この感覚が嫌いだった。
普段の自分を無視して走り出す鼓動が恨めしい。
何だってこんな気持ちにならないといけないんだ。
Troumerei
はどきどきする胸を押さえて、とある病室の前に立っていた。
扉板の向こうからはお馴染みの声が騒々しく聞こえてきている。
あんな大怪我なんだから大人しく寝ていろと思うが、それ以上に自分が無茶をしでかしているのだから絶対に言えない。
ちくしょう、と心の中で呟く。
は細く息を吐くと、キッと扉を睨みつけた。
気合満点、片手を振り上げてノックをする。
どうせ聞こえてはいないから、そのままドアを押し開いた。
その瞬間。
「ぶっ」
また誰かにぶつかった。
先刻のラスティの時と同様、可愛くない声が自然と出る。
痛みに涙目になりながら見上げると、驚きに見開かれた黒い瞳と出会った。
「あ、神田」
顔を見るのは数時間ぶりだったから、きちんとアイサツをして笑う。
すると神田の表情が一変した。
まん丸になっていた眼が殺意に細められ、片手がの顔面を掴む。
頬が押しつぶされて激痛が走った。
「ぎゃあ!何すんの!?」
「このバカ女……!テメェこそ何してやがる!!」
悲鳴を上がれば濃度の濃い怒りの声を返された。
ギリギリと顔面を圧迫される。
どうやら彼は本当に怒っているようだ。
それがわかってしまえば強く言い返せなくて、は掴んでくる神田の手に触れた。
「何って……、えっと、その………………お見舞い?」
「テメェは自分の壊れた頭だけ見舞ってろ!この史上最強の大バカ女が!!」
怒鳴りながら神田はますます力を込めてくる。
これは本当に痛い。
こちらの怪我など無視で、いつも通り頭を殴りつけられた。
「帰れ!今すぐ帰れ!」
「そ、そんな風に追っ払わなくても……」
「怪我人がフラフラ出歩いてんじゃねぇよ!!」
「今まさに病室から出ようとしていた奴の言うセリフじゃねぇさ。ソレ」
そこで横から呆れ混じりの声がと神田の間に飛び込んできた。
同時に首に腕を回されて引き寄せられる。
神田から離されたと思ったら、背中からその人物の胸に倒れこんでいた。
これはこれで衝撃があったので、は目を閉じて痛みが行き過ぎるのを待つ。
その間に神田が唸るように言った。
「うるせぇよ、馬鹿ウサギ」
「ティエドール元帥がいなくなった途端、逃げ出そうとしたクセに」
「あのオヤジの話はするな!」
「ユウもと変わんねぇじゃん」
「俺とそのバカ女が一緒だと……?」
神田の声に本当の殺意が滲んできたので、は痛みを振り払って二人の間に割って入った。
「はい、どうもマイフレンズ。元気いっぱいの出迎えをありがとう!」
「阿保か」
「別に出迎えてねぇって……」
「ところで神田は、この機会にカルシウムを取ることをおススメするよ。きっと骨折が早く治るし、イライラが抑えられるから」
「苛立たせているのはどこのどいつだ!」
「ラビは、まぁ……にんじんでも食べてればいいんじゃない?」
「どんなウサギ扱いさ!?ひっでぇ!!」
「そして二人とも。この手を離してくれると嬉しいんだけど」
「「………………………………」」
満面の笑みでそう頼むと、神田とラビが顔を見合わせた。
互いに不満そうな表情で睨み合っている。
無理やり体を引き寄せたラビは後ろからに抱きついている体制だし、それを止めようとした神田は右手でその金髪を、左手で手首を掴んでいる状態なのだ。
どちらもそれなりに痛い。
だからはきちんと願い出てみた。
「離してくれないとお返しに豆乳まみれにするぞ、わぁ今すぐ怪我も回復しちゃうね!」
「よし、このままひねり潰してやる」
「イエッサァ!全力で殺っちまおうぜ」
「何でー!?」
正当法で攻めてみたのに、何故だか青筋を浮かべてますます掴みかかられた。
この反応は断然おかしい。
「痛い痛い痛い痛い、何なの!あんた達そんなに豆乳好きだったの!?どんと来いなの!?だったら本当に実行しちゃうよっ」
「出来るならやってみろっつーんさ!」
「安心しろ。その前にテメェを殺る……!」
そのまましばらく三人で乱闘になった。
怪我も忘れて掴み合い、しばき合い、罵り合う。
慣れているマリ達は呆れたようにそれを見守り、初めて見るチャオジー達はどう止めたものがオロオロしていた。
結局息切れで動けなくなるまで続けて、看護婦に怒られる。
は疲労困憊して近くのベッドに倒れこんだ。
ただでさえ怪我で体力が落ちているのにいつも通り暴れすぎたようだ。
「おい、。そこは俺のベッドだ」
息を切らしたまま神田がの背中を叩いた。
促されたので端っこに寄ってやる。
神田は“どけ”と言ったが、それ以上手をだすことはなくの隣に寝そべった。
それを見ては首をかしげる。
「あれ?神田って出ていくところじゃなかったの?」
「…………気が変わった。と言うか出ていく気力がなくなった」
「へぇ」
「テメェのせいだろ」
「あはは、ごめーん」
「ちょ、。ユウと話してないでもう少しそっち寄って」
やはり切れた息でラビが言い、を挟んで神田の反対側に倒れこんできた。
長身の二人に左右から圧迫されて、は悲鳴をあげる。
神田がわずかに身を起こして怒鳴った。
「おい、ラビ!何でもお前までこっちに来るんだよ!」
「そんなのがいるからに決まってんじゃん」
「自分のベッドがあるだろうが!そっちで寝ろ!!」
「イヤさー!オレ親友だもん!一緒に寝るっ」
「それより私は永遠の眠りにつきそうなんだけど、そのあたりどうなの!?」
いい体格をした青年に潰されて、は大いにもがきまわった。
腕を振り回して訴えれば、ようやく神田とラビも気付いてくれたようだ。
同時に身を引いて、ほどよい距離を取る。
結局三人並んで神田のベッドに寝転んだ。
「で?テメェ何しに来たんだ。帰れよ」
「いや、どっちにしろ今すぐは無理かな……」
「確かに疲れたさー」
「怪我人のくせに動き回るからだ。馬鹿が」
「大半はあんた達とのケンカが原因だけどね!」
「まぁ、オレはが来ると思ってたけどな」
何の前触れもなくラビに言われて、は目を見張った。
寝そべったまま左の方に顔を向けると、複雑そうな親友の笑顔が見えた。
「なーに驚いた顔してるんさ」
「だって……」
「オレはオマエのベストフレンドだろ!舐めんなよ」
「…………、うん」
「でもちょっと遅かったかもな」
ため息混じりの声と同時に頭を撫でられる。
それは謝罪のような仕草ではわけがわからなかったが、ふと思いついて飛び起きた。
そして片足だけで跳躍すると、空いたベッドを足場に進んでいく。
神田の怒鳴り声が追いかけてきた。
「それ以上動くな!」と言われたときには、もうそこに到着していた。
は床に着地すると、目の前のベッドの大きく膨らんだ上掛けを両手で掴む。
思い切り力を込めて引き剥がした。
「…………………………」
現れたのは食べ物の残骸だった。
おいしく食されたであろう料理たちが山済みになってベッドの上に乗っかっている。
は一瞬その山を掻き分けようかと考えた。
中に捜していた人物が埋まっているのではないかと思ったのだ。
けれどそれは後ろから止められた。
肩を掴まれると同時に怒鳴り声。
「馬鹿かテメェ!その怪我で何て無茶しやがる!!」
「…………………………」
「おい、聞いてんのか!?」
「………………神田が私を心配してくれてるってことは、ちゃんと」
「ば……っ、誰が!」
「あんたがだよ。ありがとう」
はお礼を言って、微笑んだ。
けれど何だか脱力して膝をつきそうになる。
そもそも右足は折れているし、左も太ももを貫かれるという重症だ。
辛くなって、それでも必死に踏ん張っていると、背中から神田にぐっと支えられた。
「だから言っただろう。もう動くな」
「………………ごめん。それは無理なんだ」
「……!」
「オレが気付いてればよかったんだけどな」
神田はさらに怒鳴ろうとしたが、静かなラビの声に遮られた。
緩慢に振り返ればすぐ近くに彼がいた。
胸元しか見えなかったから顔をあげると、両腕が伸びてきて抱きしめられる。
「ごめん。出て行ったの、わかんなかった」
「………………ラビが謝ることじゃないよ」
「オマエが来るのは知ってたんさ。だって、オマエはアイツを気にかけてた。オレにはわかんなくても、アイツに何かあったんだろ」
「…………………………」
「だから、オレも気をつけてたんだけど。やっぱりオマエじゃなきゃ駄目みたいさ」
「それはわからない。でも私、行くよ」
「うん。…………ホントは無茶して欲しくなんだけど。うん、止めないから。行って来い」
耳元で囁かれる言葉には目を閉じた。
怪我で動かしにくいけれど、全力で腕を持ち上げて抱きしめ返す。
「ありがとう」
親友の優しさは痛いほどに伝わってきていた。
本当は引き止めたいと思ってくれているのだろう。
だからここに来たとき、何はともあれ彼は怒ったのだ。
きっと無理なことだろうけど、は“心配しないで”と気持ちを込めてラビに微笑んだ。
それから体を離して歩き出す。
けれどぐんっ、と後ろから引っ張る力を感じて足を止めた。
「神田」
振り返れば神田がこちらの手首を掴んでいた。
ほとんど無意識の行動だったのだろう。
悔しそうに自分の手を見て、から視線を逸らす。
「どうして……」
「え……?」
「何で、お前があいつのために無茶をしなくちゃならないんだよ」
「…………………………」
「………………悪い。何でもない」
神田は大きく息を吐き出すと、掴んでいたの手首を振り放した。
「早く行け。そんな状態でウロウロされたら目障りだ」
「……………うん」
「…………………」
「ねぇ、神田」
言いながらは遠のいた神田の手を追いかけた。
指先を握れば温もりを感じる。
同じだけの温度を返そうと力を込めた。
「ラスティ班長が言ってた。私の戦いは、まだ終ってないんだって」
顔を逸らされているから神田の表情はわからない。
それは流れる黒髪に覆われて、見ることが出来ない。
それでもは続けた。
「私も、そう思うよ。きっとこれも戦いなんだ」
「………………………」
「痛くても苦しくてもがんばる。眠れないほどの気持ちがこの胸にあるから……。戦って戦って、貫いてみせるよ」
「…………知っている。お前は馬鹿でマヌケな負けず嫌いだ」
「うん、負けない」
は確かに頷いた。
それからちょっとだけ悪戯っぽく笑う。
「でも相手は強敵だからさ。絶対に諦めないつもりだけど、玉砕したら骨くらいは拾ってね」
「阿保か。誰が拾うか」
神田はくだらなさそうに言い捨てたが、繋いだ手は温かいままだった。
強く力を込めて握り返される。
「拾ってなんかやらねぇよ……。だから」
そこで神田はの方を向いた。
ようやく黒い瞳が見れて、嬉しくなる。
意志の強さを表した双眸が、こちらを真っ直ぐに射抜いてくる。
「だから、安心して勝ってこい」
そう言われた瞬間、はもう片方の手を拳にして突き出していた。
神田がそれを掌でぱしりと受け止める。
衝撃が、まるで心の震えのようだった。
これはいつも通りのアイサツだ。
だからはお馴染みの、強気な笑顔を浮かべてみせた。
「任せとけ!」
すると、神田も同じような表情になった。
掴んでいたの拳を離して、今度は自分がそれを繰り出す。
は先刻の神田と同じように、彼の拳を掌で受け止めた。
目を見て不敵に笑い合えば、不安も恐怖も溶けていくようだった。
「じゃあ、行ってきます」
そう告げると、神田は無言で頷いて、繋いでいた手を離した。
ラビが松葉杖を持っていてくれたから、お礼を言って受け取る。
親友の大きな手が頭を撫でていった。
そこに込められた感情は、もう謝罪ではなかった。
「ん。行ってらっしゃい」
笑顔で見送られたのだから、返す表情は決まっている。
痛みも苦しみも殺しては心から微笑んだ。
そして再び松葉杖をつくと、友人達に手を振って、その病室を後にした。
音階は駆け上がる、♯なんて飛び越してゆけ!