そして今日も大惨事。






● 荊を抱いて  EPISODE 2 ●






「お、おい……」


躊躇いがちにかけられた声にアレンとが顔を前に戻すと、少年に手首を捕まれたままだった男が困惑気味に瞬いていた。
ようやく状況を理解して声を出したようだ。


「誰だよ、お前は」


徐々に行動を邪魔された怒りが沸いてきたのか、男はアレンを睨みつけた。
彼はそれを受けて微笑んだ。
に向けるものではない、よそ行きの笑顔である。


「はじめまして。アレン・ウォーカーです」


バカ丁寧に自己紹介したその名に、男は覚えがあるようだった。


「ああ、俺たちと同じ時期に入ったっていう……」
「僕のことをご存知でしたか。それはよかった嬉しいです。毎日顔を突き合わせているっていうのに、いまだに名前を覚えられない馬鹿もいるものですから」


彼の言うところの馬鹿とはもちろんのことである。(そして恐らく神田も含む)


「覚えられないんじゃない、覚えないの!」


は反論した。
言葉通りは何となくもアレンの名前を覚えようとしていなかった。
彼があまりにもそれを強要してくるから反発してしまっているのだ。
それに記憶してしまったら呼ばざるを得ないではないか。
呼び捨てだと仲が良いみたいに見られてしまうし、敬称をつけるのは面倒くさい。
だからはアレンの名前を覚えないというかなりアレな作戦を決行中だった。
他人の目から見たら突拍子のない強硬策なのだが、もともと人名を記憶するのが苦手なにはそれほど苦のあるものではなかった。
そのせいもあってアレンがに突っかかって行くのだということは、もちろん知らずに。
アレンはの言葉を華麗に無視した。
そして目の前の男に言った。


「初対面でこういうことを言うのも失礼ですけど、に手を出さないでください」


男は一瞬 きょとんとしたがすぐに嫌な笑いを浮かべた。
後ろの仲間たちも同様だ。


「何だ、お前このお嬢さんの男……」
「有り得ない!!」「冗談じゃありませんよ、こんな人……っ」


男の声はの悲鳴じみた叫びと、アレンの静かだが強すぎる感のある言葉に遮られた。
ついでにには向こう脛を思いきり蹴りつけられ、アレンには手首を掴む手にこれでもかと力をこめられた。
男は悲鳴を上げたがアレンは黙殺して続ける。


は、一応、これでも、たぶん、恐らく、生物学上は、女性なんですから乱暴は駄目ですよ」
「余計な副詞はつけなくていいよ!」
「と、まぁそれは建前で」
「しかもタテマエか!」


アレンはその銀灰色の瞳を細めて、男を見やった。


「助けてあげたんだから、お礼ぐらい言ったらどうです?」


男は痛みに涙を浮かべながらも声を荒げる。


「助けたのは俺じゃなくて、その女だろ!?」
「なに言ってるんですか」


アレンは心底呆れたような声を出した。


「僕が止めてなかったら、今頃あなたは医療室のベッドの上ですよ。再起不能に陥りたくなければうっかりに関わらないでください」
「なに言ってんだ、お前」
「そうだよ何言って……むぐっ」


怪訝な顔をした男に同意しようとしただったが、アレンに無理に口を塞がれる。
少年はうんざりした口調で続けた。


「悪いことは言いません。早く逃げてください」
「はぁ?」
がキレると誰にも手が負えないんです。後始末が面倒なんで、早いとこどこかに行ってください」


アレンは真剣に嫌そうにそう告げた。
親切のつもりだったのだが、しかし男たちには通じなかったようだ。
全員が馬鹿にしたような笑いを漏らした。


「おいおい、そこの可愛らしいお譲さんがなんだって?」
「可愛らしいお嬢さん……」


その単語にアレンが鳥肌を立てたことに気が付いて、は全力で口を塞いでくる彼の手から逃れた。


「何ちょっと引いてるの!?」
「いえ……あんまりと言えばあんまりの認識間違いに驚いて……。知らないってある意味 罪ですね………」
「うわぁ、この人 相変わらず失礼だ!!」


アレンの自分だけに対するあまりの言い草に、は眉を吊り上げた。
けれど彼が本気で顔色を失くしているので、何となく怒りの矛先が変わった。
例の男たちをキッと強く見据える。


「あんた達がぐだぐだするから私がアレンに馬鹿にされたじゃない!どうしてくれるの!?」


そのあまりの剣幕に男たちは怯んだ。
それでもは止まらない。


「乙女に対する態度が全然なってないんだよ!大体あんた達はナンパのやり方からしてダメダメで、ホントもう見てられなかった!!」
「え、あ、う……」
、論点がずれてますよ」


口ごもる男たちに同情したのかアレンが言ったが、それはに一蹴された。


「うるさぁい邪魔すんな!いい!?女性を口説くにはね、強引なやり方じゃダメなのよ!」


は一気にまくし立てると意味のないポーズをびしりときめた。


「その手のことに関してはこの私!におまかせっ」


あーあ本当に論点がずれてきたなぁとうんざり思うアレンの目の前で、は男たちに「目をかっぽじって見てなさい!」と命令すると、後ろにいた探索隊ファインダーの女の子たちに近づいて行った。
そして一人の少女の手をそっと取る。
彼女は茶色の瞳で戸惑ったように瞬いた。
はどこか憂いを帯びた表情でしばらくその顔を見つめたあと、彼女の耳元で何かを囁いた。


次の瞬間。


探索隊ファインダーの少女の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。
彼女は一度口を開いて、ゆっくりと閉じた。
それから本当に小さな声で呟く。


「そんな……、さん……」
「ごめんね、迷惑だった?」
「そんな!迷惑だなんて……!」


はそこで彼女の頬をさらりと撫でて、微笑んだ。


「真っ赤だね。かわいい」


その途端、探索隊ファインダーの少女はふらりとよろめいた。
熱にうかされたような表情で、どうやら意識を失ったらしい。
は慣れたようにその体を支えてやる。


たちまち食堂中の女性たちから黄色い悲鳴があがった。



「ちょ、ずるいわよ貴女!!」
「そうよ、さんから離れなさいよー!!」
「でも、キャー素敵ー!!」
「いつも通り最高だわー!!」
さーん!今度は私を口説いてー!!」



「「「「………………………………………………」」」」



アレンを含む男たちはその光景に呆然と口を開けた。
何だこの騒ぎは。
女性たちは揃って頬を染め、高々と腕を振り上げている。
そんななか倒れた少女は医療室に運ばれていった。


「乱暴にしないでね。女の子は繊細なんだから」


とか言いながら見送って、はさらに周囲の女性たちにも手を振る。
すると即座にひとかたまりになって「キャーーーーーーー!!」と歓声があがった。


………………………この教団の女性たちは、どうにも理解しがたいところに感性を置いているようだ。


アレンは唯一の頼みとばかりにリナリーを振り返ったが、彼女はハンカチを噛み締めて嘆いていた。


「ひどいわ……!私というものがありながら!!」

「…………………………」


アレンは何も見なかったことにして、顔の向きを元に戻した。
相変わらずのアイドルっぷりを発揮しているに向って嫌そうに尋ねる。


「…………………どうしてそんなに女性に人気なんですか、君は」


は少し考えたが答えが見つからなかったようで、周りの女性たちに向かって大声で訊いた。


「ねー何でー!?」

「どんな女の子より可愛いからー!」
「その辺の男より格好いいからー!」
「それにいつも嬉しいこと言ってくれるし!」
「気さくに話しかけてくれるのも好き!」
「ねぇ、親しみやすいもの!」
「女の味方!!」
「マヌケなとこも魅力よー!」

「……だそうよ?」


はくるりとアレンを向き直って、そう呟いた。
視線はあらぬ方を向いている。
どうやら少し照れくさいらしい。
アレンは何となく面白くない気がして眉をしかめたが、は気付かずに男たちに視線を転じてにやりと微笑んだ。


「それよりどう?この見事な口説きっぷり。女の子には優しくね!」
「や、優しくっつたって……!」
「さぁ私を見習ってレッツトライ!」
「出来るかよ!明らかに異常だろ、その女たち!何言われたらそんなにメロメロになれるんだよ!!」


リーダー男が極めてもっともなことを言ったが、は取り合わなかった。


「初めから諦めるなぁ!最近の若者はそれだからいけないんだよ」
「どうしろっつーんだよ!?」
「何事もやってみなきゃわからないでしょ!?」
「無理に決まってんだろ!!」
「あぁもう、さっきから文句ばっかり!反抗期の少年かオマエー!!」
「キレたいのはこっちだー!!!!」


お互いに叫びあってとリーダー男は睨み合った。
一方は肩で息をしながら。もう一方は不遜なまでに堂々と。
胸を張ってはリーダー男を見上げた。


「仕方ないな……。だったら私は、女性の味方としてあんたと戦わなきゃいけない!」
「何でですか」


アレンが言ったが、リーダー男も馬鹿だった。


「受けて立つぜ」
「だから何でですか!」


二人してアレンの突っ込みを無視して距離を取る。
これは本格的にまずいなと思ったが、アレンが止める前にが言った。


「これもまた、運命なのよ……」
「絶対に違うと僕は自信を持って言えます!」


大声で断言してみせるけれど、やはり周囲の女性たちは皆の味方のようで、やんややんやと二人の勝負をはやし立てる。


「そんな奴、やっつけちゃって!」
「女の敵よー!」
さん、がんばってー!」


ここまで言われて、が引き下がるなんてことは世界がひっくり返ったとしても有り得ない。
そんなことぐらいアレンはもう知っていた。
しかも女性のみならず、周りの男性たちもこっそりを応援しているのだからタチが悪い。
それでもアレンはめげずに言った。


。無駄でしょうけど一応言っておきます。やめたほうがいいですよ」
「どうして?」


は仔猫みたいに唇を吊り上げて、いたずらっぽく笑った。


「あんただって知ってるくせに。私はいつだって本気なんだよ」


その決然とした態度に、リーダー男はいやらしい笑みを浮かべた。


「威勢のいいお嬢さんだ。やっぱり惜しいぜ……今からでもいい、俺たちに付き合えよ」
「あんたが勝ったら考えてあげる。ただし、私が勝ったら二度と女の子たちに乱暴なことしないで」
「はん?自分はいいのか?乱暴されて」
「ご自由に」


男たちは口笛を吹いて笑ったが、は動じずに瞳を細めた。


「でも、乱暴されるのはどっちかな?」


その声には挑発の色が含まれていて、リーダー男はふんっと鼻から息を吐いた。


「いいだろう。5秒で泣かせてやる」
「そんなにいらない。3秒で終わらせてあげるよ」


は大きく両手を広げて、言い放った。


「さぁ、どこからでもかかって来い!」


それはあまりにも無防備な格好で、これから勝負する人間のものではなかった。
何の構えもなく、ただ攻撃されるのを待っている。
リーダー男も不審そうに眉をひそめてを見ていたが、突然に床を蹴った。
間合いを詰めて少女へと拳を振り下ろす。


「いち」


声だけを残しての姿が消えた。
彼女は身を深く沈めて蹴りを繰り出し、リーダー男の軸足を跳ね飛ばした。


「にい」


あまりの勢いにリーダー男の体が宙に浮く。
前転の途中のような姿勢で、彼はふわりとくうに浮いていた。
自分に何が起こっているのか理解できていないのだろう、両手足を投げ出している。
は片足で素早く身を翻すと、その回転力を殺さずにリーダー男の腹を回し蹴った。
その衝撃に彼の体はいともたやすく吹き飛ばされる。


「さん!」


が高らかにカウントし終えると同時にリーダー男はテーブルに激突、それを半分に叩き割ってようやく止まった。
頭を下に、テーブルの残骸に両足を引っ掛けて、床に落ちる。
一瞬しん……となった後、食堂は驚きと称賛のざわめきで沸きかえった。
宣言どおり3秒で終わらせたに惜しみない拍手が送られる。
彼女はそれに特には表情を変えず、唖然としたまま固まっているリーダー男の仲間たちに言った。


「大丈夫だよ、手加減したから。ギリッギリの理性でね」
「だったら勝負を我慢してくださいよ。理性で」


アレンは呆れ返った口調で言ったが、はふふんと笑う。


「残念!女の子の敵を野放しに出来るほど、私は優しくないの」


明るく言われた言葉は胸がスッとするほど快活で、確かに親しみと好感が持てる。
女性たちが……いや、人々が彼女に惹かれる理由がわからなくもない。
しかし、それでもアレンは一概にを認められなかった。
その理由は、


「本当に馬鹿ですね」
「な……っ」


アレンは言い返そうとしたを押さえて、ある方向を指差した。
彼女は怪訝な顔をしてそちらを見る。
そこには例のリーダー男が伸びていて、側には真っ二つになったテーブルの残骸。
その向こう側に。
もうもうと立ち込めている埃の中に、誰かがいた。


その正体を見とめた瞬間、は青ざめた。


「あ……っ、ああっ」
「だから言ったでしょう。やめたほうがいいって」


アレンが言ったがは聞いていなかった。
引き攣った笑みを浮かべて、そこにいた人物に片手をあげる。



「おっはよー神田!本日はお日柄もよく、どうしたの頭から蕎麦なんてかぶっちゃってご機嫌だね!!」



無理に明るい声を出したが、そんなことで誤魔化せるはずもなく。


いきなり吹き飛んできた男にテーブルを破壊され、蕎麦を全身に浴びる羽目になった神田は一度静かに目を閉じた。
髪から滴り落ちるだし汁と額に張り付いた天ぷらが、何とも滑稽だ。
神田は容赦なくテーブルの残骸を踏み砕き、リーダー男を蹴りつけて立ち上がった。


そして瞳を開く。


「ご機嫌なのは……」


右手に握られた『六幻』は、すでに抜刀されていた。



「テメェの存在自体だろうが、バカ女ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」



その瞬間、黒の教団に爆音が轟いた。
そしてアレンは今日も思う。


やっぱりこうなるのか、と。








馬鹿だなぁ……としか言いようのないヒロインの日常です。
彼女は変な意味ではなく女の子が大好きなんですよ。口説くのもお手のもの。
その理由はそのうち出せればいいな、と思います。(あくまで予定!)
次回は神田のお説教です。