど」
「……可愛くて美人だし」
「顔は認めるけど、中身とは釣り合ってない」
「同感です」
「………………………スタイル綺麗だし、胸だって」
だんだん言うことの奪われてきたリナリーが苦しまぎれにそう呟いたので、アレンは黙り込んだ。
の胸のことなんて、知りようもないからだ。
それなのにラビは平然と応える。
「あーうん、細身のわりにはイイ感じだよな。このくらい」
言いながらラビは自分の胸の前で、手でそれを作って見せた。
「確かもうすぐCだったと……ってギャア!!!」
唐突にラビが悲鳴をあげて床に転がり落ちた。
それもそのはず、アレンが正義の鉄槌をそのふざけた頭に叩き込んだからだ。
ラビが涙目で見上げると、恐ろしい笑顔のアレンが見えた。
その向こうから、同じような暗黒オーラを纏ったリナリーが拍手を寄越している。
「ナイスよ。アレンくん」
「ええ、動けないリナリーの分も僕が頑張ります」
リナリーは眠っているの頭を膝に乗せているので、攻撃を繰り出すことの出来ないのだ。
そんな彼女の期待をも背負って、アレンはラビに迫った。
ラビは顔を真っ青にして掌を突き出す。
「タ、タンマ!ちょっと待つさ、のスリーサイズ教えてやるから許してくれ!!」
「だから、どうしてラビがそんなこと知ってるんです」
アレンが超低音で尋ねると、ラビは答えた。
ここで胸を張る彼は、ちょっと本当に駄目だと思う。
「オレ達どれだけ付き合い長いと思ってるんさ!スリーサイズどころか、その成長過程までバッチリ知ってるっつーの!!」
「自慢げに言うことか……っ」
「もういいわ。殺っちゃって、アレンくん」
静かに怒るリナリーが、冷たく死刑宣告を下した。
アレンは大きく頷いて左手を構える。
と、その時。
「んー……っ」
が小さく呻いた。
リナリーの膝の上で微かに顔をしかめて、少しだけ身じろぎをする。
三人はハッとなって、互いに顔を見合わせた。
そして暗黙の了解で、口を閉じた。
静けさの戻ってきた談話室で、また緩やかな寝息が聞こえ始める。
アレンはを起こさずにすんだことにホッとして、ソファーに座り込んだ。
ラビも隣に這い上がってきて、瞳を潤ませる。
「さんきゅ!さすが親友、おかげで助かったさ!!」
「………………今回だけですよ」
「………………今回だけよ」
「す、すみません……」
恐ろしく冷たい視線で二人に睨まれて、ラビは真っ青になりながら謝った。
ちょっと本当に涙が出ていたが、誰も気にかけないし、本人も気づいていなかった。
リナリーはそれ以上ラビに構うことなく、よしよしとの頭を撫でる。
「ごめんね、ゆっくり休んでてね」
「うわ、オレ相手のときと全然声が違う……」
「何か言った?ラビ」
「……何も」
絡まなければいいのにいちいち突っ込むラビは、ひょっとして自殺願望でもあるのだろうか?
そんなことをちらりと考えたが、すぐにどうでもいいなと結論して、アレンは口を開いた。
「もうひとつ質問してもいいですか?」
「なにかしら?」
首を傾けたリナリーを、アレンは見つめた。
「リナリーってのことが、何だかすごく好きみたいですけど」
「やだアレンくんったら、そんな好きだなんてハッキリ言わないでよもう!」
何だこの恋する乙女みたいな反応。
アレンは一瞬ものすごく微妙な気持ちになったが、必死にそれに耐えて笑顔を浮かべた。
どれだけ顔色が悪かろうが、唇が引きつっていようが、精一杯の努力で微笑む。
「それで、リナリー?」
「ああもう恥ずかしいわ、なぁに!?」
「の一体どこが、そんなに好きなんですか?」
「……………………」
そこでリナリーは、ぴたりと動きを止めた。
染まっていた頬も元に戻り、もじもじしているのもなくなる。
そして彼女は、アレンを見つめ返してキッパリと答えた。
「全部よ」
「…………はぁ、そうですか。いやでも“そんな当たり前のこと聞かないでよね!”とでも訴えるような真顔で言われた僕はどうすればいいんですか?ものすごく返答に困りますよ?」
ちょっと本気で我慢できなくなってきて、アレンは笑顔のまま眉をひそめた。
蒼白になって考える。
やっぱりリナリーは変わっている。
普段はそんなことないのだが、が関わると断然おかしい。
そこには確かにあのシスコン室長コムイに通じるものがあって、ああやっぱり兄妹なんだなぁ、とアレンは思った。
「何をどう騙されたんです……?それとも洗脳ですか?マインドコントロールですか?」
言いながらアレンはきつい眼差しでを見下ろした。
この馬鹿ならやりかねない。
純情なリナリーを騙くらかして、自分は素敵な人間だと信じ込ませたに違いない!
けれどそんなアレンの推測はリナリーによって一刀両断された。
「そんなことないわ。私は私の意思で、本当にが好きなんだもの」
「ええー……?」
「どうして信じてくれないのよ!」
あまりにもアレンが疑わしそうな、そして嫌そうな顔をするのでリナリーが眉を吊り上げた。
「本当にそうなんだから!ねぇラビ!」
「あー……でもオレもいまいち理解できてねぇさ」
同意を求めたのに期待はずれな答えを返したラビを、リナリーはきつく睨みつけた。
ラビは小さな悲鳴をあげて、慌てて言う。
「だ、だってオレだっては好きだけど、リナリーみたいなぞっこんじゃねぇもん!やっぱりお互い嫌いな部分だってあるし!それをひっくるめてオレ達は親友なわけで!!」
「ラビの話はどうでもいいわ」
「ええ、ものすごく興味ありません」
「何さコイツらー!!!」
普通に話を切り捨てられて、ラビはクッションに顔を埋めて泣き出した。
特に相手をする気はないので、リナリーはアレンを見る。
「そうね……。じゃあ内緒の話をしてあげるわ」
「内緒の話?」
「そう。兄さんも知らない、私との思い出話」
目を瞬かせるアレンの前で、リナリーは微笑んだ。
「これを聞けば、きっとアレンくんだって信じてくれるわ」
「……それは、どうでしょうね」
何を聞かされてもリナリーの好きは絶対に理解できないだろうという自信が、アレンにはあった。
だから微妙な笑みを浮かべるしかない。
けれど続けてリナリーが口にした言葉にアレンは驚いた。
彼女は愛おしそうに眠るの髪を撫でて、それからこう言ったのだ。
「だって私、昔はのこと、大っ嫌いだったもの」
奇妙な沈黙があった。
アレンは限界まで目を見張って、リナリーを見つめた。
優しくに触れる指先は、大きな親愛が込められていて、ますます困惑する。
隣のラビですら嘘泣きを止めて、ぽかんとリナリーを凝視していた。
そして二人は声を揃えて絶叫した。
「「ええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!??」」
「しーっ!声が大きいってば!」
リナリーに叱られてアレンとラビは互いに口を塞ぎあう。
その様子に、リナリーは笑った。
「ああ、でも大嫌いっていうのは言い過ぎかもしれないわ。好きじゃなかった、あまり関わりたくない人だった、ってところかしら」
「で、でも、それでも……」
喋ろうとするとラビの手が邪魔だったので、それを引き剥がしながらアレンは言う。
頭が混乱していて、理解がまったく追いつかない。
「そんなの今の様子からじゃ、とても考えられないじゃないですか!」
「そうそう!それに何でが嫌いだったんさ!?」
「うふふ、聞きたい?」
何だかとっても懐かしそうにリナリーが言った。
口元を片手で隠して、にこにこ微笑んでいる。
アレンとラビはすぐさま頷いた。
何故なら現在の彼女が、を溺愛する様は凄まじい。
間違ってもが嫌いだったなんて、そんな過去は想像できないのだ。
二人に真剣に見つめられて、リナリーは口を開いた。
しかし何故だろう、そこでその笑顔は少しだけ翳りを見せた。
「じゃあまず、私との出逢いから話さないとね」
それは数年前のことだった。
両親をアクマに殺されて孤児になったリナリーは、イノセンスの適合者だと判明した後、ひとり『黒の教団』に連れて行かれた。
唯一の肉親である兄と引き離されたその生活は、ただただ辛かった。
何度も家族の夢を見て、気が触れてしまうほど泣き続けた。
ベッドに手足を縛り付けられ、自由すら奪われて、囚われのまま過ごす毎日。
だから兄が自分のために“室長”という地位に就き、『黒の教団』に入団してくれたときの喜びは、言葉では言い表せないほどだった。
兄はこの牢獄を、新しい家へと変えてくれた。
幼い心の淋しさをすっぽりと埋めてくれたのだ。
だからそのコムイが自分と同じ歳くらいの女の子を抱きかかえているのを見たとき、子供心に傷ついてしまったのも、無理のない話だった。
「グローリアが拾って来たんだよ」
困った顔で少女を腕に抱き上げながら、コムイは言った。
「何でもブックマンと相談することがあるから、しばらく預かっていろって。どうやらイノセンスの適合者らしいんだけど……」
グローリアというのは、厄介事を持ち込むのがどこまでも得意な女性だった。
それは後に弟子となったにも忠実に受け継がれているのだが、師弟そろってその面倒を、仮にも“室長”であるコムイに押し付けるような人物ではない。
他の人間に任せられないくらい、大事な子なんだろうか。
そう思うとリナリーはますます落ち着かなくなった。
「ねぇ兄さん」
「ん?何だい?」
リナリーは兄を取られてしまったような気分で、少しだけすねた口調で言った。
「ずっと抱っこしているの?下ろしてあげたら?」
「ああ、うん。でもね」
コムイは困惑気味に瞬いた。
「ちょっと様子が変なんだよ。さっきから口もきかないし、何の反応もしてくれなくて」
「本当に?」
リナリーは驚いて、少女を見つめた。
そう言われてみると、何だか異様な雰囲気の子だった。
金の髪は焼け焦げたように切れていて、胸のあたりに散らばっている。
白く細い手足には、まったく力が入っていないように見えた。
小さな顔の造作は一目で整ったものだとわかったが、瞳が異様に見開かれている。
金の双眸はそれでも目の前の何も映しておらず、少女はただコムイに体をあずけていた。
どこか別世界でも見ているようなその様子は、何だか自分と同じ生物とは思えない。
言葉も意思も通じない、まったく別の種族にさえ見えた。
リナリーは思わず身をすくめて、コムイを見上げた。
「兄さん。この子、一体どうしたの?」
「それがまだ何も聞いてないんだよ。とにかく預かっていろと言われて。あの子供嫌いのグローリアが背負って連れて来たからには、きっと歩くことも出来ないんだろう」
歩けないというよりは、その気力がないようにリナリーには見えた。
リナリーはそっと近づいていって、彼女を観察しようとした。
しかしその前に鼻を突いた血臭に、声をあげる。
「この子ケガをしているじゃない!早く医療室に運ばないと……!」
「それも、駄目だと言われてね」
コムイはわけがわからない、という顔をしていた。
「ボクもすぐにそうするべきだと言ったんだ。けれど黒の教団の者とはいえ、記録を残してしまう可能性のある医者にはまだ見せるなって。ブックマンが治療したから大丈夫だと言い張られたよ……」
「そんな……っ、でもすごい血の臭いよ!」
それだけで少女がかなりの大怪我を負っていることがわかった。
彼女がちっとも痛そうな素振りを見せないから、今まで気づけなかっただけだ。
手足に傷はないから、きっと服で隠れている腹部だろう。
リナリーはそう考えて、ぞっとした。
ケガ人の子供をこんなところに置いていくだなんて、グローリアとブックマンは何を考えているのだろうか。
きっと大人の深い理由とやらがあるのだろうが、それよりもリナリーはコムイの服を引っ張った。
「ねぇ、寝かせた方がいいわ。こっちのソファーに」
「抱きかかえていろというのがグローリアの注文なんだけどね……。やっぱりその方がよさそうだ」
コムイは頷いて、科学班の研究室にあるソファーに近づいた。
リナリーが素早くその上の本や資料を片付け、クッションを用意する。
コムイが床に膝をついて少女の体をそこに下ろしたが、彼女は横になろうとはしなかった。
ただコムイに抱きかかえられていたときと同じように、見開いた目で自分の膝を見下ろしていた。
コムイは小さく吐息をついて、優しい仕草で少女の頭を撫でた。
その時、遠くからコムイを呼ぶ科学班員の声が響いてきて、彼は困った顔をした。
すかさずリナリーが言う。
「行ってきて、兄さん。この子は私が見てるわ」
「でも……」
「大丈夫。ちゃんと傍にいるから」
真剣な様子でリナリーは訴えた。
自分のためにこの仕事に就いてくれた兄を精一杯たすけようと、幼心に誓っていたのだ。
コムイはその頑なな態度を見て、少し微笑んだ。
そして少女にしたのと同じように、リナリーの頭を撫でると、“すぐに戻るよ”と言い置いて踵を返した。
まだまだ手助けできることの少ないリナリーにとって、兄を手伝えると思うと無性に誇らしかった。
だから意気込んで少女を振り返る。
真正面から向かい合ってみると彼女の纏う雰囲気は異様さを増し、それに怯みながらもリナリーは懸命に声を出す。
「ねぇ……」
兄さんに大丈夫って言ったんだもの。
それにケガをしている人には優しくしてあげないと。
リナリーは少しぎこちないながらも笑顔を浮かべた。
「あなた、名前はなんていうの?」
「…………………」
「私はリナリーよ。リナリー・リー」
「…………………」
「中国人なの。ねぇ、あなたは?」
「…………………」
「……傷が痛むの?」
「…………………」
「だったら横になって……」
「…………………」
それからリナリーは考え付くすべての手段を使って、少女の気を引こうとした。
けれど彼女はまったくの無反応だった。
何を言っても答えないし、腕や手に触れても身じろぎひとつしなかった。
相変わらず仮面のような表情を貼り付けたまま、どこか違う世界を見つめている。
リナリーは気持ちがしぼんでいくのを感じた。
兄さんは私を信じてこの子を任せてくれたのに、私はそれに応えられない……。
それにこの子がこんな調子で、抱きかかえてくれている兄を無視し続けたとのだと考えると、少しだけ嫌な気分になってしまったのだ。
リナリーはコムイの腕に抱き上げられるのが好きだった。
そこはとても暖かくて、心地いいのだ。
本来ならばリナリーだけのその場所にこの子はいたのに、それでもお礼ひとつ言わなかったとなると、何だかちょっとだけ悔しかった。
リナリーはとうとう少女に話しかける言葉を失い、彼女を眺めた。
少女は金の瞳がとても印象的な人物だった。
顔の半分もあるのではないかと思うくらい大きな瞳は、見つめていると吸い込まれてしまいそうなほど深い色をしている。
それを囲む長いまつ毛は、まるでけぶるようだ。
リナリーは思わず少女の瞳に見入ってしまった。
そして好奇心に負けて、思わず手を伸ばそうとした、その時。
「やめなさい、リナリー」
美しい声が、リナリーを制止した。
驚いて振り返ると、そこには背の高い女性が立っていた。
長く真っ直ぐな髪は銀色に輝き、片方の肩から垂れ下がっている。
女性らしさを極めた体は漆黒の団服に包まれ、深いスリットの入ったロングスカートからは白く長い脚がのぞいていた。
氷を思わせるような美貌と、蠱惑的な魅力。
切れ長の蒼い瞳をこちらに向けているその女性の名を、リナリーは呼ぶ。
「グローリアさん」
リナリーは彼女に怒られるのかと思い、首を縮めた。
美しく強いグローリアは、リナリーの憧れだったのだ。
「お帰りなさい……」
とにかくいつも通りの言葉を口にすると、グローリアはにこりと微笑んだ。
「うん、たっだいま!久しぶりだなぁ、元気だった?」
「……………」
「ああ、リナリーは相変わらず可愛い!これであの変態メガネと血縁関係なんだから、つくづく遺伝子ってのは怖いな」
「あ、あの……?」
「んー何」
「お、怒ってないんですか?」
制止されたのだからてっきり怒られるものだと思っていたリナリーは、眉を下げてそう尋ねた。
するとグローリアはきょとんと目を見張り、首をかしげた。
「どうして私が、リナリーを怒らなきゃいけないの?」
「だって……」
「あーでもね。それ以上はやめなさい」
軽い口調で言いながら、グローリアはソファーの傍まで近づいてきた。
そしてそこに腰掛けた金髪の少女を覗き込んだ。
「あまりこの子に構うものではないよ。これからはどうなるかわからないけれど、今のこの子は貴方と関わってはいけない人種だから」
「え……?」
告げられた言葉の意味が掴めずにリナリーは瞬いたが、それより先にグローリアが続けた。
「それに怒らないといけないのはリナリーじゃなくて、あの変態メガネだ」
言うが早いか、さらにグローリアは素晴らしい大音声で怒鳴った。
「おいコラ、コムイ!そのメガネ破壊されたくなかったら、今すぐ私の前に出て来い!!」
その大声は広大な研究室に響き渡り、団員達はそろって耳を塞いだ。
リナリーはというと一番近くにいたため目を回しそうになっていた。
グローリアのこういった行動は慣れているコムイが、第二声を放たれる前に姿を現す。
片手には書類を持ったままだった。
「そんな大声出さなくても聞こえてるよ……」
「うっさい跪け。四の五の言わずに土下座だ、完膚なきまでに自分の過ちを謝罪しろ」
とても上司に対する口調ではない。
それもそのはず、この二人は言いたいことを言い合う潔い仲だった。
友人と呼んでいいものかリナリーには疑問だったが、本人たちはそう思っているようだ。
グローリアにびしりとそう命令されて、コムイは慣れたように肩をすくめてみせた。
「相変わらず無駄に尊大な奴だね、グローリア。何の話だい?」
「私はお前に、この娘を抱えていろと言っただろうが」
「ケガ人をいつまでもそうしているわけにはいかないだろう」
「ははぁ。相変わらず無駄に優しい男だな、お前は」
言いながらグローリアは親指で背後のソファーを指し示した。
それから口元に冷笑を浮かべる。
「私はお前を信頼して頼んだんだ。なのに何だ、可愛い妹に面倒を看させるとはいい度胸だな」
「グローリア。責める前にその子が何なのか、説明を要求してもいいかい?」
「駄目だ」
「……それはあまりに理不尽だと思うけど」
「お前、頭はいいんだろう?だったら考えろ。ここでは説明はできない。つまり?」
視線で促されて、コムイは一度口を閉じた。
それから呟くように言う。
「…………それはつまり、君はこれまで以上の厄介事を持ち込んでくれたということかな」
グローリアは特に答えずに、リナリーを振り返った。
「私もブックマンもまだこの娘の処遇を決めかねているんだ。そんなうちから他人と関わらせるわけにはいかないだろう。リナリー、その子から離れなさい」
言われてリナリーは弾かれたようにソファーから降りた。
グローリアの声は表面上は優しかったのだが、そこには逆らうことの出来ない意思が込められていたのだ。
それに大の大人が集まって問題視している少女のことが、少しだけ怖くなってしまったのである。
リナリーは小走りに駆けていって、コムイの足にしがみついた。
兄は安心させるように背中を撫でてくれた。
「ごめんねリナリー。ありがとう」
「ううん……」
リナリーが首を振る間に、グローリアは金髪の少女に近づいていって、その小さな体を抱き上げた。
少女はやはり無反応だった。
「リナリー、この子に何か言われた?」
「いいえ、何も」
「そう。だったらいい。気にしないで」
グローリアは穏やかにそう言うと、コムイを見上げて口調を変えた。
「コムイ、お前も来い。どうにも私達だけじゃ収集がつかない。“室長”として同席しろ。そこで話してやるよ。この娘が何者なのかをな」
「……わかったよ」
コムイは吐息と共に頷くと、少しだけ待っているようにグローリアに告げて、書類を置きに机に戻っていった。
その場に残されたリナリーは、不安に胸がどきどきするのを感じていた。
何だか今までにないくらい異様なことが起きていることを、肌で感じ取っていたのだ。
ケガ人なのに医者に見せることも躊躇わられ、これからの処遇を決めかねるような人物が、目の前にいる。
この子は一体、何者なんだろう。
怖さと好奇心がないまぜになって、リナリーは口を開かずにはいられなかった。
そうしないと不安に負けてしまいそうだったのだ。
「ねぇ、グローリアさん……」
「ん?なぁに」
「その子、どうしたの?どうしてケガをしているの?」
「リナリー……」
「もしかして、アクマに襲われたの?」
その時、少女の肩がピクリと震えた。
今まで人形のように動くことを知らなかった彼女が、初めて反応を示したのだ。
リナリーは驚いて、続けて口を開いた。
「私と同じで、家族と引き離されて、ここに連れてこられたの?」
「リナリー」
リナリーの声を遮るようにして、グローリアが強い調子でその名を呼んだ。
その理由は簡単だった。
少女の瞳が今まで以上に見開かれて、全身が震えはじめたからだ。
唇が開き、何かをうめいたようだったが、それが音になる前にグローリアが動いた。
少女の口を片手で塞いで、身動きが取れないように強く抱きこむ。
細い足が痙攣するようにもがいて、グローリアを跳ね除けようとした。
リナリーは思わず後ずさった。
少女が初めて見せた感情らしい感情が、凄まじい恐怖だったからだ。
塞がれた口から発作のように漏れるうめき声は、どうしようもない絶望に彩られている。
必死で助けを求める、子供の絶叫。
グローリアは力ずくで少女を抱え込むと、リナリーに向けて微笑んだ。
暴れる子供を必死に押さえ込んでいるから、その綺麗な顔は歪んでいた。
「ごめんね、リナリー。驚かせて」
「………………」
「あーそんな顔したら、せっかくの可愛さが台無しだよ。ハイ!大丈夫だいじょうぶ!」
ちょうどその時コムイが戻ってきたので、グローリアはすかさず歩き出した。
ほとんど走るようにして研究室から出て行く。
身をすくませたままリナリーが周りに意識を戻すと、皆が一様にグローリアと少女を見送っていた。
誰もが少女の心を揺さぶるような哀しみに、硬直してしまっていたのだ。
コムイはグローリアの後を追いながら、リナリーに言った。
「戻ってくるのが遅くなるかもしれない。時間になったらきちんと一人で眠るんだよ」
けれどリナリーは兄の声に頷くことが出来なかった。
グローリアに抱きかかえられた少女の切れ切れのうめき声は、こう言っているようにしか聞こえなかったからだ。
“殺して”
それが何に対する言葉なのかはわからない。
けれど必死のその叫びは、確かにリナリーの胸を貫いた。
耳について離れない。
ただひとつだけ理解できたのは、どうしても、今夜は眠れそうにないということだった。
ヒロインとの思い出話、第1弾『花咲く記憶』です。
トップバッターはリナリーで。
女の子ばかりで楽しいのですが、リナリー書きにくい……!(汗)
彼女はどこまでキャラを崩していいのかわかりません。
しかも今回はヒロインが全然喋ってませんね!あちゃーすみません。
次回はもう少し喋ってくれると思います。
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