馬鹿だの信用できないだの、好き勝手を言われたんだ。
だから、見返してやる。
絶対にその言葉を撤回させてやる。
さぁ、命を救う戦いのはじまりだ。
● 永遠の箱庭 EPISODE 11 ●
「ケーキが食べたい。甘いのがいい」
乱れた呼吸の合間にが言った。
声は血が混じって掠れていたが、口調としては楽しそうだった。
もちろん無理をしてそうしているのだろうが、アレンはそれを指摘することなく調子を合わせる。
「健康マニアとは思えない発言ですね」
「いいの。これが終わったらたらふく食べてやるんだから。ティラミスとか、チェリーパイとか!」
「他にもあるでしょう。チーズケーキに、フルーツタルト、ミルフィーユ、モンブラン、シュークリーム」
「忘れちゃいけない苺のショートケーキ!」
「僕はガトーショコラがいいです」
「……ことごとく気が合わないね、私たち」
「まったくもって望むところですけど、どうせのことです。僕が食べてるのを見て欲しいとか言い出すんですよ」
「そんなことないよ!」
「一口だけ!とか言って全部奪おうとするに決まってる」
「何で言い切れるの!あんた私の何を知ってるのよ!」
「じゃあ一緒に食べに行きますか?僕の言うことが正しいと証明されますよ」
「オッケー、受けて立とうじゃない!」
他愛もない会話を繰り返す。
冗談を言って、笑いあって、全身の苦痛に耐える。
歩みを止めるわけにはいかなかった。
意識を手放すわけにはいかなかった。
それを繋ぎとめるものが、意地と、誇りと、互いの命の温度であることを、二人はもう知っていた。
自分達は最後まで辿り着いて、守り抜いて、肩を叩き合って微笑まなければいけないのだ。
悲劇を許すものかと、死を受け入れるものかと、必死に誓って、前に進まなければいけないのだ。
それがエクソシストとしての決意だった。
人間としての尊厳だった。
今を生きるということだった。
「アレン」
ふいにが名前を呼んだ。
アレンは何度か苦しい息を吐き出した後、顔をあげた。
「……何ですか?」
「あれ」
の白い手が、今は引き裂かれて傷だらけの指が、前方を指差した。
アレンはそちらへと視線をやって、思わず息を呑む。
が微笑んだ。
「出口よ」
石造りの階段を延々と上り、突き当たった重い扉を二人で力を合わせて押し開ける。
大理石でできたそれはひどく冷たくて、その向こうに広がっていた世界も凍りついたものだった。
そこは礼拝堂だった。
敷地の奥にある霊廟と逃走路で繋がれたその建物は、やはり白くて壮麗で、静謐な空気に満ちていた。
この巨大な建物は、霊廟まで行くことなく死者に祈りを捧げるために設けられた、ベルネス公爵家専用の礼拝堂らしい。
アレンはこの礼拝堂がどの位置に立っているのか把握しようと、高いところにある窓を見上げた。
霊廟があったのは森の奥。
そこから見れば屋敷に近い位置になるのだろうが、この建物もまだ庭園にあるのだろう。
それを確認しようと景色を臨む。
しかし見えたのは、黒い光の帳だけだった。
霊廟と同じように、礼拝堂は輝く夜に沈んでいたのだ。
「、これ」
思わず訊くと、彼女は答えた。
「『囚葬』は完全なる牢獄を創り出すのよ。対象空間内から繋がる、全ての外界への道を切断するの。この
礼拝堂は霊廟と地下通路で通じていたから、同じように『囚葬』が発動しているってわけ」
なるほど、と納得して、アレンはを見た。
「すごいですね」
「でも、これ神経を使うんだよね……。常にイノセンスを開放しているのと同じだから」
アレンはそれを聞いて顔を強張らせた。
彼女は何気なく言ったが、それでは延々と生命力を垂れ流していることになる。
さらに霊廟とこの礼拝堂を覆うほどの光の檻を作り出すとなると、凄まじい体力と精神力が必要となるだろう。
早く『囚葬』を解かないと、の神経は灼き切れ、破壊されてしまうのだ。
蒼白な顔からさらに血の気を引かせたアレンを見て、は少し笑った。
「大丈夫よ。これ以外は私の目の届く範囲にしか刃は飛ばせないし」
「……そういう問題じゃないでしょう」
「このくらいの無茶は当然。だってすべての命を守ろうっていうんだから」
「………………」
「それが叶えられるのならば、こんなこと、何度だって超えてみせる」
静かな決意を込めて呟き、は礼拝堂の中央へと足を進めた。
そこには羽根を背負った女神の像が建てられていた。
地下通路への階段は礼拝堂の奥に掲げられた十字架の裏にあり、女神像はその十字架を見上げるような形で設置されていた。
アレンもの隣に並ぶ。
女神像の白い顔を見上げる。
「……これが終わったら」
が囁いた。
その声は冷たく凍った空気を震わせた。
「あんたに、言わなきゃいけないことができると思うんだ」
アレンは女神像からへと視線を滑らせた。
彼女の顔は、血に濡れていたけれど、それでもなお美しかった。
女神像の美しさとは違う。
彼女を本当に美しくしているものは、きっと造作だけではないのだろう。
もっと、目に見えない、大切な何かなのだろう。
アレンはそっと瞳を伏せて答えた。
「それは是非聞かせてもらわないと」
「うん。是非聞いてもらわないと」
「では、そのためにも」
「お仕事と参りましょうか!」
二人が会話を終わらせた瞬間だった。
轟音。
背後で十字架が砕け散った。
その裏にあった地下通路への扉が完全に破壊され、奥に広がる暗黒から、さらに暗い巨体が這い出してくる。
追いついてきたアクマの青い双眸が、アレンとをとらえた。
「小娘が……っ、よくもやってくれたな!!」
襲ってくる爆風が、同時に振り返った二人の団服を激しく煽る。
飛んでくる瓦礫を光の刃で弾き、粉々に砕きながらは微笑んだ。
「あれ?少し見ない間にボロくなったね」
彼女の言う通り、無傷だったはずの鎧には数本の亀裂が入っていたのだ。
はそれを見つめて、続ける。
「予想通りで嬉しいよ。魂の鎧は完璧じゃないんだね。その傷は崩れた霊廟から出ようとして負ったものでしょ?『囚葬』に触れてまだ破壊されていないのはさすがだけれど……」
彼女の唇が、会心の笑みを刻む。
「お前の防御は絶対じゃない」
アクマの肩がぴくりと反応する。
は構わずに言う。
「お前は攻撃される一瞬に、周りの装甲を集めてその部分を硬化させているんだ。そして、私の刃やアレンの左手を弾いた。けれど『囚葬』は完全なる自動だから、その軌道を読みきれずに、傷を負った」
アクマの漆黒の鎧。
それは絶対でも、無限のものでもない。
あらかじめ質量の決められた、限られた防御なのだ。
の後を継ぐように、アレンが口を開いた。
「変だと思ったんです。伸縮自在の完全防御なら、最初から全身を覆ってしまえばいい。そうすればお前は無敵だ。なのに、頭部や腕はさらしたままだった。つまり、常にそこまで覆ってしまえば装甲が薄くなり、守りが完全ではなくなる。守っているのは魂を拘束しているボディですね」
「………………」
「そこがお前の弱点ですね」
エクソシストたちの鋭い指摘にアクマは沈黙した。
同時にアレンは思考する。
がこれからどうするつもりなのか。
そして自分がどうするべきなのか。
が強く言い放った。
「私達はそこを撃ち貫く」
「………………お前はやはり頭を打ったのだろう、小娘」
響く声で宣言した彼女を、鎧はせせら嗤った。
そして片手を持ち上げて、傷の入ったその装甲を撫でた。
「お前たちが言ったように、この鎧は瞬間硬化で全ての攻撃を弾く。ならばお前の刃は絶対に我には届かないではないか」
「それはどうかな」
「強がるな。その程度のスピードと破壊力では貫けまい。そっちの小僧の攻撃とて同じだ。先ほどは不覚をとったが……」
言いながらアクマは鎧から手を離した。
そこに刻まれていた傷は、綺麗に修復されていた。
「生きているお前たちの攻撃なら全て読める。その攻撃は、我に届く前に硬化した鎧に阻まれる!!」
狂ったように叫び、アクマは異形の両腕を振り上げた。
「お前たちには敗北しかないのだよ!エクソシスト!!」
高速で迫り来るそれを、アレンとはそれぞれ逆方向に疾走して回避する。
左右に展開した二人を異形の腕が追う。
その体を貫き滅ぼそうと空気を灼いて走る。
蝋燭台や長椅子が木っ端微塵に砕け、破片が舞った。
アレンとはアクマを中心に半円を描くように駆け抜け、その両腕がちょうど真横に開かれたところで急停止した。
そして同時にイノセンスを発動した。
いくつもの白い十字架と黒の刃が放たれる。
むき出しの異形の腕を紙のように貫き、それを地面へと縫い付ける。
「!?」
驚愕に目を見張ったアクマは身動きが封じられたことを知った。
装甲に覆われていない右腕は、アレンの放った白い光『十字架ノ墓』に、左腕はの放った黒い刃『星葬』に撃ちぬかれ、完全にその体を拘束したのだ。
これでアクマは動くことができない。
アレンは額から流れてくる鮮血に視界を半ば染めながらも、真っ直ぐ前を見つめた。
金の瞳と出会う。
としっかり視線を合わせて、その心を分かち合う。
大丈夫、わかってる。
推測しなくたって、君の考えていることぐらいわかってるよ。
二人はまったく同時に床を蹴りつけ、高く跳躍した。
そしてイノセンスを展開。
アレンは己の左腕を大砲のように転換し、その銃口を身動きの封じられたアクマへと向ける。
巨体を挟んで線対称の位置で、が同じように、可憐な腕をアクマへと突きつける。
黒と白の閃光が炸裂した。
それはアレンの撃ったレーザーと、の放った光刃の大群だった。
二人は手を休めることなくさらに襲撃を重ねる。
黒と白の輝きがアクマを飲み込み、ぶつかり合い、弾けた。
多重に炸裂する破壊の嵐。
アクマへの完全なる全方向攻撃だった。
魂の鎧でアレンの左手やの刃を瞬時に防御することは可能でも、この死角皆無の攻撃は防ぎきれまい。
硬化しても全てを弾くことは出来ずに、そのボディに破壊を刻むだろう。
衝撃に負けて床が弾け飛び、その破片すらも続く砲撃に消えてゆく。
神経が限界にくるまで攻撃を続けた後、二人は同時に後退した。
轟音の余韻がいまだ耳の奥に響いている。
もうもうと立ち込める粉塵の中心に意識を集中する。
そして流れ消えていった煙の向こうに存在する、闇色の巨体に瞠目した。
あれだけの攻撃を受けて、それでもなおアクマは破壊されていなかった。
両腕を楔に囚われたまま、そこに立っていた。
そのボディを覆う鎧の右半分を白のレーザーで、左半分を黒い刃で埋め尽くして、それでもいまだその存在を
保っていたのだ。
装甲へと無数に刺さり、連なった黒と白の奥で、アクマが蠢いた。
体が不自然に震え、引き裂かれたうめき声がする。
「ふ……っ、ふざけ、おって……!!」
戦慄を感じた。
その凄まじい殺気に、アレンとは同時に動いていた。
跳躍してさらに後退、互いに手の届く距離になった瞬間、アクマが吠えた。
「エクソシスト如きがぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!」
激しい憤怒の叫びが礼拝堂を揺るがした。
アクマは渾身の力で鎧を瞬間硬化、そこに突き刺さった黒と白の楔を弾き飛ばす。
破壊の群れがアレンとに返された。
無数に襲ってくるそれを、が『守葬』を展開して受ける。
互いの存在を認めない光同士が、ぶつかり合い、いくつかは貫通して少女の足や腕に突き刺さった。
同じように四肢にその刃を受けながらも、アレンが左手で叩き落す。
そして血を流すを抱えて、女神像の後ろに身を隠した。
『守葬』はちょうどそれの前で展開されており、さらに石像を盾にすることで、高速の襲撃を避ける。
轟音、そして防御壁を揺るがす振動。
互いに折り重なるようにして床に座り込んだアレンとは、血にまみれながらそれに耐えた。
「……っ、くそ!」
不規則で続かない息の間にアレンがうめいた。
その胸でが言う。
「何よアイツ、ちょっとタフすぎじゃない?」
「確かにすごい根性ですね」
軽口を言い合うが、アレンは限界が近かった。
血を失いすぎて、眩暈が止まらない。
無くなっていく体温と感覚が、死への警鐘を鳴らしていた。
アレンよりは軽傷とはいえ、も同じようなものだろう。
どうすればいい。
鎧を硬化する隙も余裕も与えずに攻撃して、それでもまだアクマを砕くことはできない。
先刻の作戦は最良だったはずだ。
それなのに。
アレンは唇を強く噛んだ。
苦痛に歪められたその銀の瞳を、が見上げた。
「アレン」
声はとても静かだった。
アレンはを見た。
彼女は微笑んでいた。
今まで見た中で一番優しく、そして美しい表情だった。
「生き抜くと……、最期まで命を諦めないと誓ったのなら、私達は本当の同士で、仲間よ」
「……?」
「だから……」
の背後で破壊音がした。
落下してきたのは女神像の首だった。
巨大なその瞳が、二人を見ていた。
轟音はいったん終息を迎えた。
アクマは己の装甲に突き刺さっていた黒と白を全て弾き落とし、そして沈黙した。
静寂の中で、怒りに震えていたのだ。
その絶対の自信を持っていた鎧に無数の穴を穿たれて、さらにその下のボディにまでダメージを与えられて。
油断していた?
確かに死に損ないの子供がふたりに、警戒を緩めたところもあっただろう。
しかし、奴らはエクソシストであり、宿敵だ。
自分は確かに殺す気で挑んだのだ。
それなのにあちらの作戦にはまり、ここまでの傷を負わされるだなんて。
「殺してやる……!」
アクマは憎悪の塊のような声でうなった。
殺してやる。
今度こそ本当に。
その体をズタズタに引き裂いて、鮮血で染め上げて、息の根を止めてやる。
アクマは空気を震わす大音声で告げた。
「出て来いエクソシスト!今すぐに殺してやる!!」
その声に応えて、首のなくなった女神像の後ろから姿を現した影があった。
それは金髪の少女だった。
そして出てきたのは、彼女ひとりだった。
アクマは暗く嗤う。
「おい、もうひとりはどうした?」
「………………」
「まさかぶん殴って気でも失わせたか?アイツをかばってお前ひとりで戦おうっていうんじゃないだろうな」
はアクマの声を聞きながら、女神像の真ん前に立った。
凛と背を伸ばして、アクマを見据える。
「もうお前の相手もおしまいよ。さっさと終わらせてアレンを医者に見せるんだから」
「小娘が、何を言う」
不愉快をあらわにしたアクマの目の前で、は右手を持ち上げた。
そして左手で、ロザリオを掲げる。
「イノセンス、第2開放」
『追悼・無式』
ロザリオが鈴のような音を立てて、落とされた。
その刹那、それは空気に溶けるようにして姿を変えた。
光の粒子が舞い、螺旋を描き、の右腕、肘から下を取り巻く。
そして、形を成した。
それは白銀の籠手だった。
ロザリオだったときと同じ繊細な彫刻の施されたそれが、の腕を覆っていた。
黒玉は手の甲に煌いている。
開放されたイノセンスを掲げて、は唇を笑みの形にした。
「これでおしまい。お前に黒死の先を見せてあげる」
金の少女は傷だらけで、血にまみれて、それでも力の波動を纏う。
ふわりと浮き上がる長い髪の毛。
足元に転がった瓦礫が、音を立てて崩れ去った。
の左手が優雅に動き、空気に黒い軌跡を描く。
黒光を迸らせて、彼女は超然と告げた。
「私の放つ刃は、次で最後よ」
「なんだ、それは」
アクマが訊いた。
その装甲にいくつもの穴を穿って、いまだ拘束してくる楔から両腕を引きちぎりながら、金髪のエクソシストを見つめる。
は微笑んでいた。
そして籠手へと転換したイノセンスから、凄まじい光を呼び出していた。
黒い燐光がさざ波のように、を取り巻くようにして乱舞する。
莫大な刃の群れが礼拝堂内を埋め尽くし、広がり、また集束して形を成す。
それは羽根だった。
水平に伸ばされたの腕、その手甲にある黒玉から左右へと、黒い光が巨大な羽根を広げていたのだ。
そして黒玉に触れたの左手の指が、空気に軌跡を描く。
輝く黒い線が、弓のように引かれる。
炎のように揺らめき、激しい波動を放ちながら、それは矢としてこの世に具現化したのだ。
「これから私は刃を放つ。残っている能力を使って、今放つことのできる全ての刃でお前を貫く」
は光に囲まれて、まるで呪文のように言った。
その整った顔を照らし出す、黒。
「これが私の最終手段よ」
「…………どういうことだ」
アクマが低く尋ねた。
得体の知れない能力を前に、警戒を強める。
素直に答えるは、それすらも計算だった。
こんなおしゃべりはただの時間稼ぎだ。
「見ての通り私は満身創痍、それに『囚葬』を発動し続けていることで精神的にもギリギリなわけ。こんな状態で、これだけの刃を撃ち放てば、間違いなく神経がいかれてしまう」
は悲観した様子もなく、続ける。
「とりあえず、反動で腕の神経はぶち切れるかな。そうなれば私はもう戦えないし、『囚葬』も消えてしまうだろうね」
「…………………………」
「だからこれが最後の勝負よ。能力の全てを賭けて、エクソシストはお前に挑む」
はアクマを見つめて、悪戯な仔猫のように微笑んだ。
余裕を装って、ゆっくりと唇を動かす。
胸の中では誘いに乗ってくるように必死に祈りながら。
「この刃で貫くことができたら私たちの勝ち、防ぐことができたらお前の勝ち。すごくわかりやすいと思わない?」
「……………………我が素直に、そのようなものを受けると思うか」
「避けようとか考えない方がいいよ。文字通り光速の刃だから。それにどこにいたって同じだ。黒死は決して
お前を逃がさない」
そう、決して。
諦めてたまるものか。
「この刃で、お前を破壊する」
静かな声でそう告げた少女を、アクマはじっと眺めていた。
水平に掲げられた右手、その腕の輝くのは白銀の籠手だ。
そして手の甲の黒玉から左右に広がる、漆黒の羽根。
左手がそこから弓のように黒い線を引いている。
それは刃を矢のように見せ、そして羽根から繋がった鳥の尾のようにも見せていた。
まるで死告げ鳥だ。
アクマは嗤った。
「つまり、それを防げば、戦うことの出来なくなったお前を心ゆくまでいたぶれるということか」
「………………」
「それはいい……。腹を裂いて臓物を引きずり出してやろう。手足を潰して醜い姿にしてやろう。その美しい首を愚かな神の前に飾ってやろう!!」
アクマはいまだに地に縫い付けられていた両腕を引きちぎり、その鎧を転換した。
それは巨大な盾のようだった。
いくつもの杭が飾られた壁が、の視線の先にそびえ立った。
魂の慟哭が聞こえるようだ。
殺された人間の恨みや恐怖が、悪意に染まったアクマを守っている。
おそらくこれが鎧を最高硬化させた姿なのだろう。
お互いに最後の手段は出揃った。
巨大な防御壁、その後ろからアクマの狂った声がする。
「来い、エクソシスト!我が鎧を貫ければお前たちの勝ち、防ぎきれば我の勝ち!こんなにわかりやすい決着はない!そして我が防御は絶対だと示す機会である!!小賢しい策を巡らすより、よほど気に入ったぞ!!」
「…………お前が素直な良い子でよかったよ」
は吐息と共に、誰にも聞こえないように呟いた。
それが届いたわけではないだろうが、アクマは皮肉をまじえた笑い声をあげた。
「女神像の後ろに隠したお仲間に助けを請うがいい。まさかお前ひとりの力で勝てると、本気で思っておるのではあるまいな!?」
はそこではっきりとした表情を浮かべた。
つまりどこまでも鮮やかに微笑んでみせたのだ。
「ありがとう。でもご心配なく。私は最初から、自分ひとりで戦ってるつもりはないよ」
比喩とも取れるその言葉を、アクマは妄言だと決め付けたようだった。
鼻で笑い飛ばされて、は戦士の顔へと立ち戻る。
そしてアクマと同時に声を張り上げた。
「「勝負だ!!」」
そうしては祈った。
強く強く、自分の体が持ちこたえてくれることを。
アレンのことをあんなに怒っておいて、ここで自分が壊れるなんて、彼に合わせる顔がないというものだ。
だからは歯を食いしばった。
神経が灼かれて、視界の隅が点滅する。
死への警鐘?そんなもの、笑い飛ばしてやるだけだ。
全身の苦痛も、流れ落ちる血も、何もかもを押し殺す。
そしてはイノセンスを発動させた。
黒死葬送、鳥の儀。
『羽葬、告死鳥』
「黒に染まった闇鳥よ、終焉へと突き進め」
の残された力、その全てが放出された。
輝く黒が世界を染め上げた。
迸る凄まじい閃光、莫大な刃の群れ。
死告げ鳥は巨大な羽を広げ、恐るべき速度でアクマへと襲い掛かった。
「貫き滅ぼせ!!」
の命令に従って、闇鳥は空気までを灼き、分解し、吠え猛りながら奔る。
一瞬にして大理石の床を砕いて溶解、周囲の物を破壊し尽す。
爆風と黒光の嵐がアクマへと殺到し、その防御壁と共に後方へと弾き飛ばした。
光と闇がぶつかり合い、反発し合い、輝きがアクマを抱擁する。
刃は牙を突き立て滅びを叫び、鎧は鋼鉄となってその導きを拒む。
アクマの咆哮が響き渡った。
永遠のように長い時間の後、ゆっくりと光は消失していった。
は足の震えを堪えきれずに、背後にある女神像に背をぶつけるようにしてもたれこんだ。
それで何とか膝を折ることを拒絶する。
必死に立ったまま前方を見据える。
光の嵐が去ったそこには、幅広の線が残っていた。
床を穿ち、柱を砕き、破滅が通過した道を示している。
そして、その先に蠢くものがあった。
木っ端微塵に破壊された十字架の下に、闇の残骸が存在していた。
鎧はほとんど溶解し、異形の両腕は失われている。
それでもアクマはそこに立っていた。
の放った光の刃、巨大な黒い矢は、そのボディに半ば突き刺さったところで、その破壊を止めていたのだ。
超絶の破壊力と圧倒的なスピードを持つこの技は、使い手の満身創痍の前にその威力を軽減させてしまったのである。
は霞む視界にアクマの姿を捕らえて、目を細めた。
鎧の体が震える。
引きつるように不自然な動きで、振動する。
「ふ……、ふ、ふふ、ふふふふふふ……!」
アクマは笑っていた。
その体を半ばまで貫かれて、それでもこの世に存在していることに声をあげて笑っていた。
「わ、我の、我の勝ちだ……!お前の刃は我を貫き滅ぼしてはいない……っ、我の勝ちだ!!」
狂気に染まった声を張り上げて、爛々と輝く青の双眸をへと向ける。
「お前たちの負けだ!!!」
女神像へとその身をあずけた少女の腕から、白銀が消えた。
籠手は元のロザリオに戻り、硬質な音をたてて床に転がり落ちた。
同時に礼拝堂を覆っていた黒い光の帳が、音もなく掻き消える。
『囚葬』は解除され、真なる夜の闇が世界に帰ってきたのだ。
は神経の引きちぎれた左腕に右手を添えて、眩む意識の中で顔をあげた。
「そうだね……。負けたよ」
血でかすれた声で囁く。
全ての能力を使い果たし、立っているのもやっとの状況では笑った。
死に直面したその中で、口元を笑みの形にする。
そこに含まれていたのは諦めでも絶望でもなかった。
そして敗北でもなかった。
そこにあったのは、紛れもなく勝利だった。
笑みを刻む、唇。
「私は負けた。けれど……」
「僕達の勝ちだ!!」
少女に応えるようにして、少年の声が響き渡った。
瞠目するアクマの視界に、ひとつの影が飛び出してくる。
それはこの夜の中で、唯一輝く白だった。
アレンは強く跳躍した。
女神像の背を、羽根を、そして失われた首を足場に、高く高く跳び上がる。
の頭上を遥かなる高みで通過し、その左手をアクマへと向けた。
は言った。
『生き抜くと……、最期まで命を諦めないと誓ったのなら、私達は本当の同士で、仲間よ』
だから、力を貸して欲しいと。
重症のアレンが動けるようになるだけの時間は稼ぐ。
そしてアクマを破壊する足がかりを作る。
だからどうか命を守る力を。
『お願い。私に力を貸して』
少女の真摯な願いにアレンは頷いたのだ。
ひとりでは、アクマを砕くことはできないかもしれない。
それはアレンにしても同じだ。
だからふたりは力を合わせる道を選んだ。
一緒に戦うことを決めたのだ。
空中でアレンは己の左手を転換した。
輝く白が螺旋を描きながら伸び、変化してゆく。
対アクマ武器の形が作り変えられていく。
そしてその先が、アクマの腹に半分まで突き刺さったの黒い矢に絡みついた。
「なに……っ!?」
驚愕するアクマなど構わずに、アレンはさらに転換を続ける。
輝く白が光る黒を掴み、同化し、そして一本の巨大な剣となった。
アレンの能力との能力がひとつに合わさり、一振りの大剣を生み出したのだ。
閃光を放つ黒白の剣で、アレンはアクマへと立ち向かった。
「貫き滅ぼせ!!」
強く命じて、渾身の力をこめて大剣をアクマのボディへと叩き込む。
もとより半ばまで突き刺さっていた刃が、鎧を貫通。
その下にある胴体をも巻き込んで破砕する。
炸裂する光。
アクマの絶叫がアレンへと叩きつけられる。
傷だらけの体が悲鳴をあげ、激痛が走る。
それでもアレンは手を離さなかった。
そして黒白の大剣が、完全にアクマを穿孔した。
「が言ったはずです」
流れる血に視界を真っ赤に染めて、アレンは囁いた。
「この鎧を貫くのは、僕達だ……と」
アレンはその左手、大剣を一気に振り抜いた。
鎧もボディもまとめて裂き砕いて、黒の刃と白の腕が天に向けて疾走する。
アクマの体は真っ二つに斬り裂かれた。
「おやすみなさい」
光が溢れた。
すでに声もなく消失してゆくアクマの姿。
革の拘束具の下にある青い双眸も赤い糊口も色を失い、崩れていく。
アレンは優しい光に包まれながら、天を仰いだ。
左の瞳が微かに疼き、破壊された十字架の前に浮かぶ人影を映し出す。
それは涙を流す、黒髪の女性だった。
アクマの呪縛からようやく逃れることのできたリオンの母なのだと、アレンには考えなくてもわかった。
声が聞こえた気がした。
呼ぶ声が。
“リオン……”
アレンは微笑んだ。
そして静かに告げた。
「大丈夫です。本当の愛に気づけたのなら、リオンはきっと、大丈夫」
だからどうか貴女も、安らかな眠りへと。
アレンの祈りは通じたのだろうか。
リオンの母は安心したような笑みを最期に残して、光と共に消えていった。
夜に冷たい闇と凍りつくような静けさが戻ってきた。
アレンのイノセンスが、意思とは関係なくその発動を解除する。
すでに限界を超えていて、立っていることもできなかった。
アレンは崩れ落ちるようにして床に膝をついた。
息を吐き出すと赤く見えた。
それは血が混じっているからなのか、それとも視界がそれで染まっているからなのかはわからなかった。
でもすごい。
生きてる。
ボロボロになって、血まみれになって、一度は死ぬことまで決めて、それでもまだ自分は生きている。
すごい。こんなこと。
本当にあるんだ。
唐突に意識を引き戻された。
顔をあげると、すぐ傍にがいた。
彼女はここまで這うように進んできたのだろう、もう一歩、足を引きずってアレンへと近づいた。
そして膝が限界にきたかのように、床に座り込んだ。
彼女はしばらくどこか呆然とした顔でアレンを眺めていた。
対するアレンも同じような表情でを見つめていた。
すごい。
ふたりとも生きている。
何だか今にも死にそうだけど、それでもまだ生きている。
「ありがとう」
言葉が勝手に口から零れ落ちた。
が目を見張った。
だからアレンは微笑んだ。
「ありがとう。僕を、信じてくれて」
一緒に戦ってくれて。
そしてそれを許してくれて。
守ってくれて。
守らせてくれて。
だから今、僕達は生きている。
「ありがとう、」
消えそうになる視界で必死に言うと、が笑った。
全身の力を抜くように、泣き出しそうに、優しく微笑んだ。
「こっちこそ、ありがとう」
アレンは光のようなに、手を伸ばした。
「私を信じてくれて」
囁く彼女をアレンは強く引き寄せる。
全身に傷を負っていて、腕を動かすのも難しかった。
けれどをきつく抱きしめる。
そうしないと意識が飛んでしまいそうだったからだ。
そうなる前に、これだけは言っておきたかったからだ。
アレンは心から微笑んだ。
「だって君と一緒だと、負ける気がしなかったんだ」
声は血でかすれていたけれど、にだけは聞こえたようだった。
彼女はぎゅっとアレンを抱きしめ返してくれた。
「当たり前よ」
その、確かな温もり。
生きている、証。
「ふたりは絶対無敵なんだもの」
強気なその声にアレンはさらに微笑みを浮かべる。
そして意識は白に溶けた。
長く冷たい夜が、ようやく明けようとしていた。
ようやく決着です。何とか勝利しましたね。
アレンもヒロインも半端じゃないケガですが、根性で生き残りました。
この話はラストの二人が共闘するところが書きたくて、生まれたものです。
ひとりでは守るために命を捨てなくてはならなくても、ふたりなら互いを守って生きていけるのだと。
もっと強くなれるのだと、そんなことが書きたかったのです。
それにしても長かった……!どうにか次で終われそうです。
次回はずっと書きたかったシーンがあるので、楽しみです。(私が)
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