僕が死を享受し、世界は終わる。
そのはずだったのに。

金の少女がこの手を囚えた。
真白な世界に突き堕とされた。






● 永遠の箱庭  EPISODE 10 ●







はそれを聞いた瞬間、血を失った体が急に沸騰するのを感じた。
同時に背中がぞくりとする。
奇妙な熱と冷たさが眩暈を生み、は今自分が抱いている感情の正体を知った。


それは怒りだった。
全身の毛が逆立つほどの、純粋な怒りだった。


目の前のアレンの微笑。
ああ以前にも似たようなことがあったけれど、ここまでではなかったのに。
ここまでひどい感情を抱きはしなかったのに。


は口を開いた。
本当は怒鳴ってぶん殴ってでもいいから、アレンのその笑顔を消してやりたかった。
それでも唇から零れ落ちたのは、泣きそうに震えた自分の声だった。


「それは……」


アレンはやっぱり微笑んで、こちらを見ている。












の瞳は凍り付いていた。
だからアレンはあやすように、安心させるように、唇に笑みを刻んでみせた。
目の前の少女も自分も真っ赤になって、傷だらけで、ただ互いを見つめていた。
このままでは二人とも死んでしまう。
けれどひとりなら、生き延びることができるのだ。
彼女のスピードとイノセンスの能力なら、アクマに追いつかれる前にこの戦場から離脱して、手当てを受けることができる。
そして閉じ込めたアクマを討つ機会も得られるだろう。
そのために、は自分を置いて行かなければならないのだ。
そしてアレンは、彼女を行かせなければならないのだ。


アレンはの心の整理がつくのを待った。
普段は馬鹿みたいなことばかりしでかしている彼女だが、戦場での判断に間違いはなかった。
だからきっと、この道が正しいのだと理解してくれるはずだ。


長いような沈黙の後、じっと見つめる先で、ようやくが口を開いた。


「それは……」


声は切なかった。
今すぐ泣いてしまうのではないかと思った。
心の底から驚いてアレンは目を見張る。
の瞳は、どこか暗く翳っていた。


「それは、つまり、あんた自身の命はどうなってもいいってことなの……?」


呟く唇が震えていた。
こんな彼女を見るのははじめてだった。


(壊れてしまう)


何故かはわからなかった。
けれどアレンはそう思った。
崩れていく彼女を引きとめようと、咄嗟に手を伸ばす。


その時、突然アレンのフードの中から、ティムキャンピーが飛び出してきた。


金色のゴーレムはアレンとの間で翼をはためかせ、どこかへと通信を繋げた。


『もしもし?アレンくん!ちゃん!聞こえたら返事を!!』


無線の向こうから聞こえてきたのはコムイの声だった。
アレンは驚いてティムキャンピーを見つめた。


「コムイさん……?どうして」
『ああ、よかった!無事だった!』


コムイは心の底から安堵した様子で、ホッと息を吐いた。


『さすがクロスの創ったゴーレムだね。ちゃんのには繋がらなかったのに』


それは自分達が地下の、そのまた地下にいたからだろう。
どうやらティムキャンピーは、他のゴーレムと比べて性能に優れているらしい。
コムイは続いて焦りの声で言った。


『今しがた、ベルネス公爵家から連絡があったんだよ。そこのご子息がひどく慌てた様子で屋敷に戻ってきたって。聞いてみれば君たちがアクマとの戦闘でひどい怪我を負っているって……』
「リオンが……」


アレンは彼が無事に屋敷までたどり着けたことを知って口元を緩めたが、続いて聞こえてきたコムイの声に目を伏せた。


『それで君たちは大丈夫なんだね?』
「……………」


アレンは一度、を見た。
彼女は下を向いていて、その表情はわからなかった。
金の髪が帳のように、それを隠していた。


「コムイさん」


アレンはティムキャンピーを引き寄せて、静かに囁いた。


「今からを屋敷に向かわせます。手当てを受けられるようにお願いしてください」
『え、アレンくん……?』
「それから救援を……」


言いかけたアレンを遮るように、無線の向こうでコムイが悲鳴をあげた。
雑音に混じってあちらの様子が聞こえてくる。


『ちょ……っ、神田くん!任務の話なら少し待ってって……!』
『うるせぇ』


どうやら任務の話を聞きにそこに来ていた神田が、コムイから受話器を奪い取ったらしい。
アレンは彼にまた何か言われるのかと身構えたが、その予想は外れた。
ぶっきらぼうな声で、神田は呼んだ。



「…………」
『おい、返事しろ。聞こえてるんだろ』


アレンは思わずティムキャンピーを離した。
それはを呼ぶ彼の声が、ほんの少しだけ、普段より優しかったからだ。


『答えろっつてんだろ、バカ女!』
「聞こえてるよ」


は傍まで飛んできたティムキャンピーに言った。
その顔は、先刻までの表情が嘘のように、いつもと変わらなかった。


「ごめん神田。私バカで」
『そんなことは知ってる』
「神田のくれた忠告の意味、ようやくわかったよ」
『………………』


アレンには二人が何を話しているのか理解できなかった。
ただ神田の声が、壊れそうなを繋ぎとめたことだけは、漠然と感じ取れた。


『………………バカ女』
「うん。ごめんね」
『いいからさっさとアクマを片付けて帰って来い。そしてお前のバカ面に、直接文句を言わせろ』
「わかってる。絶対に帰るから。待ってて」


は少しだけ微笑むと、唐突に口調を変えた。
凛とした態度で無線に向かって言う。


「コムイ室長」
『わ……っ!もー投げて返さないでよ神田くん!……もしもし?ちゃん?』
「お願いがあります」


そこではアレンを見た。
その金の瞳で真っ直ぐに見つめた。
そして強い口調で告げた。



「もう二度と、私とアレン・ウォーカーを同じ任務に派遣しないでください」



一瞬。
何を言われたのかわからなかった。
この状況で、この時に、どうして彼女がそんなことを言い出すのか理解できなかった。
その混乱はコムイも同じだったのだろう、無線から呆然とした声がする。


『……ちゃん?何を』
「この人とは、もう一緒に戦えないと言ってるんです」


それは拒絶だった。
は強くアレンを拒絶したのだ。
同士として、仲間として、背をあずけて戦う者として、アレンを認めないと言ったのだ。
それを知った途端、アレンは息が苦しくなるのを感じた。
理解が追いつかない。頭が回らなくなる。


「どうして……」


疑問が口を突いて出た。
はそれを無表情に見つめた。


「もっと言わないとわからない?」
「……………」


言葉を奪われたアレンの胸倉を、は容赦なく掴んだ。
そして怒鳴った。




「あんたみたいに自分の命を投げ出すような馬鹿とは、一緒に戦えないって言ってるのよ!!」




響く声だった。
それこそ脳に直接叩き込まれたように、ひどい衝撃を受けた。
大きく目を見張ったアレンを、は真っ直ぐに睨みつけた。


「生きることを放棄する仲間なんて、信用できない」
「………………」
「あんたは何のために必死に戦ってきたの?こんなところで死ぬために、血だらけになって、傷だらけになって、ここまで歩いてきたっていうの?」
「………………っ、違う、僕は」
「ふざけないでよ……!」


は震えていた。
アレンの胸倉を強く掴んで、ひどい怒りに震えていた。


「そんなに簡単に命を捨てるなんて、自分を犠牲にするなんて、ふざけないでよ!!」
「簡単なんかじゃない!!」


アレンは反射的に怒鳴り返していた。
胸倉のの手を強く掴み返す。


「簡単なんかじゃない……っ、僕は……!」


ただを守りたかったのだ。
彼女には生き延びて欲しかったのだ。
その決意は決して簡単なものではなかった。
そんなことを知りもしないくせに、どうして。
アレンはをきつく見据えた。


「……っ、だったら!!」


腹の底に湧いたのは、やはり怒りだった。
自分を認めない、目の前の少女に全力で反発した。


「だったらどうしろって言うんだ!僕には力があって、助けられる人がいて、だから守りたいと思った、それの何が悪いんだ!!」
「それであんたはどうなるの!あんたは一体どうなるのよ!!」
「僕のことなんて……っ」
「ふざけるな!自分を殺すことのどこが悪くないのよ!!」
「じゃあ君は他の何かを犠牲にしろって言うのか!?そんなこと、出来るわけないじゃないか!!」


力を込めて、の手首を握りしめる。
燃える瞳で睨みつけると、は一歩も引かずに睨み返してきた。


「だったらそのために死ぬあんたは何なのよ!それは“犠牲”じゃないって言うの!?」
「………………!」
「今あんたを動かしてるそれは何なのよ!その怒りも、声も、私を睨みつける目だって、全部ぜんぶ命じゃない!!」


は一度強く唇を噛んだ。
そして続けた。


「あんただって命じゃない……!」


苦しかった。
お互いに胸の詰まる感情で、呼吸が止まってしまいそうだった。


「あんたは矛盾してる……。犠牲が嫌だと言いながら、自分を顧みないんだ。全てを守りたいと言って、自分を傷つけるんだ。命を救うために、自分のそれを捨てるんだ」
「……………」
「ねぇ、気づいてよ!あんたが助けたいと思う命と、あんた自身の命は同じものなんだよ!同じだけの重さが、未来が、可能性があるんだよ!!」


あまりにも近いから、心臓の音が聞こえていた。
アレンが守りたいと思ったの命の音だった。
けれどきっと、彼女も同じものを聞いているのだろう。
アレンの命の音を聞いているんだろう。


「何よりも命を大切だと思うくせに、自分のそれを否定するな!命を結果のための取引に使うな!そんなのは命への冒涜だ!!」


は強く首を振った。
その目が言っていた。
アレンを許せないと、告げていた。


「そんな決意はおかしいんだ……!!」


震える金の瞳を見て、アレンはようやく悟った。
も自分と同じだったのだ。
ただ命を守りたかったのだ。
アレンの命を救いたかったのだ。


はアレンの気持ちを知ったうえで、激怒していた。
少女を助けたいと願ったアレンの心を理解して、それでもなお、許せないと言った。
同じ感情を抱いている彼女をわかっていなかったのは、自分だった。
何も知らなかったのはアレンの方だった。


けれど、アレンにはどうにもできなかった。
ずっとこうやって生きてきたのだ。
今さらどうしろと言うのだろう。


「君の言う通りかもしれない……」


アレンは歯を食いしばって囁いた。


「自分を犠牲にして、それで何かを守りたいっていう僕の決意は歪んでるのかもしれない……。でも……っ」


どうしようもないじゃないか。


「守れるのならそれでいい。それが僕の役目の一部だ。僕に課せられた使命だっただけだ。そこに矛盾なんてない!歪みなんてない!!」


僕はこの方法でしか、何かを守れないんだ。


アレンはの手を握り締めて叫んだ。



「そのために死ぬのなら構わない!!!」



その瞬間、が拳を振り上げた。
殴られるのだと思った。
けれどそれはアレンの顔の横でピタリと制止した。
風を感じた。そして温もり。
ズタズタに切り裂かれたの手が、アレンの頬の横で震えていた。
どうして殴ってくれなかったんだろう。
そのほうがきっと楽だったのに。
は全身に怒りを纏って、泣き出しそうに顔を歪めていた。
あまりに強い感情が、アレンに突き刺さった。
その痛みはアレンの体のどの傷よりも、胸を貫いた。


心が、痛かった。












張り詰めた切なさを壊したかった。
握りこんだこの拳で、粉々に砕いてしまいたかった。


「あんたは……っ」


声が震えた。
それでも言わなければいけないと思った。
はアレンを強く見据えた。


「あんたは私と同じだと思ってた……っ」
「………………」
「誰かを守りたいのだと、出来ることなら一人残らず救いたいのだと、そのために平穏に背を向けて、当たり前の幸せを手放して、この道を歩んでいるのだと思ってた……」


喉が痛くて仕方がないから、は細く息を吐いた。
どうすればいいのだろう。
泣き喚いて、許さないと罵ればいいのだろうか。
それとも意識を失わせて、無理やり連れて帰ればいいのだろうか。
きっとそんなことじゃ駄目なんだ。
だからは必死に言った。


「同じだと思ったから、あんたの命を諦めたくなかった。血反吐を吐いたってかまわない。どんなに痛くても、
辛くても、その命を守りたいと思った。必死になって、自分に誓って、そうして一緒にこの戦場から帰るつもり
だった」


は拳を握り締めた。
傷口から血が溢れて、アレンの十字架を赤く染めた。


「でも、あんたはそんな私を否定するんだね」
「っ、違う!」
「違わない!!」


首を振ったアレンを響く声で遮った。
はアレンの胸を強く叩いた。


「私はあんたを助けたいと思った!なのにあんたはそれを捨てようとしたんだ!私が守りたいと思った命を、ないがしろにして、投げ出そうとしたんだ!!」
「………………っ」
「馬鹿みたい……」


は握った拳を引っ込めて、自分の額に押し当てた。
泣いてしまいそうだった。


「そんなの、私、馬鹿みたいじゃない……っ」


は唇をかみ締めて、渦巻く感情に耐えた。
泣いてたまるものか。
そんなのは何の意味もない。


「あんたが、私を守ろうとしてくれてるのはわかってる……」
「………………」
「でも、それで私がどう思うかを、あんたは全然わかってない」
「……………わかりませんよ」


アレンが囁いた。
声は震えていた。
彼も必死で自分の感情と戦っているのだろう。


「知ってしまったら……、あんなこと、言えなくなるじゃないですか……」
「じゃあ、もう言わないでよ」
「そんな、の」
「あんたひとりが……っ、守りたいと思っているわけじゃなんだって、いい加減わかってよ……!」
……」
「どうして一緒にいる私の気持ち、無視して、そんなこと言うのよ……っ」


変な話だと、は思った。
アレンも自分も、守りたいという想いは同じなのに、どうしてこんなことになったんだろう。
二人共、救いたいと思う心は一緒だったのに、どうして反発しあってしまったんだろう。


私が戦場に残ったのは、あなたに守ってもらうためじゃない。
一緒に戦うため、だったのに。


「アレンは優しいね」
「……………」
「私は優しい人が怖い」


は両手を伸ばした。
そしてアレンの服を掴んで引き寄せた。
胸に額を押し付けて目を閉じる。


「優しい人は、みんな死ぬのよ」


暗い闇色をした、瞼の裏の世界。
そこに浮かぶ、思い出。
もう過去になってしまった人々。


「そうやって、優しさに命を懸けて、死んでしまうのよ」


みんな、みんな。


「そうやって、グローリア先生もあの人も死んだのよ……っ」


思わず吐き出すと、アレンが体を強張らせた。
彼は優しかった。
をかばって、アクマの攻撃の前に身をさらした。
何の躊躇いもなく、自分の体を盾にした。
似ていると思った。
いなくなってしまった師と、失ってしまったあの人に。
みんな、そうやって、他の誰かを守って死んでいくのだ。
彼らを助けたいと願うの心なんて置き去りにして、消えてしまうのだ。


そんなのはもう嫌なのに。
私は命を守りたいのに。
今度こそ。


唇を噛んで呟く。
普段から言い聞かせていることを、傷だらけの体、崩れそうな己自身に唱える。


「生きることを心に誓え。死にいこうとする自分を許すな。さもないと最期まで辿り着けない。血と死の匂いに飲み込まれてしまう。救えるはずの命さえ手放してしまう。全ての可能性を闇に投げ込んでしまう。これ以上犠牲なんて出してたまるか、そんな悲劇を認めるな……!」


守れなかった人がたくさんいる。目の前で消えていった命がいくつもある。
だからこそ、死んではいけないのだ。
エクソシストとしてこの道を生きると決めた。
だから、死んではいけない。
これ以上の犠牲を、許してはならない。
今ある命を守るため、世界を救うためにこそ、最期まで生き抜かなければいけないのだ。


そしてそれが、アレンとの決定的な違いだった。
互いに救いたいという気持ちを抱きながら、それでもその対象、守るべき命の中に、己自身が含まれているかどうかという、絶対的な違い。
守るために生きることを誓うと、守るためなら死すら選ぶアレン。
そしてその異なる結論のために、はアレンを認めるわけにはいかないのだ。


「死んでいった仲間が、心から命を守りたいと思わせてくれた。その哀しみと後悔が、世界を終焉から救うのだと誓わせてくれた。それが私よ。それがエクソシストとしての決意よ」


許さない。
あんな哀しみの再来を、悲劇の繰り返しを、私は絶対に許さない。
はアレンを掴む手に力を込めた。
その温もりを繋ぎとめるように。


「だからあんたを置いてはいかない。どんなに拒絶されたって絶対に。そしてお願い、あんたも選んで。守るために死ぬのではなくて、それを貫くために生きることを」


どうか、これから守れるはずの多くの命のために。
救えるはずのたくさんの未来のために。


そして、そこに溢れるあなたの幸せのために。


「お願いだから……っ」


は顔をあげてアレンを見た。
誰よりも何よりも近くで、その瞳を見つめた。




「その決意の果てで、生きることを選んでよ!!!」




涙が。
金の双眸にたまったまま、決してこぼれることのなかった涙が。
光のように散って、アレンの頬を濡らした。
心の雫が、そこに刻まれた呪いの傷跡を、そっと撫でていった。



すべてを吐き出して、は胸が重くなるのを感じた。
こんなのは自分の勝手な言い分なのだ。
失ってしまった優しい人々こそ、幸せになるべきだったのだと。
彼らこそ生きるべきだったのだと。
その想いに囚われて。
そのときに救えなかった命の代わりに、目の前の少年を守り、生かして、自分の罪を償いたいのだ。
今の自分があの時と同じように、何もできないのだと思い知らされるのが怖いのだ。
もう二度と、己の無力さのせいで人が死ぬところを見たくないだけなのだ。
ただ、それだけで。


「ごめん、これはわがままだよ……」


今度こそ本当に泣いてしまいそうだったから、はアレンから手を離してうつむいた。
泣くな泣くな泣くな。
好き勝手に言い散らして、それで泣いたりしたら、そんなのはただの子供だ。
本当の大馬鹿者だ。


「私のわがままだよ……!」


ひどいことを言ってしまった。
自分の決意を他人に押し付けて、その意思をねじ曲げて、同じものを要求するなんて。
そんなは勝手だ。ひどいわがままだ。
でも、ごめん。ごめんね。
それがどんなにひどくても、もう二度と目の前にある命を手放すのは嫌なんだ。


置いていく哀しみを知っている。
置いていかれる痛みを覚えてる。
あんな絶望をこの胸に押し付けられるのも、誰かの心に押し付けるのも、もう絶対に嫌なんだ。
私は。


は袖で強く目元をぬぐった。
それで壊れそうな自分を無理に押し殺した。
顔をあげてティムキャンピーを引き寄せる。


「………………コムイ室長。今のぜんぶ聞こえてましたか」


少しの沈黙の後、ため息の声が答えを返した。


『……聞こえてたよ。と言うか君たち声大きすぎ。科学班のみんながこっちを見てる』
「それはよかった」


はいまだに震えている息を何とか整えて、告げた。


「お聞きの通りです。私はアレン・ウォーカーの意見を却下してこのまま戦闘を続けます。二人が生きて
この戦場から脱出するには、それしかありません」
『……勝算は、あるのかい?』
「……あります。可能性は半分ですが、それでも」
『諦めない、か』
「それが私のエクソシストとしての意地です。最後まで張り通してみせる」


本当の、最期まで。


心の中で強くそう思って、は目を閉じた。


「それと、覚えておいてくださいね」


はすでに独りで戦う覚悟を決めていた。
自分のことを平気で投げ出すような仲間と、戦場を共にするなんて、出来るはずもなかった。
だから言った。


「もう二度と、私とアレン・ウォーカーを同じ任務に派遣しないってことを」


「忘れてください」


間髪入れずにそう言い切ったのは、アレンだった。
アレンは素早くからティムキャンピーをひったくると、無線の向こうにいるコムイにもう一度言い含めた。


「忘れてくださいコムイさん。そんな約束、僕は認めません」


口調はとても強かった。
そして何かを割り切ったような響きを持っていた。
は驚いてアレンを見た。
彼はを見つめていた。
その銀の瞳は光を宿して、真っ直ぐにこちらを見据えていた。












何を言ってるんだコイツ、という表情でが見上げてきたから、アレンはその顔を睨みつけた。


「そこまで言われて……」


胸の中が熱かった。
何かが弾けたようだった。
の怒りが別の感情になって、アレンに燃え移ったようだった。


「そこまで言われて、黙って引き下がれるもんか!!」


別に怒っているわけではないのに、溢れてきた想いの勢いに、ついついそんな口調になってしまう。
は心底驚いたようだったが、止まらない気持ちだったので、アレンはそのまま怒鳴った。


「あぁもうすごく心外です!守ろうとした相手にここまで激しく拒絶されるなんて!相変わらず予想を裏切る
達人ですね、君は!!」
「え、あ、どうも……」
「別に誉めてません、なに頭下げてるんですか!!」


わけもわからずペコリとしたを無理に引き上げて、アレンは続けた。


「本当に馬鹿馬鹿しい。こんなに嫌がられているのに、わざわざ死んでやるほど僕はお人よしじゃありませんよ」
「アレン……?」


戸惑いに眉を寄せるに、アレンは短く息を吐いた。


「さっきからさんざん僕のことを馬鹿だの、信用できないだの、好き勝手言ってくれましたね。挙句の果ては、たった独りで戦うような口ぶりですか」


言いながら、アレンは壁に手を突きたてた。


「君こそ僕の気持ちを無視して変なこと言わないでください。君がひとりで行ってくれないのなら、どうしても僕を一緒に連れて行くと言い張るのなら、その結果がどうなるのかわかるでしょう」
「………………」
「僕が君を独りで戦わせないことぐらい、わかるでしょう」


アレンはそのまま壁にすがって立ちあがろうとした。
途端に激痛が走ったが、そんなことはどうでもよかった。
よろめいたアレンを慌てて支えたを、彼女の金の瞳を見つめるほうが大切だった。


「すべてを……」


この胸の中の確かな想い。


「すべてを救いたいと、そう思って、エクソシストになったのは僕も同じです。だからどうしても君が僕の手を離さないのなら、僕もこの手を離さない」


アレンはの手を握った。
力を込めて、ぬくもりを捕まえる。


「君が強く繋いでくれるのなら、僕も同じだけの強さで応えるよ。……守りたい気持ちは同じなのだから」
「アレン……」


は震えるように目を見張った。
けれどすぐに、それは苦しげに細められる。


「無茶よ……。そのケガで、どうするって言うのよ」
「無茶ならだっていい勝負だよ。僕を守って、傷だらけの体で、独りでアクマと戦おうと言うのなら、そんなのは無茶だ」
「……けれどそれが、私の意地よ」


は拳を自分の胸の前で握った。


「無茶でも何でもこれだけは譲れない。ずっと昔から心に決めている誓いよ。命を守る希望は、最期まで絶対に捨てない」
「だったらこれも、僕の意地だ」


アレンもと同じように、胸の上で拳を握った。
自分の命の上で握った。


「僕もこの道を選んだ。君と同じ道だ。だから独りで立ち向かわせたりはしない」
「……………………」


は黙ってアレンを見上げていた。
その金の瞳が問いかけてくるから、答えを待っているから、アレンは強く告げる。


「独りで全てを背負わせたりはしない。君がその強い決意のもとに戦い抜くと言うのなら、君の背は僕が守るよ」
「……・死んでも?」
「死なないよ。さもないと、戦場にいることすら君は許してくれないんだろう」
「そう。許さない。絶対にね」
「だったら、これから君を守るために、僕は自分の命も守る」


切れる息の合間に、震える唇でアレンは言った。
暖かいの手を握り締める。
あぁ僕はこのぬくもりを絶対に手離したくないんだ。
この、命の炎を。


「僕は命を守りたい。君のことを助けたい。そう思った。だから」


だから。


「守るために、生きることを貫く」


はそれを聞いてわずかに目を細めた。
続けて口を開こうとしたアレンの唇に手をやって、少しだけ言葉を封じる。


「……けれど、あんたは同じ気持ちを抱いていた私を否定したじゃない」
「そんなつもりはなかったけれど……。それでももう、否定しないよ」


アレンは吐息のように囁いた。
相変わらず息は苦しい。
流れる血の感覚が不快だ。
けれど何故だろう、微笑んでしまった。
アレンは諦めによく似た喜びに、そっと口もとを緩めてしまった。


「だって君がこの命を諦めてくれないのなら、僕が諦めるわけにはいかないじゃないか」
「………………………」
「そこまでがむしゃらにぶつかってこられて、黙って死ぬなんてできるわけないじゃないか」


少女のひたむきさが、アレンの心を掴んだ。
必死に自分を繋ぎとめようとした彼女を、裏切れるわけがなかった。
大切だと思ってくれたこの生を、投げ出すことなんて出来なかった。


命の重さなんて思い知っているはずだった、のに。


目の前の金の瞳を見つめる。
彼女はここまで来るのに、どれだけ大切な人を失ったんだろう。
どれだけの痛みを感じながら、どこまでの傷をえぐりながら、自分に死ぬなと言ってくれたんだろう。
過去の哀しみに壊れそうになって、崩れそうになって、それでも涙すら流さずに、真っ直ぐこちらを見据えてくれた。
ここまで真正面から他人にぶつかってもらえたのは、久しぶりだった。
嬉しかった。
本当の自分を見つめてもらえた気がした。
実の両親に捨てられて、異形の腕だと恐れられて、やっと手に入れた愛を失って。
アクマを破壊するためだけに生きて死のうと決めた自分に、その先にある希望を示してくれた。
生きて生きて、たくさんの未来を叶えて、救われた世界で幸せにならなければいけないのだと。
そのために、自分達は戦っているのだと。
教えてくれたのだ。
だから命とは大切なものなのだと。
思い出させてくれたのだ。
この少女は。


「忘れてました?僕は負けず嫌いなんですよ」


握った手を引き寄せる。
誰よりも何よりも近くなった、に告げる。



「だから、君には負けない」



絶対に。



「同じだけの想いで、すべての命を守ってみせる」



死なないよ。
そして、死なせないよ。



見開かれていたの瞳が、ゆっくりと細められた。
光を宿したその輝きが、優しく揺れる。
金の少女は微笑んだ。


「だったらきっと、私達は無敵よ」
「絶対だよ」
「私ひとりなら、勝てる可能性は半分」
「ふたりなら絶対だ」


アレンとは微笑み合って、同時にティムキャンピーを振り返った。


「と言うわけです、コムイさん」
「せいぜいハデに暴れてきますよ」

『まったく……』


無線の向こうでコムイは吐息をついた。
そこには笑みが含まれていた。


『ガンコ者ふたりには敵わないよ……。ちぐはぐコンビでがんばっておいで』
「「はい!」」
『そのかわり、くれぐれも気をつけて』


コムイは戦うことを決意した、ふたりのエクソシストに静かに告げた。


『君たちの命を大切に思っている者が、他にもたくさんいることを忘れないでね』


最後にそれだけ言うと、通信は切れた。
役目を終えたティムキャンピーはアレンのフードの中に戻るかと思われたが、そのまますいっと飛んでいって、ふたりの先を進み始めた。
導くように羽ばたく金の翼に、アレンとは微笑を漏らす。
そうして互いに支えあって、暗い通路を歩き出した。
状況が何も変わったわけではない。
相変わらず自分達は不利で、瀕死の重傷で、歩くことさえ痛みが伴う。
けれど一人ではなかった。
本当の意味で、独りではなかったのだ。


「一緒に立ち向かうと決めたのなら、これから私達は一心同体よ」


アレンを肩で支えながら、が口を開いた。
同じように彼女を支えたアレンが振り向くと、その金の双眸は真っ直ぐ前を見据えていた。


「だから、これだけは覚えていて。絶対に忘れないで」


強く強く願いを込めて、優しい声が言う。


「死ぬはあんたの勝手じゃないのだと、思い知っていて」


アレンは銀灰色の瞳を細めて、彼女を見つめた。
胸が熱くてどうしようもなかった。
心がぬくもりに満たされていく。


「……わかってますよ」


アレンはわざと微笑んだ。


「うっかりそんなことになったら、が怖いですからね」
「当たり前よ。もし馬鹿をしでかしてあの世に行ったりしたら、全力で追いかけて、あんたを引きずり戻して、死ぬよりひどい目にあわせてやるんだから!」
「うわ、本当に怖い……」


なら本気でやらかしそうだなぁ、と冷や汗をかいて、アレンは目を閉じた。


「それに、死ぬだなんてこと、君が許してくれないんでしょう?」


君の優しい手が、僕を囚えて離さない。
だから僕も、君の手を離したりなどするものか。


アレンは閉じた瞳が少しだけ濡れていくのを感じながら、囁いた。


「ごめん、


たくさんたくさん、傷つけてしまって。
そしてたくさんたくさん、温もりをくれて。


「……、……」


呟いた声はとても小さく震えていたので、彼女に届いたのかどうかはわからなかった。
ただはアレンの体をぎゅっと支えてくれた。
何も言わずに支えてくれた。


どうか、この耳に届かなくてもいい、君の心にだけ響くように。


アレンはもう一度、囁いた。




「ありがとう」








はい、神田の忠告どおりヒロインがブチキレました。
アレンとヒロインの考えかたは途中までは一緒なんです。
ただアレンは、守るためなら自分を犠牲にしてもいいと思っています。
ヒロインは、守るためでも何でも、犠牲というものを拒絶します。
過去にそのせいで大切な人を何人も失っているから、彼女は自己犠牲精神の強い、優しい人がどうしても許せません。
大嫌いで、同時に大好きです。今度こそ守らなくては、と思っています。
そんなに簡単に変わることはできないけれど、ヒロインの言葉に、アレンは一緒に戦うための決意をしました。
戦わなければいけない立場だからこそ、生きることを心に誓っていて欲しいものです。
そろそろ終わりが見えてきましたよ〜。次回も戦闘・流血描写が多発しますのでご注意を。