凍てついた指先で、それでも君の手を離したくないんだ。


僕の雪姫。






● Silent night 後編 ●






天を見上げると、砂金をこぼしたような星が一面に広がっていた。
澄み切った空に浮かぶ銀の月。
思わずと吐息をこぼすと白く凍ってすぐに溶けた。


空気はとても冷たかったけれど胸の内がひどく温かかったから、アレンは静かに微笑んだ。


中庭に設置された木のベンチに一人きり。
少し離れた会場の窓にはいくつもの影が躍っている。
にぎやかな声が微かに耳に届いていた。
パーティーはまだ終わってはいなかったが、アレンは一人でそこにいた。
もうすぐ日付が変わるからだ。
24日から25日へ。
イヴからクリスマスへ。


アレンの誕生日へ。


マナが自分を見つけてくれた大切な日が、もうすぐやってくる。
アレンは静かにその時を待っていた。
父を失ってから、こんなにも明るい気分でそれを迎えられるとは思ってもみなかった。
いつもどこか切なくて、淋しくて、哀しかった。
もちろんそれらの感情が全て消え去ったわけではない。
胸だっていまだに痛む。


それでもアレンは今、とても穏やかに微笑んでいられるのだ。


アレンは上空の月を見上げて目を細めた。
すると、その視界が急に暗くなった。
背後からぼすり、と何かをかぶせられたのだ。


「何してるの?」


声が訊いたから、アレンは自分にかぶせられたサンタクロースの帽子を取った。


「君こそ、どうしたんです」


振り返ると、ベンチの背の後ろにが立っていた。
一瞬、彼女が寒そうな格好をしていたこと思い出して、アレンは上着を貸してやろうと思った。
しかし、はすでに誰かの団服を羽織っていたから、手を止める。
アレンが思わずじとりとそれを見ていると、が普通に言った。


「ラビが貸してくれたんだ。外に行くなら着ていけって」
「………………へぇ。つい数時間前まで喧嘩していたくせに、仲がいいんですね」
「ま、ね。でも神田はまだご機嫌ナナメだし、コムイ室長はヤケ酒してるし、科学班のみんなはそれに付き合ってるよ」
「みんなしっかり楽しんでるじゃないですか」
「アレンは?」


何気ない口調で訊いて、はアレンの隣に座った。
手に持っていた二つのグラスのうち、一つをアレンに手渡す。


「ごめん、温かいほうがよかったね」
「いいですよ。ありがとう」
「ん。それで、アレンは楽しんだ?」


少し不安そうに見上げてくるから、アレンは微笑んだ。
本当に、とても自然にそうすることができた。


「言わないとわかりませんか?」
「……それは」


は一瞬すごく嬉しそうな顔になって、それから慌てて表情を取り繕った。


「それは、このさんといて楽しくなかっただなんて言わせないけどね。絶対に!」
「ええ、もう本当に楽しかったですよ。君の馬鹿っぷりが」
「そうかなー?今日はクリスマスだからがんばっちゃったー……っておいコラ!」
「いつもより輝いてましたよ。眩しくて直視できないくらい!」
「聖なる夜まで黒いのか、あんたは!」


は怒って叫んだが、アレンの笑みがとても穏やかだったから、口を閉じた。
なんとなく二人は沈黙して、ただ並んでそこにいた。
空気が冷たい。

しばらくしてから、体が冷えてしまうんじゃないかと心配になって、アレンは呟いた。


「……パーティーを抜け出してきてよかったんですか?」
「そっちこそ」
「僕は……」


答えようと思ったが、どうにも言葉にならなかった。
アレン声は音にならずにただ白い息と変わったから、がかわりに口を開く。


「そういえば、私に言いたいことって何?」
「え……?」
「それがあったから、パーティーに来てくれたんでしょ?」
「ああ……」


そう。
そうだった。
忘れていたわけではないけれど、何だかもう言った気になっていたからアレンは目を伏せた。
言わなくても伝わっている気がしていた。
それでもはじっと言葉を待っているから、アレンの頬は微かに赤くなる。
別に恥ずかしいようなことを言うわけでもないのに、おかしな話だ。


「あ……え、っと」
「何?」
「その……」


たった一言。
それだけなのに。
アレンの唇から言葉は出ない。
どうしてこうも照れくさいのだろうか。
アレンのその様子に、は不思議そうに首を傾けた。
しかしすぐさま声をあげる。


「アレン!」
「え?」
「雪!!」


驚いて顔を上げると、アレンとの間には、繊細な氷の結晶があった。
差し出されたの掌の上に、それはゆっくりと舞い降りる。
空を仰げば、音もなく白い雪が降り落ちてくるところだった。


「すごい!ホワイトクリスマス!」


雪も、ホワイトクリスマスも、土地柄から考えればそんなに珍しいことではない。
それでもこのタイミングがうれしかったのだろう、は両手をふりあげて立ち上がった。


「雪だー!雪雪雪!!」


声を弾ませながら駆け出して、はくるくる回転した。
ステップを踏むように身軽に足を運ぶ。


そして彼女はアレンを振り返ると、ひどく魅力的な笑顔で言い放った。




「ハッピーバースディ!!」




その瞬間、夜中の十二時の鐘が教団中に鳴り響いた。
アレンは目を見張った。
は変わらず笑顔でこちらを見ている。
鐘の余韻が完全に消えるまで、アレンは口を開けなかった。


「……どうして」
「ねぇ、この雪積もるかな!」
「………………」
「積もったらみんなで雪だるま作ろうよ!それから雪合戦!」


はまたくるくる回り始めた。
アレンはその様子に、ようやく口元をゆるめた。


「まさか、君に祝われるとは思ってなかったよ」
「何のこと?」


はいたずらっ子のような顔で笑った。


「私はキリスト様の誕生日をお祝いしたの」
「無宗教の君が?」
「クリスマスは特別だよ。ハッピーバースディ!産まれてきてくれてありがとう!!」


は身軽な足取りでアレンの隣に戻ってきた。
そしてぽすん、とベンチに腰掛けて、もう一度言った。


「お誕生日おめでとう」
「…………………」
「産まれてきてくれてありがとう」


は空を見上げて、舞い落ちる白に目を細めた。



「私は神に感謝します」



彼女の声に。
その微笑に。
アレンは胸が締め付けられるのを感じた。
喉が痛くて仕方がない。
死んでしまいそうなくらい切なかった。
泣き出しそうなくらい愛おしかった。

けれどそんなこと、には知られたくないから、アレンはなんとか普段の声を出す。


「神様なんて信じていないくせに」
「だから今日だけ特別。キリスト様の誕生日だもの」
「一日限定の信仰ですか」
「まぁ、私じゃお父さんの代わりになんてなれないし」
「……………………」
「祝われても嬉しくないだろうけどね」


アレンは細く息を呑んで、唇を噛んだ。
どうして彼女にだけは素直になれないのだろう。
嬉しいと言ってあげられないのだろう。


僕は。


は空を見上げていた。
飽きることなく雪が降ってくるのを眺めている。
温かいパーティー会場に戻ることもせず、寒いのも気にしないで。
他の誰の傍でもなく、アレンの隣に座っていた。


ただ黙って、そこにいた。


「積もればいいのにね、雪」


がそっと呟いた。
それでもアレンが何も言わないからか、彼女はグラスを手にとると、アレンの手にあるそれに軽くぶつけた。


「じゃあ雪が積もることを祈って!カンパーイ!」


勝手にそう言って、はグラスを仰いだ。
中身を一気に喉に流し込んで、それからまた沈黙する。
アレンはそれを、自分に気を使っているものだと思っていたが、突然彼女が寄り添うようにしてきたので心底驚いた。
アレンの肩に頭を乗せて、は目を閉じているようだった。
その温もりと柔らかさ、そして甘いような香りに、アレンは戸惑う。
心臓の音がうるさい。


「…………?」
「ふふ……っ」


が微笑んだ。
なんだか妙に熱っぽかった。


「なんか気持ちいー……」
「………………はい?」
「ふふふふふっ、ここは暑いなぁ。脱いじゃえ」
「ちょ……っ」


はへらへら笑いながらラビに貸してもらった団服を脱ぎ始めた。
アレンは驚いてその肩をガッと掴む。
覗き込んでみると、彼女の顔は真っ赤だった。
目はとろんと潤んでいて、熱にうかされているようだ。
その様子はひどく可愛らしかったが、それよりもアレンは慌てて自分のグラスの中身を確認した。
案の定、それからはアルコールの匂いがした。


「これ……!お酒じゃないですか!一気飲みしてませんでした!?」
「ふへー?なんにょことー?」
「酔ってる!確実に酔ってる!!」
「失礼だぬぁアレンくんは!は酔ってなんかにゃいよ!」
「あああああ!かつて見たこともないくらい気持ち悪いですよ、!!」


上気した頬も、潤んだ瞳も、可愛らしくて仕方がないのだが、普段の彼女から考えると鳥肌ものだった。
アレンは真っ青になってを揺さぶった。


「しっかりしてください!」
「しっかりー!しっかり者にょさんれーす!」
「うっかり者の間違いでしょう!?」
「あはははは、うっかりついでに脱ぎまーす!」
「頼むからこれ以上変にならないで!!」


豪快にラビの団服を脱ぎ捨てたを、アレンは慌てて捕まえた。
彼女は本気で酔っているらしい。
ひっきりなし笑い声をあげている。
体はグラグラ揺れていて、時折がつんとベンチに頭をぶつけていた。
それは危ないので、アレンはほとんど抱きしめるような格好でを取り押さえる。
上着を脱いでしまっていたから寒いだろうとも思って、背に腕をまわす。

は不思議そうに自分を支えるアレンを見上げた。


「あれー?なんでー?」
「何がですか。それより大丈夫ですか?気持ち悪かったら吐いちゃってください。そのほうが楽に……」
「なんかアレンが優しい」


アレンは思わずの背をさする手を止めた。
は検分するようにアレンを覗き込んでいた。


「変なの。アレンが私に優しいなんて」
「……………………」
「いつものアレンなら私をベンチから叩き落として、土の中にでも埋めちゃうんだよ。それで必死に這い出してきたところで、『酔いは冷めましたか?』って嫌味な笑顔で聞くの」
「…………さすがにそこまでは」


しないと思う。たぶん。
自信なく口ごもったアレンにはへらりと笑う。


「変なの。アレンが優しい」


熱っぽい声で微笑むに、アレンは瞳を細めた。


違うんだ。
本当に変なのは、君だけに優しくできない普段の僕なんだ。
心ではどこまでも大切にしたいと思っているのに。


「本当は……、いつも優しくしたいんですよ」


思わず呟くと、はアレンをにらみつけた。
口元が笑んでいるから、ちっとも怖くはなかった。


「わかった!全ての謎は解けたよワトソンくん!」
「はぁ?」
「ズバリ!あんたはアレンじゃない!そっくりさんのニセモノだ!!」
「何言ってるんですか」
「だってアレンが私にそんなこと言うわけないもの」
「…………確かに普段の僕なら口にしませんね」
「絶対にね」
「でも……、本当だよ」
「だめ。だって本物のアレンなら私がこうしたら怒るはずだもの」


言っては、腕を伸ばしてアレンに抱きついた。
酔っているからか、彼女の体はひどく熱かった。
確かに普段こうされて、アレンがを振り払わなかったことはない。
しかしそれは年頃の男として、当然の行動だった。


「アレンはね、私がこうすると死ぬほど嫌がるんだよ」
「……それは、僕が男で、君が女の子だからですよ」
「どうして?ラビは喜ぶよ」
「それは下心があるからです」
「神田はうっとうしいって怒るけど、アレンほど嫌がったりはしないんだ」
「……………………」
「ねぇ、そっくりさん。どうしてアレンはあんなに私がキライなんだろうね」


はもう夢うつつなのか、完全にアレンに体をあずけてぼんやりと呟いた。
アレンのほうこそ、このは偽者ではないのかと思った。
普段の彼女は間違っても、こんなに淋しそうに、このようなことを言うはずがなかった。


「最初に会ったとき、殺しかけたことをまだ怒ってるのかな」
「……、本当に酔ってるんですね」
「それともいつも迷惑かけてるから、ウンザリしてるのかな」
「しっかりしてください。ほら、部屋まで送ってあげますから」


アレンはを引き離そうと肩に手をかけたが、彼女はそれに抵抗してますますきつく抱きついてきた。
柔らかくて温かい少女の体が、ぴったりとアレンに寄り添う。
そのことを意識すると頬が赤くなったが、今のは妙に淋しそうだったから、アレンは好きにさせておいた。
抱きつかれること事態は、本当は嫌ではなかった。


「ねぇ、そっくりさんは知ってる?アレンが私をキライなわけ」
「……さぁ」
「私、本当は、アレンのことキライじゃないんだよ」
「……………………」
「でもアレンが私のことを嫌うから、悔しくてそう言い返してしまうだけで」
……」
「本当はいつも、ありがとう、って思ってるのにね」


はゆるく笑った。
アレンは思わず彼女を抱きしめた。


「……………………嫌いなんかじゃありませんよ」


耳元で囁くと、はアレンの胸を押した。
顔をあげて目を合わせる。
酔いに潤んだ金の瞳が、アレンの間近で瞬いた。


「なんだか頭がぼんやりする……。これは夢だね。だってアレンが優しいもの。そっくりさんでもこんなに私に優しいもの」
「……普段の僕はそんなに優しくない?」
「うん。だって抱きついても突き放されなかった。うれしい。いい夢」


はちぐはぐなことを言って、微笑んだ。
その笑顔にアレンが目を奪われた、一瞬のことだった。



「アレンは優しい」



柔らかな吐息が頬にかかった。
少女特有の甘い匂いが一杯に広がって、視界の中で、金の髪が揺れる。



気がついたときにはの唇が、アレンのそれと重なっていた。



アレンは目を見張った。
一瞬、キスをされていることが理解できなかった。
は酔っていて、何もかもが現実じゃないと思っているから、笑んだままじゃれるようにアレンの唇をついばんだ。
それはただ優しくされて嬉しかっただけなのか、それとも親愛の証なのか、アレンにはわからなかった。
は最後に小さくちゅ、とすると唇を離して微笑んだ。


「ほら、やっぱりニセモノだ。本物のアレンなら……」


アレンは最後まで言わせなかった。
離れてしまった唇が、淋しくて仕方がない。
口付けは微かにお酒の味がした。
アルコールは嫌いだった。



それでもアレンはわずかに遠くなったそれを追いかけて、の唇を塞いだ。



苦くて、甘い。
アレンはの肩に手をまわして、さらに彼女を引き寄せる。
雪の降る外の空気はとても冷たくて、ただ触れるぬくもりだけが温かかった。
どうすればいいんだろう。
こんな激情。
少し唇を離すと、がくすぐったそうに笑ったから、またキスをする。


氷月の夜。
冷たい掌、凍えた腕で、アレンはただ少女を抱きしめた。
ぬくもりが欲しかった。
ただひとつでよかった。
求めた先に、いつだっているのはだった。



空から降る白い氷の花だけが、静かに二人の口付けを見守っていた。




















「……っ、ん」


夢中で唇を求めていると、ふいにが苦しげな吐息をついた。
アレンはハッとして動きを止めた。
その間にはアレンの胸に崩れ落ちる。
アレンは自分に身を寄せた少女と、先刻までの行為を改めて意識して、頬を真っ赤にした。
を抱きしめている腕が、妙にぎこちなくなる。
居心地が悪くて仕方がないから、とりあえず口を開く。


「………………?」


アレンが呼んだが、返事はなかった。
不思議に思って、そっと彼女を覗き込んで見ると、


「すー……」
「……………………」


アレンは絶句した。
はアレンにしだれかかって、安らかな寝息を立てていた。


「この状況で……、寝ますか。普通」


アレンは照れも戸惑いも、一瞬にして吹き飛ぶのを感じた。
ムードも何も、ぶち壊しだ。
さすが、一筋縄ではいかないやつだ。


アレンはの寝顔を、半眼でにらみつけた。
幸せそうな表情が恨めしくてどうしようもない。
思わずその頬を軽くつねっていたら、遠くからラビの声が聞こえてきた。


「うわ寒!雪降ってんじゃねぇか、よく外になんかいられるさー……。アレン!!そろそろ中に入れよ、風邪引くぞー」


振り返るとラビがこちらに歩いてくるのが見えた。
アレンは慌てて自分の上着を脱いで、に羽織らせた。
なんとなく、今は誰にも彼女を見られたくなかった。
近くに来たラビが目を見張る。


「あれ?どうしたんさ?寝てる?」
「ええ寝てます。完膚なきまでに寝てます。この僕を無視して爆睡中です」
「何でさ?」
「ただの酔っ払いですよ」


憤然と呟くアレンの言葉を聞いて、ラビは青ざめた。
全速力で後退する。


「な……っ、ば……っ、のやつ、酒飲んだのか!?」
「そうですよ……、何でそんなに怯えてるんですか」


不思議に思って訊くと、ラビは恐る恐るといった風に、アレンを上目遣いに見つめて言った。


「アレン……、何もされなかったか?」
「………………」


アレンは思わず口を閉じて頬を染めた。
まさかキスをされただなんて、言えるわけがない。
さらに自分からも彼女を求めただなんて、もっと言えるわけがない。
しかしラビは違うことで頭がいっぱいらしく、アレンの様子には気がつかなかった。


「コイツ酒が入ると何を言い出すかわかんねぇんさ……!変なことばっかやらかすし!!」
「それは……、いつものことでしょう」
「ジャンルが違うんさ!この間なんてネバーランドに帰りたいとかベソベソ泣きながら大暴れ!その前は、
“オマエは何かウサギっぽいから、いっぺん死んで生まれ変わってこい!!”とか意味不明なこと言って、
オレは危うく殺されかけたんだぜ!?」
「……へぇ。それはまた大変でしたね」
「そうかと思えば“嘘だよ、ほんとはヘタレなラビが大好きだよ!”とか言ってちゅーしてくるし!!」
「………………………………」
「もうオレ、いつかコイツにとどめ刺されそうな気がする……!」
「何で刺さなかったんですか、……!!」
「あれ?なんか今、すっげぇ黒い声が聞こえた気がするさ。何コレ幻聴?」
「そう思ってたらどうですか、このウサギのなりそこないのヘタレなラビめ」
「何で!?何でいきなり黒アレン!?」


戸惑うラビなど無視して、アレンは自分の腕の中でぐっすり眠り込んでいるを見下ろした。


つまりこの人はお酒が入ると、だれかれかまわず絡んで、甘えて、キスをするということか。


アレンは引きつるようにして唇を吊り上げた。
あんまりにも腹が立ったので、アレンはまだ残っていた自分のグラスを持ち上げる。
中で揺れる、朱色のお酒。
アレンはそれを一気に飲み干した。


「あ」


ラビが間抜けな声をあげた。
アレンは喉を焼くようなアルコールの味と、過去のトラウマに盛大に顔を歪めた。


「やっぱりお酒なんて大嫌いだ」


いつだって僕を振り回しては、心に記憶を刻み付けるんだ。
師匠への恐怖、とか。
激しいトラウマ、とか。


絶対に忘れられない口付け、とか。


「大嫌いだ!」


アレンは憤然と言って、立ち上がった。
の脱ぎ捨てたラビの団服を拾って、空いたグラス二つと一緒に、彼に押し付ける。
そして自分はを抱き上げた。


「僕はこれで失礼します。この馬鹿を部屋に叩き込んで、僕も寝ます。ふて寝してやります」
「や、オマエ大丈夫か?苦手な酒を一気飲みなんかして……」
「知りませんよ、そんなこと!」
「あ、アレン!おいって!」


ずかずかと乱暴な足取りで歩き出したアレンを、ラビは慌てて引きとめた。
その様子が少し必死だったから、アレンは怪訝な表情で振り返る。
ラビは微妙に青い顔で、アレンに抱きかかえられた少女を見つめた。


に何されたか知らねぇけど」
「……………………」
「ソイツ、酔ってる間にしたこと何にも覚えてねぇから、あんまり怒らないでやってくれさ」
「……………………………」
「わ、悪気はないんだって!……たぶん」
「……………………………………………………へぇ」


アレンがを見下ろして、凄まじい微笑を浮かべたから、ラビは本気で蒼白になった。
思わず手にしていた自分の団服を抱きしめる。
激しい悪寒がしていた。
アレンは顔をあげて、にっこりと笑った。


「そうですか。覚えてないんじゃ、怒るのも可哀想ですね。わかりました。には何もしませんよ」
「うううううううん……!是非そうしてやってくれさ!」
「でも、ラビ」


アレンはの肩を掴んでさらに自分のほう抱き寄せながら、瞳を細めた。


「僕も今、慣れないお酒を飲んで酔ってるんですよ」
「へ……!?あ、そうなんか!?」
「だから、にどんなにひどいことをしても、覚えていないかもしれませんね」
「……………………」
「おやすみなさい、ラビ」


完璧な笑顔でそう告げて、アレンは身を翻した。
ラビは恐怖に硬直したまま、それを見送った。
最後に垣間見えた、の幸せそうな寝顔が目に焼きついて消えない。


「いつか天国で会おうぜ、……!」


魔王に連れ去られた親友に涙を浮かべて、ラビは呟く。
彼は悲しみのあまり、そのまましばらく、雪の降る中庭で立ち尽くしていた。




















相変わらず本やら資料の散らばった、女の子らしさの欠片もないの自室。
アレンは何の躊躇いもなく室内に入り、抱えていた少女の体をベッドの上に放り出した。
ため息をついて自分もそこに腰掛ける。


「ん……」


身じろぎをしたが寝息をついた。
振り返ると、わずかに開いた桜色の唇が見えた。
衝動的に奪ってやりたいと思った自分を発見して、アレンは顔をしかめる。
あれに自分が触れたことを思い出すと、ひどく落ち着かない気分になった。
それにの寝顔と言ったら。
見慣れているはずなのに、どうしてこうも手を伸ばしたくなるんだろう。


今日の僕はおかしい。
いつもに対する態度はおかしいけれど、今日はまた違った意味でおかしすぎる。
何だ、この衝動は。


これ以上そばにいたら絶対に変になると確信して、アレンはシーツを引っつかんだ。
これをの上にかけてやって、そうしたらすぐにここから出よう。
アレンは強くそう思って、のほうに身を乗り出した。


すると突然、伸びてきた手に掴まった。


「うわっ!?」


驚きの声をあげたときには、温もりと柔らかさを感じていた。
アレンの首に腕をまわして、が抱きついてきていたのだ。


「ちょ……っ、!」
「んー……」


どうやら彼女は寝ぼけているらしい。
その肩口に顔を埋めたまま、アレンは顔を赤くして言う。


「離してください!いい加減、怒りますよ!」
「うー……何?だれー?」
「誰って……!アレンですよ!」
「アレン……?」
「わかったら離して!」
「やだ。あったかい……」


仔猫のように身をすり寄せてくるに、アレンは言葉を失った。
何だか子供の言い分だ。
これじゃあ一人でどきどきしている自分が馬鹿みたいじゃないか。


「君は……、僕が男だってことを忘れてるんじゃないんですか」
「へいき。だってアレンは私を女だと思ってないもの……」
「……じゃあ」


アレンはの細い手首を捕まえて、シーツに縫い付けた。
唇が触れ合いそうなほど近く顔を寄せて、小さく囁く。



「僕は女の子だと思っていない相手に、こんなことをするんですね」



普段よりわずかに低く厚いその声に、眠りの淵にいたは目を開いた。
うつろな表情で間近にあるアレンの顔を見つめる。


「アレン……?」

「僕を酔わせた君が悪いんですよ」


アレンは少し微笑んで、に唇を寄せた。












その温もりに、彼女は眠りに落ちてしまったようだった。
アレンはもう一度だけの頬にキスをして、身を起こした。
がんばった。
理性ギリギリで、唇をかすめて、その端に口付けは落とせた。
さすがに何度も意識のハッキリしない相手を奪うわけにはいかない。
アレンは口元をゆるめて顔をあげた。
視線の先には、壁にかけられたカレンダー。


12月25日に赤い花丸。
枠からはみ出るくらい、元気な文字。



Merry Christmas & Happy Birthday!!



アレンは眠るの金髪をさらりと撫でて、囁いた。


「ありがとう、


そうして最後に、たった一言。
これだけが言いたくて、この言葉だけを君に返したくて、パーティー会場まで行ったんだ。
ほんとうは。



「メリークリスマス」



そうしてアレンはの枕元に心の欠片を置いて、部屋から出ていった。




















目を開けると、見慣れた天井が見えた。
ガラスの照明が、窓からの朝日を反射してキラキラ輝いている。


「あれ……?」


ははっきりしない意識で呟いた。


「私、いつ部屋に戻ったんだっけ……?」


起き上がってみると、頭がひどく痛んだ。
何だコレ。
パーティーは?
どうしてもう朝?
私は何がどうなって、自分の部屋で平和に寝てたんだろう。


混乱した頭で、とにかく時計を見ようと枕元に手を伸ばしたら、そこには何かがあった。
時計とは違う、手触りの。
不思議に思って見てみると、それは細長い箱だった。
可愛く結ばれた、真っ赤なリボン。



それはに届けられた、小さな小さなプレゼントだった。












「だから!サンタさんは本当にいるんだよ!!」


二日酔い痛む頭を押さえながら廊下を歩いていたら、妙に華やかな少女の声が聞こえてきた。
アレンは思わず方向転換をして逃げようとしたが、それより先に発見された。


「アレン!あんたも聞いてよ、昨日私の部屋にサンタが来たんだ!!」
「朝っぱらから君の妄言に付き合う元気はありませんよ……」


アレンはげっそりと呟いた。
本気で頭が痛い。
やっぱりお酒なんて嫌いだ。
そしてさらに頭痛の種となる馬鹿が、神田やラビたちに囲まれてそこにいた。
人々の集う真ん中で、は目を輝かせていた。


「朝起きたら、枕元にプレゼントが届いてたの!」
「…………へぇ。それはおめでとう」
「すごいよ、私、5歳のときにはもうサンタさんを疑ってかかってたのに、この歳になってこんなサプライズ
プレゼント!!」
「早っ!なんて可愛くない子供だったんさ!」


ラビが突っ込んだがは気にしない。
無駄に瞳を潤ませて感動している。


「なんておちゃめなおじ様なの!?お礼に来年は赤以外の服をプレゼントしてあげよう!!」
「それより中身はなんだったんだ」


特に興味もなさそうに神田が訊いた。
その手の上では、に届けられていたプレゼントの箱がもてあそばれている。
はそれを見て慌てて取り返そうとしたが、アレンのほうが早かった。
素早い動きで神田から、その箱を奪い取る。


「な……っ」


何か言おうとした神田など無視で、アレンは箱をに返した。


「開けてみたらどうですか」
「え……」
「早く」


問答無用でアレンが促すから、はその赤いリボンをほどいた。
むき出しの細長い箱に手をかける。
なんだなんだと覗き込んでくるみんなの視線の先で、そっと蓋を開く。


「わ……」


は思わず声をあげた。
中に入っていたのは、光る薄紅の石。
鎖の先に雫の形のそれをぶら下げた、ペンダントだった。
アレンは腕を伸ばしてそれを手に取った。


「顔あげて」
「え、あ、うん」


言われて素直には従う。
アレンの手が前からの首に回されて、後ろで鎖が留められる。
の胸元に落ちた薄紅の石が、光を弾いて輝いた。
思わずその美しさに見とれていたら、アレンがの金髪を鎖の外に出しながら言った。


「キラキラしてて綺麗でしょう」
「……うん」
「お守りです」
「え?」


驚いて顔をあげると、いつもより近くに白の少年がいた。


あれ?
そういえば昨日もこんなことが。


ふとよぎった記憶に気をとられている隙に、アレンは微笑んだ。



「ずっと持ってて」



それだけ告げると、アレンは身を翻した。
目を見張るも、どういうことかといぶかしむ人々も置き去りだ。
あぁ頭が痛い、と額を押さえながら遠ざかっていく。
はしばらく呆然としていたが、ようやくアレンの言葉の意味を理解して、彼の背を追って駆け出した。












「アレン!!」


後ろから呼ばれたけれど、アレンは振り向かなかった。
けれど彼女はめげずに追いついてきて、アレンの隣に並んだ。


「ま……、待って!待ってってば!」
「大きな声出さないでください。頭に響く……」
「……何?二日酔い?お酒なんか飲んだらダメじゃない、未成年!」
「………………………………本当に何も覚えてないんですね」


アレンは思わずをにらみつけた。
そのホッとしたような、少し残念そうな微妙な表情に、は瞬く。
しかしすぐに当初の目的を思い出して、胸元の石を掴んだ。


「ね、それよりコレ!どうして?」
「何のことです」
「クリスマスプレゼントならもう貰ったよ!」
「…………まさか突き返すつもりじゃないでしょうね」
「それは!ないけど……」
「じゃあいいじゃないですか」


アレンはあっさり言ったが、はそれでも追いかけてくる。


「でも!私アレンにあげるもの、何もないよ!」


少し興奮した調子のに、アレンはようやく足を止めた。
それからわずかに頬を染めて、目線をそらして呟いた。


「ちゃんともらいましたよ」
「え?」
「君からもされたし、僕からも奪いました」
「なに?何のこと?」
「だからもういいんです。もう十分すぎるくらいなんです」
「待って、意味がわからない!」


は困惑して手を伸ばしたが、アレンは咄嗟にそれを避けてしまった。
の金の瞳が見開かれて、すぐにアレンをにらみつける。


「何なの。アレンってわけがわからない。そうやって私のことを嫌うくせに、どうしてこんなものくれるのよ」
「…………僕にもわかりませんよ」


アレンもムッとしたようにをにらみつけて、それから少し哀しそうに微笑んだ。


「でも本当はわかってるのかもしれない」
「……アレン?」
「ただ、認めるのが悔しいだけなのかも……。僕は」
「あーもう!勝手に自己完結するな!」


はわけがわからなさすぎて腹が立ったのか、問答無用でアレンを捕まえた。
腕を握って強く見据える。


「何がどうなってそうなったのか、あんたの精神世界のことはさっぱりだけど!」
「はぁ」
「とにかく、ありがとう!最高にうれしいよ!」
「……それは、よかった」
「でも心情としては、借りは返さなきゃいけないわけ」
「別に貸したわけじゃ……」
「やられっぱなしだなんて、このの名がすたる!というわけで!」


はアレンを見つめて、にやりと微笑んだ。



「お返しを覚悟しておくように!」



その強気な態度に、アレンは瞠目した。
の笑顔が近い。
それでも昨日よりは遠いから、思わず引き寄せたくなった。
けれどそうしてしまえば、この快活な笑みはきっと消えてしまうだろう。
それは何だか嫌だなと思って、アレンは力を抜くようにして微笑んだ。


「また……、馬鹿なこと言って」
「言っておくけど本気だからね」
「知ってますよ。君が手加減なしでそういう人だってことぐらい」


いつか、また触れることは出来るだろうか。
触れても、笑顔を消さずにいてくれるだろうか。
なんて。



弱気じゃの相手は務まらない。



アレンはそう思って、の胸元で光る石を手に取った。
そしてそっと目を閉じて、そこに唇を落とした。
願いじゃなくて、決意を込めて。


その行動に驚くに、アレンは微笑んでみせる。
不敵に光る銀色の瞳。


「楽しみにしてますよ」
「え?」
「お返し」


アレンはさらりと石を落とすと、歩き出しながら言った。



「でも、あまり遅いと全部奪っちゃいますからね」



あまりに楽しげなその笑顔に、は一瞬言葉を失った。
胸元で薄紅の石が光っている。
ほのかに色づいた、白。
なんとなく顔を赤くして、はアレンの背を追いかけた。


「何それ!」
「別に。ちょっとした決意です」
「やっぱりアレンってわけがわからない」
「そのうち思い知らせてあげますよ」


そこまで会話を交わした瞬間だった。
二人は同時に足を止めた。
視線の先は廊下の窓。


その向こうに広がった、白銀の世界。


「「……………………」」


二人は顔を見合わせた。
それから内緒話のように額を寄せて、にやりと微笑みあった。


「案外、神様っているのかもね」
「ですね。とりあえず」


「「行こう!」」


アレンとはガラス窓をぶち開けた。
そして、そこから雪の降り積もった中庭へと飛び出した。


銀色の世界で、白と金の髪が踊る。





命が産まれた大切な日だから。
どうか心から笑っていてほしい。


そしてどうか、この心が繋がっていて欲しい。


は積もった雪を舞い上げながら、光のように笑った。




「クリスマスおめでとう!!」










はい!やっちまった感いっぱいのクリスマス夢でした!
これは「キスさえしてれば甘いだろう!」という、管理人の単純な発想により出来上がったものです。
いろいろと突っ込みどころ満載ですが、ご容赦を。(汗)
アレンがヒロインにあげたプレゼントは、これからも話に絡ませていく予定です。
よろしければ覚えていてやってくださいませ。
何はともあれ、メリークリスマス!!