そんなこんなで、エクソシストは一時休業。
借金返済奮闘記のはじまりです。
● 蝶と口づけ EPISODE 3 ●
特定の人物を捕獲する。
それにはまず、情報を集めることだ。
どんな些細なことでもいい、相手のデータを収集し、その思考や行動を推測する。
特に顔も知らない者を探し出す場合、それは有効な手段だった。
けれど被害者の女性を思い出す。
彼女はひどく動揺していて、犯人のことを聞き出すのはどうにも酷だった。
無理強いなどできるはずもなく、は何の手がかりもないまま道を駆けているのである。
そう、決して被害者から犯人の特徴を聞く前に動き出してしまったわけではない。
怒りに我を失い、先走ってしまったわけではない。
…………うん、そういうことにしておきたいな!
はひとり冷や汗を浮かべた笑顔で頷くと、ぐるりと辺りを見渡した。
こうなれば他の目撃者をあたるしかなかったからだ。
しかし。
「誰もいないってどういうことだー!」
は全速力で走りながら、悲しい現状を叫んだ。
行けども行けども人影ひとつない。
周囲は静寂に満ちている。
さすが田舎。
じゃなくて。
「これじゃあ目撃情報にはまったく期待できない……。ああもう、何て閑静な村なの!田舎バンザイ!!」
やけくそに叫びながら、スピードを落とさずに角を曲がる。
鋭く方向転換し、前方を見やる。
相変わらず同じような木造の家が建ち並ぶ道だ。
舗装されていない道を脚がこすって土ぼこりをあげた。
その時、ふいに視界にひとつの影が飛び込んできた。
は一瞬目を疑い、本当にそこに人間がいることを確認すると、ぱぁっと顔を輝かせた。
「やった、ようやく村民発見!すみませーん、ちょっとお聞きしたいんで……」
そこでは言葉を止めた。
何故なら視線の先にいる一人の男に引っかかるものがあったからだ。
ゆっくりと目を見開いてゆく。
彼はこちらに背を向けて、ひどく焦ったように走っていた。
汚れた手足に、ほつれた黒髪。
破れた袖に覆われた腕が何かを大事そうに抱えている。
それは白い皮の鞄だった。
花飾りのついた、女性ものの鞄。
ぼろぼろの身なりをした男には不似合いにもほどがある。
はそれを悟った瞬間、思わず叫んでしまった。
「ドロボーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
鞄を飾った花は、被害者の婦人の帽子にあったそれと、まったく同じだったのだ。
「犯人見つけたー!」
は先刻以上に顔を輝かせた。
男はぎょっとしたように振り返った。
そしてキラキラした笑顔で自分を追ってくるを発見した。
その表情がいっそ可哀想なくらいに引き攣る。
蒼白になって走るスピードをあげた。
「逃がすもんか!」
は意気揚々とそう叫ぶと、素早く視線を巡らせる。
男との距離は大きい。
走って追いつけるかどうか。
けれど絶対に逃がすわけにはいかなかった。
何か何か何か、何かないの!
ちょうどその時、十字路を郵便屋が通りかかった。
こんな辺鄙な場所である。
週に何度かだけ隣町からやってくるのだろう、この村には珍しい自転車を手に押している。
持ち主のおじさんは猛烈なスピードで駆けてくるを見て、とても驚いたようだった。
犯人はすでに十字路を通過していたから、目に入ったのはこちらだけだったらしい。
おじさんは自転車を停めながら訊いた。
「お嬢さん、そんなに急いでどうしたんだい?」
「ナイス登場です、郵便屋さん!」
は彼に思い切り飛びついた。
吃驚して身を引いたおじさんの代わりに自転車を支える。
倒れかけたそれを引き起こして、進路を修正。
そしてサドルに飛び乗った。
「ちょっとお借りしますね!!」
「ええ!?おいおい、お嬢さん!!」
困惑した郵便屋の声はすでに頭の後ろだった。
は力の限りでペダルを踏み込みながら言う。
「ごめんなさい!すぐにお返ししますからー!!」
「ちょっ、駄目だよ、それは……!」
おじさんの動揺した叫びは、耳元でびゅんびゅん鳴る風に掻き消された。
は立ちこぎ全開で自転車を走らせる。
村ののどかな風景が左右を猛スピードで流れていった。
逃げる足を止めずにこちらを振り返った犯人が、ひい!と悲鳴をあげたのが聞こえた。
は高らかに告げてやる。
「これが“チャリンコ暴走族”で名を馳せたさんの実力よ!」
そのバカみたいな異名は幼いころのものだ。
捨てられていた自転車を拾ってきて改造し、ラビと乗り回して遊んでいたのである。
結局暴れすぎてそれを大破させ、グローリアとブックマンに猛烈に怒られたのは懐かしい思い出だ。
幼き日に想いを馳せながらは犯人を追いつめていった。
二つのタイヤから煙が出るほどの速度で迫る。
それこそ自転車では有り得ないほどのスピードだ。
ああ、久しぶりの疾走感に胸が高鳴る。
まだまだ私は現役だよラビ!と心の中で親友に報告しておいた。
そしてついに、は犯人の襟首をふん掴まえた。
完全に拘束するために停止しようと、自転車のハンドブレーキを強く握る。
男の悲鳴を聞き、は勝利の声を張った。
「よっし、犯人ゲットー……ぉぉおおおお!?」
しかしそれは途中から驚愕の色に変わる。
止まらない。
止まらない。
何が止まらないかというと、自分が。
つまり自転車が。
「止まらないー!?」
自転車は猛スピードのまま村を駆け続ける。
がひっ捕らえられた犯人は襟首を捕まれたまま、地面を引きずられていた。
何だか凄まじい悲鳴があがっているが、そうしたい気分だったから構っていられない。
悪いが男をどうにかしてやる気はないし、そんな余裕などあるものか。
必死にブレーキハンドルを握る。
何度もそれを試みるが、まったく手ごたえがない。
まさかこれは……。
「犯人さーん」
は嫌な笑みを口元に浮かべた。
男は有り得ないスピードで引きずられていて目を回しているのか、もう悲鳴すら途絶えていた。
それでもは唯一同じ境遇に陥ってくれている彼に、引き攣った声で現状を告げる。
「なんてゆーか、その……。ブレーキが壊れているみたいで止まれません」
犯人は言葉にならない声で呻いた。
意識があるのかないのか、ちょっと確認できないが、絶望していることに変わりはないだろう。
も頭を抱えたいところだ。
けれどそうすると犯人は転がり落ちて大怪我をするだろうし、自分だって自転車から放り出されてしまう。
あぁもう、どうすれば……。
「って、行き止まり!?」
前方を見やっては悲鳴をあげた。
猛スピードで迫ってくるのは一軒の家。
いや、妙に横に長いし、テラスのようなものも見える。
何かのお店だろうかと検討をつけたころには、もうそれが目の前にあった。
ちょうどその時、店から人間が出てきたのでは必死に叫ぶ。
「どいてどいてどいてー!お願い、今すぐ避難してー!!」
騒々しい悲鳴を耳にして、扉を押し開いた赤毛の女性は目を見張った。
けれどすぐに後ろにいた数人をその恰幅のいい体で一気に脇に突き飛ばす。
続いて彼女もそこから飛びずさった。
次の瞬間、と犯人は、自転車ごとその店に突っ込んだ。
扉板を跳ね飛ばし、ガラスを砕き割り、テーブルや椅子をなぎ倒して、トドメに柱を粉砕する。
当然自転車からは投げ出されて、は犯人の頭を抱え込んだ。
二人して床に落ち、何度も跳ねながら店の奥に転がってゆく。
最後に壁にぶつかって、ようやく止まった。
は打ち付けた背の激痛を振り払いながら、素早く身を起こした。
何だか薄暗い。
どうやらカウンターの下に滑り込んだらしい。
犯人を確認してみると、やっぱり目をまわしていた。
けれど目立った怪我はなさそうだ。
が庇ったのは頭だけだったから手足をすりむいていたけれど、泥棒をそこまで守ってやる気もない。
よし、無事だ!と決め付けると、は男を放り出してカウンターの下から這い出した。
そして立ち上がりながら叫んだ。
「大丈夫ですか!?怪我人はいませんか!?」
店内は妙な静けさに包まれていた。
誰もがあまりの非常事態に言葉を失っていたのだ。
けれどは構わずにその場にいた数人(ほんの三人だった)に駆け寄って、一人ひとりを確かめる。
よかった全員無事のようだ。
心底ほっとして息をついたに、赤毛の女性が眉をひそめながら言った。
「怪我人はあんただろう」
「え」
見開いた視界を何かが染めた。
真っ赤な何かが。
それが自分の額から流れ出る血だと思い至った瞬間、はぶっ倒れた。
「だからどうして君はそうなんだ!!」
どっぷり暮れた空を背景にして、アレンは声の限りで叫んだ。
肩はいかり、握りこんだ拳が震えている。
世にも恐ろしい形相で見据えるのは、地面に正座しただ。
彼女はしゅんとうなだれていた。
本当に反省しているみたいだが、額のガーゼを見れば許してやろうなんて気持ちは跡形もなく吹き飛んでしまう。
「毎回毎回、無茶ばかりして!そうやって怪我をして!しかも犯人を庇っただって!?」
「は、はい。すみません……」
「すみませんじゃない!どうせボコボコにするつもりだったくせに、馬鹿じゃないのか!!」
「いや、あの。それは咄嗟のことでして、つまり不可抗力といいますか……」
「口答えしない!!」
「ごめんなさぁい!!」
はがばりと地面にひれ伏した。
そではズタボロに破壊された店の前でのことだった。
周りには村民全員が集まって、店の惨状や激怒するアレン、正座させられたなどを見てはざわめいている。
傍には被害者の女性とその祖父、店の主がややウンザリした顔で立っていた。
それもそのはず、アレンの説教はかれこれ数時間に及んでいたのだ。
ここに駆けつけたとき、アレンが見たのは床に倒れただった。
目に入ったのはそれだけで、蒼白になって血を流す彼女を抱き起こしたのだ。
傍に赤毛の女性が付き添っていた気がするがよく覚えていない。
店の惨状にも後から気がついて驚いたぐらいだ。
幸い軽い脳震盪を起こしただけで、は数分もせずに目を覚ました。
それは常人より遥かに早く、さすがエクソシストというべきだろう。
しかもあれだけの大事故を起こして目立った怪我は額からの流血だけだ。
よほどの強運か、日頃の鍛錬の賜物か。
とにかくは自分の体の具合を確かめると、すぐに立ち上がった。
アレンが吃驚して止めたのだが彼女は普通に大丈夫だと言う。
手当てを施した赤毛の女性にまで平気だろうと言われて、アレンはたいへんやきもきした。
けれどがあまりに元気だったから、安心すると同時に怒りが湧いてきた。
その後は殴りつけるように正座をさせて延々とお説教を続けている。
そして今に至るのだ。
「だいたいあなたもあなただ!」
アレンはの隣をきつく睨みすえた。
そこには同じく正座させられた男、例の犯人がいた。
「あなたが泥棒なんて馬鹿なことをしなければ、馬鹿なも馬鹿みたいに無茶をして、馬鹿馬鹿しい怪我なんてしなくてすんだものを!!」
男はびくびくと何か言ったようだったが、即座にアレンに遮られた。
それからまたお小言が始まる。
周囲を固める村民達はある意味感心していた。
こんな田舎で捕り物があったこと自体そうなのだが、捕まえた方と捕まえられた方が一緒になって怒られているのは珍しい。
しかもよほど激しい立ち回りが行われたのだろう、背後の店は見るも無惨にボロボロになっていた。
ふいに村民達がざわめいた。
わずかな人垣を掻き分けて出てきたのは警官だ。
どうやら隣町から馬車で駆けつけてきたらしい。
「これは一体どういうことかね?」
警官は心底驚いた声でそう言った。
視線はせわしなく動いている。
まず扉が吹き飛び、ガラスが砕かれ、家具が吹き飛ばされた店内を見て、大きく目を見張った。
次に地面に仲良く正座をしたと犯人を見た。
そして最後にアレンに困惑の表情を向ける。
「ええーっと……。本当に何があったんだね……?」
さっぱりわからないとばかりに首をかしげている。
アレンは憤然と言った。
「が悪いんです!!」
「はぁ……?」
「ちょっとひと騒動あったのさ」
これでは話にならないと思ったのか、赤毛の女性が口を挟んできた。
彼女は怒っているアレンをの方に押しやると、二人まとめて指差して見せた。
「私の店を壊したのはこの子らだよ」
「この子らが?」
警官は不審そうに目を瞬かせた。
アレンとは、見た目だけなら善良な少年少女だからだ。
けれど女性は容赦なく続けた。
「女の子の方が泥棒を捕まえようとしたのさ。郵便屋に借りた自転車でね。けれどそれのブレーキが壊れていて、止まることができずに私の店に突っ込できたんだ」
「自転車で……?まさか。それだけでここまでひどく壊されたりはしないでしょう」
「この娘を舐めちゃいけないね警部。かなり剣呑なお嬢さんだよ」
「はぁ……。この子がねぇ……」
説明が面倒だったのか、赤毛の女性は店の惨状を手で指し示して、これが現実だと訴えた。
警官はうろんげな目でを眺める。
アレンが眉を吊り上げたまま大きく頷いたのを見て、何となく彼女から距離をとった。
「…………それで、そっちの少年は?」
「女の子の連れだよ。何だかとても仲が良いようでね」
「そんなわけないでしょう!!」
アレンは思わず叫んだが、女性はそれを普通に無視した。
「女の子が無茶をして怪我をしたと知ったら、ひどく怒り出したんだ。それから掴み合いの大ゲンカをおっぱじめて、今もまだお説教が続いている。おかげで私の店はますます滅茶苦茶にされてしまったよ」
「はぁ。二次災害というわけですか。何とも厄介な子供たちですなぁ……」
警官は苦々しく呟いて、部下に指示を出した。
とりあえず犯人の男を護送する準備を始めさせる。
自分は被害者の女性の話を聞き、その祖父にも挨拶をしておいた。
そして最後に、まだまだお説教を続けているアレンとに声をかけた。
「おい、君たち」
二人は同時に振り返った。
怒り顔と落ち込み顔があまりに対照的で、警官は少し笑いそうになる。
けれど何とか唇を引き締めると、口調を厳しくして言った。
「一体どこの子だい?この村には何の用で来た?親御さんに連絡をするから、身元を言ってもらおうか」
「警部さん!」
呼び声は背後からだった。
振り返ってみると、花飾りの帽子を被った女性が泣きそうな顔で立っていた。
彼女は確か被害者の。
「店の修理代は私が出します。その子達を責めないであげてください」
「そんな!」
声をあげたのはだ。
慌てて立ち上がろうとしてよろける。
長い時間正座をしていて足がしびれているのだろう。
咄嗟に手を差し出したのはアレンだった。
警官はわずかに瞬いた。
店主が言っていたように、彼らは本当に仲が良かったのか。
雰囲気的には険悪なままだったけれど、これにはちょっと感心してしまう。
はアレンにお礼を言うと、被害者の女性に必死に訴えた。
「そんなの駄目です、私がやらかしちゃったことなのに」
「けれど、あなた達は祖母の遺品を取り返してくれました。優しく声をかけてくれました。私のことを助けてくれた恩人なのですから……」
「恩人だなんて!こっちが勝手にしたことじゃないですか」
「の言うとおりです。貴女が気に病むことではありませんよ」
アレンも穏やかに女性の申し出を断った。
けれど彼女はますます泣きそうになってしまった。
「けれど、私のためにしてくれたことでしょう……。それであなた達が被害をこうむるのは我慢できません」
「被害をこうむったのはこっちだよ」
呆れ口調が横から入り、全員が振り返った。
そこには赤毛の店主が仁王立ちになっていた。
彼女はたくましい腕を伸ばして、ぶち壊された店を指差す。
「明日から商売ができないじゃないか。どうしてくれるんだい」
「弁償します」
きっぱり答えたのはだった。
それ以外ないとばかりの口調だ。
店主は片眉を吊り上げた。
「あんたが?あんたみたいなお嬢さんが?その細腕で金が稼げるとでも言うのかい」
「自分がやったことには自分で始末をつけます。私が、ひとりで」
「!」
アレンが思わず声を荒げた。
どうやら一人で背負い込む気でいるが気に食わないらしい。
口ぶりから察するに、彼女は被害者の女性をこの問題から遠ざけたいようだった。
けれどそうするためには、アレンも同じように敬遠する必要があったのだ。
は微笑んで言った。
「安心してください。これでも根性には自信があります。必ずお店を元に戻すと、お約束しますとも!」
「僕も手伝います」
「ダメ」
「駄目じゃない!」
あくまで自分ひとりでやる気のにアレンは真剣に腹を立て始めたようだ。
声に本物の怒りが混じってきたのを知ってか、が話題を変えるように周囲の人々に訊く。
「あの、イグナーツ・ドリーという方をご存知ありませんか」
瞬間、そこにいるほとんどの人間が微妙な表情をつくった。
は不思議に思いつつも続ける。
「実は私、その方に借金を返しに来たんです」
「…………借金?お嬢さんがかい?」
「いえ。クロス・マリアン神父の代理で」
「あの人の」
「代理だって」
「一応金を返す気はあったのか……」
何だか周りではざわざわと好き勝手に会話が交わされている。
は困ったように、ちょっとだけ眉を下げた。
「えーっと……。すみません。ドリーさんにお会いして、返済期間を延ばしていただきたいんです。こちらのお店のことがありますから」
「はぁ……。そういうことかい」
目の前で警官が思い切りため息をついた。
「これは本当に厄介なことになったな……」
「はい?」
きょとんとしたを、アレンが押しのけた。
「ドリーさんには僕が会いに行きます。もともと僕が返済人になっているんだから」
「アレン!」
「には関係ないって言っただろう」
「…………それで、私の借金まで背負い込んでくれる気?」
「当たり前です。君だけの問題じゃない」
「……っ、だからどうして私のときはそれが言えて、自分のときは言えないのよ!」
「それよりドリーさんは」
「ドリーは私だよ」
その名乗りは眼前から聞こえてきた。
振り向くと、そこにはこちらの言い争いを呆れた目で眺めていた店主が立っていた。
アレンとはしばらく目を見張ったまま硬直した。
まじまじと赤毛の女性を凝視する。
そして同時に言った。
「「ドリーさん?」」
「イグナーツ・ドリー。私の名前だ」
そうしてドリーはにやりと嫌そうな笑みを浮かべた。
「あんた達、あの不良神父マリアンの関係者だったのかい。どうりで面倒な子らだと思ったよ」
あぁ何てことだろう。
二人はそう思って顔色を失くす。
少しの間のあと、は蒼白になって土下座の如く頭を下げた。
「ほんっっっつとうに、スミマセンでしたーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
心からの謝罪の声は、夕暮れの空に高く高く響いていったのだった。
そんなわけで、アレンとは多大な借金を抱え込むことになってしまった。
元よりツケられていたクロスのものと、が壊してしまった店と自転車の修理費だ。
アレンは借りたのはクロスなのだからには関係ないと言い張り、は自分がしでかしてしまったことなのだからアレンは手伝わなくていいと主張した。
これまたどちらも頑固で譲らない。
結局その応酬に呆れ返ったドリーが、とりあえずはそれぞれの負担分を返してくれと言って、話を落ち着けたのだ。
まぁ両者とも引く気はないから、最終的には二人で完済することになりそうだが。
壊れた店は一日がかりで修復された。
ドリーが金を立て替え、に借用書を見せる。
そして「これで本当に金庫がカラッポだ」と嘆いた。
その後改めて確認すると、アレンの借用書にはのものよりゼロがいくつも多くついていて、そりゃあ金庫も寂しくなるだろうと思った。
仕事は翌日から早速はじまった。
最初は別のところで金を稼いでくるつもりだったのだが、
「面倒なことはしなくていい。ここで働きな」
というドリーの一言で、二人の稼ぎ口はあっさり決まった。
それどころか借金を返し終わるまでそれぞれに部屋を与えると言う。
つまり住み込み労働だ。
どうやらドリーはクロスに大変腹を立てており、できるだけ早く金を返して欲しい様子だった。
こうしてある意味、至れり尽くせりの借金返済生活が開始されたわけだが。
「どうしてこうも厄介事ばかり起こるのかねぇ……」
首を振り振り、ドリーはため息をついた。
その吐き出した息をもう一度吸い込み、大音声で怒鳴る。
「いいや、起こしてるのはやっぱりあんただね。いい加減にしな、!!」
叱りつけられてはハッとしたように身を強張らせた。
何だか髪が乱れて服がよれている。
足元には数人の男性が転がっていた。
一人はいまだにに胸倉を掴まれたままだ。
その手をパッと離して、彼女は勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
けれど即座にフォローがあちらこちらから飛ぶ。
「ちゃんは悪くないよ、ドリーさん!」
「そうそう、ソイツらが強引にデートに誘ってきたんだよな」
「ひとりが言い出したら何人もが名乗り出てきて、険悪ーな雰囲気になっちまって」
「一気に乱闘騒ぎさ」
「彼女はその仲裁に入っただけですわ!!」
客達の力説をドリーは聞き流した。
だけを睨みつけて言う。
「だからって何でこんな事態になるんだい」
「お皿が……」
しょげ返った声では呟いた。
「掴み合いのときに、テーブルの上のお皿が落ちちゃったんです。料理がこぼれちゃって、カップも割れて……。熱いコーヒーが子供の手にかかりそうになったのを見たら、体が勝手に」
「………………無意識の内に仲裁ならぬ制裁に入っていたってわけかい」
が事をやらかした理由を正確に悟って、ドリーは頭痛を覚えた。
つまりこの娘は、料理を無駄にしたこと、陶器を割ったこと、子供を危ない目にあわせたことなど、いくつも重なった迷惑行為に自然と拳が出てしまったらしい。
ドリーもすでにの性格は了解していた。
きっと普段なら乱闘が起こった時点で飛び出して行っていたはずだ。
これでも彼女はかなり我慢した方だと言える。
一応は雇われの身であると承知しているのだろう、しかし他の客に被害が及びそうになったところでキレてしまったようだ。
見渡せばテーブルはひっくり返るわ食器は粉々だわで、店の一角は目茶苦茶になっていた。
「とにかく壊した分は給料から引いておくからね」
ドリーは厳しい声でそれだけ告げた。
周りの客達が、それはひどい!とか壊したのはちゃんじゃねぇってーとか口々に言ったが普通に無視だ。
はうなだれたまま「はい」と頷き、もう一度頭を下げてから、ドリーを見つめた。
「すみませんでした」
「………………まったく」
ドリーは呟きながらの頬に手をかけた。
指先で持ち上げ、じいっと眺める。
何だかため息が漏れた。
「この顔が悪いのかねぇ……」
「悪……!?」
「確かにお綺麗だが……。ちょっと騙される馬鹿が多すぎる」
「……………………」
「まぁ大量の男性客を引き込んでくれたことは、感謝してるよ」
ドリーはもう一度息を吐き出すと、けげんそうにを見やった。
「あんた、その見てくれでよく今まで平和に暮らしてこられたもんだね」
そう呟けば、周囲の客もそうだよなぁと頷いた。
最近、このさびれた村の宿屋は都会のカフェ並みの繁盛を見せている。
今や誰もが知っている通り、その原因はの容貌にあった。
ハンガリーでは珍しい金髪に金眼。
加えて人形のような整った顔をしているものだから、評判を集めずにはおれなかったのだ。
それこそ他の街からわざわざやってくる者までいたりする。
おかげで客数は爆発的に増えたが、同時に厄介な男共まで引き込んでしまうのが困ったところだった。
そういったわけで、ドリーや客たちは思わず考え込んでしまう。
は今までどれほど、その容貌のせいで先のような目に合ってきたのだろうか。
多くの懸念の視線を向けられて、は口を開いた。
「そんな、全然ですよ。私、小さい頃から任務で国を飛び回ってましたから、こうやって何日も同じ場所に留まっていることもありませんでしたし」
なるほど、だからこれまで不穏な事態に巻き込まれずにすんでいたのか。
客たちはそう納得したが、ドリーだけは別だった。
ちょっとだけ声のトーンを落として訊く。
「それでも帰るところはあったろう。『エクソシストの本部』ってのが。そこではどうだったんだい?」
その問いには表情を取り繕っただけで、答えなかった。
代わりにこう言う。
「その本部に連絡ができなくて困ってるんですよね。私のレムちゃんは故障中だし、ティムはアレンが投げ飛ばしたまま行方不明。しかもこの村からは国際電話はかけられないって言うじゃないですか」
「ああ、隣町まで行かなきゃ無理だ」
「いい加減連絡を入れないと、本部の人たちが心配するんですけど……」
「そんなわけあるかい。マリアンは3ヶ月もここにいたよ。何年も音信不通を貫いているようだったしね」
そう言い切るドリーに、は額を押さえた。
どうやら彼女はクロスがエクソシストとして一般的であると思っているらしい。
何年も本部との関係を絶っている彼しか知らないのだから、達もそう連絡を急くことはないと言うのだ。
しかしクロスは特殊の中の特殊である。
エクソシストという職業上、任務先でのトラブルなどでしばらくは考慮してもらえるとは思うが、いつまでもこの状態を続けるわけにはいかなかった。
下手をすると捜索隊が出されかねない。
さらに下手をすると、実質は死亡という名の行方不明にされかねない。
それは書類上のことだけど何とも避けたい事態だ。
同時にラビやリナリーの心配顔が浮かんできてますます落ち込む。
神田はいつブチキレて暴れ出すやら。
コムイが「あー、どうせまたちゃんが厄介事を起こしたんだろうなアハハハハ」とか思って放置してくれている間に、何とかして連絡を入れたいものだ。
は小さくため息をつくと、沈んだ気分を振り払うように顔をあげた。
ふと思いついて言う。
「そう言えば、クロス元帥は店長にお金を借りに来たんですよね」
するとドリーは猛烈に不機嫌な顔をした。
太い眉を釣りあげ、口元を曲げる。
それから嫌そうに頷いて見せた。
「ああ、そうだよ。あの馬鹿の借金を私が全部立て替えたんだ」
「へぇ……。あの、ひとつ聞いてもいいですか」
「何だい」
「店長とクロス元帥って、どういったお知り合いなんですか?」
それは前々から気になっていたことだ。
こんな田舎の村にクロスの知り合いがいる時点で不思議だし、ドリーはどう見ても彼の愛人ではない。
友人かとも思ったけれど、雰囲気的に違う気がする。
だから不思議に思って尋ねてみたのだが、その途端ドリーはふっと表情を消した。
は驚き、妙に焦る。
即座に言葉を取り消そうとしたが、それより先にドリーが口を開いた。
「ただの腐れ縁だ」
「え……?」
「いいからとっとと働きな。さもないと一生本部とやらに帰れないよ」
「う……っ」
耳に痛いことを言われては言葉を詰めた。
同時にぱしりと頭をはたかれる。
振り返るとアレンが立っていた。
彼はもう一度手にした箒でをはたいた。
「またやらかしたんですか。ホラ、さっさと片付けましょう」
そう言ったのは仏張面でだったが、それでも店内にざわめきが広がる。
アレン目当ての女性客だ。
見目麗しい少年も、同様に客引きに大いに役立っていたのである。
としては自分も女性客の相手をしたかったのだが、ドリーの意向でそれは全てアレンに任されていた。
おかげで店内の反応にちょっとだけムッとする。
掃除を始めようとしたアレンから箒を掻っ攫った。
「いいよ。自分でやる」
「…………じゃあ、お任せしますよ」
アレンはちょっとだけ驚いた顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「君が人並み以上に出来ることといえば、自分の失態の後始末だけですもんね」
「誉められた!最悪なこと誉められた!!」
「うわーってば掃除上手!!」
「わざとらしく拍手なんてするなぁっ」
は思わず箒を振り回したが、アレンに軽くかわされる。
ますます気に喰わない。
「あぁもう腹が立つ!ここ数日さんはあんたにご立腹よ、アレン!!」
「それはどうもありがとうございます」
「どうしてアレンばっかり女の子の接客してるのよー!」
「腹立つってそこですか……。店長が決めたことでしょう。君は男性客、僕は女性客担当だって」
「それも今はどうかと思ってるんだよ……」
唸るようなドリーの声に、アレンとは振り返った。
ドリーは上から下までを眺め回す。
ため息と共に話題を最初のものに戻した。
「どうにもこの見た目に引っかかる男が多すぎる。顔は仕方ないとして、格好を変えるか……。どうだい、。いっそアレンと同じ服装にするかい」
「アレンと同じって……」
は瞬きながら、隣を見た。
そこには白いシャツに黒のベストとタイ、同色のスラックスを身につけたウェイターが立っている。
ああ、もしかしてこれを着たら女性の接客ができるかも!
は顔を輝かせた。
しかしその淡い期待は、見事なまでに一刀両断される。
「駄目です」
「なんで!」
「が男装なんてしたら、それこそひっきりなしに女性を口説きまわりますよ。仕事になりません」
「それもそうだねぇ」
「ちょ……っ、店長!何であっさり納得しちゃうんですか!?」
自分を無視してうんうんと頷きあうアレンとドリーに、は悲鳴じみた声をあげた。
く……っ、もう少しで上手くいきそうだったのに!
「そういうわけで、さっさと掃除を始めてくださいね」
アレンは不遜な笑顔でそう告げた。
同時に金髪をぐりぐり撫で回される。
思わず頭を押さえて逃げ出したけれど、珍しいことに追撃はなかった。
アレンはを追うことなく、身軽にその傍をすり抜ける。
そして言った。
「これらの後始末は僕がしておきますから」
微笑んだ彼の手は、床に転がっていた男達の胸倉がガッチリと握られていたのだった。
復讐をしよう。
はそう決めた。
決意を胸に、歩き出す。
結局がのした男たちはドリーの手に引き取られた。
アレンだったら確実に全員を再起不能に陥らせてしまう、それはさすがに不穏だ、と彼女に判断されたからだ。
しかしドリーもドリーで、
「じっくり教え込んでやるよ。二度とのためなんかに争って、店の物を壊すなってね」
と壮絶な笑顔を浮かべていたので、男達の行く末は真っ暗だろう。
アレンは不満そうに彼らを見送ると唇を尖らせたまま厨房に戻っていった。
はというと、言われた通り店内の掃除に励んだ。
テキパキと超人的な手際のよさで片付け、陶器の破片や木片などを捨てに店の裏手に出る。
大きなバケツにゴミ袋を突っ込んだ。
何だか乱暴な手つきになってしまったのは、きっとアレンのせいだ。
から見ても彼は完璧なウェイターだった。
もとより顔がいいし、物腰は柔らかで口調も優しい。
極めつけはあの笑顔だ。
そりゃあ女性に人気が出るだろうと思う。
けれど。
(最近ますます私に対する態度との差が、ひどい気がする……)
バケツの底にゴミ袋を押し込みながらは考えた。
そう、あの笑顔!
ここで働くようになって、は改めて痛感した。
アレンはに対してだけ、ぞんざいな口の聞き方をしたり、遠慮のない行動に出たりする。
あんな素敵な笑顔、間違っても向けてはくれないのだ。
それは教団でも同じだったが、四六時中いっしょにいる今は特に気になった。
なにせ目の前で多くの人に接しているのだ。
相手が客だからだとも思うけれど、それにしたって最近は妙に過剰である。
加えてさっきの態度といったら。
(せっかく私が女性の接客にまわれるチャンスだったのに!)
は憤然と思って、勢いよくバケツの蓋を閉めた。
ばかんっと音が鳴り、驚いた鳥たちが近くの木からいっせいに飛び立つ。
それを背景に固く拳を握った。
(よし、復讐しよう)
ここは一発ぶちかましてやらないと駄目な気がする気持ち的に!
はそう決めると、そっと裏口の戸に手をかけた。
静かに押し開けば、そこは厨房である。
わずかな隙間から覗き込む。
見えたのは白髪の後ろ姿。
どうやらアレンは洗い物をしているようだ。
大きなシンクからは山済みにされた皿と大量の泡がはみ出ていた。
ああ、またエプロンを付け忘れている。
接客用のウエストタイプのものは常からだが、洗い物をするときは作業用エプロンに替えないといけないのに。
これでは前みたいに制服を濡らしてしまう、とはちょっと肩を落とした。
アレンは紳士ぶっているくせに変なところで無頓着だ。
復讐が終わったらちゃんと言っておこう。
はそんなことを考えながら忍び足で厨房に入った。
アレンの死角を縫うように進み、エプロンのポケットに片手を突っ込む。
取り出してきたのは黒光りする塊。
拳銃だった。
と言っても、もちろん本物ではない。
数日前に強盗犯を無力化した、例の熱湯入り水鉄砲だ。
口の端を持ち上げてふふんと笑う。
どうせ制服は濡れてしまったのだ。
だったらついでにこれも喰らっちゃえ!
は照準を合わせると、トリガーをぐっと引いた。
熱い水が空を引き裂く。
水弾は真っ直ぐにアレンへと襲い掛かった。
しかしその一瞬前、アレンはひょいと体を傾けて難なくそれをかわした。
の放った熱湯は彼が持ち上げた皿に命中。
見事に洗剤の泡を落としていったのだった。
「ああっ!?」
は驚きと悔しさに声をあげた。
アレンは振り返ることもなく言う。
「掃除は終ったんですか。じゃあ、遊んでないで休憩に入ってください。昼食はそこのテーブルの上です」
「なんてツマラナイ反応!」
は嘆きのあまりもう一度熱湯を打ち出した。
これまた泡だらけの皿で受け止められる。
乱射すればするほどアレンの手伝いをする羽目になってしまった。
「や、やるな……。さすが我がライバル!」
「君と張り合えるほど落ちてはいませんよ」
アレンはそう言うと、ようやくを返り見た。
半眼で呆れた声を出す。
「この間から気になってたんですけど、その水鉄砲は何なんです?」
「近所のお子ちゃま達にもらったのよ」
正直に答えれば、アレンは今度は顔をしかめた。
「もらった……?子供達に?」
「そ。この前、仕事終わりに遊んであげたときにね。“姉ちゃん、まだアレン兄ちゃんに挑んでんの?無駄だって勝てっこないっていい加減あきらめなって。何でそんながんばるんだよ……しゃーねェな。じゃあコレやるよ。おれ達の秘密兵器!!”ってな具合に」
「………………まぁ確かにこの村では珍しい玩具ですね」
「そう……、私はあの子たちの期待すら背負ってしまった。嗚呼なんて重い使命なのかしら!ってことで大人しく喰らおうねアレン」
「嫌です」
「にべもない!」
は叫びながらトリガーを引いたが、やはり結果は同じだった。
今度水弾を受けとめたのは鉄の大鍋だ。
泡が綺麗に落とされ、アレンの手の中で銀色に輝く。
「お手伝いありがとうございます、」
これまた嫌味全開でアレンが言うものだから、は悔しさに歯噛みするしかない。
「いい物を貰いましたね。それでお湯を撃ち出してくれれば、洗剤を洗い流す手間が省けます」
どうやら腹黒魔王にはコレは効かないらしい。
はそう判断すると、笑顔のアレンに舌を出して見せ、早々に水鉄砲をしまいこんだ。
それから近くの戸棚を開ける。
うんっと背伸びをキャンディーやらチョコレートやらを摘み出してきた。
アレンが覗き込んできたときには、両手いっぱいに菓子を抱えていた。
「……。そんなにたくさん、どうするつもりです?」
「子供達にあげようと思って。今日も閉店したら遊ぶ約束をしてるから」
はまだちょっと拗ねた口調でそう答える。
アレンにダメージを与えられなかったとはいえ、強盗犯退治には大いに役立った。
子供達にはお礼に甘い物をと考えたのだ。
そこではふとポケットに手を突っ込むと、また別に菓子の山を取り出してきた。
「…………そっちは?」
「私がお客様たちにいただいた分」
どうせまた男性客に貰ったんだろう。
そう推測して、アレンは思い切り眉を寄せた。
思わず言葉が口を突いて出そうになって、けれどそれはに止められる。
彼女がそのままその大量の菓子をアレンのエプロンに突っ込んできたからだ。
「あげる」
「は……?」
「ウェイターが飢え死にする飲食店だなんて、あり得ないでしょ」
普通にそう言われてアレンは頬を染めた。
確かにアレンは空腹を感じていた。
実はここで働くようになってからずっとだ。
なにせ金を借りている身分なので、食事の量にケチはつけられないのだ。
ドリーに言えば何とかしてもらえそうだが、遠慮というものもある。
おかげで寄生型で大食漢のアレンは何とも辛い毎日を過ごしていた。
はそれを察してか、事あるごとにアレンに食べ物を渡そうとしてくるのだ。
もちろん気遣いだと思わせないように変てこな理由をつけて。
今回も同じだった。
けれどアレンはそれがどうにもふがいない気がしてならなかった。
思わず視線を落とす。
菓子で膨らんだ自分のポケットが何となく恨めしい。
「…………別に、死にはしませんよ」
「え、何?“お腹が空いて力が出ないよ”って?」
「僕はどこのアンパンヒーローですか!」
「ああ、いいねアンパン!今度メニューに加えたらどうですか、って店長に進言してみよっと」
はむくれるアレンをいつも通りにかわすと、子供達にあげる分の菓子をポケットに詰め始めた。
その姿にアレンは何か言ってやろうとして、やっぱり止める。
代わりにぶっきらぼうな声を出した。
「……」
「ん?」
「あ、あの。ありが……」
顔を赤めたアレンの言葉は、そこで急に遮られた。
ホールの方から聞こえてきたのはベルの音。
来客を告げる合図だ。
アレンは慌てて手の泡を洗い落とすと、蛇口をひねった。
けれど左手を隠す手袋をしている間にが歩み出る。
「私が行くよ」
「でも、君は休憩時間中でしょう」
「いいの。だって女性客だったら万々歳じゃない!」
明るく笑っては厨房を後にした。
目立つ金髪が遠ざかる。
そうすれば、アレンは妙に淋しいような気分になった。
何だか空間さえ暗くなったように感じる。
ああ、なにせあの人は存在自体が強烈だからな。
肩を落としてため息をついた。
それからアレンは洗い物を再開しようと、はめたばかりの手袋を外した。
ふと思いついてポケットを探る。
最初に触れた物をつかみ出せば、それは可愛い包み紙にくるまれたチョコレートだった。
せっかくもらったんだし……。
自分に言い訳をしてから、口に放り込む。
舌の上に広がる独特の風味。
アレンは何となく緩んだ唇で呟いた。
「甘……」
赤い指先についた茶色。
アレンはそれをぺろりと舐め取った。
「いらっしゃいませ!」
はそう言いながら厨房からホールに出た。
カウンターに置いてあったトレイを手に、客人たちに笑顔を向ける。
その眼前で足を止めると綺麗に一礼をした。
「お待たせいたしました。何名様でしょうか?」
そして顔をあげて固まった。
ちょっと意味がわからなくて困る。
まじまじと見つめる先で、客人たちは好き勝手に会話をしていた。
「おいおい、えらい混んでるな」
「こんな田舎の村に何があるってんだ?」
「ってコレじゃねぇの。超美少女」
「うお、本当だ!」
「確かにすげぇな」
「なになに、お嬢ちゃんウェイトレスやってんの?」
口々に言うのは、三人の男性だった。
ごついおかっぱ頭と、ニット帽をかぶったギョロ目。
そして癖の強い黒髪にビン底メガネをかけた男。
揃って小汚い格好をしていて、手にはトランクを持っている。
恐らく流れ者だろう。
旅に慣れた雰囲気も疲れた様子も、同時に見て取れた。
いや、そんなことはどうでもよかった。
の視線はある一点に注がれていた。
ビン底メガネの足元に佇む、幼い少年。
整った顔と淡い色の髪を持っている。
頬は青く、マスクをしていた。
何だか気分でも悪いのだろうかと心配になってしまう様子だ。
加えて騒々しい大人達と違って、いまだに一言も発さない。
はじっと少年を見つめた。
すると少年も視線をあげ、を見た。
かち合った瞳は幾重もの隈に覆われている。
は何だか心臓を掴まれた気分になって、にこりと笑った。
無理にそうしたものだから変な表情になったのだろう、少年はわずかに首を傾けた。
「おい、イーズ。なに見つめ合ってんだ?」
ビン底メガネが大声で訊いた。
イーズと呼ばれた少年はわからないと目で答える。
はもう一度彼らを見渡すと、颯爽と踵を返した。
客を放り出したウェイトレスに三人の男は驚いたが、一瞬後にはさらなる驚愕が待っていた。
はカウンターに戻ると即座に電話をかけ始めたのだ。
「あ、もしもし警部ですか?今すぐ来てください。え?今度は何をしでかしたって?違いますよっ」
そうして受話器に向かって真剣に告げたのだった。
「事件です!いたいけな少年が誘拐されちゃってます!!」
「「「ちょっと待てぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」」
穏やかな午後。
『カフェ・イグナーツ』の店内に、男3人の絶叫が響き渡った。
「いや、あの、なんと言いますか……紛らわしすぎるよ絶対勘違いするってコレ大変失礼いたしました!本当にごめんなさい!!」
はそう言いながらがばりと頭を下げた。
心からの気持ち込めたつもりだったのに、眼前からは不満の声があがる。
テーブルに腰掛けたのは例の一行。
天気がいいからと勧められたテラスの真ん中で、男達はに言う。
「お嬢さん、それ謝罪?」
「もちろん」
「何か本音っぽいものも聞こえたんだけど……」
「いいえー、そんな。もう気持ち全力で謝ってますから!」
「態度で示せよ!!」
半笑いでそう言われて、は持ってきたばかりトレイからいくつかの皿とカップをテーブルに移した。
注文した覚えのないそれらに、男達は目を瞬かせる。
はもう一度ぺこりとした。
「ごめんなさい。これ、お詫びです」
「……え?ってことはタダ!?」
「もちろん。『カフェ・イグナーツ』はお客様第一ですからね!」
「ああ、それの代金はあんたの給料から引いておくからね」
笑顔のウェイトレスの背後で店主が事も無げに告げた。
は一瞬で青くなる。
勢いよく振り返ったが、ドリーは普通にそこを通過していった。
は無言でそれを見送ると、顔の向きを元に戻し、真っ青になった笑顔で言う。
「もちろん。『カフェ・イグナーツ』は店員に容赦なしですからね……」
そうしてガックリ肩を落とすものだから、客たちは顔を見合わせた。
同時に小さく吹き出す。
くすくす笑いながら料理に手を伸ばした。
「それじゃあ遠慮なくいただくよ」
「あんたも大変だねぇ、お嬢ちゃん」
「ま、自業自得ってな」
「だって本当にびっくりしたんですよ」
からかうような目で見られては呟いた。
落ち込んだ声にますます笑われる。
イーズに視線をやりながら続けた。
「この子少し顔色も悪かったし」
「ああ、旅の疲れが出たんだろう」
「ガキにはやっぱり辛いからな」
「イーズに温かい飯を食わそうと思ってここに来たんだよ、俺達」
「そうだったんですか。ますます申し訳ない……。たくさん食べていってくださいね」
は心底悪かったと思ってポケットに手を突っ込んだ。
そしていくつか菓子を取り出すと、イーズに差し出す。
「はい、君にもお詫び」
「………………」
「大切な仲間のこと、誘拐犯なんかと勘違いしちゃってごめんね」
イーズは少し驚いた顔をした。
そのまましばらくを眺める。
それから差し出された菓子に目をやり、ちらりとビン底メガネを見上げた。
ビン底メガネは優しく微笑んだ。
「もらっときな」
イーズは素直に頷いて、手を出した。
はそこに菓子を乗せてやる。
溢れるくらいに渡してやると、イーズはようやく歳相応の反応を見せた。
瞳を細めて仄かに微笑んだのだ。
そしてに言った。
「…………ありがとう」
瞬間、は心臓を強く押さえた。
何だか頬が赤い。
不審に思う男達の前で、低く呻いた。
「そんな……。何なの、この気持ち!普段なら美しい女性達にしかときめかないのに……っ」
「いや、それもどうよ」
ビン底メガネが的確な突っ込みを入れたが、は無視して頭を抱えた。
視線はいまだにイーズに向けられている。
「絶対おかしいって私ー!!」
「いやいや、むしろ女にしかときめかない方がおかしいだろ普通」
またビン底メガネがぶちぶち言ったが、は構わない。
戸惑ったように金の瞳を瞬かせた。
イーズはもういつもの無表情に戻っている。
は何となく距離を取りつつ、もう一度謝った。
「あ、あの。本当にごめんね……」
「…………ううん」
イーズはわずかに首を振った。
「間違えられること、多いから」
「そ、そうなんだ……。やっぱり」
「オイお嬢さん、なに頷いてんだよ!」
「イーズもそういうことバラすなって」
「まぁ、確かにそうなんだけどな……」
「でも、こんなにきちんと謝ってくれたのは、お姉ちゃんが初めて」
淡々と言う少年にはちょっと目を見張った。
そうしているうちにエプロンの裾を掴まれる。
くいっと軽く引かれて、吃驚した。
その様子にビン底メガネが笑う。
「オレらは浮浪者だからな。冷たくあしらわれることの方が多いんだよ」
言いながら、彼は手をのばしてイーズの頭を撫でた。
「優しくしてもらえて、嬉しかったんだよな」
イーズは無言で小さく頷いた。
それを見てはまた胸がときめくのを感じる。
かわいい。
思わず指先を伸ばせば、イーズはエプロンを離しての手を握ってきた。
一見無表情に見えるが、目がわずかに微笑んでいて“ありがとう”と言っている。
は照れたようにへへっと笑った。
何だか嬉しくて繋いだ手を握り返す。
するとそのまた上に大きな手が重ねられて、ぐいっと引っ張られた。
「とゆーわけで、お嬢さん。しばらく付き合ってもらおうか」
「は、はい?」
驚いた声を出したときにはもう、目の前にビン底メガネの顔があった。
彼と自分との間にはイーズがちょこんとしている。
ビン底メガネは少年を片腕で抱えてどかすと、を無理矢理その椅子に座らせた。
「ちょ、何を……、ええ!?」
そうしての膝にイーズを乗せてきたのだ。
これでは身動きが取れない。
慌てるにビン底メガネは言った。
「イーズが気に入ったみたいだからな。しばらく相手をしてやってくれ」
「…………お客さま」
自分の膝にきちんとイーズを座らせなおしてくる彼を、は半眼で見つめた。
「『カフェ・イグナーツ』ではお客さまとの同席をご遠慮させていただいているのですが」
「…………お詫びはどうなった?」
「う……っ」
「よかったな、イーズ。このお姉ちゃんが遊んでくれるってさ」
もはや決まったことのように言って、ビン底メガネはイーズの肩をぽんぽんとした。
しかし強引な大人とは違い、この少年は繊細な心の持ち主のようだ。
不安そうにを見上げてきた。
どうやら迷惑ではないかと心配しているらしい。
その瞳にはますます言葉を詰めた。
(アレンに怒られるかも。ううん、それより店長に)
下手をするとまた雷を落とされる。
はどうしたものかと悩んだが、ふと思い出して呟いた。
「あ、そういえば今は休憩時間中だったっけ……」
しかも先の迷惑な客達を片付け終わったのか、ドリーも店に戻ってきている。
店内もそこまで混雑していない。
だったら。
「ちょっとくらいなら、大丈夫かな……」
「…………本当?」
イーズが首を傾げて聞いてくるから、はにっこりと微笑んだ。
「うん。じゃあ、少しの間いっしょにいさせてくれる?」
問いかければ、返事の代わりのように手の甲を繋がれた。
膝の上で二人の指先が重なる。
はさらに笑顔を深めて、今度は男たちに言った。
「それでは、しばらくお邪魔させていただきますね」
「悪いなぁ、お嬢ちゃん」
「コイツ本当に強引な奴でさ」
「ははん、それもオレの魅力のひとつってな」
気取った調子でビン底メガネが言った瞬間、彼の前にあった皿が全て没収された。
おかっぱ頭とニット帽はそれらをの方へと差し出す。
ずいずいと押しやりながら笑顔を浮かべた。
「うっぜぇ発言が聞こえたのでアイツの存在は無視しようぜ」
「ああ。お嬢ちゃん、これ全部食べていいよ」
「おい!それオレの分の料理!!」
ビン底メガネは慌てて叫んだ。
取り戻そうともがくが仲間達に一蹴される。
その様子には声をあげて笑った。
「ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく、いただきまーす!」
そして皿に盛られた料理に勢いよくフォークを突き刺した。
容赦のないその行動にイーズも笑う。
今度はひとりの男の哀れな悲鳴が、『カフェ・イグナーツ』に響き渡ったのだった。
はい、出ましたビン底メガネ!(笑)
ついにメイン連載に登場です。
ちなみにヒロインは黒ティキは知っていますが、白ティキとはこれが初対面です。(今まで戦場でしか会ったことがなかったので)
アレンは黒ティキとも白ティキとも顔見知りですが、二人が同一人物であることは知らない設定です。ご了承くださいませ〜。
この章はぶっちゃけアレンVSティキです。
ティキがどこまでハッスルしてくれるかがポイントです。
Sな上にギリッギリの台詞も吐かせるつもりなので、引かないでくださると嬉しい……です!^^
次回は早速ティキがアレンとヒロインに絡んできますよ〜。
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