王子さまと呼ぶには相応しすぎて、真っ黒なお腹が逆に安心。
魔王と呼ぶにはお似合いすぎて、名づけ親ながら涙が出そう。


けれど私に触れたあなたは一体、 だ ぁ れ ?






● Refrain 3 ●







話して歌って騒いで、息が苦しくなるほど笑って。
最初は真面目に、途中からはデタラメなダンスを踊ったアレンとは今。


食べていた。


「コ、コレおいしい!上にかかってるソースが絶品だよ。肉汁とマッチして口の中でとろけるー」
「こっちもすごいですよ。何かよくわからないけど、このパスタに絡んでいるやつ。不思議な味がする。美味しい!」
「アレン、野菜も食べないと駄目だよ。ほら取ってあげるから。山盛りね」
「えー……。じゃあドレッシングも山盛りで。そっちの濃い味のがいいです」
「これ?私いつもこっちだから、これは使ったことないや。おいしい?」
「美味しいよ。両方かけてみれば?」
「え。う、うわー!豪快に混ぜたなぁ。私のサラダ、すごい色になっちゃってるんだけど」
「おいしいおいしい。あ、あっち見て!ケーキがたくさんある!!」
「ホントだ!ブッシュ・ド・ノエルにクリスマスプティング、シュトレーンにパネットーネまであるじゃないっ」
「ぱ、ぱね……?よくわからない。あとで食べながら説明して」
「うん、いいよー。ここ完食したらね」
「まずはゴハンですよね、ゴハン!」
「ゴハンゴハン!デザートはその後っ」


「オマエら、なんつー色気のない会話してるんさ」


ラビは思わずといったように、そんな突込みを入れてしまった。
猛烈に食べまくる二人に呆れが隠せない。
ご馳走の並べられたテーブルで立ったままがっついていて、「これはどこの国の料理だ」だの「それはどんな味がする」だの賑やかだ。
というか、賑やかすぎる。
揃って美味しいを連呼している。
自分もそれなりに食べる方だし、今も大皿を抱えてはいるのだが、それでも。


「踊ってたときはイイ雰囲気だったのに……」


嘆息を禁じえないほど、ダンスを踊るアレンとは優雅で美しかった。
それこそ友人であるラビですら見とれるほどだ。
もともと容姿がいいし動きも綺麗だから、踊り慣れていなくても充分に人目を惹きつける。
演奏者も、他の踊り手たちも、眼を奪われて動きを止めないように何とかがんばっていた。
途中からてんでデタラメなステップでけらけら笑っていたが、それすらも見ている者の笑顔を引き出すだけのものでしかない。
二人を中心にして呼吸困難を引き起こすんじゃないかと心配になるほど、皆で笑い合ったのである。


だがしかし。ダンスがひと段落した瞬間。
彼らは手を取り合ったまま唐突に走り出した。
そう、料理の乗ったテーブルへと一目散に突進したのだ。
どうやらお腹が空いたらしい。
アレンは大食い。
そしてが「パーティーは健康食品以外のものを食べまくっていい場所!」という、ちょっとアレな認識を持っている人物だった。
そういうわけで、彼らはもう延々と、がつがつと、仲良く食事を進めている。
その様子を横目で眺めながらラビは思う。
こんな奴らに一瞬でも魅了されそうになった自分達は馬鹿みたいだ。
ため息まじりにチーズのたっぷりのったピザにかぶりついた。


「なぁ、せっかくの聖夜だぜ?なんかこう……、何かないんさ?」
「え?何かってなんです?」
「うん?おいしいよー。幸せ」
「………………あー、そっか。ヨカッタさー」


あまりにもがにこにこしているから、ラビは呆れて棒読みで返した。
おバカな親友の頭に顎を乗せてくっついてみる。
そうやって彼女に見えないようにして、ラビはアレンに合図を送った。
何をきょとんと聞き返してるんさオマエは!と目で訴える。


「………………………………一緒にいられるからいいんです」


答えはぼそりと小さく返ってきた。
頬が赤い。
確かに朱を帯びている。
ラビは思わず声に出して言ってしまった。


「それだけでいいんさ!?」


アレンはが食事に夢中で聞いていないのを確認したうえで、頷いた。
ラビはまた大声をあげる。


「マジで!?」
「だって、しばらくまともに話もしていませんでしたから……。ようやく普通に傍にいられるんです。それだけで」
「いいかよー!アレン、無欲すぎるさ……!」
「いいんです!ほら、。こっちも美味しいよ?」
「ホント?ありがとうアレン!」


そうやってアレンがとの食事に戻ってしまったから、ラビは一人で考える。
どうやら避けていた期間が長すぎて、一緒に居られる今が楽しくて仕方がないらしい。
確かには幸せいっぱいの顔をしているが……。
それにしたってハードルが下がりまくりだ。
これで満足しているアレンに、聖夜はもったいないと思う。
もっと欲望に忠実に行け!と言いたい。
しかしがいる手前そうもいかないから、とりあえず当たり障りのない言葉で文句を並べてみる。


「何かしろよー。そんなんじゃ一年で一番ロマンチックな日!クリスマスに失礼さー」
「うるさいですね僕の勝手でしょう。あといつまでその人にくっついてるつもりですか」


そういう文句だけは一人前のアレンをラビは半眼になって睨みつけた。
しかしそこでふと思い至って言う。


「それにしても、今日はやけに素直だな」
「え?」
「いや、だって。“傍にいられるだけでいい”とか。普段のオマエなら絶対言わねぇさ?」


首をひねりながらラビは思う。
アレンは他の人には素直に接するのに、関連のことだけは妙に意地を張るのだ。
いつもなら
「何かって何ですか?この未確認生物をどうしろと?華麗に退治しましょうか。それともホルマリン漬けにして学会で発表しましょうか。とにかくもう変なこと言わないでください!」
と顔を真っ赤にして怒るところである。
それなのに、先刻のような言葉をよく言ったものだ。
ラビが妙に感心しているとアレンは視線を逸らしてしまった。


「今日は……特別なんです。嘘がつけない日だから……」
「トクベツ?どういうことさ?」
「……………………」


そこでアレンが黙り込んでしまった。
俯いたその表情にラビのセンサーが反応する。
直感的にぴんっとくる。
ラビは人の悪い笑みを浮かべての首に抱きつきなおした。


「なぁ。今日ってアレンとオマエの特別な日なんだって?」


尋ねればフォークをくわえたままのが頷く。
紅の引かれた唇から食具を離して言った。


「うん。アレンの特別な日だよ」
「毎年?」
「毎年」
「ちょ、ラビ!に何を聞くつもりですか!?」


アレンは嫌な予感がして手にしていたスプーンを皿の上に叩き置いた。
ラビを制止しようとするけれど間に合わない。
伸ばした指先はくうを掻いた。


「どうトクベツなんか詳しく教えてくれさ!」


ラビはの体を後ろに引いてアレンから逃れさせると、彼女の口元に耳を寄せた。
アレンは咄嗟にテーブルに手をついてそこを乗り越える。
少しだけ遅れて宙をさ迷っていたの腕を、今度こそ掴んだ。


「駄目です!」


何だか必死に言われたから、ラビとしてはますます気になる。


「何さ、教えてくれてもいいだろ」
「嫌ですよ。妙な詮索は止めてください」
「アレンのケチ!オレはの親友だぜ!?」
「知ってますよ!事あるごとにそれを自慢しないでください!!」
「あーうん。わかったから頭の上で言い合うのやめてね。あと離して」


子供の喧嘩を始めたアレンとラビの間にが割って入った。
片手にお皿を持ったままマイペースに食事を続けている。
しかしもっと食べようと二人を引き剥がしにかかったところで、逆にガッチリと拘束されてしまった。


「オイ、離せよアレン」
「そっちこそ、とっとと離れてください」
「いや、二人ともだよ。アレンもラビも離してよ」
「ほら、が嫌がってるだろ!?」
「そんなことで僕は心を痛めたりしません!むしろ狙い通りで喜ばしい!!」
「おいおい本人を前に何を言っちゃってるの!?」
「…………そ、それもちょっといいなぁ。イヤイヤと抵抗する。うん、いい」
「いいでしょう。ものすごくいじりがいがありますよって。ただ嫌な意味に変換しないでくださいね、この変態」
「どっちも嫌な意味でしょうが!むしろアレンのほうが実害がありそうで怖いよっ」


頭が桃色のウサギとお腹が真っ黒な紳士の手を、はがんばって振り切った。


「もう喧嘩しないの!いや、言い争いは仲良くやり合えばいいけど私を巻き込まないでください真面目に恐ろしいんで特に腹黒魔王」


は強気な口調なくせに顔を蒼白にして言った。
冷や汗をかきながら考える。
今日はクリスマスなのだから平和にいきたい。
というか、こちらへの甚大な被害を防ぎたい。
は真剣にそう思って、一人で言った。


「よし、私 飲み物でも取ってくるね!」


それはこの場を和ます(逃げ出すともいう)目的で口にしたことだったが、は身を翻そうとしたところで動きを止めた。
先回りしてグラスを差し出されたからだ。
それを持つ手を辿って視線をあげれば、いつもの仏帳面の神田がいた。


「何だよ。いらないのか?」


ぽかんと見ていると神田は顔をしかめて、にグラスを押し付けてきた。
受け取って中身を見る。
乳白色の液体だ。
即座にその正体を悟ったは感動の涙を浮かべた。


「と、豆乳……!わざわざ持ってきてくれたの?」
「いい加減飲まないと禁断症状で騒ぎ出すだろうお前。それがうざいと思っただけだ」


神田は本当に鬱陶しそうに言うけれど、そんなことはいつものことなので関係ない。
大切なのは、彼が遠くのテーブルから豆乳を探し出して自分に手渡しに来てくれたということだけだ。
は用はすんだとばかりに去ろうとする神田の背中にしがみついた。


「な、何だろうこの胸のときめき……。神田が輝いて見えるよ……!」
「オイ頬染めてんな。気持ち悪ぃ」
「ううん、ありがとう神田。今なら喜びのあまりうっかり惚れちゃいそうだよ!!」
「「安ッ!!」」


そこでアレンとラビが突っ込みの声を揃えた。
神田に抱きついて幸せに浸っているに向って必死に言う。


「それだけで惚れるとは安すぎますよ!君がそんな人だなんて…………思ってましたけど!!」
「ああ、思ってたさ!この豆乳マニアめ!!」


二人は盛大に嘆くけれどは聞いていない。
感激のあまり神田の手を握ってぶんぶん振った。


「今ならお礼に何でもしちゃうよ!」
「そうか……。だったら頼む。その馬鹿面を殴らせろ」
「幸せで死にそう……っ」
「今からな」


神田は低音で言って、がしりとの頭を鷲掴んだ。
金髪の馬鹿があまりにも鬱陶しかったのだろう、殺意を込めて拳を握る。
それを横から捕まえてラビが止めた。


「いやいやユウ!攻撃するんならじゃなくてアレンを」
「何で僕なんですか!」


アレンは即座に不満の声をあげたが、ラビは無視して神田に耳打ちする。


「アイツ、何か隠してるんだぜ。それも関係で」
「何だと?」
「今日は二人の“トクベツ”らしいさ。理由を聞いても答えねぇし、なーんか匂うんだよなァ」
「……………………」


神田は眉を寄せてを見下ろし、次にアレンに視線を投げた。
その顔を睨みつけて表情を歪める。
次の瞬間にはの肩を掴んで引き寄せていた。


「おい、バカ女。モヤシと何を企んでやがる」
「そろそろ吐いちまえって!」


神田とラビは今だけ協力してを問い詰めたのだが、当の本人は豆乳を前にどこまでも幸福な様子である。
鼻歌でも歌いだしそうだ。
そんな彼女は幸せに気を取られていたからか、言葉の最後だけを捉えたようだった。


「え?吐くわけないでしょ。むしろ食べたい!はい、神田もね」


はにこにこ笑って神田の口元にフォークを差し出した。
先っぽにはこんがり焼けた肉料理が刺さっている。


「豆乳のお礼よ。ほら、あーんして」


いつも蕎麦ばかりだから今日くらいいいだろう。
は神田に美味しい料理を食べてもらいたくて口を開けるように言ったのだが、露骨に嫌そうな顔をされた。
彼は視線を泳がせてそっぽを向く。


「………………アホか」
「なんで!あーんして、あーん」
「誰がするかよ」
「ユウちゃん、好き嫌いはいけませんよ」
「お前は俺の母親か!大体なんで……」
「豆乳のお礼だって言ってるじゃない。素直に受け取ってよ」
「断る」


頑なな神田には眉を寄せた。
隣ではラビがぶーぶー言っている。


!オレには?オレには?」
「後でね」


だだをこねる親友をなだめるのには慣れているから一瞬で終らせて、はさらに神田に迫った。


「あーん!」


フォークを口に突きつけるようにして差し出す。
神田はちらりとそれを見た。
少しだけ戸惑った顔をしている気がする。
が微笑めば、ますますその気配が強くなる。
そして彼の唇がわずかに動いて、


ぱくり。
勢いよく肉にかぶりつかれた。


「ああああっ!?」


は驚きと非難の声をあげる。
横から無理矢理フォークを引き寄せた人物を睨みつけた。


「アレン!人のゴハンを奪わないのっ」
「美味しかったですよ。ご馳走様です」


いつのまに近づいてきていたのか、神田に迫るの隣にアレンが立っていた。
彼が肉を食べてしまったものだからとしては怒るしかない。


「まったくもう」


ため息をつけば、アレンがべっと舌を出してきた。
もちろんにだけしか見えないようにだが。
そして表だってはいつも通りに言う。


「君が神田なんかに食べさせようとするからですよ。蕎麦しか食べない味オンチに、この料理はもったいなさすぎます」


そんな皮肉を言う間もの手首を掴む手がギリギリと痛い。
フォークを取り落としてしまいそうだ。
はアレンを横目で睨んで微笑んだ。


「これはまた、随分と食い意地の張った魔王が釣れたものね」
「ええ。引っ掛けたのはですよ。責任を取ってくださいね」


そのままアレンは掴んだ腕を引き寄せた。
の背中を押してテーブルの方に戻す。
その際アレンはの見ていないところで、神田とラビに無音で「もう余計なことはしないでください」と言った。
何が “余計なこと”なのかはさておいて、当然のことながら二人はムッとする。


「相変わらず腹の立つ奴だな」
「むかつくさー……」


神田は不愉快気なため息をつき、ラビがテーブルの上に置いてあったそれを鷲掴んだ。


「そんなアレンはとりあえずコレで殴るべきだと思うさ。なぁ
「うわぁい普通に酒瓶を差し出されちゃったよ」


無理に手渡されたのはお酒が並々と入った大きなボトルだった。
押し切られてそれを受け取ったに、ラビは自信満々の様子を見せた。
親友同士のいつものやり取りが始まったのをアレンは感じる。
彼らは全力で馬鹿な冗談を遂行する、困った二人組みなのだ。


「腹黒魔王にはこの攻撃が効果的なんだって!行け!生意気なアレンを討伐するんさ!!」
「期待されたー!これは勇者として応えないわけにはいかない……!」
「何でですか!?」


アレンは意味がわからなくて叫んだが、は勢いよく酒瓶を振り上げる。
そこでちょっとあれ?と思う。
何だかいつもよりも悪だくみをする顔だ。
見覚えがある気がする。
これはがラビと冗談をやっているうちに、もっと何かアレなことを思いついたときの表情じゃ……?
そう思い至ったアレンは彼女の手首を掴んで、酒瓶が振り下ろされるのを止めた。


「ちょ、ちょっと待った!落ち着け馬鹿……!」
「いや、ホラ。応援もされたことだし、何とかアレンを懐柔させようかなと思ってさ!」
「そんなこと思わなくていいですよ!」
「お酒の力を借りれば、腹黒魔王も大人しくなるかも」
「仮にそうだとしても飲んだ場合ですよねソレ。君は今どう見ても殴ろうとしていますよねコレ!」


アレンは必死に抵抗しながらそう訴えた。
掴み合った手がぷるぷるしてくる。
の持っている酒瓶は結構重い。
そこでふと影が降りて、身を寄せてきたがアレンにだけに悪戯っぽく囁いた。


「ねぇ、酔ったフリしてもっと騒いじゃおうよ」
「え……」
「だって今日は特別なんだもの。アレンはとびっきり素直に笑わなきゃ!ねっ」
……」


アレンはちょっとだけじーんときたのだが、それは一時の気の迷いだった。


「…………って、だから殴ろうとしてますよね君は!フリをするにも、これでどう酔えと!?」
「いや、だってアレンお酒苦手だから。無理強いはよくない!よくないので、味がわからないように気絶させてから喉に流し込もうかと」
「何その回りくどいやり方!優しさが鬼畜すぎますよ!!」
「安心して。たぶんそういうフリをするだけだから!」
「あぁ、そのふざけた笑みが憎らしい!!」


アレンはじりじり追い詰めてくるを必死に取り押さえる。
彼女は自分を弾けさせたがいがために、ラビの冗談にノったふりをしているのだ。
それは素直に嬉しいのだが、今の状況は普通に怖い。
笑顔で酒瓶を振り上げる少女はどこまでもシュールな光景だ。
そして空気の読めない人物は、それを本気に取ってしまうものである。


「とっととやれ。


神田はそう言うと同時に六幻を閃かせた。
一瞬にしての持っていた酒瓶の口が切られ、栓が飛ぶ。
彼はアレンを見下ろしてにやりと笑った。


「ぶん殴ったら即座に酒を口に突っ込めよ。意識を失う瞬間が一番苦しいはずだ」
「恐ろしいアドバイスをしないでくださいバカンダ!」
「お前は俺と違って味オンチじゃないんだろ?存分に味わえよ」


ハッと鼻で笑う神田は、どうやら先刻アレンが肉を奪ったことを根に持っているらしい。
揚げ足に取るようなことを言ってを急かす。
アレンは本当に身の危険を感じて顔色をなくした。


「だから僕はお酒は……!」
「じゃあ“特別”とやらの意味を言ってもらおうか」
「……………………」


六幻を握ったまま神田が訊いてくるから、アレンは口を閉じた。
の背後でラビが言う。


「ユウ、ナイス脅し!」


けらけら笑いながら彼はこちらを覗き込んだ。


「アレンー、酒飲むのと今日が“トクベツ”なわけを言うのと、どっちがいいんさ?」


そんなのはどっちもお断りである。
けれどラビが続けてこう言ったものだから、黙り込んでいたアレンも即座に答えた。


「むしろに飲ませるさ?」
「それは駄目です本当に駄目です絶対に駄目ッ!!」


ラビが酒瓶をに向けた途端、アレンは大声をあげてしまった。
眼前の三馬鹿を睨みつける。
珍しいことに今回はがまだまともに見えた。
彼女は親友の言葉に付き合い(アレンのためでもあるが大半は)遊んでいるだけだ。
神田は普段から真面目に馬鹿なので放置。
けれどラビは違うように思う。
ふざけているように装っているが、本気だ。
本気で“特別”の意味を吐かせる気だ。
でなければ酔って暴れて甘えてキスしてくる酒乱のに、飲ませるだなんて言うはずがない!
この馬鹿は全力で自分を脅すつもりなのだと認識したアレンは、とりあえず必死に訴えた。


に飲ませるだなんてとんでもない!」


けれどラビは本当に頭がアレな人物だった。
パーティーで浮かれてますますおかしくなったのかもしれない。


「えー。だってもう大人だよな。飲める飲める」
「いや、私 神田と兄弟の契りを交わすとき以外は飲まないって決めているから。ごめんね」
「勝手に決めんな!誰がそんなことするか!!」


真顔で答えたに神田が怒鳴ったが、ラビは見事にスルーした。


「まぁ聞くさマイベストフレンド」


の口元に酒瓶を近付けて彼は笑う。
仲の良い親友同士がくっついているだけなのだが、アレンには少女が凶悪犯に人質に取られているようにしか見えない。


「今時の酒はすげぇんだぜ?何でも、適量を飲めば体にいいって最新の医学で判明して」
「な……!?それは健康オタクとしては試さずにはいられない情報だ、いただきまーす!!」
「うわー、すごく簡単にのせられた!!」


あぁやっぱりも馬鹿だった。
ラビに勧められて途端に酒に興味を持ち出した彼女に、アレンは目眩を覚える。
非常にガッカリしたがそれどことではない。
グラスになみなみと酒を注ぎだしたを命懸けで止めなければ。


「だから駄目ですってば!」
「これも健康への試練よ……。がんばる。アレン応援してね」


もうアルコールの匂いにやられているのか、幼児に戻ったみたいな口調でが言った。
それで酒を飲もうとしているのだから本当に恐ろしい光景だ。


「さぁとっとと吐けよアレン。じゃないとが飲んじまうぜ?」


ラビの明るい脅しの声がする。
それをバックに、はグラスに口をつけた。
瞬間。


「あ」
「あ」
「ああ!?」


三馬鹿の声が重なる。
アレンはそんなもの無視してからグラスを奪い取ると、一気に中身を飲みほした。
それは他に酒を流すところがなかったからだ。
勢いでそうしてしまったものだから、ますますどうでもよくなってきて、今度は酒瓶ごと奪い取った。


「ちょ、ええ!?駄目だってアレン!」
「待った待った!何マジでやってるんさ!!」
「お前が素直に吐けばいいだけの話だろ!?やめろモヤシ!!」
「うるさい、このお酒は僕のです!には一滴も残してやらない!!」


すでに酔いが回ってきたのか、自分でもわけのわからない口調で叫んだ。
だけど真実だ。
に飲ませるぐらいならお酒の一瓶や二瓶どうだっていい!
ましてや“特別”の意味を言うくらいなら……!!
考えるまでもなくそう思う。
そうして誰にも止める間を与えずに酒瓶に口をつけた。
が慌ててアレンの腕にしがみつく。


「ちょ、ちょっとアレン!」


それでもアレンは止まらない。
白い喉が上下して、中の液体を飲み下してゆく。


「の、飲むにしても一口でブハァ!ってなって倒れるのがお約束でしょ!?目をまわして気絶するのがパターンでしょ!?お酒嫌いなキャラはそうじゃないと駄目なのよっ」
「……………………っつ」
「私はそういう王道な展開が好きなの!それで笑い転げないと満足しないの!つまり何が言いたいかというと」
「………………っ、うぇ」
「今すぐやめてアレンー!!」
「………………ぷはっ…………」


は一生懸命にアレンの口から酒瓶を引き剥がした。
即座に後ろに飛び退いて距離を取って、中を覗いてみる。
蒼白になって瓶を逆さまにした。


「完飲……!全部飲んじゃってる……」


どれだけ振ってみても一雫も出てこない。
はまだ何かの冗談かと思って何度も確認してみたが、やはり瓶の中身は綺麗になくなっていた。


「ア、アレン……」


恐る恐る声をかける。


「大丈夫……?」
「え?ええ。大丈夫ですよ」


しばらく口元を覆っていたアレンは、すぐにの方を振り返った。
表情が笑顔だったからはほっとする。
大変な感じにならなくて良かったと思う。
けれどアレンは振り返った勢いのまま止まらずにヨロヨロ流れていった。
妙な横歩き方をしながら口の中で呟く。


「でも何だかが横に流れていっている気がします。声も遠くてやけに響くな……。何でですかね?」
「駄目だ!何だかすごく大変な感じだ!!」


は一度安心させたくせにやっぱり酔っていたアレンを見て、頭を抱えた。
そのまま彼がフラフラとどこかへ行ってしまいそうだったから腕を捕まえる。
ぐいっと引っ張れば向きを変えて、簡単にのほうに寄りかかってきた。


「う……。あんまり揺らさないで」
「アレンが自分で揺れているのよ!大人しくして」
「…………気持ち悪い」
「あぁ、これは本当に酔ってる」


は倒れそうになるアレンを全身を使って抱きとめた。
体重をかけてくるからよろけるけれど、何とか堪える。


「ラスティ班長を呼ばないと」
「チッ……。仕方ねぇな」


手間のかかるモヤシだ、と吐き捨てて神田が身を翻した。
向う先は大人たちが集まっているテーブルだ。
どうやらラスティを連れてきてくれるつもりらしい。
ラビも神田と同じく罪悪感があるようで、踵を返しながら言った。


「ったく馬鹿アレン!どこか近くの部屋に休めるところ作ってくるさ!」


慌てたように駆けてゆく背中に「お願いね!」と声をかけたところで、アレンの体が震えた。
吐きそうになっているのかと思って慌てる。
は彼の腕を自分の肩にまわさせて、引きずるように歩き出した。


「アレン、しっかり!」


耳元で言えば、呻くような返事が返された。




















「うぇ……」


冷たい空気が頬を撫でる場所で、アレンはえずいていた。
空には満点の星が輝いているが見ている余裕はなさそうだ。
は隣に寄り添って、アレンの背中をさすってやった。


「気持ち悪いんでしょ?吐いちゃっていいよ」
「嫌だ……。一度食べた物を吐くだなんてもったいない……」
「おぉ、さすがの信念。でも今は仕方ないじゃない。ね?」
「やだ……」


アレンは力なく首を振った。
二人がいるのはパーティー会場から出られるバルコニーだ。
白く広い半円に、同じ石でできた手すりがついている。
そこに突っ伏してアレンはぜぇぜぇしていた。
暗くて顔色はよくわからないけれど、ひたすら気分が悪そうだ。


酔っ払ったアレンに外の空気を吸わせようと、バルコニーに連れ出したのはだった。
熱のこもった室内と違ってここは身を切るような寒さだ。
でさえ肺が洗われるようだったから、アレンの調子もマシになると思う。
神田とラビはまだ戻っていない。
会場には団員たちがごった返しているから、うまく事が運ばないのだろう。
は一人で懸命にアレンの介抱に当たっていた。


「英国紳士だもんね。吐くだなんてプライドが許さないか」
「うん……」
「でも今は私しかいないし。気にすることないんじゃない?」
「……………………」


はアレンを思ってそう言ったのだが、反応がなかなか返ってこない。
もうそれどころではないのかもしれない。
しばらく無言で背中をさすり続けた。


「いやだ」


突っ伏したままアレンが呟いた。
声の調子が今までよりも強い。
はそれが何に対しての答えか一瞬掴み損ねた。


の前では吐かない。絶対に」


もう一度言われて納得する。
もしかしてアレンは黙っている間ずっとそのことを考えていたのだろうか?


「どうして?私なんだから気にすることないのに」
だから気にする……」
「……?私の前では取り繕わないんじゃなかったの」
「君だから、駄目なこともあるんだよ」


そう囁かれて、は思わず手を止めてしまった。
私だから、何?
駄目ってどういうことだろう。
何だか頭が真っ白になった気がしたが、それが混乱に変わる前にアレンが言った。


「そんなの、格好悪いから嫌だ」


は一瞬ぽかんとして黙り込んで、反射的に返してしまった。


「いや、今もたいして格好良くないよ?」
「……………………」


言ってしまってから非常に気まずい沈黙が流れた。
ちょっと失敗したかもしれない。
でもベロベロに酔っているところは格好いいとは言わないと思う。
うん、たぶん間違ってはいないはずだ。
とりあえず宥めるように背中をさするのを再開した。


「だ、だからね!気にしなくていいってことで……」
「だから駄目なんですか?」


左眼がを見ていた。
バルコニーの手すりに突っ伏したまま、片方の瞳だけをこちらに向けたアレンが言う。
射抜くような強さで見つめてくる。
酔いに潤んだ銀色の眼球。


「君は、僕が格好悪いから駄目なの?」
「は、はい?」
「神田みたいなら満足?」
「いや、意味がわからない……。てゆーかアレン、あれだけ喧嘩してて神田のこと格好良いと思ってたんだ」
「それともラビみたいになりふり構わず迫ればいい?」
「ラビはラビでいろいろ考えてるんだよ、ってフォローしてる場合じゃないな。アレン、何の話?」
「僕じゃ駄目かって聞いてるんだよ」


アレンはそこでむくりと身を起こした。
背中を撫でていた手を振り払われる。
わずかに痛みが走って驚く。
は目を瞬かせたけれど、すぐにまた掌を握られたからちょっとため息をついた。


「本物の酔っ払いね、アレン。言ってることもやってることも意味不明よ」
「酔って……?」
「だって、妙な言い回しで私に文句を言ってくるし、手を跳ね除けておいてまた掴んでくるし。わけがわからな……」
「そう、酔ってるんだ」


本当にべろんべろんだなぁと思って覗き込めば、アレンは今さら悟ったようにそう言った。
焦点の合わない双眸がの顔の上で定まる。
視線が怖い。
なんだろう。
触れているのは掌だけなのに、空気が変わった気がする。
何かが、じわりと、濃度を増したような。


「お酒に酔っている」
「そ、そうみたいね」
「今日はクリスマスだ」
「うん。12月24日」
「そして目の前にはがいる」
「ねぇ、アレン本当にだいじょう……」


「だったらキスをしないと」


「は……?」


会話の流れから想像できないようなことを言われたので、はバカみたいに口を開けてしまった。
お酒に酔っていて。
クリスマスで。
目の前に私がいたら、何?
何でそうなるの?
アレンは連想するように口走ったが、にはまったく関連性が見えない。
支離滅裂すぎて意味がわからない。
けれどアレンの纏う正体のわからない熱が、に触れた。


「?」


このときは、人間はあまりに予想外の事態に陥ると動けなくなることを知った。
もちろん生命の危機ならば話は別だろうが、今はそういう場面でもない。
とにかく思考回路が働かない。
視界一杯にアレンがいて、それも近すぎるから焦点が合わない。
ぼんやりと銀色に見える。
白い肌と、揺れる睫毛。
何、と言おうとするけれど口が開かない。
唇に何かが触れている。
温かい何かに塞がれている。
こんなことが、ついこの間もあった気がした。
そのときは目の前が金色で一杯だったはずだ。



そう、これはティムキャンピーにキスをされたときと同じだ。



「!?」


はようやく吃驚して体を強張らせた。
そう、キス。
これはキスだ。
そしてその相手が、アレンだということに死ぬほど驚いた。




アレンにキスをされている!




ようやくそう認識したは、手でアレンの胸を押し返そうとした。
けれど片手は捕まっているし、そもそも力では敵わない。
瞬きを繰り返して平静を取り戻そうとするけれど、そのせいで余計に混乱した。
どうしてこんなことになったのだろう。
どうしてアレンは自分にキスをしているのだろう。
何か怒らせるようなことを言ってしまったのだろうか。だから口を塞ごうとして?
それともこれは酔いを醒ます新しい方法?
状況に理解が追いつかないから、馬鹿みたいな考えが頭の中を駆け巡る。
けれど感覚に意識を呑まれないようにするには、それしか術がなかった。


「…………ぅ」
「………………」
「ア、……っつ」
「だめだ」


唇がわずかに離れた隙に名前を呼ぼうとするけれど、アレンがそれを許してくれない。
もっと荒々しく塞がれる。


「逃げないで」


逃げられるわけがない。
が熱から逃れようとしても、そんな抵抗はなかったことにされる。
何度も重なって、その度に深く吸い付くように絡まる。
呼吸ができない。
伝染する。
唇から、熱が。
正体のわからない、何かが。


別にキスは初めてではなかった。
唇を合わせたことは、これまでだって何度かある。
決してその行為自体を否定する気はないが、漠然と気持ちが悪いと思っていた。
口と口の接触だ。
皮膚とはまったく違う感覚がする。
粘膜が触れればもっと嫌だった。舌を入れられると鳥肌がたったものだ。
吐き気を伴わなかったのは子供のころ遊びでラビとした一度きり。
無理に奪われたことが何度かあってからは、数えるのを止めた。
思い出したくなかった。
男たちは自分を人形のように思っていたから、こちらの意思など構わずに平気でそんなことをしてきた。
己の欲望を満たす道具としてしか見なかった。
触れて、もらえなかった。
今も同じに、の意思とは関係なくアレンは触れてくる。
けれど違う。
何かが、違う。
その正体をは知ってはいけない気がした。
アレンが伝えてくる熱を、解き明かせば何かが変わる。


いつの間にか手は離されていた。
両腕で抱きしめられて、指先がドレスの開いた部分を撫でる。
布地を避けて素肌の背を、形を確かめるように滑ってゆく。
吐息と舌が忍び込んでくる。
と深く繋がろうとする。
抗う力を奪いつくすように、アレンはキスを止めない。





聞いたこともないような声で呼ばれた。
は一瞬、自分に口づけをするこの人は誰なのだろうと思った。
懸命に求めてくる姿は、普段の紳士ぶっている姿とは重ならない。
余裕がないから腹黒魔王とも呼べない。
少年でもない。


こんなキスを、子供は知らない。




彼は男だった。




そう悟った瞬間、は目を閉じた。
見てはいけない。彼の顔を。こちらを見つめる瞳の光を。
貫かれては戻れなくなる。
気付いてはいけないのだ。





切ない吐息が頬を撫でる。
突き放すべきだと思うのに、体が痺れて動かない。
アレンの左手がの鼓動に触れた。
膨らみの上に置かれた手が、そっと胸を撫でてゆく。
穢れた欲情を一切伴わないその行為に、は非難も抵抗もできない。
唇の味が苦くてどうしようもない。
アルコールを飲んだのは自分ではないけれど、それはこんなにも胸を苦しくさせるものだったのだろうか。


バルコニーの空気は熱に侵食されて、やがて一色に染まった。
アレンは何だかようやく肩の力を抜いて一層深く口づけをしてきた。
安心したように体をあずけてくる。
けれど酔いにゆるんだ足は不安定だ。
も支えきれないから、二人は一緒になって後ろに倒れこんだ。
押し倒されたといえばその通りなのだが、そんな風には思えなくては目を開ける。
背中はアレンの腕に庇われて痛みは軽かった。
弾みで髪がほどけたぐらいだ。
アレンが挿してくれた白い花が、顔の横に落ちていた。
見上げれば夜空。澄んだ空気。切り裂かれそうなほど冷たい風。
雪はもうずいぶんと世界を白く染めている。


「アレン」


倒れた弾みで唇が離れたから、は呼んでみた。
アレンは返事をしない。
規則的な呼吸音が聞こえてくるから、きっと酔いが完全に回って寝てしまったのだろうと思う。
しっかりしてと言いたくて、もう一度口を開く。


「アレ……」


けれど声がでなかった。
何かに喉を塞がれている。
アレンはもう自分を拘束していないのに、どうしてだろうと思う。


キスなんてどうだっていい。
気持ちのない接触に、心を動かされたりはしない。
それなのに。


(酔った弾み。何の意味もない。………………それなら、あの熱は何だったの?)


問いかけるべき人物は、を抱いたまま深く眠りこんでいる。


(私は何に触れてしまったの……?)


考えればわけのわからない衝動に襲われて、はアレンを抱きしめた。
体が冷えないように身を寄せ合う。


(アレン)


声にならない声で呼んで、はそのまま夜空を見上げていた。
ラスティを連れた神田がやってきて、アレンを引きずり起こすまで、ずっとそうしていた。
そうして、いたかった。