哀しみは絆。
痛みは望んだもの。
疼く傷跡は、私の中で生き続けるあの人の鼓動だった。







● 蝶と口づけ  EPISODE 2 ●







「クロス、元帥……」


もう一度確かめるようにがその名を呼んだ。
瞬きを忘れたようにひたすらに見つめる、金色の双眸。
クロスはその眼差しを受けて、口元から煙草を離した。


「お前は……」


けれど彼が何かを言う前に、アレンがその眼前に飛び出した。
二人の視線を阻むようにして立つ。
意味もなく両手をバタバタ動かした。


「あーあーあー、違うんです!これは、その、違うんですよ師匠!!」
「…………何が違うんだ?」
「これはちょっとした手違いなんです!」
「意味がわからん。それよりそこをどけ」
「な、何でですか……?」
「後ろの娘をよく見せろ。そいつは……」
「いいえ、気のせいです見間違いです幻覚です!師匠を熱い眼差しで見つめる金髪の少女なんて、僕の背後にはいませんよ!!」
「うるせェ、邪魔だ」


アレンは必死にクロスの意識をから逸らそうとがんばったのだが、効果は皆無のようだった。
ドスのきいた声と同時に、頭を鷲掴まれて吹っ飛ばされる。
アレンは悲鳴をあげて地面に転がった。
その間にがどこかに行ってくれないかなと願ったのだが、そんなはずもなく、慌てて起き上がって見れば、クロスが彼女の前に立ったところだった。
一方はこちらを見ていた。
アレンがぞんざいに投げ捨てられたのに驚き、それでようやく我に返ったらしい。
彼女はアレンが無事なことを確認すると、激烈な感謝の視線を送ってきた。
どうやらアレンのおかげでクロスと会えたと思っているようだ。
アレンは必死に首を振ったのだが、はまったく気がつかずにクロスに向き直った。


「お、お久しぶりです!」


は感動した調子で言った。
そのままがばりと頭を下げる。


「ああああああああのっ、本当にご無沙汰しております!お元気でしたかお元気そうですねフルチャージのようで何よりです!ずっと行方不明だったから心配でしんぱい……、ってこんなこと元帥相手に失礼ですよね!ごめんなさ……っあいたー!舌噛んだ!!」


アレンは何となくぽかんとしてしまった。
隙あらば二人を引き剥がしてやろうと思っていたのも忘れて目を瞬かせる。
だってあのが。
もう一度言うけれど、あのが。
ここまで狼狽するだなんて!
いつもの強気で余裕な態度はどこへやら、彼女は頭を下げたまま一気にまくしたてていた。


「ほ、本日はお日柄も良く、運勢も絶好調と言いますか!まさか元帥にお会いできるとは思いもよらずですね、あの、あのっ」
「……………………、ちょっと落ち着け」
「はいっ」
「お前、もしかして」
「はい!覚えていらっしゃいますか!?」
「その金の眼……、やっぱりグローリアのところのガキか?」
「そうです!です!!」


はクロスに覚えていてもらえたことがよっぽど嬉しかったのか、下げていた頭を振り上げた。
その表情はまるで太陽のように輝いている。
これが獣だったら耳がぴんと立ち、尻尾が千切れるくらいに振られていたことだろう。
は今の今まで顔もまともにあげられなかったくせに、今度は視線が逸らせないとばかりにクロスの顔を見つめた。
ぎゅっと胸の前で握り締められた両手。
頬は興奮か何かで薔薇色に染まっていた。
まるで恋する乙女を絵に描いたような様子だ。
アレンはそれを見て大変おもしろくない気がした。
のくせに喜びすぎだ。
それにクロスは自分に不幸をプレゼントした憎き相手である。
そんな人物に何て顔を見せているんだ、と思わずにはいられない。
アレンは不満が最高潮になるのを感じて口を開こうとした。
けれどそれより先にが言う。


「本当に、私……」


声は掠れていた。
は喘ぐように呼吸を繰り返した。
その細い肩が震えているのに気がついて、アレンは言葉を封じられてしまった。


「ほんとうに、お会いしたかったんです。わたし……」


喋ることがひどく難しいことのように、は一生懸命に口を動かした。
何かアレンの知らない感情が、胸を詰まらせているようだ。
クロスは何も言わなかった。
ただを見つめていた。
その口から零れる声を待っていた。


「5年前に、きちんとお会いしたかった…………」


は吐息ほどの声で囁きながら、自分の左耳に手をやった。
そこにあったのは黒曜石のピアス。
縦に三つの宝石を並べた形のそれは、彼女の師の形見だ。


「グローリア先生のこと、ちゃんとお話したかったんです」
「………………………」
「あ、あの人すごく意地っ張りだから、何も言わなくって。最期の最期まで何も言ってくれなくって……・、でもっ」
「………………………」
「でも、わかってたんです……私。ずっと傍にいたから」
「………………………」
「あの人は喪われたけれど、想いは残っています。私の中に、確かに」
「………………………」
「だから……。だから、ずっとお会いしたかった。それが私の役目だと思った。彼女の気持ちを、貴方に伝えることが」


今やが震えていることは、傍から見てもわかった。
泣き出しそうな気配を感じる。
それでも彼女は絶対に涙をこぼさないだろう。
必死に顔をあげて、潤んだ瞳でクロスを見つめる。
ただひたすら、真っ直ぐに。


「クロス元帥。グローリア先生は………」
「言わなくていい」


唐突にクロスが口を開いた。
声の調子は、アレンが聞いたところ普段と変わらなかった。
瞳が一度瞬きをし、右手の手袋を外す。
そして腕を伸ばしての左耳に触れた。
素手でグローリアの物だったピアスを撫でる。


「それ以上はいい。
「でも……っ」
「あの女が考えていたことくらい、わかっている」
「………………………」
「お前を見れば、全部わかるさ」
「元帥……」
「あの頃、お前の全てがグローリアだったように、グローリアの全てもお前だった。だから、もう充分だ」


クロスはピアスごとの頬を包んだ。
眼の下をゆっくりと撫でる。
まるで見えない涙を拭うように。
愛おしいものに触れるように。
そしてその口元に、アレンが見たこともないような優しい笑みが浮かんだ。



「いい女になったな、。あいつと張り合えるほどだ」



それを聞いた瞬間、は体を強張らせた。
何か強い感情が全身を駆け巡り、呼吸を忘れる。
目を見開けば涙がこぼれそうになったようで、咄嗟に下を向いた。


アレンには二人が何を語っているのか、その本質が掴めなかった。
傍らで聞いているしか出来ない。
きっと彼らだけが理解できる、グローリアにまつわる話。
けれど、それでも感じられるものはあった。


がずっとクロスに伝えたかったこと。
それはグローリアの気持ちであり、同時にの感情だ。
喪われた師の代わりにどうしても言いたかったのだろう。
その言葉は、きっと愛の囁きだなんて甘いものではない。
反対に永遠の別れを告げるような、淋しいものではないだろう。




恐らくもっと強く確かで、暖かいもの。
察する限り、その想いを象徴するのは今のだ。




自身はそうは考えられないのだろう。
自分がグローリアの意志の証になれるわけがないと、わずかに首を振る。
けれど偽りのない声でそれを断言したクロスに、彼女が敵うはずがなかった。
その華奢な体がわななく。
苦しそうに息を吐き出す。
喉が痛くてどうしようもないのか、思わず漏れた震えた声が空間に滲んだ。
そんなを、クロスはその大きな手で抱きしめた。


「さすがはグローリアの自慢の弟子だ」


5年間。
がずっと抱えていた想いが、確かに世界に刻まれた。
師と、師の大切な人の存在を近くに感じているのだろう。
彼女は震える指先でクロスのコートを掴んだ。


「……自慢なんかじゃないです。私、ずっと馬鹿弟子って呼ばれてました」
「最後の最後までか?」
「はい。…………本当の最期まで」
「とんだ意地っ張りだな、あの女。他所ではさんざん言ってたくせに」
「…………………………本当ですか?」
「ああ。酒の肴はだいたいお前の話だったぞ」


ぽんぽんとの頭を撫でて、クロスは体を離した。
そしてもう一度その頬を片手で包んだ。


「お前は戦うことしか知らなかったあいつが、唯一この世界に残したものだ。…………胸を張って生きろ」
「…………、はい」


は確かに頷いて、胸の前で拳を握った。
それからふと瞳を伏せる。
片手をそっと持ち上げると、頬を覆うクロスのそれに触れた。
白い指先が添えられる。
心を寄せるように肌を寄せ、震える瞼を閉じる。
わずかに染まった頬に影が落ちた。
滲んだ涙が濡らす長い睫毛。
薄紅の唇から細い吐息が漏れて、胸がざわめくほどの切なさを感じた。




その様子に、今まで言葉を失っていたアレンはゆっくりと、それでいて殴られたような衝撃を覚えた。
こんなは知らない。
泣きそうな顔なら見たことがあるけれど、こんな風じゃなかった。
どんなに辛くても、悲しくても、強がってばかりの彼女しか見たことがなかった。
何だこれ。
息がうまくできない。
胸が痛いような。
そして彼女の秘密の表情を暴いたのがクロスだということを、ひどく気に入らないと思う自分がいることに気がついた。
わけがわからない。
何ではあんなに切ない顔で、クロスの手に頬を寄せているのだろう。
何でそれを自分は気に食わないと思うのだろう。
わからない。


どうしては、そんな表情を、少しでも自分に見せてくれなかった?


「……………………本当にイイ女になったな」


アレンはクロスのその言葉で、ハッと我に返った。
慌てて確認してみれば、頬に添えた手をそのままに、クロスがの顎に指をかけているところだった。
くいっと持ち上げてその顔を検分するように眺める。
口元に浮かぶのは、もういつもの人の悪い笑みだ。


「あのころから、相当なものになるとは思っていたが……。予想以上だ」


いきなり言われては目を瞬かせる。
その間にクロスの視線は彼女の体に移っていた。
胸、ウエスト、尻を見て、何やら数字を呟く。
それがのスリーサイズだということを悟って、アレンは顔を真っ赤にした。


「な……っ、何を測ってるんですか……!」
「抱き心地が良かったからな。どうだ、あってるだろう?」
「は、はい。ラビが言ってたのと同じ」
「師匠もラビもセクハラです!!」
「よし。これからも成長に励め」


クロスはに嫌な激励すると、もう一度その顔を見つめた。


「あと三年だな」
「え……?」
「何がですか!返答しだいでは怒りますよ、師匠!!」
「それだけ経ってもまだ俺が好きなら、そう言って来い」


いきり立つアレンを完全に無視すると、クロスはからするりと手を離しながら笑った。


「そうしたら、俺の愛人にしてやるよ」


彼の優雅な指先が、の顎を撫でていった。
それはひどく官能的な動作だった。
囁かれた声は低く、鼓膜に衝撃を与える。
アレンですら目が離せないようだったから、が頬を染めたのも無理はない。
そういうことにまったくと言っていいほど興味を示さない彼女も、これにはどうしようもなかった。
クロスは初恋の相手、ずっと再会を希っていた相手なのだから、それは当然の反応だったのだ。


クロスはそんなを満足そうに見つめると、何の前触れもなく傍をすり抜けた。
向かう先は駅のようだ。
どうやらもうこの村からは去る気らしい。
弟子であるアレンも、友人の教え子であるも置き去りにして、クロスは歩き出す。
アレンは叫びたい罵詈雑言がありすぎて逆に何も言えずにいたが、ふいに視界を金髪が横切った。




「相棒にしてください!!」




がそう叫んだ。
身を翻し、勢いよく前に出た彼女が、クロスの背に言葉を放ったのだ。
感情に胸を詰まらせ、肩で息をしている。
瞳が熱に潤んでいた。
クロスが足を止めた。
彼は視線だけでグローリアの弟子を振り返った。


「相棒にしてください」


もう一度が言った。
震える指先を握りこんで、続ける。


「わたし……、私。本当はもっと貴方に言いたいことがあったんです。グローリア先生のことだけじゃなくて、もっと自分勝手な言葉も」
「……………………」
「あの頃の感謝とか、謝罪とか、そういうこと全部……。貴方に会えたら伝えようと思っていました」
「そうか」
「はい。…………でも、やめておきます」


そこで少しだけ、は笑ったようだった。
何だか吐息をつくように、肩の力を抜くように。


「お会いしてみてわかったんです。自分で考えていたより、貴方への想いは大きかった。これだけの気持ちを伝える言葉を、私は知りません。………………知らないんです」


は息を吸い込んで、自分の胸に手を当てた。


「だから、言葉の代わりに誓いを受け取ってください」
「……誓い?」


「私は強くなります。先生に貰った名を誇り、身を挺して守られた命を貫いて、強く強く生きていきます」


凛と、そう告げた少女は何だか人間ではないようだった。
金の髪も瞳も輝いて、燃えている。
こんな強く真っ直ぐな光を宿しているのは、きっと星とか水とかそういうものだ。
無条件に圧倒される。
けれど不思議と儚い弱さも感じられた。
それはがいまだに細かく震え続けているからだろうか?


「言葉だけじゃ足りないから、私という存在すべてで証明します。いつか、貴方を守れるくらい強く……、その背中を預けてくれるほどの力を」


はわななきを押し殺して、ぐっと拳を握った。


「この手に掴んでみせる」
「…………………」
「だから……」


そこでは一度だけ瞬きをした。
濡れた双眸が美しくて、アレンは我知らずに息を呑む。
何故クロスは平然としていられるのだろう。
こんな瞳を向けられたのが自分なら、きっと冷静ではいられないのに。


「だから、相棒にしてください。あの人が大切に想っていた貴方を、どうか守らせてください。…………いつか、その信用に足るだけの人間に、私はなってみせます」


は視線に力でもあるんじゃないかと思うくらいの真っ直ぐさで、クロスを見つめていた。
否、射抜いていた。
言葉を知らないだなんて嘘だ。
アレンはそう思った。
だっての眼差しも、声も、何もかもが心に響いてくる。
それこそ、怖いほどの強さで。


クロスは無言で一度、目を伏せた。
そして煙草に手をやり、煙を吐き出す。
その吐息に乗せるようにして訊いた。


「それは、グローリアの代わりに……ということか?」


の肩がびくりと跳ねた。
咄嗟に否定しようとしたのがわかる。
けれどクロスの瞳に言葉を封じられた。
その目が語っていた。


グローリアの代わりはいらないと。


そんな人間などいないし、傍に置く気はない。
生前、彼女はクロスの唯一信用できる人物だった。
生きていれば二人は並んで立っていただろう。
例え距離は離れていても、心は常に共にあったのだろう。
そんなグローリアを死なせた負い目からものを言っているのならば、今すぐにやめろとクロスは告げているのだ。


は顔を伏せた。
震えは止まらない。
恐怖に耐えるようにぐっと目を閉じる。


そして、唇を開いた。


「いいえ」


それは驚くほど、はっきりとした響きを持っていた。




「いいえ。私は、師すらも超えてみせます」




途方もなく強い意志が燃えている。
これが少女の持つ、気迫だろうか。
の震えはいつも間にか止まっていた。
それだけでも、彼女の決意がどれほどのものかがうかがい知れる。
アレンは当然のことながら、これにはクロスも目を見張った。
言葉もなく、を見つめ返す。
そのまましばらく沈黙が過ぎた。
クロスの口に咥えられた煙草から灰がポトリと地面に落ちる。
それを合図にしたかのように、クロスの肩が揺れた。
左手が顔を覆う。
聞こえてきたのは間違いなく、笑い声だった。


「……っ、くくっ。はははははははははははは!!」


それは次第に大きくなって最後には大爆笑だ。
クロスは全身を震わせ、大いに笑っていた。
はその反応に驚いたようだった。
アレンもそうだ。
だってあの師匠が、あんな風に笑うところなど見たことがない。


「グローリアの奴……、本当になんて娘を育てやがった……」


いまだに喉の奥で笑いながら、クロスが呟いた。
愉快で愉快でたまらないといった様子だ。
彼はわずかに視線を動かし、空を見上げた。
まるで天国にいるグローリアに何かを告げるように。
それから言う。


!」
「は、はいっ」


咄嗟には返事をした。
そんな彼女に一度笑みを向けると、クロスは身を翻す。
こちらに背を向け、歩き出しながら片手を挙げた。


「楽しみにしている」


笑んだ声でそれだけ言い残すと、クロスはもう振り返ることもなく、駅の方へと去って行った。
アレンとはしばらく呆然とそれを見送っていた。
二人の間をティムキャンピーがせわしなく飛び回っている。
穏やかな空にはためく金の翼。




ふいに視界の隅に震えるものを見つけて、アレンはハッとした。
隣を振り返れば、の肩がブルブルしている。
その理由をありとあらゆる可能性から考えて、何となくアレンは一歩後ずさった。
瞬間、が叫んだ。


「やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」


それはもう、両腕を振り上げての大絶叫だ。
アレンはその勢いにもう三歩後ずさった。
けれどそれより早くはこちらを向くと、何の躊躇いもなく飛びついてくる。
思い切り抱きつかれてアレンは悲鳴をあげた。


「ちょ、なっ、!?」
「すごいすごいすごいすごいすごい、すごいよアレン!!」
「すごいのは君の腕力だ!いたっ、痛いから!!」
「ななななななななな何これ嘘みたい夢かな、現実なのかな!?」
「この激痛で夢だったら僕は絶望する……っ」
「えーえーえーえー、でも私にはわかんないよ!」
「だったら思い切り頬をつねってあげましょうか!?」


アレンはから離れようともがきながら怒鳴ったのだが、驚いたことに彼女は大きく頷いた。


「うんうんうんうん、いいよ!思いっきり痛くして!!」
「……………………」


泣き出しそうな笑顔でそう言われると、なんとも複雑なものがあった。
いつもはちょっと殴っただけでも騒ぐくせに、何だこの態度。
アレンは怒りのあまり、全力での頬をつねりあげた。
それでもの笑顔が消えなかったから、ますます腹を立てるハメになったのだが。


「い……っ、痛い!本当に痛い!げんじつだーーーーーーーーーーーー!!!」


涙ながらに叫ぶと、はまたアレンに抱きついた。
がばりと首にしがみついて飛び跳ねんばかりに言う。


「本当なんだ!本当にクロス元帥に会えちゃったんだ!!」


興奮のあまりぎゅうぎゅう体を押し付けてくるものだから、アレンは倒れないようにの腰に手をやった。
そうすれば何だか抱き合っているみたいでわずかに頬を染めたが、彼女が口走っている内容を聞けば自然とそんなものは吹き飛んだ。


「ああ、駄目だ嬉しすぎる!どうしようアレン、胸がどきどきしてて怖いくらい!!」
「……………」
「ねぇ恋って何!?ラビにはただの憧れだって言われたけれど、やっぱり私ってクロス元帥のことが好きなんじゃないのかな!?」
「………………………」
「ううん、もうそんなことどうだっていい!だって元帥、私を待っていてくれるって!“楽しみにしてる”だって!!」
「…………………………………」
「先生っ、グローリア先生!私、絶対にやり遂げます!貴方の想いを受け継いで、あの方の相棒になってみせます!!」
「………………………………………………」
「その誓いを認めてもらえたことが、こんなに幸せだなんて……っ」


の肩がまた喘ぐように震えて、抱きついてくる腕にぎゅっと力がこもった。
アレンはどうしようもなかった。
胸の中がぐちゃぐちゃだ。
怒りのような苛立ちのような、切ないような苦しいような。
衝動的に怒鳴りたい気もしたし、泣き出したい気もした。
同時にの喜びに心を寄せて、微笑んであげた気持ちもあった。
どうすればいい?
今だって、もっとちゃんと抱き返したいのか、力いっぱい突き放したいのか、思考が混乱している。
そうこうしているうちにはそっと体を離すと、アレンの瞳を覗き込んできた。
涙が滲んで揺れる金色。
彼女は微笑んだ。


「ありがとう、アレン。クロス元帥と会わせてくれて」


アレンはそこで本当に愕然とした。
ほら、はこんなにも綺麗に笑っている。
心からの感謝を自分に伝えてくれているのに。
どうしてだ。
何故それを見て、こんな気持ちにならなければいけない。
笑顔を返すことを、これほど困難だと思ってしまうのだ。


「僕じゃありません……」


アレンは自分に呆然としたまま、呟いた。


「ティムです。あいつが師匠を見つけて……」
「そうなの?」


は目を瞬かせると、傍を飛んできたティムキャンピーを両手で捕まえた。
優しく包み込むようにして持ち上げる。
とびっきりの笑顔を浮かべた。


「ティムもありがとう!大好きっ」


そしては金色のゴーレムにキスをした。
花色の唇が軽い音をたてて、ティムキャンピーに触れる。
それを見た瞬間、アレンの中で何かが切れた。


問答無用でからゴーレムを奪い取る。
アレンはそれを大きく振りかぶると、クロスの去った方向に向けて思い切り投げ飛ばした。
ティムキャンピーはまるで流星のごとく、遥か彼方に消えていった。


あまりに突然のことに、はぽかんとしていた。
アレンはそんな彼女を振り返る。
ゆらりと頭を揺らせば悲鳴があがった。
それもそのはず。
アレンにも自覚はあったのだ。
今の自分がどれほど凶悪な顔をしているかということは。


「………………………………………………、
「は、はい……!?」


地獄の底を這うような声で呼んでやると、はうわずった返事をした。
そのあまりの怯えっぷりに、アレンはにっこりと微笑んでやる。
もちろん、暗黒オーラ全開で。


「謝れ」
「は……?」
「今すぐ僕に謝れ!!」


アレンはの両肩をがしりと掴んだ。


「早急に謝罪して、この不愉快さを何とかしてください!!」
「え。ええ……?」
「何で僕がこんな気分にならないといけないんだ!?」
「や、えっと、あの」
「もうぐちゃぐちゃだ!わけがわからない!何だってこんな……っ」
「…………アレン?」
「こんな……」


アレンはそこで視線を落とすと、唇を噛んだ。
意味がわからなくて混乱する。
苦しい。
あまりに胸が痛いから、息をするものひと苦労だ。
すると耳元での声がした。


「ど、どうしたの、アレン……」


気遣うような調子のそれに、何故だかカッとして、アレンは顔を振り上げた。


「理由なんて知らないけれど、絶対にのせいです!!」


あまりにも混乱しているから、わかっていることだけを言った。
ああでも、これじゃあ子供みたいだ。
別にが悪いわけじゃない。
自分が勝手に変な気持ちになっているだけだ。
それなのに責任を押し付けるのは、あまりに幼稚だった。
けれどどうしようもないから彼女から顔を逸らして歩き出す。
ほとんど置き去りにするようだったから、が慌ててついてきた。


「ちょ……、ねぇっ、アレン!」


早足のアレンには走って隣に並ぶ。


「な、なに怒ってるの……?」
「怒ってません」
「じゃあ何で不機嫌なの」
「何ででしょうね。僕が訊きたいくらいだ!」
「いや、私が訊いてるんだけど」
「ああ、たぶん会いたくもない師匠と顔を合わせた挙句、無駄に喜ぶ君の姿を見たからじゃないですか?」
「そ、そんなに私とクロス元帥が嫌いなんだ……」
「当たり前でしょう!見てくださいよ、これ!!」


アレンは叫びながらに大量の紙を投げ渡した。
彼女はそれを受け取って、目を見張る。
パラパラと内容を確認して呟いた。


「借用書……?」
「そうですよ。あの人は僕に借金を押し付けていったんです。それだけでも不愉快なのに……っ」


君があんな顔をするから。
そうは言えなくてアレンは口をつぐんだ。
また腹が立ってきて、から視線を逸らして歩き出す。
けれど足を踏み出したところで、その動きは止められた。


「わかった。これは、私が返す」
「………………………………………………はぁ?」


アレンは本気で意味がわからずに、前進する途中の体勢のまま変な声を出した。
振り返ってみればがしっかりと借用書の束を抱えている。
何だか妙に決意みなぎる様子だ。
彼女は大きく頷いてみせた。


「私がクロス元帥の借金を返すよ。それでいいでしょ?」
「……………………、いや、あの。何言ってるの?」
「ざっと見てみたけれど、かなりの額だね」
「そ、それはそうでしょう……」
「でも、がんばる。何とかしてみせるから」
「何とかって……!」
「とにかくお金をつくらなきゃ」
「それがどれだけ大変かわかってるんですか!?」


至極マジメに呟くに、アレンは慌てて言った。
けれど彼女はそのまま方向転換し、気合充分で歩き始める。
今度はアレンがそれを追う羽目になった。


「君が考えているほど、借金返済は甘くありませんよ!」
「失礼だね。私だってお金を稼ぐ方法くらい知ってるよ」
「でも、働いたことないでしょう!?」
「ないこともないけど。とりあえず、手っ取り早く稼ぐには……」


はこちらに背を向けてスタスタ歩き続ける。
そして次に聞こえてきた言葉に、アレンは本当に度肝を抜かれた。
彼女は普通にこう言ったのだ。




「自分を売ることかな」


「………………………」




それは。
何というか。
若い女性の口から飛び出していい内容ではないのではないだろうか。




アレンはこれ以上ないほど強烈に猛烈に爆裂に、頭を殴られたような気分になった。
凄まじい目眩がして思わずよろめく。
そのまま死んでしまいそうになったが、必死に踏ん張った。
何とか前に進んでいって、の腕を捕まえる。


「な、何を言って……!」
「うん、やっぱりそれしかないよね」


アレンとは対照的に、はあくまでいつも通りだ。


「一番早く、手堅くお金を貰えるし」
、頼むからちょっと待って……!」
「ああ、でもこんな小さな村じゃ店がないかな。大きな街でお客さんを紹介してもらわないと」
「そんなこと……っ、駄目に決まってるでしょう!?」
「何で?」
「なんで、って……!」
「自分で言うのもなんだけど、私けっこう高く売れるんだよ」
「それはそうでしょうけど……!いや、そうじゃなくてですね!!」


アレンはもう本当にどうしようもなくて、の両肩を掴むと、彼女を自分の方に無理やり向かせた。
それから恐ろしいほど真剣な顔で口を開く。


「何を馬鹿なことを言ってるんですか」
「馬鹿なこと?私は本気だよ」
「だって、自分を売るって……!」
「私みたいな小娘が短期間で大金を稼ぐには、それが一番だもの」


理屈は理解できるが、納得できるものか。
アレンは心の中で絶叫した。
もちろんそういう職業の女性を否定する気はない。
弟子としてクロスの傍にいた頃はよくお目にかかったものだ。(彼はまだ子供だった自分を平気で花町に連れて行っていた)
彼女達は優しく親切だったし、誇りを持って生きていたことを覚えている。
政府が認め、公務員となっている国だってある。
けれど、何と言うか、そういう問題じゃない。
知らない男がの髪や肌に触れて、その存在を支配することなど許せるはずがなかった。
いくら自身がそれでいいと言っても、アレンにとっては陵辱されるのと同じように感じられるのだ。


「……駄目だ。そんなの、絶対に」


アレンは食いしばった歯の間から、唸るように言った。
は驚いた顔をして目を瞬かせる。
それから少し笑った。


「平気よ。別に初めてすることでもないし」
「…………っ」
「慣れちゃえば平気。どうってことないって」
「……、そんなわけないでしょう」
「ああ、うん……。ラビとリナリーには怒られるかな」
「当たり前です……」
「神田は気にしないでくれると思うけど」
「………………………………………………………………え?」
「大丈夫だって!こんなのすぐに元通りになるから」
「はい……?」


妙な違和感を覚えて、アレンは眉をひそめた。
何だか話がかみ合っていない気がする。
の両肩に手を置いたまま顔をあげると、彼女は何だか必死に言う。


「だから、そんなに思いつめないでよ。自分じゃ無理だから、アレンにやってもらうつもりなのに」
「あの、………………?」
「ね、その辺でハサミ借りてくるから。お願い!」
「……………………………………………………ごめん、何の話?」


本気でわからなくなってきて、アレンは微妙に引き攣った表情でそう尋ねた。
するとは目を見張る。
軽く首を傾けると、さらりとこう言った。


「だから、私の髪の毛を売るって話」


それを聞いた瞬間、アレンは完璧完全に固まった。
全身の動きを止めてを見つめる。
彼女はサイドテールにした自分の頭髪を掴んで続けた。


「何でもカツラに加工するらしいの。特に金髪は高値で売れるのよ。この地方では珍しい色だから、かなり期待できると思う」
「……………」
「私も知らなかったんだけどね。グローリア先生に修行だとか言われて砂漠に置き去りにされたときに、集落にいた商団に交渉したら」
「……………………」
「“金はいいから、その髪を売ってくれ”って言われたんだ。何でも貴族が求めてるんだって。金髪に憧れるお嬢様って多いみたい」
「……………………………」
「神田がいれば『六幻』でバッサリやってもらえたんだけどなぁ……。ハサミを借りてくるから、お願い、アレンが切って」
「……………………………………」


そこまで聞いて、ようやくアレンは硬直から解放された。
むしろ一気に脱力してしまう。
膝の力が抜けて立っていられなくなりそうだったから、の肩に額を押し付けた。


「アレン?」


が呼んでくるけど吐息しか返せない。
何だってこの人は、こうも心臓に悪いことばかりするのだろう。
そんなことを考えている間に、耳元で彼女がわたわた言った。


「あ、あの、ごめん。面倒だよね。だったらもう、アレンの左手で刈り取っちゃって!」
「ええ、今、猛烈に君の首を刈り取ってやりたい気分ですよ……!」


アレンは恐ろしく低い声でそう唸ると、を両手でがちりと掴んだ。
このままくびり殺してやりたい気がする。
思わず実行しそうになって、が悲鳴をあげた。


「い……っ、痛い痛い痛い!痛いよ、アレン!!」
「知りません。せいぜい激痛にのたうちまわれ」
「腹黒鬼畜発言……!か、髪を切るくらいしてくれてもいいじゃない!」
「嫌だ。やらない。絶対に!」
「何でー!?こんなの一瞬だってっ」
「そういう問題じゃない!だいたい伸ばしてるんでしょう、その髪!師匠のために!!」


アレンが苛々した調子でそう言えば、が目を見張った。
痛みに涙を浮かべながら首をかしげる。


「あれ?何でアレンが知ってるの?私がクロス元帥のために髪を伸ばしてるって」
「……………………」


しまった、と思ってアレンは口を閉じた。
“クロスは長髪の女性が好みだ”という嘘。
それを信じて幼少のころからが髪を伸ばしているというのは、ラビに聞いた話だ。
本人の知らないところで得た情報だから、何となく口にするべきではなかったと思う。
けれどはひとりで納得してしまった。


「ああ、ラビに聞いたの?そのこと知ってるのあいつだけだもんね」
「………………」
「でも、いいよ。切る」
「……、師匠に好意を持ってもらいたいんじゃなかったんですか」
「そりゃあ、もちろん」
「そのために今まで伸ばしてたんでしょう。なのに……」


そこで思わずアレンは言ってしまった。


「君の“好き”って、その程度のものなんですか」


それは何だか他人の声のように響いた。
アレンはそれを遠くに聞いたような感覚がして、しばらく自分が発した言葉だとは思えなかった。
どうしてこんなことを言ってしまったんだろう。
思考までひどく緩慢で、うまくいかない。
本当にどうかしている。
目の前で金色の瞳が揺れたから、アレンは指先を強張らせた。
は怒るだろうか、それとも悲しい顔をするだろうか。
どちらにしろ、返される感情が見たかった。
あんなに冷たい声で突き放すようなことを言っておきながら、それでも彼女の言葉が聞きたいと思う。
何故ならは、今まで一度だって、自分の想像通りにいてくれたことなどなかったからだ。


「私は……」


そしてやはり、は予想もつかない言葉を言い放った。


「好かれるより先に、力になりたい」


アレンは目を見張った。
はわずかに俯いて自分の頭に手をまわす。
結っていた紐を引っ張り、長い金髪を解いた。


「大切な人の助けになりたいだけよ」


落ちてきた髪が太陽に煌めいた。
まるで光をよって作ったみたいだ。
彼女の肩を掴んでいたアレンの手を、さらりと撫でてゆく。
その感覚を受けて、背筋を得体の知れないものが駆け抜けるのを感じた。
は言葉を失ったアレンに少しだけ微笑んでみせた。
そのまま歩き出そうとしたから、咄嗟に肩を掴みなおす。
いつもより乱暴な動作になってしまって、に驚いた顔をされた。


「あ……」


アレン自身もびっくりして自分の両手を見た。
指先はまだ彼女の金髪に触れている。
その色が瞳に焼き付いて、自然と言った。


「駄目だ。髪を売るなんて」
「え……」
「それ以前に切らないでください」
「でも、借金が」
「どうして君が自分を切り売りしなきゃいけないんですか」
「だって私、元帥のこと……むぐっ」


そこでは奇妙な声をあげた。
言いかけたその唇をアレンが片手で完全に塞いでしまったからだ。
苦しそうに呻く彼女を、アレンは冷ややかな目で見つめる。


「聞きたくありません。そんな寝言はいらない。君の言い分はぜんぶ却下だ!」
「むぐぐぐぐっ、もがもがもが」
「だいたいこれは師匠の借金です。そして払うのは、不本意だけど僕ということになっている」
「もがーっ」
「師弟の問題なんだ。君には……」


アレンはもう片方の手で、指先に触れる金髪を握った。


には関係のないことです」


そういった途端、の表情がわずかに強張った。
アレンはその理由がわからなくて、けれどそれよりも自分の気持ちに気を取られる。
今は何だかクロスに関わること全てから、を引き離したくて仕方がなかった。


「君は教団に帰ってください。僕は借金を何とかしてくるから、コムイさんに事情を……」


そこまで言ったところで続きは大きな音に掻き消された。
背後から響いてきたそれは汽笛だ。
どうやら待ち望んでいた汽車が駅に到着したらしい。
これを逃すと丸一日以上は移動できなくなるから、アレンはを急かした。


「ほら、早く!乗り遅れたら大変だ!」


慌てての背を押すと、彼女は何だか形容できない表情でこちらを振り返った。


「………アレンは、どうするの」


尋ねる声も、いつもより少しだけ低い。
けれどそんなことに構っている暇はないから、アレンは早口に答えた。


「とにかく借金をしている相手に会ってきます。借用書を見たら、これまでのものをぜんぶ誰かに肩代わりしてもらっているみたいだから」
「何て人?どこにいるの?」
「イグナーツ・ドリーという人です。この村にいるみたいですよ」
「へぇ。元帥はその人に会うためにここに来ていたんだ」
「たぶんそうでしょうね。それよりも急いでください!汽車が……」
「住所は?ああ、近いね。これならすぐに会えるよ」


腕を引っ張って追い立てようとするアレンの手から、は普通にすり抜けた。
同時に借用書を奪い取られる。
その動作は何だか有無を言わせない感じだ。
そのまま駅に背を向けて歩き出したから、アレンは本当に吃驚した。


「ちょ……っ、!」
「なに?」
「どこに行くんですか!駅は反対方向です!!」
「わかってるって。アレンじゃあるまいし、そんな迷子のなり方はしないよ」
「僕だってそのくらいは……!じゃなくてっ」


ずんずん前に進んでゆく金髪を追いかける。
は妙に早足だ。
背中越しに声が聞こえてきた。


「どんな人だろうね、ドリーさんって」
「まさかとは思うけど、一緒に会いに行くつもり……?」
「まさかとは思うけど、そうじゃないように見える?」
「……っ、駄目です、君は帰ってください!」
「アレン」


そこではきちんとアレンに向き直った。
そして真剣な声で言った。


「力になりたいって思った気持ちは、“その程度”のものなんかじゃないよ」


だから、どうしてそんな顔をするんだ。
アレンは思わずそう怒鳴ってしまいそうになって、強く唇を噛んだ。
こんな目をしたが、その意思を曲げるはずがない。
そんなことはわかっている。
それなのに、その原因がクロスだというだけでどうしてこうも胸が騒ぐのだ。
アレンは無意識のうちにに手を伸ばした。
彼女はわずかに目を見張ったけれど、特に避けようとはしなかった。
指先が届く。
肩を掴んで、頬に触れて、引き寄せたい。
それから…………。
アレンが何だか朦朧とした頭でそこまで考えた、その時。


平和な村に、突如として甲高い悲鳴が響き渡った。


アレンとは即座に反応してそちらを振り返る。
そして言葉もなく同時に駆け出した。
これはもはや職業病だ。
反射的に動いたそのままで次の角を曲がると、地面に若い女性が座り込んでいた。
綺麗な服を着て、花の飾られた帽子を被っている。
明らかにこの村の人間ではなかった。
恐らく今の列車に乗ってきたのだろう。
が素早く駆け寄って、彼女を助け起こした。


「大丈夫ですか?何があったんです?」
「あっ、ああ……」


女性は衝撃から立ち直れていないのか、上手く喋れない様子だった。
アレンはとは反対方向に回りこんで、彼女の肩を強く抱いた。


「落ち着いてください。もう安全ですから」


耳元で出来るだけ優しい声で囁く。
失礼にならない程度に引き寄せれば、女性はアレンに抱きついてきた。


「ああ、まさかこんなところで泥棒にあうなんて!」
「どろぼう?」


がきょとんとした声を出した。
職業柄、てっきりアクマに襲われたものだと思い込んでいたのだ。
女性は大きく頷くと、泣きながらますますアレンにしがみついた。
そっと背に手をやって慰めるように撫でてやる。
そうしていると、が険のある目で睨んできた。
思わず心臓が跳ねる。
ああ、これってつまり…………。


「美人に抱きつかれて羨ましい……」


やっぱりヤキモチだ予想通りだ、ああ腹立たしい!
アレンは猛烈な怒りを覚えてを睨み返した。
はわずかにたじろいたが、それどころではないから気を取り直して女性に訊いた。


「お怪我はありませんか?」
「え、ええ……」
「そう、ご無事で何よりです。泥棒に襲われたとおっしゃっていましたけれど……」
「汽車を降りた途端です!きっとつけられていたんだわ!!」


女性はぼろぼろ泣きながらに訴えた。


「この村には私の祖父がいるんです。隠居してから田舎暮らしがしてみたいと、ここに一人で住んでいて……。月に一度顔を見に訪れているのですが」
「そうしてやってきた今日、物取りにあったんですね。きっと貴女の身なりを見て、変なのがついてきたんでしょう」
「ああ、ひどい!鞄の中には大切な物が入っていましたのに……っ」
「大切な物?」


が静かに問いかけると、女性はますます泣き出した。


「お金なんてどうでもいいのです!ただ祖母の遺品だけは……っ」
「お祖母さまの……?」
「つい先日、家を整理していましたら出てきた物です。懐かしくて、祖父にも見て欲しくて……。それなのに……!」


そこで女性は顔を覆ってわっと泣き出してしまった。
アレンは静かな声をかけながら、優しく背中を撫でてやる。
さて、どうしたものか。
気の毒に思うし何とかしてやりたいところだが、彼女がこの調子では傍を離れることができない。
警察だって、こんな小さな村ではどれくらい役に立ってくれるか。
アレンは瞳を伏せた。
けれど思案を深める前に、すぐ傍で声がする。


「許せない……」


それは地獄から響いてくるような、恐ろしい声だった。
アレンは反射的に顔をあげて、目を見張った。
何故ならまでもが涙を浮かべていたからだ。
けれどそれは女性のものとは違い、怒りによる涙のようだった。


「許せない……!」
「ちょ……、あの」
「許さない!」
?」
「こんなに美しい人を泣かせるだなんて絶対に許さない!!」


さっきまでの冷静な態度はどこへいった。
アレンはそう問い詰めたくなったが、同時に諦めも感じていた。
女性の味方であるがこの事態に平静でい続けることなど、絶対に不可能なのだ。
は溢れそうな涙を拭いもせずに女性の両手をぐっと握った。


「安心してください、ご婦人!私がその罪深き泥棒を捕まえてさしあげます!!」
「ほ……、本当ですか!?」
「ええ。そして、貴女に花の笑顔を取り戻しましょう」


そこでは潤んだ瞳のまま微笑んだ。
これは同性の者でさえどきりとするような笑みだったから、アレンが言葉を失ったのは当然のことだった。
は女性にハンカチを差し出すと、凛とした声音で告げる。


「お約束いたします」


彼女は音もなく立ち上がる。
そして疾風のように駆け出だした。
翻る金髪と漆黒のスカート。
結局アレンが我に返ったのはその姿が完全に視界から消えた後だった。


!待ってください!!」


叫んでも、当然のように返事はなかった。










ヒロイン、憧れのクロス師匠と再会!です。
いつか会わせてあげたいとは思っていたので、書けて満足です〜。
ところでヒロインはクロス師匠のことを“初恋”と言っていますが……。
「愛人にしてやるよ」の答えが「相棒にしてください!」な時点で終ってる気がしますね。(笑)
結局ヒロインにとってのクロスは“先生(グローリア)のパートナー”なんだと思います。だからこそ「好き」。
あと何だかアレンが一人でもんもんしてますが、この章ではずっとです。延々とです。(爆)
がんばれ思春期、青少年!^^

次回は遂に(?)あの人が登場です。よろしければどうぞ〜。