目眩がするほど破天荒。
この人といると、僕の心臓はもちそうにない。






● 永遠の箱庭  EPISODE 4 ●







「本当に申し訳ありませんでした」


そう言って優雅に頭を下げた女性はラターニャ・ベルネスと名乗った。
彼女は現公爵家当主、フロイド・ベルネスの妹だそうだ。
その言葉を受けて、も騒ぎを起こしたことを謝罪した。
それはアレンが驚くぐらい丁寧な口調と凛とした態度だった。


「こちらこそ申し訳ありません。呼び鈴を鳴らしても反応がなかったので、敵に先手を打たれたのかと先走ったこちらの失態です」
「敵……、といいますと?」
「いえ。ご無事ならお気になさらずに」


この街でアクマに遭遇したことを知らせても不安にさせるだけだと判断したのか、は首を振った。
怪盗だの何だの理由をつけて無理にでも屋敷に入ろうとした理由をアレンはようやく理解したが、そんなのは言ってくれないとわからない。
文句をつけてやりたかったが、がいまだ怒りのオーラを纏っていたのでやめておいた。


破壊したポンプからの水を浴びたためずぶ濡れの二人に、ラターニャは着替えを勧めてくれた。
もちろんアレンとは別々の部屋に連れて行かれる。
アレンに手渡されたのは濃い青色の、軍服のような服だった。
縁取りや刺繍、ボタンは金色だ。
着てみたらひどく窮屈だった。
貴族の服とは何を目指しているのかよくわからない。
アレンは襟首を止めながら、ため息をついた。
袖口の金に光るボタンが、廊下で別れるときに睨みつけてきたの瞳を思い出させる。
彼女の視線はまっすぐアレンの左頬に突き刺さっていて、そこは先刻 警備兵に殴られたところだった。
大丈夫だと言おうとしたが、その前に彼女はさっさと歩いていってしまった。


をどうなだめるか考えながら着替えをすませて、アレンは部屋を出た。
メイドの案内を受けて、応接間に通される。
広々としたその部屋は豪華な絨毯が敷き詰められていて、その上には彫刻のあるテーブルと布張りのソファー。
床まである大きな窓の前には、ラターニャが立っていた。
アレンの姿を認めると、彼女は顔を輝かせた。
ドレスの裾を揺らしてこちらに歩いてくる。


「よかった、良くお似合いだわ。兄の若いころの服なのですが、窮屈ではなくて?」


はい、窮屈です。
とは言えないのでアレンは首を振った。


「大丈夫です。貸していただけて助かりました」


お礼を言って、それからアレンは眉を下げた。


「それと……すみませんでした。お庭のポンプ、壊してしまって……」
「いいのよ。もともと門の近くにあるのもどうかと思っていたし、そのうち移動させるつもりでしたから気になさらないで」


あれだけ豪快に壊したのに、何とも寛大なお言葉である。
アレンは微笑んで、もう一度謝罪とお礼を述べた。
そうして視線を上げて不思議に思う。
ラターニャが、その青い瞳でじっとこちらを見つめていたからだ。
アレンは何だろうと首を傾げたが、尋ねるのも失礼なので何も言わなかった。


すると突然頬に手を伸ばされた。


白い指先が肌に触れそうになったところで、アレンは思わず身を引く。
ラターニャは、あぁと唇を吊り上げた。


「ごめんなさい。つい……」
「いえ……」


“つい”何なのだろうと思ったアレンの目の前で、彼女は呟いた。
しげしげとアレンの顔を眺めながら。


「あなた、綺麗なお顔をしているのね」


一瞬、意味がわからなかった。
どう反応していいかわからずに、アレンは困惑気味に瞬く。


その時、応接間の扉がぶち開けられた。


大きな音がそこにあった奇妙な雰囲気を木っ端微塵に破壊した。
アレンは驚いて振り返って、自分の胸に突っ込んできたそれに目を見張る。
扉から駆け込んできたのはだった。
何かに蹴躓いたのか、そのままの勢いでそこに立っていたアレンと衝突したのだ。
はアレンの胸に顔面をぶつけて奇妙な悲鳴をあげた。
見上げてきた金の瞳は潤んでいて、ひどく怯えた様子である。
彼女はガッとアレンの服を掴んで訴えた。


「たすけて後輩くん!追われてるの!!」
「…………………」


アレンは答えることが出来なかった。
その原因はの格好だった。


彼女は薄い桃色のドレスを纏っていた。
縁は黒いレースで飾れている。
幾重にも重なっているスカートには薔薇の刺繍が施されていた。
下ろした金の髪がむき出しの丸い肩や白い胸元に落ちていて綺麗だ。
アクセサリーは一切つけていなかったが、彼女はそれだけで充分美しく、魅力的だった。
思わず黙り込んだアレンのかわりに、ラターニャが華やかな声で言う。


「まぁ、とてもよくお似合いよ。なんてお美しいのかしら!」


そんなことなどまったく聞かずには辺りを見渡しながら、焦ったようにアレンを揺さぶった。


「ねぇねぇお願い、今すぐ私を匿って!」
「…………………………」
「どこか、どこか隠れる場所……っ」

「お嬢さまー!どこですかー!?」

「ひい!?」


開け放たれたままの扉、その向こうの廊下から聞こえてきた声にが悲鳴をあげた。
身を強張らせてがっしりとアレンにしがみつく。
そこでようやくアレンはハッとした。
柔らかい少女の体にぴったりと抱きつかれたからだった。


「ちょ……っ、何で抱きついてくるんですか!離してくださいよ!!」
「嫌だよ、絶対いや!!」


はアレンに抱きついたまま背後へと移動して、その体を盾にした。
同時に数人のメイドが応接間へとなだれ込んでくる。
何故か全員が頬を紅潮させていて、手にはそれぞれブラシやらアクセサリーやら化粧道具やらを持っていた。


「見つけましたわよ、お嬢様!」
「もう逃がしませんわ!」
「さぁ、どうぞ続きを!!」

「いや、あの、ホント無理だから……ねぇ!思いとどまって!!」


の半泣きの声がアレンの背後から発せられる。
アレンは珍しい、と目を見張った。
は変な意味ではなく、女性が大好きだ。
そんな彼女が、メイド達に迫られてこんなに怯えているなんて。
そもそも何故はこんな事態に陥っているのだろう。
それはラターニャも疑問だったらしく、メイド達に尋ねた。


「お前たち。お客さまを追い掛け回すなんてどういうつもりなの?」
「申し訳ありません、ラターニャ様」
「しかし、そちらのお嬢様が身支度の途中で逃げ出してしまわれて……」
「御髪もお化粧もまだですのに」

「いいいいいいいいいいいらないです、そんなの結構です、どうか辞退させてください!」


当のはぶんぶんと首を横に振った。
後ろからしがみついてくる彼女の力は強くて、ちょっと苦しい。
アレンは呆れた顔になって言った。


「どうしてそこまで嫌がるんですか。やってもらえばいいのに」
「やだ!髪も顔もこのままでいい!この服も今すぐ脱ぎたい!こんなピラピラしたもの着てたらすっ転んで死んじゃう……っ」
「………………」


これが年頃の女の子の台詞だろうか。
髪を美しく結い上げることも、可憐な化粧を施すことも、普通はここまで嫌がらないだろう。
しかも驚くほど似合っているドレスまで脱ぎたいと言うのだから、型破りにもほどがある。
瞳に涙を浮かべて拒絶するに、メイド達は心から残念そうな表情になった。


「そんなにお綺麗なのに、もったいないですわ」
「本当に」
「ああ、お嬢様のような方のお世話をすることが、私たちの何よりの楽しみですのに……」

「う……っ」


メイド達の憂いを帯びた表情に、は呻いた。
女性の味方であるが彼女達にそんな顔させるだなんて、本来ならばあってはならないことなのだ。
の中で激しい葛藤が行われていることを正確に悟り、アレンはなだめにかかった。


「大人しく観念したらどうですか」
「他人事だと思って……!」
「他人事です。それに人の善意は踏みにじるものじゃありませんよ」
「あんたなんて私の善意を今までさんざん踏みにじってきたくせにー!」
「記憶にありませんね。いえ踏みにじった記憶じゃなくて、善意を示された記憶が」
「いいからここは英国紳士らしく彼女たちを慰めてあげて!そして丸くおさめちゃって!!」
「却下です」


アレンはそう言い切ると、自分の胸に回されたの腕を掴んだ。
そのまま無理に引き剥がして、その背をメイド達のほうへと押し出す。
とびっきりの笑顔で言った。


「さぁどうぞ。思いっきりやっちゃってください」


メイド達はぱぁっと顔を輝かせた。


「「「はい!」」」

「裏切り者ー!!」


が叫んだが、とんだ言いがかりである。
もとより共謀した覚えもないのだから、裏切るも何もないではないか。


そう思って笑顔を崩さないアレンの目の前で、はあれよあれよと言う間に変身させられていった。












小一時間ほど経って、ようやくそれは終わった。
メイド達は自らの仕事に大変満足し、ほぅと笑み崩れる。
ラターニャも感嘆の吐息を漏らした。


「本当にお美しくていらっしゃるのね……」


そう言わずにはいられないほどの様子で、はそこにいた。
長い金髪はきっちりと結い上げられていて、羽と花がそれを飾っている。
細い鎖骨にはダイヤのネックレスが絡みつき、耳には繊細な水晶の雫が下っていた。
光を弾くその輝きは、それでも彼女自身の輝きには及ばない。
薔薇大理石のように淡く色づいた肌には化粧を施されていて美しく、まるで金細工の人形のようだ。

しかしそこにいる全員が見とれる中で、は死にそうな声でひとりごちた。


「もう駄目……、もう生きていけない………。こんな格好をしていたら数分もせずに裾を踏んで、無様に転倒して、おもしろい死に顔を晒しながら死んでいくんだ……!」
「馬鹿ですか君は」


顔を覆って嘆くの手首を掴んだのは、アレンだった。
そのまま彼女の手をそこから引き剥がす。
案の定、さりげなく掌でこすって化粧を落とすつもりだったらしい。


「駄目ですよ、そんなことしちゃ」
「うううううううううう……っ」
「泣くのも駄目です」


涙が化粧を落とす前に、アレンは自分の袖口での目をこすってやった。
それから視線を奪われたまま、ぼそりと呟く。


「本当に神様も無駄なことをする……。外見と中身がちぐはぐだ」
「え?なに?」
「何でもありません」


もう一度目をこすってやってから、アレンはに手を差し出した。
は一瞬きょとんとしたが、すぐにその意味を呑み込んだようだった。


「ごめん……。ありがとう」


なんとも不本意そうにそう言って、はアレンの手に自分の手を重ねた。
そうしてもらわないと自身が言ったように、1秒と持たずに彼女はすっ転んでしまうのだ。
アレンに手を引かれて布張りの椅子から立ち上がったに、ラターニャとメイド達はうっとりとした。
そうしていると二人はまるで何かの絵のように美しかったのだ。

だが、しかし。


「うわーダメ!やっぱダメ!転ぶ!!」
「まだ一歩も歩いてないでしょう。ほら」
「ちょ、バカ、引っ張るな!」
「バカ……?手を貸してあげてるのに何て言い草ですか。もういいです、離します」
「う、嘘!ごめん離さないで!!」
「いいから早くしてくださいよ」
「うわぁん怖いよー足がガクガクするよー、後で覚えてろ後輩めー!!」

「「「「……………………………」」」」


交わされているのは何とも言いがたい会話だった。
はドレス姿で、踵の高い靴で歩くことが本当に怖いらしく、終いにはアレンの体を支えにしていた。
がっちりと腕に抱きつかれたアレンは照れる間もなく、嘆息してしまった。


「どうしてそうも手ひどく容姿を裏切ることができるんですか……」
「ちょっと黙って。歩くのに集中してるんだから!」
「はいはい……」


は本当に自分の外見の良さを理解していないらしい。
そうでなければこんな美貌を無視しまくった性格にはならないだろう。
けれど誰もが綺麗だと思うその顔で、ここまで自由奔放に振舞われては、周りはたまったものではない。
何となく引き攣った表情の人々が見守る中で、はようやくソファーに到着した。
どさりと腰掛けて、天井を仰ぐ。


「あーもう!怖かった」
「……そういった格好はお嫌いなのかしら?」


向かいのソファーに腰掛けながら、ラターニャが尋ねた。
は眉をひそめたまま、ぴらりとドレスの裾を掴む。


「貸していただいておいて、ごめんなさい。でも私ドレスって苦手なんです。いざというとき猛ダッシュできないし、ゴハンもお腹いっぱい食べられないし。いいことないじゃないですか」
「そうかしら……?」


生粋の貴族であるラターニャには、の言い分は理解できなかったらしい。
冷や汗をかきながら、困ったように笑う。


「だけどそんなにお似合いなのに。きっと男性が放っておかないでしょう?」


ラターニャは言いながら、の隣に座ったアレンにちらりと視線を送った。
それの意味することを酌んでアレンは顔をしかめる。
はそんなことには気づかずに、盛大に嫌そうな表情になった。


「見た目だけであれこれ言われるのには、もうウンザリです」


どうやらはウンザリするくらい見た目に関していろいろ言われてきたらしい。
無理もないが。
しかしその言葉を聞いてメイド達がしゅんとしたので、は慌てたように言った。


「別に貴方たちを責めているわけじゃないんだよ。お世話をしてくれてありがとう。でも私なんかを構うより、自分のことを見てみて。そんなに可愛いのだから」


はメイド達を見つめて、にこりと笑った。


「今でも充分素敵だけど、貴方たちはこれからもっと素敵になる。私は自分が着飾ることより、それを見るほうが嬉しいだけなの」


またはじまった。
そう思ってため息をつくアレンの目の前で、メイド達の頬がそろって赤くなった。
本来ならばのような美少女にそんなことを言われても説得力に欠けるのだが、彼女の口ぶりはとても素直で、本気の言葉だということが考えなくてもわかる。
タチが悪いったらないのだ。
メイド達は嫌ですわもう!とかもじもじしながら言って、礼をして応接間から出て行った。
ほどなくして、閉まった扉の向こうから明るい悲鳴が聞こえてきた。


「早くもメイドさん達のハートを掴みましたね……」
「本当のことを言っただけよ」


呆れ半分感心半分のアレンの声に、は平然と言う。
それから彼女はもう一度ラターニャに今までの謝罪とお礼を礼儀正しく述べた。
ドレスのくだりになったところで少し困ったようにまばたく。


「それにしてもよろしいんですか?こんな高価そうなドレスを貸していただいて」
「お気になさらないで。どうせもう着る者もいませんし」


着る者もいない?
言葉の意味がわからなくてアレンとは顔を見合わせたが、その理由は、


「そんなにお似合いなんですもの。貴女に差し上げたいくらいですわ」


にこやかに言われたラターニャの声に訊く機会を失った。
は失礼にならない程度に、全力でその申し出を断った。

後を引き継いだアレンが簡単に自分たちの紹介をしたのち、本題を切り出す。


「『黒の教団』のめいにより、こちらのイノセンスは我々が責任を持って保護させていただきます」
「そのことなのですが……」


ラターニャが待ってました、とばかりに口を開いた。
アレンとは視線すら合わさずに、テーブルの下で互いの足をつついた。

ホラ来た、と言外で言い合ってため息をつく。
もちろんラターニャにはわからないようにだが。
二人のそんな水面下のやりとりなど知らずに、公爵家のお嬢様は言う。


「少々困ったことになっておりまして。どうにもそちらに我が家の家宝をお渡しするのは難しいと思いますわ」
「それは、どういうことでしょうか?」


努めて穏やかにアレンが問いかけた。
は自分が適役ではないことを理解しているらしく、おとなしく聞いている。
それでも隣にいるアレンだけにわかるような、「何でもいいからさっさと持って帰るぞ」オーラを放っているから、彼女の我慢が限界に達する前に何とかしないと。
アレンが視線で答えを促すと、ラターニャは口元を手で覆った。


「大変お恥ずかしい話なのですが……、兄には……公爵には子供がおりまして」
「はぁ」


気のない相づちをうったのはだ。
けれどアレンもそんな気分だった。
子供のいることの何が恥ずかしいのか。


「ただの子供ではありませんのよ。その……、いわゆる妾の子でしてね」


なるほど。
貴族のお嬢様が「恥ずかしい」とか言いそうなことだ。


「それも異国人の血が混じっていますの。確か、東洋の。“日本”だったかしら?」


汚らわしいとでも言いた気なラターニャの口調に、が反応した。
恐らく神田のことを思い出したのだろう。
同じ日本人を友人に持つ彼女には、ラターニャの非難に思うところがあったらしい。
しかしさすがのもそこはぐっと我慢して、膝の上で拳を固く握っただけだった。
アレンが横目で見ると、目線で「大丈夫」とだけ返事があった。
アレンは胸を撫で下ろして、口を開く。


「そのご子息がどうかなさいましたか?」


先刻と変わらない声音でそう訊いたが、ラターニャの返答にはアレンもも度肝を抜かれた。
ラターニャは涼やかな声でこう告げたのだ。



「ええ。その子供がですね、例の家宝を持って家出をしてしまいましたの」


「「…………………………………」」



沈黙が降りた。
アレンとはまったく同じタイミングで目を瞬かせ、続いてぎこちない動きで首を回す。
二人は微妙な表情を張りつけた互いの顔を見合わせた。
それから再びぐききと首を回転させて、ラターニャへと視線を戻した。


そして絶叫。



「「何ですってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!???」」



二人は大声で叫んで、勢いよく立ち上がる。
驚くラターニャなど無視で、アレンとはわたわた言った。


「どうしてそうなるの!?何がどうなったらイノセンスを持って家出とか決行しちゃうの!?」
「それより探索隊ファインダーの人は!?結界装置はどうなってたんです!?」

「ああ、それなら私がお断りしましたの。あんな得体の知れないもの、冗談じゃありませんわ」


高飛車な調子でラターニャが答えた。
そのお嬢様な態度に探索隊ファインダーの人間は引いてしまったのかもしれないが、エクソシストの二人には通用しない。
相手が公爵家の人間だということなど欠片も気にせず、が怒鳴る。


「冗談じゃないのはこっちだ!イノセンスを何の防御もなく置いておくだなんて!しかも無断で持ち出されるなんて!なんてことよ!!」


そう叫びながらはヒールを蹴り飛ばすようにして脱いだ。
走り出すのに邪魔になるからだ。
アレンが身を翻す。


「行きますよ!早くその子とイノセンスを保護しないと!!」
「わかってる!!」


もアレンの後ろに続いた。
この街にアクマがいるのはもう確認済みなのだ。
先手を打たれては非常に困る。
もしそうなればイノセンスは奪われ、公爵家のご子息は殺させるだろう。

二人は焦燥を胸に、扉に駆け寄った。
ちょうどその時、ノックの音が響いた。

アレンは思わず立ち止まって、後ろにいたはその背中に思い切り鼻をぶつける。
ついでにドレスの裾を踏んですっ転びそうになった彼女は、アレンにしがみつくことで何とか床との直撃を避けた。
そんな二人の目の前で扉が開く。

入ってきたのは白い団服を着た男性。
探索隊ファインダーの者だ。
彼はアレンとのことを知っていたらしく、その姿を認めると顔を輝かせた。


「エクソシスト様!到着していらしたんですね!!」
「ああ、はい。ご苦労様です……」
「確かに労わってあげたいけど、ご苦労様だけど、それより急いでるんだって後輩くん!!」


腰の辺りにしがみついたに急かされて、アレンはハッとした。


「そうでした!すみません、そこを通してください!!」
「何かあったんですか?」
「イノセンスが公爵家のお坊ちゃまに持ち逃げされたんだよ!!」


きょとんと訊いてくる探索隊ファインダーの男性に、はばたばたと両腕を振り回して簡単に説明した。
しかし彼は驚くどころか、困ったような笑みを浮かべて頭をかいた。


「ああ、知られてしまいましたか……。エクソシスト様がいらっしゃる前に解決できたと思ったのに」
「え?」
「は?」
「先ほどこちらのご子息を発見しました。イノセンスも無事です」


あっさり言われたそれを聞いて、アレンとは思わず呆然と探索隊ファインダーの男性を見上げた。
同時に廊下の向こうから何とも騒がしい声が聞こえてくる。
背後でラターニャがため息をついた。


「ああ、帰ってきたのねあの子……」


そこには「いつものことだ」とでも言いた気な呆れが含まれていて、公爵家のご子息の家出が今回が初めてではないことを悟らせた。
もちろんイノセンスを持って出たのは初めてだろうが。(でなけれ探索隊ファインダーももっと警戒しただろう)


「いやぁ、最初は肝がつぶれるかと思いましたけどね。すぐに見つかって本当によかった」


笑顔で探索隊ファインダーの男性はそう言い、ラターニャに報告をすませると応接間から出て行った。
アレンとは何だか毒気を抜かれて、二人そろってソファーに戻り、へたりと座り込んだ。


「え……っと、すみませんでした……」
「どうも、お騒がせしまして……」
「いえ。こちらこそご心配をおかけしたようで。もうすぐあの子が来ますので、きちんと謝罪させますわ」


ラターニャが言った通り、公爵家のご子息はすぐに応接間へとやってきた。
しかしそれは彼の意思ではなかった。
警備兵が両脇から彼の腕をひっ捕らえていたのだ。
まだ幼い少年をそうやって無理やり引きずるようにして連れてきた警備兵の姿に、は一瞬眉をひそめたが、すぐにアレンの袖を引っ張った。


「後輩くん、あの子!」


アレンも気がついて目を見張る。
公爵家のご子息は、黒い髪と青い瞳の少年だった。
歳は十代前半、幼さの残る顔立ちをしている。
母親が日本人だからだろうか、肌が少し黄味を帯びていた。
そしてアレンとは、彼に見覚えがあったのだ。


「さっき私たちがたすけた子じゃない!」


の言う通り、公爵家のご子息は、人気のない路地裏で二人が助けたその少年だったのだ。
しかし驚くアレンとなど彼の眼中にはないようで、警備兵の手から逃れようとジタバタ暴れている。


「離せよ!離せってば!!」
「大人しくなさってください、リオン様」
「ラターニャ様がお呼びなのです」

「そうですよリオン。お行儀よくなさい。お客様の前でみっともない」


ラターニャが吐き捨てるように言った。
彼女はまるで汚いものを避けるように、決してリオンを見ようとはしなかった。


「まったく……やはり妾の子ね。血の悪さが出ているわ」


リオンは暴れるのをやめて、ひたりとラターニャを睨みつけた。


「お前にそんなことを言われる筋合いはない!」
「まぁ何て口の悪い。叔母である私に向かって、よくもそんな……!」
「誰が叔母だ!俺を父様の子供だなんて認めてないくせに!!」


むき出しの感情で叫ぶリオンに、ラターニャはかっと顔を赤くした。


「認められるわけがないでしょう!?下品な異国人の血を引くお前が、誇り高き公爵家の者だなんて!!」


ラターニャはバンッとテーブルに掌を叩きつけた。
互いに憎しみを宿した瞳で、叔母と甥は睨み合う。
何とも殺伐とした雰囲気だった。


ラターニャは伝統と家柄を重んじる、貴族の鏡のような人間らしい。
そのため、庶子であるリオンを疎んじているようだ。
正妻ではない女性を母に持っていることも、異国の血が混じっていることも、彼女の気に障るのだろう。
そしてそんな叔母に、リオンが好意を持っているはずがなかった。
ラターニャがリオンを疎んじる理由の全てが、彼の責任ではないからだ。
自分ではどうにもできないことで存在を嫌悪される。
それから己の心を守るには、反発という形しか幼いリオンには残されていない。

アレンは嫌な気分に胸が締め付けられていくのを感じた。
記憶はない。
けれど、実の両親に捨てたれた自分も、もしかしたらこんな風に存在自体を否定されていたのかもしれない。
目の前の理不尽な光景に、アレンは知らずに拳を固く握り締めた。


そして唐突にその張り詰めた空気を打ち破ったのは、どこまでも明るい声だった。



「うわー生だー!生で家庭崩壊の危機だー!このあと遺産相続の件でもめて流血沙汰になるのかな!!」



うきうきとした調子で、ソファーの背から身を乗り出して、が言った。
それは小声のようで、しかし、しっかりと周囲に聞こえていた。
あまりに雰囲気を無視した発言だった。
その場にいた全員が驚きに目を剥く。
アレンも一瞬ぎょっとしたが、すぐに彼女の考えていることが思い至って、慌てたフリをした。


!駄目ですよ、そんな本音を言ったら」
「だっていきなりの展開なんだもの。めったに見られない貴族様のお家騒動だよ?これからどう転がるのか
楽しみじゃない!」
「それはもっともですけど、僕たちみたいなよそ者がいる前ではそんな面白いことにはなりませんよ!」
「ええ?そうなの?」


すっとぼけた会話がアレンとの間で続く。
もちろん、周囲に聞こえるように気を使った小声でだ。
お互いに真面目な顔をしようとしているが、口元がどうにも緩んでいた。


「そうですよ。僕たちのいる前では、間違ってもこれ以上の騒ぎにはなりません。絶対に!」
「そんな!じゃあ私たちはめくるめく嫌味の応酬も、激しいドメスティックバイオレンスも、ポップコーン片手に
観戦できないの!?」
「ええ……、残念ながらそういうことです」
「いや……っ、そんなの嫌だよ後輩くん!」
……」


わざとらしく涙をこらえるの肩を、これまたわざとらしくアレンは抱いた。
無駄に優しい声で慰める。


「諦めないでください。もしかしたら何かの間違いで血みどろな展開になるかもしれません。希望を捨てないで!」
「本当に……?」
「はい」
「わかった!私はこれからもウキドキしながらこの場面を見守っていくよ!!」
「ええ、是非そうしましょう!!」


力強く頷きあって、アレンとは妙に芝居がかったその会話を打ち切った。
今までのことなどなかったかのような素振りでソファーに座りなおす。
唖然としたまま固まっている一同を見渡して、アレンは爽やかな笑顔で言った。


「どうしたんですか?どうぞ続きを」
「私たちのことはお気になさらず」


冷静な口調でも言う。しかしその瞳は、期待にキラキラ輝いていた。


そんな態度をとられては、さすがにこれ以上ラターニャとリオンは言い争うことが出来なかった。


「あ、いえ……、その……、申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしましたわ……」
「あれ?続きしないんですか?それは残念だなー」


見たかったのにぃ、はガッカリした顔をした。
もちろん全部演技だ。
がどういうつもりで先刻からこんな態度をとるのかは、片棒を担いだアレンにはわかっていた。
つまりは叔母と甥の全然楽しくない会話の阻止である。
しかし面と向かってそう言っては角がたってしまうし、リオンもいい気はしないだろう。
だからといってこんな方法を実行するのは、この世のどこを探しても、大胆不敵なだだ一人だけだろうが。
もうひとつの目論見どおりリオンを捕らえていた警備兵の手もゆるんでいて、彼は自由になっていた。
公爵家の少年は、その青い瞳でアレンとを眺めた。


「お前たち……、さっきの……」


どうやらようやく気がついてくれたようだ。
驚きの表情をしたリオンにアレンは微笑みを向け、は手を振った。


「また会ったね、ボク」


そう言ったの姿に、リオンはハッと息を呑んだ。
そして、ひどい衝撃を受けたかのように硬直した。
彼は目を限界まで見張ってを見つめている。


「え、なに?そんなに熱い視線を注がれたら照れるんだけど」


はきょとんと瞬きをする。
それでもリオンが何も言わないから、彼女はアレンを見た。
めずらしく困惑した表情のに、アレンは首をかしげてみせる。


「あの子に何かしたんですか?」
「なんて人聞きの悪い。まだ何もしてな……」

「……うして」


それは喉の奥から絞り出したような声だった。
そこに込められた感情は、高濃度の怒りだ。


「どうしてお前がそのドレスを着てるんだよ!!!」


全力の叫びが空気を打った。
リオンは全身から怒りをみなぎらせてに掴みかかろうとしたが、警備兵達に引き戻された。
それより先にアレンが庇うようにの前に出ていたが。

は自分に向けられた激情に一瞬息を呑んだが、すぐに平静に戻った。
アレンの背を引っ張って大丈夫だから、と退くように合図してくる。
しかし警備兵に押さえられたリオンはいまだに燃える瞳でをにらみつけているから、アレンはその要求を無視した。


「何でお前がそれを……っ」
「リオン様!」
「おやめください!」
「それはお前なんかが着ていいものじゃないんだよ!さっさと脱げ!!」


アレンの背後でが吐息をついた。
それはなんとなく感嘆に似ていて、ハッキリ言って場にそぐわない。
アレンが振り返ると彼女はラターニャに向き直っていた。
口元を上品に手で隠して、優雅な微笑を浮かべている。
そして、


「真っ昼間からレディに向かって脱げとは、ずいぶん発育上等なお子さんですねぇ」


まるで奥様たちがお茶の席で交わすような口調でそう言った。
少しずれているが内容もそんな感じだ。
唖然として二の句が繋げないラターニャの代わりに、リオンがまた叫んだ。


「お前!ふざけんなよ!!」
「あら嫌ですわー。私はいつでもほどほどに本気ですわよ」


の笑顔は崩れない。
アレンは現状を悪化させる勢いの彼女をたしなめようとしたが、それよりも先に言われた。


「後輩くん。背中のボタン外してくれる?」


アレンは瞬いた。
向けられたの華奢な後ろ姿。
髪を結い上げているから露出されているうなじが光るような白さだ。
その下に、の言うボタンはあった。


「早く。お願い」


促されてアレンは手を伸ばした。
何が何だかわからないが、の声は張りがあって拒絶する気持ちが沸いてこなかったのだ。


「どうしたんですか?髪でも引っかかった……」
「ありがと」


尋ねるアレンをお礼の言葉で遮って、は立ち上がった。


そして唐突にドレスの胸元を掴むと、そのまま引っ張ってそれを脱ぎ捨てた。


ばさりと音をたてての足元にドレスは落ちた。
現れた彼女の体はかろうじて白いアンダードレスに覆われていたが、それも所詮は下着だった。
年頃の少女が見せてはいけない程度には透けているし、丈も短い。

そもそもここにはアレンを含む男性が数人いることを忘れてもらっては困る。


「ば……っ」


顔を真っ赤にして狼狽したアレンなど無視で、は次に髪に手を突っ込み、そこに飾られていた羽やら花やらピンやらを外した。
波打つ見事な金髪が、光を纏いながら背中に流れ落ちる。
最後に腕で顔をこすって化粧を落とした。
いかにもすっきりしたという表情で、は足元に落ちていたドレスを拾い上げた。
腕に抱えてリオンに近づく。
そばにいた警備兵たちは少女の突然の寄行に呆然としていたが、慌ててそこから身を引いた。
顔が盛大に赤くなっているのは仕方のないことだろう。
ただひとり硬直して動けないままでいたリオンの眼前で、は足を止めた。
白い手が抱えていたドレスを彼に差し出す。


「返す」


それは友人に借りていた消しゴムでも返すかのような、何気ない口調だった。
リオンが反応できずにいるので、は彼の手をとってそこにドレスを乗せた。


「ホラ、ちゃんと持ってよ」
「な……っ、お前……!」


手に触れられて、リオンはようやく思い出したかのように赤面した。


「なに……、何やって……!」


少年は餌をもらいそこねた金魚のように口をパクパクさせたが、はあくまで平然としていた。


「脱げと言ったのは君じゃない」
「だからって……っ」


彼の戸惑いはもっともなことだった。
確かにリオンは感情のままにに脱げと言ったが、まさか本当にそれをするだなんて誰が思うだろうか。
アレンですらこれは予測不可能だったのだから、他の者の驚きは察するに余りある。
しかしは自分が少々マズイ格好をしていることなど知らないようで、リオンを見つめた。


「大切なものなんでしょ?」


言われてリオンはびくりと瞠目した。
の金の瞳は暖かくもなく冷たくもなかった。
ただ寄り添うように、問いかけていた。
その視線に、リオンは目を伏せてドレスを抱きしめた。


「母様の……」


呟く唇は微かに震えていた。



「母様の……、形見だ……」



それを聞いたは一度目を閉じて、そしてリオンの肩に手を置いた。
小さな吐息と共に囁く。


「ごめんね」


は知らなかった。
着替えにと差し出されたそのドレスが、どういうものかだなんてことは少しも。
けれどなんの言い訳もせずに謝った彼女に、アレンは胸がざわめくのを感じた。
まるで閃く炎の熱に触れられたようだった。

はリオンの肩から手を離して振り返った。
そしてその強い光を宿した金の瞳で、ラターニャを見据えた。


「着替えを貸していただいたことは感謝しています。けれどラターニャ様」


の口調は決して責めてはいなかった。
けれどどこまでも静かで、聞く者を圧倒していた。


「死者の遺品を、息子である彼の了承なしに持ち出すのは不謹慎かと存じます」
「それは……」


ラターニャは何か言おうとしたが、の瞳の前では無理なことだった。
あまりに強いそれで見つめられて、ラターニャは睫毛を伏せて呟いた。


「……申し訳ありませんわ」
「それはリオンに対する謝罪ととってよろしいですね?」


変わらぬ声音で訊いたに、ラターニャはバッと顔をあげた。
表情は不愉快そのもので、リオンへ頭を下げることを断固拒絶していた。
それでもは問う。


「よろしいですね?」


ラターニャは唇を噛んだ。
真っ赤な紅がひどく歪む。
はそれを一歩も引かずに、彼女を見つめていた。

息が詰まるような沈黙の後、ラターニャは微かにそれとわかる様子で頷いた。

途端、は笑った。


「よし!これで解決!!」


くるりと向き直ってリオンの肩をばんばん叩く。


「叔母様もああ言ってくれてるんだから、もう無闇やたらに突っかかっちゃダメだよ!」


先刻の真剣な表情とはうって変わって、あまりに明るくそう言われたのでリオンはぽかんと口を開けた。
しかし、そんなことには構わずにはむき出しの自分の腕をさすった。


「それでものは相談なんだけど、この格好寒いから服貸してくれない?あ、できればドレスはやめてね。てゆーか君の服でいいよ」
「馬鹿ですか、君は」


呆れた声で言って、アレンは自分の着ていた上着をの肩に引っ掛けた。
腕を引っ張って体の向きを変えさせ、前開きのボタンをきっちり全部留めていく。
ようやくの白い肌が隠れたので、アレンはなんだか安心して吐息をついた。


「人前でそんな簡単に肌を見せないでください」
「なんで?ちゃんと下に着てたじゃない」
「そういう問題じゃありません」
「別にすっ裸になったわけじゃあるまいし」


普通に言うに、アレンは頭痛を覚えた。
彼女がドレスを脱いだとき、自分の心臓は驚きと焦りとその他よくわからない感情で止まりそうになったというのに。


「…………君はもう少し自分を知ったほうがいいですよ。中身はともかく、外見は女の子なんですから」


それもとびっきり綺麗な。


そう思ったのに、には伝わらなかったらしく向う脛を思いきり蹴りつけられた。
盛大にむくれた「ありがとう」と共に。




はアレンの上着に包まれて、少し笑ったようだった。








今回長いですね〜。
しかもオリキャラ登場。公爵家の方々です。(詳しくはオリキャラ設定にてどうぞ)
前回アレンとヒロインに水をかぶってもらったのは、お着替えしてもらいたかったからです。
せっかく貴族さまのお屋敷に来たのでね!(笑)ヒロインはかなり嫌がってましたが。
ちなみにヒロインが美人さん設定なのは、ギャグです。
顔と中身のギャップに笑っていただければ本望です。
次回はちょっと、アレンさんがピンチですよー。