どうして我がホームはこうも馬鹿でっかいのだろう。
ここの一員になってから何度となく思ったことを、は今日も考えた。
廊下も長いし、階数も多い。
怪我人には何とも不親切な設計である。
Troumerei
捜し人の姿を求めては教団内を徘徊した。
ぐるぐる回るが見つからない。
途中で遭遇したクロスに彼の居場所を知らないか尋ねてみたが、何故だか部屋に連れ込まれそうになって、クラウドに全力で逃げろと言われた。
元気になったらきちんと挨拶にいこうと思う。
二人の元帥には師のグローリア絡みでいろいろとお世話になったからだ。
食堂にも顔を出して、ジェリーに泣かれた。
満身創痍のがあまりに痛々しかったらしい。
快気祈願だと豆乳を大量に振舞われたが、まだ目的が達成できていないので深く感謝しつつ、辞退してきた。
彼にも回復したらお礼をしなければと考える。
それから書室や談話室といった、教団の主たる所をまわってきた。
たくさんの団員に会って、怒られたり心配されたりした。
その度に感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになったが、足を止めることはできなかった。
何故ならまだ彼に会えていないからだ。
捜し人の姿は一向に見当たらなかった。
それどころか手がかりなしだ。
「ホントにどこ行ったんだ、あいつ……!」
は切れる息を無理に押し殺して唸った。
さすがに苦しくて、壁に手をついて呼吸を整える。
嫌な汗が止まらない。
「…………っつ」
内臓がひどく痛んだ。
いくつか損傷しているのだから仕方がないことだ。
腹に手を当てると濡れた感覚がした。
掌を見れば案の定、赤く染まっている。
は思わず自嘲を漏らした。
「脆弱者」
自分で自分を鼻で笑う。
これくらいで血を垂れ流さないでほしいものだ。
は片手で腹部の傷口をぐっと押さえた。
止血点を圧迫することで、これ以上の流血を防ぐ。
その無茶苦茶な応急処置に視界が真っ白になるほどの激痛を感じた。
しばらくうずくまってその感覚に耐え抜くと、ヨロヨロと立ち上がる。
黒い服を着ていてよかったと思う。
これなら血の跡も目立たない。
ただ白いロングカーディガンを羽織っているから、それに赤がつかないように気をつけないと。
「どこ、……行っちゃった、の……かな」
ふらつく足を松葉杖で支えて、再び進みはじめた。
何だか今、すごく馬鹿なことしている気がする。
こんなになって会いに行っても、彼が喜ぶとは思えない。
むしろ殴り飛ばされそうだ。
顔を真っ赤にして怒って、泣きそうな表情で罵って。
苦しい声で帰れと言われるだろう。
けれどお生憎さま。
そんな声は聞いてやらない。
私が勝手に傍にいてやるんだから。
痛む体をしゃんとして、顔をあげて不敵に笑った。
そうすることでいつもの自分を取り戻す。
その時ふと視界の隅に人だかりを見つけた。
はあれ、と目を見張った。
「何だろう……」
進行方向でのことだし好奇心もあって、はその空間を覗き込んだ。
けれど小柄な体型のためよく見えない。
うーんと背伸びをしていると、傍にいた団員がに気付いて声をあげた。
驚いているうちに周りが一斉に騒ぎ出す。
わけのわからないまま背を押されて前に出される。
人ごみを掻き分けてどんどん前進させられた。
「わっ、ちょ、なに!?何で押すの……、ぶっ」
誰かにぶつかるのはこれで三度目だ。
そろそろ鼻も潰れるんじゃないだろうか。
はそう思いながら、涙の滲んだ視線をあげた。
さぁ今度は誰に衝突したのだろうと思って、相手を確認する。
それから目を瞬かせた。
「バク支部長」
眼前にいたのは薄い黄色の髪に、知的な灰色の瞳をした男性。
アジア区支部・支部長、バク・チャンだった。
彼は団員達に押されて倒れこんだを、両手で支えてくれていた。
はバクの胸から離れると、きちんと頭を下げる。
「ぶつかっちゃってごめんなさい。それと、お久しぶりです。バク支部長」
「……………………」
久しぶりに顔を合わせたものだから一応正式な挨拶をしたのに、バクはまったくの無反応だった。
何だか睨みつけるようにこちらを見ているだけだ。
は不思議に思って軽く彼の肩を叩く。
それができるほど、アジア区支部の面々とは仲が良い。
「どうしたんですか。何で黙って……」
「ほほう。黙っていられるのが不満か」
そこでバクはにっこりと笑った。
そして次の瞬間には思い切り息を吸い込む。
の耳をがしりと掴むと、大音声で怒鳴った。
「だったらせいぜい叫んでやろう!こ……っの、大馬鹿娘がぁぁぁぁああああ!!!」
まるでエコーがかかって聞こえるほどの声量が、の鼓膜を襲撃した。
これは婦長と張り合えるかもしれない。
脳に直接ダメージを与えられて、はぶっ倒れそうになった。
けれどそれはバクの両腕に阻まれる。
彼はの肩を鷲掴むと、その小さな体をガクガク揺さぶった。
「怪我をした時くらい大人しくできんのか、!!」
「う、あ、ちょ……、待……っ」
「貴様は会うたび会うたび馬鹿をやりおって!その頭は飾り物か、壊れ物か、ガラクタかぁ!!」
「い……っ、痛い!痛いよ、バク支部長!!」
「うるさい、ここにフォーがいたらこの程度ではすまんぞ!!」
さんざんを痛めつけた挙句、トドメとばかりにバクはの頭をぶん殴った。
まぁ確かにアジア区支部の番人であるあの精霊にだったら、首を跳ね飛ばされていたかもしれない。
けれど今痛いのも本当だから、は涙目でバクを見上げた。
「もー。感動の再会だからって、そんなにはしゃがないでくださいよ」
「は、はしゃいでなどおらん!貴様の顔を見るのは数ヶ月ぶりだが、そんな馬鹿をされるのならば会いたくなかったぞ!!」
バクは大声でそう返したが、微妙に顔が赤い気がする。
もうひと押ししたらジンマシンが出るなと思って、は黙った。
バクは帽子についた長い房を振り乱して誤魔化すように叫ぶ。
「オレ様は、いい加減自分を省みるということを覚えたらどうだと言っているんだ!」
「まぁまぁそのくらいに。バク様」
そこで穏やかな仲裁が入った。
同時に大柄な男性がぬっと現れる。
バクのお付であるサモ・ハン・ウォンだ。
優しいおじ様である彼の登場に、は笑顔を浮かべた。
「わぁ、ウォン支部長補佐だ!お久しぶりです」
「お久しぶりですね。様」
「あの説はどうもありがとうございました」
「いえいえ、あれは私も楽しゅうございましたよ」
「またこの説でもお世話になりますね」
「はい。お任せください」
「き、貴様ら……。何の話だ」
「「内緒です」」
「絶対によからぬことだろーーーーーーーーーーーーーー!!!」
悲鳴のようにそう言って、バクはとウォンから離れた。
まったく失礼な人だと思う。
よからぬことなどあるわけがないのに。
ウォンとはよく、“いかにバクを面白い目にあわせるか”で連絡を取り合っているだけだ。
「ウォン支部長補佐は私にアジア地方の健康食品を送ってくれる、とっても良い人なんですよ。妙な疑いをかけるのは止めてください」
「いや、ウォンというより貴様が疑わしいのだ」
「断言した!」
あまりにハッキリそう言われたので、は思わず松葉杖を振り回してしまった。
「相変わらず私に厳しいですね、バク支部長!」
「優しくする道理がどこにあるんだ、馬鹿娘!」
「まぁまぁまぁまぁ。お二人とも落ち着いて」
言い合う二人を相変わらず穏やかな調子でウォンが止めた。
とバクはそれでもケンカを続けようとして、彼の太い腕に捕まえられる。
大柄なウォンに、華奢な少女と小柄な男性が敵うはずはなかった。
「おい、放せウォン!」
「いけませんバク様。意地を張らないでください」
「な……っ」
「様。バク様は、本当は貴方を待っていたんですよ」
唐突にそう言われては目を見張った。
バクが暴れてウォンが喋るのを止めようとしたから、彼に無理やり羽交い絞めにされる。
必然的には開放されて、真っ直ぐにウォンを見上げた。
目が合えば太い眉の下の優しい瞳が細められる。
「貴方がここに来ることは、バク様にはわかっていたんです」
「え……?」
「最初、皆さんが驚いていたのはそのせいですよ。普通はそんな大怪我で動けるはずがないと思いますからね」
「…………………………」
「バク様は貴方が来たら、何はともあれ自分の前に突き出すようにとおっしゃられて。………………わかってはいても、その無茶を怒らなければならないと」
そう告げられて、はバクを見た。
彼はウォンに取り押さえられていたが、頬を真っ赤にして顔を背けていた。
ああ、今にもジンマシンが出そう。
「フォーや支部員の代表として、そうすると決めていらしたんですよ」
「…………そう、だったんですか」
はわずかに俯いて、吐息のように呟いた。
バクは何も言わない。
ウォンが手を離したら、一目散に逃げていきそうな様子だ。
その怒りが嬉しかった。
きっとフォーなら問答無用で首を狙ってきたはずだ。
蝋花なら涙目で叫んで、李桂なら頭をグリグリしてきて、シィフなら呆れたため息を何度も吐いたことだろう。
けれどそれは全部自分を想ってくれているからだ。
は顔をあげて、バクに言った。
「ありがとうございます、バク支部長」
「……………………、全然足りんな」
顔を背けたまま、バクはぼそりと呟いた。
「この程度では足りん。もっと怒りをぶつけてやりたいところだ」
「…………思い知ってますよ。もう」
「だから全然足りんと言っているだろう!」
今度は勢いよく怒鳴られる。
だからは同じくらいの勢いで、バクに飛びついた。
あまりに嬉しかったから、彼を羽交い絞めにしているウォンまで一緒に抱きしめる。
「私も全然足りません。何回ありがとうって言えばいいんですか!」
「ば……っ、な……、何をする!!」
「様は感謝を伝えていらっしゃるのですよ。西洋の“ハグ”というやつですね」
「そうそう。嬉しい気持ちや好きだって気持ちを表現する方法です」
「冷静に解説するなぁ!ジンマシンが……っ、ジンマシンがぁぁぁあああ!!!」
そこでバクの全身が赤い湿疹に覆われてしまったから、は慌てて彼から離れた。
驚きに目を瞬かせる。
ぐったりとウォンの腕に倒れこんだバクに訊く。
「どうしたんですか、バク支部長。私にだけは抱きつかれても平気だったのに!」
極度に興奮するとジンマシンの出る体質のバクだが、にだけはまったく無反応だったのだ。
言葉や態度での照れ隠しのときはよく発症していたけれど、それ以外では有り得ない。
本人曰く、「は女だとは思えない」、「意識するほどの相手か」だそうだ。
なんとも失礼な言だが、それで安心して抱きついていたのに、これはどうしたことだろう。
「かなり不本意だが、今の貴様は女にしか見えんからな……」
苦しそうに悔しそうにバクは呻いた。
は一瞬きょとんとして、それからその意味を理解して、何となく頬を染める。
ああ、そうだった。
彼らにはバレていたんだ。
以前アジア区支部にお世話になったときに、いつだって彼を迎えにいっていたのは自分だったから。
きっと今回も来るに決まっていると思われていたのだろう。
とりあえずバクにジンマシンを出させたことを謝罪して、恐る恐る口を開いた。
「ええーっと。その……、バク支部長?」
「何だ」
「私が来ることがわかっていたということは、あの……、つまりですね」
「だから何だ。いつもの貴様らしくハッキリ訊け」
「つまりアイツはここにいるってことですか」
バクの希望通り、はハッキリ訊いた。
というよりも自然とそんな口調になった。
だって何だか胸がどきどきしていて、誤魔化すにはそうするしかなかったのだ。
けれど目は逸らさない。
バクをじっと見つめて返答を待つ。
何故なら彼が自分をここで待ってくれていたのなら、それに応えなければならないからだ。
バクはしばらく沈黙した。
ただ真っ直ぐにを見つめ返した。
金色の瞳と灰色の瞳がぶつかり合う。
そこに宿る光と強さを感じ取ったのか、バクは吐息のように微笑んだ。
片手を伸ばしての金髪をくしゃりと撫でる。
そして言った。
「ついて来い」
鍵盤の上、黒白世界。私はそこで舞い踊る。