そして決着。
会議は踊らず、進みもせずに、終わりを告げた。


皆が満場一致で手を取り合った。






世界限定!Ocean会議
Track.10






「な……、何なんだ……」


ぜぇぜぇと息を切らしながらアルフレッドが呻いた。
椅子に崩れ落ちて机に突っ伏す。
その傍らにが立ったものだから、額に青筋を浮かべて怒鳴った。


「一体何なんだい、そのタコは!いつもいつもいっつもさぁ君に近づくたびに威嚇してきて!!」
「だから相棒です。オクトパスくんです。私が絶対の信頼を寄せる方ですよ」
「おかげで俺は墨まみれだ!!」


平然と……むしろ少し誇らしげな様子で蛸を紹介されて、アルフレッドは机をガタガタと揺らした。
怒った彼の顔は真っ黒に汚れている。
肌が白いのでその色はやけに目立った。
墨は髪にも服にも盛大に飛んでいて目も当てられない感じだ。


「そいつも君が仕掛けた罠のひとつかい?」
「ええ。私が合図をすれば発砲してくださる手はずでした」
「つまり、俺はまんまとそれにはまったわけだ」


皮肉を込めて言ってやれば、は立てた親指を突き出してきた。
ちなみに無表情で。


「ナイスはまりっぷり!」
「実にムカつくんだぞ!!」


アルフレッドは机をひっくり返し、椅子を蹴倒してに襲い掛かった。
けれどその手が届く前にまたもや墨が飛んでくる。
蛸は器用に少女の肩の上を移動し、的確に敵の目を潰したのだ。


「う、……っつ、痛……」
「オクトパスくん」


両手で顔を覆ってうずくまってしまったアルフレッドを見て、さすがのも思うところがあったらしい。
蛸の頭を撫でて手を振ると、その姿はたちまち消えた。
きっと海に帰してやったのだろう。
はアルフレッドの隣に膝をついた。


「あぁ、擦っては駄目」
「自分でけしかけておいて、よく言う……」
「だからこそ、ですよ。ほら見せて」
「君の世話にはなりたくない」
「……今更ですね」


口調はいつも通りだったが、触れる手は子供を宥めるようだった。
嫌がるアルフレッドの髪に指を通して額を押さえる。
軽く押してやれば、彼はわりと素直に横になった。
はその頭を自分の膝に乗せて眼の具合を確認。
安心させるように微笑する。


「大丈夫。ちょっと染みただけみたい。目には入っていませんよ」
「……そうかい」


アルフレッドは小さく返事をしただけで、双眸を閉じてしまった。
もう喧嘩をする気力もない様子だ。
というよりは、何やらその場から動きたくないだけのようにも見えた。


「まったく、何やってるんだか……」


呆れのため息を吐きながらフランシスが呟いた。
腰を屈めてアルフレッドを覗き込む。
手を伸ばせばぞんざいに振り払われたものだから、に苦笑してみせた。


「嬢ちゃんも大変だね。こんな奴らの面倒ばかりで」
「それも、今更ですね」


は何気なく返して、上着からハンカチを取り出してきた。
軽く叩けばたちまち濡れたものだから手品みたいだと思う。
フランシスはアーサーの魔法については馬鹿にしているけれど、“海”である彼女だったらどれだけ不可思議なことをしても無条件で信じられるのだった。


「痛くしないでくれよ」


汚れた顔を拭いてやる、だなんてが一言も言わないうちから、アルフレッドが注文をつける。
彼女はその目元にべしゃりとハンカチを乗せてやった。


「それは要望と受け取りますよ。……痛くして欲しいの?」
「ちぇ。性悪」
「あなたこそ、こんなときくらいは空気を読んで甘えていらっしゃい」
「誰が。絶対に嫌だよ」


ぽんぽんと言い合ううちに、はアルフレッドについた墨を全て拭き取ってしまった。
髪や服はどうしようもないけれど、顔だけは綺麗になったものだ。
最後に眼鏡を磨いてかけてやる。
そうしてから、視線をそちらに投げた。


「アーサー」


彼はもう泣いていなかったけれど、気まずそうに肩を揺らした。
同時にアルフレッドがに膝に寝そべったままそっぽを向いたものだから、太い眉をひそませる。
少し視線をあげれば漆黒の瞳を細められた。
白い手は膝の上の金髪に置かれていて。
やはりは肯定も否定もしないのだ。
兄弟はまだまだ真正面から向き合えない。
それが独りよがりではないと彼女は知らせてくれたけれど、何かを強制するわけでも勧める気でもないようだ。


こういう場面になると、アーサーは自分が普通の人間になってしまったような感覚に陥る。
人はよく、海を見てはその大きさに己が小ささを知るという。
無理をしているのが馬鹿みたいに、ありのままの姿を認めさせられる。
かといって何かを解決してくれるわけではない。どうにかしてみせろと、鼓舞するわけでもない。
ただただ静かに、穏やかに、そこに在るだけだ。
どんな自分でも拒絶することなく、何ひとつ変わらずに、目の前に居てくれるだけなのだ。


(お前だけは)


それにどれほど救われてきただろう。
過去を思い出してアーサーは一度瞼を閉じた。
次に開いたときには大股で歩き出して、アルフレッドの背を思い切り蹴りつけた。


「い……っ、何するんだい!」
「うるせぇ、とっとと起きろ」


悲鳴と苦情をわめいた彼の腕を掴んで引っ張り立たせる。
近くにしゃがみこんでいたフランシスが「おやおや」と呟いた。
アーサーはそれを無視して、アルフレッドの鼻先に指を突きつけた。


「いつまでもの膝で寝てるなよな」
「……ジェラシーとはみっともないね」
「みっともなくても言う。……だってお前は“男”だろう」


アーサーが声の調子を落とせば、アルフレッドが驚いた様子を見せた。
見つめることはできないから顔を逸らす。
何となく目の合ったはいつもと同じだったから、何とか続けることができた。


「俺にとってはガキでも、お前はもう大人なんだろう。……大の、男だ」


アーサーはに手を差し伸べながら言う。
乱暴に、ぶっきらぼうに。
それでも精一杯に。


「だったら女性に甘えるな。もっと言えばにベタベタするな、わかったか!!」


いろいろ誤魔化すためじゃないけれど、そうしたくなってアーサーはを引き寄せた。
実を言うと抱きしめたかった。
あぁ、過去のことがなければ人目を気にせずいられたのに。
本当に彼女に甘えているのは自分のほうだと思う。


「……後半は私情を挟みすぎだと思うんだぞ」


うんざりした口調でアルフレッドが言うものだから、アーサーは返答に詰まったけれど、続いた言葉がどこまでも黙らせてくる。


「でも、いいよ。ここは引いてあげる。……俺はもう子供じゃないからね」
「……………………」
「むしろ君のほうが子供みたいなんだぞ。おっさんのくせに駄々をこねちゃってさぁ」
「な……っ」
「大人ならもっとクールになったらどうだい!例えばこの……」
「俺みたいに?」


そこでフランシスが割って入ってきた。
ついでに真紅の薔薇をへと差し出す。
その所作がアーサーとアルフレッドを非難するかのようだったので、金髪兄弟は眦を吊り上げた。
フランシスは二人を完全に無視しての肩を抱く。


「嬢ちゃんが海洋汚染の影響を受けていることはよくわかったよ」
「それは何より」
「今まで以上の性格になってるもんなぁ……。これは手に負えない」
「ご理解いただけて嬉しいですよ。フランシス」
「でも、嬢ちゃん。どうせ染まるのなら黒にじゃなくて……」


何となく、アーサーとアルフレッドは同時に拳を固めた。


「俺色に染まってみないかい?」
「「それが一番の汚染だろう、この変態!!」」


ばちんっとウインクをきめたフランシスを、容赦のない二つの鉄拳が襲う。
声も動作もピッタリだったので、は「おー」と感心して拍手をしてしまった。
床に落ちたフランシスを足蹴にしているアーサーは反応しなかったけれど、アルフレッドは憤然とした様子で振り返ってくる。


「今こそあのタコの出番じゃないか!」
「いえいえ、もう終業時間ですので。オクトパスくんにはお帰りいただきました」
「何だい、俺ばっかりさ……。アーサーにだってけしかけたことないだろう?」


ちょっと唇を尖らされたのではアーサーを見た。
気が付いた彼も視線を返してくる。
ぐりぐりとフランシスの腹を踏みながら、首を傾けた。


「そう言われれば、俺は墨まみれにされたことがないな。……何でだ?」
「それは……」


はじっとアーサーの顔を見つめた。
正しくはそのもう少し上の部分。
つまり彼の特徴的な……、


「アーサーが相手だと必ず眉毛を狙ってしまうでしょう?」
「必ず!?ほ、他でも……」
「オクトパスくんは標的のアイデンティティを潰す恐ろしい射撃手なんですよ。だからアーサーの場合は眉毛」
「眉毛……」
「でも眉毛の隠れたアーサーなんて……」


は呟きながら俯いた。
軽く拳を握って口元に当てている。
もじもじと恥らうように身を縮め、頬を薄紅色に染めていた。
アーサー的にはこれだけでもかなりのダメージだったのだが、彼女はさらなる追い討ちをかける。
多大な勇気を要することのように……、つまりは一世一代の告白のように、は言い放った。




「眉毛の隠れたアーサーなんて…………、たっ、ただのイケメンじゃないですか!!」




「「「………………………………」」」


途端、場を支配する白けた空気。
アルフレッドとフランシスは微妙な笑みを貼り付けた顔を見合わせた。
ちなみにはすでに背中を向けてしまっている。


「そ、そりゃあいつもは引っこ抜きたくて仕方がないから見ないようにしていますけれど……。結局のところアーサーは眉毛があるからこそアーサーと言いますか、眉毛を失ったアーサーなんて福神漬けのないカレー、パイナップルのない酢豚、カラメルのないプリンと同じです。美味しくないです。存在感が半減します。居た堪れなくて、ちょ、ちょくし、直視なんてできません」


こちらこそよほど居た堪れない思いをしている二人がこそこそ言い合う。


「フランシス、あれはデレなのかい?ものすごくひどい言い草だけど、デレているのかい?」
「いやぁ、お兄さんもちょっとわかんないな……。萌えマスターの菊に聞いてみないと」


しかし頼みの師匠はいまだに気絶中だ。
と、唐突にアーサーがよろめいた。
腹を踏みつけられていたフランシスは変に体重をかけられて悲鳴をあげる。
どすんっと尻餅をつくように座り込んだアーサーに咆えた。


「何すんだよ、坊ちゃん!」
「………………………」
「……坊ちゃん?」
「アーサー?どうしたんだい」


様子がおかしいことに気が付いてアルフレッドが覗き込む。
アーサーの四肢には一切の力が入っておらず、双眸は虚ろ、魂が抜けたような顔をしていた。
次いでぎゅっと眉根を寄せ、肩をいからせる。
ぶるぶると震え出したかと思うとまたもや泣き出した。


「え。えええええええ!?」


フランシスが驚いて叫ぶのとアーサーの嗚咽が混じる。
口元を覆っているけれど押さえきれないのだ。


「な、何!?何で坊ちゃん泣いてんの!?」
「だ、だって……」
「“だって”、何だい!?」
「だって……っ」


アーサーは完全に顔を覆ってむせび泣いた。


が俺のこと誉めた……!」


「「…………………………」」


途端に再発した白けた空気。
否、先刻よりもひどい。
アルフレッドとフランシスはもうげんなりした顔を見合わせることすらしなかった。


「うん……。お兄さん、ちょっと本気でお前らの仲が心配になっちゃったな……」
「てゆーか誉めてたかい?誉めてないだろう!今のどこに泣くほどのことがあるんだよ!!」
「俺の、俺のことイケメンって……っ、ううっ……嬉しい……!」


心底呆れてみせても、全力で非難しても、アーサーはべそべそするばかりだ。
アルフレッドが泣き止めと言うけれどまったくの無駄で、仕方がなくフランシスが立ち上がる。
の近くまで寄っていって小声で話しかけた。


「嬢ちゃんさぁ……」
「な、何ですか」
「いや、何っていうか……うん。もうちょっと普段からああいうこと言ってやれば?」
「……………………や、です」
「嫌?」
「アーサーは、過剰に反応するから」
「今みたいにね。……でも、嬢ちゃんにはそれを何とかする責任があるだろう?」


あっさり告げてやれば、が見上げてきた。
漆黒の瞳に影は落ちない。奥に光る星があるようだ。
フランシスはそれを捕まえようと柔らかく微笑んだ。


「アルフレッドにはまだ無理だ。……嬢ちゃんの役目だよ」
「……、フランシスは」
「なに?」
「変態発言以外もできるんですね、驚きました」
「ひどい!」


残念な声をあげればが笑った。
冗談だと双眸が言っている。
それ以上に珍しく満面の笑顔を向けられたので、条件反射で手を握った。


「ところで例のタコだけどさ。俺にもけしかけたことないよね?」
「ええ、そうですね」
「それは何で?やっぱりお兄さんのアイデンティティがこの美しい顔だから?」


フランシスはご機嫌で喋り続ける。


「そりゃあそうだよなー!アーサー以上のイケメンに墨はかけられな……」
「いいえ」
「……え?」
「オクトパスくんがフランシスを相手にするのなら、狙うのは顔ではなく……」


緩んだ笑みまま固まったフランシスに、はずばりと死の宣告をした。


「あなたの股間に咲く一輪の薔薇でしょうね」


びしり、と音を立ててフランシスが完全に硬直する。
頬を引き攣らせながらも何とか確認した。


「お兄さんの、股間の薔薇……?」
「ええ」


は握られていた手を取り戻して、ゆるりと己の唇を撫でた。
そこに浮かんだシニカルな笑み。


「あなたのアイデンティティである“股間に咲く一輪の薔薇”。オクトパスくんは墨で射撃して、それを完全に散らせてしまうでしょう」


こんな風に微笑む彼女なんて見たことがない。


「今までの私なら、そりゃあけしかけなかったでしょうねぇ。だってそうなったら大変」


くすり、と吐息のような笑いが漏れた。




「あなた、本当に“ただの”  変  態  になってしまいますものね!!」




最後で目が眩みそうなほど素敵な笑顔を作られた。
二つに結った長い髪はぴょこんと跳ねて、可愛いことこのうえない。
けれど口にしてくれたことが最悪だ。
最悪の事態を平然と言い放ってくれた!


「お前ら起きろぉぉぉおおおお!!!!!」


フランシスは必死の形相で床に沈没している仲間達に叫んだ。
全員を立ち上がらせ、椅子へと追いやり、黒板を引っ張り出してくる。
チョークを折らんばかりの勢いで走らせた。
その背後ではいつもに増してやかましいざわめき声。


「ぐすっ、ぐすっ、姉さんもナターリアもひどいよ……」
「お醤油……、ワサビ……、あぁマグロ……!」
「今日の晩飯は何にするあるかなー!!」
「尻が痛い……、しかしウニは美味い……」
「ヴェー、みんな大丈夫ー?」
が……、が俺のこと誉めた……、ううっ」
「あーもう!いい加減にしてくれよ!本気で鬱陶しいんだぞ!!」


「うるせぇぇぇええええ!全員黙れ!今から会議だ、会議をするぞ!!」


普段のフランシスからは想像もできない渾身の一喝に、その場はしんと静まり返った。
地獄の底から響いてくるような低音で告げる。


「いいか?今回ばかりはお兄さんもストライキとかしない、絶対しない!だからお前たちも真面目に話し合ってくれ」


即座に一体何だ、急にどうした、という疑問の声が飛び交ったので、フランシスはを見た。
彼女は窓辺に寄りかかってこちらを眺めている。
腕を組んで顎をあげ、にっこりと微笑んでみせた。
それは底知れない何かを含んだ、恐ろしいばかりの笑みだった。


「イヴァン、このままじゃ年がら年中港を凍らされるぞ!菊、マグロが食べたければ知恵を絞れ!王はもっとたくさんの海産物が欲しくないか!?」


フランシスは真っ青になって早口にまくしたてる。


「フェリシアーノは水の都を守るんだろう!ルートヴィッヒ、家中にウニを仕掛けられたくなかったら力を貸せ!アルフレッドはヒーローだもんな、つべこべ言わずに俺を助けろ!アーサー、ここで頑張ったらもっとに誉めてもらえるぞ!!」


宥め、脅し、口からでまかせまで言えば、大国たちはそれぞれの反応を見せた。
大半が顔色を失くし、それはまずいと慌て始める。
なかには目を輝かせた者もいるが少数派だ。
ともかくフランシスの説得は、この一言で締めくくられた。




「絶っっ対に、ブラック・に負けるんじゃねぇぇぇええええ!!」




そうでなければ大切な“何か”を失うことになる。
フランシスのそんな恐怖が伝染したのか、全員が「おー!」と声を揃えた。


こうしてようやく話し合いは始まった。
珍しくとんとん拍子で進んでゆく会議を、はひとり離れた場所から見つめる。
鬼気迫る表情に、白熱した議論。
やればできるんじゃないかと皮肉りたくもなったけれど、それ以上に嬉しかったから小さく微笑した。


「これは負けていられませんね」


愉快気に呟いて、は会議に参加するべく手を挙げた。


どうか、過去も現在も未来も、その先も。
変わらず一緒に居られますように。




そんな願いを込めて、世界会議は進行していったのだった。







オールキャラ編、完結です。
英・米・日中心とか言っておきながら菊があんまり出てなくて実にすみません。
少しでもお楽しみいただけましたのなら光栄です。^^^^

次回からは過去編に入ります。よろしければお付き合いくださいませ〜。