君という謎を、僕はゆっくり解き明かすから。






● 荊を抱いて  EPISODE 7 ●






相変わらずは、まったく前触れのない唐突な人間だった。
しばらくの間寄り添うようにしていたアレンの胸を掌で押して、自分の体を突き放したのだ。
いきなりのことにアレンは驚いてを見つめる。
彼女は大きく頭を振って濡れそぼった金髪を払い除けた。
その白い頬は濡れていたけれど、やはり噴水の水と区別が付かない。
そういった様子から察する限り、は当然のように泣いていなかった。
ただ非常に気まずそうではあった。


「ごめん」


低く言いながらちらりとアレンを見て、すぐに視線を逸らしてしまう。
けれどそんな自分が嫌だったのか、意を決したように顔をあげると真っ直ぐにこちらを見据えてきた。
はその場の雰囲気を変えるかのように明るい声で言う。


「真夜中に追いかけっこってのもなかなか楽しいもんだね。水遊びも気兼ねなく出来るし!ただちょっと寒いのがマイナスポイントだなぁ。そう思わない?」
「………………………」
「おいコラ自称英国紳士!ここでさりげなく乙女に上着を貸さなきゃダメじゃない」
「……………………………………」
「てゆーか本気で凍死しそうなんで貸してください、あとこの微妙な空気に耐えられないんで返事してください」 「…………………………………………………」
「お、お願いしまっす!!」
「………………………………………………………………」


せっつくなど己の平穏のために無視して、アレンはため息をついた。
それも全身の酸素がなくなるのではないかと思われるほどの壮大なため息だ。
もはや日常の一部になりつつある頭痛に顔をしかめながら、アレンはを半眼で見下ろした。


「空気に耐えられないのはこっちのほうです」
「は?なんで?」
「今がどんな状況かわかってますか。真夜中に男女が二人っきりなんですよ。寒いのなら可愛らしく抱きついたりしてみたらどうなんです。それなのに上着を貸せだって。乙女だと主張しているくせに王道も知らないんですか」


アレンはとりあえず思ったことを一息に告げた。
それを聞いたはしばらくぽかんとした後、若干青くなって呟く。


「私が抱きついてあんたが喜ぶとは思えないんだけど……」
「ええ、それはまったく全然嬉しくありませんね」


アレンはこれ以上ないほどキッパリと断言した。


「むしろ気持ち悪くて鳥肌が立ちます。絶対にごめんです。君に抱きつかれるくらいなら最強の人喰い鮫、ホオジロザメと熱い抱擁を交わしたほうがマシです」
「そのまま食われろー!」
「とにかく!実際にやられたら全力回避するけど、そんな王道的展開もできないなんて!」
「そしてフカヒレになっちまえー!!」
「世界の常識ですが、あえて言いましょう!」


アレンは妙な自身に溢れて、をビシリと指差した。


「君はまったく乙女じゃない!!」


無駄に優雅なその動作と、鼻先に突きつけられた指先。
の唇がわなわなと震える。
アレンのあまりの発言に、彼女は顔を真っ赤にして怒った。


「あんたに言えたことか、このエセ英国紳士スパイシー腹黒風味め!!」
「いくらでも吠えてください、乙女のヲの字も知らない未確認生命体が!!」
「なによ、ちょっと世間受けがいいキャラしてるからって言動すべてが許されると思うなよー!!」
「君こそちょっと美少女だからって調子に乗らないでくれますか!!」


最近発覚した“は老若男女殺し”という事実への衝撃がいまだに残っていることが丸わかりな台詞を叫んで、アレンはを睨みつけた。


「そもそも君なんて土台はいいかもしれませんけど、いつも馬鹿全開の表情で全然可愛くないじゃないですか!」
「悪かったなー!」
「あの刺激的な黒酢を飲んでぶっ倒れたときの顔も、見れたものじゃありませんでしたよ!」
「だったら見なければいいでしょっ」


あの後こみ上げてくる笑いを必死に殺しながら医療室まで運んでやったのは自分だというのに、なんていい草だろう。
アレンはそう思って鼻からふんっと息を吐いた。


「そうはいきませんよ、怖いもの見たさってヤツです。僕はこれから君の面白い顔を見まくって、全力で馬鹿にしていこうと思います!!」
「何だその最悪な心がけ!!」


はさらに怒鳴ろうとしたが、アレンが上着を投げつけて言葉を封じる。
頭からかぶせられたそれを引き剥がそうともがくマヌケな姿を見て微笑んだ。
今の自分の笑顔が素直なものだというのなら、この言葉だってきっとそうだ。


「だからそのうち、君の泣き顔も」


の動きが一瞬 止まった。
アレンは構わずに言った。


「飽きるぐらい眺めて、命がけで笑ってあげます」


彼女の決意をアレンは尊敬する。
同時にひどく哀しいとも思う。
だからいつか、その涙に触れることが出来るように。
独りだと思わないでいいように。


の泣き顔を見つめて、ただそっと微笑んでやろう。


アレンは不敵ですらある笑顔で、に告げた。




「覚悟しておいてくださいね」




宣戦布告のような言葉を放って、自分の上着を頭からかぶった少女を見つめる。
はその黒に覆われながら、しばらく沈黙した。
彼女が何を考えているのか、アレンには検討もつかなかった。


けれど唐突にはアレンの上着の裾を掴むと、バサァと脱いだ。
マントのようにして颯爽と肩にはおり、中に入ってしまった金髪を手で後ろに弾き飛ばす。
そしてその金色の瞳をアレンに向けると、花が咲いたように微笑んだ。
それは見た者の心を一人残らず掴んでしまうような、ひどく魅力的な笑顔だった。
不覚にもどきりとしたアレンの眼前での桜色の唇が動く。


「ありがとう」


はさらに微笑みを深めた。


「お礼に世界最強の人喰い鮫、ホオジロザメよりも恐ろしい抱擁を受けてみる?」


「え」



アレンが反応するより早かった。
は思い切り水盤の底を蹴りつけて、跳躍。
そのままの勢いでアレンに飛びつく。
それは抱擁などという甘いものでも、優しいものでもなかった。
事実無根、断じて違った。
例えるなら肉食獣が獲物を狩るときの激しさで、はアレンに飛びかかってきたのだ。


二人は一緒くたになって倒れこんだ。




蒼い月の下で、少女の笑い声と派手な水柱があがった。
















降り注ぐ陽光。
澄んだ水々しい空気。
そよぐ風に、緑の香り。


何とも気持ちのいい夜明けだった。
今すぐ起きだして、冒険への旅へと出発したくなるような、晴れやかな早朝。


それだというのに、コムイは壮絶に頭が痛かった。


気持ちのいい夜明けなど科学班には無縁のものだし、起きだすも何も徹夜で寝ていないのだからそれは無理な話だ。
加えて目の前の光景は、冒険どころか現実逃避に出発したくなるような惨状だった。
コムイは痛むこめかみを揉みほぐしながら、眼前にいる二人を見下ろした。



「それで、何がどうなってこうなるのかな」

「「この人が悪いんです」」



不機嫌絶頂の声が同時に返事をした。
驚くほど息がぴったりだったので、声の主たちは互いに“マネをするな”と軽く小突き合いをはじめる。
コムイはその様子に深々とため息をついた。


目の前にいるのは白髪の少年と、金髪の少女。
二人とも何故かずぶ濡れで、泥だらけで、そしてボロボロだった。
よほど激しい争いをしたのだろう、彼らの背後にある噴水は跡形もなく木っ端微塵に破壊されていた。
周囲の木々はへし折れ、花壇の花は吹き飛び、芝生は穿ったような穴がいくつも点在する。


夜明け前に起きてきたリナリーが「が部屋にいないの」と泣きそうな顔で言ってきたので、徹夜の体を押して探してみたらこのあり様だ。
何がどうなったらこうなるのか。
科学班室長という役職につく、頭脳明晰なコムイですらさっぱり理解不能だった。
来る途中で出会った神田にの居場所を知らないか尋ねると、彼が心の底から馬鹿馬鹿しそうに、


「外に出てみろ。俺は近づきたくない。絶対に関わりたくない」


と吐き捨てて、超速で逃げていったのが今ならよくわかる。
というか、自分も今すぐ何も見なかったことにして逃げたい。


そんなことを考えていたらいつの間にか目の前でまたケンカを始まっていた。
二人が互いの頬をつねりあげ、全力で引っ張り合っているのだ。
口が伸びている状態でも悪口を叫べるアレンとはある意味、すごい。


「ちょっと、もー何やってんの君たち。ハイ、やめたやめた!」
「邪魔しないでよコムイ室長!私はこの魔王に正義の鉄槌を下さなければいけないんだから!!」
「こっちこそ、世界平和のために君のような危険生物を野放しには出来ません!断固排除します!!」


間に割って入るコムイなど無視で、二人の勢いは止まらない。


「言ったな、この二重人格!」
「そっちこそなんて失礼な宇宙人だ!」
「ねぇ、何?この子供のケンカ……」
「笑顔で詐欺師め!そんなことであんたの超絶腹黒が隠せるとでも思ってんのか!!」
「うるさいですよ破滅的馬鹿のくせに!だったら君も、その致命的なまでのマヌケさを隠してみたらどうですか!!」
「あーもう頭痛いなぁ……」
「こんにゃろー!!」
「やりますか!?」
「やっちゃダメだから。落ち着いてよ、ダメだからね」
「やってやる!!」
「望むところです!!」
「いや、ダメだって言ってるでしょ!!」


コムイは今にもイノセンスをぶっ放しそうな二人を無理矢理離れさせた。
同時にアレンの撃ったレーザーがコムイの白い帽子を貫き、の放った光の刃がそれを跡形もなく消し飛ばす。


「「危ないよ(ですよ)、コムイ室長(さん)!!」」


その言葉に、コムイは滅多に出さない大声で怒鳴った。


「危ないのは君たちだーーーーーーーーー!!!!」


叫びはビリビリと響き渡り、さすがのアレンとも驚いたように動きを止めた。
コムイは肩で息をしながら彼らを睨みつける。


「何なんだ君たちは!どうしてそんなに仲が悪いんだ!何かあったのかい、ってゆーか何があったんだい!!」

「「この人が絶対唯一の、宿命の敵だと判明しただけです」」


またもや息のピッタリあった返答だった。
アレンとは互いにぽかぽかと叩き合いながら、終わらない悪口大会を開催している。
コムイはもう本気で帰りたくなっていた。
しかしここで彼らを放り出すと、ゼロの数が多すぎる修理費がかかってしまうのは明白だ。(現時点ですでに相当な金額だろう)
今までだってさんざん二人で物を破壊してきたが、そのレベルが一気に上がっている気がするのだから仕方がない。
コムイは黒の教団の室長として、断固二人の暴挙を止めるべく口を開こうとした。


その時。


「くしゅん!」


突然アレンがくしゃみをした。
それを目の前で見ていたが瞳を瞬かせる。


「え、何?まさか風邪でも引い……っくしゅん!」


同じようなくしゃみをしてしまったは、アレンと何だか驚いたように顔を見合わせた。
コムイだけが平然と告げる。


「全身ずぶ濡れで一晩中外にいたのなら風邪を引いて当然だよ。二人ともケンカはやめて医療室に行っておいで」


それを聞いた二人の顔は猛烈に不愉快そうだった。
顔をしかめたが、絶対にアレンのほうを見ずに言う。


「むー……。仕方ないなぁ、ずぶ濡れにさせちゃったのは何だか私のせいみたいだし、今回ばかりは引き分けにしといてあげる」


同じくアレンもから顔を背けて口を開く。


「別にそんなのは僕の意思なんで君に謝られる筋合いはないですけど、風邪じゃ仕様がありませんね。弱いものイジメは僕の趣味じゃありませんし」


え、何この意地っ張り対決。


コムイはぽかんとしてそう思ったが、その時にはすでに二人は駆け出していた。
土ぼこりをあげて、凄まじい勢いで走り去っていく。
ぎゃーぎゃーわめいている声から推測すると、どうやらどちらが先に医療室にたどり着くかという勝負がはじまっているらしい。


その場にひとり残されたコムイは、しばらく呆然とした後、呟いた。


「ボクも寝よ……」


普段はどんな冗談でも笑顔で応じるコムイだが、今回ばかりは許容範囲を超えていた。
つまりあの二人の応酬は、馬鹿馬鹿しすぎたのだ。
















医療室に着いたら空いているベッドはひとつしかないと言われたから、またケンカになった。
二人はシーツを引っ張ってベッドを奪い合っていたが、徹夜に慣れていないアレンのほうが先に根をあげた。
騒ぐを無視してベッドに倒れこみ、意思とは関係なく瞼を閉じる。
眠りに落ちる瞬間に、少し微笑んだの声が「ごめんね、ありがとう」と言ったようだったが、気のせいだろう。
起きたらまた再戦だ。
覚悟しろと心の中で呟いて、アレンの意識は白に溶けた。




黒の教団、医療室の隅のほう。
ひとつのベッドで寄り添って、幸せそうに熟睡する白髪の少年と金髪の少女がいた。
その光景は、どんなに本人達が不本意でも、仲が良さそうにしか見えなかった。




例えその数時間後に先に目を覚ました少年が隣で寝ていた少女に言葉を失い、全力でケンカに挑もうとも、その時そう見えたのだった。








はい!『荊を抱いて』終了です!
やっぱり私はシリアスとギャグをごちゃ混ぜに書くのが好きみたいです。
最後のほう、かなりノリノリでした。(笑)
ちなみにホオジロザメっていうのは例のあれです。『ジ○ーズ』に出てくるサメです。

次回からはオリジナル任務が始まりますので、しばらくアレンしか出てきません。
神田やラビのお話はもう少しお待ちくださいませ。
オリキャラもばんばん出てくるので、苦手な方はご注意を。