こうして彼女は毎日 伝説を生んでいる。
● 荊を抱いて EPISODE 3 ●
「いや……ホント調子に乗っちゃってました。正直言ってノリノリでした。そう言えば満足か満足なんだろチクショウごめんなさい!!」
一瞬にして廃墟と化した食堂の真ん中、壊れてひっくり返ったテーブルの上で、はヤケクソ気味に謝った。
その眼前には『六幻』を手にしたまま仁王立ちになった神田。
彼は“正座”という東洋の独特の座り方をに強要し、逆らうことを許さなかった。
その表情はまるで、神話の、見たものを石に変えるという蛇の頭髪を持った魔物のようだった。
「……いいか、バカ女」
神田は世にも恐ろしい形相で、正座したを見下ろした。
「これでテメェは何回、俺の蕎麦を台無しにした?」
「えーっと、たぶん一万回よりは少ないと思います!」
「限りなくそれに近いけどな!!」
「そんなことないよ、神田っておバカさんだからきっと数え間違い……」
ガンッ!!!!
の言葉は勢いよく振り下ろされた神田の『六幻』によって遮られた。
刀はつい先刻まで彼女が座っていたところを見事にえぐっていた。
後ろにずっこけたままの体勢で、は恐怖にがくがく震えながら叫ぶ。
「こ……怖!ホントに怖っ!」
「チッ、踏み込みが浅かったか」
「本気だったでしょ、今の本気だったでしょ!!」
「当たり前だろテメェの悪行の数々を考えろ!!」
「食べ物を粗末にしちゃったことはホントに悪かったと思うけど、私の命は蕎麦以下かー!?」
「俺から蕎麦を奪う奴は誰だろうが……斬る!!」
「なんかカッコつけてるけどダサいから!言ってることダサいから!!」
「いいからとっとと首を寄こせ!!」
「私たち友達でしょー!?」
「蕎麦の前ではそんなもの、なんの価値もねぇんだよ!!」
「何だその脆弱な友情!!」
ぎゃーぎゃー言い合う二人をアレンは少し離れたところから眺めていた。
かろうじて無事だったテーブルに腰かけ、優雅に朝食の続きを取っているのである。
あぁ美味しい。
やっぱり朝食は一日の基本だからしっかり食べないと駄目ですよね。
「ちょっと!そんな安全地帯から見てないでたすけてよ!このーっ」
がそう叫んできたので、アレンは仕方なくフォークを動かす手を止めた。
「助け……ですか。そうですね、土下座でもすればいいんじゃないんですか?」
「何で!?」
「僕が見たいから」
「おいコラ理由が最悪だ!」
「気にしないでください、ただの野次馬精神です」
「薄情者めー!どうせ私なんてひどい目にあえばいいって思ってるんでしょ!?」
「ええ、心底」
「こんにゃろー!」
最高の笑顔で頷いてやると、は怒りに震える拳を振り上げた。
アレンはそんなことなどどこ吹く風、完全に無視をして幸せな朝食タイムに戻ろうとしたが、遠くから思いつく限りの悪口を叫ばれてはどうにも食事がまずくなる。
諦めて吐息をついた。
「じゃあどうしてほしいんですか、君は」
「死神にじゃんじゃん魂売ってもいいから今すぐ私をたすけて!!」
「うわー安いなぁ君の命」
「何言ってんの、売るのはあんたの魂だよ!」
「………………神田。早くその馬鹿殺っちゃってください」
アレンは笑顔で穏やかに神田を促した。
その目は異常なまでに据わっていたが。
神田はアレンを不愉快そうに一瞥した。
「テメェなんかに言われなくても、そうするつもりだ」
「ちょ、待っ、モヤシの役立たずー!」
「神田もういいから早く殺っちゃってください早く早く早く……!!」
呪詛のごとく「殺れ!」と呟き続けるアレンを背景に、神田は『六幻』を振り上げた。
その光景の恐ろしいこと。
は年齢制限のあるホラー映画を無理やり見せられている気分を味わいながら、ある決意を固めた。
絶体絶命、目の前の敵を倒すには最終兵器を使うしかない!
出来ればこの技だけは使いたくなかったが……命には代えられない。
くっと唇をかみ締めては神田を見上げた。
その表情に神田はぴたりと動きを止めた。
いつもと違うの様子に、不審そうに眉をひそめる。
「神田……」
は睫毛を震わせて、潤んだ瞳で神田を見つめた。
ここで身を乗り出すフリをして、さりげなく足を崩すのがポイントだ。(だって正座は足がしびれる)
一生懸命さと女らしさを全開でアピール。
は切なげに囁いた。
「お願いだから許して……。本当にごめんなさい。ねぇ……愛してるから」
ズガァァァン!!!!!!
その瞬間、凄まじい勢いで『六幻』が振り下ろされた。
それはどんな超人でも避けられないほどの速さで、はイノセンスを使うことでなんとかその場を生き延びた。
咄嗟に放った黒い光は盾となって神田の凶刃を防いでいる。
その防御壁の内側で、本当の命の危機に晒されたは硬直していた。
限界を通り過ぎてしまっていて震えもこない。
神田の体がゆらりと揺れた。
は悲鳴を上げて、思わずイノセンスの発動を解いてしまった。
「ひい!?」
「………」
「はい何でありますですか神田さん!」
「……今のはいい攻撃だったぜ。精神面に壊滅的なダメージを与えるとはやるじゃねぇか…………」
「は……?いえ、それほどでも」
そんな攻撃いつしたかなと考えるの目の前で、神田は自分の心臓を荒々しく押さえつけた。
「女のフリしたお前がここまでおぞましいとはな……!!」
「よーし、それはどーゆーことかなぁ!?」
今にも倒れそうな蒼白な顔で呻く神田には顔面の肉を引き攣らせた。
先刻かました自分の最終兵器である“超乙女なアクション”に、この反応とは。
許せない、これは断じて許せない!!
「何なの神田は!ちょっとおかしいんじゃないのー!?」
「おかしいのはテメェの頭だ、存在そのものだ……!!」
「何でよ、ものすごくがんばったのに!“愛してるから”のところなんて瞬殺ものでしょ!?」
「ああ、確かに瞬殺だったな……腹立たしさのあまり、見えてはいけない世界が見えたほどだ……!!」
「わー憎たらしい!なんて言うか……憎たらしい!!」
は座り込んだまま目の前にある神田の足をぽかぽかと殴った。
神田は抵抗する気すら失せてしまったようで、ただひたすら気持ち悪そうに口元を覆って明後日の方向を向いている。
一方アレンはというと、やはり精神的に大打撃を受けて机に突っ伏していた。
これだけの距離があってこの威力なら、目の前でやられた神田はよく生きていたものだと素直に感心してしまう。
アレンが眩暈のする頭を上げたとき、彼はすでに『六幻』を振るう元気を失っていた。
「もうお前を斬る気力すらねぇよ……」
「え、ホント?やったー!」
は命の危機が去ったことを知って心から喜んだ。
これはある意味 最終兵器での攻撃は成功したことになるのかもしれない。
しかし、両手を振り上げてバンザイをしたところでは固まった。
神田が無言で『六幻』を差し出してきたからだ。
「や……あの。これをどうしろと」
「決まってんだろ」
神田は当然といった口調で続けた。
「今すぐ切腹しろ」
「うわーい異文化交流?」
は微笑もうとしたが、それは無駄な努力だった。
神田の真剣な表情に唇が引き攣って仕方がない。
ずいっと『六幻』を押し付けられて、は涙目になりながら叫んだ。
「ちょっと待って、何でそうなるの!?」
「俺にはもう斬る気力がねぇって言っただろ。だから自分で始末をつけろ」
「出来るかー!!」
「何が不満なんだ。俺の国では名誉ある最期だぜ」
神田はごく真面目に言ったが、は強く訴える。
「反対ー!血まみれスプラッタはんたいー!」
「大丈夫だ。俺が介錯してやる、さっさと腹を斬れ」
「何が大丈夫なもんか!そんなこと言うんなら、これからはさらし一丁と書いて神田って呼ばせてもらうからね!」
「これからがあるんならそうしろよ。それよりとっとと刀を構えろ。いいか、切腹のときはまず……」
「そんな説明いらないよホント無理だって!ちょ、なに刀を構えさせてんの死ぬ死ぬ死ぬから!死んだら墓標に刻む文字は永遠の乙女でよろしく!!」
元気に泣き言を言いまくると、その手をガッチリと捕まえて『六幻』を構えさせる神田。
なんともデンジャラスな光景だが、周りで食堂の片づけを行っている団員たちは特に気にとめていないようである。
それはつまり、これがいつものことであり、日常であるということだ。
アレンも最初は戸惑ったものの今ではすっかり慣れてしまった。
賑やかなんて言葉では片付かない、波乱万丈な毎日に。
その中心にはやはり、絶対にがいるわけなのだが。
「落ち着け神田!そーゆーなんでも暴力で解決しようとするところ、直したほうがいいよ!」
「ああ、確かに正論だがお前が言うな……!」
「この完全平和主義者である私に何を言う!」
「じゃあ俺の平和のために今すぐ散れよ!」
「あ、あの……」
騒々しく言い合うと神田に、遠慮がちな声がかけられた。
二人は同時にそちらを返り見て、神田は露骨に嫌そうな、は少し驚いた顔をした。
そこにいたのは見覚えのある数人。例の男たちからが助けた、探索隊の少女たちだった。
「あなた達……」
「さん、ごめんなさい」
一人が言って全員が頭を下げた。
は目を見張る。
「わ、え、何?どうして謝るの!?」
「だって……」
「私たちを助けるためにしてくれたことなのに」
「食堂はこの有様だし、お友達と喧嘩までさせちゃって」
しゅん……と落ち込んだ様子の彼女たちに、は一度ゆっくり瞬いた。
下を向いたまま少女が呟く。
「謝ってどうなることではないけれど……」
「本当にね」
がそう言った瞬間、少女たちは傷ついたように肩を震わせた。
それほど彼女の言葉はキッパリとしていて、強い意志が込められていた。
アレンも少なからず驚いたが、声の調子とは裏腹には優しい表情をしていた。
「謝るくらいなら笑ってくれる?」
「え……?」
「そんな顔されちゃ私がいじめたみたいじゃない」
は不敵に、けれどどこか胸の内が暖かくなるような笑みを浮かべた。
「女の子は笑顔。ね?」
そうして少し首をかしげてみせる。
促すようなその仕草。
探索隊の女の子たちは一瞬 言葉に詰まり、そして恐らく胸を詰まらせて大きく頷いた。
頬は高潮し、口元にはが望んだ微笑。
「……はい!」
「よーし最高!かわいいぞ、みんなっ」
アレンは遠くからそれを見守りながら、ふぅんと感心したような吐息をついた。
が女性に人気なわけが、少しだけ理解できた気がする。
彼女は『六幻』を押し付けてくる神田の手を押し返しながら、さらに言った。
「それに大丈夫だよ。私たち別に喧嘩してるわけじゃないから」
「ああ、喧嘩じゃなくて切腹だ」
「そんなこと言ったって知ってるよ。神田は見た目に反していいヤツで、ついついはちゃけすぎちゃう私を心配してくれてるだけなんだ」
「おい、勝手なこと言うな」
神田が不愉快そうに反論したが、は普通に続けた。
「ほら、神田ってばバイオレンスでしか自己表現できない不器用さんだもんね!」
「テメェ……!!」
神田は額に青筋を浮かべたけれど、そうだったのかと喜び安心する探索隊の少女たちの前では、どうにもを攻撃しにくい。
神田は苛立った瞳で金髪を睨みつけた。
「これが狙いかバカ女……!」
「何のこと?私は心からそう思ってるけど」
そう答えたの表情はいつもの笑顔で、言っていることの真意は測れなかった。
神田はますます不機嫌そうな顔になったが、結局『六幻』を引っ込めた。
「あれ?許してくれるの?」
きょとんと訊いてくるの頭を容赦なく小突いてから、神田は告げた。
「さっさとここを片付けろ」
言われなくても!とは元気よく立ち上がり、廃墟と化していた食堂の後片付けに乗り出したのだった。
ものの数十分で掃除は終了した。
それは一概に人間離れした片付けっぷりを披露したのおかげだった。
どうやらこういった状況には慣れすぎているらしい。
ほとんど誰の手も借りずに一人でそれを終わらせると、彼女は食堂の責任者であるジェリーに心を込めて謝った。
「ごめんなさいジェリー料理長。これを言うのはもう何回目かわからないけど、これからは食べ物だけには被害を出さないよう、団員たちを怯えさせつつ全力で暴れていきたいと思います」
「もう本当にそれを聞くのは何回目かわからないけれど、最初より食堂を綺麗にしてくれたから許しちゃう!」
「さすがオカマ!私の乙女心をわかってるー!」
「オカマって言った?今オカマって言った?」
「それよりジェリー料理長、今日のメニューは何かなっ」
一見華やかな、女の子同士のような会話をかわす二人に、神田は不愉快そうに舌打ちをした。
「あのバカ女。いつか全人類に土下座させて謝らせてやる……!」
その呟きだけを残して神田は食堂から出て行った。
それを偶然聞いていたアレンは思う。
文句を言っているわりに、いつもの仏頂面が少し和らいでいたのは気のせいですか。
そもそも言葉通りのことを神田がに思っているのなら、彼らがあんなに一緒にいられるはずがない。
何だかんだと喧嘩をしつつも結局二人は仲がいいのだ。
そこに考えが至って、アレンは何となくを見た。
彼女はジェリーとの会話を終わらせると、グラスを片手にウキウキした足取りでこちらにやって来た。
机を挟んだ向こう側、アレンの目の前で足を止めて、辺りを見渡す。
「あれ?神田は?」
「……神田ならもう行っちゃいましたよ」
「ええ?何で」
「知りませんよ。僕に聞かないでください」
「リナリーは?」
「仕事に戻りました」
「私がぶっ飛ばしたあのおバカさんは?」
「医療室のベッドの上です。やっぱり僕の言った通りになりましたね。だから逃げろって忠告したのにな……」
「まぁ丸くおさまったんだからよしとしようよ!」
「丸く……?僕には幼稚園児が造った粘土細工より歪な形におさまったようにしか思えませんけど」
「細かいことは言いっこなしだよ。それより神田いないんだ……。じゃあ、ねぇ、見て見てコレ!」
神田の代わりに任命されてアレンは嫌そうに顔をしかめたが、は笑顔で黙殺。
元気よく手にしていたグラスを突きつけてくる。
その中では何やら正体不明の黒い液体が揺れていて、独特の匂いを放っていた。
アレンはますます眉をひそめた。
「何ですかこれ」
「ふふん、知りたい?」
「いえ別に」
「実はね!これはー」
「言いたいだけなんですね。僕の意見なんて総無視なんですね」
「じゃじゃーん!黒酢でっす」
は笑顔で言いながら、どこに持っていたのか手持ちラッパを取り出してぱふぱふと鳴らした。
アレンは特に表情を変えずに、
「それで?」
「へ?」
「それが“クロズ”とかいう不可思議な飲み物だということはわかりました。それで?それがどうしたんです?」
「うわ、つまんない反応ー。さんすごくガッカリだよ、君には失望したよ、仕方ない面白いリアクションについて小六時間ほど語り合おうか」
「結構です。と言うか絶対に嫌です。どんな手を使ってでも逃げてやりますよ僕は」
「じゃあ黒酢の素晴らしさについて講義してあげる」
「聞くのが面倒なんで短縮してくださいね。三文字くらいに」
さらりと言ってやるとはアレンの向かいの席に腰かけて、馬鹿みたいに難しい顔をした。
眉間に皴をよせて真剣に考え込む。
しばらくそうしたあと、彼女は真面目な口調で言った。
「う・ま・い!!」
「………………」
「どうだ、きっかり三文字!」
「馬・鹿・だ!!」
「何それ、ご希望通りにしたのに何が悪いって言うの!?」
「悪いのは君の頭ですよ!!」
「もういい、そこまで言うんなら勝手に語ってやる!黒酢っていうのはねー主に東洋で有名な健康飲料で、肉体育成・疲労回復・栄養補強に効果が……」
勝手にベラベラ説明しだしたをアレンは半眼で見つめた。
妙に得意そうな、嬉しそうな彼女の顔。
それはどう表現しても綺麗としか言いようがないのだが。
(健康マニアな美少女なんて聞いたことがないですよ……)
アレンは思わず考え込む。
何なんだ?
健康体でも目指してるのか?
それとも将来の夢が“長生き”とかいう現代社会の象徴みたいな子なのか?
何よりも健康を愛する?
その見た目で?その綺麗な顔で?
それともギャップを狙ってるんですか……?
アレンはため息と共に呟いた。
「知ってますか、。この世にはイメージってものがあるんですよ。君はそのイメージを守る気ゼロなんですか。多くの人々の夢をぶち壊して心が痛まないんですか。言っておきますけど朝からウキウキと健康飲料の説明をする美少女なんて、世間じゃ受け入れてもらえませんよ」
「あぁこの腹黒魔王はわかってないなぁ。うん、実にわかってない!」
アレンの非難には気分を害するどころか、むしろその話題を持ち出されて喜んでいるようだった。
輝かんばかりの笑顔で片手を胸に、もう片方の手を大きく広げて言う。
「あのね、健康っていうのはつまり乙女に不可欠な愛憎劇なわけ。手に入れたくても簡単にはいかないその憎らしさ!求める情熱!アハハ待て待てー、捕まえてごらんなさーい!!」
「………………………」
「思わず爆食したくなるスィーツの誘惑。いいえダメよ浮気なんてそんな!でもちょっとだけなら……あぁいけないこれまでの健康に対する愛を投げ捨てるつもり!?狂おしいまでの葛藤の数々!!」
「…………………………………………」
「そんな様々な困難を乗り越えて、この手に勝ち取るのが健康よ!なんて素敵なの最高なの!私は絶対にハッピーエンドに辿り着いてみせるんだから!!」
「君って変人だと思ってたけど予想以上に純度の高い変人だったんですね」
「あれー!?何その辛口な反応!」
嬉々として語っていたはアレンの歪んだ顔を見て、気の毒になるくらい落胆した。
「ちぇ。あんたもこの素晴らしい健康論を理解してくれないわけね」
「わかる人がこの世にいるとは思えません。大体君とは言葉が通じると思えないんですよね。明らかにまともじゃないって言うか」
「何でよ私のどこを見てそんな暴言を言っちゃうのよ。普通じゃない、とっても普通じゃない。どこからどう見ても夢見る十代、青春真っ盛りなナチュラルガールだよ」
「だから、言ってることが意味わからないんですよね……!」
「あぁわかった。あんたが私と違う生物だと言うのは正解だよ。だって私は乙女、あんたは腹黒大魔王だもんね」
「黙りやがってください、この地球外生命体が」
アレンは笑顔のままハッキリとそう言った。
あぁ、いけない本音が。
一瞬 躊躇するようなことを考えたが、腹の底では特に気にしていなかった。
この万年暴走娘を前に何を躊躇うものがあるだろうか。
の顔が愉快なほど引き攣る。
「出た……っ、魔王降臨……!」
「魔王?何のことです?この親切で有名な英国紳士の僕に対して」
「親切?優しいってこと?どこが!?」
「だって僕は神田みたいに全人類に謝れだなんて酷いことは言いませんよ。僕だけに全生命力をかけて謝罪してくれればそれでいいんです」
「何そのピンポイントな要求!」
完璧な笑顔を浮かべるアレンをは下からねめつけた。
「どうしてあんたはそうなの?」
「何のことです?」
「とぼけないでよ。私に対してだけ優しさを完全シャットアウトで接するくせに」
「妄言は他所でお願いしますね。もう聞き飽きましたから」
そう言ってやると、わかりやすくがムッとした。
彼女は突然テーブルの隅に置いてあった二つのチューブを鷲掴み、身を乗り出す。
「おおーーっと手がすべったぁ!!」
そして何ともわざとらしい動作で彼女が狙ったのは、アレンの手元にある紅茶だ。
アレンは咄嗟に黒酢の入ったグラスを引き寄せた。
の手に力が入り、そしてチューブの中身が二色の線になってしぼり出される。
「ああーーー!!」
が悲鳴をあげた。
彼女がアレンの紅茶にぶち込もうとしていたものは、見事に黒酢の中へ。
「何すんの何しやがんの!?黒酢が!私のくろずがーーー!!」
「何しやがるのはこっちの台詞です。人の紅茶になに入れるつもりですか」
「わさびとからしだー!」
「なに威張ってるんですか」
「ちょっとお茶目な贈り物じゃない、素直に受け取ってよー!!」
「だったら君も素直に報復を受けてみますか」
アレンは恐ろしく低い声でそう言ったが、は本気で泣いていて聞いていなかった。
「ここら辺じゃなかなか手に入らないのに……!仕方ないからアジア区支部に電話して、バク支部長を脅して、フォーと八時間ケンカして、蝋花を口説いて、ウォン支部長補佐にお願いして、やっと……やっと今日取り寄せてもらったのに!!」
わなわなと肩を震わせて嘆くを、アレンは死守した紅茶を飲みながら観察する。
彼女はやることなすこと突拍子がないうえに表情がコロコロ変わって面白い。
変な顔……とか思って眺めていたら、遠くからを呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい!コムイ室長が呼んでる、すぐに司令室に来てくれ」
「リーバーはんちょ、おね、お願い聞いて、聞いてよ!この人ひどいんだよ、あのねっ」
「悪いけど聞きたくない、お前の話長いうえに何言ってるのかわからねぇから、ホラ早く!!」
「流されたー!!」
は涙目で叫んだがリーバーは慣れたように彼女をかわし、促すだけ促すと、すぐに研究室のほうに戻っていった。
それを見送っては机に突っ伏した。
「こんな傷心の者を任務にやろうだなんて一体どーゆーことだ、ここは聖職者の集団じゃなかったのか、いつから悪の組織になったんだ、くそぅ落ちたもんだね黒の教団も……っ」
ぐすぐすと泣きながら力なく手持ちラッパを鳴らす。
その張りのないマヌケな音と彼女の今の表情はとても合っていて、アレンは思わず口元を緩めた。
何だかおかしくて笑ってしまう。
するとが怒ったように顔を上げてきた。
どうやら馬鹿にした種類の笑みをだと思ったようだ。
彼女はアレンを見て、その予想が外れていたことに少し驚いた表情を見せた。
対するアレンもしまったと思った。
また「かわいい」などと言われるのは何とも避けたい状況である。
アレンは慌てて笑みを打ち消して、なに食わぬそぶりで紅茶に口をつけた。
しばらくの沈黙のあと、が眉をひそめる。
「変なの」
「え?」
「今楽しいなら、今笑いなよ」
アレンは目を見張ったが、は立ち上がりながらあっさり続ける。
「まぁ前みたいな、気持ち悪くて殴り倒したくなるほど嫌な笑顔を見せられるよりはマシだけどね」
そこまで言うかと思ったが、言外に違う想いが込められている気がして、アレンは黙ったままでいた。
は叫び疲れたのか、喉を押さえながら片手を振る。
「呼び出しがかかったから、じゃあね」
そして去っていく前に、手近にあったグラスを掴んで、中身を見もせず一気に飲んだ。
「あ」
、そっちは水じゃなくて黒酢ですよ。
しかも大量のわさびとからしが混入した、とっても刺激的な。
アレンは制止しようと持ち上げた手を、ゆっくりと下ろした。
そして落ち着いた仕草で紅茶を一口。
あぁ今日もいつもと同じ、波乱に満ちた嫌な日だなぁ。
アレンは憂いを帯びた吐息をついた。
次の瞬間 はぶっ倒れた。
何も入ってない黒酢でもグラス一杯一気飲みしたら死んじゃいますよ。
わさびとからしの混入したものなんてもっての他です。
皆さん決して試したりしないでくださいね。(しないか!)
次回は途中から唐突にシリアスになります。血の表現もありますので苦手な方ご注意を。
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