それでもまだ、僕は本当の彼女を知らない。






● 荊を抱いて  EPISODE 4 ●






アレンのに対する印象は、変人の一言に尽きた。
凶悪獰猛、何事も力まかせで美少女と呼ばざるを得ない外見を裏切りまくっている。
言っていることは馬鹿丸出しだし、行動ははた迷惑で無茶無謀。宇宙産まれの問題児だ。
そんな地球外生命体のことをつらつら考えていたら何だか頭痛がしてきてアレンは額を押さえた。
駄目だ。考えれば考えるほど理解できない。意味不明すぎてついていけない。


「もう本当にあの人は予想を裏切りすぎだ……」


無意識にそう一人ごちると、思いがけず返答があった。


「そんなにちゃんが気になる?」


ぎくりとして顔をあげると、資料やら本やらリナリーの写真やらで山になった机を前にしたコムイがこちらを見ていた。
場所は科学班研究室。
周りの猛烈な忙しさなど別世界だとでも言うように、彼はコーヒーを優雅に飲みながらニヤニヤと笑っている。
それは明らかにからかいを含んだ笑みだ。
アレンは内心の動揺を隠し、冷静を装った。
いつもの笑顔を浮かべて否定しようとして、しかしそこでふと眉をひそめる。


「僕、の名前なんて言いました?」
「ううん。言ってないよ」
「じゃあ、何で……」


僕がのことを考えてるってわかったんですか。
そう訊きたかったが、それを言ってしまえば自分が彼女のことを考えていたことを認めてしまうことになる。
アレンがどうしたものかと言葉に詰まっていると、トレイにコーヒーカップを乗せたリナリーがやって来てコムイの代わりに答えた。


「だってアレンくん、ここのところずっと難しい顔してるんだもの。と一緒じゃない時だけ限定でね」
「ええ?まさか」
「そのまさかよ。私も兄さんに言われて気が付いたんだけど。この間の朝の件でハッキリしたわ」


言いながらリナリーがカップを差し出してきた。
その表情は彼女にしては珍しいことに不機嫌そうで、アレンは首をかしげる。


「リナリー?」
「言っておくけどアレンくん。は渡さないからね」
「はぁ!?」


言われた言葉の意味が本気で理解できずにアレンは変な声をあげた。
あまりに驚いたので手にしていた任務の資料を取り落としてしまったが、リナリーは動じずに続ける。


「あの子は私のダーリンなの」
「いや、ちょ、待ってくださいよ!」
「あなたとならいいお友達になれると思っていたのに、残念だわ。これからはライバルね」
「ラ……!?なに言ってるんですか!?」


アレンの動揺など一ミリも気にせず、彼女は微笑んだ。


「私、容赦しないから」


そのあまりに完璧な笑顔にアレンは何か不穏なものを感じて青ざめた。
思わず後ずさりをして身構える。
リナリーはそれを見てふふっと小さく笑うと、颯爽と身を翻した。


「リナリーそんな!あんなデンジャラスな子なんてボクは認めないよ!断じて認めないとも!!」


とか何とか大声で叫んでいるコムイの頭にトレイで一発突っ込みを入れてから、彼女は去っていった。
残されたアレンは冷や汗をかきながら大きく息を吐く。


「リナリーって、あんな子でしたっけ……?」
ちゃんが関わるとああなるみたい……。くそぅボクの愛しのリナリーを口説き落とすなんて、あの老若男女殺しめ!!」


コムイは嫉妬に涙を浮かべながらバンバンと机を叩いた。
その弾みで書類が舞い上がり、アレンは床にぶちまけてしまった自分の資料を慌ててかき集める羽目になった。
混ざってしまっては大変だ。
手をせわしなく動かしながら、それでも聞き捨てならない単語に眉を寄せる。


「老若男女殺し?」
「そう老若男女殺し!あの子が女の子に人気なのは、もう知ってるだろう?」
「ああ……」


女性たちの熱狂振りを思い出して、アレンはうんざりした表情になった。


「何だかすごいことになってましたよ……。正直かなり引いちゃいました」
「あんなのでめげてちゃ駄目だよアレンくん!女の子たちがオープンなだけで、ちゃんは普通に男の人にも人気なんだから」
「ええ!?」


あまりに意外な真実にアレンは叫んだ。
その声は思ったよりも大きくて一瞬にして注目の的になったが、アレンにはそんなことを気にしている余裕などない。


「なっ、ば……っ、そんな!嘘でしょう!?あの人はアレですよ!かつて見たことがないような世界最高峰の変人ですよ!未確認宇宙生物ですよ!うかつに近づいたら骨の髄まで木っ端微塵にされますよ!!」
「そうなんだよねー。ボクもそう思うんだけどねー」


コムイは難しい顔をして腕を組んだ。


「でもね、ホラ。まず顔が可愛いでしょ。かなりの美少女なのはみんな認めてる。そのうえ相手に悪意がなければ愛想よく接するし、突拍子のないところが面白くて傍にいたい人は多いみたい」
「……日々 乱闘騒ぎを起している危険生物なのに?」
「イイ性格をしてるってことだよ。良い意味でも悪い意味でもね」


イイ性格。それは確かに。
そう思いながらも、が男女年齢問わず人気者だというのは衝撃だ。
アレンは呆然としたまま視線を落とした。
何となく力が入らなくて、せっかく拾い集めた資料がパラパラと床に戻っていく。
目眩までしてきてアレンは後ろにあった本棚にもたれかかった。


「……本当、ここの人たちの感性には戦慄しますよ」


コムイはリナリーのことを考えているのか、恨めしそうな表情で頷いた。


「ねー、本当にね」
「……他の人は別として、コムイさんはのことをどう思ってるんですか?」


くらくらする頭を何とか支えながらアレンは尋ねた。
コムイは一瞬動きを止めて、コーヒーカップ越しにこちらを見た。
不思議な静寂が降りる。
コムイの視線からは何も読み取れない。
アレンとしては、まともにを評価しているであろう人物の中で一番コムイが尋ねやすかったからそうしたのだが、その変な沈黙に首をかしげた。
コムイはしばらく黙ったあと、


「一言で言えば最凶の生物兵器」


アッサリそう告げた。


「そんなことは知ってますよ」


あまりに普通の返答にアレンは半眼になった。
何だったんださっきの妙な間は。
ため息をつきながら、落としてしまった資料を再びかき集める。
しかし研究室の床は物がごちゃごちゃしていて何ともやりにくい。
アレンは手を止めずにコムイに言った。


「コムイさん、いい加減片付けないとまずいですよここ。大事な書類が混じっちゃったらどうする……」
「哀しい子なんだよ」


唐突に聞こえてきた声は、どこまでも深い哀慕を孕んでいた。


「え……?」


頬に何だか淋しいような優しさを感じてアレンは顔を上げた。
コムイはコーヒーカップの淵を指で撫でながら、目を伏せていた。
口元には笑みが浮かんでいたが、表情は何故か哀しく映る。
彼は遠くを見つめるような瞳で静かに呟く。


「過去を全て捨てなければ生きることを許されなかったんだ。何もかも失って、思い出すら殺して、別の人間になることを強制された。今のあの子はとても明るく振舞うけれど、それでもまた失ってしまったから、心ではいつだって泣いているんだ」


アレンにはコムイが何を言っているのか理解できなかった。
ただ胸が痛くなるほどの哀しさを感じた。


「そして未来すらどこか諦めている。それを当然だと思っている。あの子は本当に哀しい子なんだよ」


コムイは瞳を上げてアレンを見た。
そして、にこりと笑った。


ちゃんはね、いい子だよ」


とても素直にそう言われては、何だか妙な説得力があった。
アレンはどう答えていいかわからずにコムイを見つめ返した。
すると彼の表情は一転。
思い切りむくれた顔になった。


「リナリーにさえ手を出さなければね!」
「…………」
「どうせモテるんだから男だけで妥協しとけばいいのに、あの人気者め!!」
「あの……コムイさん」
ちゃんはボクの敵!最大のライバルさ!!」
「いや、あの……コムイさんってば」


アレンはぱたぱたと片手を振って、興奮のあまり別世界に行きそうになっていたコムイを引き戻した。
何だか混乱した頭で、顔をしかめて訊く。


「その……のどのへんが、“いい子”なんですか?」
「それはもう君にもわかってるんじゃないのかい?」


コムイはニヤリ笑いながらそう切り返してきた。
アレンはうっと言葉に詰まる。
それでもそう認めるのは悔しい気がして、アレンはコムイから視線を逸らした。


「何のことです?」


いつも通りに振舞おうとして、しかし何故か眉が寄ってしまう。
資料を拾い集める手つきは我ながら乱暴だ。
あぁもう、何で。
コムイは押し殺したような笑い声を漏らした。


「とぼけても無駄だよ。このところずっと彼女のことを考えているくせに」
「そんなことはありません。断じてありません。勝手に事実を捏造しないでください」
「もしかして無意識かい?」
「コムイさんの気のせいですよ」
「本当にー?」
「………………もしそう見えたのなら、それはあの人の変人っぷりがそうさせたんです。僕の意思じゃありません。絶対に!」
「それでも彼女を気にしているということに、違いはないだろう?」


コムイは微笑んだまま、アレンを指差した。


ちゃんといるとき、君はとても素直に笑っているよ」


虚をつかれてアレンは黙った。


「他の誰といるときよりも、ね」


コムイの言葉によみがえってきたのは紛れもなく、彼女の声。


『かわいい』


そんなこと言われても嬉しくなんてない。
はずなのに。


「ちが……っ」


いつもの笑顔も、冷静なフリも忘れて、アレンは咄嗟に否定しようとした。
頬が赤くなっている自覚がある。
悔しい。
目の前にいないくせに、彼女はどこまで自分を振り回せば気がすむのだろう。
しかしアレンの声は突然鳴り響いた電話のベル音によってかき消された。
コムイはアレンを無視して、片手でひょいと受話器を取る。


「ハーイこちら図星を突かれたアレンくんに逆キレされそうになっているコムイです!ナイスタイミングだよ君ー……え、その声もしかしてちゃん?どうしたの本当にナイスタイミング!!」


どうやら電話の相手は噂ののようだった。
アレンは思わず手に力を込めてしまい、持っていた資料をくしゃくしゃにしてしまう。
その様子をコムイは楽しそうに眺めて、アレンにひとつウインクを送る。
おかげでアレンの手の力はますます強くなる。
コムイから受話器を奪い取ってありとあらゆる文句を彼女に捧げたい気分だ。


「え、いやいや何でもないよ。コッチの話。青い春と書いて、青春の話」


コムイは上機嫌で受話器に言う。


「それよりどうしたんだい?任務は……」


けれどそこでコムイの顔から表情が消えた。
一瞬にして変化した雰囲気に、アレンは嫌なものを感じた。
背筋を這い上がってくるような、冷たい予感。
朝の食堂での一件があった日からは神田と任務に出ていた。
現地にはすでに探索隊ファインダーが出向いており、彼らの役目は新たに発見されたイノセンスの保護。
から電話があったということは、その任務が完了したということなのだろうが。


「……コムイさん?」


無表情のまま動きを止めたコムイに、アレンはそっと声をかける。
彼は静かに瞼を閉じた。


「……わかった。すぐに行くよ」


それだけを受話器に告げて、電話を切る。
コムイは立ち上がりながらリーバーに言った。


ちゃんと神田くんが帰ってきた。迎えに行ってくる」
「はぁ!?何言ってるんッスか、このクソ忙しいときに!!」


リーバーは振り返りもせず怒鳴ったが、ふと手を止めてコムイを見上げた。


「まさか……ですか?」
「その報告を受けてくるよ。ここ頼むね」
「……わかりました」


リーバーはうって変わって神妙に頷いた。
その傍に立っていたリナリーは蒼白になって兄の隣に並ぶ。
アレンにはわけがわからなかった。
それでも何か良くないことが起こっているのは肌で感じ取ることが出来た。
明るい光にひっそりと入り込んだ闇。
それは氷片のような鋭利さで、日常を傷つけた。
自分たちが戦争の中に生きているのだということを思い知らされるような冷たさ。


理由はいらなかった。


アレンは資料を置くと、コムイたちの後を追って研究室を出た。
















聖堂の扉をくぐった瞬間、リナリーが声にならない悲鳴をあげた。
それほどの様子は悲惨だった。
彼女は真っ赤だった。
頭から足の先まで血に濡れて、しかし顔や手には拭ったような跡がある。
これでもコムイたちが来る前に身なりを整えたようだ。
隣に立つ神田も負けないくらい血にまみれていたが、の髪の色のほうが深紅の血を映えさせた。
ほどけた金髪に絡みつく、赤。
二人はこちらに背を向けて、十八もある棺の前に立っていた。


「……っ、!」


リナリーが堪りかねたようにの元へと駆け寄った。
振り返った彼女の顔は、表情がないこと以外 特に普段と変わらなかった。


「リナリー」
「どう……どうしたの、そんな、血まみれじゃない……っ」
「リナリー、汚れるよ」


は静かに制止したが、リナリーは手を離さなかった。
華奢な少女の肩を強く掴んで揺さぶる。


「怪我……怪我をしたの!?神田も早く医療室に……っ」
「違うよ。大丈夫だから落ち着いて」


なだめるように言って、はリナリーの手をほどかせた。
その真っ赤になった掌を見て、小さく吐息をつく。


「私も神田も怪我はたいしたことないんだ。だから大丈夫。それよりも報告のほうが大切だから」


ゆっくりと言って、はリナリーから離れた。
リナリーは後を追うようにその背に手を伸ばしたが、神田に肩を掴まれて止められる。
赤に汚れた金髪がコムイの目の前に立った。


探索隊ファインダー18名中16名、先立って派遣されていたエクソシスト2名、死亡を確認しました」


扉の付近で呆然と立ちすくんでいたアレンは、その言葉に初めて息を呑んだ。
聖堂に充満した血の匂い、死の香り。
それが確かな数字となって目の前に突きつけられた。
現実は絶望を帯びてその場にいる者たちの胸を塞ぐ。


「我々が到着したときには、すでに殺害されていました。アクマの襲撃にあったものと思われます。イノセンスは……」
「所持していたアクマから回収した」


後ろから神田が言った。
彼の手には結晶が握られている。
薄暗い聖堂で淡い光を放つそれは、闇を薄めることはあっても、決して消し去りはしない。
コムイは肺に滞った空気を吐き出した。


「そう……。間に合ったんだね」
「間に合いませんでした」


が言った。
響く声だった。
コムイの言葉は「イノセンスの保護に間に合った」という意味である。
そんなことはだって理解しているはずだ。
それでも彼女は、間に合わなかったと言った。
それは命の時間。
守れなかった、儚い重みの話。


「間に合いませんでした」


コムイはもう一度吐息をついた。
そしての頭を、覆うようにして撫でた。


「……お疲れ様」


は一瞬 体を強張らせた。
それからうな垂れるようにして力を抜くと、微かに首を振った。


「そんな……、どうして」


冷たい静寂が横たわる聖堂に、リナリーの嘆きが響く。
彼女は棺の前に糸の切れた人形のように座り込むと、肩を震わせた。
涙は出ない。
あまりに突然のことに心が追いつかないのか。
それとも頭が絶望を抑制しようとしているのか。
はコムイの前から移動して、リナリーの傍に膝をついた。
彼女の肩に手を伸ばそうとして、それが血で汚れていることに気がついて、そっと降ろす。
ただぬくもりが感じられる距離では囁いた。


「泣いてあげて」


リナリーがびくりと顔をあげた。
は微笑んだ。
哀しい笑みだった。


「泣いてあげて、リナリー」


それは何て胸を締め付ける言葉だろう。


「みんなにはもう、出来ないことだから」



あなたが、代わりに。



声は聖堂にゆっくりと響いて消えていった。
リナリーは肩を大きく震わせた。
そしての団服を引き寄せると、血で汚れることなど構わずに、そこに顔を埋めて大声で泣き始めた。
子供のように手放しにに抱きついて。
そうさせるものをは持っていた。
悲しみも、苦しみも、辛さも、寂しさも、すべてを吐露してリナリーは涙を流す。
はそれらをひとつ残らず受け止めた。
ただ優しく、傷ついた心を抱きしめて。


は顔を上げた。
そして聖堂に掲げられた十字架を見つめた。
それはその向こうにいる誰かを射抜くかのように、鋭い瞳で。
まるで睨みつけるようにして。


哀しみが聞こえる。
霊棺より紡がれる滅び歌。
誰か教えてください。
悪とか正義とかはどうでもいいんです。
ただこの戦いの意味を。




降り落ちる痛みに、アレンはそっと目を閉じた。








いきなりのシリアス展開です。
アレンが傍観者でスミマセン。(汗)
次回はもう少し絡んでくれると思います!