絶望の中、孤独に抱かれて生きてきた。
伸ばされた手を拒絶して、何も傷つけないように微笑んで。
愛にはぐれた子供たち。
求め合うことができたのはお互いだけだった。
その存在が、欲しかった。
Troumerei
アレンは私を殺すつもりなんじゃないだろうか。
はそんなことを考えた。
彼のキスはいつだって自分の全てを奪ってゆく。
呼吸も思考も意識も、何もかも。
胸が苦しくて息をつくこともできない。
唇が離れた隙に何とか自分を取り戻そうとしても、できるのはため息まじりの細い声を漏らすことだけだった。
何だか自分の声じゃないみたいだ。
甘ったるくて溶けてしまいそうな。
このままじゃ死ぬと思いはじめたころ、ようやくアレンはから唇を離した。
目を開けるとすぐ近くに潤んだ銀色の瞳があった。
指の背で頬を撫でられる。
衝動的に抱き寄せたくなったけれど、そうもいかなかった。
引きとめる気持ちが邪魔で、は囁く。
「…………ねぇ、抱きしめてもいい?」
アレンはわずかに目を見張った。
確かにらしくないことを口にしてしまったと思う。
こんなこといつもなら絶対に訊かないし、わざわざ了解を取ることでもない。
案の定、アレンは不思議そうに尋ねた。
「どうしたの。そんなことを訊くなんて」
「……………………」
「?」
「……………………、あれだけ会いたくなかったと言われれば、どうしても訊きたくなるのよ……」
促すように名前を呼ばれたから、わずかに下を向いて答える。
どうやら何でもないと思いつつも、自分はそのことをかなり気にしているようだ。
けれどこんなことを言うのは子供じみている気がした。
恥ずかしくなって本当に俯いてしまうと、アレンの声がした。
「駄目だよ」
ほら、バカなことを言うから拒否されてしまったじゃないか。
は居た堪れなくなって咄嗟に身を引いた。
瞳を逸らす。
けれど離れるより早く、肩を引き寄せられた。
「僕が、抱きしめる」
囁かれたのは耳元でだった。
気がつけばは背に両腕をまわされて、アレンの胸に身を預けていた。
ぎゅっと抱きしめられて頬が熱くなる。
ちょっとだけ泣きそうになった。
今までずっと我慢してきたものが緩んだのだろうか。
だってアレンに会えるまで負けるわけにはいかなかったし、彼のほうが傷ついているのにそんなのは許せない。
大切な人の孤独を壊したくてここまで来たのだ。
泣けるわけがなかった。
だから必死に涙を飲み込んできたのに。
はアレンにしがみついた。
体がわななく。
震えた声がこぼれる。
アレンはますます強くを抱きしめた。
それで本当に我慢できなくなりそうだった。
今になってやっと彼がきちんと自分に触れてくれたから、嬉しくて嬉しくて、同時にひどく安心してしまったのだ。
「」
アレンの吐息が耳に触れた。
そんなに優しく囁かないでほしい。
嫌だ嫌だ嫌だ。
いや、だ、なく。
けれどその直前で、アレンに顎を捕らえられた。
そのまま仰向かされてキスをされる。
はあまりに吃驚して涙が引っ込むのを感じた。
本当にさっきからどうしてしまったんだろう。
アレンは止まらない衝動のようにに触れてきた。
呆然としていると唇を割られて舌と吐息を絡められる。
これは恋人のするキスだ。
前々から彼が自分を好いてくれていることは知っていたし、こういうことをするのも初めてではない。
けれど抵抗するなと言うのも無理な話だろう。
自分達はハッキリそういう関係になったわけではないのだから。
は咄嗟にアレンの胸を叩いた。
「ちょ……っ、待っ、アレン!」
必死に身をよじると、アレンは何だか驚いた顔で動きを止めた。
「何?」
何だろう、この悪びれのない顔。
確かにさっき告白をしたようなものだけど、だからと言って展開が早すぎないか。
てゆーか、それ以前に。
「………………………あ、あの、アレンさんは私に会いたくないとか、触れたくないとか言ってませんでしたっけ……?」
「そうだったんだけど、一度抱きしめたらもう無理だよ…………。責任とって受け止めて」
アレンは最初の方こそ気まずそうだったが、最後の部分では完璧に開き直ったようだった。
がしりと両肩を掴まれる。
そのまま抱き寄せられそうになったから、は慌てて言った。
「いや、あの、私も傍にいたいってだだこねたから何も言えないんだけど!」
「じゃあ言わないで」
「えええええっ、そんな」
「だってどうしようもないんだ」
そこでアレンがわずかに切ない瞳をしたから、は黙った。
彼の指先が肩にかかる金髪を持ち上げて、梳いてゆく。
「ごめん、本当は喜んじゃいけないことだ。怪我だらけの体で無理をさせて、痛い思いも辛い思いもさせて……。それが嫌だからここにいたのに、結局こうやって君に甘えてる」
「それは……、いいのよ。だって私が」
「傍に居てくれることを嬉しいと思ってる……。ひどいことをしているとわかっていて、僕は君を突き放しきれない」
「突き放さないで。私はそれが一番嫌なの」
「………………ほら、そうやって僕を独りにしてくれないから。どうしようもなくなるんだ。傍にいれば、僕は」
アレンはの髪を離した。
ぱたりと手が下に落ちる。
彼は少しだけ笑った。
は何故だかアレンが泣いてしまうのではないかと思った。
「。僕が君に望んでいることを言ったら、君は僕を嫌いになるよ」
「……………………どういうこと?」
「好きだってことだよ」
はっきりとそう言われて、は頬を染めた。
けれど意味がわからない。
アレンが私のことを好きだと、私がアレンを嫌いになる?
が頭をひねって考え込むと、アレンは一度下ろした手を持ち上げて喉に触れてきた。
赤い指先が白い首に絡みつく。
あまりに扇情的なその光景。
アレンは苦しそうに瞳を細めた。
「君を見ていると、縛り付けておきたくなる」
声はとても小さくて、独り言のようだった。
けれど聞こえたその意味を理解した途端、は息を呑んだ。
思わず体を強張らせればアレンの指先に力がこもる。
そうされて呼吸ができないわけではないけれど、声も思考も確実に塞がれてしまった。
「他の誰にも触れられないように、僕の傍にずっと」
「……………………」
「…………、驚いた顔してる」
アレンはそこで苦笑した。
は何か言いたかったけれど、声が出ない。
こちらを見つめたまま、アレンは続けた。
「本当は、もっとひどいことを考えてる。君の意思を完全に無視した、自分勝手なことを……。止まらなくなりそうだ。特に、今は」
あぁまたそんな目をするんだね、とは思った。
喉の奥から感情がせりあがってきて痛い。
はアレンに向けて手を伸ばした。
「けれど独りよがりな気持ちで、君を傷つけたくないから」
「……………………」
「だからもっと強く、君に会いたくないと思ったんだ…………って痛い痛い痛い!!」
言葉の最後でアレンは悲鳴をあげた。
何故ならがその頬に掌を添えると、そのまま思い切りつねりあげたからだ。
険のある目でアレンを睨みつけながらぎゅうぎゅう引っ張る。
アレンが涙目でその手を引き離せばの喉も自然と開放されたので、ハッキリと言ってやった。
「調子にのんな」
かなりガラの悪い声が出た。
けれど構うものか。
くだらないことを言うアレンが悪いのだ。
「あんたは私を見くびりすぎよ」
「………………は、はぁ?」
「私がまるで何もわかっていないと決め付けてる。ああ、むかつく。ばかにしやがって!」
「な、なに。怖い…………」
「辛いときは迷わず呼んで」
そこで真剣な声を出すと、アレンの動きが止まった。
手が離れてしまっていたからはぎゅっと繋ぎなおす。
「私がそれを望んでいるのよ。アレンが引け目を感じる必要なんてないんだから」
「でも…………」
「グダグダ言わずに私に頼るの!あなたはもっと自分に優しくしたほうがいい」
言いながら、はアレンの頬を撫でた。
自分がつねって真っ赤にした、そこを。
「“マナ”の愛を信じたいと思う、自分に」
「……………………」
「ついでにあなたを想う私の気持ちを」
「……」
「信じてくれると嬉しい」
それだけ告げるとはアレンの肩に手をかけた。
身を乗り出して近づく。
そうしてさっきまでつねったり撫でたりしていたアレンの頬に、キスをした。
アレンは少し吃驚したようだった。
妙に体を固くしたから、は今度は口元に触れた。
唇を重ねれば繋いだアレンの手が思い切り強張る。
変なの。
いつも自分からしてくるくせに、どうして私からだとそんなに驚くのだろう。
キスをしながらは不思議に思った。
唇を離して目を開ければ、アレンは真っ赤になっていた。
何だか声も出ない様子だったから、は言う。
「アレンって本当に私が何も考えてないと思ってる?」
「……………………」
「あのね……、それだと私は何て貞淑からほど遠い女になるの」
「…………、だって」
「何よ。そもそも本当に嫌ならアレンなんてとっくに私のイノセンスの餌食でしょ。完璧に八つ裂きにされて、空気の一部になってるはずでしょ」
「それはそうだけど…………っ」
「さらに言うと、何とも想ってない奴のためにこんなボロボロの体引きずってやって、こんなよくわからん場所までやって来ますか!何だここまでの道。芸術的すぎて言葉も出なかったってのよ!!」
「ええっ、そんなところダメ出し……!?」
「あと、自分勝手な感情で私を触れたくないとか言ってたけど。それこそ調子にのんな」
「は、はい………………」
「私は」
そこでは微笑んだ。
アレンを見据えて、いつものように。
強気な笑顔を浮かべる。
「そう簡単に、奪われたりしないんだから」
言うが早いか、もう一度こっちから唇を奪ってやった。
これが傷つける行為ではないと伝えるために、優しく触れる。
そして首に腕をまわして抱きしめると、は目を閉じた。
「大丈夫。縛り付けておかなくても、私はここにいる。あなたは何も失わない」
アレンが恐れているのは、愛する者の消失だ。
突き放された両親と、喪った“マナ”。
何度も愛情に裏切られて、だからこそ次を恐怖する。
求めれば手を離される。
抱きしめれば消えてしまう。
傷つければそこで全てが終ってしまうと、そう思っているのか。
にはわからなかった。
けれど彼が自分を失うことを恐れていることだけは理解できた。
だから傍に縛り付けておきたいだなんて言うのだ。
だからこの存在に求めながらも、本当に触れることを躊躇するのだ。
「アレン」
は母のように恋人のように、愛のようにアレンを抱きしめた。
頼ることも甘えることも相手を傷つけるだけだと思い込んでしまった、彼の哀しい優しさを溶かすために。
「そんな風に躊躇っていたら、私が先に全てを奪ってしまうよ」
ありったけの愛おしさを込めて囁いた。
「あなたの哀しい心ごと全部、ね」
ああ、本当に奪ってやりたい。
悲しみも苦しみも孤独も絶望も全部奪いつくして、あたたかい感情だけに満たされてくれたらいいのに。
泣き出しそうな衝動でそう思って、は強くアレンを抱きしめた。
何もかもを私にちょうだい。
そして幸せな笑顔を見せて。
溢れ出しそうな感情に吐息をつけば、強い力を感じた。
アレンの両腕が背中に回されて抱き返される。
存在を確かめるように抱擁されて、はわずかに震えた。
「……………っ」
耳元でアレンが息を詰めた。
苦しそうに呼吸を繰り返して、囁く。
「……。僕はマナを愛してる」
「うん」
「だから怖い。父を信じられなくなりそうで……」
「不安に襲われたのなら、もう一度歌おう。あなたへの愛が溢れるあの旋律を」
「………………一緒に?」
「一緒に」
「傍にいてくれるの?」
「傍にいるよ。嫌だと言われても、絶対に」
は微笑んで、アレンの髪を撫でた。
「私は、あなたの隣にずっといたいと願ってる。これからもさんがどれだけしぶといか思い知らせてあげるつもりよ」
「…………思い知っているよ。こんなこと、君じゃなきゃできっこないんだ」
アレンはわずかに笑ったようだった。
「僕みたいなひどい奴の相手ができるのは、常識破りな君くらいだよ。」
「私みたいな面倒な奴の相手をしてくれるあなたも、そうとう常識破りだと思うんだけど」
「そう、かな」
「だって私、本名も言えないような人間だもの。誰もこんな女を、す……、すき、だなんて思わないでしょう」
「…………そんなこと」
アレンはがつっかえながら言ったことに反論しようとしたが、ふいに口を閉ざした。
が不思議に思えばますます強く抱きしめられる。
「うん……、君に“好き”だと言うのは僕だけでいいよ」
「……………………」
「、これがどれほど幸せなことかわかる?大切な人が、自らの意思で傍にいてくれるということが…………」
「…………わかるよ。私も、何度も置いていかれた。“待って”と叫んでも、誰も振り返らずに」
もアレンを強く抱きしめた。
「あなたは、いなくならないで」
「……………………」
「繋いだ手を離さない。私が哀しみを壊すから。あなたを、守るから……。お願い、傍にいさせて」
「傍にいて」
もう一度ぎゅっと力を込めると、アレンはの肩に両手を置いて、少しだけ身を離した。
瞳を見つめ合えば狂おしい感情に、どうにかなってしまいそうだった。
「僕は君を求めてる」
アレンは掌での頬を覆った。
伝わる体温が愛おしくて、指先を伸ばす。
手を重ねるとは微笑んだ。
「私も、あなたを求めてる」
だってずっと独りぼっちで生きてきた。
本当の意味で、他人を求めてはいけないと思っていた。
何故なら二人とも呪われた運命、それに伴う孤独を背負っていたからだ。
愛を失ったあの日からさ迷い続けて見つけたのは互いだけ。
同じ苦しみを知っているからこそ、それすらも飛び越して強く望むことができたのだ。
求め合わずにはいられなかったのだ。
好きだなんてもう言えなかった。
あいしてるという台詞も無理だ。
そんなものは到底心に追いつけない。
二人はどちらともなく唇を重ねた。
何もかもが旋律だ。
言葉も呼吸も鼓動も眼差しさえも、互いの孤独を壊して光で満たすための音。
愛を奏でる唄だった。
存在そのものが、その心の象徴だった。
永遠に唄い続けよう、世界にたった
ひとりの君に。