戦いに犠牲はつきもの?
だったらこれは正当化できる。


「本日は曇天なり、本日は曇天なり」






世界限定!Ocean会議
Track.9






待て。そう口にしようとした。
アーサーは唇を開く。
けれど声が出ない。まるで喉を封印されたみたいだ。
その原因は魔女の呪文でも妖精のイタズラでもなく、アーサー自身にあった。


「坊ちゃん」


後ろからフランシスに支えられた。呼ぶ声は耳元だ。
返事をしないでいると、今度はが言った。


「アーサー」


見開いた翡翠の瞳と、静かな漆黒の瞳。
見つめ合えば何がなんだかわからなくなる。
どこか底のない場所へ堕ちてゆく感覚。
そう、海だ。
水底へ。


「私は」


俺は。


「あなたを泣かせてしまうでしょう」


堕ちてゆく。
怖くはないけれど、傍にいてくれないと困る。
結局アーサーは陸の上のもので、彼女の領域に独りでなど存在してはいられない。


(馬鹿だな。そんなこと、わざわざ言わなくていいのに)


予想は容易く現実となるのだろう。
アルフレッドの背中との視線。
アーサーの見ている世界はそれだけだった。


「何でそこでアーサーが出てくるんだい」
「わかっているくせに」


不満そうなアルフレッドにがそう返したものだから、彼はますます表情を歪める。
晴天色の双眸は決して振り返ろうとはしなかった。


「……悪い。フランシス」


アーサーは小さく言って支えの手から逃れた。
額に拳を当てる。


(ダメだな……。まだ、アルフレッドのことになると、俺は)


堪らない思いがする。
無性に苛立って、落ち込んで。居ても立ってもいられない。
特にあんな風に挑戦的な態度に出られたときには。


(自由の合衆国さま)


彼はそんな顔をしているのだ。
大きな体。強い力。一人で立派に立って、敵に挑みかかってゆく。


(俺の“アル”じゃない)


わかっているはずなのに、ずっと前に諦めたはずなのに、それを見せつけられるたびに頭が真っ白になって動けなくなる。
アーサーはを前にしたときのアルフレッドが苦手だった。
何よりも大切にしたい彼女に、何よりも大切だった彼が喧嘩を売る様は、見ていて気分の良いものではない。
さらに言えば、


(一番に、大きくなった自分を誇示しようとする……から)


アルフレッドにとってがどういう存在なのか、アーサーにはわからない。
ある程度なら想像できるけれど結局は二人の問題である。
ともかくアルフレッドは事あるごとに己の成長……“アメリカ合衆国”となった事実をに示そうとしていて、アーサーにはそれがひどく堪えるのだ。


(まるで、俺と一緒に居た頃なんて、なかったことにしたいようで)


被害妄想だ。わかっている。
けれど頭に心が付いていかない。
昔から感情論はアーサーの苦手分野だった。


「君の」


アルフレッドは俯かずに瞳だけで彼女を見下ろした。


「そういうところが気に食わないよ。


黒の眼が動く。
もやはり顔はそのままに、視線をアルフレッドへと投げた。
二人共まったくの無表情だ。


「いつもいつも、口を開けばさぁ」
「……結局のところ、私は“”だということです」
「本当に、よく飽きないね」
「それは私も言いたい」


アルフレッドがイラッとしたのが伝わって、は睫毛を伏せた。
影を落とす白い頬がほんの少しだけ緩む。


「つまり、私とあなたは似たもの同士ということなんでしょう」
「ナンセンスだ」


返事は乱暴に吐き捨てられた。


「くだらない考えだよ」
「意固地ですね。でも、それが良いところでもある」
「……………………」
「あなたの大好きな正義は、主観なしでは有り得ないのだから」
「……馬鹿にしてるのかい」
「いいえ。信条は貫いてこそです」
「君は昔からそうだ」


本格的に苛々してきたらしいアルフレッドはきつく目を閉じた。
片手を懐に突っ込む。
ジャケットの陰で、がちりと嫌な音がした。


「俺のすることを否定しない。けれど絶対に肯定してもくれない。……どっちつかずというよりは」


アルフレッドの腕が何気なく動いて、真っ直ぐに伸ばされた。
に向ける。
それは、黒い拳銃。


「俺のことなんて、どうでもいいみたいにさ」


狙いは恐ろしいほどに正確だった。
銃口はぴたりとの額を捕らえている。
距離が近いから、避けることは絶対に不可能だ。


「アルフレッド!」


さすがに顔を失くしてフランシスが名を叫ぶ。
その肩をアーサーは掴んで止めた。


「放っておけ」
「坊ちゃん……」


もしこの発言が本人に聞こえたら、撃たれるのは自分だろう。
今のアルフレッドはしか見ていない。
だから何とでも言える。


「ガキのやることだ」


には声が届いたのか、わずかに苦笑したように見えた。


「可愛い子」


それは馬鹿にした色をまったく含んでおらず、彼女の純粋な気持ちのようだった。


「……あなたも私と同じ。結局、“アル”でしかない」


続きは本人にだけ聞こえるように。




「アーサーに、囚われている」




ガゥン!!
凄まじい音が響いた。
アルフレッドが撃ったのだ。
拳銃を持った腕が跳ね上がり、けれどすぐさま身を屈める。


「ぐ……っ」


苦しげに呻いたのはではなくアルフレッドのほうだった。
予想外の展開に愕然とするにフランシスに、アーサーはいつも通りの調子で言う。


「あのが黙ってやられるわけないだろ」
「は、反撃したのか?嬢ちゃんが?……大切なアル坊に?」
「猫可愛がりはしない主義なんだよ。本人も言ってたように、挑みかかってくるのなら手加減はしない」
「だからって……」


フランシスは信じられないとばかりに首を振る。
見下ろした先にはアルフレッドが膝をついていて、顔を覆ったまま震えていた。


「まさか」


掌の奥から漏れ出る低い声。


「早撃ちで俺が負けるだなんて……」
「私の相棒は優秀ですから」


が胸を張った瞬間、アルフレッドが叫んだ。


「Noooooooo!俺のテキサスがー!!」


がばりとあげられた顔。
その眼の部分が真っ黒だ。
アルフレッドの眼鏡を見事に汚しているのはどうやら墨のようで、それを吐いた犯人はの肩の上にいつの間にか出現していた。


「また出たな、このタコ!!」


アルフレッドの言う通り、それは蛸だった。
八本もある足をうねうねと動かし、の腕に巻きつく。
目がぎょろりとしていて眼光が鋭い。
そのわりには尖った口がやけに可愛らしい印象だった。
は親しみを込めて蛸の頭を撫でてやった。


「嫌ですね、そんな呼び方しないでください。彼にはオクトパスくんという立派な名前が」
「一緒だろう!どこが違うっていうんだい!!」
「込める親しみの度合いが全く」
「軟体動物に親愛なんか抱かないでくれよ!!」


怒り心頭の叫び声が響いた瞬間、またもや蛸が大量の墨を吐き出した。
それこそ弾丸の勢いでアルフレッドの眼鏡を襲う。
レンズからは黒の雫が滴り、完全に前が見えなくなってしまったようだった。


「Noooooo!!」
「さすがの腕前です、オクトパスくん。まさにスナイパーと呼ぶべき命中率ですね」
「それは俺へのあてつけかい!?あぁ、テキサスをこんなにして……っ」


アルフレッドの言う通り眼鏡はひどい状態で、きっと今頃かの土地では暗雲がたちこめているだろう。
は至極真面目な顔で言う。


「住民の方には今すぐお洗濯物を取り込んでいただきましょう。皆さーん、本日は曇天なり、本日は曇天なり〜」
「……っつ、この!一都市の天気を簡単に変えるなんて、本当にどうかしてるよ!!」


悲鳴と怒声の中間のような声で講義して、アルフレッドは眼鏡を取った。
元々ダテだ。
見えないのならばかけていても意味はない。
乱暴に目元を拭ったところで、その視線に気がついた。


「………………………」


見られている。
ものすごく見られている。
それこそ凝視というのにふさわしい様子で見られている。
突き刺さるような眼差しが注がれているのは、眼鏡を取ったアルフレッドの顔。
そう、彼の思い出の。


「……うっ」


数秒の硬直の後、翡翠の瞳の奥から雫が滲み出てきた。
まずい。これは、


「な、泣かないでくれよ……!」
「泣いてねぇよ、ばかぁ!!」


いや、泣いている。
アーサーは否定したけれど、思い切り泣いている。
アルフレッドは音の出そうな勢いでを振り返った。


「何てことしてくれたんだい、君は!!」
「だからあらかじめ断っておいたじゃないですか。“アーサーを泣かせてしまうでしょう”って」
「俺への謝罪は!?」
「して欲しいんですか」


これまた音の出そうな勢いで返された。


「居心地が悪いのはわかりますよ、アル坊」
「………………………」
「眼鏡のない顔を見せただけで泣かれるだなんて。滅多にあることではありません」


アルフレッドは何か言い返そうとして、言葉が出ずに強く唇を噛み締めた。
は肩の上の蛸に頬を寄せて目を閉じる。
さらりと流れた蒼い髪が、まるで水のように揺らめいた。


「……私たちばかりが、囚われているわけではないんですよ」
「わかってるよ、そんなこと!!」


叩きつけるように怒鳴り散らして、アルフレッドは手の中のテキサスを握り締めた。
力を込めても壊れはしないだろう。
普通の眼鏡ではないし、そんなに弱くもない。
ただ、強くなろうと思っていただけだった。
アーサーはまだグスグスと鼻を鳴らしている。
鬱陶しい。
涙がうつってしまったように、視界が滲む自分はもっともっと鬱陶しい。
アーサーはよく泣く人だからあんなのは見飽きているけれど、本当はいつだって一緒に泣いてしまいたかった。
子供のころはそうしていた。
素直に。無邪気に。一途に彼を慕って。
現在の己にあるのは見栄ばかりで、もう一度この顔を真正面から見せてやる勇気もない。
あぁ、もう。さえいなれければ、こんな風に泣きそうになることもなかったのに。
けれどその苛立ちが涙に変わる前に、アルフレッドは顔面を襲撃された。


「ぶっ!?」


世界が真っ黒だ。
慌てて目元を拭ってみると、ジャケットの袖が見事に汚れた。
明るい金髪からもぽたぽたと流れ落ちてゆく。


……」


今度こそ顔一面に墨を直撃させてきた彼女を呆然と見やる。
すると前と同じように胸を張られた。


「言ったでしょう?私の相棒は優秀なんですよ」


流し目の色はゆるりと濡れていて。
アルフレッドは真っ黒に汚れた顔で、盛大に怒鳴った。
やっぱり虚勢を張るのが今の自分の精一杯。


「こ……っの、タコ!今日こそハンバーガーに挟んで食べてやる!!」


とりあえず、もう一発くらいは撃ってやってもいいと思うアルフレッドだった。







VS19歳、二回目でした〜。
アーサー・アルフレッド・ヒロインの三人の関係はちょっと複雑なので過去編まで端折らせていただきますね。(すみません)
私的にはオクトパスくんを出せて大満足です。ヒロイン誕生時から登場予定のキャラ(?)だったので。^^^^
次回で完結です。結局、会議はどうなるのか!よろしければ引き続きどうぞ。