それが僕の、私の。
君のために出来るあらゆること。
● Refrain 4 ●
意識は混濁していた。
いや、真っ白だ。
一切の汚れは有り得なかった。
目の前が覆われたみたいに染まっていて、他の色は存在しない。
いいや、それも嘘だ。
徐々に差し込んでくる光みたいな色彩。
白い世界を塗り替える。
随分長い時間をかけてそれを眺めていた気がするが、さすがに首が疲れてきた。
右上から降ってくる光にアレンは目を細めて顔の向きを変える。
そうすれば頬に何か柔らかいものがあたった。
布地のような感触の下がふかふかしていて、ひどく温かい。
「……?」
何だろうと思って、アレンは眼を開けた。
そうして初めて自分が眠っていたことを知った。
覚醒してみたはいいけれど、目の前が暗い。
先刻までの白い世界と金色の光はどこへいったのだろう。
アレンはそれを探して、感覚の通りに眼球だけを動かし右上を見上げた。
「あ、起きた?」
「…………………………」
そして硬直した。
本当に固まった。
呼吸も止めて、目を見開く。
視界が潤んでいるのは気のせいか。
というよりも、自分を覗き込んでくる顔がに見えるのは気のせいだろうか。
体を強張らせたときに指先にも力が入って、アレンは己の頬の下にあるものが何であるかを悟る。
温かいのは体温だ。柔らかいのは人肌だ。
つまりソファーに座ったの膝の上に頭を乗せて、アレンは横になって眠っていたのだ。
そんな自分の現状を把握した途端、アレンは飛び起きた。
いろいろと今の体制はマズイ。
膝枕だけでもアレなのに、スカートのスリットから覗く肌に触れてしまった気がする。
けれど体を動かした瞬間、目が回った。
「う……っ」
「あぁ、急に動いたら駄目だよ」
「なに……、頭いたい……」
「ホラ、まだ横になってたほうが」
「いや、それは!」
肩を掴んでもう一度寝かせようとするから、アレンはがんばって逃げた。
ソファーの上で距離を取る。
頭部が締め付けられるように痛んでうまく動けなかったから、這うような移動になった。
ガンガンする額を押さえてを窺う。
その視界は相変わらず薄い水の膜が張られたみたいに滲んでいる。
腹が重くて、胸の真ん中が痛かった。
でも無理に言う。
「も、もう大丈夫……」
「本当に?」
「というか、ここは……?」
アレンは薄暗い室内を見渡した。
パーティー会場と比べれば小さなものだ。
あるのは今いるソファーとランプくらいで、実に簡素な部屋だった。
が座りなおしながら言う。
「パーティー会場の近くの部屋。ラビが用意してくれたの。運んでくれたのは神田よ」
「あぁ……そうなんだ……」
「せいぜい安静にしていろこの馬鹿!だってさ」
「どうもご迷惑を……君たちのせいだろうと言いたいけれど」
「ラスティ班長は、“度数60パーセント以上のお酒を一気飲みしてよく急性アルコール中毒にならなかったね”って誉めてたよ」
「ほ、誉めてないですよねソレ」
「それでも飲んだ直後の記憶はぶっ飛んでるだろうって」
「…………え?あれ?ああ、うん……。あんまり覚えてないかも」
「へぇ」
そこでがちょっとだけ微妙な顔をした。
笑顔のような呆れているような、突っ込みどころがわからないというような。
少しだけ身を乗り出して、はアレンを覗き込んだ。
「覚えてない?」
「……?うん。気付いたらここで」
の膝の上で眠っていた、と言おうとして、アレンはふいに口をつぐんだ。
何だか意識がぶれる。
夢と現実の境がなくなったみたいに、何かが溶けて混ざり合っている。
頭が痛む。
頭蓋骨を内側から打ち鳴らされているようだ。
アレンはゆっくりと瞬いて、首を傾けた。
「あれ……?」
何だかいつの間にか視界に指先が伸びてきて、それがの頬に触れていた。
無意識のうちに伸ばした自分の手だ。
まるでアレンの意思ではないように白い肌を撫でてゆく。
「なにか」
「……………………」
「なにか、した?」
「さぁ」
「したよね」
わけもわからないまま口走ってみれば、は苦笑して肩をすくめた。
もういいよ、と言って身を引こうとするから少し指先に力を入れる。
がちょっと吃驚した顔になる。
彼女を辿る手は、もはやアレンのものではないかのように動いていった。
そして、その薄紅の唇に触れる。
「僕は何をした?」
感覚を揺り起こせ。
そう命じる心は何かを知っているのに、記憶の領域と結びつかない。
感覚が覚えているのはただ彼女に。
の、この唇に。
答えを求めるようにそこを撫でると、ぞくりとした。
寒気を伴わない悪寒のようだ。
これ以上触れてはおかしくなると、そんな確信が持てた。
そもそも夜中近くに薄暗い部屋で二人きりでいること事態がよろしくない。
「…………っつ」
アレンは息を詰めてから手を離した。
後ろに下がろうと動けばくらりとする。
まだ目が回っているようだ。
口元を覆って俯けば、が手を伸ばして背中を撫でてくれた。
気分が悪くて涙の滲んだ眼に揺れる長い金髪。
あれ?と思ってアレンは苦しい息の下で言った。
「髪、下ろしたの?」
「え?あぁ……ほどけちゃったのよ」
あんなに綺麗に結いあげられていたのに勿体ない。
そう思って見上げると、側頭部に白い花を見つける。
ちょっと目を見張る。
優美なそれはアレンがパーティーの前に挿してあげたものだ。
は髪を一房、耳の上をリボンで結っていた。
他は全部背に流してピンも飾りも取ってしまっているのに、その花だけはそうやって括りつけているのだ。
アレンは思わず微笑む。
これはかなり嬉しいかもしれない。
が自分でやったのか、真っ直ぐにとまっていないところがまた可愛かった。
「何ひとりで笑ってるの?」
「べつに。何でもないよ」
「まだ酔ってる?」
「いいや。回復しきってはいないけど。意識はハッキリしてる」
「じゃあ……、ねぇ」
そこでちょっとは言葉を切った。
背中を撫でる手を引っ込めて、アレンの顔を覗き込む。
「歩けそう?」
大きな金色の眼がじっと見つめてくる。
差し出された掌にアレンは笑った。
「うん」
君の手を握るためだったら、きっと。
なんて本音は言わなかったけれど。
「うわー!真っ白だー!!」
広い空間に出た途端、が猛然と走り出した。
二人で手を繋いでしばらく中庭を歩いた後だ。
森を抜けて進むと唐突に視界が開けた。
そこは周りを木で囲まれた円状の広場で、一面白で覆われている。
続いて雪を踏んだアレンは先刻の夢みたいだと思う。
純白の世界に、金色がひとつ。
くるくる回るからドレスの裾が浮かんで脚が見えていた。
ステップを踏むように動いて、自分の足跡を刻んでゆく。
アレンは空を見上げた。
澄んだ空気に冷やされた天空は、いくつもの星が輝いている。
銀色の月が綺麗だ。
そこで地上の金色がこちらに戻ってくる気配がしたから、視線を落とす。
「ねぇねぇアレン!あのさ……」
そこでぶふぅ!という変な悲鳴があがった。
が駆け寄ってくる途中で豪快に転んだのだ。
彼女は顔から雪に突っ込んで、埋もれた。
「う、わ……っ、大丈夫ですか?」
あまりに子供みたいな転び方だったので、アレンはちょっと呆れて傍まで行く。
手を差し伸べるけれど、それより先には自分で上半身を起こした。
「あーあ……。お化粧落ちちゃいましたね」
雪まみれのの顔を見てアレンは傍にしゃがみ込むと、ハンカチを取り出した。
拭いてやればやはり綺麗に素顔に戻っている。
白い肌に薄紅の唇。寒さのためか頬は赤い。
何だか面倒になってきたので最後は掌で直接こすった。
ごしごし拭ってやればはくすぐったそうな、ちょっと痛そうな顔になる。
「せっかく皆がしてくれたのに、めちゃくちゃね」
髪も化粧も台無しにして、リナリーたちに悪く思っているらしい。
けれどアレンは漠然と確信する。
この人、ドレスも化粧もないほうが綺麗だ。
きっと目に見える姿だけじゃなくて、どこまでも。
最後にアレンがの目の下をこすると、彼女が言った。
「ありがとう」
はお礼を告げると、自分の頭から落ちた雪の塊を手にとった。
ぎゅっぎゅっと押して固める。
「雪合戦したいよねぇ。明日アレンが二日酔いになっていなければいいんだけど」
「さぁどうだろう。あんなにお酒を飲んだのは初めてだからわからない」
「今は?気分はどう?」
「良くはないけど……。外にいるほうがいい。空気が冷たくて気持ちいいから」
そうだろうと考えてが連れ出してくれたことはわかっていた。
アレンが少し元気になった様子を見せると、彼女は口元を緩める。
パッと俯いて微笑みを隠した。
そうやって雪を見たかっただけのフリをして、遊びに夢中になったマネをして、はアレンの目の前にいてくれた。
「……何を作っているの?」
けれどそんなことを口に出すほどアレンはを知らないわけじゃないから、わざと別の話をする。
彼女は固めた雪玉を地面に押し付けて、山のような形にしていた。
「雪だるまっぽいもの。お城でもいい。とにかくでっかいの!」
「つまり適当ですか。テキトーに何か作ろうとしているわけですか」
「芸術とは形を選ばないものよ?」
「芸術とは作り手を選ぶものですよ」
ふふんと微笑むに、同じような笑みを返す。
アレンは自分も手を出してみることにした。
どんどん雪を積み上げてゆくの前から身を乗り出して、上部の丸っこい部分をそぎ落とす。
「ああ!?雪だるまの頭、もしくはお城の屋根が!」
「そんなどっちかわからないものなんていらないでしょう。後は僕に任せてください」
アレンはの文句を聞きながら自信満々で作業に取り掛かった。
ぽかぽか叩かれたが気にしない。
はアレンが構ってくれないので膝を抱えて足元の雪をいじり出す。
「アレンは何を作るの?」
「内緒」
「またそれ?」
「うん」
「じゃあ何か当ててあげる」
が身を乗り出して、アレンの手元を覗き込んでくる。
アレンはが積み上げた雪の山を一定の高さに合わせた。
形も変えてゆく。
余分な部分を削って、新しい雪を付け足してゆく。
「えーと。何?楕円形……にしてはちょっと尖ってるか」
「………………円形ですよ」
「何て斬新な!新しすぎるよアレン」
「不器用で悪かったですね!」
「上に乗っけてるこれは……角?わかった何かの動物だ!」
「こんなに角のある動物がいますか!食べ物だよっ」
「うわぁ、個性丸出しの物作るね!どれだけ食事が好きなの」
「大好きです愛しています」
「熱烈な告白だー。それにしても円形の食べ物……?」
それからは思いつく限りで円形の食べ物を言い並べてみた。
けれどどれもハズレだと言われる。
うむむと頭を悩ませて、答えを考える。
「ええーっと。じゃあパンケーキ!」
「………………パンはいりません」
「ケーキ?」
「当たり」
「あ!あー……なるほど。この角みたいなのは苺ね。さらにすごい形のコレは蝋燭か」
はアレンがせっせと作っている雪の塊を見下ろす。
どう見ても円形じゃないし、奇妙な物がたくさん乗っている。
到底ケーキには見えない力作だが作者の意見は尊重しよう。
は膝に肘を付いて、掌で顎を支えた。
「アレン、まだお腹空いてるの?ケーキ食べに戻る?」
「ううん、いい。というか、まだそこまで気分が回復してない……」
「じゃあ何で、コレ作り出したの?」
「……………………」
の問いかけにアレンは答えなかった。
不思議に思いつつもは顔をあげる。
遠くに見える教団の塔、そこに設置された時計で時間を確認した。
もうすぐ午前零時だ。
日付が変わる。
12月24日が終って、25日が始まる。
その瞬間にはアレンに言いたいことがあったから、視線を前に戻した。
そうすれば、アレンがまたもや珍妙なことをしているのが目に入る。
「何やってるの?」
答えてくれないからじっと観察してみる。
どうやら彼は、雪のケーキの上に指先で何かを書いているようだ。
は頬杖を付くのをやめて、もっとちゃんと見る。
「“エイチ・エイ・ピー……HAPPY”?」
「……………………」
「“ビー・アイ・アール・ティー……BIRTHDAY”」
「“ハッピーバースディ”」
「わかった。バースディケーキね」
はアレンがやりたいことが何となくわかって微笑した。
「だったら私が書いてあげるのに」
手を伸ばして雪の上に同じことを書こうとする。
メリークリスマスからの方がいいかな、と思ったところで目を瞬かせた。
アレンがまだ続きを書いていたからだ。
は不思議に思って珍妙な雪のケーキを見つめる。
アレンがその上に描き出すアルファベットを読み上げる。
“ハッピーバースディ”に続くものといえば名前しかないから“A”ではじまっているかと思ったのにその予想は大いに裏切られた。
「ねぇ、綴り間違ってるよ。アレンなら“エイ・エル・エル・イー・エヌ。ALLEN”じゃない」
自分の名前を書き間違えるだなんて、やっぱりまだ酔っているのかなと思う。
けれど次第に彼の書く文字がデタラメでないことに気付いた。
指先は迷わない。
ただひとつの綴りをこの世に生み出してゆく。
そして確かな言葉を完成させた。
そしてそれは、にとって最も親しく、最も見慣れない文字だった。
「“”」
アレンが言った。
の名前を呼んだわけではなかった。
雪で作ったケーキの上に描いた文字をアレンは読む。
「“ハッピーバースディ、”」
目の前の唇がこの世で初めての音を紡ぎ出す。
その瞬間、鐘の音が鳴り響いた。
教団中に響き渡る、午前零時を告げる合図。
音の波動がいくつも重なり世界に響いてゆく。
は呆然としていた。
よくわからなかった。
目がおかしくなったのかと思う。
だって有り得ない文字が見える。
有り得ない音が聞こえた。
どうして“ハッピーバースディ”の後に、自分の名前が続いているんだろう。
それを伝えなければいけないのはこちらのほうなのに。
そこでハッとしては顔をあげた。
「アレン、お誕生日……」
「お誕生日おめでとう、」
先を越されてそう言われた。
はゆっくり瞬いた。
彼は何を言っているんだろう?
本当によくわからない。
「まだ酔ってるの?」
「いいや」
アレンは少し首を振った。
「だってないんでしょう。君には、誕生日が」
「……………………」
「だったら今日にすればいいよ」
「……………………」
「“君”の誕生日が消えてしまったのなら、今日を“”の誕生日にすればいい」
「駄目よ」
はぼんやりした口調でそう言った。
勝手に口が動いた。
理解が追いついていないのに、自然と返事を返してしまったのだ。
「今日はあなたの誕生日よ」
「そう。マナがくれた誕生日。本当に産まれた日じゃないよ」
「でも」
「うん、わかってる。今日だけだ。今日だけが“アレン”の産まれた日。マナがそう言ってくれたから」
「…………………………」
「だから君だって別にいいと思ったんだ。誰かが存在を祝ってくれれば、その日が誕生日になる」
はアレンを見つめる。
この人は何を口にしているんだろう。
何度だって思う。
呆然というのも通り越して、前後不覚になりそうだ。
「本当に産まれた日なんて僕は知らない。だから君も……今日が“”の誕生日だって構わないはずでしょう?」
どうして?
どうしてそんなことを言うの?
「だって初めて逢った年から、“今日”ほど僕は君が居てくれて嬉しいと思った日はないんだ」
頭がおかしくなりそうだ。
白い髪の少年は酔いに白くなった顔で、赤くなった頬で、潤んだ目でこちらを見ている。
何かが触れる。
熱が、また。
「だから、ずっとこう言いたかった」
崩れていくような感覚だと思った。
瓦解してゆく喪失感。
そしてゆっくりと満たされるような。
「産まれてきてくれてありがとう。此処にいてくれてありがとう。“君”という命に僕は感謝します」
アレンも何だかぼんやりした表情で、けれど瞳だけは真剣な色をしている。
そうして彼は優しく微笑んだ。
「お誕生日おめでとう、“”」
あぁ駄目だ。
は思った。
数年前のあの日、“”になった少女は思った。
「な、に……」
咄嗟に笑い飛ばそうとした。
そんなの無理だ。
理屈がデタラメすぎる。
産まれてきたことを祝う日が誕生日。
存在していることを感謝された日が誕生日。
それだけで今日をその日にしてしまうだなんておかしな話だ。
そう思いたいのに、目の前にいる彼の誕生日がまさにそれなのだ。
出逢ってから何年も、この日のために自分はがんばってきたつもりだった。
“おめでとう”を伝えたくて。
本当の笑顔でいて欲しくて。
それは産まれた日がどれほど大切かを知っていたからだ。
自分がなくしてしまった日を、せめて大切な友人には心の底から笑っていて欲しかったから。
ずっと、そう思ってきたのだから。
笑い飛ばしたい。
無理よ、そんなの有り得ない。
だって私は祝福されない命だ。
排除されるべき人間だ。
いつか消える。
優しい人々を裏切って、愛しい者達を悲しませて、跡形もなく消滅する。
だから産まれた日はいらない。
本当ならば産まれてなんかこなければ良かったといわれる“私”だから。
あぁ、でも「おめでとう」の言葉が頭の中に響いている。
「やだ、……」
変なこと言わないで。
そう続けようとしたけれど声が出なかった。
また喉が塞がれている。
今度こそアレンは指一本自分に触れていないのに、どうしても動けない。
代わりに視界が揺れた。
目を逸らしたい。
見つめられているから変になる。
世界が揺らいで、そして。
「う……、っ」
嗚咽が、漏れた。
雪を触っていたせいで冷たく凍った指先を持ち上げる。
口元に当てて堪えようとするけれど駄目だ。
肩が震えた。
頬も睫毛も、塞がれていた喉だって震えた。
否定したくて首を振るけれど微かな動きにしかならない。
駄目だ。
「……っ、………………」
声を漏らすまいと両手で口を塞いだ。
顔を見られたくない。
それがひどく恐ろしい。
はきつく拳を握って口元に当てて、自分の膝に顔を埋めた。
雪が降ってる。
きっとまだ積もる。
お願い白い華、音を吸い取って。
何もかも消し去って。
私が泣いてしまいそうなことなど、誰もが気のせいだと思ってよ。
はしばらく唖然としていた。
焦点のぶれた目でこちらを見ていた。
そんな風になった彼女は初めてだったから、何かいけないことでも言っただろうかと心配になった。
けれど口は勝手に動く。
酔いが覚めていないせいか、普段なら言いよどむようなこともすらすら出てくる。
「今日を君の誕生日にすればいいよ」
そんなの去年から決めていたことだ。
勝手にそう思って、今年こそ伝えるつもりだった。
アレンとしては予定通りなのに、にとっては心底意外だったらしい。
あまりに無防備な顔をしているから色々と危険なんじゃないかなと思う。
今なら真正面から挑みかかっても簡単に勝てそうだ。
「お誕生日おめでとう、“”」
微笑んで言えば、金色の双眸が揺れる。
何だかひどく非難されているような気になる。
けれど構わない。
いい加減、彼女はどれほど僕にその命を望まれているか、思い知った方がいい。
がわずかに首を振った。
笑い飛ばそうと唇を動かすけれど、途中で止まる。
全身が微か震え出す。
寒さで強張った手が持ち上がってきて、唇を強く押さえた。
何かが聞こえた気がした。
小さな声。
まるで泣き出すような。
(というか、本当に泣きそう!?)
そこでやっとアレンは吃驚した。
酔いとが傍にいる心地良さでぼんやりしていた頭が一気に冷える。
背筋も凍える。
目を見開くアレンの前では口元に当てた手の手首を、もう一方の手で掴んだ。
震えを殺すように力を込めるけれど無駄だ。
潤んだ声が夜に響いて、強く目を閉じた。
わななく唇と真っ赤になった頬。
それだけじゃなくて首や手まで朱に染まる。
肩が大きく揺れて体が強張った。
金色の瞳の奥からじわりと涙が溢れてきたから、アレンは本当に吃驚した。
人生でこんなに慌てたことは初めてかもしれない。
これは、本当に、まずい気がする。
それからが顔を膝に埋めてしまったから、アレンは思わず言う。
「ご、ごめん!何だかわからないけどごめんなさい!!」
とりあえず泣かせた(?)ことは悪いことだと思うので、わたわたと謝る。
けれどは返事をしない。
うずくまって震えている。
「あ、あの……」
どうすればいいんだろう、これ。
とりあえず雪のケーキを迂回して、そっと隣まで移動した。
「……、ねぇ泣かないで」
恐る恐る言えばがいきなり顔をあげた。
瞳に涙が溜まっている。
けれどこぼれていない。
そしてアレンを睨みつけるように見つめると、大きく首を振った。
「あ、ああ。泣いてないね。うん、泣いてない」
「……………………」
そう言ってやれば満足したようで、また顔を隠してしまう。
本当にどうすればいいんだろうこれ。
三度そう思うけれど、今度は微笑を伴っていた。
アレンは落ち着きを取り戻して、の肩に手をまわす。
抱き寄せて頭を撫でてやった。
「よしよし。ごめんね」
「……………………」
「でも、もうずっと考えていたことだから」
「……………………」
「こういうのは心の問題だろう。僕はマナからそう教わったよ」
「……………………」
「それに昔言われたことがあるんだ。“クリスマスが誕生日だなんて羨ましい。世界中が祝福してくれているみたいだろう”って」
「……………………」
「僕が君のことをお祝いするなら、それくらいの日がいいと思ったんだ」
「だめ」
ふいにが言った。
掠れた声だけど確かに聞こえる。
「駄目よ。そんなこと言わないで」
「どうして?」
「だって“”は祝福されて産まれてきたわけじゃないもの」
「そんなの知りませんよ。当時のことはわからないし、他の人なんてどうでもいい」
アレンがきっぱりと言い切ると、は言葉を失ったようだった。
彼女の言い分にはちょっと腹が立つから声を落として呟く。
「“”の誕生を心から祝えないのは“君”だろう」
「……………………」
「僕はそんな“君”が嫌いです。だからそっちの気持ちなんてお構いなしで、無神経に言ってやる」
本当はひどいことをしているとわかっていた。
一番に“”になりたくなかったのは彼女自身だ。
例えそれ故に手に入れたもの……尊敬する師や大親友、最高の戦友を得たとしても、最初の気持ちは変えることができないのだろう。
“”は、“彼女”を殺して産まれてきた。
その痛みと苦しみを、忘れることなど不可能だ。
「君が温かな気持ちでそれを迎えたわけじゃないと知っている。それでも、僕は……」
アレンはそっと目を伏せて、の体を抱きしめた。
「“”に逢えてよかった……“君”はそれを」
雪が冷たい。
夜風が痛い。
胸に抱いた温もりが愛しい。
「それを、思い知っていて」
彼女の一欠けらだって逃したくなくて強く抱きこんだ。
敵は世界なのだと思うと憎らしい。
いつもこの人を奪い取ろうとするこの地上に、神様はいないと思う。
それでも二人で生きられるのは此処だけだ。
逃れられない鎖なら、楔でもって繋ぎとめよう。
君が少しでも笑顔でいられるように。
「誕生日っていうのは、存在を祝福する日。産まれてきてくれたことに感謝して、大切な人と一緒に笑う。年に一度の最高の日……だっけ?」
去年が言ってくれたことを思い出して、アレンは微笑んだ。
「ほら、今日はその条件を満たしている。僕の特別な日。だから君も特別なんだ」
抱き込んだ肩が、背中が、触れた頬も震えている。
慰めるというよりはそれすらも自分のものにしようと腕に力を込めた。
「今日という日に、君がいてくれて嬉しいと……こんなにも思っているから」
伏せた顔、耳の上。
白い花を避けて唇を寄せる。
言葉を直接耳に送り込む。
「ねぇ、駄目?」
「……………………」
「僕と一緒の日は嫌?」
「………………、アレン」
「はい」
「私……」
そこでようやくが顔をあげた。
目を潤ませて涙を溜めて、それでも懸命に泣くまいとする姿は、こんな理由だから素直に可愛いと思う。
震える指先でしがみついてくる姿も非常にいじらしい。
場合が場合なので我慢したが、かなりキツイ光景だ。
いろいろと抑える自信がなくなりそうになる。
そしては薄紅の唇を噛むと、涙の滲んだ声で告げた。
「………………悔しい!!」
「………………………………………………は?」
あれ?今なんだかものすごく予想外の言葉を言われた気がする。
アレンの思考回路が停止すると共に、の口にスイッチが入った。
彼女は顔を覆って早口に叫ぶ。
「悔しい悔しい悔しい悔しいー!!」
「……………………」
「何で先に言っちゃうのよ!全部じゃない!おめでとうもありがとうも網羅しちゃってるじゃない!一個くらい残しておいてよー!!」
「は?はぁ……」
「私の台詞を奪いつくしてくれちゃって!どうしてくれるのよ!今日はアレンの誕生日なのにお祝いの言葉を先越されるなんて!!」
「いや、あの……、うん。落ち着いて」
「これが落ち着いていられるかー!!」
は声を大にして叫んだ。
アレンは吃驚したが、しばらくぜーはーしたあと彼女が唇を噛んで目を閉じたから何も言わなかった。
大きく震える体は、寒さのせいか、興奮のせいか、それとも違う何かが原因なのか。
「わ、私……」
つかえながら言う自分が気に食わなかったのか、は一度自分の頬をべしりと叩いた。
それはさすがに痛いので、アレンは無言で手首を掴んで止める。
は呆然としたような眼で強い視線で、自分の胸元を睨みつけていた。
まるでそこに宿った生命を射抜くように。
「失くしたのよ、あの日に。全部。名前も故郷も家族も思い出も、何もかも。捨ててしまったから」
「うん」
「捨てないと、生きていけなかった。私は“私”のままではいられなくて」
「……………………」
「だから知らない。誕生日なんて覚えてない。もういらない」
「……」
「そう決めたの。けれど、どうして?」
はアレンの胸を押した。
距離を取ろうとした。
けれどアレンはの手を離さない。
金の瞳が傷ついたように濡れている。
手負いの獣のようだと思った。
「二度と、誰にも、言ってはもらえないと思っていたのに」
やはり、記憶だけが鮮明なのだ。
まだがただの少女だった頃。
産まれてきたことを言祝がれ、存在に感謝された優しい思い出。
両親には抱きしめてもらったのだろうか。
兄弟は?友人は?大切な人々がくれる最高の言葉。
毎年が、アレンに手渡してくれた祝福の呪文。
「過去と一緒に捨てたはずよ。もう永遠に戻らない。一生……」
言いかけたにアレンはその通りだと思った。
一生、同じものは手に入らない。
彼女がマナになれないのと同じように、僕は君の過去にはなれない。
けれど、
「雪が」
ぎゅっと手を握って囁く。
「雪が降り出す季節、君は少し泣きだしそうな顔をしているよね」
虚をつかれたようにが目を見開いた。
彼女のその白い横顔が、窓の外に向けられていた日を想う。
初めて雪が舞い降りた時、は廊下の窓に身を寄せて、ぼんやりと外を眺めていた。
科学班の仕事を手伝っている最中なのか、両手に資料をたくさん抱えたままだった。
すぐにいつものように走って行ったけれど、毎年その季節に彼女は複雑な表情をしていたのだ。
切ないような、懐かしいような、アレンには説明のつかない眼で。
その年の、初めての雪を見つめていた。
訊いてはいけないことだから、心の中だけで問う。
(君は、その季節に産まれたの?)
代わりに口ではこう言う。
「強がりのくせに、その時は……」
いやその時だけじゃない、と思い直して続けた。
「…………すごく哀しい顔をしているよね」
は否定したかったようだけど、アレンは許さなかった。
違うだなんて言わせない。
僕がどれほど君を見ていたか知らないくせに、首を横に振らないで。
「ねぇ、」
握った手を引き寄せて、掌を胸に抱きこんだ。
「君がどんなに“”の誕生を喜んでいなくても、僕は嬉しい。その心を傷つけてでも、“君がいてくれてよかった”と世界に告げたい」
はいつもそうだった。
馬鹿みたいなことを言って、馬鹿みたいなことをして、その実誰かのために一生懸命だった。
けれど自分のことには口を閉ざして微笑むばかりだ。
誰にも何も言えずに、言わずに、全て抱え込んで独りで立っている。
君が自分のことを構わないのなら、僕が構ってもいいだろう。
そんな勝手な結論でアレンは言葉を紡いでいた。
そうでもしないと、この意地っ張りの相手はできないからだ。
「今日を君の誕生日にして。その存在にありがとうと言わせて。その生命におめでとうを伝えさせて」
そしてそれは、今日でなくては嫌なのだ。
「毎年、君が僕にそうしてくれるたびに…………僕は同じことを返したいと思っていたのだから」
産まれてきてくれたことを祝福したい。
存在していてくれることに感謝したい。
どれほど強く思ったことだろう。
それが、アレンの“”と過ごす誕生日の正体だった。
泣いてしまいたい、と思った。
体を折って、顔を覆って、子供のように涙を流したくて堪らなかった。
心の中でそう叫んでいるのは、あの日に殺したはずの幼い自分だ。
もう二度と手に入らないと思っていた。
一生戻るはずもない。
私は自らの手でその権利を捨て去ったのだから。
それなのに。
「どうしていいのかわからない」
自分はもう“”だから、泣くこともできなくて、ただ囁いた。
涙を我慢することは得意だった。
此処に来てからはもうずっとそうしてきた。
簡単だことだ。
際限なく己を責めて、思い知らせればいい。
“お前には泣く価値も、資格も、ありはしないのだ”と。
けれど違う。今はそれとは種類が違う。
悲しいわけでも辛いわけでもない。
けれど目が熱くて胸が苦しくて、呼吸が詰まって死にそうだ。
正体の知れない熱が体の中をいっぱいにするからどうしていいのかわからない。
今度はキスをするまでもなく、アレンは自分に熱を移しきってしまったようだった。
「わからないのなら、とりあえず」
途方にくれた子供のような顔をしていたのか、アレンがくすりと笑って髪を撫でてくれた。
「頷いておいてよ。」
は逡巡して、ようやくそれとわかるように小さく顔を動かした。
またアレンが笑った。
「うん。これで今日は誕生日。僕と君の本当に特別な日だ」
言われるたびに、まだ頭が混乱する。
有り得ないことが起こりうると本当に人間は困ってしまうのだ。
ただ体が熱くなって、涙が滲んで、どうしようもなくなる。
いつでも何かあっても笑って冗談をやっている自分はどこへ行ってしまったのだろう。
今日のアレンは余裕を失くさせる。
「お誕生日おめでとう、」
もう一度言われたから堪らなくなって、俯いた。
けれどアレンの微笑む気配がして、顎に手をかけられる。
無理に仰向けられたかと思うと額にキスをされた。
祝福のキスだ。
「………………ありがとう」
は震える声でようやく言った。
まだこの生命を望んでくれていることには、どう思っていいのかわからない。
けれど彼がそこまで想ってくれたことに喜びと感謝を感じた。
溢れるほどに、そう思った。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう、アレン。ありがとう……」
あぁやっぱりいくら言っても足らないのだ。
私の言葉はいつだって心に追いつかない。
だから行動で示すしかないのだ。
は泣きそうになりながら、それでもアレンを見つめて懸命に微笑んだ。
苦しくて切ない気持ちも、涙も全部のみ込んで、彼のためだけに笑顔を浮かべた。
絶対変な顔になっていると思う。
それでも、震えながらがんばった。
「……………………」
の代わりのように、アレンの笑みが消えた。
何故か苦しそうな表情が顔の上を走って、に触れる両手が荒々しくなる。
少し痛い。
不細工な顔で笑ったから気分を害したのかもしれない。
けれどそんなの考えとは裏腹にアレンは腕に力を込めて、その存在を求めていた。
髪の上から首筋を辿られる。
押し付けられた柔らかい感触は唇だろうか。
指が肌を探るように撫でて、徐々に迫ってきた吐息が口元に触れる。
唇が、唇を掠めて、頬に落とされた。
口の端だ。
ほとんどキスと変わらない。
ゆっくりと口づけを終らせたアレンと瞳を見つめあう。
「…………まだ、酔ってるの?」
先刻まで自分に触れていた彼の唇を撫でた。
アレンは吐息のように微笑む。
「酔ってないよ」
じゃあ、さっきのキスはなに?
頬への口づけは親愛の証。
けれどそう言い切ってしまうことができるのだろうか。
は重ねて聞こうとしたけれど、それを解き明かすより早く、アレンの頬と額にキスを返した。
「お誕生日おめでとう、アレン」
先を越されてしまった言葉を告げて、もう一度微笑んだ。
アレンも微笑んで抱きしめてくれた。
温かい体温に包まれて願いを囁く。
「今日はずっと笑っていてね」
「君が笑顔でいさせてくれるんだろう?」
「……うん」
「君も、ずっと笑っていて。僕と一緒に」
はアレンの言葉を遮って、彼の首に抱きついた。
「一緒に笑っていようアレン。だって今日は“最高に素敵な誕生日”なんだもの!」
そうすればアレンが声をあげて笑い出した。
も一緒になって笑う。
強く抱きしめあえば、寒さも孤独も入り込めはしない。
はアレンに抱きついたまま、瞳だけでそれを見た。
地面に作られた雪のケーキ。
自分の名前が刻まれたバースディケーキ。
食べられはしない、温かくもない、歪なそれがひどく愛おしい。
二度と手に入らないと思っていた幸福が、そこにあった。
いつかは溶けて流れてしまっても、この胸の中にしまって大切にしよう。
それは失ってしまった過去のそれと同じように、を照らす確かな光だ。
しばらく笑い合ったあと、アレンが立ち上がって手を差し伸べた。
「そろそろ皆のところに帰ろうか。体を冷やしたらいけないから」
は頷いて手を取ろうとしたけれど、ふと思い至って顔を伏せた。
アレンが不思議そうに覗き込んでくる。
「?」
「あ、あのさ……」
は何だか真っ赤になってせわしなく瞬く。
そして手を通り越してアレンの袖をガシリと掴むと、何だか怒ったように言った。
「ホントは絶対違うんだけど!そ、その、えーっと……」
そこでアレンはよく耳を澄ました。
そうでもしない聞き取れそうになかったからだ。
は小さな小さな声で、“私が泣きそうになってたこと”と言った。
「お、覚えていられるとものすごく居たたまれないので……」
「はぁ」
「わ、……わ、……わすれて」
「は……?」
「忘れて!」
「はい?」
「忘れてっ!!」
「……………………」
今さらそんなことが恥ずかしくなったのか、真面目に訴えられてアレンは少しぽかんとした。
アレンは気圧されながらも顔を動かす。
「あぁ、はい。君がそこまで言うなら……」
顔を、横に、動かし続ける。
「絶対に忘れません!!」
「何でー!?」
が悲鳴じみた声をあげたが、アレンは満面の笑みで答えた。
「僕が君のことに関して忘れられるわけがないでしょう。ましてや泣き顔」
「泣いてないっ」
「それはそれで。ええ、まったく涙を堪えている顔が、堪りませんでした」
「爽やかジェントルマン・スマイルで嫌なこと言った!!」
「あはははっ」
アレンはまたちょっと泣きそうになったの手を引っ張って、一気に立たせる。
そうして二人は歩き出した。
がぽかぽか叩いてきても、アレンが黒い発言をしても、繋いだ手を離さなかった。
暗い夜、銀の月。
白い世界に金色の光。
笑い合いながら、いつまでも心を繋いでいた。
「…………っ、う」
頭に激痛が走ってアレンは顔をしかめた。
こめかみに太い針を刺されたみたいだ。
ぼんやりしている意識を無理に拾い上げて、目を開く。
窓から差し込む光が眩しい。
ズキズキする額を押さえて身を起こすと、そこがパーティー会場の隅だった。
一晩中騒いだ後、近くの部屋から引っ張り出してきたソファーで眠ってしまったらしい。
見渡せば床には団員たちが何人も転がっていた。
ラビもそのうちの一人だ。
神田は壁に背をあずけて、六幻を抱いて眠っている。
さすがにリナリーやミランダといった女性陣は部屋に戻ったようだが、がいないのは妙だった。
確か眠気に襲われたとき、彼女の肩を枕にしてしまった気がするのだが。
アレンはの姿を探して立ち上がろうとして、自分の上から何かがずり落ちるのを感じた。
拾い上げて、広げてみる。
それは黒い毛糸で作られたカーディガンだった。
誰かが眠ってしまったアレンの上にかけてくれたようだ。
「……?」
少し首をひねったが、ふと思い出す。
アジア区支部に乱入した時、がベッドの上で何か黒いものを持っていなかっただろうか。
がんばって思い出してみれば、やっぱり周囲の支部員たちも毛糸を編んでいたように思う。
「これ、が……?」
確信はないけれど声に出してみれば何だかドキドキした。
今度こそ慌ててを捜す。
二日酔いで頭が割れそうだったけれど構うものか。
アレンはとりあえず彼女の部屋まで言ってみようと思って、カーディガンを片手に走り出した。
床で眠りこけている団員たちを飛び越えて、何とか扉を目指す。
そのときふと窓が目に入った。
全て締め切られているのだが、カーテンが開いている。
目が覚めたときに感じた光はここからだ。
アレンは不思議に思って近づいていった。
鍵が開いていたからもしかしてと思って、勢いよく開く。
バルコニーに飛び出して、そこに積もった雪に残された足跡を追う。
それはこともあろうか、手すりの上を通過し、空中に消えていた。
アレンは慌てて下を覗き込む。
「……………………」
そして目を見張った。
眼下の光景に息を飲む。
白く染まった中庭に、がいた。
起きっぱなしなのか綺麗な金髪がぐちゃぐちゃだ。
ドレスも乱れていて、アレンとしては人前に出て欲しくない感じである。
彼女は太陽を背に一生懸命に動いていた。
もう随分陽が高いから、昼が近いのだろう。
はそれに髪も眼も表情も輝かせて、楽しそうに白く染まった地面を移動する。
手にしているのは太い木の棒だ。
それで雪の上に巨大な文字を描き出していた。
“Merry Christmas & Happy Birthday!!”
アレンの眼下いっぱいにひろがる、祝福の言葉。
毎年、彼女がくれるもの。
少女ひとりでよくやったと言いたくなるほど、それは大きな大きなメッセージだった。
最後の一文字を書き終えて、は木の棒を放り出した。
膝に両手を置いて肩で息をしている。
当然ながら疲れきったのだろう、最後には雪の上に座り込んでしまった。
「!!」
アレンはバルコニーの上から叫んだ。
金髪を揺らして振り返る。
陽の光に輝く双眸が、アレンを見上げた。
「アレン!」
は大きく手を振った。
それからアレンが黒いカーディガンを手にしていることと、何だか言葉に詰まっているのを見て、口を閉じる。
すぐさま立ち上がって走り出す。
雪に描いた巨大な文字の前で両手を広げて、笑顔で叫んだ。
「Merry Christmas & Happy Birthday!!」
その瞬間、アレンはバルコニーの手すりを蹴って飛び降りた。
そのままの勢いでを抱きしめる。
何だか泣き出したくて笑い出したくて、仕方がなかった。
アレンとはぐちゃぐちゃの正装のまま、雪の上で抱きしめあった。
心から幸福な笑い声をあげて。
大遅刻の聖夜・オール夢でした。
遅れてしまって本当にすみません……!心よりお詫び申し上げます。(平伏)
余談ですが。
最後にヒロインがアレンにプレゼントした黒いカーディガンってのは、本編で方舟帰還後に彼が本部で着ていたやつです。(第135〜137夜)
そういうつもりで書きました。
いえ、アレンの持ち服にしてはらしくないなぁと思ったので、捏造を。(笑)
今回は本当にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
そしてここまで読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました!!
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