教団には報告しない。
ずっと秘密だ。
他の誰にも内緒にしておく。


あの夜に手に入れた金色の星は、僕だけのもの。






● Shining star light ●






この感覚を知っていた。






暖気に曇った鏡をアレンはぼんやりと眺める。
水蒸気を纏いつかせた表面に、自分の顔が歪んで映っていた。
外の気温が低いのだ。
そのため温められた室内の空気は水滴へと変化する。
熱気のこもったバスルームではなおさらだった。
アレンはシャワーを浴び終えると、濡れた頭にバスタオルをかぶせたまま、じっと鏡に見入っていた。
不明瞭な己の姿。
ぼやけた色合いが混ざるように並んでいる。


(僕は今、どんな顔をしているのだろう)


考えながら鏡に手を伸ばす。
そこに張り付いた水滴がアレンの掌を濡らした。
けれど曇りを拭うことはしなかった。
否、できなかった。
今、自分がどんな表情をしているのか見たくなかったからだ。
見てしまえば、どうすればいいのかわからなくなる。
例え沈んだ顔をしていてもため息が出るし、嬉しそうな顔をしていても腹立たしい。


(まさかこんなことになるなんてなぁ……)


アレンは鏡に額を押し付けた。
ごつっとイイ音がして、それなりに痛かった。




アレンが今いるのは、とある雪国のホテルの一室だった。
任務を遂行するためこの地に降り立ったのが3日前。
ようやく役目が終わったのが今日の昼ごろだ。
それからすぐに教団に帰ろうとしたのだが、駅に行くと駅員に汽車はないと言われた。
昨夜から降り続けていた雪のために運行が停止していたのだ。
線路の積雪を見ても、凍りついた車輪を見ても、とても走らせることのできる状態ではないらしい。
つまりアレン達はこの街に、少なくとも一晩足止めを喰らわされたのである。




「よりによってこんな日に……」


呻くようにアレンは呟いた。
そう、今日は特別な日だ。
もとより忘れられるような日ではないし、何より街中がそれ一色に染まっている。




クリスマス・イブ。
12月24日。




つまりアレンの誕生日前日。
脳裏をよぎるのはもちろん養父のマナだ。
彼の笑顔と優しい掌。
けれどそこに新しく、そして強烈に加わった記憶があった。
去年のクリスマスを思い出すたびに、アレンは赤面せずにはいられない。
彼女のくれた言葉も、抱きしめた感覚も、触れた唇もいまだ鮮明だった。
クリスマスが近づいてくると、無意識にその記憶が出てきて落ち着かなかったから、今年は最初から教団内で開かれるパーティーに出るつもりでいた。
あの金髪の少女は絶対に放っておいてはくれないだろうし、そのために彼女に近づきすぎるのを避けたかったのだ。
けれど、どうしたことだろう。
これじゃあ絶対に二人っきりだ。


「よりにもよってと任務だなんて、よりにもよって大雪で帰れなくて、よりにもよって聖夜に二人っきりだなんて……」


アレンはそこまで現状を口にすると、思わず洗面台に掌を叩きつけてしまった。


「どうしてこうなるんだ!!」


大きな声で言ってしまってから、慌てて口を閉じる。
そしてちらりと隣の部屋に視線をやった。
この扉板の向こうにはいるはずだ。
アレンが何だか逃げ出したくてバスルームに引っ込もうとしたとき、彼女は通信ゴーレムで本部に今日は帰れないことを伝えていた。
無線の向こうで響く、友人たちの残念そうな声。
ごめんごめんと謝るの表情も少なからず落ち込んでいたので、


「いつまで僕の部屋で喋っているつもりですか」


と不機嫌に訊けば、


「何言ってるの。ここは私の部屋でもあるんだから」


とアッサリ返された。
どういうことかと問い詰めると、急にもう一泊することになったから料金をケチって相部屋にしてもらったのだと言う。
これにはアレンも絶句した。
“よりにもよって”がひとつ追加だ。


よりにもよって、一晩中いっしょにいなければならない。


それから呆然としたままバスルームに入って、まったく働かない頭にシャワーを浴びせて、今に至るというわけである。


「せめて相部屋はなんとかならないかな……」


突然の宿泊とはいえ、年頃の男女が平気で同じ部屋で寝ていいものか。
アレンは強くそう訴えたかったが、どうせ無駄なのは知っていた。
それはが自分のことを、“男”だなんて思っていないからだ。
ラビや神田が相手でも同じことをするだろうことはわかりきっている。


何だか虚しい。


アレンはそう思って、顔をしかめた。
ようやく衝撃から立ち直ってきたようだ。
次に湧いてきたのは憮然とした感情だった。
に文句の百個や千個でも言ってやりたい。
効果はないとわかっていても気持ち的にどうしようもなくて、アレンはノブに手をかけると、一気に扉を押し開いた。


!ちょっと話があります!!」


ケンカ腰に言い放つ。
その声はよく通って、綺麗に響いた。


無人の室内に。


見渡す限りにあの目立つ金髪を発見できなくて、アレンは瞬いた。
それから盛大に脱力する。


「どこ行ったんだ、あの馬鹿……」


アレンがシャワーを浴びている時間を持て余したのだろうか、は部屋から出て行ってしまったようだ。
コートがないから外に行ったのか。
それにしても我慢が足りない。
が大人しくしているなんて滅多にないことだけど、こうもじっとしていないのも珍しかった。
何はともあれ、勢いを挫かれてアレンは深々とため息をつく。
俯けばまだ濡れたままだった白髪が頬に張り付いた。
そういえばまともに髪を乾かしていなかった。
慌ててタオルで拭ったが、すでに冷え切ってしまっている。
震えが走ってくしゃみが出た。
寒い。
さすが雪国。
けれどそれだけじゃなくて、淋しい室内は何だか冷たい色をしていた。


「本当に、どこに行ったんだか……」


あまりの寂寞に耐え切れずにアレンが呟いた、その時。


ドカンッ!


と派手な音がした。
アレンは驚いて、髪を拭いていたタオルを取り落とした。
拾おうと思う間もなく、またドカン!と打撃音が響く。
それは廊下へと通じる扉から聞こえてきていた。
誰かが扉板を叩いているのだ。
いや、正確には体当たりしているというべきか。
かなりの面積で扉にぶち当たる音がする。
そして、声。


「あけてー!アレン、あーけーてー!!」


聞き間違うはずもない声音。
さらに常識破りなこの行動。


「何やってるんですか、!!」


大騒音と共に今にも突破されそうな扉板を死守しようと、アレンは正義的に怒鳴る。
同時に扉を開けば鮮やかな白が目に飛び込んできた。
視界一杯に広がったそれにアレンは思わず身を引く。
するとの声が言う。


「ありがとー。もう少し遅かったら騒音公害でホテルの看板娘さん怒られてしまうところだったよ。そんな悲劇はノーサンキュー!だからね」
「………………」
「あ。でも、そこで“ごめんなさい。忙しく働いている貴女に会いたくて、ついこんな暴挙を……っ”とか涙ながらに言えば口説き落とせたかな」
「……………………………」
「しまった、そういうハッピーな方向性もあったのか!、痛恨のミス……!」
「……………………………………………」
「とにかくアレン、そこどいて。部屋に入りたいから」
「………………………………………………………………それより先に僕に言うことがあるでしょう」
「え、何?……ああ、ごめん忘れてた」
「そうですよね、そうですよね。忘れてたんですよね、うっかりと」
「うん、うっかり。大切なことだよね、ちゃんと言う」


そしては笑んだ声で、元気よく告げた。


「たっだいま!」
「そんなことはどうでもいい!!」
「な、何をー!?帰ってきたら、まず挨拶!これで正解でしょ!?」
「うわぁ、立派な心構えですね!でもそれより先に説明を要求します!!」


アレンは力強く言うと、両拳を握って怒鳴った。


「何ですか、その大荷物は!!」


視界を塞ぐほどの白の色彩。
その正体は箱だった。
それも天井に届くほどうず高く積み上げられている箱の山だ。
さらに大量のそれらを抱えるの両腕には、これでもかと紙袋がぶら下がっている。
完膚なきまでの大荷物だ。(それこそ自身の体積よりも、何倍も多い)
これを見て驚くなというほうが無理だろう。
アレンが厳しい声で問いかけると、が箱の山の向こうからひょいと顔を突き出してきた。
寒さのためか頬が赤い。
コートの肩の部分が雪で白くなっていた。


「見ての通りの大荷物だよ」
「だから、何で……」
「ひとまず中に入れてくれないかな。これ降ろしたいから」


言ってがそのまま前進してきたので、アレンは慌てて横に避難した。
彼女は金髪をなびかせながら、抜群のバランス感覚でひとつの荷物も落とさずに部屋に運び入れる。
箱はテーブルの上に山積みにして、紙袋は床に直接置いた。
アレンはが傍をすり抜けたときに漂った匂いで、荷物の一部の正体を知る。


「それ、食べ物?」
「さすがだね大食い。この食べるの大好きアレンめ」


振り返ったがにやりと笑った。
コートについた雪を窓辺で払いながら言う。


「けっこうな迫力でしょ?なんせ数十人分だもの。七面鳥にローストビーフ、ラム肉のハーブソテーにパイスープ、ベーコンとほうれん草のキッシュにトマトクリームパスタ、マリネやチーズのオードブルもあるよ!」
「………………………………何で、こんな」
「あとはね、これ!」


ご馳走の詰まった箱の山を呆然と眺めていたアレンの前を横切って、は紙袋のほうに駆けてゆく。
コートをベッドに放ると、その中身を両手で取り出した。


「じゃん!見て見て」
「見たくない」
「何で初っ端から拒絶するの」
「いや、すみません。何かもう本能的に」


アレンは本当に目眩を覚えて額に手を当てた。
目を閉じてしまいたいが、の輝く笑顔がそれをさせてくれない。


「いいからホラ!ね、綺麗でしょ?」
「………………綺麗は綺麗なんですけどね」
「どこ見てるの。私の顔にらみつけてないで、こっちこっち」
「けれど何故こんなにも憎らしいんだろう。感情って不思議だなぁ……ってこれはまた何ですか」


から視線を滑らせたアレンは、思わず眉をしかめてしまった。
彼女が紙袋から取り出し、腕に抱えていたのは色とりどりの、何だろう……アレンにはよくわからない物だった。
お菓子や鳥を象っている物もあれば、丸やら星型なんかもある。
何かの飾りのようだが、何に使うものだろうか。
不思議に思って首を傾けると、がきょとんとした。


「アレン、知らないの?」
「え、何を?と言うかこれは何ですか?」
「これに飾る物だよ」


言ってはひときわ大きな紙袋から、それを取り出した。


ずるり、と。


引きずり出されたその威容にアレンは言葉を失う。
はよいしょとそれを立てると、普通に訊いた。


「さすがにこれはわかるよね」
「…………………………うん、あの、それはその、所謂」


アレンは何となく半笑いになって言った。


「もみの木、ってやつですよね?」
「あったりー!もっと言うとクリスマスツリーだね」


嬉しそうには応えて、巨大な木を部屋の中央まで運んでいった。
そしてまた別の紙袋から取り出してきた植木鉢にぶすりと刺す。
一瞬で出来上がったクリスマスツリーに先刻の飾りをつけ始めた。
何だかすごく楽しそうだ。
鼻歌なんて歌っている。


「アレンも一緒に飾りつけしようよ」
「うん、


笑顔で振り返ってきたにアレンも思わず微笑んだ。
それもにっこりと、完璧に整った表情を浮かべる。
そして言った。


「あの、上機嫌な君にこんなこと頼むのは大変恐縮なんですが一発殴らせろ」
「何で!?」
「ちょっと混乱してるんです、意味がわからなくて。だから叩いたら正常に戻るんじゃないかと」
「私の頭が!?」
「それ以外に何がありますか。いい加減まっとうな人間になってください。さぁ、進化できることを願って!」
「それ進化じゃなくて、ただの暴力だから。何も変わらないから!」
「何言ってるんですか。とりあえずこの不愉快な現状からは抜け出せますよ」
「そりゃあ、アレンの気は晴れるだろうけどね!?」
「あはは。が相手の場合、拳で語り合うことが物事を円滑に進める唯一の方法ですからね!!」
「ちょ、待っ、握った拳を振り上げるなー!!」


笑顔のまま問答無用で迫ってくるアレンをは間一髪で回避。
ベッドの上に飛び乗って部屋を迂回し、再び床に降り立つ。
仁王立ちになってアレンを睨みつけた。


「何なの、なんでそんなバイオレンスに絡んでくるの」
がわけのわからないことするからです」
「わからない?ふふん、まだまだね。こんなこともわからないようじゃまだまだでしてよ、アレンくん」
「………………わかるんだけど、わかりたくないんです」


だって今日という日に、こんな当たり前みたいに一緒にお祝いをしようとするなんて。
アレンが複雑な表情をしてしまったからか、は一度まばたいて、それからにこっと笑った。
そしてまた別の紙袋から色つきの電球やらキラキラ光るモールやらを取り出してくる。
作業を続けながら何気なく言った。


「いいじゃない。どうせ今夜は本部に帰れないんだから」
「…………………………」
「二人でクリスマスしようよ」
「……………………………………本気ですか?」
「だって一年に一度の今日なんだもの。一晩くらい喧嘩せずに平和に楽しもう!初の試み!」
「どうして」
「何かヒマだから」
「さようなら」
「うそ!本当はイベントに便乗してはしゃぎたいだけっ」
「どっちにしろどうなんですかソレ」
「いいから、こっち来て来て!どれを飾りたい?やっぱりお星さまいっとく?」
「君はどこまで自由に生きるつもりなんですか」


アレンは吐息混じりに言ったがは気にせずに近づいてきて、どさどさと飾りを手渡した。
それからふと視線をあげ、金の瞳を瞬かせる。
急に顔を寄せられてアレンは驚いた。


「な、何……」
「髪が濡れてる」
「え……、ああ。シャワーを浴びたから」
「それで外に出たら面白いことになりそうだね。髪が凍ってカッチンコッチン。あれ?どうしたのアレン、頭から氷柱が生えてるよ!」
「そうなったら君に突き刺してあげます全力で」
「本当に全力で私の敵だなぁ、ここにいてアレン!私なんかのために、そんな凶器を手に入れないで!!」


ほら服もきちんとね!と言いながら伸びてきた手が、アレンに触れた。
白い指先が胸元のボタンを留めていく。
アレンは自分でやると言いたかったが、両手に飾りを抱えていたのでどうにもならなかった。
は服をちゃんとしてやると、アレンの体の向きを変えさせて背中を押した。
そうしてクリスマスツリーの前に連れて行き、そこに座らせる。


「髪やってあげるから、アレンはツリーの飾り付けしてて」
「は?いいですよ、自分で……」
「だめだめ。どうせテキトーに拭くんだから。今日という日に風邪なんて引かせないからね!」


は気持ちよく言い切ると、タオルをアレンの頭にかぶせて髪を拭き始めた。
こうなってはアレンも飾り付けをするしかない。
けれどどうすればいいのかよくわからなかった。
しげしげと星の形をしたオーナメントを眺めていると、が後ろから言った。


「珍しい?」
「……うん。あんまり近くで見たことないから」
「そっか」
「クリスマスツリーの飾りつけなんて初めてだ」


アレンは大きな木を見上げて瞳を細めた。
捨て子だった自分にはこんな暖かいものは縁がなかったし、マナに拾われてからも極貧生活でとても飾りなどに金を割ける余裕はなかった。
だから初めてだ。
こんな綺麗な物を手にとって、飾っていくことなど。


「楽しいよ」


微笑んだ声でが言った。
アレンは何だかハッとして手を止める。


「飾りってみんなキラキラしてるでしょ?だから、ひとつひとつ明かりを灯していくみたいなんだ。何だか嬉しくって胸がいっぱいになる。それで最後にツリーを見上げたとき、すごく綺麗で感動するの」
「………………へぇ」
「誰が一番多くオーナメントを飾れるか勝負したり、電飾に絡まってみたり、てっぺんの星を奪い合うのもまた一興よ」
「それはまた、なんて頭の悪そうな楽しみ方なんでしょうね?」
「何で?本当に楽しいんだよ!?」
「うん、それはそうみたい」


アレンはくすりと笑って丸いオーナメントを持ち上げた。
手を伸ばしてツリーに飾り付けてみる。
何だか少しわくわくしてきた。
が本当に楽しそうにそう言うから。


「ところでこのツリーどうしたの?」


ふいに気になってアレンが尋ねてみると、背後での動きが止まった。
雰囲気で何か嫌なものを感じて、アレンは思わず憂いの表情になる。


。これ以上、前科持ちになってどうするんですか。まだ限界に挑戦してるんですか。世界に反逆してるんですか。いい加減にしないと本当に極刑に処しますよ」
「い、命だけは……って、あれ?その言い草ひどくない?そもそも前科なんて持ってないよ!」
「よく言いましたね。この世紀の大罪人が」
「なに普通に私を犯罪者にしてるの!?」
「いいから正直に白状してください。まさかとは思いますけど、この木はその辺に生えていたのを無断で引っこ抜いてきたわけじゃありませんよね?」


そう訊いてやるとは黙り込んだ。
アレンはしばらく待った。
それでも彼女が何も言わないから、淡々と告げてやる。


「懺悔しないなら遺言をどうぞ」
「もう死刑執行しちゃう気だ!仕事が早いね、さすがアレン!」
「それはどうも。では行きます」
「ちゃ、ちゃんと許可は取ったってば!!」
「………………本当に?」
「…………………………雪かきを手伝おうと思ったんです」


冷ややかなアレンの声音に、は他に選択の余地もなく懺悔を始める。


「あまりの大雪だから、雪に慣れているこの国の人達もさすがに困っちゃってて」
「まぁ、確かにこれだけ積もればね」
「だから私がイノセンスの能力で雪を消してあげよう!なんて思ったんだけど」
「君の刃で切り裂いて?」
「うん。でも、そうしたら……」
「…………そうしたら?」
「勢い余って、奥にあった木まで薙ぎ倒してしまいましたスミマセン」


が言って、頭を下げるようにアレンの肩に額を押し付けてきた。
アレンは思わず想像してみる。
大量の積雪に困る人々をびっくりさせないように、人目がないのを見計らってイノセンスを発動させる
そして一気に薙ぎ倒される木々。
クリスマスにあるまじき破壊の光景だ。
アレンはそう思って、盛大なため息を吐き出す。
それから顔の横にあるの側頭部にこつんと頭突きをした。


「ばか」
「ごめんなさい」
「でも感謝されたんでしょう?」
「え……」
「雪を何とかしてくれてありがとう、って。それで木を薙ぎ倒したことも許してもらえたはずです」
「………………何でわかるの」
「君が誰かに迷惑をかけた上で、何かを貰ってこられるほど無神経な馬鹿だとは思えないから」
「…………………………」
「馬鹿だとは思うけど」
「一言多いよ!」


怒ったような声と共に頭突きが返される。
は顔をあげて憤然とアレンの髪を拭く作業を再開した。


「……その家の人がすごくいい人でね。弁償します、って言ったら“そんなのいいからお礼をさせてくれ”って、たくさん食べ物をくれたの」
「それだけ困っていたんですね」
「うん。それでもホントいい人だった……。処分するのなら引き取りたいって頼んだら木もくれたし、お料理もいっぱい。おかげでだいぶ助かった」
「助かったって何が?」
「嫌な話になるから内緒」


ツリーに電球を巻くことに苦戦していたアレンは、それを聞いて思わず後ろを振り返った。
頭のタオルがずり落ちて、がキャッチする。


「こら、こっち向かれると拭けな……」
「何ですか嫌な話って」


アレンが普通に訊くと、の口元が歪んだ。
何とも面倒くさそうな表情だ。
もとがいい顔なだけあって、その効果は絶大である。
けれどのこういう反応には慣れているアレンにとってはどうってことない。
構うことなく視線で答えを促すと、は大業にため息をついた。


「…………あえて聞くの?」
「聞きます。何の話ですか」


重ねて尋ねれば最高に言いたくなさそうな顔をされたので、アレンはにっこりと微笑んでやる。
その笑顔に本能的恐怖を感じたのだろう、は息を詰めた。
じりじりとにじり下がって逃げようとするが、アレンの笑顔は消えない。
しばらくした後、は根負けしたかのように口を開いた。


「……………………………………お金の話だよ」


そう言った調子は何だか拗ねたようだった。
タオルを指先でいじりながら目を伏せている。
瞼が何だか赤い。


「食べ物買って、ツリー買って、飾り買って……なんてしてたら、いくらなんでも足りなかったもの」
「お金って……教団のじゃないの?」


アレンがぽかんと訊くと、は唇を尖らせた。


「私がクリスマスやりたいって言ってるのに、どうして教団にお金払ってもらわなきゃいけないのよ」
「……………………」
「って言っても、大食いアレンがいることだし。宿泊費をケチってちょっとだけ足しにさせてもらったけどね」
「だ、だから相部屋……?」
「いやいや、だって最近のホテルは太っ腹なんだよ!この部屋いくらだと……」
「じゃあ残りは全部君のお金ってこと!?」


話を逸らそうとするに掴みかからんばかりの勢いでアレンは訊いた。
は驚きに身を引いて、それからまた嫌そうな顔をする。
そして次はにこりと微笑んでみせた。


「さぁ?」
「何ですかソレ」
「とにかく全部じゃないよ。店の人とか、通りすがりの人に貰った物もたくさんあるし」
「………………さすが老若男女殺しと言っておきます」
「何か人聞き悪いな。必要な物以外は受け取ってないからね」
「……………………………………………………必要な物以外って?」
「え、っと。服とかアクセサリーとか。乗っていかないかって誘われた馬車の中のご馳走はちょっと欲しかったけど、まさか持って帰りたいだなんて言えないし」
「相変わらず見た目で男性を騙すのが得意ですね」


アレンはそこで思わず最高潮に不機嫌な声音で言ってしまって、の動きが止まる。
そして金色の瞳がちらりと睨みつけてきた。


「アレンって、私のこと馬鹿だとか鈍感だとか思ってるでしょ」
「……………………違うんですか」
「違います。わかってて断ってます。そういう意味でくれると言われた物は、必要な物でも受け取っていません」
「本当に……?」


かなり意外に思ってアレンは目を見張り、それからやっぱり半眼になった。
うん、たぶん嘘だ。
がちゃんとそういう対応ができたのは、よっぽど露骨なやつだけだ。
じゃなきゃ彼女の自分への態度に説明がつかない。


「はぁ……。まぁいいや。いや、よくないけど今はいいです。とにかくこの食べ物やら飾りは君のお金で買った物もたくさんあるんですね」
「…………だったら何」
「僕も払いますよ」
「いらない」
「払いますって」
「いらん!」


はびしりとそう言い切るとアレンの頭にタオルをかぶせてきた。
視界を塞がれてもがくが上から押さえ込まれる。


「アレンは自分につけられたクロス元帥の借金だけ払ってればいいの!」
「な……っ、僕にはお金がないって言いたいんですか!?」
「事実ないでしょ」
「う……っ。じゃ、じゃあ今すぐ賭博場で稼いできます!!」
「だからいらんってば!はーいアレン、大人しく飾りつけしましょうね」


は問答無用でそう言うと、アレンの抵抗を封じて体をツリーの方に向けさせた。
そして自分はタオルを引き剥がして、ブラシを手に取る。
アレンは何か言おうとしたが、の歌に遮られた。
聞こえてきたのはクリスマスソングだった。
彼女はそれを口ずさみながら、アレンの白髪を梳きはじめたのだ。


こうなってしまってはどう言っても無駄だろう。
というか、まだ話題にしようものなら何をしでかすかわからない。
仮にアレン自身には被害がなくても、が暴走すると心臓に悪いのだ。
だからアレンは大人しくツリーの飾り付けに戻った。
でもやっぱりちょっとだけ悔しいというか、ふがいないというか、拗ねたような気持ちになって口を閉じる。


黙ったままでいると、その間は延々と歌を歌っていた。
たまに音程が外れたり、歌詞を忘れたのか適当に誤魔化したりしているところもあったが、あらゆる国のクリスマスソングが出てきて、聞いているアレンは面白かった。
知らない言語、けれど聖夜を祝う歌に込められた願いは一緒である。
メロディはどれも優しくて神聖だった。
やっぱり胸がわくわくするみたいだ。
自然と楽しくなってくるような。


本当に光を灯していくみたいにツリーを飾り付けていく。
時間をかけて、苦労して、そうして最後に見上げれば何だか感動した。
初めてしたものだから変なところもあったけど、ただ嬉しくて、ちょっとだけ誇らしかった。
いつの間にかの歌が消えていて、アレンは後ろを振り返る。
見れば彼女もツリーを見上げていた。
それからアレンに視線をやって、微笑んだ。


「ね、楽しかったでしょ」


アレンは何か考える前に頷いた。
そして緩む口元で笑った。
も頷いて、そして言う。


「うん、私も楽しかった」
「え」
「なんて言うか自信作。超前衛的。この素晴らしい芸術に全世界が泣いたね!アレンも泣けばいいよ!!」


ぐっと拳を握って、輝くような笑みで言われて、アレンはようやく気がつく。
頭に手をやり、首まわりに触れた。
それからもう一度に瞳を戻す。
そして最高に素敵な笑顔を浮かべた。


「鏡」
「ん?」
「鏡です。鏡。持ってきてください、今すぐここに持ってきてください。3秒以内です、さぁ持って来い!!」


凄まじい形相でそう命令してやれば、はものの1秒で鏡を持って寄越した。
そしてアレンの前にかざしてみせる。
そこに映った自分のよーく見て、それからアレンは脱力した。
呻くように言う。


「何ですか、これは……っ」
「うん、なんてゆーか飾りつけ?」
「何で僕が飾り付けられなきゃいけないんですか!!」


アレンは全力で怒鳴って頭にたくさんつけられたオーナメントをむしりとった。
ついでに何本か髪も抜けた。
この馬鹿、ご丁寧に飾りを編みこんでいたらしい。
ちなみに首にはリースがかけられていて、電球やらモールが輝いている。
それらを全て取り外せば、の悲鳴があがった。


「ああ、ひどい!」
「ひどいのはだ、君の馬鹿な頭だ!!」
「力作も甚だしかったのに!せっかくがんばったのに!この世の文化遺産が今ひとつ、腹黒魔王によって葬り去られました……っ」
「ついでに君も葬ってあげましょうか……?」


アレンが地を這うような声で脅せば、はひっ!悲鳴をあげて小さくなった。


「いや、だって!アレン、飾り付けに夢中で全然気がつかないから、ちょっと面白くなっちゃって」
「…………………………」
「アレンがツリーを綺麗にするんなら、私はアレンを綺麗にしてあげよっかなぁ……なんて思ったわけ!うんっ」
「……………………………………僕が綺麗になったって楽しくないでしょう」
「そ?私は楽しかったけど」


言いながらは身を乗り出して、アレンの髪に赤いポインセチアの飾りを挿した。
怒られたばかりだというのに懲りないものだ。
アレンはため息をつきそうになったが、の微笑みがそれをさせなかった。
彼女はアレンを見上げて言う。


「うん、綺麗」


白い指先が髪を撫でていった。


「ほら、飾りつけは楽しくって嬉しい」


そうして光のように笑うものだから、アレンは何だか言葉を失う。
まだ耳や頬に感じる温もりに感覚が痺れるようだ。
しばらくした後、アレンはようやくこれだけ言った。


「……………………こういうのは僕じゃなくて、君がつけるべきだと思うけど」


するとは頭の上に疑問符を浮かべた。


「何で私が」
「何でだと思う?」


質問で返しながら、アレンは自分の頭につけられたポインセチアを取った。
それから手を伸ばす。
サイドテールにされたの金髪。
そこにその花を挿し込んだ。
純金に光る髪と、真っ赤な花びら。


「…………………………派手ですね」


うーんとアレンは唸った。
ただでさえ目を引くの髪の色では、真紅の花は目立ちすぎたのだ。
決して似合わなくはないのだが、どうにも目が痛い気がする。


「アレンのほうが似合うよ」


はあっさりと自分からポインセチアを外した。
そしてまたこちらにつけようとしてくるものだから、アレンは慌てて立ち上がる。
こうしてしまえば身長の低いには手が届かない。
飛びつこうとしてくる彼女の頭を上から押さえて、アレンは視線を滑らせた。
気がついてみれば、窓の外が真っ暗だったのだ。


近寄って見ると雪はいまだに止んでいなかった。
地上は白く凍っている。
それでも窓ガラスに切り取られた風景はクリスマス一色に染まっていた。
除雪もおおかた済んだのだろうか、聞こえてくるのは浮かれた声だけだ。
どうやらツリーの飾り付けに随分時間をかけてしまったようだった。
闇はすでに濃く、深い夜が迫っている。


本当に夢中になってたんだなと思ってアレンが頭を掻きながら振り返ると、傍からが消えていて驚いた。
視線を巡らせてみれば、扉の前に彼女を発見する。
そこでは何故だかコートを着込んでいた。
最後に中に入ってしまった金髪をばさりと出して、それからこちらに向き直った。


「アレン」
「何ですか。と言うか、何で上着を着てるんですか」
「うん、あのさ」


はどう言っていいのかわからないのか、コートの裾を片手で引っ張ったりしている。
アレンは不審に思って首を傾けた。


「どうしたの。…………って、その格好。まさか今からまた外に行くなんて言いませんよね」
「うん、言っちゃうね!」
「何で」
「何でかと言うと、それはとっても複雑で」
「はい?」
「えっと、ちょっと一緒に」
「一緒に……って、僕もですか?どこに行きたいの?」
「それは、秘密」
「意味がわかりません。、何か欲しいものがあるのなら僕が行ってあげますよ。夜遅くに出歩くのは危険だし、そもそも君は寒いの苦手でしょう」


アレンが当たり前のことを言うと、は言葉が詰まったように黙り込んだ。
それから自分のコートのポケットに手を入れて、目を伏せる。


「うん。でも、これが私のワガママでもやりたいことがあるんだ……」
「え?」
「じゃあこうしてくれないかな!」


はぱっと顔をあげてアレンに指を突きつけた。


「クリスマスプレゼントにひとつだけお願いを聞いて。今から言うから」
「はぁ?」




「アレン。私はこれから行方不明になる予定です。捜してください」




至極マジメな顔でがそう言った。
アレンは本気で意味がわからなくて、思い切り眉をひそめた。
歪めた口元からため息を吐き出す。


、頭を温めたほうがいいですよ。寒さでいつも以上に思考回路が残念なことになっているようです」
「もしくは逃亡する計画です。追いかけてください」
「だから何を言ってるの?」
「とにかく捜索・追跡してください。絶対に見つけてください」
「僕の話聞いてますか」


アレンは思わずに手を伸ばしたが、彼女はそれを避けた。
足を後ろに運んで、背を扉板につける。
金色の瞳がこちらを見ていた。


「クリスマスプレゼントをちょうだい、アレン」


不思議な感情が唇に浮かんでいた。
は微笑んでいたけれど、何だかいつもと違う。
何だろう。
手を伸ばさないといけないような。
そんな気がする。


「お願い。私を捕まえてね」


だから今そうしようとしているのに。
アレンはまた手を伸ばした。
けれどは後ろ手で扉を開けて、素早く部屋から出て行ってしまった。
アレンの指先が流れた金髪に一瞬だけ触れて、離れる。
パタン、と扉が閉まった。
アレンはしばらく呆然としていた。
意味がわからない。
どういうことだ?
は自分にどうして欲しいって……。


思考がまとまらなくて固まっていたのはどのくらいだろうか。
ふいに悲鳴が聞こえてきて、アレンは我に返った。
それは外からで、しかも知っている声だった。
窓辺に走り寄って凍りついたガラス窓を苦労して開ける。
下を覗き込めば、案の定がいた。
ホテルの出入り口付近である。
彼女は積もった雪に埋まるようにして倒れていた。
アレンは思わず窓枠から身を乗り出して叫ぶ。


「ちょ……っ、もしかしてコケたんですか?顔面からいったんですか!?」


すると、ぶっ倒れたままのの傍に駆け寄りながら一人の青年が応えた。
どうやらクリスマスを楽しんでいたホテルの客のようだ。


「そうだよ。見ていたけれど、思い切り顔からいっていたね」
「大丈夫かい。お嬢さん」
「ホラ、手をかして。立てるかしら?」


親切な人々が数人集まってを助け起こそうとした。
けれど彼女は自分で身を起こすと、笑顔を浮かべる。


「ごめんなさい。ちょっと周りのイルミネーションに気をとられちゃって。ああ、どうもありがとうございます。でも心配しないでください、よくあることですから!」
「よくあってたまりますか!命が危ない!!」


アレンは上から怒鳴ってしまった。
大げさに聞こえるかもしれないが、時間が経って固くなった雪の上で転べば本当に危ないのだ。
けれどはお騒がせしましたーと笑って、それから少し冗談を言って、集まってきた人々を安心させると身軽に立ち上がる。
そして再び駆け出そうとした。
アレンは咄嗟に叫んだ。


「馬鹿っ、また転びますよ!」
「それは、スリルがあって楽しいってことで」
「どこが……っ」
「大丈夫。転ばないようにがんばる。転んでも起き上がる」


はアレンのいる部屋を見上げて、ぐっと拳を握った。


「アレンは転ばないように追いかけてきてね!」


そうして最後に人々に手を振って走り出した。
アレンは止めようと思って、身を乗り出しすぎて窓から落ちそうになる。
ああ、見ているだけで心臓に悪い。
きょろきょろとしながら走るものだから、いろんなものにぶつかりそうだ。
どうやら道を確認しているように見える。
は実は案外ぬけたところがあって、戦闘中以外は止まっているものにも激突するようなときがあるから、アレンは本当に頭を抱えたくなった。
ほら言っているそばからまたコケた。
今日という日は人通りも多いし、何があるかわからない。
知らずに危ない場所に迷い込むかも。
なら心配いらないのは知っているけど、気持ちの問題だ。
アレンは壊れるんじゃないかと思うくらいに掴んでいた窓枠を離すと、踵を返した。
そしてハンガーにかけてあったコートを引っ掴む。
部屋を飛び出して、全速力で走り出した。


「あの馬鹿、絶対にふん捕まえてやる!!」


目指すのは、ただひとり。




















ブーツの裏で雪を踏みしめながらアレンはクリスマスの街を疾走する。
あちらこちらで光り輝くイルミネーションが、夜だというのに自分の影を薄く作っていた。
溢れるような音楽と、楽しげな声。
世界が幸せで満ちているみたいだ。
すれ違ういくつもの笑顔にそう思う。
みんな家族か恋人のように見えた。
それを視界の隅で眺めながらアレンは何となく半眼になる。
世の中はこんなイイ感じなのに、何で自分はと追いかけっこなんかしているんだろう。
二人っきりと言えば間違いないのだが、何かおかしい気がする。


それはそうと、意外にもなかなかに追いつけない。
道がクリスマスを楽しむ人でごった返しているし、地面の雪に足を取られてしまう。
それはも同じようだったが、どこに向かうかわかっている分、彼女のほうが有利だった。
小柄なのを利用して人ごみを縫うように進んでいく。


すでに何度か見失っていて、今度こそ追いついてやろうとアレンは決めていた。
何故なら彼女が視界から消えるたびに、人に尋ねなければならないからだ。
誰に訊いても、「金髪の女の子を見ませんでしたか?」と言うだけで通じるところが怖かった。
金色の髪の少女などいくらでもいるというのに、みんな口を揃えて「ああ、あの元気なお嬢さんね!」と一発でを言い当てる。
しかもとっても愉快そうに。
聞いたところは、雪に埋もれた観光客を救助したり、子供達と雪合戦をして圧勝したり、パーティーに着ていくドレスに悩む女性を素敵に変身させたりと、大変な活躍をしていた。
まぁ、それと同じくらい騒動も起こしているのだが。
話を聞くたびにアレンは思った。
早く捕まえないと何とも面倒なことになりそうだ。
あの馬鹿はただでさえ目立つだから、今はまだ許容範囲でも、すぐにいらない輩を呼び寄せる。
絡まれたりしたら大変だ。
ではなく、絡んできた相手が。
そして周囲の建物とかが。
暴走する前に捕まえないと、甚大な被害がでることだろう。
世の中の人はがその可憐な見た目を裏切って、凶暴なことを知らなすぎるのだ。
だから早く僕が捕獲しないと……!
そう決意を新たにして、アレンは前方のを見た。


「一体どこに行くつもりなんだ……?」


いつまでも走り続ける彼女を不思議に思って、ぽつりとひとりごちる。
そうすれば、ふと視線の先でが振り返った。
足を止めることなく、金の瞳でアレンを捕らえる。
そして軽く微笑んだ。
どうやらアレンが自分を見つけて追ってきていることが嬉しいようだ。
アレンはそれに何となく口元が緩んだが、意思の力で押しとどめた。
何となく、恥ずかしかったのだ。


その時ふいに世界が暗くなった。
アレンは驚いて足を止める。
周りを歩いていた人々も何事かとざわめいていた。
見渡してみるとイルミネーションが一つ残らず輝きを消していた。
そればかりか立ち並ぶ店も街灯も光を失っている。
傍にいた一組の男女が言った。


「何かしら?どうして明かりが消えたの?」
「停電だろう。雪のせいかもしれない」


どうやら事故が起こったらしい。
原因はわからないが先ほど言っていたように、恐らくこの大雪のせいだろう。
光がなければ身動きが取れなくなる。
これではを追えない。
アレンは一瞬そう思って焦ったが、すぐに目を見張った。
確かに視界は暗くなったけれど、動けないほどではなかったのだ。


光源は上空にあった。
振り仰げば澄んだ冬の空に数え切れないほどの星が煌めいている。
突然の停電に足を止めていた人々もそれに気がついて、揃って天を見上げ出した。
きっと地上の明かりが消えなければ、こんなに素晴らしい夜空を見ることはなかっただろう。


アレンはしばらく星空の美しさに見とれて、それから視線を前に戻した。
離れた場所でも天を仰いでいた。
それからこちらを見る。
合図のように微笑むと、また金髪をなびかせて走り出した。
アレンは慌てて追いかけようとして、そこで声をかけられる。


「危ないわ。停電が直るまで動かないほうがいいですよ」


そう言われてアレンは思う。
どうやらこの暗さでも動けると思ったのはエクソシストとして闇に目が慣れているからであって、普通の人にはどうにも無理みたいだ。
振り返れば一人の女性がいた。
露店の脇に立っていて、そこでクリスマスのケーキや飾りを売っているようだった。
アレンは微笑んでお礼を口にする。


「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
「そうは言っても動けないでしょう。転んで怪我でもしたら大変ですよ」


うん、だから早くを追いかけないと。
僕よりあのウッカリさんのほうが心配だ。
アレンはそう思って、そこでふと思いついて尋ねてみた。


「すみません、あっちの方って何があるんですか?」


言いながらが駆けていった方向を指差す。
女性は顔を向けて、あぁと頷いた。


「あそこに行くつもりだったんですか。でも残念ですね。こうなってしまっては誰も辿り着けないでしょう」
「辿り着く?」
「今年は成功者はなしですね……」
「ごめんなさい。僕、ここの国の人じゃなくって……。何の話ですか?」


重ねて尋ねると、女性は快くそれを教えてくれた。
そしてアレンはその銀灰色の瞳を見開いた。




















それは街外れにあった。
見上げるほど大きなもみの木。
天を突くようなその巨木に飾り付けられたイルミネーションの数々。
今は全ての光を失って、闇の中にひっそりとしている。
人々は電気が復旧するまでわずかな星明かりを頼りにし、危な気に建物の中に入ってしまった。
だから辺りに人気はない。
怖いほどの静寂の中、アレンは自分の呼吸の音だけを聞く。
そして視線の先に輝く金髪を見つけて叫んだ。


!!」


彼女は振り返らない。
もうただただ走るだけだ。
なびく髪がまるで星のようだった。
光のない地上で、今輝いているのはだけだった。
少なくともアレンの目にはそう見えた。


は巨大なツリーの後ろにある階段を駆け上がる。
何度も折れては上に続く段を飛ぶように走り抜ける。
足を止めずに、後ろを振り返らずに、ただひたすら頂上を目指して。
アレンもそれを追った。
と同じように、他のことなど忘れたみたいに前方の金髪を目指して。
捕まえなければいけないのだ。
アレンはその手で、あの輝く金色の星を。


息が白く咲いて消える。
何度も何度も花びらが散る。
胸がどきどきする。
これは全力疾走しているから?
きっとそれだけじゃない。


そしてアレンは手を伸ばした。


「捕まえた!」


の細い手首を捕らえれば、彼女は前につんのめったから慌てて引き寄せる。
は背中からアレンの胸に倒れこみ、何度か荒い呼吸を繰り返す。
最後に大きく息を吐いた。


「捕まったー……」
「捕まえろと言ったのは君でしょう」
「でも頂上までは逃げ切れた」


満足そうには笑った。
二人はちょうどツリーのてっぺんが見える階段の頂上、その広場にいたのだ。
長い長い階段を登りきってその先にある空間。
そこでアレンは思わず力を込めての肩を支える。


「………………これ、『希望の木』って言うんですってね」
「なーんだ、誰かに聞いたの?」
「露店売りの女性に」
「内緒にしておきたかったのにな。まぁ、この街じゃ有名みたいだからね」


はあっさりと言ったが、アレンはそうもいかなかった。
何だか視線を落として呟く。


「うん。有名な言い伝えがあるんだって。……今日この階段を足を止めることなく一気に登りきって、深夜零時に『希望の木』の頂上に星を飾れば」


そこでアレンは息を吸った。
そして吐息のように囁いた。


「幸せなクリスマスを過ごせるって」


それはどこにでもあるようなおとぎ話だ。
言い出したのは子供か、老人か。
とにかく聖夜を盛り上げるだけの言い伝えである。
だって実際に出来る者などほとんどいない。
足を止めずに階段を登りきるのは骨が折れるし、何より気温が低くて、雪は怖い。
あの露店の女性に聞けば、毎年何人かが挑戦するも、失敗するのが恒例らしかった。


「私達ならできると思ったんだ」


が笑んだ声で言った。


「だって断然有利じゃない。夜目もきくし、体力もある。すっ飛ばせば零時にだって間に合う」
「………………………」
「まぁ雪がちょっと怖かったけど」
「…………………………こんな停電の中で挑戦する馬鹿はいないだろうって、街の人は言ってましたよ」
「あっはは、馬鹿なんだ私達!」


は愉快そうに笑って、支えていたアレンの手から離れた。
その後姿にアレンは呟く。


「…………………………言ってくれればよかったのに」
「何を?」
「この言い伝え。試したいんだって」
「あぁ、それは。せっかくだから勝負にしようって思いついたんだよ」
「勝負?」
「どっちが星を飾る権利を手に入れるか。頂上までに私を捕まえられればアレンの勝ち。逃げ切れれば私の勝ち、ってね」
「………………………」
「だから黙ったままでいたの。有無を言わさずつき合わせてごめんね!」


は冗談めかして笑いながらそう告げたけれど、たぶん嘘だ。
最初からアレンをここまで連れてくることが目的だったのだろう。
歩幅や体力の差からがアレンから逃げ切れるわけがないし、彼女は「捕まえて」と言っていた。
はアレンにこの言い伝えを成功させて欲しかったのだ。
けれどそうハッキリと口にしなかったのは、きっと。
いつもの照れ隠し。素直に告げるのが恥ずかしかっただけだ。
こんなこと普通に言えないし、言ったところでアレンが夜の街に自分を出したがらないと思ったのだろう。
だからこんな雪の道を何度も転びながら走っていたんだ。
寒いのが苦手のくせに、震えを殺して、息を切らして。
ああ、もう。
アレンはぎゅっと胸元を握って思う。
こんなの僕への贈り物でしかないじゃないか。
その証拠にはポケットから大きな星の飾りを取り出すと、アレンの手に押し付けた。


「はい、勝者の特権だよ。どどーんとこれを飾っちゃって!」


言いながら背中をぐいぐい押してくる。
アレンは何か言いたかったが、何と言っていいかわからなかった。
唇を動かすけれど、出てくるのは白い吐息だけだ。
どうしようもないからアレンはに促されるままに進んだ。
展望台のようになっているそこの手すりに飛び乗る。
そうすればツリーのてっぺんがちょうど目線の位置に来た。
これを飾れば、との追いかけっこもお終いだ。


「何で、こうすれば幸せになれるのかな」


独り言のように呟けば、後ろでが応えた。


「さぁ、どうしてだろう」
「階段を足を止めずに登るのは苦しいし、ここで星を飾ってもツリー全体は見えないのに」
「そうだね。でもきっと、この言い伝えを語り継いできた人たちには幸せになって欲しい人がいたんだよ」


そう言ったの声に、アレンは手を止めた。
綺麗な夜空の下で、輝く星のような存在を感じる。


「だって年の一度の今日なんだもの」
「…………………………」
「これで笑ってなきゃ絶対に間違ってる!そう思わない?」


アレンはそっと目を伏せて、星の飾りをツリーにかざした。


「私はそう思うよ」


背後に聞こえる、の言葉。
誰にも聞こえないような小さな声で言うけれど、空気が澄んでいるからアレンの耳には確かに届いた。
そして飾られる金色の星。




「アレンも幸せになってくれるといいな」




その瞬間、鐘が鳴り響いた。
午前零時を示すその音が世界を震わせ、同時に光が戻ってくる。
停電が直ったのだ。
イルミネーションが輝き、街が明かりを灯す。
アレンは目を見張った。
の歓声が聞こえる。


「すごい!見て見て、絶景!!」


彼女が言ったように、素晴らしい景色だった。
眼下に広がった夜の街。
金に銀に輝いて世界を染めている。
光がいくつも煌めいて、まるで地上に夜空が降りてきたみたいだ。


「ねぇ、きっとこれのことだったんだよ。この絶景を見れることが、“幸せなクリスマス”!」


手すりにしがみついて身を乗り出しながらは笑った。
確かにそう言われても頷けるような美しい夜景である。
これのためならあの長い階段を寒さに震えながら登ってきたって惜しくない。
けれどそれよりも、アレンは呆然と呟く。


、これ……」
「ん?」
「この星の飾り……」


正直に言って、アレンは夜景などほとんど見ていなかった。
それよりももっと暖かくって、心を掴むものが目の前にあったからだ。


回復したイルミネーションの光に照らし出された星飾り。
その表面に書かれた文字。
元気なそれはのものだ。




『Merry Christmas & Happy Birthday!!』




何度もそれを読んで、指先でなぞった。
去年と同じだ。
一年前の今日、同じものがの部屋のカレンダーに書いてあった。
思い出すたびに胸が苦しくなるような感覚がして、何度も想いを馳せた祝福の言葉。
ほら、やっぱり。
今も苦しくて仕方がない。
心が揺さぶられて、どうしようもない。
星飾りに綴られた、たったこれだけの文章が、アレンの意識を捕らえていた。
隣での声がしている。
両手を振りあげて笑っている。


「クリスマスおめでとーう!あははは、夜景がすごく綺麗だ最高だー!そして寒い寒い、雪が冷たい!でも“幸せなクリスマス”なんだからオールオッケイ!ねぇ、アレン!!」
「……………………」
「こんなことに問答無用でつき合わせてごめんね!でもさ、その星は一番高いところに飾りたかったの」
「………………………………どうして」


アレンが何とかそれだけ訊くと、は手すりに両肘をついて微笑んだ。


「だってね」


口元に手を添えて言い放つ。




「このでっかい気持ちを飾るのは、でっかいツリーの上がいいなと思ったんだ!」




はまるで眼下の街に響かせるようにそう言った。
視界に広がる光の洪水。
天と地の星空の間に二人はいた。




「………そしてそれはアレンのものだから、あなたに飾って欲しかった」




今度は囁くような声だった。
はぁ、とが息を吐いた。
空中を漂って細く消えていく。
けれど紡がれた言葉はいつまでもアレンの胸の中に残った。
全部ぜんぶ、刻みこまれた。
どこかとても深いところに。


「わがままやってごめんなさい。それと、追いかけてきてくれてありがとう」


は言いながら少し身を引いた。
アレンの方に背を向けて、手すりを伝うようにして歩き出す。
視線は夜景を見たままだ。


「本当に綺麗だなぁ……。もう少し見ていたい気もするけど、寒いしお腹空いたよね。ホテルに戻ってご馳走食べよっか!あぁそうそう、実はケーキ買い忘れちゃって」


アレンはゆっくりと視線を動かした。


「ブッシュドノエルとかはあるんだけど、やっぱり苺のがどどーんと必要だと思うんだ!だから」


視界の中で、金髪が流れた。
やっぱり星みたいだと思う。
上空のそれも、眼下の光も、きっと彼女には敵わない。
自分から離れていくを見て、アレンは手すりから飛び降りた。
それは感情的であり、同時に衝動的でもあった。
何も考えられはしなかったのだ。
こうすること以外。


「帰りにどこかお店に寄って……」


はそこで言葉を止めた。
アレンが彼女を捕まえたのだ。
その金色の光を。


驚いたように身を震わせたの肩を、構わず引き寄せる。
背中に腕をまわして抱きしめた。
無意識に力が入って、どうしようと思った。
こんなにきつく抱き込んだら、折れてしまうんじゃないだろうか。
だって腰も肩も細くて小さい。
実はしなやかで案外強いことは知っているけれど、それでもこんなにしたらきっと。
痛いだろうな、と考える。
苦しいだろうな、なんてそんなことわかってる。
でも抱きしめる手は止まらない。
何だか声が出ないから、心の中でアレンは囁いた。




ごめん、
それでも君を離したくないんだ。




抱きこんだ体は柔らかくて温かかった。
布越しに伝わってくる体温がたまらなく心地いい。
もう寒さもよくわからない。
そんなことはどうだっていい。
アレンは目を閉じた。




そして幸福の吐息を静かに吐き出したのだった。








アレン誕生日夢です。
今回はあえてクリスマスと言わずにそう言ってみます。(笑)
そして去年の二の舞になるまいと、話を短くするために強制的に二人っきりに。
なのに何故か後編に続きます。むしろ前回より長くなっているような……。あれ?(汗)
よろしければ引き続きお楽しみくださいませ〜。