どうしてなんて聞かないで。
私にだってわからないんだから。
● 笑顔の在処 EPISODE 2 ●
「とりあえず離して。あと顔が近い」
困ったときには強気に出ろ。
そのマイ・モットーを忠実に守って、は強い口調でアレンにそう願い出た。
アレンは一瞬ムッとした表情したが、確かに顔は近かったのでの肩から両手を離す。
ほどよい距離をとるためにさらに一歩後ろに退った。
それから彼はしばらく憮然とした表情を見せて、やはり憮然とした調子で口を開いた。
「当たり前のことを要求されたはずなのに、何故だか君に言われると腹が立ちますね」
「何だその私差別」
「さっきだって……その、つまり、………………泣いたことを」
アレンは“泣いたことを”の部分だけ小声にして、
「見られたのが君じゃなかったらこんなに思いつめなかったと思うんです。もちろんボトルも投げつけなかった」
続きは普通の音量に戻して言った。
そして心底 不思議そうな顔をする。
「一体何なんですか君は」
「それはこっちの台詞だー!」
なんか今ものすごく理不尽なことを言われたぞ!
そう認識して、はアレンに食ってかかった。
「一体何なのあんたは!それはつまり、相手が私じゃなかったらあんな暴挙も。そんな暴言も。なかったっていうこと!?」
「要約すればそうです」
「何で私よりあんたのほうが不機嫌そうなのよ おかしくない?」
「だって変じゃないですか。どうして君が相手だと僕はこんなにも自分らしくなくなるんです?掻き乱されている感覚は前からあったけれど、ここまでじゃなかったのに……」
そんなこと知らないよ。
は思わずそう思ったけれど、アレンがあまりにも不服そうなので一応頭をひねってみた。(親切心!)
「んーそうだね。確か私に対するあんたの態度が変わったのは、あんたが泣いて……ああーっと!じゃなくて!まぁつまりその後からよ!!」
思わずNGワードを言ってしまいそうになって、は無駄に笑顔をふりまきつつアレンを見た。
アレンはその顔を一度じろりと睨みつけて、それでも言っていることには思い当たる節があったのか、頷いた。
「やっぱりあの後ですよね……」
「はっ。もしかして、一番見られたくないところを見られて逆恨み!?」
「だから、君以外だったらボトルを投げつけるほど不覚に思ったりしませんって」
「あ、そうなの。じゃあ溢れかえる私の魅力に嫉妬でもしたんじゃない?」
「……………何ですか、その投げやりな答え」
「だってあんた自身がわからないことを、私がわかるわけないじゃない」
極めてもっともなことを言って、はアレンを黙らせた。
彼はまだ不服そうな顔をしていたが、はすでに逃げる算段をしはじめていた。
だってなんかこの人 私に対して怖いし。
早く神田のところまで避難しよう。
彼ら二人は何だか仲が悪いみたいだから、そこまで行けばきっと近づいて来ないはず!
そう考えて、とりあえず逃げる前に言っておかなければいけないことをは口にした。
「ごめんね」
「え?」
「ボトル、投げつけちゃって」
アレンは数秒間「何言ってるんだこいつ」とでも言いたげな微妙な表情をしていたが、何とかの言葉の意味を飲み込むと、ゆるりと首を振った。
「いえ、別に……。それを言ったら僕なんて力の限りでぶち当てましたから。…………すみませんでした」
「自惚れないでよね。あれは私が悪いの不覚なの。ボケッとしてて反応が遅れただけなんだから、あんたの実力じゃないってことを忘れないように!」
「……………………」
「それと、あんたが泣いたことはもう絶対言わないから安心していいよ」
があっさりと言うと、アレンはハッとしたように瞬いた。
「……本当ですか?」
「あれ?私疑われてる!?」
「だって……、君ってそういうことで他人をからかうのが好きそうに見えましたから」
「なに言ってっかなー君は。大好きだよ!」
「……………………」
「でも本当に嫌がることは言わないの」
驚いたように目を見張るアレンの前で、はふふんと胸を張った。
「言われて微妙に嫌なことならどんどんそれでからかうけどね!」
これが私の生きる道!
は堂々とそう言い放つ。
アレンが呆れたように「どうなんですかそれって……」と呟いているのは華麗に無視だ。
「じゃ、そーゆーことで」
よし。言いたいことは言った、さぁ逃げよう!
は一方的に手を振ると、見事な高速ターンをきめてアレンに背を向けた。
何か呼び止めるような声が聞こえた気がしたが、幻聴だと脳内会議で決定したので振り向かなかった。
しかし、
「あれ……?」
一目散に走り出す予定だったの足は、そこで止まった。
何だか妙な感じがする。
それは周囲の雰囲気だ。
いつの間にか集まっていた人々は散らばっていて、けれどそのうちの数人はまだこちらを見ていた。
見覚えがある。何人かの男たち。
ああそうだ、昔 神田にいらない文句をつけてきた人たちだ。
喧嘩に発展しそうになったところで私が仲裁に入って、結局神田と私の一騎打ちになったんだ。(それは三日三晩の激しい戦いだった!)
その後コムイ室長に大量の反省文を書かされたっけ。
「あのときの……」
昔の怒りがぶり返してきて、は思わず顔をしかめた。
その耳に入ってくる彼らの話し声。
「ほらアイツだろ?新人って」
「白髪だからジジイかと思ったぜ」
「何だあの左眼。気味悪ぃ傷だな」
「なんか呪われてるらしいぜ」
「ははっ、神の使徒のくせにか?」
反射的には後ろを振り返った。
そこにいたアレンは銀灰色の瞳をわずかに細めて彼らを見やり、それからの視線に気が付いて顔を戻した。
は何も言わなかった。
アレンは仄かに微笑んだ。
「……僕、もう行きますね」
は真っ直ぐアレンから視線を逸らさずに、一度だけ瞬きをして、口を開いた。
「どうして?」
「どうしてって」
「あんたここに何しに来たの?鍛錬じゃないの?」
「そのつもりでしたけど……、僕がいるとあまりいい雰囲気にはならないみたいなので」
「だから?」
「だから、もう行きます。鍛錬の邪魔をしてすみませんでした」
アレンはそれだけ言うと、ゆっくりと踵を返した。
いつも通りの歩調で歩き出す。
に残ったものは、アレンの仄かな笑みだけだった。
向けられた背に何か言おうとして、何も言えないことに気がつく。
あぁ、だってこれは願ってもないことじゃないか。
私はあの人から逃げたかったんだから。
さぁ、早く神田との鍛錬を再開しよう。
今度こそあの蕎麦中毒をコテンパンに。
コテンパンに……。
「あの新人、凶暴娘とつるんで何をするつもりだか」
遠くで囁かれたその言葉を聞いた途端、の頭の中でぶちんっと何かがキレた。
凄まじい勢いで、確かにキレた。
それでも相変わらず、はアレンの背にかける言葉がなかった。
だから代わりに叫んだ。
「神田っ!!」
それは素晴らしい大音声だった。
ただの少女では持ち得ない気迫に溢れた声だ。
その場にいた者達の注目は、一人残らずへと注がれる。
名を呼ばれた神田は後方にある休憩室のほうにいるはずだが、はそちらを見なかった。
声は聞こえているだろう。
ただは、他の者達と同様に驚いた仕草で自分を振り返ったアレンを見つめて言った。
「悪いけど、休憩時間は十五分に変更ね」
「……どういうことだ?」
遠く背後から、神田の不機嫌そうな声が訊く。
はその人指し指を、アレンへと突きつけた。
「私、今からこの人と勝負するから」
「「…………はぁ?」」
アレンと神田の声が重なった。
疑うような、呆れたような、の頭を心配するようなその調子。
こんなときだけ息がぴったりの二人に、は無駄な哀愁を漂わせて訴えた。
「だってもう居た堪れなくて……っ。そう、この気持ちを例えるならそれは時期はずれの転校生がクラスに馴染めなくてあぁどうしようイジメに発展したら登校拒否になってPTAに呼び出されたら!って心配で堪らない新人担任教師の心情なんだよ……!!」
「意味がわかんねぇよ」
「志は高いんだけど潔癖すぎてうまく立ち回れないルーキーに陥りやすい恐慌状態って感じ?」
「すみません、何言ってるんですか?」
「嗚呼、心が痛い……!」
は大げさに嘆いて顔を両手で覆い、それからふと神妙な表情になった。
「PTAより教育委員会のほうが怖いかな?」
「…………・」
「ねー神田、どう思う?」
「心底どうでもいい」
「ってわけで、あんたは私と戦う運命だから。よろしく!」
はキッパリとした口調で、アレンを指差しそう宣言した。
アレンは一瞬 息を詰めて、その後一気に吐き出した。
「どーゆーわけですか!?」
怒鳴られたが、は構わずにアレンに大股で近づいていった。
彼の手をひったくるように掴んで鍛錬場の中央へと強制連行する。
むき出しの赤い左手に触れた瞬間、アレンはびくりとしたがは気にしない。
逃げられないように強く握って離さない。
途中、邪魔になるタオルとボトルを見学していた女の子たちに手渡した。
「ごめんね。これお願いできる?」
「は、はい!」
「いい返事!あなた達みたいな可愛い女の子が持っててくれるなんて、すごくうれしいな」
「あ、あの……鍛錬が終わったら、また持って行きますね!」
「ありがと。見ててね、俄然かんばっちゃう」
がにこりと笑って片目を瞑ってみせると、彼女たちは瞬く間に頬を染めた。
おいおい……とか思っているアレンなどそっちのけではがんがん前に進んでいく。
「ちょっと……!」
「なに」
後ろでアレンが言ったが、は振り返りもしない。
「待ってください!」
「いいじゃない。どうせ入ったばっかりで鍛錬の相手いないんでしょ、寂しいヤツなんでしょ」
「そうですけど……って、違います!そんな、勝負だなんて」
「するの」
「しません!僕は嫌で……」
「あぁもう、ゴタゴタうっさいな!」
は大声で言って足を止めた。
アレンの左手を掴んだまま、前方を睨みつけて。
先刻の男たちを睨みつけて。
「凶暴娘だなんて褒め言葉をもらったんだもの。その本領を見せつけてあげる」
たじろく男たちに不敵な笑みを見せてやってから、はアレンを返り見た。
ほとんど冷静ではない頭の隅で考える。
私は何をやってるんだろう。
この人から逃げようとしていたくせに。
でも。
そう、だって。
豪快な歓迎パートツーがまだだったから。
これは言い訳?
それでもいいとは思った。
だって何だか腹が立っているんだ。
「だから、あんたも見せつけるの。あんたがどういう人間なのか教えてやるの。それうえで何か言うのならそれでもいい。でも、何も知らないくせにあんなところでコソコソ言うのは私の気に食わない」
その左手をもう一度握りなおすと、アレンは瞳を揺らした。
は視線すら揺らさずに彼を見つめる。
「今から証明するの。あんたっていう存在を」
見せつけて、証明して、そして封じてしまえばいい。
彼らのあんな言葉。
胸を張って、ここにいればいい。
はその金の瞳でアレンを見上げた。
その視線が怖いほど強くアレンの胸を突いたことなど知らずに。
しばらく二人とも何も言わなかった。
アレンは見張っていた銀灰色の瞳を一度伏せた。
落ちる影が儚げに揺れる。
アレンを掴むの手に、彼の右手が触れた。
「ごめんなさい」
唇は笑みを刻んでいた。
彼は行ってしまうのだと、にはわかった。
だから言った。
「どうして」
「君が、僕のことを思って言ってくれてるのはわかってます」
アレンはを見て、微笑んだ。
「でも僕は大丈夫ですから」
アレンを握るの手を、彼はゆっくりほどかせた。
それはとても優しかった。
微笑みと同じくらい、優しかった。
「ああいうことは、言われるほうが普通ですし。嫌われるのにも慣れてます」
こんなに柔らかく言われては、誰も彼の言い分を無下には出来ない、そんな雰囲気がそこにはあった。
アレンはから少し身を引き、微笑んだまま、もう一度言った。
「だから僕は大丈夫ですよ」
それを聞いた途端、はそうとは知らずに息を止めた。
妙な衝撃が心を打ったからだ。
彼は優しかった。
そして暖かかった。
それだけをに残して去るつもりなのだ。
あんなことを言われるのが普通だと言い、嫌われるのには慣れていると微笑んで。
あぁ、なんてこの人は。
目の前の、彼の笑顔。
ともすれば見惚れそうなその表情に、が感じたのはただひとつだけ。
怒りだった。
アレンは結局どこまでも優しくて、他人のことばかりな気がします。
もっとワガママでもいいのにね。
ヒロインが怒ったので、次回はもれなくバトル勃発です。
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