その感情だけを置き忘れてしまったかのように。
彼女は決して、涙を見せない。
● 荊を抱いて EPISODE 5 ●
アレンは研究室の一画で過去の資料を読んでいた。
エクソシストとして新人である自分は、もう少し黒の教団、またそれに連なるものについて知るべきだと考えたからだ。
しかし視線は紙の上を無為に滑るだけで内容が一向に頭に入ってこない。
胸の中はいまだに血の匂いに侵されていた。
あの後いつまでも冷たい聖堂の床に座り続けるのはよくないからと、泣き止まないリナリーをが抱きかかえるようにして連れていった。
神田もに「早く着替えろ」とだけ告げると自分の部屋へと帰った。
アレンはそれを見送ってから、コムイと共に研究室に戻ったのだ。
ふとコムイの机に視線をやると、その傍には一人の男性が力なく椅子に座り込んでいた。
彼はと神田の任務先に派遣されていた探索隊で、生き残りのひとりだった。
もうひとりは重症で、現在医療室で治療を受けているらしい。
彼は俯き嗚咽を漏らしながら、コムイに報告を行っていた。
酷な気がするが仕方がない。と神田が到着する前の状況は今のところ彼にしか話せないのである。
涙の混じる声が慌ただしい研究室にいつもと違う陰を落としていた。
「……そう。よくわかったよ」
報告が一通り終わったのか、コムイが優しい口調で言った。
「がんばってくれてありがとう。お疲れ様」
肩を包み込むように叩かれて探索隊の男は顔を覆った。
嗚咽は先刻よりひどくなり、切なさとやるせなさが拡大してゆく。
コムイは長い息を吐いて自分の椅子に身を深く沈めた。
その時だった。
研究室の扉が勢いよく開かれた。
同時に飛び跳ねるようにして入ってきたのは、金髪の少女。
「よっす、たっだいまー!帰還早々だけどお仕事しに来ました、わーさんってば偉すぎだ!」
いつも通りの口調で、いつも通りの笑顔で、いつも通りのがそこにいた。
団服は新しいものに代えられ、ほどけていた髪もきちんと結われている。
つい数時間前まで血にまみれていたとは思えないほど、彼女は普段と変わらなかった。
しかし、変わらないからこそアレンは違和感を覚えた。
「ほらほらコムイ室長、お仕事してあげるからさっさと出して!」
「……ちゃん」
コムイは眉を下げて微笑んだ。
周りの科学班員もにそっと視線を送っただけで、何も言わずに仕事に戻る。
まるでこういう時はいつもこうだと言わんばかりの雰囲気に、アレンは少なからず驚く。
はスキップをするような身軽さでコムイの机に近づいていった。
「さぁて、やりますか」
「……疲れてるんじゃないのかい?」
「平気平気!あぁリナリー寝ちゃったから今日は私の部屋に泊めるね」
仕事を物色しながらはさらりと言った。
それは何気ない口調だからこそ、リナリーは心配しなくても大丈夫なのだと疑いもなく信じることが出来る。
コムイは一瞬目を伏せて、それでも彼女の密やかな気遣いに答えるかのように、普段を意識した声を出した。
「襲ったりしたら承知しないよ」
「ええー?それはリナリー次第かな」
「それはものすごく不安だなぁ」
「でも残念ながら、今日はお仕事で寝られそうもありませんね」
コムイの机からたんまりと未整理書類を発掘して、は苦笑した。
山のようになったそれらをポンッと叩く。
「よくこれだけ溜めてましたねー。あ、これリナリーに頼むぶん?じゃあ私がやっときますね」
「……君も本当は休んだほうがいい」
「このさんが珍しく自主的にお仕事するって言ってるんだから、コムイ室長なんて素直に甘えてればいいの」
は身を乗り出して、コムイと顔を突き合わせてふふんと笑った。
その笑みは快活で、本当に彼女らしくて、アレンの違和感はさらに強くなる。
その時また扉が開く音がして、神田が研究室に入ってきた。
彼もすでに着替えをすませ、いつもと変わらない身なりをしていた。
神田はの姿を認めると露骨に顔をしかめた。
「何してやがる。さっさと寝ろよ」
「神田こそ疲れてるくせに。さっさと寝れば」
「ふざけんなよ、テメェまだ医療室にも行ってねぇだろ」
「行く必要がないからね。さぁて、眠れるリナリー姫のために王子はバリバリ働きますよー!二人の愛の夜のためにっ」
は元気よく言って山のような書類を抱えたが、大股で近づいてきた神田にその腕を捕まえられた。
彼の手つきはひどく乱暴で、少女の顔はたちまち歪む。
しかし何とか書類ひとつ落とさず、目をきつく閉じて激痛をやり過ごした。
押し殺した息は震えていて、ただ神田に掴まれた痛みだけではないことを告げている。
「骨が折れてるんだろ」
神田が言った瞬間それを聞いていた者はそろって青ざめたが、は欠片も動揺せずに首を傾けた。
「神田の気のせいじゃない?」
「ふざけんなよ」
「どこの世界に折れた腕を放ったらかしにして仕事しようって言うバカがいるのよ。……ちょっと痛めただけよ。ちゃんと自分で手当てもした」
「バカなら俺の目の前にいるぜ。いいから医療室に行け」
「あれ?私の医療技術を信用してないわけ?何度それで命拾いしてると思ってるのかなユウちゃんは」
「テメェ……!」
神田は声を荒げたが、の瞳は言って聞くような素直なものではなかった。
「こんなかすり傷で医療班のみなさんの手を煩わせわけにはいかないの」
「だったらまず俺の手を煩わせるな」
「はいはい、いいからホラ!なにか用事があって来たんでしょ?コムイ室長にお目通りー」
は神田の怒りを拍子抜けするくらい軽くかわして、彼の前から身を引いた。
目線でコムイのほうを指し、青年を促す。
神田は忌々しげな舌打ちをして、とりあえず先に用件を済ませようと口を開いた。
「イノセンスをヘブラスカに渡してきた。報告書を書くから、とっとと寄こ……」
「あ!」
そこでが声をあげた。
彼女は抱えていた書類を神田に押し付けると、ひどく慌てたようにぱたぱたと自分の団服を探りだした。
「忘れてた!うわー不覚、私としたことがなんておバカ……思い出させてくれてありがとね神田」
そしてひとしきり探すと、団服の胸元から数枚の書類を引っ張り出してきた。
はそれをコムイに手渡す。
「ちょっとシワになっちゃったけど、それはご愛嬌ってことで。今回の報告書です」
「……もう書いたのかい?随分早いね」
「ちなみに神田のぶんもやっときました」
「な……っ、お前!」
「だって神田の報告書って雑いんだもの。チャックする方の身にもなれっての」
よく科学班(主にコムイ)の仕事を手伝わされている彼女らしい意見を言って、半眼でちらりと神田を睨みつける。
それでもすぐに金の瞳を微笑ませた。
「そーゆーわけだから、このさんに末代まで感謝しつつ、早く休むことだね。ハイお疲れ神田!おやすみグッバイ!」
強気な口調でそれだけ言うと、は神田から書類を取り返して歩き出した。
翻る漆黒の団服に流れる金髪。
足取りに迷いはなく、何とも爽やかな去り際である。
けれどその華奢な体。
後姿からはみ出した膨大な量の書類が、ますます彼女を小さく見せていた。
向けられた背に、淋しさのようなものを感じる。
それはきっと気のせいだ。
頭ではそう思うのに何故だろう、アレンの胸に刹那な焦燥が走った。
「………っ、!」
気が付けば彼女の名前を呼んでいた。
口から出たそれは妙に切羽詰まっていて、自分でも驚いた。
振り返ったも同じくらい驚いた表情をしていて、言葉に困る。
そもそも何を言うために自分は彼女を呼び止めたのだろう。
腰かけていたソファーから立ち上がった姿勢のまま、アレンはを見つめるしかない。
金髪の少女は顔だけ振り返った状態から、体ごとこちらに向き直った。
「なに?」
いつもの瞳で問いかけられる。
何にしてもの眼差しはアレンの心臓に悪いのだが、今はまた格別だった。
本当に自分は何を言うつもりだったんだろう。
「いえ、あの……」
「また何か文句があるの?悪いけどケンカなら今度買ってあげる。今はご覧の通り、両手にお仕事なの」
「それは……、違うんですけど」
「じゃあ何?あ、もしかして手伝ってくれるの?」
口ごもるアレンには勝手にそう結論を出すと目を輝かせた。
もの凄いスピードでアレンに迫り、どさどさと書類を手渡してゆく。
「じゃあコレとコレとコレとコレ!資料をもとの棚に戻すだけでいいから。こっちのは地下の書室で、そっちのはブックマンの私物だからラビに押し付ければ大丈夫。これは2階の資料室ね。あそこごちゃごちゃしてて失踪者が出たぐらいだから迷子なればいいよ気をつけて!場所はわかるよね?」
「え、あ、はい……」
「ありがとう、よろしくね!」
それだけ言うとは再び身を翻そうとした。
アレンは思わずその腕を掴んだ。
途端に彼女が息を詰めたので、慌てて力を緩める。
そうだ、骨を痛めてるんだ。
そう理解しても何故だか手は離せなかった。
「……ねぇ、ホントに何なの?」
いい加減の表情も不審気になっていた。
アレンは思考を高速回転させて、言うべき言葉を探した。
何か何か何か、言いたいことが。
「……」
「はいはい。何でしょう」
「その……」
息を吸ってアレンは言った。
「大丈夫……ですか?」
違う。そうなんだけど、そんなことを訊きたいんじゃなくて。
もっと、別の、何か。
そう思うけれど、今はそれしか出てこなくて、アレンはを見つめた。
金色の双眸が見開かれる。
けれどそれも一瞬で、すぐに長い睫毛が伏せられた。
彼女の肩が微かに震えた気がしてアレンは心底驚いた。
あぁ今にもその大きな瞳から涙が零れ落ちそうで………。
はひどく悲しそうに自分の胸元を掴むと、か細い声で呟いた。
「うん……大丈夫。やっぱり健康飲料のキングは豆乳だってわかったから」
「………………………………………は?」
アレンは本気で何を言われたのかわからなかった。
はパッと顔をあげて、首を傾ける。
「え?大失敗に終わった黒酢に、この繊細乙女が傷ついてるだろうっていう心配じゃないの?」
「黒酢……………?」
「あれダメだよ、ものすごい衝撃きたもん。やっぱり浮気はいけないよ、私は豆乳一筋だ!」
「………………………」
目眩がした。
アレンは全身から力が抜けていくのを感じる。
頭が沸騰しそうなくらい熱くなった気もしたが、それよりもまず大業に吐息をついている自分がいた。
途端に馬鹿らしくなってを開放する。
「あーそうですか、それはよかった。じゃあもう用はないんで早く行ってください。とっと消えてください」
「なに急にその態度!感じ悪ーい」
はアレンに掴まれていた腕を取り戻すと、書類の山を抱えなおしながらべっと舌を出した。
「言われなくても消えるよ。ばか」
そしてアレンに背を向けて研究室から出て行った。
バタンと閉まる扉。
アレンはの捨て台詞にムッとして眉を寄せた。
相変わらず生意気で腹が立つ人だと思う。
本当に可愛くない。
アレンは苛立ったため息をついて、に押し付けられた書類の山を見た。
山と言ってもそれはアレンにとってであり、はこれの5倍以上は抱えていたはずである。
まったく、任務から帰ってきて休みもせずにあんなに大量の仕事をこなそうだなんて。
「馬鹿はそっちでしょう……」
思わず呟いた、その時。
陰鬱な囁きが空気を凍らせた。
「何なんだよ……あの女……っ」
それは何に似ていただろう。
憤怒か、憎悪か、悔恨か。
ただ我を失って暴走しつつある感情の塊に、アレンはぞっとした。
全身を粟立たせて背後を返り見る。
コムイの机の傍で、椅子に身を沈めていた探索隊。
生き残りであるその男が、激情に見開かれた瞳での出て行った扉を睨みつけていた。
「仲間があれだけ死んだっていうのに……、涙ひとつ見せずに笑ってやがる……!」
その言に神田が不愉快を顕わにした。
何か言い返そうとした彼の肩を、立ち上がったコムイが掴む。
「……っ」
神田は鋭い瞳で振り返ったが、コムイは静かに首を振った。
見開かれた男の目が不自然に痙攣する。
「そもそも何がアクマだよ……俺の仲間を殺したのはアクマだけじゃない、あの女だ……!」
「……っ、ふざけんなよ!!」
コムイに肩を掴まれたまま神田が叫んだ。
男は恐ろしいほど暗い瞳を彼へと向ける。
「ふざけているのはどっちだ!俺の仲間はまだ生きていた……血まみれになって、それでもまだ生きていたんだ!なのにあの女が殺した!眉ひとつ動かさずに俺の仲間を切り裂きやがった!!」
「あいつらはもう死んでいた!アクマが死体を動かしていただけだ!!」
アレンはその光景を想像して、吐き気のするような戦慄を覚えた。
殺された仲間たち。
その死体が自分たちを襲ってくる。
空洞のような虚ろな瞳に光はなく、どんなに名を呼んでも返事はない。
それはなんて恐怖だろう。
そして同時に、それがアクマの狙いだったのだ。
「仲間の死体で俺たちをかく乱するつもりだったんだ!アクマの罠にはまってどうする!あいつは間違ってねぇ!!」
「違う、みんなは生きていた!あの女が殺したんだ、俺の目の前で!!」
異様なまでに見開かれた男の双眸から、涙が溢れ出した。
幾重にも幾重にも、どす黒く染まった頬を滑り落ちてゆく。
男は仲間を失った悲しみでもう正気ではないようだった。
「みんなの棺の中には骨どころか肉片すらない!あの女が切り裂いたんだ!仲間の体を!ぐちゃぐちゃに!跡形もなく!霧みたいに消し飛ばした!!」
「仕方ねぇだろ、少しでも形を残せばアクマがそれを利用する!だから!!」
神田は男を黙らせようと動いたが、コムイに無理やり引き戻された。
「何が神の使徒だ……あんな残酷なこと人間だって出来るものか………っ」
男は椅子の上で上半身を折り曲げて狂ったように叫んだ。
「悪魔だ!あの女は悪魔だッ!!」
それを聞いた瞬間 神田は制止の手を全力で振り払っていた。
渾身の力で男に胸倉を掴み上げ、怒り任せに壁に叩きつける。
凄まじい音が響いて科学班の者が悲鳴をあげた。
「それが……っ」
神田は激しい怒気の宿った瞳で男を睨みつけた。
喉から転がり出た声はまるで獣のよう。
「それが、命がけでお前たちを守ったあいつに言う台詞か!!!」
竦みあがってしまうような気迫だった。
腹の底にまで響くような怒声が、空間を支配する。
男の涙が神田の手を濡らした。
神田は激情がおさまらないのか、さらに拳を振りかぶった。
「神田くん!」
コムイの叫びと同時だった。
アレンは背後から神田の手首を掴んで、その拳を止めた。
ギリギリと力比べをしながらアレンは冷や汗をかく。
少しでも油断すれば振り払われそうなほど、神田の力は強かった。
強すぎた。
こんな拳で殴られたらエクソシストでもない男は間違いなく死ぬだろう。
負けるわけにはいかない。
「離せよ」
呻くように低く神田が言った。
アレンは首を振る。
「駄目です」
「離せ」
「その人を殺す気ですか」
アレンは静かに問うた。
神田は鋭くアレンを振り返った。
「だったらどうだって言うんだよ!!」
「ふざけないでください!!」
二人の怒声がぶつかりあって弾けた。
睨み合ったままどちらも引かない。
神田は刃のような瞳でアレンを見据えた。
「テメェは聞いてなかったのかよ!こいつが何を言ったのか!!」
「だからって君が何をしてもいいわけじゃない!!」
「ふざけんなよ!!」
「ふざけているのはそっちだ!そんなことで!!」
アレンは掴んだ神田の手を無理矢理ねじ伏せて、全力で怒鳴った。
「そんなことをして、が喜ぶとでも思ってるんですか!!!」
神田は一瞬 何か衝撃でも受けたかのように目を見開いた。
しかしすぐに表情が歪む。
もうこれ以上アレンを見たくないとでも言うように、視線を背けた。
それでもアレンは続けた。
「出逢って間もない僕でもわかることですよ……っ」
神田はアレンに掴まれている拳をぎゅっと握り締めた。
その力があまりにも強かったので、爪が皮膚に食い込み血がにじむ。
吐き捨てるかのように彼は言った。
「テメェの言い分には反吐が出る……!」
神田は男を掴んでいた手を乱暴に離した。
男の体は壁づたいにずり下がってゆき、そのまま力なく床に落ちる。
それを冷たい炎の瞳、嫌悪の視線で神田が見下ろす。
「あいつが喜ぼうが泣こうが知ったことか。俺には関係ない。これは俺の怒りだ」
冷ややかに紡がれる声は、それでも先刻までの熱量を少しも失っていなかった。
言葉に孕まれた凄まじい感情。
ひどい怒りの声だ。
「今度ふざけたことをぬかしてみろ。その時は誰が止めても」
神田は食いしばった歯の隙間から呻るようにして告げた。
「例えそれがでも、俺はお前を許さない……!!」
壮絶な殺気を込めて神田はそれだけ言い残すと、アレンの体を突き飛ばして研究室から出て行った。
室内が揺れたように感じるほどの強さで扉が閉まる。
その姿を見送って、コムイが息を吐いた。
「また派手に暴れてくれたね神田くんは……。アレンくん、彼を止めてくれてありがとう」
「……いえ」
痛む手首を押さえてアレンは視線を落とした。
神田と力比べをしたせいで掌が赤くなっている。
けれどそれよりも、神田の激情に目が眩むようだった。
コムイは床に座り込んだ男に近づいて、静かに膝をついた。
「大丈夫かい?」
「……あの女」
男は壊れた人形のように無感動に口を動かした。
「あの女、が……」
「はそんな奴じゃねぇよ」
仕事の手を止めて、リーバーが苦渋の表情で言った。
男は呆然とコムイを見上げた。
コムイはただ優しくすらある様子で頷いた。
男の体がぶるりと震える。
そして彼は泣き崩れた。
それでも、そう。
だけは決して泣かないのだ。
それから時間は随分過ぎて、天空を闇が覆う頃。
アレンはひとり廊下を歩いていた。
時計の針はすでに夜中の2時を指している。
に押し付けられた資料をそれぞれもとにあった場所に返しに行っていたら、いつの間にかこんな時間になってしまっていたのだ。
その原因は今日限定で、先天的な迷子の才能だけではない。
何だか考えることが多すぎた。
それは多方面から考えようとするからで、本当はただひとつの事柄だった。
つまりのことだ。
本格的にコムイの指摘を否定できないな、とアレンは苦々しく思う。
結局自分は気が付けば彼女のことを考えているのだ。
けれどそれは、アレンに言わせれば仕方のないことだった。
アレンは勝手に思い込んでいたのだ。
仲間が死んだとき、彼女は誰よりも悲しみ、涙を流すだろうと。
は人一倍に感情豊かな人物だった。
また普段のハチャメチャっぷりに似合わず、他人の痛みに敏感だった。
何気ない言葉には仲間を思いやる心が強く感じられる。
そんな彼女だからこそ、人目をはばからず涙を見せるとアレンは予測していたのだが。
「実際はアレですもんね……」
完璧なまでにはいつも通りだった。
それどころかいつもよりさらにパワーアップして活動していた気がする。
やはり彼女はどこまでも予想を裏切る達人のようだ。
アレンは思わずため息をついた。
そして廊下の角を曲がろうとした、その時。
ふと、窓の外に金色が見えた。
足を止めて目を凝らす。
闇の中で輝いていたのは長い金髪だった。
「……?」
彼女は見下ろした先にある渡り廊下に立っていた。
中庭に面したそこは壁がなく、吹き抜けになっているためにアレンのいる位置からはよく見える。
の細い背が淡い照明の光を受けて暗がりの中に浮かび上がっていた。
仕事を終えたのか、長い金の髪は下ろされていて、服装も団服ではなく両肩の出た白いワンピースだった。
ラビに以前(訊いてもいないのに)教えられたのだが、驚いたことには私服を一切持っていないそうだ。
その理由は、「特に必要ないから。着る機会もないしね」とのことだ。
仮にも年頃の少女が言う台詞ではないだろう。
まったくもっては意味不明である。
寝るときはどうしているのかと尋ねると、なんとラビの服を無断で拝借して着ていたらしい。(黙認していたラビもどうかと思う)
頭が痛くなるような話だったが、彼女が年頃になってきた頃その事実を知ったコムイが大げさに嘆き、断固に私服を持つように命じたそうだ。
はこれでもかというくらいに暴れまわり、黒の教団を壊滅に追い込むまで抵抗したのだが、結局は折れた。
その理由はリナリーで、自分が買ってきた服をが着てくれないのだと目の前で泣かれたらしい。
とりあえずこの話を聞いて、アレンの持った感想はひとつだった。
くっだらない。
本人の目の前で最高の笑顔でそう言ってやるとが怒って、結局大ゲンカになったのはつい先日のことだ。
とにかくそういうわけで、今彼女が着ている白いワンピースはリナリーの選んだものだろう。
の趣味にしてはエレガントすぎる、レースの付いた可愛らしいものだった。
それは金髪の少女にひどく似合っていたのだが、闇の中に見ると少し異様だった。
はあんなところで何をしているんだろう。
アレンは不思議に思ったが、それだけだった。
視線を外して歩き出そうと一歩を踏み出す。
その視界の隅で、金の光がぶれた。
アレンはぎょっとして視線を戻した。
闇の中。
金髪を少し遅らせて、が崩れ落ちた。
渡り廊下と中庭の淵で彼女は膝を折っていた。
「な……っ」
アレンは目を見張って、思わず窓に両手を叩きつけた。
(倒れた!?)
そう認識した瞬間、アレンは駆け出していた。
廊下を突っ切って、手すりを乗り越え一気に飛び降り階段を省略。
照明の抑えられた道を全力で走る。
夜気が頬に冷たい。
よく考えればこの気温で、あんなワンピース一枚で外にいるなんてことはおかしいのだ。
アレンが渡り廊下に到着したとき、やはりそこにはのものだと思われる上着が落ちていた。
しかしそれを拾って肩にかけてやろうなどという、普段のアレンなら造作もなく出来ることが、今は出来ない。
そんな余裕などどこにもなくて、アレンは叫んだ。
「!」
その瞬間、向けられていたの背がびくりと震えた。
アレンはなおも駆け寄りながら言う。
「大丈夫ですか!?具合でも悪……」
驚いたように振り返ったを見て、アレンは硬直した。
衝撃に足が止まり、ただ呆然と目を見張る。
やっと見えた、の顔。
闇の中にいる彼女を渡り廊下の微かな光が照らし出す。
光る。
何かが。
その白い頬に。
何だあれは。
光る雫。
(涙……?)
闇の中で、誰にも見られることなく、は泣いていた。
たった一筋だけど、確かに彼女は涙を流していた。
零れ落ちた心。
「……?」
アレンは呆然と呟いた。
ヒロインがああいうことを言われるのは、実は初めてではありません。
神田がキレたのも初めてではなかったり。(そのことをヒロインはなんとなく知っていますが、神田が嫌がるので特に口にしません)
コムイさんは「老若男女殺し」と言っていましたが、一部の人間は彼女に好意を抱いてはいないんです。
それでも彼女が態度を変えないのは、それなりの信念があるからです。
やっぱり人間なので、そういう部分も出していきたいなと思いまして。
次回はずぶ濡れの語り合いです。
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