壊すことで得られる魂の開放。
神の使徒は破壊に舞う。






● 永遠の箱庭  EPISODE 9 ●







リオンの絶叫に、隣にいるの体がぶるりと震えた。
アレンはその手を強く握った。


「こんなの……、こんなのって……っ」
「哀しすぎる……。だからアクマは破壊しなければならない」


アレンは静かに、けれど強い決意を込めて呟いた。
泣き叫ぶリオンの声が霊廟に響いている。
続くアクマの攻撃は全ての盾によって弾かれていたが、この戦場でいつまでも彼が無事でいられる
保証はない。
アレンはの肩を掴んだ。


。リオンを連れて逃げてください」
「な……っ!?」


は目を見張った。
同時に二人をミサイルが襲い、展開した黒い光がそれを防ぐ。
衝撃に歯を食いしばりながら、はうなった。


「バカなこと言わないでよ……!そんな大怪我で、ひとりであれだけのアクマと戦う気!?」
「僕よりリオンとイノセンスほうが大切です」


アレンはきっぱりと言い切った。
瞳はもう、アクマを見据えている。
彼はをリオンの方に押しやり、防御壁の外へと駆け出した。


「頼みましたよ!!」
「待っ……!」


は止めようと手を伸ばしたが、それよりも早くアレンの姿は白煙の中へと消えていった。
いくらなんでも無茶だ。
あれだけの傷を負って、ひとりでこの数のアクマを破壊することは、命を捨てる覚悟でなければ。
そこに考えが至って、は戦慄した。
アレンが全てをかなぐり捨てて、自分達に逃げろと言ったのならば、そんなのは許されることではない。


(そんなの許せない……っ)


「アレン!!」


巻き起こる爆風と破壊音に、の叫びはかき消された。












リオンは嗚咽にうめいていた。
涙で息がうまくできない。
先刻とは比べ物にならないほど、呼吸が辛くて仕方がない。


「もう止めろ……、もう嫌だ、こんな、こんな……っ」


はがれた爪からの血が、光の壁に赤を引く。
あまりの苦しみにリオンは絶望を吐き出した。


「死んでしまいたい……っ、誰か殺してくれよ……!」


その瞬間、響く怒鳴り声がした。


「ふざけないで!!」


激昂したが『盾葬しゅそう』の中に飛び込んで、床に伏せるリオンを引き上げる。
その両肩を強く掴んで、彼女は叫んだ。


「どうしてそんなことを言うの、アレンの言葉を聞いていなかったの!?」
「…………っ」
「お父さんは君を愛していた、君のことを守ろうとしたのよ!なのにその全てを投げ出すって言うの!?」


それはリオンの求めていたものだった。
こんな結末は望んでいなくても、リオンがずっと欲しいと思っていたものだった。
それが、父の愛だった。


「胸を張りなさい!君は愛されていたのよ!!」


は泣きそうに顔を歪めた。
そしてリオンの肩を両手で覆って懇願した。


「お願い、その愛に応えて。悲しいのはわかる。絶望に崩れ落ちそうなのだと知っている。けれど君もお父さんを愛しているのなら、どうか今は、生き残ることだけを考えて……っ」


触れてくる手が、暖かかった。
この冷たい絶望の底で、ただひとつ、リオンを支えていた。
リオンは涙の中で必死にを見つめた。


「俺は父様を愛していたよ……っ」
「うん」
「だから生きていて欲しかった……、父様もそうなのかな……っ」
「うん、絶対に……!」


は強く頷いた。
この胸の願いが父と同じものならば、守らなければいけないと思った。
もうこれだけが、父と自分を繋ぐ絆だった。
リオンは何度も頷き返した。
けれどの真っ赤な全身を見て、悲鳴をあげる。


「でもお前たちが死んでしまう……!アレンももひどい怪我だ、俺のせいで、死んでしまうよ……!!」
「大丈夫、私は死なない。アレンも死なせない」


はそう言ったけれど、リオンには信じられなかった。
あまりにひどい血の匂いが、死んでいった母を思い起こさせた。


「嫌だよ、死ぬなよ……!」
「リオン……」
「もう誰も、俺のせいで死ぬなよ!!」


リオンは必死に手を伸ばしてに抱きついた。
この温もりが消えてしまうかと思うと、全身が凍ってしまうようだった。
その冷たさを癒すように、が背に腕をまわしてくれた。


「私達を助けたいと願ってくれるのなら、どうかリオン。力を貸して」


そう出来たらどんなにいいだろう。
必死に戦ってくれる彼らの力になれたら、どんなに誇らしいだろう。
けれどリオンにはわかっていた。
己の無力さを思い知っていた。
この戦場では、自分は足手まといにしかならない。


「無理だよ、俺には何も出来ないよ……っ」
「バカなこと言わないで。今は君だけが頼りだと言うのに」


は強くリオンを抱きしめた。
それから立ち上がって、その掌を差し出した。
リオンは前に取ることのできなかった、彼女の手をしっかりと握った。


「お願いリオン。私達に力を貸して」


はリオンの手を引いて駆け出した。
盾葬しゅそう』が弾け飛び、光刃となって周囲のアクマに降り注ぐ。
開かれた道を、二人は疾走した。


「どうかイノセンスを持って、屋敷まで走って」
「…………!」
「無茶は承知よ。それでも私は君を信じたい。全員が生き残る方法に賭けたいんだ」


は霊廟の扉の傍で足を止めた。
リオンを振り返り、その前に屈みこむ。
その瞳を真っ直ぐに見つめて言う。


「君の役目は生き延びること。イノセンスと共に安全なところまで逃げること。森は暗いけれど、走れるよね?」


リオンは恐る恐る頷いた。
暗くても森を走り抜ける自信はあった。
ここに来たときもそうだったし、何より昔から遊びなれた庭園だ。
けれどリオンは不安に叫ぶ。


「でも、アレンはお前も一緒に逃げろって……!」


はわずかに瞳を細めた。
それはリオンをひとりにさせることへの罪悪感のようだった。
彼女は唇をかみ締めて、それでも告げる。


「ごめんなさい。一緒に逃げることはできない」
「………………」
「アクマをこのままにしてはおけない。私はエクソシストだから」


は決して目を逸らさなかった。
彼女の瞳はこんなときでも、ただ真っ直ぐこちらを見据えていた。


「アレンを置いてはいけない。誰も死なせたくない。それが私だから」
……」
「振り返らなくていい。アクマに後を追わせはしない。私が君を守るよ」


は強くリオンの両手を握った。


「リオンはただ、全力で屋敷まで走って。一生懸命、自分の身とイノセンスを運んで。そのかわり……」


は吐息のように言った。
静かなそこに込められていたのは、途方もなく強い意思だった。



「君の心を痛めるものは、全部ぜんぶ、私達が壊してみせる」



凛とした表情、その気迫に、リオンは息を止めた。
鋭い美しさが、凍りついた心を貫いた。
そして溶け出した、熱い想い。
はもう一度リオンを抱きしめた。


「お願いリオン。私達に力を貸して……!」


あまりに真っ直ぐなその願いに、リオンは悟った。
その方法だけが、この戦いの中、彼女がアレンとリオンを守る唯一の術なのだ。
は、暗い闇にリオンひとりを放り出すことに心を痛めている。
けれどそうしなければ、ふたりの命を守れず、またすべての哀しみを破壊できない。
その判断は正しいのだろう。
そしてそれは、リオンの胸を震わせた。


「俺、が」
「え……?」
「俺が、お前たちのことを助けられるのか?」


リオンはぎゅっとを抱きしめ返した。
温もりは優しかった。
まるで愛のようだった。


「俺が屋敷まで走ることで、自分の身とこの短剣を守ることで、お前たちの助けになれるのか?」


熱い涙が頬を伝った。
は確かに頷いてくれた。
リオンは体を離して、彼女の金色の瞳を見つめた。


「だったらやってみるよ……。怖いけれど、苦しいけれど、優しく手を差し伸べてくれたアレンと、真っ直ぐに俺を見てくれたを裏切りたくない……っ」
「リオン……」
「全力で走って生き延びる。それが父様の愛に応えることになるのなら、絶対に諦めちゃいけないって思うから……!」


涙が止まらなかった。
目の前のの顔がにじむけれど、視線を逸らしてなるものか。
だってはどんなときだって真正面から自分を見てくれたじゃないか。


「俺、がんばるよ、お前たちと父様のこと助けたいから、だから死ぬなよ……!」


リオンはの両手を握って、願った。
どうかどうか、俺の拙い想いが少しでもいい、二人に届くように。
この悲劇を破壊する力になるように。


「絶対に死ぬなよ……っ!!」


心の底からそう叫ぶと、は微笑んだ。
何故だろう、その微笑は、死んでしまった母によく似ていた。
顔の造作は似ても似つかない。
母は穏やかな容貌の持ち主で、の鮮明な美しさとはどうやっても重ならない。
けれどその微笑だけはよく似ていた。
それはどこまでも優しく、リオンを包み込んだ。


「うん。約束する」
「早く、帰ってこいよ……っ、医者を呼んでおくから……!」
「できれば温かいベッドもよろしく」


はリオンを安心させるためだろう、わざと普段と同じように、にやりと笑った。


「ありがとうリオン。帰ったらご褒美をあげるね」
「何だよ、それ……っ」
「乙女のキス」
「バカ、いらないよ!」


はもう一度だけ笑うと、すぐに真剣な表情に戻った。
そして強くリオンの背を霊廟の外へと押し出した。


「行け!!」


その声に突き動かされて、リオンは暗い夜の森を駆け出した。
胸を張って走ろう。
愛されていたこの命を守りきるんだ。
無力な自分にできることを全力で成し遂げるんだ。


それがアレンとに応える唯一の術。
そしていなくなってしまった父に愛を示す、残された最後の方法なのだから。




















全身が悲鳴をあげていた。
あらゆる傷口からの出血が止まらない。
大量に血を失ったので激しい眩暈がしていた。
それでもアレンは戦っていた。
発動した左手を振り上げ、アクマ達を切り裂く。
その哀しい運命と共に、魂が安息することを願って、戦場を駆け続ける。


(ひとつ残らず破壊する……!)


その想いだけがアレンを動かしている燃料だった。
けれどアクマ達はそんなアレンを嘲笑っていた。
激しい弾丸の嵐、その豪雨にまぎれて鎧の槍斧が襲ってくる。
その動きを読んでいたアレンは攻撃をバックステップでかわし、素早く跳躍した。
そして上空から落雷の速度で鎧を襲撃。
鋭い左手が、その巨漢を引き裂く。
あまりの衝撃に床が弾け飛び、大理石の破片が舞う。


しかしアレンは己が破壊したアクマを見て、瞠目した。


それは鎧ではなかった。
大きさだけがよく似た、低レベルの別のアクマだった。


「なに……っ!?」
「ここだ、愚か者めが!!」


悪意の声と、闇のような殺意を背後に感じてアレンは振り返った。
だがそれに対応するより一瞬早く、異形の腕がアレンの右肩を貫いた。
激しい威力を持った刺突にアレンの体は軽々と持っていかれ、そのまま壁に激突、そこに縫い付けられる。


「ぐ……っ」
「素晴らしい抵抗だ。立っているのもやっとだろうに」


耳障りな笑い声を上げながら、白煙の中より鎧が歩み出てくる。
己の全長より倍以上も伸びた左腕が、槍のような鋭さでアレンを捕らえていた。


「ああ愉快だ!血の匂い、悲鳴、殺戮が我を高揚させる!!」


アレンは左手を振り上げ自分を貫く異形の腕を引き千切ろうとしたが、さらに肩をえぐられて苦悶の声をあげた。
アクマの凶器は肉を裂き、胸の辺りにまで達しようとしていた。


「もっと楽しませてくれ!さぁ!!」


鎧のもう一本の腕が、アレンの心臓へと向けられる。
さらなる血潮を求めて、アクマは嗤った。


「さぁ!!」


凶器と転換された腕が、くうを走った。
アレンの命をめがけて駆けて行く。



その死への導きを破壊したのは、凄まじい閃光だった。



激しい黒の輝きが、視界をいた。
飛翔した光が、通過する空間に存在する全てのアクマを引きちぎり、大気すら分解して、鎧の腕を破砕した。
アレンは眩暈と血で霞む視界を巡らせて、そちらを返り見た。


そこには荘厳な霊廟の扉を背景にして、が立っていた。


差し込む月明かり全身に纏ったその姿は、ひどく美しかった。
何か恐ろしい妖精か、戦乙女の化身のようだ。
表情もなくこちらを見据えるその顔は、人外の者、魔性に通じるものがあった。
アレンは戦慄を感じながら、それでも叫んだ。


「どうして……っ、リオンと一緒に逃げろって言ったのに……!」
「あの子とイノセンスが無事なら、文句はないはずよ」


抑えた声で答えたの言葉に、鎧が反応した。


「逃げた……?イノセンスとあのガキが?」


鎧は霊廟の中を見渡し、そこにリオンと短剣の存在が消失していることに気がついて、声をあげた。


「やってくれたなエクソシスト!!」


鎧は大音声で、周囲の低レベルのアクマ達に命じた。


「追え!ガキを殺してイノセンスを奪え!!」
「やめろ……っ!!」


アレンは叫んだがその左手は間に合わない。
アクマは群れを成し、霊廟の扉、その前に立ったへと突進していった。


!!」


名を叫ぶアレンに応えるように、は声を張った。


「させない!!」


白い手が胸元のロザリオを引きちぎる。
その十字架が輝きを放つ。


黒い光が広がり、螺旋を描き、そして弾けた。


黒死葬送こくしそうそうはこの儀。

囚葬しゅうそう冥府獄めいふごく


輝ける夜が世界を覆った。
星を含んだその帳が、霊廟の扉、窓、ありとあらゆる外界への道を閉ざした。
見えていた庭園の景色、降り注いでいた月光が、光る黒に掻き消される。
アクマ達はイノセンスに守られたを避けるように流れ、そのまま扉へと、まるでカーテンのようにそこに降ろされた黒い光の波へと殺到した。


その瞬間、破壊が巻き起こった。


霊廟から外に出ようとしたアクマ達に、その出入り口を塞いでいた黒光が容赦なく襲い掛かったのだ。
走った閃光は刃となり、剣となり、槍となり、ことごとくアクマ達を貫いた。
その破壊の嵐を背に、が告げる。


「ここはくらき密室。誰も逃げられない。囚人達よ、光にかれろ!」


アクマ達は鎧の命令に従って窓や壁を壊し、外界に出ようとしたが、結果は全て同じだった。
まるで世界が輝く夜に沈んでしまったかのように、霊廟は破壊を備えた光の壁にすっぽりと覆われてしまっていたのだ。
脱出しようとする者は、無慈悲な閃光にかれて消滅を余儀なくされる。


「何だコレは」


鎧が破壊されていくアクマ達を見つめて言った。
その問いに、は答えた。


「この霊廟と外界を繋ぐ道を断ち切った。空間は切断され、もう繋がらない。お前たちは閉じ込められたのよ」
「何……?」


そう呟いたアクマ以上に、アレンは驚いて息を呑んだ。
空間を断ち切った?
の放つ黒い光の刃が、万物を無に帰すほどの破壊力を持っていることは知っている。
けれどまさか、目に見えない、空間すらも切り裂いてしまうほどだなんて。


「リオンの後を追わせはしない。あの子の命も、イノセンスも、守ってみせる」


ピタリと破壊が止まった。
全てアクマ達が閉ざされた光の壁への突進を止め、へと、その虚ろな視線を向けたのだ。
大量の殺意を浴びながら、は鎧を見据えて言い放った。


「お前を破壊してリオンの愛を貫いてみせる!!」


その瞬間、かざしたロザリオから破滅の閃光が飛び出した。
黒い燐光が恐るべき速度で飛来。
鎧の全身を強襲した。


しかしその凄まじい破壊の刃も、アクマに死の顎を突き立てることはできなかった。


「な……っ!?」


鎧の表面で、火花を散らして消失した己の攻撃に、が瞠目する。
同じように目を見張ったアレンは、激痛に押さえた悲鳴をあげた。
アクマは突き立てた異形の腕をさらに食い込ませてアレンをいたぶりながら、を嘲笑った。


「高速の刃だな。威力も素晴らしい。けれどその程度では、我が鎧を打ち破ることはできぬよ」


は予想を上回るアクマの装甲の堅さに、唇を噛んだ。
けれどすぐさまその姿が掻き消える。
穿たれた床と爆発音が、彼女がそこから跳躍したことを告げていた。


「だったら直接ぶち壊すまでよ!!」


続いて聞こえてきた声は側面からだった。
は爆発に乗って飛翔、霊廟の壁に横向きに着地。
そこに足を突き立てて疾走を開始する。
重力に逆らい水平に迫り来る少女に、鎧は叫んだ。


「あの女を殺せ!あいつが死ねば、空間を閉ざしている妙な光の壁も消えるはずだ!!」


周囲を囲む低レベルのアクマが、一斉にその声に従った。


「殺せぇ!!!」
「やめろっ!!」


アレンは肩の肉が引きちぎれるのも構わずに鎧の腕を一閃、その巨躯に襲い掛かる。
の光刃でも砕けなかったその装甲に、当然の如く左手が弾かれる。
鎧の腕が鞭のようにしなり、アレンの腹を突き飛ばした。
内腑への衝撃に、アレンの意識が激しく揺らいだ。

同時にまた、爆発音。
壁上を駆けるが、そこから跳躍、大きな穴を穿って柱へ上と着地。
そこに至るまでの一瞬で、その軌道上にいたアクマの群れが黒い閃光に切り裂かれる。
はまるで撞球のような動きで壁や柱、床を縦横無尽に駆け巡った。
その靴裏で引き起こされる爆発の衝撃に乗って、目にも映らぬ速度で飛翔し、通過する一瞬で敵を破壊していく。
かく乱をも備えた超高速の攻撃を展開していた。


「小娘が……っ」


破壊を纏って乱舞し、こちらへと迫ってくる少女を仕留めるために鎧が動いた。
しかしアレンがそれを許さなかった。
鎧の装甲に阻まれるのもかまわずに、『十字架ノ墓クロスグレイヴ』を放つ。
出現したいくつもの十字架に、周囲の低級アクマや床が弾け飛ぶ。


「邪魔だ!!」


ただひとり、鎧だけがその攻撃を受け付けずに、アレンを排除しようと異形の腕を伸ばした。
死の槍が心臓を貫こうと空間を奔る。
アレンはそれを甘んじて受けた。
わずかに体をひねって急所を避け、わき腹をかすめさせる。
狙い通りだった。
例え強靭な装甲を砕けなくとも、アレンの左手が怪力を誇り、鎧の腕を捕らえたのだ。


「これでお前は動けない……っ」
「なに!?」
「今だ!!」


アレンの呼び声に応えては疾走した。
鎧は迫り来るを貫こうと、もう片方の腕を走らせる。
しかし彼女は空中側転でそれを回避、異形の腕の上へと降り立ち、さらに飛燕の速度で迫る。
鎧の咄嗟の命令で低レベルのアクマがへと殺到したが、その時にはもう、彼女は足場にしていた鎧の腕を爆砕していた。


巻き起こされた爆風に乗って跳躍。
金髪の少女の姿が消失する。


「どこへ行った!?」
「ここよ!!」


声は天から降ってきた。
彼女は膝をたわめて天井へと逆さまに立っていた。
そして瞬時にそこを蹴りつけ、回転しながら下方飛翔。
重力を支配し、さらに加速して鎧の上へと降臨する。
着地の衝撃で振り落とす余裕など与えない。
そして両手をかざした。
それは巨漢の頭、そして肩口へと向けられていた。
どれだけ頑丈な鎧でも、守りのない頭部と、装甲の薄い繋ぎ目を叩けば、その防御は崩せる。
は掌に宿した光刃を、渾身の力でそこへと叩きつけた。


「砕けろ!!」


魂を縛る縛鎖に向けて、強く命じる。
その哀しみの開放を願う。



黒光の奔流が炸裂した。



何かが砕け散る音がした。
そして、鮮血が舞った。



砕け散ったのは鎧ではなかった。
それよりもずっと繊細で白い、の両腕だった。



激痛に見開かれる金の双眸。
にやりと口を歪めて、アクマが微笑んだ。


「我の能力は、決して砕けぬ魂の鎧。殺してまわった人間の、恐怖や恨みを纏っているのだよ!!」


振り返ったアクマの頭部は先刻までは存在しなかった、漆黒の兜に覆われていた。
それが胴体を包む鎧から飴のように伸びて形を成し、の攻撃を防いだのだ。
同時に肩口にあった繋ぎ目も消えていた。
やはり溶け出した蝋の如く、その弱点を埋めていた。
の刃は弾かれ、本人に返った。
胸から左腕にかけて深い裂傷が走る。
迸る血の中で、の体を這い回るものがあった。
それはいくつもの人間の手だった。
半透明のそれは、アクマの鎧から数えきれないほど伸びていた。
殺された人間達の魂が悲恨を込めて少女にすがりつき、その生を羨んでいるのだ。
流血し、その呪縛に囚われたにアクマが咆哮した。


「砕けるのはお前だ!エクソシスト!!」


空気をくような一閃で、アクマの腕が少女に襲い掛かった。
アレンは咄嗟に飛び出して、の華奢な体を抱え込んだ。
衝撃に吹き飛び、掲げられた十字架に激突しても、を離さなかった。


「う……っ」


腕の中で、胸からおびただしい血を流しながらがうめいた。
彼女が生きていることに安堵した瞬間、アレンの意識は暗転した。












「……アレン!」


衝突のとき、アレンは頭を強打したようだった。
受身も取れないほどの激しさで、二人は吹き飛ばされたのだ。
も内腑が破れた音を聞いたが、かろうじて意識を失ってはいなかった。
それはおそらく、アレンが手を掴んで衝撃を和らげてくれたからだろう。
見上げると、打ち付けられた十字架にアレンの血が朱の線を引いていた。
昏倒した彼の蒼白な顔には手を当てる。


「……っ、止血しないと危ない……!」


呟く自分自身も、胸の傷からの血が止まらない。
先刻攻撃を返されたせいで、両腕もズタズタに引き裂かれていた。
互いに瀕死の状態で、アレンとは床に伏していた。


「あぁもう何て失態だ……!」


は血を吐き出しながらうなった。
リオンを暗い夜の中に、ひとり逃がしたのは何のためだ。
アクマを倒すためだ。
そしてアレンを助けるためだ。
それなのに何一つ、自分は叶えていないではないか。
己のふがいなさには強烈な吐き気を覚えた。
けれど唇を噛んでこらえる。肉が裂けても力はゆるめない。
今は反吐の出るような自分に構っている場合ではなかった。


「さぁ、どうするエクソシスト。万策尽きたか?我の絶対防御の前に屈服したか!?」


悪意の声が愉快そうに問いかけてくる。
は鎧を強く見据えて、無理に微笑んで見せた。


「伸縮自在の装甲、ね。予想外だし反則よ。そんなのが鎧だっていうのなら、全国の鎧愛好者さまに今すぐ
土下座してもらおうかな」
「ははん、お褒めにあずかり至極光栄」


道化のように一礼する鎧から目を離さずに、少しの油断も己に許さずに、はアレンの体を肩に担いだ。
全身が激しく痛んだが、無視して床に足を突き立てる。
血まみれの少女は二人分の重みを支えて、赤く染まった十字架の下に立ち上がった。
鎧はその様子を鼻で笑い飛ばした。


「おいおい、その死に損ないを抱えて我と戦うつもりか?」
「まさか」


はアクマの声を打ち消すように、強く言う。


「ご覧の通り私たちは満身創痍なの。ついでに言うと、お前を倒す素晴らしい方法が今のところ未発見。と、いうわけで」


は精一杯虚勢を張って、微笑んだ。


「いったん退却させてもらうね!」


この発言には、さすがのアクマも言葉を失ったようだった。
顔が髑髏なので表情がよくわからないのが残念だ。
きっと素敵に呆けた顔をしていただろうに。


「お前……何を言っている?」
「親切にも、敵である私たちのこれからの行動だけど?」
「そんなことを我が許すと思うか……?それに外界に通じる道は、おまえ自身が閉ざしているのではないか」
「うん、まぁ、『囚葬しゅうそう』を創り出した私だけなら出入りできないこともないんだけどね。それを見逃してくれるほど、
お前は甘くないみたいだし」


言いながらは、ずり落ちてきたアレンの体を担ぎなおした。


「アレンを置いてはいけないから」
「ではどうする気だ?この密室から、どのようにして逃げる?……お前、戦いのさなかに頭でも打ったのか」


アクマの声に哀れみのようなものが混じり出したのを知って、はちょっと妙な気分になった。
確かにこれからすることは、異常の部類に入るかもしれない。
しかしそれこそ、の望むところだった。
そうでなければアクマの手を一時でも逃れられるものか。


「ご心配をありがとう。じゃあ、しばしのお別れね」


は言って、片手を持ち上げた。
真っ直ぐと伸ばして、その指先で示した先。
霊廟の中央に突然、黒点が出現した。
それはのロザリオから放たれた、破壊の光だった。


「強襲せよ、漆黒の楔。放たれる刃。比類なき力。蹂躙、侵略し、破滅へと導け!!」


響く声が命じた瞬間、爆発が巻き起こった。
閃光が散り、螺旋を描きながら霊廟内を乱舞する。
刃は無秩序に荒れ狂い、残っていた全ての低級アクマごと、壁や天井を切り刻む。
大理石が一瞬で解体され、倒れた支柱、落下してくる瓦礫の群れが鎧を押しつぶした。


世界が黒の嵐に沈んだ。
ベルネス公爵家の荘厳たる霊廟は、完全に崩壊したのだった。




















は落下していた。
魂を上に引き抜かれるような不快感に唇をかんで耐える。
空中で肩に担いだアレンを引き寄せて、強く両腕で抱きしめた。


の黒光は、そのイノセンスの名の通り、破滅をもたらした。
引き起こした爆発で、巨大な建物、霊廟を完全破壊したのだ。
さらに倒壊と同時に、は下方に向けて能力を放った。
そして床を崩し、霊廟の地下へと落下していった。
その目的は、建物の倒壊から逃れること。
そして隙のできたアクマの前から、身を引くことだった。
このような霊廟には必ず地下に納骨堂がある。
はそこに入り込んで、アレンの手当てと、鎧を倒す手立てを考える時間を稼ぐつもりだった。


地下の空間、納骨堂の床が近づいてくる。
はアレンの体を抱きこんで、光刃を放つ。
それが大気を切り裂き、爆風を引き起こして、落下の衝撃を緩和させる。


「ちょっと揺れるけど我慢してよ……!」


歯を食いしばり、意識のないアレンに言う。
の足が納骨堂の床に着地。
その瞬間、その足場が瓦解した。


「な……っ!?」


予想外の事態に、は目を見張った。
どうやら衝突から身を守るために放った能力が、強すぎたらしい。
とアレンは崩れた床の穴から、地下のそのまた下へと落ちていった。


「ちょっと待って、こんなの想定外だって!」


薄暗い空間を切り裂きながら二人は落下していく。
しかも到着点が見えない。
このまま落ちたら間違いなくぺちゃんこだ。


「なんで地下に、そのまた下があるのよ!!」


混乱のあまり怒鳴りながら、は再び光の刃を放った。
今度は手加減なしで、全力で衝撃波を引き起こす。
激しい風に煽られて、翻弄されながらもしっかりとアレンの体を抱きしめる。
そして彼をかばうために、自分が下敷きになるよう空中で回転、歯を食いしばった。


どうか骨が折れるぐらいですみますように……!


目を強く閉じて願った瞬間、にぶい音をたてての体は床と衝突した。


「い……っ」


背骨が軋んで激痛が走ったが、無理に悲鳴を押し殺す。
しばらく無言で悶絶して、それから震える息で呟いた。


「よ、よし、とりあえず生きてる……。アレンは大丈夫?私ぜんぶかばえた……?」


ひとりで言いながら身を起こして確認してみる。
自分の上に乗っかったアレンの体。
全ての下敷きになれたと思ったのに、彼の足が自分の上からはみ出していた。


「……っ、くそ、どうして私の体はこんなに小さいんだ!」


自身を怒鳴りつけてアレンの体をちゃんと床に寝かせる。
調べてみたが、ぶつけた彼の足は打撲程度で骨は折れていなかった。
ホッと息をついたが安心はできない。
アレンは瀕死の重傷で、一刻も早く止血する必要があるのだ。


は素早く自分達のいる場所を見渡した。
薄暗いこの空間は、どうやら緊急用の逃走路らしい。
貴族には建てる建造物すべてに、病的なまでに逃げ道を創る者がいるが、まさかベルネス公爵家もそうだったとは。
地下の納骨堂、そのさらに下に広がる細長い通路の先は、壁にかけられた微小な明かりが届かないまでに
続いている。
は次に、自分達が落ちてきた天井を仰いだ。
遥か高みにあるその穴は、一緒に落下してきたであろう瓦礫に埋まっていた。
いい目くらましだ。
これならしばらくアクマに見つからないかもしれない。
納骨堂の奥に入り込むより、よっぽど優れた避難場所だった。


「痛かったけど、ナイス偶然」


はわずかに微笑んで言って、アレンの手当てにとりかかった。
本人に意識があったら盛大に文句を言われそうだが、そうはいかないので問答無用で服をはぐ。
あらわれた彼の体は案の定、傷だらけだった。
はアレンのシャツを、特に深い傷の止血に当てる。
布が足りないので自分のコートを脱いでイノセンスの能力で裂き、臨時の包帯を作った。


「今はこの程度が限界か……。ごめんね……」


応急処置を施し、最後に額の血をぬぐってやる。
は吐息をつき立ち上がろうとして、いまだに血の流れている己の体が目に入って驚いた。
アレンの怪我ばかりに夢中になって、自分の手当てを忘れていたのだ。
痛みがひどくて感覚が麻痺してきているのかもしれない。
とにかく団服を脱いで傷を確認してみると、穴の開いたわき腹と胸の裂傷がまずかった。
どうにも血が止まらないので、ブラウスを裂いて押さえつける。


「これで、大丈夫かな」


全然大丈夫ではないのだが、いつまでも座り込んでいるわけにはいかない。
倒壊したとはいえ、『囚葬しゅうそう』に覆われた霊廟からの脱出は不可能。
ならばアクマはそのうち地下へと逃げ込んだ自分達に気がつき、追ってくるだろう。
鎧を破壊する方法を思考し、迎え撃つためには、一刻も早く広い空間に出なければ。
そして瀕死のアレンを助けるためにも、出口の近くに行く必要があった。
その先にはリオンがいて、きっと医者を呼んでいてくれるからだ。


「よし……!」


は気合を入れて立ち上がると、再びアレンを肩に担いだ。
そして薄暗い避難路を歩き始めた。












喘鳴を繰り返す。
足を引きずるようにして前に進む。
出血のあまりかすむ意識を、背負ったアレンの温もりで繋ぎとめる。
それでもやはり彼は男で、がその体を支えて歩くとなると、なかなか前進できないものだった。


「……っ、やっぱり私はマッチョになるべきだね。それこそアレンをお姫様抱っこできるくらいに!」


奇妙なのは承知の上だったが、はひとりで喋り続けていた。
そうでもしないと傷の苦痛に、歩みが止まってしまいそうだったのだ。


「歯を食いしばれ、悲鳴をあげるな、こんなのは痛みじゃない……!」


震える両足を叱咤する。
止まらない血、命の赤を床に残しながら、切れる息の合間に言う。


「もっとひどい罰を知っている。だから私は負けない。負けるもんか……っ」


考えろ。
思考を止めるな、策をひねり出せ。
リオンと約束したんだ。
あの鎧を倒して、彼の愛を貫くんだ。
囚われた魂を開放して、彼の哀しみを壊すんだ。
守ってみせる、絶対に。
だから。


「こんなところで……っ」


永遠に続くような道を這うように進みながら、は必死に自分自身に言い聞かせた。



「こんなところで、負けてたまるか……!!」












まず理解したのはの声だった。
喘息の混じる声で、それでも何かを強く言い続けていた。
アレンはそれに導かれるようにして、瞳を開いた。
最初は視界が霞んで何も映らなかったが、徐々に暗い色の床が見えてくる。
そして微かな振動と、触れる柔らかな温もり。
アレンはに肩を担がれて前進していることを、ようやく理解した。
戻った意識はまだ朦朧としていたが、無理に口を開く。


……?」
「ああ、ごめん起こしちゃった?独り言だから気にしないで。ケガ人は寝てたらいいよ」


あっさり言われたが、そういうわけにもいかない。
アレンはわずかに身じろぎをして、激しい痛みを感じた。
苦痛にうめいて、囁くように訊く。


「ここはどこですか……、アクマは……?」
「ここはさっきまでいた所の地下の地下。アクマはぶっ壊した霊廟の瓦礫の下。足止めのつもりだけど追ってくるのも時間の問題。以上、現状報告おわり」
「それで……」
「うるさい、黙れ。いいから寝てて」


はぴしゃりとアレンの言葉を遮った。
アレンは一瞬ムッとしたが、どうやら彼女は他に構っている余裕がないようだ。
その証拠に、なおも口の中で何かを呟いている。


「考えろ、考えろ、どうすればあの防御を打ち破れる?負けてたまるか、方法はあるはずなんだ、考えろ……」


が鎧を倒す術を思考していることを知って、アレンは至近距離にある彼女の顔を見た。
そして息を呑んだ。
いつもは薔薇色に染まっているその頬が、血の気を失って真っ青になっていたからだ。
唇に色はなく、乱れた長い金髪が肩に散らばっている。
左肘から胸元に走る裂傷と貫かれたわき腹には、止血のための布が当てられていたが、それすらも真っ赤に染めて、床に血痕を落としていた。
アレンはかすれる声で、悲鳴のように言った。


、怪我が……!」
「あんたのほうがひどい怪我よ」


はそれだけ答えると、それ以上アレンに構うことなく思案に戻った。
真っ直ぐ前方だけを見つめて歩き続ける。
彼女は傷だらけの華奢な体でアレンを支えて、その細い足を必死に前に運んでいるのだ。
そのことを知ったアレンは、咄嗟にを突き放した。
それは反射的なことだったので、反動が激痛を生み、二人は通路に膝をついた。


「く……っ、あ、馬鹿……!イキナリ何する……」


上半身を折り曲げて痛みに耐えるから、アレンは視線を逸らした。
体重を支えられなくて、背中から壁にぶつかり、そのままずるずると床に落ちる。
肩の傷口からの血が、アレンのローズクロスを赤く染めた。


「……行ってください」


絶え絶えの息の合間にアレンは言った。
震える手をついて身を起こしたの、金の双眸が見開かれる。
アレンはそれを見ることなく、繰り返した。


「行ってください。僕を置いて、ひとりで」


自分の全身から血が溢れているのを、アレンは知っていた。
が止血してくれたようだが、間に合わないのだ。
こんな状態では足手まといにしかならない。
同じように大怪我を負ったに支えてもらわなければ前に進めない自分など、アレンは許せなかった。
許せるはずもなかった。


「君だけなら逃げられる。君が生きてさえいれば、アクマはここから出られない。だから、行ってください」


見つめてくるの視線が痛くて、アレンは彼女に背を向けた。


「僕がここに残って、追ってくるアクマを足止めします。その間に逃げてください。君が無事ならどうとでもなる。本部に連絡して救援を呼んでください」
「………それで」


呆然とした調子でが呟いた。


「それで、あんたはどうするの?」
「……………」
「あんたはどうなるっていうの?」


アレンは答えなかった。
答えられなかった。
唐突に肩を掴んで振り向かされる。
の必死な瞳が目の前にあった。


「アレン!!」
「いいから行ってください!!」


アレンはの手を振り払った。
はよろめいて、後ろにへたりと座り込んだ。
その凍りついた表情を見て、アレンは微笑んだ。
ただ、彼女を死なせたくなかった。


「お願いだから行って、。君ならひとりでも歩けるよ。僕は……」


アレンはの金の瞳を見つめた。
あぁ自分はけっこうこの色が好きだったのにな。
伝えることもないまま、喧嘩ばかりで、それでもう終わりなのだと思うと、どうしようもなく切なかった。
認めたくないけれど、本当はもう少し彼女の傍にいたかった。
こんな変な人、他には絶対にいないから、もっと隣にいさせてほしかった。
一緒に笑って、その快活な笑顔を見ていたかった。
アレンは泣きそうに微笑んだ。
それはを守るためだった。


「僕は、大丈夫だから」


だからどうか、振り向かずに生きる道へと。


「行ってください。


アレンは精一杯の願いを込めて、そう囁いた。








血まみれ!(汗)何だか二人ともすごい大怪我ですね。
ちょっと本気で命の危機です。
ヒロインががんばったのですが結局アクマを倒せずじまいで、しかもアレンの悪い癖が出てきました。
彼は本当にもう少し自分を大切にした方がいいと思います。
次回はようやくヒロインが神田の忠告の意味を理解します。
(神田の忠告→『笑顔の在処 EPISODE 5』参照)
死にそうな今だからこそ、二人は初めてちゃんと向き合うことになります。
やっぱり血の表現がありますので、引き続きご注意をお願いします。