誰もが知っているお伽話。
優しい声と暖かい膝、特等席で聞いた恋の行方は?


さぁ、“めでたしめでたし”まで見守って頂戴!







● メルヒェン・パラドックス  EPISODE 1 ●







晴れ渡った空を見上げては思い切り伸びをした。
燦々と輝く太陽へと両腕を突き上げる。
眩しさに掌をかざして目を細めた。
あぁ、なんて気持ちがいいんだろう。


「真っ白な日差し」


さすが南国、と思いながら視線を地上へと転じる。


「真っ白な波飛沫」


自分の右手に広がる蒼い海とその表面に散るシャンパンみたいな泡。


「真っ白な砂浜」


まるでステップを踏むように足跡を刻んでゆく。
靴先にあたった貝殻までもが煌めく白だ。その美しい色。
純白は好きだ。優しさと暖かさに溢れているから。
はまるでそれに満たされたかのような幸福な気持ちで吐息をついた。
しかしそれは半ばで残念なため息に変わる。
最後の最後で呻くように付け加えた。


「そして、真っ黒な毒舌魔王」


「誰がですか、誰が」


すぐさま反論が背後からあがったけれどは振り返らない。
目の前の真っ白な景色だけを眺めようと頑なに背を向けたままでいる。
するとその態度に思うところがあったのか、後頭部にさらなる文句が突き刺さってきた。


「何だってそう僕に喧嘩を売ることを忘れないかな、君は」
「…………………………」
「大体、今この景色と僕はまったく関係ないだろう。それでいてあえて口にする意味がわからない」
「…………………………」
「ほんと、真っ白なのは景色よりも君の頭の中身だ。ねぇ、ティムキャンピー」
「…………………………」
「な、何だよ……。お前はの味方だって言うのか?僕よりもあの馬鹿を取るって!?」
「…………………………」
「この……っ、裏切り者!あんなのでも“女性”ってだけで庇うとは、さすがあのロクデナシが造ったゴーレムだ!!」
「…………………………」
「う、わ、痛っ、噛んだ!噛んだな、こらっ、ティム!!」
「ちょっと人の背後で子供のケンカするの止めてくれるかな」


ついに黙っていられなくなったが返り見ると、そこにいた毒舌魔王は金色のゴーレムと取っ組み合いをしている最中だった。
体格が全然違うのにティムキャンピーも負けていないのが凄い。
とりあえず腰に両手を当てて言ってやる。


「やめなさい。めっ、ですよ。めっ!」
「……その叱り方は大変不愉快なのでよしてくれませんか」


本当に子供に対するそれのようにしてやれば一方が脱力したので喧嘩は止まった。
もう一方はが指先で招くと傍まで飛んでくる。
掌で跳ねて肩の上へとおさまった。


「良い子ね、ティム」
「……僕は?」
「頭撫でてあげようか」
「死んでも嫌だ」


何だか恨めしそうな羨ましそうな眼で見てくるから提案したのに、きっぱりと断られてとしては不満だ。
そのまま追い抜かれて先に立たれてしまったので、今度はこちらが文句のように言ってやる。


「アレン」


返事はない。
脱いだコートを肩に引っ掛けたまま、彼はずんずん前に進んでゆく。
これじゃあ当初の予定が台無しだ。


「まったく、もう……」


仕方なくは小走りに追いかけてアレンの隣に並んだ。


「私は散歩がしたかったんだけど」
「一人でね」
「そう、一人で」
「……で、僕がついてきたから機嫌が悪いんだろう」


横目で睨まれてはちょっと黙った。
それは違う。完全に前後関係が逆だ。


船上での一件、ノア達を追い返した後。
正しい船に乗り換え、神田やラビと別れ、目的地に到着したのがつい一週間前のことだ。
二人は滞りなく任務をこなし、すでに教団に戻るだけとなっている。
そこで帰りの船の時間まで浜辺を歩いてみよう、なんて考えたのがいけなかったのか。


「それは、アレンが……」


言いかけてはアレンのむっつりとした横顔を見上げた。
どうにも最近の彼は物思いに耽ることが多くなった。
特に船での騒動以来、顕著になっている気がする。
目を離すとすぐにぼんやりとしているものだから、少し一人にしてあげようと思って「散歩に行ってくる」と言ったのに。
の気遣いはまるで見当違いだったようで、アレンは喜ぶどころか凄まじく不機嫌になって、罵詈雑言を吐きながら後をついてきてしまったのだ。


「そんな毒舌を披露されてニコニコしていられるわけないでしょ……」


ため息まじりにぼやくと鼻で笑われた。


「いつでもどこでもご機嫌な頭のくせに?」
「だから何でそんなに苛々してるの」
「……別に」
「機嫌が悪いのはアレンのほうじゃない。これ以上怒らせないように黙っていても、そっちから突っかかってくるんだから」
「…………………………」
「景色に交えて文句のひとつも返したくなったのよ」


黙ってしまったアレンには何となく目を奪われる。
白い日差し、白い波飛沫、白い砂浜。
そして、真っ白な少年。
……………………………口を開かなければ。


「君が僕を気遣おうとか百億年早いので大人しく傍に居てくださいよ、この歩く災害発生機が」
「よーし、ついに吐き捨てやがりましたねコノヤロウ!」


こちらに顔を向けたかと思うといつも以上の暴言を投げつけてきたので、は思わず笑顔になった。
もちろん頬は引き攣っていたが。


「ほんと、何なのアレンは!」
「……いいから散歩しましょうよ。僕、あっちの崖まで行ってみたいです」
「ちょ、……ねぇ、話を逸らさないで」
「ほら、早く!モタモタしていて転んでもそのまま引きずっていきますよ」
「聞いてないもんな!」


アレンに強引に手を取られて握られる。
ちょっと痛いくらいだ。
乱暴というほどではないけれど、何だからしくないとは思う。
噛み合わない会話を交わしながら、はアレンに引っぱられて浜辺を駆けていった。













触れたい、と。
そう思った。


もうずっとだ。
延々とこの胸に巣くっている、それは感情というよりすでに衝動に近かった。
例えば手。桜色の爪。細い指先。
長い金髪から覗く白い首筋、とか。
無防備に向けられた背中を見ては腕を伸ばしたくて仕方がなかった。
そのまま抱きしめたら彼女は何と言うだろう。


それは“仲間”でも出来ることだけど、今のアレンでは意味合いが違った。
少し、嫌だなと思う。はっきりと自覚がある。
これは自分勝手な欲望だ。
“好き”なだけなら他の誰にだって出来ないことはないけれど、こんな激情はにだけしか有り得ない。
綺麗でも純粋でもなく、ただ欲しいがまま求めてしまう。
その正体が愛欲だとアレンはもう知ってしまっていた。


(けだものか、僕は)


腹の中で言って、自分を嘲笑する。


(駄目だ駄目だ。紳士的に振舞わなくては。いくらが相手でもこれはマズすぎる)


脳裏に焼きついているのは彼女に無理やりキスをしたティキの姿だった。


(……あんな真似は、絶対にしてはいけない)


快楽のノアより先に犯してしまっている以上、またそれを“仲間”という理由で受け入れられてしまった以上、アレンは自分に二度目を許してはいけないのだ。
そう思いつめて唇を噛むと、がさり気なく覗き込んできた。
おかげでアレンは居た堪れなさに苛々する。
もうずっと彼女は僕を心配しすぎだ。


「大きなため息」


が呟いたのでもっと巨大な吐息をついてやった。


「本当……君って厄介ですよね」
「どうして急にそんな苦情を言うかなアレンくんは!み、身に覚えがありません、よ……」
「……そのわりには怯えてますよね。何?今度は何したの?」
「いやぁ、正直どれのことを言われているのかわからなくて」
「つまり身に覚えがありすぎるんじゃないですか。君は僕にどこまで迷惑をかければ気が済むんだ」


いつものノリで、いつもよりきつめの調子で、思わず口にした言葉に繋いだ手がぴくりとする。
振り返ってみればが俯いていた。
アレンはちょっと吃驚する。
あれ?何だか落ち込んでいるみたいだ。
もしかして、傷つけた……?


「……ばか」


花色の口唇がそんな声を紡いだから、今度はアレンが手を震わせた。
そしてはがばりと顔をあげると渾身の力で叫んだ。


「海のバカヤロォォォォォオオオオオオ!!」
「うわぁ、それ本当に言う人初めて見た」


唐突に明後日の方向を向いたかと思えば、一昔前の青春ドラマみたいな台詞を絶叫される。
アレンは思い切り半眼になってを見やった。


「というか、君に馬鹿呼ばわりされるとか海が可哀想なんで早急に謝ってくださいよ」
「ごめん」
「やけに素直ですね」


皮肉のように言ってやったのに、返ってきたのはやはり素直な言葉だった。


「ごめんね、アレン」


意味がわからなくて目を瞬かせているうちにが前に出て振り返る。
手は繋いだままだから、くるりとターンをするようにして向かい合った。
明るい視界の中でもっと眩しい金色が微笑む。
眉を下げた情けない笑顔だ。


「馬鹿なのは海じゃなくて私よ」
「そんなのは知ってる……って何の話?」


「あなたを、怖がっていたこと」


アレンは咄嗟に口を閉ざした。
その様子には微笑を深める。


「何だかようやくわかった気がしたの。信じなければ失うんだって」


どうやらアレンと同じようにも先日の件を思い悩んでいたようだった。
唐突とも思える話の切り出し方だったけれど、彼女はいつ口にしようかずっと考えていたのだろう。
すでにの性格を熟知しているアレンには容易にそう想像することができた。
そっと視線が海に投げられ瞳が細められる。


「だから私は……グローリア先生を死なせてしまったんじゃないかって」
「……どういうこと?」


がグローリアのことを口にするのは、よっぽどのことなのだとすでに理解していたから、アレンは握った手に力を込めた。
表情が哀しい。
笑んだ唇から零れ落ちる言葉を呑み込んでやりたくて、決してしないと決めたばかりなのにキスで塞いでしまいたくなった。


「私はあの人を信じていなかった。本当の“私”を知っている彼女は、“”を疎み、嫌っているんだと思っていた。それでも……私はグローリア先生を愛していたから、どうしても守りたくて」


は目を伏せたけれど、無理に顔を振り上げてアレンを見つめた。


「きっとそれが間違いだったの……。先生も私を同じように想ってくれているのだと知っていれば、気持ちがすれ違わずに済んだのに。お互いを傷つけて、一方的に守ろうとして、反発し合ってしまった。結果、弱い私が力負けしたわ」


少しだけ震えた声を殺すようにして囁く。


「先生はその強さで私の自分勝手をねじ伏せた。そうして……死んでしまった」


の笑みはもう情けないというよりただただ淋しそうで、アレンはどうしてあげるのが一番いいのか必死で考えた。
きっと彼女の傷跡は癒えない。忘れられない。
アレンがマナを過去に置いていくことができないように。


「アレンはグローリア先生に似ているのよ」
「神田よりも?」


口をついた質問にはちょっと目を見張って、それから肩の力を抜いた。


「そんな昔の話……よく知ってるね」
「本人から聞きました」
「そう。否定もしたはずなんだけど」
「それも聞いた」
「神田と似ているのは言動だけよ。本質はあなたに近い」
「……他人を庇って、自分を犠牲にするところが?」
「優しさが、似ているの」


ゆるく首を振って金髪を揺らす。
光が踊るからアレンは空いている手をの頬に伸ばした。
彼女は止めようとはせずにそれを受け入れてくれる。


「あなた達は優しいから“私”を知っても……、こんな人間でさえも、見捨てようとはしないのでしょう。……そう思っていたけれど」


指先が肌に当たって、そっと輪郭を撫でた。
アレンは我知らずに吐息をこぼす。


「怖がらずに、信じなければいけないのね。そうしなければまた失ってしまう。あなた達は……、あなたは」


は迷子の子供のような眼で、それでも微笑んでみせた。


「アレンは、どんな“私”でも、大切だと言ってくれるんだって」


その瞬間、アレンはの頬を叩いてやった。
べしりと小気味いい音がする。
もちろん痛くないようにしたのだが、彼女は驚いたようで小さな悲鳴をあげた。


「今更」


アレンはそのままの頬肉をつまんで、今度こそ容赦なく引っ張ってやる。


「そんなの今更すぎなんだよ、この鈍感!」


本当にムカッ腹が立ってきて叫ぶ。
は痛みに涙を浮かべているけれど知ったことか。
ちょっと全力を出せばぎゃあぎゃあ喚き出した。


「い、いひゃい!いひゃいから!!」
「あーすみませんね何を言っているのか全然わかりません」
「はにゃひて!はにゃ、はにゃへー!!」
「ええ?何ですか?もっとして欲しいって?進んで制裁を受けたがるとは、殊勝な心がけですね」


勝手な解釈でもう片方の手も頬へと伸ばす。
満面の笑顔でにじり寄れば本気の恐怖を感じたのか、は渾身の力でアレンの拘束から逃れた。
そのまま悲鳴をあげて走り出す。
どうやら殺気……もとい暗黒オーラを出しすぎたらしい。
だって本当に今更なことを言われたのだ。
それにようやく気持ちが通じたのだと思うと、行動が大胆になってしまうのも仕方がないだろう。


(“大切”……か)


例えアレンの言うその意味が、男としてのものだと理解されていなくても。


一目散に逃げるに呆れつつ後を追おうとしたアレンだったが、そこでハッと青ざめる。
何故なら慌てた彼女が崖の淵ギリギリまで駆けて行ってしまっていたからだ。
何だか嫌な予感がする。
ならあんな崖でもどうってことないような気もするけれど、何となく……。


「げっ」


本人も同じものを感じたのか、踏みしめた大地に違和感があったのか、鋭い身のこなしで後退する。
すぐ後ろまで迫っていたアレンと背中からぶつかった。


「う、わっ」
「ば、ばか!!」


そのまま捕まえようとしたのに、は反射的に抗ってしまって、アレンは慌てて押さえにかかる。
二人の体が変な方向に傾いた。
さらにそこにティムキャンピーがいたのだから洒落にならない。
吃驚した様子のゴーレムにが叫んだ。


「避けて!」


するとティムキャンピーはすぅと息を吸い込んだかと思うと、10倍くらいの大きさに膨張した。


「「!?」」


アレンとは揃ってその体の上に倒れこむ。
どうやら咄嗟に緩衝材になってくれたようだ。何て機転の効くゴーレムだろう。
は感謝と安堵に口元をほころばせた。


「た、たすか……」


ぽよんっ!!


「た!?」


しかし途中で驚愕に変わる彼女の声。
全身を襲ったのは柔らかな感触。
一度ティムキャンピーの体に沈んだかと思うと、そこに秘められた弾力に二人は思い切り弾き飛ばされた。


!」


アレンは自分の足が地面を離れ空中に投げ出されるのを感じながら彼女を力任せに引き寄せた。
落下しながらも抱きしめる。
重力に従い目指すのは海だ。
それはあっという間に迫って二人の体は叩きつけられた。
蒼い波間に……ではなく、その下の白い砂浜に。


「あ、浅瀬でよかった……」


アレンは頬を海水に浸しながらも呟いた。
これでもし岩場だったら危険だったのだけれど、幸いなことにここは柔らかな砂地しかない。
さらに言うとは泳げないから、海の深いところに落ちるなんて恐怖体験以外の何ものでもないだろう。


「おい、ティム!お前のせいだぞっ」


助けようとしてくれたのにひどいかもしれないが、おかげでずぶ濡れになってしまったのだからこれくらいの苦情は許して欲しい。
アレンはさらなる文句を口にしようと身を起こしながら顔の向きを変えた。


「大体が無闇に暴れるから悪い、ん、で……」


けれど口調の勢いは奪われる。
目を見張って見下ろす。
何だか視界が真っ白だった。
砂浜の色合いとは違って少し朱を含んでいる。
わずかに透ける血管を辿っていけば、やはり白い顎裏が見えた。


「っつ、う……っ」


小さなうめき声は痛みを堪えているようだった。
どうやら最初に目に入ったのはの首筋で、彼女が頭を抱えて身悶えているからさらに襟元がはだける。
自分の髪から滴り落ちた水滴がその鎖骨を濡らしたのを見て、アレンは両腕の長さの限りで距離を取った。
すると今度はの纏っているブラウスの白さが目に飛び込んでくる。
暑さのあまり上着の前を開いていたせいだ。
水に浸かって透けた布地の向こうに違う色を見つけた瞬間、アレンは視線を無理やりそこから引き剥がした。
おかげで


「……!」


ばちり、と。
潤んだ金色と目が合ってしまった。
海水に浮かんで漂う髪が陽の光を弾いて輝く。
その他の部分は全て影に覆われていた。
アレン自身の体の影に。


「……っつ」


傍から見れば完全に押し倒した体勢だろう。
女の子を海に突き落として、その上に圧し掛かっているような。
勘違いでもとんでもない男だと思ってアレンはから勢いよく離れた。
おかげで海水が跳ね上がって波が起き、漆黒のスカートがふわりと漂う。


「ご、ごめん、アレン……」


涙声で言いながらは砂浜に肘をついた。


「私って背後を取られると反射的に抗っちゃって……」
「………………………」
「前も神田に殺し屋みたいな癖だって呆れられたし、ラビには“お前はゴルゴ13か!?”って突っ込まれたし」
「………………………」
「ほんと、こういう攻撃的なところ直さないとね」
「………………………」
「アレン?……っつ」


濡れそぼった姿を真っ直ぐ見つめてはいけない気がして、けれど何か言おうにも気恥ずかしさに喉が詰まる。
だからアレンは黙っていたのだけれど、起き上がったが急に頭を抱えてしまったから驚いた。


「ど、どうしたの?」


何だかまだ近づきがたいから少しだけ身を乗り出す。
しかし口だけで「大丈夫」と返されたから、アレンは膝立ちで距離を詰めた。
がしきりにさすっているその後頭部に手をやる。
さぐるように撫でてみると見事な瘤になっていた。


「う、っつ……」
「痛そう。何?ぶつけたの?」
「う、受け身は取ったんだけど……」


は気まずそうに自分の背後を指差した。


「あれが誤算だったの」


そこにぷかりと浮いていたのは太めの木で、そのまままた波に乗って漂い始める。
アレンは苦い顔で流木を掴みあげると無造作に浜辺のほうへと放り投げた。


「危ないな……。、気分は?吐き気はない?」
「うん、平気」
「とにかく水からあがろう」


は笑って首を振ったけれど、どうにも強がっている気がして、アレンは許可も取らずに彼女の膝裏に手を差し入れる。
そのまま横向きに抱き上げて歩き出した。


「ちょ、アレン!」
「なに」
「平気だってば。降ろして」
「嫌です」
「どうして」
「頭を打ったんだろう」
「そんな大げさな……。ちょっとぶつけただけよ」
「少しの衝撃でも心配です。それ以上馬鹿になったら困るでしょう?……いいから大人しくしていて」


確かに少し過保護すぎるかなとも思ったけれど、最初の痛がりようを思えばやはり気になった。
何故ならが基本的に苦痛を表に出さない人間だからだ。
それがただ単に水に落ちた恐怖心からでも、アレンが心配するには充分だった。


「ねぇ」


そんな気持ちなど知りようのないは、非常に居心地悪そうに身をよじる。


「何か変な感じがするんだけど」
「変な感じ?」
「だから、その……お姫さま抱っことか!」
「ええ?」


意外なことを言われた気がしてアレンは声をあげた。
はなおも今の体勢を気にしているようだ。


「だって前はおんぶだったじゃない」
「ああ……」
「それか肩に担いで荷物運び」
「そういえばそうだったね」
「ねぇ、アレン知らないの?こういうイベントはラブいフラグが立つって世の中で決まってるんだよ」
「……はぁ?」
「だからダメダメ、もっとテンションマックスのときに別の可愛い女の子にしてあげないと!」


だから降ろして!と薄紅の頬で訴えられて、アレンは一瞬硬直し、その後意識的に体の力を抜いた。
おかげでは支えを失い落下する。
もちろん柔らかな砂浜の上にだが。


「ぎゃあ!」


ぼすんっ、とお尻から着地したが衝撃に悲鳴と砂埃をあげた。


「痛たた……。な、なに?」


何事だと問いかけてくる視線に不満の表情を隠しきれない。
アレンが自然とを横抱きにしたのは、きっと胸の内の感情に気づいてしまったからだ。
女性として見ているのだから、当然扱いもそうなってくる。
それだというのにこの人は……。
言うに事欠いて“他の女の子にやってあげて”だぁ?


「ちょ、何で暗黒オーラ出してるの!?」


アレンの不穏な気配に察したが恐怖に砂浜をにじり下がる。
無神経なことを言ったばかりのくせに、相変わらずこういう勘だけはいいようだ。


「別に。ちょっとを蹂躙したくなっただけです」
「そんなお手軽に危害を加えたくならないで!」
「馬鹿なこと言わないでください、決して軽い気持ちなんかではありません。僕は本気です。心の底から、君を想ってる。全力で殴り飛ばしたいってね!」
「本気でイノセンス発動したー!!」


一気に能力を開放したアレンにはあたふたする。
四つん這いになって逃げようとしたけれど、水を吸ったコートが脚に絡まって思い切りこけた。
砂まみれになった半泣きの顔が実に間抜けだ。


「うぇ……砂が口に……っ」


アレンはその馬鹿な姿をじっと見下ろした。
本当に頭悪いなぁと思うと同時にちょっと妙な気分になって眉をひそめる。
もどかしいような、恥ずかしいような。
心臓が内側からじりじり焦がされているような感覚だ。
最近を見ているとこうなることが多くて、けれどアレンはそれを苛立ちとしてしか表現することが出来ない。


(いや、待てよ……。もしかしたらずっと前から)


彼女に無闇やたらに突っかかっていっていた原因は“コレ”なのかもしれない。
そうなのだとしたら、気づいたばかりの感情は、随分長い間この胸の内に秘められてことになる。
そこに考えが至って、思わずアレンが赤面したとき、遠くから聞き慣れない声がした。


「おやおや、あんた達。ずぶ濡れになって何をしているんだい」


二人が揃って振り返ると、そこには杖をついた老婆が立っていた。
皺に埋もれそうな小さな目でしげしげとアレンとを眺めた後、


「心中に失敗したのかね」


と言われてしまったので、アレンは思い切りに手のものを投げつけてしまった。
それは紛れもなく照れ隠しだった。
金髪に被せてやったのは黒のコートで、やはりぐっしょりと濡れていたけれど、人前ではないよりマシだろう。
突然のことに声をあげたに命令する。


「着て!それで隠して!!」


彼女は一瞬きょとんとしたけれど、自分の服が透けていることに気づいて大人しく従ってくれたので、アレンの溜飲もようやく少しは下がったのだった。




















「まぁ、何だね。そのままだと風邪を引くからうちにおいでな」


と、怪訝そうにしながらも進言する老婆に、アレンとは甘えさせてもらうことにした。
いくら南国でも季節は冬に近づきつつある。
だんだんと肌寒さを感じてきていたし、何よりこの姿で帰還の船に乗るわけにもいかない。


「行きはずぶ濡れのまま乗ったけどね」


思い出してアレンが言うとはやたらと明るく笑った。


「何か最近水に落ちてばかりだよね!水難の相でも出てるのかな」
「運のせいにしない」
「それともこれは寒中水泳しろっていう健康の神からの思し召しで」
「明らかに君の不注意が原因だよね」
「……巻き込んですみません」


しゅんとして謝るから横目で見てみると、が小さく震えていたので、思わずアレンはその肩に手を回してしまった。
引き寄せてからどうしようかなと思う。
濡れた布地越しに熱い体温を感じて顔をしかめた。
何だかさっきから自分で自分の首を絞めている気がする。


「……まぁ馬鹿は風邪引かないっていうし、大丈夫じゃないですか?」


誤魔化すように嫌味を口にすればも応じた。


「そっちもね。魔王様は人間の病気に屈するほどヤワじゃないでしょ」


そう言うわりに離れようとしない。
自分が寒いからなのか、こちらを冷やさないようにしているのかはわからないけれど、それはアレンにとってはどうでもいいことだった。


「おやおや、仲の良いこと。やっぱり心中でもしようとしていたのかい」


奥から戻ってきた老婆に茶化されて、は一気に本領を発揮した。
差し出されたタオルごと彼女の手を取り熱っぽい視線を送る。


「心中なんてとんでもない!あなたのような素敵な女性に出逢うことができるというのに、どうしてこの世を捨てることができるでしょう。あぁ、でも、不幸中の幸いとはこのことですね。この優しい手が介抱してくださるのなら、我が身を凍えさせたかいもあるというものです」


よくもまぁこれだけベラベラと口が回るものだ。
呆れるアレンの眼前では漢前な笑顔を浮かべた。


「ご親切に感謝いたします。麗しのマダム」


そのまま手にキスでもしそうな勢いだったので、アレンはの頭を思い切り横へと押しやった。
首がぐきりという破壊音を奏でたが知ったことではない。
悲鳴も無視して老婆に向き合った。


「本当にありがとうございます。あと、この馬鹿と心中するほど人生に絶望してないのでご安心ください」
「そ、そうかい。でも恋人なんだろう?そんな乱暴な真似は……」
「まさか」


アレンはさらに力を込めてを押しやった。
彼女は踏ん張りきれずにびたんっと床に倒れ伏す。
これから自分が言うことが気に食わなかったので八つ当たり気味に踏みつけてやった。


「善良な市民である僕が、こんな未確認生物と、恋仲なわけないじゃないですか」


本当に有り得ない。
悲しいくらいにその可能性はない。
だってまだ告白もしていないし、そうでなくとも障害は数え切れないくらいだ。
そんなことを考えながらぐりぐりと足裏に力を込めるとが怒って跳ね起きた。


「あんた仮にも英国紳士でしょ、女の子を足蹴にするってどういうことなの!」
「そういう扱いをして欲しいならもっと自分の格好を気にしてくれる?」


せっかくアレンが上着を貸してやったのに、が暴れるからまたコートの内側が視界に入る。
はっきり言って肌の色とか下着の線とか丸見えだ。
アレンが眉を寄せつつ指摘してやると、はハッとしたように上着の前を合わせた。


「……別に裸じゃないから恥ずかしくないもん」
「どっかで聞いたことあるような台詞で誤魔化そうとしないでください。あと“ないもん”とか可愛くないから」
「く……っ、巷で流行った萌え台詞にも動じないとは……。さすがはラスボス、大魔王アレンなだけはあるわね……!」
「……僕、君にだけは萌えない自信があるなぁ」
「そ、そんニャ!ひどいニャン!」
「あざとい!!」


軽く握った両拳を口元に当て、涙目でプルプルし出したに全力で突っ込む。
演技だろうが何だろうが普段の彼女を思えば鳥肌ものだ。
アレンは老婆から受け取ったタオルで乱暴にの頭を掻き回してやった。


「可愛こぶってる暇があったらさっさと乾かす!」
「い、痛たたたた!髪の毛抜ける!ハゲちゃうって!」
「やっぱり仲が良いようにしか見えないんだけどねぇ」


ぎゃあぎゃあ言い合う二人に老婆は呟いた。
何だかんだでもアレンの髪を拭いてやったりしているものだから、そう思われても仕方がない。
結局老婆が割って入って喧嘩をおさめ、それぞれを部屋に連れて行く。
着替えにと差し出されたのは古めかしかったが上品なデザインのもので、普段からかっちりした服装を好むアレンにとっては大差がないものだった。
訊いてみれば夫の遺品だという。
対するは長めのスカートが動きづらいようで、少しばかり歩き方が変になっていた。
リボンで切り替えられたハイウエストのそれには、精緻な花の文様が刺繍されていて可愛らしい。
しかも老婆の手作りだというからはしきりに感心していた。


「こんなに綺麗な刺繍ができるなんて。すごいです、マダム」
「私が娘時代に着ていたものだよ。よければお嬢ちゃんにあげよう」
「とんでもない!いただけませんよ」
「どうしてだい?とてもよく似合っている。お人形さんみたいだ」


そう言われてが少し表情を固いものにしたのをアレンは見た。
付き合いも長くなってきたからようやく気づけたのだが、どうにも彼女は自分の容姿を誉められることが好きではないらしい。
特に人外のものに例えられると複雑そうな顔をする。ような気がする。
それからも老婆はを構いたがって、結局髪型を四回、装飾品を六回変えるまで開放されなかった。
アレンはというとその様子を紅茶とお菓子を片手に鑑賞していた。
うーん、女の人のおめかしって大変。


「付き合わせて悪かったねぇ。うちは男ばかりだったから、娘ができたみたいで楽しくて」


ようやくがアレンの隣に座ってお茶を飲み始めたことには陽が傾きかけていた。
そろそろ行かないと帰りの船に間に合わなくなりそうだ。
しかし老婆の口は止まらない。


「それにしてもあんた達。外国の人のようだけど、ここには旅行で来たのかい?」
「ええ、まぁ。そのようなものです」
「もしかして駆け落ちかね。それで思い余って心中しようとした、と」
「いやそれ誤解ですから。僕とは恋人でもなんでもないんで」
「障害は何だね?お金かい?ご両親が許してくれないとか?身分違いの恋……いいねぇ」
「マダム。私はどう見てもお嬢様じゃないし、アレンもこんなですけどエセですから。エセ英国紳士」


勝手な妄想でうっとりし始めた老婆にはないないと手を振ったが、続いた言葉には目を瞬かせた。


「けれど、駄目だよ。二人で死ぬのなら場所が違う」
「場所が違う?」


それ以前に心中を肯定しているこの会話はどうだろう。
アレンは突っ込みたかったが、食べているお菓子が美味しかったのでそっちに口を動かすことに集中した。


「あんな低い崖の上からじゃ失敗して当然さ。それにこのへんには絶好の心中スポットがあるっていうのに」
「そんなのあっていいんですか……」


あ、が突っ込んでくれた。
アレンはそう思ってさらにお菓子を食べ続ける。


「心中スポットというか、恋人達の集まる観光名所といったところかね」
「へぇ。そんな場所があるんですね」
「あぁ、あんた達がいた崖よりもっと向こうの洞窟でね。入り口は小さいんだが奥は大きく開けている。そこで昔、身分違いの男女が入水自殺したんだよ」


やっぱりそういう話か。
半眼のアレンは紅茶を啜る。
老婆は続けた。


「身分違いと言うか、種族違いと言うか……。よくある人魚伝説さ」
「つまり人魚と人間の悲恋ですか」
「そうそう、青年を不幸には出来ないと人魚が身を引こうとしたんだけどね。青年は諦めきれずに追いかけていって、その洞窟の中で力尽きたのさ。人魚は悲嘆にくれて青年と一緒に海に沈んでいったらしい」
「それで何で恋人達の観光名所になったんですか?」


が首をかしげて訊く。
確かにそれだと想い合う男女が死んでしまった不吉な場所だ。


「そこは、ほれ、人魚と青年を偲んで、自分達は彼らのようにはならずに結ばれるようお願いするってことだよ」
「なるほど」


よくある話だ。
このテの噂を聞くたびにアレンは何故悲恋の男女を恋愛成就の拠り所にするのかと不思議に思う。
辛い恋に終わったからって、他人のそれにまで心を砕いてくれるものなのだろうか。
まぁ恋愛初心者の自分がわからないだけかもしれないけど。


「言い伝えは悲しいけれど、きっと綺麗な場所なんでしょうね」


がカップを片手に微笑んだ。


「観光名所になるくらいですもの。見てみたかったです」
「なら今から行ってくるかい?」
「今から?」
「二人でね」


思わずアレンとは顔を見合わせた。
この老婆はどこまでも自分達をカップルにしたいらしい。


「あぁ、でも気をつけな」
「気をつけるもなにも行きませんよ。絶対にごめんです」


好きなだけで恋人でもないのに、そんなところへ出向くなんて死んでも嫌だ。虚しすぎる。
アレンは思わず隣を睨んだけれど老婆は構うことなく言い募った。


「最近あそこで行方不明になる人が多くてねぇ」
「行方不明?」
「それが衣服だけを残して消えるそうなんだよ。最初は伝説と同じように入水自殺したんじゃないかって騒ぎになったんだけどね。いくら探しても死体が出てこなくてねぇ」


アレンとはもう一度顔を見合わせた。
今度は意味合いが違ってお互いに真剣な表情をしている。


「もう6組くらいの恋人たちがいなくなっているんだけれど、その誰もが発見できないとなるとさすがに薄気味悪いだろう?おかげであそこもすっかり人が絶えてしまった」
「つかぬことをお伺いしますが、マダム」


何気ない口調でが訊いた。


「そこに残されていたのは恋人達の衣服だけだったのですか?」
「いいや?確か妙な灰が散らばっていたという話だけれど」


その答えにアレンは席をたった。
ティムを手招いてに言う。


「教団には帰還が遅れるって伝えておくよ」
「ありがとう。じゃあ行こうか」


ほぼ同時に立ち上がっていた彼女に老婆がきょとんと瞬いてみせた。


「行くって、伝説の洞窟に?本当にかい?」


二人揃って頷くと、老婆はしみじみした調子でこう言ったのだった。


「そんなに心中したいのかい、あんた達」


アレンは思わず微笑んだ。
といっても顔半分に影の差す、真っ黒な笑顔をだ。


「大丈夫、そこで何があったとしても死ぬのはだけです」


そう言われた彼女も笑ったが、顔色は蒼白である。


「殺されないようにがんばります……」


そうして変なものを見るような眼の老婆に見送られて、エクソシスト達は“奇怪”を孕む伝説の場所へと出かけていったのだった。









新章『メルヒェン・パラドックス』始まりです。
内容はタイトルまんまになる予定です。ネタバレ!
しかし前章までアレンとヒロインの雰囲気が微妙なことになっていたので、今回もどうなることかと思ったのですが……。
意外なほどすぐに普段どおりに戻ってくれて安心しました。
ああいう感じは苦手です。それはそれでアレンは釈然としていないようですが。(笑)

次回はちょっとヒロインが大変な目に遭いそうな予感です。お楽しみくだされば嬉しいです〜。