凄烈な黒が破滅を呼び、光は葬列を成すだろう。
彼女の名は、黒葬の戦姫。
● 永遠の箱庭 EPISODE 3 ●
少年は逃げていた。
息を切らして、まろびながら、それでも必死に逃げていた。
追いかけてくるのは化け物だ。
この世のものとは到底思えない。
耳障りな奇声をあげながら、少年を追い詰めて嗤っている。
追い立てられるようにして入り込んだ路地裏には当然のように人影がなく、少年は絶望に目の前が暗くなるようだった。
それでも足を止めることはできない。
追いつかれたら殺される。
少年は震える息を飲み込んだ。
理解のできない現状で、それだけはわかっていた。
殺される殺される殺される殺される殺される!!
「う、あ……っ!!」
震えの止まらない自分の足に引っかかって、少年は転倒した。
地面に叩きつけられて全身が痛む。
少年にはもう逃げる気力も時間もなかった。
噛み合わない奥歯がガチガチと音を立てる。
震える肩越しに後ろを振り返る。
見えたのは、大砲の筒。
それを丸い体にたくさん備えた化け物。
中心にある顔のようなモノが見下ろしてくる。
虚ろな瞳。
駄目だ、殺される!!!!
少年は頭を抱えて強く目を閉じた。
「おやおや、ボク」
それはあまりに唐突だった。
場違いなほど平穏な声が目の前から聞こえてきたのだ。
少年はその異常さに総毛立って、顔をあげた。
そこにいたのは少女だった。
歳は少年より少し上の、十代半ば。
わずかにくせのある綺麗な金髪を耳の上でひとつに結っている。
反対の耳には黒曜石のピアスが光り、肌は透き通るほど白い。
大きな瞳は蜜のような金色だった。
少年は少女の容姿が並外れて美しいことに驚いた。
しかしそれ以上に驚いたのは、今この状況で、彼女が普通にそこに存在していることだった。
まるで最初からそこにいたとでも言いたげに、少女は地面に倒れた自分の前にしゃがみこんで、こちらを見下ろしているのだ。
言葉を失くした少年に、金髪の少女は小首をかしげた。
「何かお困りかな?」
「そんなのは見ればわかるでしょう」
答えた声も、またもや唐突だった。
反射的に背後を振り返ると、そこには人影があった。
黒いコートに身を包んだ白髪の少年だ。
その左腕は手の甲に埋まった十字架を中心に、白く大きく変化している。
彼はその腕で、例の化け物を事も無げに切り裂いた。
ドンッ!と重い音が響き、球体の体が無色の炎に包まれる。
灰が崩れ落ちるようにして消失していく化け物の姿を、少年は地面に倒れたまま呆然と眺めていた。
白髪が振り返る。
歳のころは金髪の少女と同じくらいだ。
整った柔和な顔立ちと銀灰色の瞳の優しげな少年だったが、今はどこか不機嫌そうな表情だった。
「何のん気なことをしてるんですか、は」
「先輩と呼ぼうね、後輩くん」
「後輩じゃありません、アレンです」
「だってこの子すごく怖がってたから。トラウマになったら可哀想じゃない。私の素晴らしい話術でリラックスしてもらおっかな、って」
「それよりアクマを倒すのが先でしょう」
そう言うアレンの声を横に聞きながら、は少年を助け起こした。
服についた泥をはたいてやる。
「大丈夫?」
少年は咄嗟に答えることが出来なかった。
先刻の化け物と同じくらい、目の前の二人が異常に思えたのだ。
「な……っ、何なんだよお前たち……!」
怯えた声で問いかけると、がアレンをちらりと見上げた。
「ほら、怖がられちゃったじゃない」
「僕のせいですか」
「まぁ、間が悪かったのかな。いつものヤツが千客万来みたいよ」
がそう言った瞬間、狭い路地を埋め尽くすほどのアクマが顕現した。
アレンは特に驚かずに鋭い視線をやっただけだったが、少年は引き攣った悲鳴をあげて後ずさった。
後ろにいたにどんっとぶつかる。
アレンは再びこちらに背を向けて、その左手を振りかざした。
「、その子をお願いしますね」
そうして地面を力強く蹴る。
その一瞬前。
「そっちこそお願いね」
何気ない調子でそう言って、は少年の背をアレンのほうへと強く押し出した。
アレンは驚いて足を止めて少年の体を受け止める。
「!?」
その名を呼んだ時にはもう、彼女の姿は消えていた。
風よりも速く、瞬きの間に、路地を埋め尽くすアクマの間を駆け抜けてはその向こう側に立っていた。
ひしめく球体のわずかな隙間から、黒いコートの背が見える。
着地と同時にふわりと翻るスカート。
遅れて風になびく、金髪。
視線だけで振り返って、彼女は微笑んだ。
黒死葬送、星の儀。
『星葬』
「黒き星の瞬きが、お前達を壊すよ」
笑んだ唇がそう綴った瞬間だった。
黒の光が、星を砕いたかのように散った。
閃光が縦横無尽に閃いて、ことごとくアクマを破壊する。
空間を走る光速の刃。輝きが駆け巡る。
球体はそれに千々に引き裂かれ、残骸すら残らない。
目の前にいたアクマの群れが瞬時にして消失した。
まるで空気に溶けるように。
まるではじめからそこに存在していなかったかのように。
ただ、いまだ舞い落ちる黒い光の粒子だけが、先刻の破壊を証拠付けていた。
アレンは思わず息を止めて、目を見張った。
あまりに一瞬のことだった。
そして、あまりに凄まじい破壊力だった。
アクマが消えて見晴らしのよくなった路地の向こうで、が振り返る。
「はい、おしまい」
ふぅと息を吐くと、彼女はアレンが抱きとめていた少年に視線をやった。
「もう平気だよ」
そう言って微笑んだが、少年は蒼白の顔のままを見つめていた。
「な、何なんだよお前……、何だったんだよ今のは……っ」
「何って、ご覧の通りとしか言えないんだけど」
「……っ!!」
少年は恐怖に耐え切れなくなったかのように、乱暴にアレンの手を振りほどいた。
「あ、待ってください!」
アレンが叫んだが、少年はそのままわき目も振らずに駆け去っていく。
アレンは一瞬その後を追おうとしたが、何とも面倒くさそうなの声に引き止められた。
「男の尻なんか追いかけて何が楽しいんだよー放っておこうよー」
「………………そういう問題ですか」
アレンは思わずを睨んだが、彼女はざくざくと雪を踏みしめてこちらに近づきながら普通に言う。
「あの子は怖いんだよ。アクマも、私たちもね」
「…………………」
「得体の知れないのはどちらも同じだから」
確かに先刻の様子から見て、彼はアクマやエクソシストの存在を知らないようだ。
そこに理解がないのなら、どちらも同じ、恐怖の対象にしかならない。
「これ以上怯えさせるのは可哀想だよ。放っておいてあげよう」
「………ってたまにはいいこと言いますよね。たまには」
「誉められてるのか貶されてるのか、果てしなく微妙なお言葉をありがとう!」
は引き攣った笑顔を見せたが、アレンはそれよりも気になることがあった。
だから真正面から彼女を見つめて言う。
「……………前から聞きたかったんですけど、のイノセンスってどういうものなんですか?」
それは、ずっと不思議に思っていた事柄だった。
彼女のイノセンスを初めて見たのは、黒の教団に着いた途端。
神田の振るう『六幻』を受けてのことだ。
それ以来ケンカする度に目にしてきたが、アレンにはどうにもその正体が掴めないのである。
先刻だってそうだ。
いつも黒い光が瞬くだけで一瞬にして対象物が切り裂かれて、何が起こったのか把握できない。
自身は特に武器を振るった様子もなく、腕か手、または視線を動かすだけなのだから、ますますどんな能力なのかわからない。
第一アレンはのイノセンスそのものを見たことがなかった。
「あ、もしかして僕と同じ寄生型ですか?」
そう尋ねると、は少し驚いた表情になった。
「初めてそんなこと訊かれた……。ちょっと新鮮だなぁ」
「だって、君がイノセンスらしき物を持っているところを見たことがありませんよ」
アレンが何となくすねたようにそう言うと、は軽く指を振った。
「それでも違うってわかるでしょ。私は寄生型特有の大食いじゃないんだから」
「ああ、そう言えばそうですね。健康マニアでしたもんね」
「その通り。つまり私は正真正銘、装備型」
はそう言いながら、そそくさとコートの前を開いて、自分の団服の襟首をほどいた。
そしてジッパーを一気に胸の下まで引き下ろす。
「?」
何をするつもりかといぶかしんでいるアレンの目の前で、は着々と手を動かしていった。
そして下に着ていたブラウスのボタンまで外しはじめる。
華奢な鎖骨や白い胸元を普通に見せだしたに、アレンは照れるより先に呆れた。
この人は自分が女の子だという自覚がないのだろうか。
それとも僕自身が男だと認識されていないのだろうか。
どちらにしろどうかと思うので、止めようとしたその時、目の前に何かを突きつけられた。
「これが私のイノセンス」
それは白銀のロザリオだった。
装飾具にしては大きく、の掌ぐらいはある。
真ん中には黒い石が光り、十字は円形の枠にはめ込まれていた。
輝きの美しさと、年代物といった気品。
何より黒玉の光が神秘的だった。
「これが?」
「そ。うう、寒い」
は首から下げた銀鎖を手繰り寄せながら、身を震わせた。
ロザリオがもとの服の下に戻っていく。
アレンは結局イノセンスの能力については何もわからなかったので、彼女のコートの前を留めてやりながら考えた。
どうにもは普段、こちらが尋ねても掴みどころのない返答を寄越すことが多い。
珍しく真面目に答えたと思っても、内容がふざけているからどうしようもない。
それは彼女が自分自身について一切話すことのできない、特殊な状況下にいるからだろうか……。
真っ向から尋ねても無駄かなと思ったが、アレンはとりあえず口を開いた。
「それで、何がどうなったら、あんな風にアクマを破壊できるんですか?」
「ああ、つまりこーゆーこと」
思いの他あっさりとは言った。
こうも簡単に答えがもらえるとは思っていなかったから、アレンは驚いて目を瞬かせる。
その眼前で、が右手を軽く振る。
途端に二人の周囲に黒い光が雪のように舞った。
アレンは思わず美しいその輝きに手を伸ばそうとしたが、に止められた。
「触らないほうがいいよ。手が消し飛んじゃうから」
そう言って彼女は視線だけを動かして、地面にその光の粒子をぶつけた。
目にも止まらぬ速さで移動したそれに触れて降り積もっていた雪が消失。
下にある茶色い土を晒す。
その部分だけぽっかりと消えた白に、アレンは手を引っ込めた。
「……この光って何なんです?」
「刃だよ。光の斬撃」
は思い出すような顔で言う。
「えーっと、確かね。さっきのイノセンスから放たれた光の刃が、対象空間内のありとあらゆる物質を分子レベルまで切断して、その存在を消滅させるんだって。ただし能力が使えるのは私の有視界だけという……」
「すみません。自分のイノセンスなのに何でそんなに他人事みたいな口ぶりで説明するんです?」
アレンが眉をひそめてそう訊くと、は軽く首を傾けた。
「イノセンスの説明なんてするの初めてなんだもの。今のはヘブラスカちゃんが私に説明してくれたのをそのまま採用してみました」
「ああ、君も預言を受けたんですか?」
「うん。何だかとっても微妙なことを言われたよ」
「へぇ、どんな?」
アレンは何気なく訊いたが、は少し笑っただけだった。
どうやら彼女の重要機密とやらに触れるらしい。
は答えずに、軽く手を振って光の粒子を消し去る。
「他にもいろいろ出来るんだけどね。出来ればお見せしないまま任務が終わることを祈ってる」
「……でも、これでわかりましたよ。君が“黒葬の戦姫”だなんて異名で呼ばれているわけが」
アレンがそう言うと、は露骨に顔をしかめた。
「その名前で呼ばないでよ」
アレンがその名を知ったのは、実はつい最近のことではない。
クロスの弟子としてこき使われていた時期から、噂になっていたのだ。
黒の教団に所属するエクソシスト。
その人物はかの有名なグローリア・フェンネスの愛弟子で、高速のスピードと圧倒的な破壊力を兼ね備えたイノセンスの適合者だった。
ただその能力の稀有さ故に、当初 教団は扱いに困り果てたらしい。
さらに千年伯爵には危険視され、何度も命を狙われてきたという。
その話をクロスから聞いたときは、自分と同じ年代の女の子が大変だなぁぐらいの感想しかもたなかったが、今目の前にいる少女が本人だというのなら話は変わってくる。
どうやらは一切を隠蔽した過去よりこちらでも、壮絶な日々を送ってきたようだ。
「私その呼び名嫌いなんだ。誰に聞いたの?」
「コムイさんです。君があの有名な“黒葬の戦姫”だって」
「まったくあのシスコン室長は……。帰ったら問答無用でメガネ叩き割ってやろ」
はくるりと背を向けて歩き出した。
アレンも続いて路地裏から出る。
「そのイノセンスの能力から、そう呼ばれるようになったんですね」
「そうだけど……。ねぇ、さっきから思ってたんだけど、私のことどこまで聞いたの?」
「どこまでって」
「大体なんであんたとコムイ室長は、そんなに私を話題にして喋ってるの?」
怪訝な顔でに見られて、アレンは口ごもった。
それを語るには自分が彼女のことを(意味合いはどうであれ)気にしているということを言わなければならない。
それは何だか絶対にごめんなので、アレンは辺りを見渡した。
「あ、!ここの通りじゃないですか?例の公爵家があるのって」
「誤魔化したな……」
「何のことです。それより急がないと。この街にアクマがいたということは、イノセンスに気がついている可能性が高いですよ」
アレンは極めてもっともなことを言って、先に立って歩き出した。
はその後ろで地図を広げて通りの名前を確認し、それからアレンの背に言葉を投げた。
「確かに正論だけど、公爵様の家はあっちみたいよ」
アレンは無言で踵を返した。
それからは大人しく、の後ろについていった。
公爵家のある通りはひどく静かだった。
立ち並ぶのはどれも気品に溢れる貴族の屋敷だ。
当たり前のように人通りは少なく、てくてくと歩きながらが不満の声を出す。
「何なのこの通り。可愛い女の子がいやしない!あーあ、私こんなところじゃ生きがいを見失いそう」
「そんなことで生きがいを見失わないでください。と言うか、どうして君はそんなに女の子が好きなんですか」
呆れた声でアレンが訊くと、はとってもいい顔で笑った。
「だって女の子って素敵じゃない!泣いて笑って恋をして、大好きな人の子供が産めるんだもの。まさに命の神秘だよね。羨ましいなぁ」
くるりと一回転をしながら楽しげに言うに、アレンは首をかしげた。
「何言ってるんですか。君にだってできるでしょう」
はこれでも外見はとびっきり上等だし、人づてに聞いた話では人気もあるらしい。
今でさえ目一杯感情豊かだし、子供だって……そのうち産むことになるだろう。
彼女の言う“素敵な女の子”に自分も十分当てはまっているではないか。
アレンはそう指摘したのだが、はそれを聞いてピタリと動きを止めた。
金の瞳で不思議そうにアレンを眺める。
それから彼女は微笑んだ。
「そうだね。そうできたらいいのにね」
その笑顔は先刻までとまったく違っていて、どこか諦めに似ていた。
アレンは咄嗟に言葉を失う。
その間には小走りに駆け出して、とある門の前で足を止めた。
「見つけたよ後輩くん、ここが公爵家みたい!」
ひらひらと手招きされて、アレンは歩み進めた。
心はどこか引っかかっているが、とりあえず目の前の屋敷を見上げる。
悠然とそびえ建つ、その建物の威圧感。
つる草模様の銀色のアーチの向こうに広がる、広大な敷地。
白い壁には金の装飾が施されている。
素晴らしく豪奢な屋敷が、二人の眼前にはあった。
は感心とも呆れともとれるため息をついた。
「何かいかにも貴族だぜ、って感じのお屋敷だなぁ」
アレンはの微妙な感想を聞きながら、門のそばにある呼び鈴を鳴らした。
しばし沈黙。
「……………………」
「……………………」
もうしばし沈黙。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
反応なし。
アレンは眉をひそめて首をひねった。
「どうして誰も出てこないんだろう……。探索隊の人だって先に着いているはずなのに。どう思いますか、…………って!!」
アレンは隣にいるはずのを振り返って、絶句した。
彼女が忽然と姿を消していたからだ。
しかし、それだけならまだよかった。
慌てての姿を探して視界を巡らせたところで、アレンは思わず声をあげた。
「何やってるんですか!?」
は信じられないことに門の格子の上にいた。
器用に足をかけて、自分の身長の何倍もあるそれを乗り越えていく。
相変わらずの身軽さだ。
じゃなくて。
「なに普通に不法侵入しようとしてるんですか!!」
「そうだね、いけないね。だから後輩くんはそこにいてね」
「そういう問題ですか!?」
焦ってを止めようとしたが、彼女はひらりと門を乗り越え不法侵入に成功してしまった。
「だって門の外で待ってるなんてバカみたいじゃない。私たちの目的はなに?向こうが出てこないのなら愛と正義の名のもとに、イノセンスをかっぱらっていくまでよ!」
「無断でそんなことしたら犯罪ですよ!!」
「バレなきゃ大丈夫よ。ね?」
何が、ね?なんだろう。
同意を求められても激しく困る。
格子の向こうの彼女のにこやかな顔が心底恨めしい。
アレンは仕方なくに続いて門を飛び越えた。
「バレないわけがないでしょう!何を考えてるんですか!!」
「ちょっと後輩くん。先輩を見くびらないでくれるかな!」
「ああもう、その根拠のない自信はどこからくるんだ!?」
堂々と胸を張るの腕を、アレンは引っ掴んだ。
「そんな犯罪行為は僕が許しません、出ますよ!」
「えー、やだー!」
「やだーじゃありませんよ、まったく!」
「いいじゃん、もう華麗にやっちゃおうよ!怪盗!ちょっと格好よくない!?」
「……」
アレンはの肩を痛いぐらいに掴んで、無理に引き寄せた。
近距離で低く言う。
「いい加減にしないと、ホルマリン漬けにして学会で発表しますよこの未確認生物が」
とどめとばかりに完璧な笑顔を見せてやる。
そのどす黒い気迫に、はひっと息を呑んでようやく大人しくなった。
アレンはそれに満足して、彼女の手を引いて門の外に向かう。
しかしその直前で号令の笛が鳴り響いた。
「侵入者だ!」
「門に向かえ!取り押さえろ!!」
アレンは背後にどやどやと集まってきた人の気配に、肺の底からため息をついた。
どうやら一足遅かったらしい。
振り返った先にある、のキラキラした顔がとっても腹立たしい。
「うわーすごい。さすが貴族様だなぁ、今時こんな厳重な警備体制!」
「とりあえずこの状況について、僕に謝ってくれませんか」
「何でよ。後輩くんこそ謝ってよ」
「どうして僕が!?」
「あんたが引き止めなければ、この怪盗は絶対見つからなかったんだもの!」
そう言うの表情は明らかに楽しそうだった。
どんなにアレな状況でもおもしろおかしく考えることの出来る彼女の頭が、少し羨ましくもなくもない。
は自分たちを取り囲むようにして立ち並ぶ、数十人の警備兵たちに笑顔を向けた。
「こんにちわー、今日も警備ご苦労様でーす」
「何だお前たちは!神妙にしろ!!」
真ん中に立った隊長らしき警備兵がそう怒鳴ったが、はアレンのコートに顔を埋めて感動していた。
「神妙にしろだって……!どうしよう生で聞いちゃったよ怪盗ストーリーには欠かせないライバル役の登場だよ、とっつあんか!!」
「………」
アレンは今すぐ怒鳴りたいのを押さえて、彼女の体を自分から引き剥がし、その背を前に押し出した。
「警備兵の皆さんすみません。この人引き渡すんで僕のことは見逃してください」
「こらこら何裏切ってんの。私達は一緒にひとつなぎの大秘宝を見つけようね、って誓い合った仲じゃない!」
「誓ってませんし、それはもう怪盗じゃありませんよ」
「じゃあ怪盗王ってことで!」
「なんだかもう意味がわかりませんね!!」
ぎゃーぎゃー言い合うアレンとに、警備兵の皆さんは全力で引いていた。
「な、何なんだあの二人」
「もうさっさと捕らえたほうがよくないか?」
「いや、でも正直あんまり関わりたくない」
「そうだそうだ、絶対ヤバイってあいつら」
「でも放っておくのもなぁ」
警備兵たちは額を寄せ合ってひそひそ話し合って、結局。
「これも仕事だ」
そう結論、それぞれ銃やサーベルを抜いた。
その剣呑な雰囲気に、さすがのエクソシスト二人も言い合うのをやめる。
アレンはもうに何の期待もできないと判断して、警備兵に向き直った。
無抵抗を示すために両手を掲げてみせる。
「落ち着いてください。僕たちは怪しいものじゃありません」
「いや、怪しいぞ」
「怪しすぎるぞ」
「怪しさ満点だぞ」
いくつもの不審気な目で見られてアレンはくっと唇をかんだ。
のせいでこの善良たる一般市民の僕まで変人扱いだ。
あれの仲間だと思われるだなんて心外過ぎる。
これから僕はそんな十字架を背負って生きていかなきゃいけないんですか。
己の不幸を嘆きつつ、アレンは自分の胸元……ローズクロスを指差した。
「僕たちはヴァチカンからの使者です。『黒の教団』の命によりイノセンスを……」
「うわーかっこいい!さすが公爵家の警備だなぁ、いい銃持ってる」
真面目に説明していたアレンの言葉に、無駄に明るい声がかぶさった。
恐らくわざとではないだろうが、彼女の声は本人が思っているよりも他人を惹きつける力がある。
視線を引かれて見ると、そこには当然のごとくがいた。
彼女はいつ奪ったのか警備兵の銃を手にしていて、それをしげしげと眺めていた。
「え、あ!?お前いつの間に!」
「ふむふむここがこうなってて……、なるほどね!画期的だなぁ」
「返せ!!」
乱暴に伸ばされた警備兵の手をは事も無げに避けて、彼の前に銃のグリップを差し出した。
「せっかくいい銃持ってるんだから、手入れは念入りにしたほうがいいですよ。お兄さんのは掃除不足。ちゃんとしないとそのうち暴発するから気をつけて」
「え、あ、そ、そうか。ありがとう……」
「いーえ。どういたしまして」
笑顔で言われて、警備兵は普通に銃を受け取る。
一瞬妙な雰囲気になったが、さすがの隊長は冷静を装うことに成功し、部下たちに合図を出した。
「変なマネをするな!大人しくしろ!!」
「え。私なんかマズイことしたっけ?」
「いや、そういう問題じゃないんですよ……」
アレンは呆れたように言った。
サーベルをいくつも突きつけられて身動きがとれない状態で、深々とため息をつく。
刃はちっとも恐ろしくないが、これからあの究極の馬鹿、別名が何をしでかすか考えると背筋が冷えるというものだ。
案の定彼女は憤然と口を開いた。
「ちょっと!何するのよ、後輩くんから武器を下ろしてよ」
「その前にこの屋敷にやって来た理由を言ってもらおうか」
アレンと同じようにサーベルに囲まれて、それでも少しも臆せずは顔をあげる。
尋ねられた内容は任務に関係するものだったから、彼女は今までとはうって変わって使者として恥ずかしくない態度で口を開いた。
「私たちは『黒の教団』の者です」
「ふん。お前たちのような子供が『黒の教団』の関係者だと?」
「勝手に敷地に入ったことはお詫び致します。けれど私達は確かな用件があってこちらを訪ねてまいりました。それはご存知でしょう?」
「だったらどうした」
「……………謝罪をし、身分を明かしたうえでも、私達は刃を向けられねばならないのかとお聞きしているのですが」
「当たり前だ。つくのならもう少しマシな嘘にするんだな」
隊長はを見下して鼻で笑った。
あぁもう馬鹿!とアレンは叫びたかった。
あんなことを言ったらに拍車がかかってしまうではないか。
しかし、身を乗り出したところで首筋にサーベルを突きつけられる。
抵抗と見なされたのか、したたか頬を殴られた。
その瞬間、アレンの周囲で黒い光が閃いた。
それを視界が捕らえたときにはもう、アレンに向けられていたすべてのサーベルの刃が消失していた。
の放った光によって真っ二つに叩き折られた刀身が、そろって地に落ちる。
警備兵たちはざわめき、アレンから身を引いた。
「だったら、こちらで武器を下ろさせてもらうまでよ」
そう言ったが一歩を踏み出した。
彼女を囲んでいた警備兵が慌ててサーベルを向けるけれど、は足を止めるどころか気にも止めていない様子だ。
アレンは思わず叫んだ。
「ちょっと!僕に向けられた武器を叩き折ったのに、自分に向けられてるのはどうしてそうしないんですか!!」
「わかったよ、もう」
は面倒くさそうにそう言って、片手を振った。
たちまち先刻と同じようにしてサーベルの刀身が消える。
今度は跡形も残さずに消し去ったので、悲鳴が上がった。
「な……っ、貴様!!」
隊長がに銃を突きつけた。
彼女はその銃口を無造作に握った。
空いているほうの手でローズクロスを示す。
「もう一度繰り返します。私たちはヴァチカンより遣わされた使者、『黒の教団』のエクソシストです。あなたの独断で偽者だとする前に、公爵様に確認を取っていただけませんか。警備隊長さん」
「凝りもせずにまた嘘を……、撃たれたいのか!?」
任務に忠実な隊長殿はどこまでも頭が固いらしい。
いくら自分達が子供だとしても、ここまで言っても信じないとはアレンとしても嘆息ものだった。
しかしのにやりと笑った顔が、さらに頭を痛くする。
彼女はそれまで保っていた礼儀を取り払って不敵に告げた。
「撃てるものなら撃ってみろ!」
「……っ、あの馬鹿!」
アレンは小声で怒鳴った。
というのは何があろうとも自分の信念を曲げないヤツなのだ。
こちらが非を認め、繰り返し身分を明かした上でまだ武器を突きつけてくるような者に、彼女が引くだなんてことは有り得ない。
だからと言って隊長が撃たないとも限らないのだ。
なら銃ぐらいなんでもない気がするが、そんな場面など心臓に悪くて見ていられるものか。
アレンは辺りを見渡した。
何か、何か、この状況を打開するもの。
そうしてアレンの目に留まったのは、門のすぐ脇にあったポンプだった。
うまく雪に隠れていて、よく見なければ気がつかなかっただろう。
それはどうやら地下に続いていて、庭園に存在する噴水へと水を送っているようだ。
と睨み合う隊長の瞳は、戸惑いと使命感に揺れている。
その指がじりじりと動き、そして銃の引き金にかかる。
アレンは咄嗟にポンプを蹴り壊した。
「うわ!?」
「何だ!?」
盛大に噴出した水を浴びて、と隊長が悲鳴をあげた。
アレンはその隙に水の中に突っ込んで、に近づく。
彼女の体を後ろから抱いて、大きく後方飛翔。
銀色のアーチの上に着地した。
「何するのよ後輩くん!」
腕の中でずぶ濡れのが怒鳴ったが、むしろ怒鳴りたいのはこっちだったのでアレンはそうした。
「君こそ何をしてるんです!本当に撃たれたらどうするんですか!!」
「だってあの人たち!あんたを殴ったじゃない!!」
「な……」
「不法侵入したのは私よ!それなのに関係ない後輩くんに手を出すなんて!!」
はジタバタ暴れながら警備兵たちを見下ろす。
アレンは振りほどかれないように後ろからしっかりとその体を抱いた。
頭は何だか混乱していた。
どうやらはアレンのことで、隊長の前から引くことをしなかったらしい。
そう。いつも彼女の暴挙にはそれなりの理由があるのだ。
ハチャメチャするくせに筋が通っていて、そのほとんどが己のためではなく他人のために。
けれどまさかが自分のことで怒っているとは思っていなかったから、アレンは妙な気分になって瞬いた。
その時だった。
「ああ、やはり『黒の教団』の方でしたか」
優雅な声が屋敷へと続く石畳の上から発せられた。
視線をやると、そこには一人の女性が立っていた。
美しい青のドレスを纏っていることから、公爵家の者だということがわかる。
背に流された長く赤い髪と切れ長の青い瞳。
その視線はアレンとの胸元、ローズクロスに注がれていた。
彼女は真っ赤な唇で呟いた。
「この騒動を聞いて、もしやと思い来てみれば……。失礼をいたしました」
女性はそう言って、警備兵たちに視線をやった。
「控えなさい。この方々は客人ですよ」
「は……っ、しかし……」
「無礼な振る舞いは許しません」
きつい口調でそう命令されて、隊長は身を縮ませた。
「では、どうすれば……?」
「今すぐ謝罪合戦よ!私は不法侵入を、そっちは後輩くんへの暴力を謝りなさい!!」
威厳すらある声音で言い放ったのは、アーチの上に立っただ。
女性は少し驚いた顔をしたあと、頷いた。
「あちらのお嬢さんの言う通りに」
公爵家の者を前にしてもまったく物怖じしないは、“さすが”と言うべきなのか、アレンは思わず考え込んでしまった。
これまたやっと出てきたヒロインのイノセンス。詳しくはヒロイン設定にてどうぞ。
基本は光の刃を放ち一瞬で切り裂く、という感じです。(その他の使い方は追々)
“黒葬の戦姫”という異名は、へブラスカが預言のときに言ったものです。
偽名が定着するまではこれで通していたので、妙に広まってしまったという……。
次回はオリキャラが出ますよー。苦手な方はご注意を!
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