彼女の名前は
見た目は美少女、中身は凶暴。
いたずら仔猫のように自由で、勝気な瞳で心を揺さぶる。


意識を捕らえて離さない。






● 荊を抱いて  EPISODE 1 ●






『黒の教団』に入団してはや数週間。
いまだに実態の掴めない人間がいる。
いや……あれを人間と呼んでいいのかすら、僕にはよくわからない。
それは厳密に言うと同じ生物と認めたくないだけで。
認めてしまえば、そんなのは、何だか今まで真っ当に生きてきた自分自身に申し訳ない気がするのだ。


「おはよう、アレンくん」


突然声をかけられてアレンはハッと顔をあげた。
意識を引き戻されてみれば、場所は食堂。時刻は朝だ。
多くの人で込み合うそこで、いつの間にか目の前にリナリーが立っていた。
アレンはほとんど反射的に微笑みを浮かべる。
人好きのする完璧な笑顔を。


「おはようございます、リナリー」


これは完全にアレンの癖だった。
実の両親に捨てられたという過去があるからか常に他人への気配りを忘れず、無意識に笑顔を創ってしまう。
しかし、それを悪いことだとは思っていない。
むしろ人間関係をうまくやっていくうえで、役立つ特性だと認識している。
そもそもこの癖に気が付いたのはごく最近になってからのことだ。
それも出逢ったばかりの者に指摘されて……。


「難しい顔をしていたけれど、何か考え事?」


リナリーが向かいの席に腰掛けながら訊いてきた。
その瞬間、アレンは笑顔を消した。
今度も完璧な条件反射で眉をひそめる。
それを見てリナリーは自分の唇を手で押さえた。


「ごめんなさい。聞いちゃいけないことだった?」
「いえ……。すみません、リナリーのせいじゃないんです」
「そう……ならいいんだけど。アレンくん、なんだか怖い顔してたから気になって」


そんな顔をしていたのか。
己の不覚に表情を歪めたアレンに、リナリーはさらに追い討ちをかけた。


「それに食事が全然進んでないみたいだし」
「あ……」


そういえば先刻からフォークは止まったままだ。
食事は半分進めたところで中断しており、それまでも何を食べたか全く覚えていない。


あぁ本当に不覚だ。


「何か悩み事?私に出来ることがあったら何でも言ってね」
「リナリー……いえ、これは、その」


アレンはどう言い逃れようか迷ったが、リナリーが真剣に心配してくれているみたいなので、諦めて吐息をついた。
口にするには不本意な話題だ。
思わずテーブルを睨みつける。


「違うんです。悩みとかそんなんじゃなくて……。いや、悩みかもしれない。対処に困ってるんです。理解に苦しんでるんです。心底」
「なんの?」
「ここに来て初めて出逢った未確認生物の、ですよ」


正直にそう告白したのに、リナリーはわからないという顔をした。
不思議そうな視線で見つめられるが、アレンにとっては彼女のほうが不思議だ。


ここに生息する未確認生物といったらあの人しかいないだろうに。


「ごめんなさい、アレンくん。誰のこと言って……」


その時、食堂がざわめいた。
リナリーは言葉を止め、アレンは後ろを振り返る。
二人して視線を投げると、少し離れた場所に人だかりができているのが見て取れた。
エクソシストも探索隊ファインダーも科学班も、医療班の人間までもが集まって、何かを取り囲んでいるようだ。
雰囲気から察するにどうやら揉め事が起こったらしい。
男たちの昂ぶった声と、女の悲鳴。


「何かしら?」
「どうせまたあの人でしょう……」
「え?」
「問題が起こったところには必ず居ますからね……。いや、いつもあの人が問題を引き起こしてるのか」


アレンは呆れた口調で吐息をついた。
食事はまたもや中断だ。
けれど仕方がない。
アレンはさっさと立ち上がりながら、リナリーに告げた。


「行きましょう。暴走する前に食い止めないと」


本当は厄介なので関わりたくないのだが、そうも言っていられない。
あの人と同じ空間にこれだけの人間がいるのだ。
暴走王と化す前に捕獲しないと被害寛大まちがいなし。
とばっちりはごめんだ。


強くそう思って、アレンは足を速めた。
















「だからさー、わかってないんだよ君たちは」


ちちち、と指を振っては目の前の男たちを見上げた。
片手を腰に当てて難しい顔をしてみせる。
先生にでもなった気分で、口調は我ながら偉そうだ。
その感覚は自分たちを取り囲む人間の多さにさらに強くなる。(事実、たいした数のギャラリーだ)
朝の食堂の中央で、皆の視線を一身に集めては言った。


「朝っぱらからナンパってのもどうかと思うけど。まずやり方がなってないんだよね。彼女たち、嫌がってるでしょ」
さん……」


背後にかばった探索隊ファインダーの女の子たちが不安そうに名前を呼んでくる。
大丈夫だと言うかわりに、は視線だけで振り返って微笑んだ。
その間に男たちの標的は彼女たちから自分へと変わったようだった。
彼らは突然乱入してきたに多少驚きはしたものの、すぐにニヤニヤ笑いを浮かべて、全身を舐めるように眺めまわした。


「なんだなんだ。えらく美人なお嬢さんだな」
「その子たちの代わりに俺たちと遊んでくれるのか?」
「だったら大歓迎だぜ」


それぞれが言って、全員で大笑いをした。
どうやら彼らとは笑いのツボが百八十度違うらしい。
は呆れてため息をついた。
それはもう、ワザとらしく、大げさに。


「まったく……。どうして男ってのは人の顔見てそういうことばっか言うのかな。なに?ヨッキュウフマンってやつ?」


少女の唇から飛び出したその単語に、男たちの表情が固まった。
しかしは構わない。


「ラビに聞いたけど、それってすごく辛いんでしょ?まぁアイツは何だかんだでモテるから無縁だろうけど。お兄さんたちは違うみたいだから、高望みなんかしないで、身の丈に合わせて、ゴリラにでも相手してもらえば?」
「な……っ」
「あなた方にこの子たちは勿体ないって言ってるの」


あっさりした口調でそう告げれば、男たちが絶句した。
は彼らに向って嫌味でもなくにこりと微笑んでみせる。
ただしそれは先刻探索隊ファインダーの女の子たちに見せた笑みとは明らかに暖度差のある、冷たい笑顔だった。


「自分の強さを誇示したいだけなら動物のほうが惹かれてくれるはずだもの。人間のお嬢さんを口説きたいのなら、もっと相手に配慮をするべきね」
「……っつ」
「わかりやすく言うと“ナンパ修行をして出直して来い!”。さて、理解してくれたのかな?オッケー?ダイジョーブ?」
「……お前っ」
「わー呆けた顔も素敵だね、お兄さんたち」


は嬉しそうにぽんっと手を叩いた。


「今ならきっとウェスタンローランドゴリラだって口説けちゃうよ、オメデトウ!」


その悪びれのない口調に周囲は思わず笑いを漏らす。
男たちはカッと顔を赤くして、を睨みつけた。


「さっきから黙って聞いてれば好き勝手言いやがって……っ」
「ここの法律では発言の自由を認められてるはずだけど?」
「このっ!」
「まぁ、待てよ」


思わず手をあげそうになった仲間を諌めつつ、一人の男が歩み出てきた。
どうやら彼がリーダーらしい。
見たことのない顔だ。
それは後ろにいる全員も同じで、には新しく入った者たちなのだろうと推測ができた。
彼は感じの悪い笑みを浮かべたまま、こちらを見下ろしてきた。


「随分と勝気な女だな……。まぁ、いいさ。最初はそっちの子たちに遊んでもらおうと思ってたが、お嬢さんかなりの美少女だし」
「それはどーも」
「さっき言ったことの侘びも兼ねて、あんたに付き合ってもらうぜ」


そう言ってリーダー男はへと手を伸ばした。
周りを囲んでいる人々にざわめきが走り、探索隊ファインダーの女の子たちが息を呑む。
しかし当のは男の行動をごく普通に眺めていた。
あーあ。無理矢理ナンパの次は強制連行か。
こういう強引なところが敗因なのに。
もう殴っちゃっていいのかなコレ。


ぼんやりとそう思う。
そうして男の手を避けるために軽く足を動かした、その時。



に触らないでください」



そんな声とともに横から伸びてきた手が、男の手首を鷲掴んだ。
突然のことにその場にいる全員が目を見張る。
ただ一人、だけが思いきり顔をしかめた。


「げっ」
「人の顔見て開口一番がそれですか。感じ悪いですね」
「またあんたか……」


はその人物の非難の声など聞かずに、アイターと額を押さえた。
自分に背を向けて男の手を掴んで止めたのは白髪の少年だった。


彼はつい最近『黒の教団』にやってきた新人エクソシストである。
綺麗な白い髪に銀灰色の瞳。
優しげな物腰で、常に感じのよい笑顔を浮かべている。




……………………………………………………の前以外では。




豪快な歓迎パートツーと称して完璧すぎる彼の本性を暴いてやろうと何度か本気アタックをかけてみたところ、彼はを前にすると驚くほど辛辣になってしまったのだ。
恐らくこちらが素なのだろうが、他の人間とに対する態度の違いは訴訟ものだった。
まず、彼は基本的にの前では笑わない。
微笑みを浮かべることはあってもそれは人好きのするものではなく、背筋の凍るような恐ろしいものだった。
そしてその笑顔で言うのだ。
ほとんど暴言に近い言葉を。


「どうしてこう毎日毎日飽きもせず問題を起こせるんですか学習能力がないんですかこれだから馬鹿は、大丈夫ですか?」
「……………………………ちなみに聞くけど何が」
「頭」
「まったくもって大丈夫だよ何言ってんの!?」
「嘘はいけませんよ。もう手遅れなんですね、知ってました」
「ねぇ喧嘩売ってるよね?売ってるんだよね!?」
「変なこと言わないでください。存在自体が世の中に喧嘩を売ってるような君に、どうして僕が喧嘩を売らなきゃいけないんですか」


いきり立つにアレンは完璧な笑顔のまま、早口でそう言った。
もちろん周囲には聞こえないように、小声で。
このようにして彼はいまだ以外にそのどす黒い本性を明かしておらず、英国紳士として名を教団中に馳せていた。
女性はさることながら、その丁寧な言動のため男性陣からも評判がいい。
にしてみれば事実の捏造もいいところである。
何となく彼に合わせては小声でまくしたてた。


「何でいつも出て来るのよ!そんなに私の邪魔が楽しい!?」


このところアレンはが何か事を起こすたびに、文句をつけにやってくるのだ。
手厳しい言葉を容赦なく吐いて、時には実力行使にまで出る。
どうやら彼は遠慮なく接するに何かがキレたのだろう、己も遠慮というものをとうの昔に止めていた。
相手が女であることも、仲良くすべき同僚であることも、何もかもを念頭から削除しているようだ。
おかげでアレンとは連日取っ組み合いの喧嘩を繰り広げていた。
は自分が過激な人間だということを承知していた。
それに加え、今回の相手は口が達者なうえに見た目に反して頑固者だった。
喧嘩は一度始まれば始末におえず、二人して身体能力の高いこともあって、毎日『黒の教団』を壊滅の危機に陥れてしまっているのだ。
ちなみに昨日吹き飛ばしてしまった談話室の屋根はまだ修理中のはずである。
すでに戦闘体勢に入ったを面倒くさそうに見やってアレンは口を開いた。


「なに寝ぼけきった発言してるんですか。僕はいつも被害を最小限に抑えようと思っているだけですよ」
「それこそ寝ぼけきった発言だって言うのよ。あんたのせいで毎日コムイ室長に始末書を書かされるわ、リーバー班長に呆れられるわ、神田に怒られるわでさんざんなのよ!」
「知ってますか、。そういうのを世の中では自業自得って言うんですよ」


彼は相変わらず笑顔を崩さなかったが、その口調は聞き分けのない小さな子供に言い聞かせる、大人のような響きを持っていた。
は力いっぱい反撃したくなって、ほとんどそうしようと思ったが、彼が突然口調を変えたのでそれは未遂に終わる。


「一応挨拶しておきます」


そう前置きして、彼は周りに聞こえるようにに言った。


「おはようございます。気持ちのいい朝ですね」


一体 何の真似かと思ったが、周囲に意識を戻してみると皆が一様にこちらを見ていた。
誰もが突然割り込んできた少年との動向を見守っていたのだ。
相変わらず外ヅラはいいわけだ。
はアレンの行動にそう結論を出すと、彼に向かって挑戦的な笑顔を浮かべた。


「あんたが登場するまではそうだったのにね。おかげで私のテンションは見事な直線を描いて急下降中よ!」


けれどその笑みも途中で消した。
人ごみを掻き分けるようにして、黒髪の少女が姿を現したからだ。


「リナリー!」
「あぁやっぱりだったのね……、アレンくんの言った通り」


その可憐なリナリーの表情に、はアレンの服の裾を掴んで噛み付くように言った。


「ばかっ、リナリーまで連れてきたの!?あの子まで絡まれたりしたらどうするのよ!」
「彼らがコムイさんに殺されるでしょうね」
「その前に私が殺ってやる!マイスィートハニーに手を出して、生きていられると思うなよ!!」


実際にそうしたわけではないのに、は男たちに突進していきそうになってアレンに首根っこを取り押さえられた。
その手つきがあまりにも無造作だったので何となく誰も驚かなかった。
の怒りなどよそに、リナリーはアレンが言い当てたままの現状に感心したように呟いた。


「すごいわアレンくん。出逢ってまだ間もないのに、のことよくわかってるのね」
「そんなんじゃありませんよ。いつもこの人が騒ぎの元凶なだけです」


とびっきりの笑顔でアレンが言ったので、リナリーにはその言葉の失礼さがきちんと伝わらなかったようだ。
そうなんだ、と普通に納得している。





その時 躊躇いがちな声がかけられた。








またもや長くなってしまったので、こんな微妙なところで切ってしまいました。(汗)
『荊を抱いて』はじまりです。出来れば「だいて」ではなく、「いだいて」とお読みください。
とりあえず今回の話では“ヒロインの内面に触れよう!”がテーマです。
どうぞよろしくお付き合いください!