ご注意を〜

これは完全捏造物語です。
・時間的にはDグレ14巻の135夜、方舟帰還後の本部でのお話。
・主要キャラはもちろん、ヒロインも大怪我でズタボロ。
・アレンとヒロインが非常に微妙な関係。


上記をご理解いただけたうえで、「それでもいい、むしろ何でも読んでやるぜ!」という勇気に満ち溢れている方は、スクロールでどうぞ。
















僕は時計を失った。
ここは迷子の25時。
ベッドの上には効かない薬ばかりが散らばっている。
望んでそこに閉じこもれば、頭から悪夢に墜ちていけた。



さぁ、痛めつけて痛めつけて。
何も感じなくなったら目覚めようか。


Troumerei


「駄目駄目駄目、ぜっっっっっつたいに!駄目です!!」



大声でそう叫ばれて、は自分の両耳を塞いだ。
あまりに勢いよくそうしたから皮膚がちょっと痛い。
けれどそれ以上に鼓膜が痛んでどうしようもない。
黒の教団・医療室のベッドの上で、は激痛に涙目になりながら唸った。



「の、のど自慢だね、婦長……」
「叫ばせてるのは貴方でしょう、!!」



再び大音声で怒鳴られて、は思わずベッドの中に避難してしまった。
頭からシーツを引き被るがあまり効果はない。
相変わらずの声量で言葉が突き刺さってくる。



「いくら貴方が型破りな子だと言っても、今回ばかりは許容範囲を超えていますわ!」
「ちょ、ごめ……っ、ごめん、ストップ……」
「どうしてこうも私の手を煩わせるのです、何か個人的に恨みでもあるのかしら!?」
「ほ、ほんとにキツイって……その、鼓膜が……!」
「いい加減にしないと集中治療室に押し込んで、その厄介な性格を叩きなおしますよ!!」
「み、耳が潰れるー!!」
「ちょっと、聞いているの!!」



そこでシーツを剥ぎ取られてしまったからは何とか逃げようとして、勢い余ってベッドから転がり落ちた。
背中をしたたか床にぶつける。
全身に負った怪我とグルグルに巻かれた包帯のせいで、体が思うように動かなかったのだ。
それでも受身も取れないだなんてエクソシストとして不覚にもほどがある。
は痛みと悔しさにほとんど泣きながら言った。



「っあー!婦長の素晴らしい声に完全ノックアウトされちゃったよ!!」
「コラ何をしているの、早くベッドに戻りなさい!!」
「だめ……、貴方の美声に酔っているみたい……。目の前がぐるぐる回ってるもの……!」
「まったくこの子は!!」



そう言って婦長は床に落ちたを助け起こしてくれた。
さすがは医療班の人間だけあって、その手つきは適確だ。
大柄な婦人なのでのような小柄な少女など軽いものなのだろう、ひょいと抱き上げるとベッドの上に戻す。
ついでに上掛けを掛けられてしまったから、は無理に身を起こした。



「だから私は……」
「黙らっしゃい!」



が言う前にそう返された。
またもや大音声だ。
はもろにその攻撃を喰らってベッドにうずくまった。



「ああ、本当に私の耳は婦長に惚れ込んじゃったみたいだよ……、わんわん響いたまま貴方の声が消えない……!」
「馬鹿なことを言ってないで!そして、そのくだらない考えは今すぐに捨てなさい!!」



婦長は角ばった強面をずいっとに寄せて凄んで見せた。
はふらつく頭を支えて彼女を見やる。
涙の浮かんだ金色の双眸。



「くだらなくないよ。本気だもの」
「だから貴方は……!」
「ふ、婦長……」



そこで控えめな制止の声がかけられた。
振り返れば広い医療室、ずらりと並んだベッドのひとつに短い黒髪の少女を視認する。
は天使が現れたとばかりに顔を輝かせた。
けれどすぐに眉を曇らせる。
それから上掛けを跳ね飛ばすと、片足で跳躍して彼女のベッドに飛び移った。



「リナリー!」
「ちょ、ちょっと、そんなことしちゃ駄目よ。怪我をしてるんだから」
「それは私のセリフだよ。あなたはちゃんと休まなきゃ。ホラ横になって」
「え、ええ。ありがとう……」
「騒々しくしちゃってごめんね。眠れない?絵本読んであげよっか?それとも添い寝?」
「休息が必要なのは二人ともです!!」



優しくリナリーを寝かしつけるの襟首をひっ捕らえて、婦長が怒鳴った。
そのまま引きずられて自分のベッドに戻される。
は哀れっぽい声をあげたが、婦長は完全に無視した。
代わりにリナリーが口を開く。



「婦長……。ちょっとくらいの話を聞いてあげても……」
「そ、そうですよ」



リナリーの隣のベッドから小さな同意が聞こえてきた。
声の主はクセのある黒髪を肩に垂らした細身の女性だ。
は婦長から逃れようとがんばりながら、彼女に微笑みかける。



「ミランダも騒じゃってごめんね!私のことはいいからゆっくり休んで」
「でも……、だってちゃん。何か考えがあるんでしょう……?」
「どんな考えがあろうと却下です!!」
「ひっ、ごめんなさいごめんなさい!!」



婦長が思わず鬼の形相で返してしまい、ミランダは怯えたように謝罪を繰り返した。
は必死に手を伸ばして、涙を溜めた彼女のベッドをぽんぽんとする。



「あぁ、泣かないで。その綺麗な顔を曇らせたら嫌だよ」
「うぅ……、そんな。ちゃん……」
「美しい人の笑顔は世界だって救っちゃうんだから!」
「そんなことを言われたのは初めてよ……、ありがとうありがとう」
「世界の前に私の怒りを何とかしなさい!!」



またもや婦長の怒声が響いて、ミランダの手を取っていたはそこから引きずり離された。
けれども抵抗するフリをして、今度は彼女の白衣を握り締める。
そして真剣な声音で囁いた。



「もちろん、あなたの笑顔もだよ。婦長」
「そんな言葉に引っかかりますか!!」
「本気なのにー!」
「知ってますよ、貴方がそういう子だってことはね!けれどもそれとこれとは話が別です!!」



婦長はそう返すとの脇下に両手を入れて持ち上げ、そっとベッドに座らせた。
それからこちらを見下ろしてくる。
体のいたるところに巻かれた包帯に、皮膚を覆うガーゼ。
消毒液の匂いに染まった自分の姿を検分されて、は何だか居た堪れなくなった。
思わず視線を落とすと、婦長が床に膝をついて覗き込んでくる。



「……本当はわかっているのでしょう?貴方はまだ動ける状態じゃないわ」
「……………………へいき、です」
「全治何ヶ月の大怪我だと思っているの」
「慣れてる……から」
「だからこそ無理をしてはいけないことも知っているはずよ」



婦長は包帯の巻かれたの両手を握った。



「どうしたの、。確かに貴方はいつも私を困らせる患者だけれど、本当に駄目なことはわかっている子でしょう」
「………………………」
「それなのに何で、出かけたいだなんて」
「そんな大げさな話じゃないよ」



は顔をあげていつものように笑ってみせた。



「心配しないで。出かけるって言っても、すぐそこなんだ。同じ病棟の中」
「……どこ?」
「みんなのいる部屋」
「神田やラビのいる部屋?」



それは予想していなかったのだろう、婦長だけでなく後ろで聞いていたリナリーやミランダも目を見張った。
は明るく頷く。



「うん。お見舞いに行きたい」
「怪我人が怪我人を見舞う道理はありません。駄目よ」
「でも、元気になった顔が見たいんだ」
「全快してから会いに行きなさい」
「あれだけ毎日いっしょにいたから。治療のために離れっぱなしで、何だか変な感じなんだもの」
「我慢なさい」
「……お願い。ちょっとだけ」

「辛くなったら、向こうのベッドできちんと休むから!」
「……………………どうして彼らと貴方たちが病室を別けられているかわかっていないのかしら?」
「え?部屋がたくさんあるからでしょ?」
「………………………」



きょとんと聞き返してくるに、婦長は頭痛を覚えてうなだれた。
男女の病室が別れているのは当然で、いくら友人同士とはいえ、あちらの部屋でを寝かせるわけにはいかないのだ。
どうやらそのことを、この少女はわかっていないらしい。
けれどもここは医療を預かる者としてきちんとするべきだろう。
婦長はを見上げて強く言った。



「とにかくこの病室から出ることは許しません。大人しく自分のベッドでお眠りなさい。いいわね?」



真剣な声でこう告げてやれば、さすがのも言うことを聞くだろう。
婦長はそう信じて疑わなかった。
彼女は確かに問題児でいつも大騒動を起こしてくれるが、先刻も言ったとおり、本当に駄目なことはきちんとわかっている子なのだ。
自分の都合だけを考えたわがままは絶対に実行しない。
ましてや負傷した体を気遣う婦長に逆らうとは思えない。
”とはそういう人間なのだと、思い知っていたのだ。



けれどこのときは違った。
は婦長を見つめて、それが真剣であるとわかると目元を歪める。
何だか痛そうな、苦しそうな表情だ。
婦長はそれに本当に驚いて肩を揺らした。
その間には顔を逸らしてしまう。
どうやら見られてはいけない表情だったらしい。
俯いたから下ろしている長い金髪がそれを隠した。
は膝の上でぎゅっと拳を握った。
指先が少しだけ震えている。
婦長は珍しく狼狽して、リナリーとミランダを振り返った。
しかし彼女たちも状況についていけずにオロオロするばかりだ。
何故ならいつも馬鹿みたいに強く笑っているが、こんな風になったところなど、誰も見たことがなかったからだ。



「ほ、本当にどうしたの、……」



婦長は静かに声をかけて、彼女の肩に手を伸ばした。


その直後。






「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」






が叫んだ。
それも素晴らしい大音声で。
今までの婦長に負けないとでもいうように、両手を振り上げての絶叫だ。
婦長は本気で驚いて、後ろにあったベッドに尻餅をついた。
リナリーとミランダも目を剥いている。
その場にいる全員が唖然とする中、は勢いよく両腕を振り下ろした。



「ダメだ、どうしても気になる!頭がぐちゃぐちゃになる!意識がそっちに引っ張られる!こんなので大人しく寝ていられるかぁっ」
「「「………………………」」」
「私だって回復に専念したいのに!みんなに心配かけたくないのに!何だってこうも安眠妨害してくるのよアイツー!!」
「「「……………………………………アイツ?」」」
「とゆーわけで、やっぱり行ってきます!あの上品ぶった顔に一発ぶちこんできてやりますよっ」



は怒ったような顔でそれだけまくしたてると、決然と立ち上がった。
一度、本当に申し訳なさそうに婦長を見つめて、金髪を翻す。
片足を折っているからその歩みはとんでもなく遅く、ぎこちなかったが、皆が我に返ったのはが部屋から出て行く寸前だった。
婦長は慌てて声をあげる。



「待ちなさい、!」



制止した瞬間、は足を止めた。
それは婦長の声に反応したというよりも、扉のところで入室してきた者と衝突したからだった。
はその人物の胸に顔面をぶつけて、「ぶっ」と可愛くない悲鳴をあげる。
赤くなった鼻を押さえて見上げれば、金の瞳に見知った顔が映った。



「ラスティ班長」
「……………………、今の雄叫びやっぱり君か。君」



扉から入ってきたのは長身の男性。
茶色い猫っ毛と常に眠そうな表情が特徴の、医療班班長ラスティだ。
彼は自分の胸に突っ込んできたを見下ろすと、特に興味もなさそうに訊く。



「何やってるの。どこかに行く気?その折れた脚で?内臓破裂で?ずいぶん豪気な重症人だねぇ」
「ラ、ラスティ班長!!」



思いがけない上司の登場だったが、それでも婦長は咄嗟に言った。



「捕まえて!そのお馬鹿な娘を捕まえてください!!」



大声で訴えられてラスティは少し顔をしかめた。
それは恐らく付き合いの長いにしかわからないような、微妙な変化だった。



「………………君」



言いながらラスティはの肩に両手をかけた。
まるで健闘を称えるかのようにぽんぽんと叩く。



「帰還早々やってくれるね。婦長をあそこまで怒鳴らせるとは、さすがだよ」
「でも女性を可愛らしく怒らせることもできない私は、まだまだだと思います」
「老若男女殺しの名がすたるって?」
「彼女たちに花の笑顔を咲かせることこそ私の使命ですから」
「そんなどうでもいい話は後にしてください!」



いつもの調子の二人の会話を婦長は大声で遮った。
その剣幕にとラスティ何となく手を取り合って、唇を尖らせる。
それでも婦長は容赦をしなかった。



「拗ねてみせても駄目!さぁ二人とも、医師と患者という身分をまっとうしてくださいまし!!」
「はいはい、言われなくても仕事はさせてもらうよ」



ため息まじりに頷くとラスティは両腕でを抱き上げた。
いとも簡単に捕獲されたは悲鳴をあげる。



「ちょ……、抱っことか!何で今日に限ってそんなにアクティブなんですか無気力代表ラスティ班長!」
「君を逃がすと俺まで婦長に怒られそうだから」
「ただの保身ー!?」
「馬鹿言わないでくれるかい。医者として止めてるんだよ」



はそこで思わず抵抗をやめてしまった。
ジタバタ動かしていた手足がしゅんとうなだれる。
その様子にラスティはわずかに目を細めた。
婦長が飛んできてを引き取ろうとしたが、彼はそのままの体勢で言う。



「そんな体で病室を出て行こうとしたんだ。婦長が怒るのも無理はない」
「…………………………」
「俺は面倒だから怒らないけど。とりあえず無意味に痛い治療をしてやろうかなとは思うよ」
「…………………………、わかってます」
「何が」
「まだ動いちゃ駄目だってことも。…………婦長たちが心配してくれていることも」



その言葉の最後で、ラスティはを床に降ろした。
は骨折した脚を庇いながら片足で立つ。
わずかにふらつけば婦長の手が支えに差し出された。
けれどラスティはそれを無言で制する。
をきちんと一人で起立させると、彼は静かに口を開いた。



「………………それがわかってても、行きたいの?」



真っ直ぐに見つめてくる、薄茶色の瞳。
光が入って透けて見えるその色。
いつも無関心なフリをして、それでもを温かく見守ってきてくれた目だ。
は背筋をぴんと伸ばした。
皮膚が張って怪我がひどく痛んだが、そんなことには構わない。
今自分がするべきことは、この優しさに応えることだ。



「はい。それでも行きたいんです」



ははっきりと頷いた。
それから少しだけ唇を震わせた。
頬に熱があがる。
何だか泣きそうだ。
けれど臆することはなかった。
その程度の気持ちではないから、嘘も誤魔化しも思いつかない。
胸を張って、息を吸って。
全ての心を懸けて、告げる。



「どうしても、会いたい人がいるんです」



そこに込められていた感情は何だろう。
ラスティや婦長に心配をかける申し訳なさ。
気遣いに対する感謝。
そして途方もなく強い、




恋慕のようだった。




ラスティは目をすがめてを眺めた。
真っ直ぐに見つめ返してくる金色の瞳。
わずかに震える頬がいじらしくて、思わず手を伸ばした。



「……………………俺と君ってさ」



指先に絡まる金髪。
ああ、いつの間にこんなに伸びたのだろう。
初めて逢ったころは、あんなに短かったのにね。



「何年の付き合いだっけ?」



問われてはきょとんと目を見張った。
考えるよう間があって、わずかに首を傾ける。



「………………8年?」
「わぁ、無駄に長い!」



自分で言ってラスティは小さく笑った。



「どうりでこんなに大きくなるはずだ」
「ラスティ班長?」
「まさか君が、そんな顔をするようになるなんてなぁ」
「何の話?」
「きちんと女の子になってくれて嬉しいなって話」



ラスティはもう一度ふわりとの頬を撫でると、手を離した。
そして意味がわからず目を瞬かせているを見下ろす。
頭に腕を置いて軽く引き寄せた。



「はい、君。今から俺の言うことを有無を言わずに復唱してね」
「え……、ええ?」
「ひとーつ。私は重症人であることを大いに自覚しています」
「や、あの、なに……」
「復唱!繰り返すんだよ」
「う、ぅえ、あ、わたしは重症人であることを大いに自覚していま、す……?」
「ひとーつ。私は決して無茶をしないことを誓います」
「わ、私は決して無茶をしないことを誓います……」
「ひとーつ。用が済んだら速やかにラスティ班長の元に出頭します」
「用が済んだら速やかにラスティ班長の元にしゅっとう……、出頭?何その言い回し……、します」
「ひとーつ。こんなワガママをするのは今回限りです。絶対です。命を懸けて断言します!」
「こんなワガママをするのは今回限りです。絶対です。命……懸けるの?あ、懸けるの。はい、断言します」
「ひとーつ。今まで言ったことをひとつでも破ったら、私は豆乳断ちをします」
「えええええええええっ」
「今後一切、豆乳とは縁のない人生を送ります。ホラちゃんと言う!」
「………………っ、うう、と、とうにゅう断ちし……、しま、しま……したくないけど、します!!」
「ひとーつ。はいコレで最後。………………私は、本当の大馬鹿者です」
「じ、自虐しろって……?わたしはほんとうのおおばかものです。これで満足かぁ!!」
「うん満足。じゃあハイ、これね」



言うなりラスティは片手を伸ばしてそれを掴み、に押し付けた。
渡された物を見ては目を見開く。
それは病室の隅に立てかけてあった、一本の松葉杖だった。
は驚いた顔のままラスティを見上げ、そこにいつも通りの無表情を見つけて、何だか胸が締め付けられるのを感じた。



「ラスティ班長……」
「ゴーレムは持ってるね」
「………………はい」
「少しでも苦しくなったら俺のに繋げて」



自分の無線を指差で指しながら、抑揚のない声で言う。



「そしたら迎えに行ってあげる。………………でも面倒だからこれ以上の無理はしないように」



それだけ告げるとラスティはもう用は済んだとばかりにの横をすり抜けた。
スタスタ歩いていってミランダのベッドの脇に立つ。
椅子を引き出しながら尋ねた。



「こんにちは、ミランダさん。容態はどうですか」
「え、あ、あの……」



普通に診察を始めたラスティにミランダは困惑した声を出した。
リナリーも困ったように瞬いている。
婦長だけがこの状況に流されずに怒鳴った。



「ラスティ班長!を行かせる気ですか!?」
「雄叫びをあげる患者はごめんだ。俺には彼女の面倒が見きれない」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「他の怪我人の迷惑でもある。出て行ってくれたほうが助かるんだよ」
「でも……っ」
「たぶんね、婦長」



医療道具をいじりながらラスティは言った。



君の戦いは、まだ終っていないんだ」
「は、はい……?」
「そんな状態で眠れるわけないだろう」



言葉の意味がわからず狼狽する婦長に、医療班班長はわずかに微笑んでみせた。
めったに笑わない彼のその表情に何となく反論を封じられる。
ラスティは振り返らずに、今度はに告げる。



「早く行っておいで。たぶん、きっと……向こうも君を待ってるから」



はかすかに息を呑んだ。
切ない想いがして、思わず渡された松葉杖を抱きしめる。



「本当に……?」
「信用しなさい。俺と君、何年の付き合いだと思ってるの?」
「…………8年」
「ねぇ、無駄に長い!」



ラスティは言いながら怪我をしたミランダの手を取った。



「さっさと行って終らせて来てよ。でないと君も、あの子も、ゆっくり休めない。俺の仕事をこれ以上先延ばしにしないでくれ」



その言葉を聞いて、は自分の頭にそっと手をやった。
包帯の巻かれた頭部、ガーゼで覆われた右眼。
口の端には傷を保護するテープが貼られている。
手も脚も腹部も処置がされていて、消毒液の匂いが染み付いていた。
本当はまだ動いてはいけないし、動ける状態ではない。
そんなことは、今までの経験でわかっている。
それでもじっとしていられない自分は馬鹿なのだろう。
はラスティに手渡された松葉杖を、さらにきつく抱きしめた。



「……私は、本当に大馬鹿者です」
「うん。自虐の趣味があるんだと思うよ」



苦笑するその声が切なかった。
痛いのも苦しいのも本当は嫌いだ。
けれどそのどれよりも、今あの人が孤独でいることのほうが嫌だった。
そのためなら、何だって乗り越えていく。
それが馬鹿でも何でも、“私”なのだから。



「ラスティ班長」



はラスティを呼んだ。
彼はミランダの治療を続けていて振り返らない。
それでもはその背に向かって頭を下げた。



「ごめんなさい」と言いたかった。
こんなワガママをして、心配をかけて。
しかし謝るのは不遜。そして傲慢だ。
だからは告げる。




「ありがとうございます」




ありったけの感謝を込めて。



それから顔をあげて、傍に立っている婦長の首に抱きついた。



「婦長も、心配してくれてありがとう」
「………………どうして、貴方は」
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」
「…………………………」
「いくら言っても足りないから、ちゃんと元気に帰ってきます。そしたらまた、お礼を言わせてね」
「……………………本当に、馬鹿な子」



婦長は諦めたようにため息をついた。
けれどを抱きしめ返す手は、優しさで満ちていた。
金の髪を撫でられる。
婦長からそっと離れると、は松葉杖をついて扉に手をかけた。



「行ってきます」



婦長は何も言わなかった。
ただ目を閉じで微笑んでいた。
視線をやれば、ラスティが背を向けたまま片手を振っている。
優しさに見送られて、は部屋を出て行った。
それは怪我を負っていてひどく拙い動きだったが、それでも自分の力で進んでゆく。



は胸に抱くたったひとりに会うために、前を見つめて歩き出した。






そして、最初の音色は奏でられた。