誰が理由なく厭うものですか。
それがわからない、あなたという人が嫌なのです。

言いたいことは山ほどあるけれど、只これだけを伝えましょう。
神様のことばで“大きらい”。







● マザーグースは放課後に  EPISODE 10 ●







「うわぁ」


感嘆の声を漏らしたのはアレンだったけれど、も同じような心境だった。
パーティー会場にはだだっ広い講堂が使用されている。
面積は教団のそれとそう変わらないのではないだろうか。
そこが一面カラフルな色彩で埋め尽くされていた。
魔女に幽霊などの定番の仮装から、着ぐるみやチャイナドレス、ぎょっとするような特殊メイクを施した者までいる。
いつもは品行方正な生徒たちがそんな格好をしているだけでも壮観なのに、ところ構わずクラッカーを鳴らし、紙吹雪を撒き散らし、調子っぱずれな嬌声をあげているのだから驚きだ。


「想像していたのよりずっとすごい」
「ハロウィンは冬を迎えて閉じこもる前に、鬱憤を晴らしておこうっていう側面もあるからね」


つい講釈を垂れただったけれど、相手が聞いていないのは明らかだった。
この場で気分を高揚させるなというほうが無理だろう。
きょろきょろと辺りを見渡すアレンの手を引っ張る。


「とりあえずご飯食べよう。お腹空いたでしょ」


指し示した方向には等間隔にテーブルが並べられていて、世界各国の料理とお菓子で溢れ返っていた。
皿に食らいつく生徒たちにグラスを傾ける教師陣。
その光景を見たアレンは顔を輝かせて頷いた。


「うん!さすがはハロウィンだ。カボチャ料理が多い」
「きっと食べ過ぎで、明日のアレンは全身オレンジ色ね」
「望むところです」
「ラビと見分けがつかなくなったりして」
「それはまったく望まないところです」


さぁ食べるぞと気合を入れているアレンと共に、食事が供されている方へと歩いてゆく。
遠くに神田たちを見つけたので手を振っておいた。
あちらに行く前にアレンの気が済むまで料理を取らなければ。


「あ」


それこそ山のように盛っていくアレンを手伝ってやっている内に、そう遠くないテーブルにソロモンの姿を発見する。
彼の仮装は宮廷音楽家のようだった。
金の刺繍が入った丈長の赤い上着に細身の紺ズボン、胸元には染みひとつない真っ白なタイを結んでいる。
赤金色の髪はリボンで小さく束ねられていた。
元がいいので何を着ても似合うものだ。
そんなソロモンを囲うのは、相変わらずの男女の群れだった。


「…………………………」


は少し考えたあと、大皿を片手に料理に向き直った。
お目当てのものを調達して一団に近づいてゆく。
そしてソロモンが飲み物を取ろうと、テーブルに手を伸ばしたタイミングで、“それ”を差し出してやった。


「うん?」


不思議そうな顔をされたけれど構わない。
どうせカボチャ頭を被っているから、自分が誰かもわからないだろう。
とにかくは魚料理の載った皿をソロモンに押し付けると、くるりと踵を返してアレンのところまで戻っていった。


「何してたの?」


アレンが訊いてくるから短く返しておく。


「嫌がらせ」


例のテーブルからは案の定な声が聞こえてきていた。


「ソロモン様、それは私が」
「魚料理はお嫌いでしょう」
「誰だ、今のカボチャは。何もわかってないな」
「いや」


アレンを促して移動する前に、ソロモンの穏やかな言を聞く。
は振り向かなかったけれど、きっと彼はこちらを見つめているだろう。


「ハロウィンの悪戯だ。菓子をやれなかったのだから受けねばな。苦手な魚も食そう」


さすがの返答だ。
実に“ソロモン”らしい。
これでまた彼の取り巻きに嫌われたとしても、気にすることはないだろう。
食べ物に関することにはやたらと心を傾けてしまうだった。
その原因であるアレンがソロモンのほうばかり見ているので、誤魔化すでもなく言ってやる。


「だから嫌がらせだってば」
「君のことだからそれはない」
「……ソロモンを疑ってしまったお詫びよ」
「そう」


断言されてしまったから正直に答えれば、アレンは少しだけ目を細めて歩き出した。
はカボチャ頭の中で唇を引き結ぶ。
どうにもソロモンが絡むと妙な雰囲気になる。
理由はわかっているつもりでも、そう上手くできるものではない。
自分は自分らしくいるしかない。
アレンの隣まで行ってにっこりと微笑んでみせる。


「アレンへのお詫びは専属ウェイトレスよ。十人前は運んであげてるんだからね」
「……足りません。全ッ然!足りません!!」
「力強く言ったよこの食いしん坊。はいはい、あと十人前追加ね」
「量もだけどまず心構えが足りない。ウェイトレスだよ?しかも僕専属だよ?」
「何よ」
「それがカボチャ頭ってナシだろう」
「……つまりちゃんとウェイトレスの格好もといコスプレしろって?」
「そんな変態発言はしていませんよ」


がうろん気な声を出してみせると、アレンは穏やかで優しい紳士の顔で笑った。


「つまり赤チェックのエプロンを着て“お帰りなさいダーリン!愛情たっぷりのご飯が出来てるわよ”って語尾にハートマークを付けながらこの僕に料理を捧げろと言っているんです」
「要求がコアすぎるよ、このド変態!」


は両手のご馳走を放り出した気分で叫んだ。
告白をしてきてからこちら、アレンは直球すぎる気がする。
こうも躊躇いもなく口にするのは止めて欲しい。
ジェントルマンな笑顔で言われると、一瞬騙されそうになるのが恐ろしいところだ。


「えー。僕そんなを見たら、大爆笑と共に大抵のことは許してあげられるよ?」
「私はそんな自分を見られたら、大後悔と共に絶対許せなくなるわ」


げっそりと呟いたところで皆のいるテーブルに辿り着いた。
何枚もの皿を並べている間にアレンが突っ込まれている。


「よぉ。やっと来たか、変態」
「料理取りすぎさね、ド変態」


どうやら神田とラビには先ほどの会話が聞こえていたらしい。
しかしアレンはどこ吹く風で、半笑いの二人をスルーすると、猛烈に食べ始めた。
おかげで双子に目を見張られている。


「アレンさん、意外と食うっスねー……」
「意外どころか異常。その体に納められる量じゃない」
「はへ?ほうれしゅか?(あれ?そうですか?)」
「ほらほらアレン、食べるのに集中。口元についてるよ」
「ほっへ(取って)」
「はい」
「……さんは、意外と世話焼きタイプ?」
「意外どころか当然。ちゃんと“お姉さん”だから」


そこでは男前に髪を掻き上げる真似をしてみせた。


「ジャックも“お兄ちゃん”って呼んでくれていいのよ?」
「いやぁ、うちはジルだけで間に合ってるっス……って何で“お兄ちゃん”?」


ジャックは嫌そうな顔で小首を傾げる。
その表情が不意に輝いた。


「メアリーさん!」


彼が大きく手を振った先には、修道女の格好をしたメアリーがいた。
黒のワンピースと頭巾を身に着け、分厚い聖書を抱えている。
胸に下げているのは金の十字架で仮装と呼ぶには本格的すぎた。


「こ、こんばんは……」


メアリーはジャックに発見される前からこちらに来るつもりだったようだ。
彼の呼びかけに身を縮ませながらも、嫌そうな素振りは見せなかった。
もちろん気後れを感じさせる足取りではあったが。


「み、皆さん、お揃いで……」
「メアリーさんも一緒に食べていきなよ。俺が料理とお菓子取ってあげる」


ウキウキと言ったジャックの横で、やはりジルは複雑そうな顔をしていた。
それを気にしたわけではないだろうけれど、メアリーは頭を振ってみせる。


「う、ううん。私はいいの」
「えーっ、なんで?」
「これから、その、演奏しないといけなくって」
「演奏?」


が訊き返してやれば、メアリーはホッとした様子を見せた。
彼女とは仲が良いほうだ。向こうも話しやすいのだろう。
独りでいることの多いメアリーは、をより親密に感じているのかもしれない。


「舞台の上でピアノを弾くの。ソロモン様が作曲されたものよ」
「へぇ、すごい。メアリーの演奏で、ソロモンの曲が聞けるなんて」


確かにパーティー会場の真ん中では、次から次へと余興が披露されている。
主にハロウィンにちなんだゲームやショーだ。
特待生ならば当然引っ張り出されるだろう。


「お前らは行かなくていいのか?」


神田がジャックとジルに訊けば、二人は揃って眉をしかめた。


「ああいうのは嫌。目立つ真似は大嫌い」
「俺もー。気分が乗らない限りは人前で描きたくないっス」
「ふーん。じゃあ特待生で出るのはソロモンとメアリーと……ルイスの三人さ?」


ラビが指折り確認すれば、メアリーは首肯して振り返った。
釣られて視線を投げた先に綺麗な後ろ姿を発見する。
女優はシルエットも美しいものだ。
色とりどりの花で飾られていた亜麻色の髪と、体にぴったりとしたデザインのドレス。
大きく開いた背中からは透明な羽根が生えていた。
あれは妖精の仮装だろうか。
キラキラする素材を使用しているから、彼女が動くたびに光がこぼれるようだった。


「もうすぐルイスちゃんの出番よ」


メアリーがそう言ったのと、食器が高い音を立てたのは同時だった。
びっくりして隣を見たときにはもうアレンの姿はなかった。
彼は握りしめていたフォークを叩き置いて、足早にルイスの元へと近づいてゆく。
こちらには何も告げずに。


「アイツはまた……」


ラビが苦い口調で呟いたけれど、は聞こえない振りをした。
見つめる先で見目の良い男女が会話をしている。
焦ったようにやってきたアレンに、ルイスは可笑しそうに吹き出して、自分の背中を引っ張ってみせた。
どうやら見えていたのは本物の皮膚ではないらしい。
ドレスと繋がった肌色の布に、羽根が取り付けられていたようだ。
つまり本当に肌が露出しているのは首から上だけ。
ルイスにそう示されたアレンは、大きく肩の力を抜いてみせた。
少女が華やかな声で笑う。少年も照れたように微笑み返した。





目を逸らした矢先に名前を呼ばれた。
ソロモンが片手を挙げながら近づいてくる。
メアリーと違って声を聞いてもいないのに、絶対の自信を持って話しかけてくる。


「見つけたぞ、悪戯オバケめ。先ほどはよくもやってくれたな」
「あはは、ごめんね」


笑いを交えて言われれば、少しだけ救われたような気分になって、は明るく応じてみせた。


「いつも強引に誘ってくれるから。そのお返しのつもりだったんだけど」
「なるほど、だったら自業自得か。さらにお返しをせねばな」
「ええ?どんな?」
「そのカボチャ頭を取ってキスとか」


さらりと告げられてちょっと固まる。
その間に被り物に指をかけられる。


「……冗談でしょ?」
「何故だ?マザーグースであるだろう。“ジョージ・ポージーは女の子にキスして泣かせた”。悪戯の定番だ」
「残念ね、ソロモン。私はそのくらいじゃ泣かない」
「だったら笑ってくれ」


カボチャ頭を取られないように押さえていた手を握られる。
そのまま軽やかに引き寄せられた。


「ありがとう、。“ソロモン”への悪戯は、“ロビン”への贈り物だ」


他の誰にも聞こえないように、耳元に唇を寄せて囁かれる。
一瞬後には体を離して、普通の音量となった。


「悪戯が駄目なら甘いものをくれ」
「お菓子ならいくらでも」
「いいや、お前の笑顔とキスだ」


こんなことを言って寒くないのだからすごいものだ。
美麗な造作と穏やかな物腰の大勝利だろう。
が思わず感心した隙に、ソロモンが手の甲に口づけをしてきた。
おかげで周りの男子生徒にはどやどや騒がれ、女子生徒にはひそひそ言われる。
ソロモンは気にすることなく優しげに微笑んでくれる。


「今日の曲はお前にやったものにしようか。……どうか、聞いていてくれ」


熱のこもった言葉と眼差し。
真っ直ぐに向けられる好意。
急に辛くなっては俯いた。
この人は本当に想ってくれているのに、私は自分勝手な理由で逃げている。
それが申し訳なくて仕方がない。
ソロモンは名残惜しそうにの手を離すと、メアリーを促して颯爽と歩き出した。


「行こう。曲目は変更だ。すべての音はに捧げる」
「その前に私の歌を聴いてもらえるかしら?」


間に割って入るようにして、凛と美しい声が響き渡った。
皆の意識は一気にそちらへと引き寄せられる。
真正面からこちらを向いたルイスは、やはり妖精の仮装をしているようだった。
それも女王様だ。
蔓のステッキを振って命令を下す。


「順番を間違えないで、ソロモン。舞台はまだ私のものよ」
「ああ、そうだったな。歌ってくれ、“タイテーニア”」


なるほど『真夏の夜の夢』か。
ソロモンの呼びかけには納得する。
ハロウィンには季節はずれかもしれないけれど、演劇部のエースであるルイスのことだから、今夏に演じた役柄で歌うつもりなのだろう。
彼女の仮装の正体は、シェイクスピアの戯曲に出てくる、気高い妖精の女王タイテーニアだ。


「そうよ、私は普通の妖精ではないの」


ルイスはすでに歌うような調子で言った。


「呼びつけるのは豆の花、蜘蛛の巣、蛾、からし種のフェアリー。あなたの世話をさせるわ。私の愛する人」


そこで蒼い瞳が向けられたのは、演劇部の誰でもなくアレンだった。
本人も驚いた顔をしていたけれど、ルイスは構うことなく手を伸ばす。
薄紅に染めた爪でアレンの顎を優しく引っ掻く。


「あなたの毛むくじゃらの頬に触らせて。その大きなお耳にキスさせてね。私の可愛い狼さん」


本来はロバと言うところを仮装に合わせて変えたところがにくい。
そうやって完全にアレンに向けた言葉にしてしまったのだ。
ルイスはにっこりと微笑むと、照明も伴奏も待たず歌い始めた。
観客が戸惑ったのは最初だけ。
用意された場所でもないのに、彼女はそこを一瞬で舞台へと変えてしまう。


「“ねぇ、優しいお人。もう一度歌って”」


マイクも使っていないのに、どうしてこんなにも響くのだろう。
詠唱みたいだとは思う。
人間の体が楽器のようになって、場の空気と聴く者の意識を呑み込み、確立した世界を創り上げてゆく。


「“私の耳はあなたの声に聞きほれて、私の目はあなたの姿に見とれてしまった”」


女王の手が狼の頬に当てられて、ゆっくりと滑ってゆく。
そこに刻まれた傷跡の上を。


「“あなたの美しさを一目見て、私の心はどうしようもない”」


まるで夢を見ているかのような気分になった。
あまりにも完璧で美しい。物語の中に迷い込んだみたいだ。
ルイスの姿はそれこそ高貴な女王様で、そんな彼女が恋に表情を輝かせている。
アレンが愛おしくて仕方がないと、動きのひとつひとつを使って叫んでいる。


「“打ち明けて、誓わずにはいられない”」


その歌も仕草も演技だなんて、とても思えない。
ルイスはアレンの首に腕を回すと、身を投げ出すようにして彼を抱きしめた。


「“あなたを愛すると”」


たった一小節の歌で全ての観客を魅了した妖精は、満足げに微笑みながら愛しい獣にキスを贈った。
アレンはそれで我に返ったようだった。
慌てて押さえた頬は、確かに赤く染まっていた。


「さすが大女優、ルイス・マフェット!」
「演技も歌も素晴らしい!」


割れんばかりの拍手が巻き起こる。
ルイスは当然と言った顔でそれ受け入れ、アレンの腕を胸元に抱き込んだ。


「ありがとう、皆さん」


完全に場の主役はルイスだった。
おかげでの周りでは相変わらずの囁きが交わされる。


「あのルイスとを競わせようだなんて、ねぇ」
「ソロモン様もおかしなことをなさるわ」
「同情のあまりでしょう。だって見てみなさいな」
「美しい妖精の女王と、冴えないカボチャ頭よ。お話にならない」


ごもっとも。
は被り物の中で思う。
ただひとつ言わせてもらうと、ラビの作ったカボチャ頭は馬鹿にしないでほしい。


「自分のことを言われているってわからないの?」


皆が興奮気味にルイスの元へと行こうとするから、邪魔にならないよう窓際まで退がろうとした瞬間だった。
重たい音と衝撃が頭部を襲った。
痛みはない。感じたのは冷たさ。
すれ違いざまにグラスに入った氷水を浴びせかけられたのだ。


「いい加減、立場を思い知りなさい。薄汚い捨て犬さん!」
「………………………………」


さすがのも束の間呆然としてしまった。
それは体調のせいでもあり、タイミングのせいでもあった。
ルイスが微笑んでいる。アレンとしっかり腕を組んで。
妖精のように。お姫様のように。綺麗な顔に、可愛い微笑を浮かべて。
私からずっと離れた場所で、多くの人々に囲まれ、素敵な男性に支えられて。
神田やラビも感心した顔を彼女に向けているから、こちらの異変には気が付いていないようだった。
唯一ソロモンだけが、生徒たちの流れに逆らって、傍まで戻って来てくれた。


「大丈夫か」


尋ねられたけれど返事ができない。
微かに頷いてみせる。


「一体誰にやられた?ひどいことをする」
「……平気よ」
「いいや、興が乗っていたからといっても許されることではない。水をかけられただけか?氷で怪我をしていないか?」


ソロモンが心配そうな顔で覗き込んでくる。
はぼんやりと思い出す。
セイに水難の相が出ているって言われたのはいつだったっけ。
私はあと何回水をかぶらされるのだろう。


「そのままでは風邪を引くな」


ソロモンが上着を脱ぎ始めたから、はハッとして身を引いた。
彼が構わずそれを着せようとしてくるから必死で首を振る。


「ありがとう。でも、大丈夫よ」
「そうは言っても、ずぶ濡れでは」
「いいの。あなたの服は借りられない」


ソロモンにはこれから演奏があるのだ。
それに彼の上着を貸してもらえば、ますます攻撃されるのは目に見えていた。


「おい、どうした」
「何かあったんさ」


ソロモンと押し問答をしているうちに神田とラビが傍に寄ってきた。
しかもこちらの様子からすぐに事を悟られてしまう。
神田には小突かれて、ラビには肩を撫でられた。


「阿呆。早く呼べよ」
「とりあえず出るさ」
「待ちなさい」


命令は女王様からでしか有り得なかった。
ソロモンが背に庇ってくれたけれど隠れられるものではない。
制服を濡らしたを見たアレンが、表情を硬くして歩き出そうとするのを、ルイスは優雅な動きで制してみせた。
その手で近くのテーブルからグラスを掴み取る。
そして女子生徒の集団に近づいてゆくと、躊躇いもなく中の液体を叩きかけた。


「きゃあ!」
「何をするの、ルイス!」


悲鳴をあげる彼女たちに、ルイスは当然のように言う。


「あなた方と同じことをしただけよ」


つまり、あの一団が犯人だ。
は胸に苦いものを感じる。
また見たことも話したこともない面々だったからだ。


「迷惑なのよね。“ルイスのためだ”と言って、自分の憂さを晴らされるのは」


ルイスは高い音を立ててグラスを置くと、遠くのに視線を投げた。


「あなただってそうでしょう?外野に好き勝手をされるのは、もうウンザリじゃない」
「構うな。行くぞ」
「ほら、こっちさ」
「男性陣は黙ってなさい」


ルイスにぴしゃりと言われても神田とラビは動じない。
それよりもが動こうとしないことが気がかりのようだった。


「ソロモンもよ。そこをどいて。私はと話をしているの」
「やめろ、ルイス。何もこんなときに」


ソロモンが言い返してくれたけれど、は自ら進み出てルイスの前に姿を晒した。
はたから見れば随分とマヌケな図だろう。
フェアリークイーンとパンプキンが対峙しているのだから。


「私に何が言いたいの、ルイス」
「あら、お馬鹿さん。さすがにわかっているかと思っていたのに」


ルイスはくすりと笑ってみせた。


「ねぇ、あなた、自分がソロモンに贔屓されるのは不当な扱いだと思っているんでしょう?」
「その通りよ。だって私には何の才能もないもの」
「ええ、私もそう思うわ。あなたが特待生に相応しいと言っているのは、ソロモンただ一人だけ」


そこで蒼い瞳はの隣へと流れた。


「念のため聞くけど、ソロモン。あなたはへの評価を改める気はある?」
「ない」


これ以上ないほどの断言ぶりだった。
ソロモンは首を振って腕を組むと、長い息を吐き出す。


「だが、此処でを追い詰めても意味はないぞ。彼女の真価は」
「あなたでは引き出せない」
「……このソロモンが役不足だと?」
「まさか。ただ、男性にはすっこんでいていただきたいという話よ」


眼光を鋭くしたソロモンに、ルイスは臆することなく微笑んだ。
花が咲いたような笑顔で続ける。


「ソロモンの目利きを疑っているわけではないわ。だからこそ、皆“まさか”と思いながらも、構ってしまうのでしょう。頭から水をかけたりしてね」


ラビの作ったカボチャ頭はずぶ濡れで、その下の髪も顔もびちゃびちゃだった。
水滴が落下する。
体温を奪って落ちてゆく。


「けれど、それもいい加減にしてほしいのよ。ソロモンはあなたを一流だと言い、あなたは違うと首を振る。俯いて目を逸らし、わからないとうそぶいている。そんな態度では彼が納得しないと知っていながら」
「はっきり言って、ルイス。私にどうしろというの」
「白黒つけなさい」


ルイスはつんっと顎をあげてみせた。
彼女は他人を見下ろす。
それは自身の優位を疑わない態度だ。


「ソロモンと、どちらの主張が正しいのか。それを明確にしましょう。そのための期限を設けさせてもらうわ」
「期限?」
「クリスマスよ。学園で開かれるクリスマス・パーティー。一番優秀な生徒を決める投票が執り行われる行事よ」


以前ジルが言っていたことか。
一年の締め括り。優れた生徒の功績を称え、新たな特待生を選出するためのイベント。
それはすでに形だけとなっていて、トップはソロモンとルイスに決まっている。


「そこで勝負しましょう、


女子生徒の頂点に輝くが妖精が、ずぶ濡れのカボチャ頭に告げる。
手に持った蔓のステッキで真っ直ぐに指し示してくる。
敵はお前だと。蹴散らすべき者であると。


「あなたがソロモンの言うような人間であるのならば、クリスマスの投票でそれを示しなさい。このルイス・マフェットに勝ってごらんなさいよ」


ルイスの提案に周囲は一気にざわめいた。
驚きと好奇の笑いが広がる。
神田とラビは呆れ返って言葉もないようだった。
代わりのように特待生の皆が口を開く。


「おいおい、無理だってルイスさん。この人ハナっからやる気ないもん」
「ジャックの言うとおり。勝負自体が成立しない」
「で、でも、それだと……ソロモン様の見立てが間違っていたことに……」
「俺の評価は置いておとくとして」


首を振る双子と口元を覆うメアリーを制して、ソロモンは迷惑そうな顔をルイスに向ける。


のことは時間をかけて口説くつもりなのだが?」
「そんなの待っていられないわ。言ったでしょう?男性はすっこんでなさい。これは女の戦いよ」


ルイスは余裕の笑みでそう言うと、傍に立っていたアレンの腕を掴んだ。
そのまま彼を引き連れて、悠然と近づいてくる。


「あなたが私に負けた暁には、二度とソロモンに勧誘させない。皆がそれを認めないはずよ」
「……ルイス。それだと本当に勝負にならない」


も両肩を落としながら訴えた。


「私はすでに競争から降りている。ソロモンには悪いけれど、彼の見込み違いということで終わるだけよ」
「私を不戦勝にさせる気?それだと意味がないとわからないの?ソロモンは諦めないだろうし、嫌がらせだって続くわよ」
「何が何でもやれと?争う気のない私に言うの?」
「ええ。その通り」


ルイスはの眼前で足を止めると大きく頷いてみせた。


「白黒つけなさいと言ったでしょう。私とあなた、どちらが優れているか、勝敗を決めてしまうのよ。その舞台にあがってもらうためにご協力願いましょう。アレンくん」
「は?はい?」


唐突に名前を呼ばれて、本人は目を瞬かせている。
ルイスはそんなアレンに構うことなく、彼の腕に身を寄せて肩へと頬を付けた。


「私が勝ったら彼を貰うわ」


今度はさわめきというよりどよめきが起こった。
それもそのはず、学園一の美少女が、衆目のなか告白をしたのだ。
アレンが何か言おうとしたけれどルイスが許さなかった。
彼女はだけに言葉を投げる。


「アレンくんはあなたが好きみたいだけど。私が勝てばその気持ちを頂きましょう」
「……アレンの心を景品扱いする気?」


口にしたら腹の底からじわじわと怒りが沸いてきた。
今の今まで我慢してきたものが滲み出てくるようだ。
それは理不尽な仕打ちや侮辱に対する感情だった。
自分だけならまだ耐えられる。けれどアレンまで巻き込むつもりなのか。


「あら。きちんと振れと言っているだけよ。そうしたら失恋の痛手を私が慰めてあげられるもの」


の苛立ちを敏感に感じ取ったのか、ルイスは嘲笑めいた笑みを浮かべた。
くすくすと声に出して笑う。


「アレンくんの気持ちを拒否して、ソロモンの誘いから辞退しなさい。“私は何の価値もない女の子です”って全校生徒の前で言ってもらうわ」
「なんで……」
「目障りだからよ、あなたが」
「だったら私だけにあたってよ。他の人は関係ないでしょう」
「勘違いしないで。私はアレンくんにもソロモンにも要求などしていないわ。すべては“あなた”が起因なのよ」
「………………………………」
「全部が悪いの。そうやって男性に守られて、心を寄せられて、それなのに自分にそんな資格はないと背を向ける。答えも出さずに甘えている」


痛い。
そう感じるのに発生源がわからない。
頭?喉?それとも心?
氷水に冷やされた体が一気に煮立ってゆく。
燃料は真っ赤な怒りだ。


「もう一度言うわ。――――――――目障りなのよ、あなた。同じ女として許せない」


蔑みの言葉。
吐き出した唇。
綺麗な朱で染められたそれが、アレンに触れたのを私は見てしまった。


「逃げたければ逃げなさい。お得意でしょう?」


挑発になんて乗るわけがない。


「その代わり、敗北宣言の練習をしておきなさいよ。アレンくんとソロモンが、そんなあなたに幻滅しないか見物だわ」


私はエクソシスト。
任務のために此処にいる。
こんな生徒同士の小競り合いなんて眼中外だ。


「それともここまで言わないと駄目かしら、。――――――私はあなたの欲しい“答え”を持っている」


そこでハッと目を見開いた。
教団のことを考え感情を押さえ込もうとしていたにとって、ルイスの言葉は絶妙のタイミングだった。
答え?何のこと?
私の欲しているそれといえばひとつしかない。


「そして私は、アレンくんの“秘密”を知っているわ」


ああ、これは脅迫だ。
はついに悟ってしまった。
ルイスはずっとアレンを従えていたけれど、それは男性としてだけではなく、人質としてもだったのだ。


「それでもまだ勝負を降りるというのかしら?お馬鹿なカボチャ頭さん」


そう言ってルイスがアレンの左手を握ったから、は考えるのを止めてしまった。
頭の中で何かがぷちんと切れる音を聞く。
口が勝手に動く。


「いいわ」


頑なに取るのを拒んできた被り物に手をかける。
きっと傍で神田とラビが嫌な顔をしているだろう。
けれど止められる気のないは、カボチャ頭をゆっくりと持ち上げた。


「その勝負、受けて立つ」


障害はなくなった。
もうエクソシストとしても、“”としても、躊躇うものは何もない。
だったら心のままに動くだけだ。


「言っておくけれど、ルイス」


取り去ったカボチャ頭を、振り返りもせずにラビに投げ渡す。
同時に左手で三つ編みを解いた。二本ともだ。
水を滴らせながら肩になだれ落ちる金色の髪。
照明の光を弾いて一気に背中へと広がる。


「この勝負を受ける理由は、アレンでもソロモンでもない」
「へぇ?」
「私は、彼らを引き合いに出したあなたが気に喰わないだけよ」
「随分と控えめな表現ね。はっきり言ったらどう?」
「そうね」


被り物を投擲した手を翻して眼鏡を外す。
そのまま躊躇することなく放り投げた。
だって、もう必要のないものだ。


「随分と好き勝手に批評してくれる。私は人形?いつから見せ物になったの?冗談じゃないわ」


濡れた目元をぐいっと拭い去ると、初めて学園の生徒たちに素顔を晒した。


「いい加減、鬱陶しい。―――――――――目障りよ」


窮屈な三つ編みも、邪魔な眼鏡も取り去って、いつも通りの声を響かせれば、その後は静寂が訪れた。
いくつもの視線が突き刺さる。驚愕を向けられている。
誰かが「温室のオフィーリア」と呟いた。


「ほら、ね」


ルイスは不愉快そうに短く息を吐き出す。


「わざと隠してたんでしょう、その顔」
「人聞きの悪い。せっかく学校に通うんだから、真面目な生徒になってみようと思っただけよ」
「それで“三つ編み眼鏡”のコスプレ?」
「“いつも真面目で一生懸命だけどちょっと抜けているところもあるドジっ子風味のお茶目な委員長さん!”、よ」
「長いわ!」


ひと息に言えばルイスに突っ込まれた。
は雫を払うようにして金髪を肩の後ろにやる。


「前から思っていたけど」


輝く軌跡。
長い髪を翻す。
背中を向ける直前に、流すような視線で言ってやる。


「あなたは私を馬鹿にするより先に、自分の有能さを褒めたらどう?」


一瞬ルイスの顔が強張ったけれど、は構わず歩き出す。
彼女は口で言うほど尊大ではない。
自信はあるだろうけれど、その根拠を常に他人の中に求めている。
だからこそソロモンに気に入られた私をここまで目の敵にしてくるのだろう。


「あなたはとても美人で素敵な女の子よ、ルイス・マフェットさん」
「……………………………」
「来世ではぜひ口説かせてね」
「どこに行く気よ」
「帰るのよ。“仮装”を解いてしまったのだから、もうここにはいられない」


神田ともラビとも、ソロモンとも目を合わせなかった。
今の私はきっと蒼白だ。
水をかけられてますます赤みが引き、頬は蝋人形のように真っ白だろう。
そんな顔色で、表情も浮かべず、淡々と喋ってしまえば、見る者がどういう印象を抱くかは知っていた。
誰も私を呼び止められやしない。


「ドリンクサービスをありがとう。“次”は真冬だから、氷なしでお願いね」


最後にカボチャ頭を濡らしてくれた女子たちに告げて、はいつも通りに微笑んでみせた。
返事はなかった。
扉を開いて外へと踏み出す。
皆のいる明るい空間から、暗い外部へと独りで出てゆく。
後ろから呼ばれた。





アレンの声だった。
ルイスのばか。
どうしてこんなときだけ、彼を捕まえておいてくれないのよ。


は足を止めず、振り返りもせずに、パーティー会場を後にした。

































とりあえず何から言ってやるべきだろう。
答えが出ない。
アレンはそれより早く、周囲の生徒たちが騒ぎ出すより先に、の背中を追いかける。
照明の下でも美しかった彼女の髪は、闇の中でもなお輝いて見えた。
その金色に向かって呼びかける。





アレンは先ほどの一幕を思い出していた。
宙に放り投げられたパンプキン。
それが放物線を辿る間に、拘束を解かれた金髪。
の指先で一気に壊された編み目は、あまりにも優雅な曲線を描いていた。
そんな彼女は今かなり荒っぽい足取りで歩いているが。


ってば」


何度呼んでも振り返らない。顔を見せてはくれない。
皆の前では晒したくせに。
分厚いレンズで隠していた造作と双眸。
それが光のもとで顕わになったとき、見慣れているはずのアレンですら、目を奪われずにはいられなかった。
空気が変わったように感じたのだ。
その肌の白さが、睫毛の長さが、そして金色に輝く瞳が、全てに影響を与えて震えるような。
言葉を発すれば今度こそはっきりと、生徒たちの間で振動して掻き乱された。
そう、相変わらずという人は、見ているこちらの心を揺さぶらずにはいられない。


「ちょっと待って!」


はアレンを完全に無視し、猛スピードで歩を進めていた。
走っている様子ではないのに何故あんなにも速いのだろう。
濡れて重くなっていなければ、金色の髪は地面と平行になびいていたかもしれない。


!!」


ちょっと苛立ってきたアレンが、強い調子で呼んだところで、その背中が掻き消えた。
少しも足を緩めずに角を曲がったのだ。
はずんずん前進して、渡り廊下を一瞬で通過し、隣の校舎へと入っていった。
寮に戻るかと思っていたので面食らう。
どうやら部室に向かっているらしい。
アレンが続いて角を曲がったときには、はもうそこに足を踏み入れていた。


「なんで部室に……」


開けっ放しの引き戸から中を覗き込む。
は適当に靴を脱ぐと、部室の奥に進んで箪笥を開けた。
そこから手拭いを引っ張り出してきたのでようやく合点がいく。
ずぶ濡れのままでいられないと、一番近場の此処にやって来たのだ。


「拭くものくらい僕が貸してあげるよ」


今更だけどポケットからハンカチを取り出してみせる。
は相変わらず無言だった。
まるでこちらの声が聞こえていないかのように、ぴくりとも反応を示さない。


「ちょっと……、そんなに乱暴に拭くと髪が傷む」


あまりにも荒れた手つきだったから、アレンが止めようとすれば避けられた。
後ろを向かれて続けられる。
ああ、もう、本当に。
何からどう言ってやるべきだろう。


「パーティー会場に戻ったら?」


決めかねているうちにが先に口を開いた。
調子は普段と変わらなかった。


「専属ウェイトレスがせっかく運び尽くしたんだから」
「あのね」
「お料理が冷める前に食べてきて」
「そんな場合じゃないだろう」
「どんな場合よ」
「どうしてルイスさんの挑発に乗ったんだ」


責めるつもりはなくて、ただ戸惑いのまま問いかければ、髪を拭くの手が止まった。
否、固まった。
硬直した指先を不思議に思いつつも続ける。


「あんな勝負、受けなくていいだろう。君が特待生になる必要はないんだから」
「……必要、ない?」
「そうだよ。何より此処で目立つのを嫌がっていたのはだろう?」
「…………………………」
「理事長先生には怒られるだろうし、任務にだって支障が出るかもしれない。今からでも遅くないから、やっぱり勝負はやめだって、ルイスさんに言ってきたほうがいいよ」
「嫌よ」


それが当たり前だと思っていたアレンは、切り捨てるような返事をされて驚いた。
は手拭いを被ったまま低く続ける。


「絶対に嫌。勝負から降りない。ルイスには負けたりしない」
「何むきになってるんだ。、変だよ」
「変なのはアレンでしょう?あの人は私にこう言ったのよ。“あなたの欲しい答えを持っている”って」


の目元には影ができていて、表情を窺い知ることはできなかった。
それでも妙な様子だということはわかった。
アレンからしてみれば、彼女がルイスの言葉を受けて、素顔を見せてしまっただけでもらしくない。


「アレンには悪いけれど、私はやっぱりルイスを信じられない。だって、ここで私が欲しい答えはひとつだけなのよ」
「……イノセンスの在り処?」
「そう。それを知っていると言うのなら、クック・ロビンの正体はルイスということになる」


は何度か目元を擦ってみせた。
もしかして氷が当たっていたのだろうか。
心配になって一歩を踏み出せば、過剰に身を引かれたので止まる。


「……彼女はそれを、私を勝負に引きずり込むために仄めかした。だったら逃げられるわけないでしょう」
「考えすぎだよ。ルイスさんの言っている意味はそうじゃないと思う」
「楽観的」
「誰がだよ」


突き放すような言い方だったから、思わずムッとして返した途端だった。


「ルイスはアレンの“秘密”を知っているって言ったのよ!」


怒鳴られて本気で驚いた。
それは押し殺すような声音で、決して口調を荒げたわけではなかったけれど、の怒りの強さは充分に伝わってきた。
滅多にないことに混乱する。
原因が自分だというのだから、ますます頭がこんがらがってきた。


「あんなのは最低の脅しよ。だって私が勝負を受けなければ、皆の前で暴露する気だったんでしょう」
「いや、あの」
「そんなの絶対に駄目」
「ちょっと落ち着いて」
「彼女のやり方は許せない。絶対に屈したりしないんだから」
、やっぱり何か勘違いしてない?」
「あそこまで明言されたっていうのに、アレンはまだルイスを庇うの?」
「それも誤解だから」


困った、これは手が付けられなさそうだ。
初めて見るようなの怒気にアレンは冷や汗をかく。
なだめるように表情を優しくした。


「とにかく、僕は勝負なんてして欲しくないだ。どうしても嫌だって言うのなら、このまま何もしなければいい。ソロモンに手を引かせられるし、君の望み通り悪目立ちもおしまいにできるよ」
「冗談じゃない」
「こっちこそだ。クリスマスまで大人しくしているだけでいいんだから。ね?」
「アレン、本当に現状がわかってる?クック・ロビンの正体は突きとめなきゃいけないし、あなたの秘密をバラされるわけにはいかない。それに……」
「それに?」


は一呼吸置いたあと、相変わらず怒りを滲ませながら囁いた。


「私が負ければ、アレンはルイスのものになる。……私はあなたを振らなきゃいけないのよ」
「だから?」


アレンは首を傾げながら目を瞬かせた。
何を言いだすかと思えばそんなこと。
また全身の動きを固くしたに言ってやる。


「何があったって、僕の気持ちが変わるはずないだろう」
「…………………………………」
「しかも君にはもう振られたことあるし。何度だって諦めないから大丈夫だよ」
「…………………………………」
「ああ、でも、演劇の相手役くらいはさせられるかもなぁ。前にロミオを演れって言われたし」
「…………………………………」
「まぁ、それは何とかするよ。が気にすることじゃない」
「…………………………………」
「ほら、だから。勝負を撤回するか、このまま争わずにいるか、どちらかに」
「アレンは」


今度は呻くような調子だった。
相変わらず表情は見えない。
手拭いはとても薄い生地で出来ているのに、アレンとを完全に隔てていた。


「私とルイス、どっちに勝って欲しいの」


問いかけの意味がわからなかったから、アレンは正直な気持ちを応えた。


「どちらも負けて欲しくないよ」


パンッ!!と乾いた音が鳴った。
が手を振り上げたのだ。
被っていた手拭いに空を切らせて、コタツの机板を鋭く叩く。
続けてそれをぐしゃぐしゃに丸めると、床に向かって放り投げた。


「話にならない!!」


ようやく見えたの顔は真っ赤だった。
否、赤すぎた。
拭き乱れた髪をさらに振って、勢いよく畳を踏み鳴らす。


「もういい。アレンは勝手にして。そもそもこれは私とルイスの勝負よ。誰の許可もいるもんですか」


憤慨したがまくしたてた。
乱暴な足取りでアレンのほうに向かってきて、そのまま横を通り過ぎようとする。
どんっと肩がぶつかったから、アレンは腕を掴んで支えてやる。


?」
「何よ、離して」
「待って……、君」
「止めたって無駄なんだから。私はルイスと戦うし、絶対に勝ってみせるし、クック・ロビンの正体もイノセンスも見つけ出して、アレンを」
「そんなことはどうでもいい」
「いや。アレンを」
「君、具合が悪いんじゃないか!」


怒り任せに言い続けるをアレンは無理やり遮った。
彼女は異様な顔色をしていた。
全体としては真っ青なのに、頬だけが朱色に染まっている。
手袋を外して肌に触れてみれば燃えるように熱い。
よろめいた体を引き寄せると、その振動に耐えられなかったようで、金色の瞳を揺らしながら口元を覆ってしまった。


「う……」
「ひどい熱だ……。いつからこんな?」
「知らない」
「今日はずっと不調だったの」
「風邪ならずっと前から引いてる」
「そうだとしても悪化してるよ。氷水をかけられたからか」


近くで見ると微かに震えていた。
頬に手を当ててやれば、わななきが大きくなる。
熱が高すぎてアレンの体温を低く感じるのだろう。
一気に寒気が襲ってきたようで、は自身の体を抱きしめた。


「平気だから。離れて」
「いいから、ほら」
「もう、さっきから私の話を聞いてよ!」


肩を抱こうとしたら振り払われた。
はそのまま逃げようとしたけれど、数歩も歩けず膝を折ってうずくまる。
震えが足まできたのだろう。
アレンは傍に屈み込んで、熱すぎる体を助け起こした。


「とにかく横になって」
「やだ」
「だだをこねないの」
「いや、いやだってば」
「ああもう、うるさい」


やたらと暴れるから強引に引きずってゆく。
ぽかぽか叩かれたけど気にしない。
とりあえずコタツの中に突っ込んで、座布団を頭の下に敷き入れた。


「熱が高いな……」


コタツから這い出そうとするのを止める意味で額を押さえたら、直に熱さが伝わってきて顔をしかめる。
これは重症だ。
絶不調もいいところだろう。
こんな状態で全校生徒の前に立って、ルイスに啖呵をきってきたのだから、さすがと言うべきか馬鹿と呼ぶべきか。
アレンが無理やり押さえつけているうちに、ようやくの体は辛さを認め始めたようだった。
呼吸音が乱れて風邪のときのそれになる。
すでに隠せないほど震えているから、コタツ布団を肩まで引きあげた。


、ちょっと待ってて」
「な、に……」
「誰か呼んで来るから。具合を看てもらおう」
「いい……」
「よくないよ。たぶん救護の先生がパーティー会場に」
「そんなのいらない」


首を振るばかりのを置いて立ち上がろうとしたら、驚くほど強い力で服を引っ張られた。
おかげでがくんと仰け反ってしまう。
文句を言ってやろうと振り返って、アレンはそのまま動きを止めた。


「行かないで」


寒さに凍えた指先。
掴んでいた上着の裾を離して、直接に掌を握ってくる。
左手だ。


「アレン」


何度か咳こんで、涙を浮かべながら、懇願してくる。


「ここにいて」


そこで頭が落ちた。
弾みで小さな一粒が頬を転がる。
気を失うように眠ってしまったを見下ろして、アレンはしばらくの間硬直していた。
どのくらい固まっていたのかはわからない。
の喉が苦しげに鳴るから、ようやくよろよろと腰を浮かせる。
左手は繋がれたままだ。
力が強くて抜けられそうもない。
……嘘だ。
はもう意識がないし、男の自分のほうに分がある。
ただ単に、振りほどけないだけだ。


「……くすり。薬があったはず」


まだ半分くらい呆然としながら、近くの戸棚を開いて中を漁る。
上から三段目で目当ての物を見つけた。
それは日本製だったけれど、薬効の欄には英語でも記載があったから、迷わず風邪用のものを手に取ることができた。
腕を伸ばして届くところにあってよかった。
左掌の中にあるぬくもりを感じながら思う。
だって、あんな。
あんな風に熱に潤んだ瞳で、余裕のない朦朧とした顔で、名前を呼ばれて引き止められてみろ。
どこにも行けるはずないじゃないか。


「……っ」


意識するまでもなく思い出してしまって、アレンは一人赤くなった頬を覆った。
そんな場合じゃない。
そうわかっていても仕方がない。


「はぁ、もう、だから」


自分自身にため息をついて、アレンは眠る少女に告げる。


「勝負なんてしなくていい。君の勝ちだよ、


答えを得られなくても、秘密を守れなくても、僕は君には勝てない。
絶対に。
アレンはの頬にかかった金髪を払うと、風邪薬の包みを破いて自分の口に含んだ。
そういえば、するなって言われてたっけ。
一瞬考えたけれど、すぐに寝顔にキスをする。
唇を開かせて、舌を滑り入れ、喉の奥へと差し込む。
が薬を呑み込んだのを確認してから、アレンはそっと口唇を離した。
口の中に苦みが残っている。
この味は嫌いだ。僕は甘いのがいい。ハロウィンのお菓子みたいな。
欲しいと思ったままにに口づけをして、アレンは身を起こすと大きく肩を落とした。


「さて。明日からどうなるかな」


クリスマス・パーティーは12月の頭。
約1か月後だ。
それまで学園は大いに揺れることになるだろう。
特待生であり女子生徒のトップでもあるルイスと、転校生で本性をひた隠しにしてきたが、真正面からぶつかり合うことになる。
心底嫌に思ったアレンは強く瞼を閉じた。
何故ならもっと憂鬱なことが目の前にあったからだ。


「明日からっていうか……」


発熱してぐったりと眠り込んでいるに、左手を握り締められた状態のアレンは、動くに動けないことに気が付いていた。
途方に暮れて呟く。


「……明日まで、どうしよう」


放っておけないという保護欲。
離れたくないと願う恋心。
このまま一晩中傍にいたらまずいと思う理性。
その三つに振り回されたアレンは、結局朝までの看病してやったのだった。










ハロウィン回終了です。
ついにヒロインがキレました。長かった!本当に我慢強かった!
正直なところルイスのことはずっと引っかかっていたと思うので、こうなって良かったんじゃないかと。
ここ学校だし青春なんだし、全力でぶつかり合えばいいと思います。(笑)
アレンに関してはもう……。
根っからの紳士だから、女性を比較できる頭がないんじゃないですかね!

次回からヒロイン反撃開始です。ようやく本当の意味で学園生活をエンジョイしますよ!
どうぞお楽しみに〜。