当店には美少年・美少女、置いてあります。
ただしとても凶暴です。
ハートをぶち抜かれないようご注意を。







● 蝶と口づけ  EPISODE 1 ●







それはハンガリーの西部に位置する村でのことだった。
面積が狭ければ人口も少ない。
隣街に行こうと思えば、森を一日かけて抜けなければならないような辺鄙な場所である。
立ち並ぶ家は古き伝統をうかがわせる木造りのもので、傍らには畑が広がっている。
村民は朝から晩まで農作に励み、質素ながらも温かみのある生活を送っていた。
まるで絵に描いたように穏やかな村の日常。


それを打ち壊したのは一発の銃声だった。


「手をあげろ!金を出せ!!」


そんな声をあげながら数人の男が『カフェ・イグナーツ』になだれ込んできた。
村はずれに位置するその店は、カフェと冠しているが実質は宿屋である。
けれどこんなところを訪れる旅人などそうおらず、村の食事どころとしても営業しているのだ。
店内を見渡せば木で作られた壁と床。
天井からはつる草の巻きついたランプが下がっている。
丸いテーブルがいくつかと、備え付けのカウンター。どこも満席だ。
天気がいいからテラスも開放してあって、そこも人で埋まっている。
村にただ一軒の店だからといっても繁盛しすぎの印象を受ける。
男達は視線を一周させると、もう一度銃を構えた。
それは見せびらかすような動作だった。


「聞こえねぇのか!手をあげろ!!」


言いながらまた天井に向けて銃を撃つ。
平和ボケした村民達もようやく状況を理解して悲鳴をあげた。
どよめきが走り統一性のない動きで、しかし客の全員が言われたとおりに手をあげる。
強盗犯たちはそれに満足してにやりと笑った。


「いいか、命が惜しければ動くなよ。さぁ金を出せ!店の人間はどこだ!?」


呼びかければ、カウンターに寄りかかった女性が反応を返した。
彼女は強盗犯たちが見える位置で唯一手をあげていない人物だった。
恰幅のいい体に白いエプロンをつけている。
貫禄のある顔をしていて、もしかしたら店主かもしれない。
しかし彼女は自分で彼らに対応しようとはせずに、ひとつに縛った赤い髪を揺らして店の奥を振り返った。


。お客が呼んでるよ」


その口調はこの非常時には不似合いのものだった。
冷静と言うよりは日常的すぎる響きがある。
ついでに嫌そうな感情が大量に含まれていた。
そして呆れとも取れるその声に呼ばれて姿を現したのは、丸いトレイを抱えたひとりの少女。


「聞こえてますよ、もー。店の中でドンパチうっさい」


それは先ほどの店主よりも、さらに嫌そうな口調だった。


「……………………」


男たちは揃って目を見張った。
息を吸い込んで動きを止める。
その原因は、視線の先にいる少女の容姿にあった。
テーブルの間を縫うようにやってくる、彼女の肩口で揺れる長い髪。
頭の後ろで小さく結って残りを背に流した、その色。
それはまるで黄金を梳いたように光り輝いていて、視線を奪われる。
この地方に金髪の人間は珍しい。
そしてさらに珍しいことに、瞳の色まで金色だった。
見たこともない色彩に映える白い肌。


「何でいつも私が対応しなきゃいけないんですか」


ぶちぶち文句を言う唇は花の色で、それらの乗っかった顔の造作は完璧だった。
ただでさえ滅多にお目にかかれない容貌なのに、加えて彼女は素敵な格好をしている。
紺色のワンピースに白のドレスエプロン。
メイド服と呼んでも差し支えないようなウェイトレスの衣装だ。
頭には動きを邪魔しないように控えめな、それでも繊細な造りの髪飾りが飾られていた。


こちらに歩みを進めながら、と呼ばれた少女は店主に言った。


「確かにこういうのには私の役目でしょうけど。店長、少しは私の心配とか。店を守るために自分が何とかしようとか。そーゆーのはないんですか」
「ないね」
「即答だよ」
「乱暴な客は嫌いなのさ」
「店の代表としてどうなのソレ!」
「いいからキリキリ働きな。あんたが呼び込んだ客だろう」
「濡れ衣だっ」


はトレイを振り回して吠えたが、店主はあっさりと返す。


「ここ最近、店が繁盛しているのはあんたたちのおかげだよ。同時に厄介事まで持ち込んでくれて、本当にねぇ」
「こ、今回は私のせいじゃ……っ」
「それに男の客は全員あんた目当てだ。今おいでなすったのも男の客だ。あんたが相手をするのが当然の成り行きだろう、
「それってどういう理屈……!?」
「店長命令だ。ほれ、とっとと接客しておいで!」


叱り飛ばすようにそう促されて、はしゅんと頭を垂れた。
イヤイヤながらに足を運び、銃を構えた一団の前に立つ。
一度目を閉じて、小さく息を吸う。
そうして面倒くさがっているのが丸わかりの表情を引っ込めると、とびっきりの笑顔を浮かべた。


「いらっしゃいませ!ようこそ『カフェ・イグナーツ』へ。何名さまでしょうか?」


普通だ。
あまりに普通の対応だ。
しかもこう続けられる。


「申し訳ありません、当店はただいま満席でして……。すぐにご注文をお受けすることができないのですが」
「………………………………」
「それと店内は銃火器厳禁となっております。ご協力よろしくお願いいたします」
「…………いや、あの」


接客の基本である四十五度のお辞儀をきっちりとされてしまっては、どうにも対応しにくい。
強盗犯が狼狽した声を出すと、はぱっと顔をあげて営業用の笑顔で返事。


「はい、何でしょうか!何なりとお申し付けくださいませ」
「あ、あの……俺たちは」
「ああ、申し訳ありません。私のお出迎えの挨拶がなっていませんでしたか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「“いらっしゃいませ”はもう古いですものね。今時は“お帰りなさいませ、ご主人様”ですよね。語尾にハートもお付けいたしますね」
「だからそういう問題じゃ……、何の店だよココ!!」
「では早速やりなおさせていただきます」


はあくまで丁寧にそう言って、軽く首を傾ける。
そして周りに花が咲き乱れそうな満面の笑みで言った。


「お帰りくださいませ、ご主人様!対処が面倒だから今すぐ帰宅しろこの強盗犯が!!」


瞬間、音を立てて店内の空気が固まった。
言ってはいけないことを、有り得ない台詞で、しかも見惚れそうな笑顔で言い放った少女に、全視線が集中する。
気のせいか、空耳か、幻聴か。
即座にそうであることを願う人々の前で、はさらに言った。


「それが嫌なら黙って飲んで食ってから帰ってください金ヅル共」


あくまで笑顔の、その見てくれだけは完璧な接客態度である。
しかし口にする言葉がおかしい、おかしすぎる。
ようやく一人の男が我に返っての胸倉を掴もうと手を伸ばした。


「なっ、何を、この小娘が!」


という台詞の最後はにぶい打撃音に消えていった。
が手にしていたトレイを横薙ぎに振るって、その男の側頭部を殴打したのだ。
男は悲鳴もあげることなく床に昏倒する。
は優雅な足さばきで彼の手から銃を蹴り飛ばした。
再び店内は唖然とした空気に包まれる。
金髪のウェイトレスはやはり笑顔のままだ。


「店内での暴力行為は困ります」
「お前が言うなよ!!」


もっともな突っ込みを入れたのはの真正面に立った男だった。
どうやら彼がリーダーらしい。
これ以上ないまでの暴力行為で強盗犯を一人倒した少女に一斉に銃が向けられる。
男は狼狽しながらも仲間を助け起こすと、を睨みつけた。


「何しやがる、テメェ!!」
「そっちこそ何しやがってるんですか。真っ昼間から強盗とか、最近の若者は血気盛んだなぁ」


言葉の後半は独り言のようだった。
普段どおりの口調でそう呟くと、は男達を見つめて再び笑顔で言う。


「そんなに元気が有り余っているのならボランティア活動とかに勤しんでみたらどうでしょう。そのほうがずっと世間受けいいですよ?好青年に見えますよ?そして、なんと!」
「な、何だよ……っ」
「女の子にもモテちゃいます!!」
「知るかぁ!!」


さも素晴らしいことかのように目を輝かせて力説するに、強盗犯は悲鳴じみた声をあげた。
自分たちは恐怖されるべき犯罪者のはずなのに、どうしてこうも笑顔を向けられているのかわからない。
しかも言っていることが変すぎる。
とりあえずリーダーの男は当初の目的を叫んだ。


「て、抵抗をするな!金だ!金を出せ!!」
「かね、ですか……」


は唇に指先を当てて何かを考え込む。
それからエプロンのポケットから簡易メニューを取り出すと、上から下まで目を通し始めた。


「申し訳ありません。残念ながら当店には『かね』というメニューは存在していないようで」
「馬鹿にしてんのか!そうじゃなくて現金を寄越せって言ってんだよ!!」
「はい?どうして私どもがお客様にお金を?むしろこちらが寄越せと言う立場ですよ?」


よく考えればもっともなことだが、この状況で平然と口にすることではない。
はさらに腕を組んで続ける。


「知っていますか、その昔とある学者が言った言葉を。“経済とはすなわち客と店との相互理解から……”」
「どうでもいい!何なんだよお前は!!」


怒鳴り声に説明を遮られて、は一瞬不満そうに唇を歪めた。
けれども笑顔は忘れない。
右手で華麗にトレイを回すと、胸元に抱え込んでお辞儀をした。


「どうも。少し前からここでアルバイトをさせてもらっている、です。メルヘンの国出身の乙女です」
「どこだよソレ……!」
「本業はエクソシストなんですけど、今は鬼店長にこき使われる悲劇のウェイトレスです!」
「え、えくそしすと……?」


リーダーの男は聞きなれないその言葉に眉を寄せたが、他の仲間たちは気に止めなかったようだ。
倒された男を抱える彼を後ろに押しやって、の前に数人が出る。
そして金髪のかかる額にぐっと銃口を押し当てた。


「自己紹介をどうも、お嬢ちゃん。けれどそんなことはどうでもいい」
「聞いておいてその態度ですか。店によっては追加料金取っちゃうようなプライベート情報だったのにな」
「…………覚えておきな。その程度のことじゃ、男を喜ばすことはできねぇぜ」
「ああ、むしろ不快にさせてやりたい気満々だったんで。それはよかった、大成功!」
「……っ、この!!」


あくまで平然と言葉を返すの腕を、気の短い男が乱暴に掴んだ。
自身は特に反応を示さなかったが、後ろで見ていた客から声があがる。
そのうちの勇敢な男性が制止の言葉を叫んだ。
強盗犯は少女の小さな体を引き寄せて今度は顎の下に銃を押し付ける。


「うるせぇ、黙ってろ!俺達の邪魔をしたこの女が悪いんだ!!」
「いや、貴方たちこそ商売の邪魔なんで帰ってくださいよ」


銃口の硬さに若干顔を歪めながらも、はやはり平然と言った。
それから視線だけで背後を振り返り、軽く片手を挙げてみせる。
ヒラヒラと振りながら微笑んだ。


「だいじょーぶです。ご心配なく、お客様たち。どうぞお食事を続けてくださいませ」
「何が大丈夫だ!テメェの命なんざ、俺の意思ひとつで決まるんだぞ!!」
「耳元で叫ばないでください、やかましいですね。こっちだって店長の意思ひとつで今日のお給金が決まっちゃうんですよ、いろいろ大変なんですよ!」
「その店長が言わせてもらうが」


そこでカウンターにもたれかかったままの店主が口を開いた。
腕を組んでけげんそうにの背中を見やる。


「いつまで遊んでるつもりだい。早いとこ仕事を片付けな」
「………いや、あの、でも。私の一存でやっちゃうと、店長また怒るでしょう……?」
「他のお客様を待たせても、私は怒るぞ」
「それは、その………………つまり了承してくれるということで?」
「…………………………………………………………物は壊すんじゃないよ」
「っ、ハイ!」
「皿一枚、カップひとつでも割ってみな。晩飯抜きだ」
「ハイハイハイ!がんばります!だからごはんください、おかずは七品目揃えてください、豆乳もつけてください、お願いしまっす!!」


は片手を高く振り上げて、大声でそう言った。
生返事ながらも店長はそれを承諾し、店の意向が決まったようだ。
は両拳を握って何故だか俯く。
その肩が細かく震えているのに気がついて、男はさらに銃口を彼女の白い肌に食い込ませた。
嫌らしい笑みを浮かべて高らかに訊いてやる。


「何だテメェ。俺達に歯向かったことが、今になって怖くなったのか!?」


「いいえ、むしろこういうのこそ得意分野です!」


顔をあげたは、今まで以上の素敵な笑みを浮かべていた。
喜びに震えながらの会心の笑顔だ。
しかし誰もが見惚れそうなその表情は、すぐさま野生の動物を思わせる鋭いものに一転する。


言葉の最中で視界を翻る金髪。
は持っていたトレイを高く放り投げると、自分に銃を突きつけてくる手を掴んだ。
そこにあった急所を押さえて腕の機能を麻痺引き起こし、男から銃を叩き落す。
同時にその髭面をつま先で蹴り上げた。
脚は綺麗に開いたが、スカートの中身を確認できるほどそうしている時間は長くはない。
は振り上げた足の勢いのまま後方側転をし、低い姿勢のまま飛び出して一番近くにいた男のみぞおちに拳を埋める。
崩れ落ちるその体を足場に跳びあがり、空中で身をひねって三人の男をなぎ倒す。
着地から立ち上がる動作で一人の顎を跳ね上げ、肘を突き出し同時に背後の二人の胸を突く。
踊るように動いて方向転換をすると、その回転力を生かしたまま鋭い回し蹴りを打ち放った。


一瞬のことだった。
男達は声もなく床に落ち、散らばって倒れ伏す。
の周りに立っている者はもういない。
何とも華麗に強盗犯たちを叩きのめしたは、片手を持ち上げて落ちてきたトレイを受け止めた。
それをくるりと回すと胸元に抱き込み、優雅に一礼。


「逝ってらっしゃいませ、ご主人様。…………なーんてね」


は自分の言葉を笑い飛ばすと、小さく舌を出した。
それから前に来てしまった髪を払いつつ、目の前を見下ろす。
視線の先にいたのは唯一意識のある強盗犯………………リーダーの男だった。
彼は最初に倒された仲間を抱え起こしていたので、の攻撃範囲から外れていたのだ。
男は眼前に広がった信じがたい光景に呆然としていたが、無遠慮に近づいてくる恐ろしいウェイトレスの存在に気がついて奇妙な悲鳴をあげた。
腕の中の仲間を放り出し、両手で銃を構える。
けれど銃口が震えていて照準が合わない。
はそれをまったく無視して、花のような笑顔を浮かべた。


「あぁ、スッキリした!もう貴方たちが店に入ってきた瞬間からぶちのめしたくって仕方なかったんですよー」
「……………」
「でも、私も一応雇われの身ですから。勝手に暴れると店長に怒られちゃうんです。物を壊せばお給金から容赦なく引かれますし……。借金があるのにそれは厳しい」
「……………………………」
「まぁ店長の了承が得られたので、もはや怖いものなしですけど!」


ウキウキと弾むような声でそう言うと、は男の眼前で足を止めた。


「とゆーわけで、そろそろ本当にお暇していただきます」
「な……、なっ……」
「普通にお客としてきていたら、店長のおいしい料理が振舞えたのに。あなた達はこれから牢獄で“クサイ飯”ってのを食べなきゃいけないんですよね。可哀想に。同情します」
「そんな……、そんなことが」
「ま、自業自得なんで。それなりに痛い目みてきてください。それじゃあ」
「ま……っ、待て待て待て!!」


言いながら笑顔で拳を構えるに、男は銃をぶんぶん振り回して突きつけた。
それでもが止まろうとしないから必死になって叫ぶ。


「待てって言ってるだろう!」
「人生のガチンコ勝負に、そんな手が通用するとお思いで?」
「ちがっ、だから待てよ!これで勝ったと思うなよ!!」
「いいからとっととお見送り!逝ってらっしゃいませっ」
「なかまが!仲間がいるんだよ!!」


全力でそう訴えると、ようやくは動きを止めた。
数回瞬きをしてから上体を起こす。
きちんと起立すると、片手を腰に当てて男を見下ろした。


「……仲間?」
「そう!そうだ、仲間だ!!」


男はとりあえずの危機を回避したことに安堵し、声を大きくした。


「外にまだ俺達の仲間がいるんだよ!」
「ふぅん……。こんな小さな店を襲うのに、何てご大層な」
「は、ははっ!あいつらがいればお前なんて!!」


男は銃をに向けたまま壊れたように笑い出した。
もがくように立ち上がると、扉まで進んでゆく。
はそれを普通に眺めていたが、止める素振りを見せなかったので、男は諦めたのだと思ったのだろう。
必死に余裕の笑顔を取り戻すと、ノブに手をかけた。


「さぁ、俺達をコケにした報いを受けてもらうぜ!!」


そして開け放たれる扉。
けれどそれは内側からではなく、外側から開かれた。
仲間が頃合を見計らって入ってきたのだと思った男は、勝利に顔を輝かせる。
心強い援軍の姿を認めようと、勢いよく振り返った。


「…………………」


それから絶句した。
息を止めて硬直する。
その視界には穏やかな笑みが一杯に広がっていた。


「ああ、すみません。お客様ですか?いらっしゃいませ」


柔らかい口調で言われて、丁寧に頭を下げられる。
そこにいたのは男の仲間ではなかった。
陽に透ける白い髪に銀灰色の瞳、整った顔に素敵な笑顔を浮かべた少年。
買い物帰りの様子で、両腕に大きな紙袋を四つ抱えていた。
服装は白いシャツに黒いベスト、同色のスラックスだ。
彼はウェイターなのだろう、それは店の制服だと推測できた。
その証拠に店の中からが言う。


「おかえり、アレン」
「ただいま、。店長、戻りました」
「ああ、買出しご苦労」


奥のほうから店主もアレンと呼ばれた少年に声をかける。
それから彼女は皮肉気な笑みを浮かべた。


「あれだけたくさん頼んだのに、仕事が早いねアレンは。どこぞの馬鹿娘とは大違いだ」
「えええええ、何そのひどい言い草!私けっこう気を遣いながらもがんばったのにっ」


が抗議の声をあげたが、店主に軽く鼻を鳴らされる。
アレンは二人が言い合う声を聞きながら店内を見渡した。
そしての後ろに数人の男が倒れ伏しているのを見つける。
彼はそれだけで状況を理解したようだった。
驚いた様子もなく、ただ憂いを帯びたため息を吐き出す。


「店長、そんなにを責めないでやってください」


店主はおや、と目を見張った。
この白髪の少年がの弁護をしたことなど、今まで一度もなかったのだ。
アレンは首を振りつつ続けた。


「これでもこの馬鹿は馬鹿なりに一生懸命なんですよ馬鹿だけど。あと馬鹿と比べられて勝つのは当然なんで、そんなに誉めないでください」
「うわぁい、私のこと庇ってくれるんだねアレン!ありがとう!お礼に一発殴らせろっ」
「そんな悪意に満ちた感謝はいりませんよ。それに僕が君より仕事ができるのは事実ですし」


アレンはさも当然のように断言した。
が反論したが、華麗にスルーだ。
そうして店主に笑顔を向ける。


「頼まれた物は全て買い揃えてきました。ああ、それと店の前が散らかっていたので」


言いながら、アレンはドアを大きく押し開いた。
扉板に邪魔されていた部分が見えるようになり、視界が広がる。
アレンは軽く首を傾けて微笑を深めた。


「片付けておきました」


その瞬間、ただでさえ少年の登場に固まっていたリーダーの男は、今度こそ完全に硬直した。
呼吸はもちろんのこと、血の巡りまで止まってしまったのではないかと疑うほどに顔色を失う。


何故なら扉の向こうに、頼りにしていた自分の仲間達がひとり残らず倒れ伏していたからだ。


白目を剥いている者もいれば、泡を吹いている者もいる。
とにかく全員まとめて意識を失っていた。
口ぶりから察するに、仲間たちを昏倒させたのは白髪のウェイターだ。
けれどどうやったらこんな少年が大の男数人を叩きのめせるのか。
大いに疑問ではあったが、先に華奢な少女が暴れるというもっと有り得ない光景を見ていたので、これが現実であると納得せざるを得ないようだ。
ちなみにが倒した数人はあちらこちらに吹っ飛んでいたが、アレンが手を下した数人はきちんと山になって倒れていた。
これは恐らく性格の違いだろう。


店の外の惨状を見て、店主は声をあげて笑った。


「ほれ見ろ、!やっぱりアレンの方が仕事が早いじゃないか」
「当然です。店周りの掃除は、僕の当番ですからね」
「うう……っ、二人揃って私を貶すなぁ!」


が悔しさに涙を滲ませると、アレンと店主が一緒になって笑った。
リーダーの男は冷や汗が止まらない。
何だこのほのぼのした空気。
まるでこれが日常だとでも言うようだ。


「そんなに仕事が早いのなら手伝ってよ、アレン」
「嫌ですよ」


ふくれっ面で頼んだを、アレンは音速であしらった。
傍で棒立ちになっているリーダーの男に「失礼」と断ると、その脇をすり抜けて店の奥に入っていく。
カウンターに荷物を下ろしながら言った。


「店内の掃除は君の当番でしょう、
「そうだよ、きちんと働きな」
「…………………、はーい」


は不本意そうながらも頷いた。
どうやらアレンと店主の言が正論であると悟ったらしい。
ひとつため息をつくと、リーダーの男に向き直った。
そこでやっと男は硬直から解放された。


「ひい!」


金の瞳に見つめられて悲鳴をあげる。
はどこまでも普通にこちらを眺めているだけなのだが、これから何が起こるかと考えると、恐ろしいことこの上ない。
リーダーの男は逃げようとして後ろに尻餅をついた。
立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまって上手くいかない。
がてくてく近づいてくる。
孤立無援の男はもう他にどうしようもなくて、手にした銃を金髪のウェイトレスに向けた。


「く、くく来るなぁ!」
「うん、それは無理」


は真顔で言い切った。


「これが私のお仕事です。きちんとこなさないとお給金が下がるんです。店長に怒られるんです。アレンに馬鹿にされるんです。そんなのごめんだ、さぁ大人しく蹂躙されろ!」
「冗談じゃない!!」
「はい、冗談じゃありません。バッチリ本気ですよー」
「言いながら拳を振り上げるな!お、お前、この銃が見えないのか!?」
「ご心配なく。視力は両目とも1.5です」
「怖くないのかって聞いてんだよ!!」


必死にそう叫んで銃を突きつけてくる男に、はきょとんと目を見張った。
不思議そうに唇に指を当てる。


「拳銃が、ですか」
「そ、そうだ。撃たれたらひどい目にあうんだぜ……っ」
「うん、でもホラ」


言いながらはエプロンのポケットに片手を突っ込んだ。


「そーゆーのなら、私も持ってますよ?」


そして取り出してきたのは光る黒い物体。
どこからどう見ても、完璧に完全に、紛うことなき拳銃だった。
それがのポケットから普通に出てきて、彼女の白い手に握られている。
店の中に居る大半の人間が、これは夢だと思った。
だってウェイトレスがエプロンに銃を忍ばせているだなんて有り得ない。
ましてやはまだ少女で、自称聖職者だ。
ますますもって有り得ない。
皆が唖然とする中、アレンだけが嬉々とした声をあげた。


「ついに尻尾を出しましたね!これでようやく君を社会的に告訴できます。凶器保持の罪状で!!」
「そーゆーこと、顔やら舌やらがぜんぶ凶器のヤツに言われたくないな」
「…………それだったら、君なんて存在自体が凶器じゃないですか」


アレンはの言葉に半眼になって腕を組んだ。
何だかちょっとだけ頬が赤い気がする。
店主がそれを意味ありげな眼で見ていた。
その和気あいあいとした雰囲気の中、リーダーの男は尻を引きずるようにして後退していた。
腰が抜けていて立ち上がることは出来ないが、何とかから離れようと試みる。


「私が凶器?どこが?最高に人畜無害だっていうのに」
「その発言からもう駄目です。人畜有害すぎます」
「だーから、どこがよ!」


はアレンを睨み付けたまま床を蹴った。
一瞬にして距離を縮められてしまい、男は悲鳴をあげる。
同時に唯一の武器を取り落としてしまったから、もうどうしようもない。
今だにアレンの方を向いたままのがそれを蹴り飛ばし、自分の銃を突きつけてくる。


「どこからどう見ても安全な乙女じゃない!」
「どこからどう見ても危険な生物ですよ」


リーダーの男はアレンの意見に賛成とばかりに、ぶんぶん頭を縦に振った。
それに気がついてが口元を歪める。
一瞬後にはにやりと殺人的な微笑を浮かべた。


「……そう。お客様は危険な私がお望みなんですね」
「な、何でそうなる……」
「いいですよー。ご希望どおりにしてあげます」
「だから誰が……っ」
「“手を挙げろ。死にたくなかったらな”………………決まり文句と言えばこれですかね?」


普段より一オクターブ低い声でそう囁かれて、男は悲鳴をあげた。
があまりに自然な動きでセーフティを解除するから反応が一瞬遅れたが、言われた通りに両手を挙げる。
は満足とばかりに笑った。


「ね、銃を向けられるのって嫌な気分でしょ?」
「あ、ああ……。だから早くそれを下ろしてくれ!」
「うーん」
「要求通りにしてるだろ!?俺は死にたくねぇんだよ!!」
「でも、私」


は言いながら小首をかしげた。
少女らしい可愛い仕草だ。
その手に拳銃が握られていなければ、の話だが。
そして彼女は何とも愛らしい様子で微笑んだ。


「最初っから撃つ気満々なんですよね!」


明るい声でとんでもない台詞を言い放つ。
もう何度目かわからないが、度肝を抜かれて男は蛙が潰れたような声を出した。
それでもは構わない。
まるで鼻歌でも歌いだしそうな様子だ。
少女の華奢な指先がトリガーにかかり、ぐっと力が込められる。


死ぬ。


男はそれを悟ると、もう悲鳴をあげることもできなくて、ただきつく目を閉じた。
一瞬後、男は衝撃を感じた。
正確には顔面に、それを受ける。


顔全体を濡らすように、勢いよく水が襲い掛かってきたのだ。


驚いて目を開けると、が銃をもう一度撃った。
その銃口から出てきたのは透明な液体で、男の顔をびしゃりと濡らす。
遠くの方で客の一人が拍子抜けしたような声を出した。


「な、何だ……。水鉄砲か…………」


しかしその呟きは強盗犯の盛大な悲鳴によってかき消された。
男は水鉄砲で撃たれた顔面を覆い、泣きながら床を転がりまわる。
は銃を指先でくるりと回すと、手早くポケットの中に戻した。


「そう。水鉄砲ですよ」


そして金髪を翻して微笑んだ。


「中身は熱湯ですけどね」


店の奥からはアレンが警察に電話をしている声が聞こえてきていた。













「またお前らか……」


夜になってようやくやってきた警官は、アレンとの顔を見た途端そう呻いた。
彼はこの村の人間ではない。
あまりに小さい村落のため、自警団程度しか組織されていないのだ。
そのため警察を呼ぶとなると、隣町から出向いてもらわないといけなくなる。
遠路はるばる強盗犯たちを引き取りに来た警官は、額に手を当てて嘆いた。


「どうしてこうも面倒なことをしでかすんだ。こんなちっぽけな村に、強盗だなんて……。前代未聞だぞ」
「それは私たちの責任じゃないでしょう?」


いくつかのティーカップを運びながら、が言った。
閉店後の店内はとても静かで、昼間の忙しさが嘘のようだ。
はテーブルに腰掛けた警官とその部下達の分の茶器を並べてゆく。
働くウェイトレスを眺めながら、警官は思い切り眉をひそめてみせた。


「いいや、絶対にお前らのせいだ。お前らが来てから何度ここに呼ばれていると思っている。まったく冗談じゃない」
「冗談じゃないのは僕ですよ」


お茶請けのお菓子を手に店の奥から出てきたアレンが、大いに不満そうに口を挟んだ。


「“お前ら”って言わないでください。問題を呼び起こすのはだけです」
「ちょっと、なに自分だけ言い逃れをしてるの」
「真実を言ったまでです」
「アレンも同罪だろう。なぁ、ドリーさん」


警官は視線を同じテーブルに腰掛けている女性に移した。
ひとつに縛った赤い髪と茶色の瞳。
恰幅のいい体型で、年齢はよくわからない。
根が紳士なアレンが女の人に齢を聞けるはずもないし、も女性好きとしてそれがタブーだと思っている。
そのため彼女がいくつなのかは二人の間で謎となっていた。
年齢不詳のこの女性こそ『カフェ・イグナーツ』の店長にして、アレンとの雇い主、イグナーツ・ドリーである。
ドリーはちらりと横目でアレンを見た。


「弁護してやりたい気もするけどね。どうにもアレンには、の暴走を容認しているようなところがあるからな」
「まさか!そんなわけ……」
「ないと言い切れるかい」
「う……っ」
「まぁ、が暴れるときは、暴れるだけの事が起こったときだからねぇ。私も強くは叱れないさ」


ため息混じりにドリーが言ったことを聞いて、は思わず注いでいた紅茶をこぼしそうになった。


「うっそだぁ!あれだけ怒っておいて、そーゆーこと言っちゃいますかっ」
「おや。何か不満かい?だったら全力で締め上げてやろうか」
「うん、もう店長ってば本当に優しいんだからぁ大好き!!」
「…………変わり身の早い口だねぇ」
「あはははははははははっ」


じろりと睨んでくるドリーを、は全力で笑って誤魔化した。
それからカップにお茶を淹れる作業に戻る。
隣からアレンが手を伸ばして砂糖を入れてゆく。
警官は二人の共同作業を観察しながらため息をついた。


「いや、私もわかってはいるんだ。が事をやらかしてしまうのは相応の理由がある時だけなんだろう。ただ、なぁ」
「何ですか」
「お前らが来てから何日だ?」
「え、っと。何日だっけ、アレン」
「たぶん、一週間くらいですよ」
「その間、私たちが出動しなかった日のほうが少ないっていうのはどういうことだろうな。この村は本当に平和なところだったんだぞ。まったく、誰が厄介事を呼んでいるのやら」


そう訊きながらも視線はしっかりに据えられている。
お茶を入れ終わったは、どんっと勢いよくポットをテーブルの上に置いた。


「それは見当はずれな推測ですよ。私は素晴らしき平和主義者ですから」
「いいや。どう考えてもお前が原因だ。お前が厄介事を好きなのか、厄介事の方がお前を好きなのか。どちらかに決まっている」
「違います、警部」


そう言ったのはアレンで、警官が視線をやれば、彼はどこまでも素敵な笑顔を浮かべていた。


「原因も何も、そもそも自身が厄介なんですよ。それはもう最強最悪に」
「…………………………そうか。それは手の施しようがないな」
「ちょっとー!なに簡単に納得した挙句、絶望しちゃってるんですか!?」


は怒った声をあげたが、警官は嘆きに顔を覆ってしまった。
それを見てさすがに溜飲を下げる。
淹れたての紅茶を彼の前に差し出した。


「そりゃあ、私だって悪いとは思ってるんですよ。…………いつも面倒をかけてごめんなさい、って」


素直な謝罪の言葉を聞いて、警官は指の間からに視線を投げた。
何だか捨てられた仔犬みたいな表情が見えたから、思わず苦笑する。


「まぁ、私たちの仕事を代わりにやってくれたんだ。それで妥協しようじゃないか。………来るたびに店長の美味しい料理が食べられるしな」
「ああ、儲かって嬉しい限りだ」


ドリーが頷く。
同時にアレンがの後頭部をぽんっとした。
視線をあげると微笑んだ横顔が見えて、彼は警官に尋ねた。


「僕たちもご一緒していいですか?」
「ああ、もちろん」
「よかった。じゃあカップを持ってきますね」


アレンはもう一度の頭を軽く叩くと、茶器を取りに厨房へと入っていった。
は彼に乱された髪を押さえていたが、ドリーや警官やその部下達が早く座るように促されて、口元が緩むのを感じる。
嬉しくて微笑んだ。


「ありがとう。お邪魔します」
「どうぞ。お菓子も食べるかい?」


そう言って警官がお茶請けのクッキーを差し出してくれたから、はお礼を言って受け取った。
一口齧れば甘い味がいっぱいに広がる。
これもドリーのお手製で、涙が出るほど美味しい。
思わずにへら顔になっている間に、警官とドリーが言葉を交わしていた。


「例の強盗犯たちは納屋に閉じ込めてあるんでしたな」
「ああ。見るも愉快に怯えているよ。あれじゃあ逃げ出そうなんて勇気は出ないだろうね」
「そいつはいい。今夜はぐっすり眠れそうだ」
「こちらもありがたいね。常連の泊り客ってのは」
「明朝、隣町まで護送させてもらいます。ああ、朝食も楽しみだ」


それを聞いてはまた嬉しくなった。
明日の朝はいつもより大人数で食事になる。
きっと賑やかだ。
そう思ってにこにこしていると、警官がふいにこちらを見て言った。


「そう言えば、お前らの借金は返せそうか?
「う……っ」


は何とも嫌なことを訊かれてクッキーを喉に詰めてしまった。
思い切りむせていると、厨房から戻ってきたアレンが背をさすってくれる。
むしろ痛いくらいに叩かれて、苦しさと同時に涙が浮かんだ。
アレンはそのままを端に追いやると、無断で隣に腰掛けた。
そして怒りの口調で告げた。


「だから“お前ら”って言わないでください」


勢いよく置かれた二つのカップが、仲良く騒音を奏でる。




















事の始まりはティムキャンピーだった。


「あれ?どうしたんだろう」


灰色の屋根の下、人気のない駅のホームでアレンは首をひねった。
時間は少し遡る。
それは任務を終えて教団に帰るところだった。
陽はまだ高く、青い空が広がっている。
天気も良いし待ち時間も多くあるから一駅歩こう、などと考えたのがいけなかった。
このあたりはあまりに辺鄙で、辿り着いた村のほうが汽車がなかったのである。
けれどこれ以上進むとなると確実に日が暮れてしまう。
だからアレン達はこの場所で大人しく暇つぶしをしていたのだ。
一緒にいて時間を持て余す相手がパートナーでないのが、唯一の幸運だった。
いや、ある意味不幸かも。
だってこの人と居ると突っ込みどころ満載で、本当に退屈できない。


アレンは少し離れたところにいる金髪に声を投げた。


。ティムが少し変なんです」


すると彼女が振り返った。
ホームの白線の向こうに腰掛け、線路の方に両脚を垂らしている。
汽車が来れば間違いなく足を持っていかれる位置だ。
危ないから止めろといったのだが、“大丈夫。私は汽車になんて負けないから!”と笑顔で言い切られた。
何が大丈夫なものか。
むしろ彼女の頭が大丈夫ではない。


「ティムが?」


きょとんと目を見張って、そんな馬鹿が聞き返してきた。


「どんな風に?」
「何だかさっきから落ち着かなくて……」


そういう間にも金色のゴーレムはアレンの頭上を飛び回っていた。
妙にそわそわした雰囲気だ。
直線的にくうを切ったかと思えば、緩慢に円を描いたりする。
まるで何かに酔ったかのような動きだった。
目を離せばどこかに飛んでいきそうで、アレンはティムキャンピーの尻尾を掴んだ。


「一体どうしたんだろう?」
「確かに変だね。毒電波でも受け取ったかな?」
「そんな、君じゃあるまいし」
「どーゆー意味だ」
「そーゆー意味です」
「あんたはそろそろ私をまともに評価してもいいころだと思うんだけど」
「君がまともに自分を評価できるようになったら考えを改めましょう。……残念、一生無理ですね」
「人の人生決め付けたー!」


は拳を振り上げて反論したが、アレンは普通に無視した。
軽い足取りで近づいていって彼女の横に腰掛ける。
止めろと言ったけれど、本当は自分もちょっとやってみたかったのだ。
汽車はまだまだ来ないから安全だし。
いつもと違う近さで線路が見えて面白い。
何より隣にがいるから楽しかった。
けれどそれを表に出すのは絶対にごめんだから、素知らぬ顔でゴーレムに目をやる。


「本当にどうしたんだろう。ティム」
「おいおい。私の未来にまで駄目出ししといて、普通に話題を戻しちゃうんだ」
が有害念波でも出してるんじゃないですか?まったく、やめてくださいよ。ティムが可哀想だ」
「謂れのない非難!私のほうが可哀想じゃない!?」
「ああ、それだったら嬉しい」
「そうだね、アレンは哀れな私が大好きだもんね!」
「ええ、大好きですとも!!」


ぐっと拳を握って力強く頷けば、は思い切り口元を歪めた。


「何て嬉しくない告白……」
「ちょっと、おぞましい表現をしないでください。僕まで変になりそうだ」
「何でもかんでも私のせいにしてっ」
「何でもかんでも君のせいですからね」


アレンはあっさり言い切って、膝の上にティムキャンピーを乗せた。
ジダバタもがくから上から押さえるようにして撫でる。
羽ばたきがアレンの手を叩いた。


「もしかして、故障かな……?」
「それは困った……」


が本当に困ったようにそう言ったので、アレンは首をかしげた。
疑問の視線を投げると、は自分の団服の襟に手を入れる。
そして黒いゴーレムを取り出してきた。


「実は私のレムちゃんも故障みたいなんだよね」
「…………」
「このうえティムまで壊れたら、教団との連絡手段がなくなっちゃう」
「……………………」
「もちろんティムも心配なんだけど……って、アレン?」
「…………………………………」
「なに微妙な笑顔で私を見てるの」
「いえ、あの……」


にけげんそうに尋ねられて、アレンは口の中で言った。
引きつった微笑を顔に貼り付けたまま彼女に訊く。


「“レムちゃん”……?」
「ん?うん、レムちゃん。私のゴーレムの名前」
「……………………それはまさか、ゴーレムだから、“レムちゃん”って名前だとか言わないですよね?」
「それ以外に何かある?」


は真顔でそう返した。
至極マジメな口調である。
その途端、アレンは嫌な笑みを引っ込めるとに掴みかかった。


「謝れ!今すぐこのゴーレムに謝れ!!」
「うわ、ちょっ、何で!?」
「なんて安易な名前をつけてるんだ!ネーミングセンスゼロじゃないですか!!」
「何でよ!普通にゴーレムって呼ぶより可愛いじゃない愛があるじゃない!!」
「そんなテキトーな愛情あってたまるか!!」


いつも通りに言い合いになって、いつも通りのケンカになった。
二人の大きな声が高い空に吸い込まれていく。
静かな村だ。
他に人気はない。
けれどティムキャンピーは何かを感じ取ったのか、ふいにアレンの膝の上から飛び立った。


「あっ」


慌てて捕まえようとしたが、と取っ組み合っていたから上手くいかない。
伸ばしたアレンの指先をするりと抜けると、ティムキャンピーは猛スピードでどこかへ飛んで行ってしまった。


「ティム!」


見失ったら厄介だ。
だからアレンは咄嗟に立ち上がると、金色のゴーレムを追いかけて走り出した。













「ティム!どこだ、ティムキャンピー!!」


アレンは大声で呼びかけながら村の中を駆け抜ける。
立ち並ぶのは古い家ばかりで店は見当たらない。
道は舗装されておらず、土がむき出しになっていた。
どうやら本当に田舎のようだ。
遠くに協会らしき建物が見えたが、掲げられた十字架は錆びた色をしていた。
アレンはきょろきょろと辺りを見渡しながら頭を掻いた。


「本当にどうしたんだ、ティム……」


困ったなぁとため息をつく。
一体どこに行ってしまったんだろう。
あれは師匠からの預かりものだから失うわけにはいかない。
それにのゴーレム(意地でもレムちゃんとは呼んでやらない!)が壊れているとなると、唯一の連絡手段だ。
何が何でも見つけないと。
そう思って首を巡らせば、視界に金色の光が瞬いた。


「ティム!」


アレンは反射的に走り出した。
絶対に逃がすものかと足を速める。
しかし次の瞬間、アレンはぴたりと動きを止めてしまった。
それは意識的ではなく、本能に近かった。
全身が硬直する。
咄嗟に自分の目を疑った。


金色のゴーレムが飛んでいく先。
その球体が帽子の広いつばに着地した。
それに気付いて視線をあげたのは、長身の男。
はねた赤い髪が目を惹く。
黒服に身を包み、煙草をくゆらせている。
男は自分の帽子にとまったティムキャンピーに気がつくと、少し笑ったようだった。


「し……」


そして気がつけば、アレンは男に呼びかけていた。


「師匠…………?」


その声に反応して、男が振り返った。
同時にアレンは絶望した。


こちらを向いた彼はやはりアレンの師匠、クロス・マリアンだったからだ。


どうやらティムキャンピーは自分の主が近くにいることを察知し、思わず惹き寄せられてしまったらしい。
なるほど、だから様子が変だったわけだ。
納得する間もアレンは絶望のあまりどんどん顔色を失くしていた。


信じられない。
こんなところで師匠に遭遇するだなんて。
そもそも何故こんな田舎の村にいるのだ。
あれだけ行方をくらましておいて、こんな不意打ちの登場はないだろう。


そんなことをぐるぐる考えているアレンの姿を認めても、クロスは特に何の反応もしなかった。
無言のまま煙草の煙を吐き出す。
もう一度それをくわえると、面倒くさそうに言った。


「何だ、馬鹿弟子か」
「…………………」
「イイ顔だな。そんなに師匠との再会が嬉しいか」
「……………………………………、気持ち悪いこと言わないでください」
「安心しろ。俺には男と会って喜ぶ趣味はない」
「僕にだって!」


そこでようやく怒りが湧いてきて、アレンは怒鳴った。


「今までどこにいたんですか、師匠!」
「すぐそこの宿屋だ」
「そんなことは訊いてません!!」
「やかましいガキだな」


クロスは嫌そうに吐き捨てると、スタスタとこちらに近づいてきた。
アレンは思わず身構える。
この男と関わってろくなことになかったためしはない。
もちろん師としては感謝もしているし、尊敬もしている。
けれど人間としては反面教師以外の何者でもなかった。
今までの経験が警鐘を鳴らし、即座に回れ右をして逃げ出したくなる。
ほとんどそれを実行しようかと思った時、クロスが腕を伸ばしてアレンの頭に手を置いた。


「いや、今回ばかりは再会を喜ぶかな」
「……………………は?」


そのまま白い髪を撫でられる。


「会えて嬉しいぞ、アレン」
「…………………………」


アレンは絶句した。
本当に二の句が繋げなかった。
だって有り得ない。
悪魔の化身、鬼の師匠が自分に対してこんな対応をするなんて。
アレンは全身に鳥肌が立つのを感じながら、恐る恐る尋ねた。


「何の罠ですか……」


恐怖のあまり声がかすれた。
けれどこれは絶対に何かある。
案の定、クロスはにやりと微笑んだ。
右半分は仮面に隠れていてよくわからなかったが、左半分は確実に悪だくみをする顔だ。


「ここで会えてよかった。お前にこれをやる」


そう言いながら、クロスはどこからともなく出してきた紙の束をアレンの手に押し付けた。
思わずよろけそうなほど、その量は多い。
山ほど積まれたそれは何かの書類のようだ。


「少ないが取っておけ」
「……………………………………すみません、何かこういうのってものすごく見覚えがあるんですけど」
「ああ、それはお前の大好きな……」


クロスは少しも悪びれることなく、しれっと言い放った。


「借用書だ」


「また借金を僕に押し付ける気ですか、師匠ーーーーーーーーー!!!!」


アレンは怒りやら何やらで涙を浮かせながら絶叫した。
渡された紙の束は嫌でも見慣れた借金の明細書。
請求先が全てアレン名義になっているのは毎度のお約束だ。
いつも通り知らない内に借金をつけられたアレンは、クロスに掴みかからんばかりに怒鳴った。


「誰が大好きか、こんなもの!嫌ですいらないです返します、謹んで辞退させていただきます!!」
「殊勝な奴だな。そう遠慮するな」
「自分に都合のいい解釈しないでください!」
「いいからウダウダ言ってねぇで払え」
「問答無用ですか!?」
「ま、そういうわけだ。せいぜい頑張れよ」
「言うだけ言って去るだなんて、許しませんよ!!」


アレンは足早に歩き出したクロスのコートの裾を捕まえた。
ぐいっと引っ張って彼の前に出る。
その進路を阻むように立ち塞がった。
ここでクロスを逃がせば自分は地獄だ、阿鼻叫喚だ。
だからアレンは命懸けで怒鳴った。


「師匠!!」


「アレン!!」


同時に背後からそう呼ばれて、アレンは驚いた。
振り返れば金髪が見える。
駅のホームに置いてきたが走り寄ってくるところだった。


「こんなところにいた!」
……」
「ティムは見つかった?アレンまで迷子になるんじゃないかって、心配だったのよ。あんたってすぐに行方をくらますから」
「ごめん、でも今はそれどころじゃないんだ」


アレンは真顔でそう訴えたのだが、はその異様な雰囲気に気付かずに続けた。


「お願いだから、少しは迷子のプロだってことを自覚して……」


しかしそこで言葉が途切れる。
アレンはようやくも事態を察してくれたのだろうと思った。
だから力強く言った。


「さぁ、も手伝ってください!」
「……………」
「このままじゃ、僕はまた借金まみれだ!!」
「……………………」
「そんなのは絶対にごめんです!協力して師匠を説得しましょう!!」
「………………………………」
「大丈夫、最強にゴーイングマイウェイな君なら何とか出来る!!」
「……………………………………………」
「って、ちょっと聞いてるんですか


どれだけ力説しても何の反応もしないをけげんに思って、アレンは自分の隣を振り返った。
それから目を見張った。
けれどそれ以上には目を見張っていた。
限界まで瞳を開いて、眼前を凝視している。
アレンは驚いて彼女の視線を辿り、その行き着く先を見て、これ以上ないまでに蒼白になった。


しまった、忘れてた。


自分の失態を後悔するアレンの隣で、が呆然と呟く。


「クロス……、げんすい…………?」


その調子は、まるで夢を見ているようで。
ああ、そうだった。
この傍若無人な男は、彼女の憧れ。




そして、初恋の相手だったのだ。










ついに(?)はじまりました、問題作『蝶と口づけ』。
この章はいろいろな事柄の転機になりそうです。
そして唐突にアレンとヒロインがカフェでバイトとかしていてごめんなさい。(笑)
イキナリすぎて意味不明ですよね!
詳しい理由は続きにて〜。
しかし書いていてこの二人は、何でもやって、どこでも生きていける人間なんじゃないかなぁ……と思いました。
もちろん本人達はエクソシスト以外考えられないでしょうけど、たぶんどんな境遇でも自分なりに楽しんで暮らしていそうというか。
とにかく、二人にはしばらくバイトに励んでいただきたいと思います。^^

次回はヒロインがクロス師匠にどっきどき★です。(爆)お楽しみに!