さぁ、大きなおめめで鏡を覗いて。
夜中の0時に問いかけてごらん。
この世で一番かわいいのはだぁれ?


「もちろん君さ、マフェットお嬢ちゃん!」


蜘蛛に追われて泣くその顔が。







● マザーグースは放課後に  EPISODE 3 ●







「つまり」


アレンは神妙な様子で顎に指を添えた。
授業中以上に頭を働かせて、聞き得た情報をまとめてみる。


「この学園では、マザーグースの一篇である“クック・ロビン”になぞらえた、童謡傷害事件が起こっているということですか」
「ええ、そうよ」


首肯してくれたのは腕組みをしたルイスだ。
お昼休みに入った教室は明るい笑い声と賑やかな気配に包まれている。
アレンの周りに集まった女子生徒たちも同じようなものだ。
話の内容が内容だけに空気を悪くするかと思ったけれど、彼女たちは意外なほど“クック・ロビンの復讐”を重く受け取っていないようだった。


「最初はただのお遊びだったの。誰がはじめたのか、急速にこの紙細工が広まって」


ルイスは制服のポケットから、例の白い紙の鳥を出してみせた。
昨日転入してきたばかりのアレンですら、もう見飽きるほど目にしてきたものだ。


「どこにでもありますよね、それ」
「誰にも気づかれないよう忍ばせるのよ。ノートに挟んだり、下駄箱に入れたり、椅子の上に置いたりして」
「それに何の意味が?」
「意味なんてないわ。相手に気取られないよう仕掛ける、っていうスリルを楽しむだけ」


そうそう、そうよね。
ルイスの言に少女たちが同意する。


「本当に、いつの間にか持ち物に紛れ込んでいるの」
「ああ、やられた!って思うわよね」
「それが悔しくて、自分からも仕掛けてしまうのよ」


なるほど、そうやって拡散していったというわけか。
クック・ロビンの紙細工を流行らせよう……そんな思惑を抱いた人物がいたとしたら、そいつは的確に集団心理を突いている。


「第一の事件が起こったのは二か月前よ」


好き勝手に喋る少女たちにかぶせてルイスが言った。
さすがは演技の訓練をしているだけはある。
皆の注意は一気に彼女に惹き寄せられた。


「被害者はフェル先生だったわ」
「フェル先生が?」
「ええ。先生は私の所属する演劇部の顧問をしてくださっているのだけれど。ある日の夜遅くに、部室の明かりが点いているのを見つけたそうなの」


アレンは無言で頷いて、ルイスに続きを促した。


「まだ誰か残っているのかと思った先生は、早く寮に戻るよう注意するため部室の中に入った。けれど人の気配はなくて、代わりに三面鏡が開いていたの。それも少しだけ、ね」
「サンメンキョウ?」
「正面と左右に鏡のある鏡台。三方から姿を見られるから、舞台化粧をするときに便利」


まるで辞書に載っているままを読み上げるようにして、説明をしてくれたのはだった。
そう、そもそもアレンは彼女と話をしていたのであって、そこにクラスの女子たちが加わってきただけなのだ。
ルイスがアレンの隣を陣取った途端、は眼鏡を掛けなおし、俯き加減に黙り込んだ。
それっきり控えめに微笑んでいるだけだ。
ようやく口を開いたかと思ったら、普段の半分の声量もなかったから、アレンとしては苦笑するしかない。


「解説ありがとうございます」
「いいえ」


他人行儀に言い交す。
ルイスはそれをなかったことにした。


「不思議に思ったフェル先生は、その三面鏡を大きく開いてみたの。そうすると、突然石が飛び出してきて、両目に直撃したらしいわ」
「目に?でも先生は」
「そう、眼鏡をかけていたから大事には至らなかったけれど」


ふぅと息を吐いた弾みで、肩の上に栗毛が流れる。
滑らかな毛先がアレンの腕を撫でた。
何となく、ルイスとの距離が近いような。


「……つまり、投石の仕掛けがしてあったってことですね?一体誰が」
「そこでクック・ロビンの登場よ。三面鏡には口紅でこう書かれていたの」


ルイスはそのワンフレーズを美しい声で歌い上げた。


「Who saw him die?“I”, said the Fly,“with my little eye,I saw him die.”」
「クック・ロビンが死ぬのを見たのは誰?“私です”とハエが言った。“この小さな目で死ぬところを見ました”」


アレンは普通に言い直して、ううむと首をひねる。


「『誰が駒鳥を殺したの?』……有名なマザーグースの一部分ですね。けれど投石の仕掛けと何の関係が?狙われたのが“目”という以外は、特に一致しないようですけど」
「さぁ、それは知らないわ。とにかくこの事件を皮切りに、誰かが童謡にかこつけて、悪質なイタズラを始めたということだけは事実よ」


イタズラ、ね。
アレンは内心嘆息する。
実際問題死にかけた身としては、生徒たちの認識は軽すぎるように思う。


「例の紙細工が流行りはじめてから、ほどなくして事件は起こった。それも駒鳥を弔う動物に見立ててね。……だからこんなウワサがたったのよ」


ルイスは声をひそめて、アレンへと囁いた。


「これはクック・ロビンの復讐だって」


くすりと耳元で笑われる。


「彼は怒っているのよ。自分を殺した犯人を、責めようともしない、弔い人たちをね」


吐息が鼓膜を震わせて、アレンは少し身を引いた。
けれどルイスが離してくれない。
いつの間にか腕に手を掛けられている。
何となくを見たけれど、彼女は斜め45度下を見つめたまま、微動だにしていなかった。


「……学園で起こった事件はそれだけですか?」


アレンはルイスではなく、他の生徒たちに問いかけた。


「第一の事件……ということは、第二から第四の事件まであったのでは?」


童謡のいうところの、
Who caught his blood? “I” , said the Fish,“With my little dish, I caught his blood.”
そして、
Who'll make the shroud?“I” , said the Beetle,“With my thread and needle, I'll make the shroud.”
さらに
Who'll dig his grave?“I” , said the Owl,“With my pick and shovel, I'll dig his grave.”
の部分である。
昨日アレンが遭遇した事件が、弔い人を歌った第五フレーズの、
Who'll be the parson? “I” , said the Rook,“With my little book, I'll be the parson.”
(誰が牧師になってくれる?“私です”とカラスが言った。“ここに小さな本があるから、それで牧師を演じましょう”)
に当てはめられていたのだから、第一のフェルディの事件との間に、第ニから第四フレーズに該当する事件が起こっているはずである。


「第ニの事件に見立てられるとすれば……魚ですよね。歌詞が“誰がその血を受けてくれた?“私です”と魚が言った。“この小さな皿で、したたる血を受け止めました”……と、なっていますから」
「それが」
「ねぇ」


少女たちがこそこそ言い合う。
アレンが視線を向けると、遠慮しながらも口を開く。


「パンだったの」
「パン?」


我ながら間の抜けた調子で訊き返してしまった。
歌詞に“血”なんて物騒な単語が混じっているから、どれだけの被害が出たのだろうと危ぶんでいただけに、アレンは口調を改められない。


「魚なのに、パン?」
「魚の形をした、パンよ」
「それもイチゴジャムたっぷりの」
「……まさかそれが、“血を受けた魚”?」


皆に揃って頷かれて、アレンは途端に馬鹿ばかしくなった。
両肩を落としているとルイスが口を挟んでくる。


「学園の購買で売られるパンは、料理部が腕によりをかけて作ったものよ。第一の事件が起こったあと、匿名で大量の発注があったらしいわ。それが、イチゴジャム入り魚型パン」
「しばらくそればかり食べてたのよ、私たち」
「まぁ、美味しかったからね」


何だって、だったら食べてみたかった。
じゃなくて。
アレンは内心で自分に突っ込みを入れる。


「それはただのイタズラじゃないですか?例の歌詞はどこかに書かれていたんですか?」
「ええ。購買のガラス窓にね」


そうなると、クック・ロビンの復讐に間違いなさそうだ。
けれど第一の事件とはかなりギャップがある。


「第三の事件は?」


歌詞的には、
Who'll make the shroud?“I” ,said the Beetle,“With my thread and needle, I'll make the shroud.”
(誰が死装束を作ってくれる?“私です”とカブトムシが言った。“この糸と針を使って、死装束を作りましょう”)
の部分だ。


「アタシたち服飾部が被害者だよ」


アレンの問いに答えてくれたのは、制服を個性的に改造しているベリーショートの少女である。
なるほど、さすが服飾部といったところか。
思わずと見比べてみる。
金髪の少女が身に着けているのは、白いブラウスと赤チェックのサロッペスカート、胸元には同色のリボン。
紺のブレザーを羽織ってきちんと椅子に座っている。
揃えられた脚は地味なハイソックスとローファーの中に収まっていた。
対して服飾部の女子生徒は、色つきのシャツにカメオブローチを留め、男子生徒用のズボンを履くという破天荒っぷりだ。


「服飾部ってのは自分たちでデザインした作品でショーを開催したり、演劇部やオーケストラ部の衣装を作ってあげたりしてるんだ。だから部室には山ほど服がある」


彼女は両腕を大きく振って、その膨大な量を伝えようとしてくれた。


「もちろんきちんと手入れして、どれも大切に保管してる。だからあんなことをされてほんと頭にくるよ」
「あんなことって?」
「衣装を針山にされたんだ」


頬を膨らませて言われた言葉に、アレンは違和感を覚える。
また。
また、だ。
ひとつひとつの事件から受ける印象がアレンの中で噛み合わない。


「針山に?……それは随分な嫌がらせですね」
「だろう?最初に見たときぞっとしたよ。何だか狂気じみていたからね」
「針だらけにされたのは、どんな衣装だったんですか?」
「演劇部とコーラス部の衣装よ」


返答はルイスから。
すまなそうに苦笑して、肩をすくめてみせる。


「悪いわね。作り直させて」
「仕方ないよ。演劇部は舞台が迫ってるんだ。コーラス部だって同じさ」


ルイスは首を振る少女に微笑んでから、アレンへと向き直った。


「第三の事件現場に残されていたのは、やっぱり第三フレーズの歌詞だったわ。“カタビラ”という服に、白い糸で文字が縫われていたの」
「カタビラ?」
「日本の衣装。着物の下に着るもので、ひとえの布製。死装束としても用いられる」


またが説明口調の発言をした。
アレンが目をやると、ちょっと気まずそうに付け足す。


「一般的には白なんだけど。第三フレーズの縫い取りがあった帷子は、真っ黒だったそうよ」
「へぇ」


それにどんな意味が?と、アレンは訊いてみたかったけれど、見事にルイスに遮られた。


「次は第四の事件ね」


勝手に話を進められてしまったので、仕方なく頭を切り替える。
第四となると、
Who'll dig his grave?“I” , said the Owl,“With my pick and shovel, I'll dig his grave.”
(誰がお墓を掘ってくれる?“私です”とフクロウが言った。“このピックとシャベルを使って、お墓を掘りましょう”)
に該当する事件だ。


「被害者はアレンくんの目の前にいるわ」


机に頬杖をついたルイスが言うから、アレンはちょっと瞠目して金髪を見た。
は相変わらず居心地が悪そうだ。
絶えず指先で眼鏡の弦を弄っている。


「……ある朝、早くに目が覚めたから。学校に一番乗りしようと思って」
「元気いっぱいで登校したら、勢い余って落とし穴にはまったそうよ」


ルイスに呆れ混じりで笑われて、は眉を下げた。


「通学路に大きな穴がいくつも掘られていたの。確か全部で十三個だったかな」
「……まさか、全部にはまったわけじゃないでしょうね」


アレンが思わず低音で訊くと、思い切り目を逸らされた。


「だって中身が何か気になったんだもの」
「中身?」
「落とし穴の底にはいろんな物が置かれていたのよ。イチゴ、オレンジ、ブドウに、例の魚型パンまであったのよね?」
「全部おいしくいただきました」


満足げに頷くを、アレンは冷ややかに見下ろす。


「得体の知れない穴に。落ちていた物を。ひとつ残らず食べた、だって?」
「ひ……っ。あ、う、えーっと……。だ、だってもったいないじゃない!」
「否定はしないけど。衛生的に大丈夫だったの」
「うん、平気。土で汚れないように、きちんと包装されていたから」
「な、何て親切な……。それクック・ロビンの復讐だったんですよね?」
「間違いないわ。最後の落とし穴の淵に、歌詞の書かれたシャベルが突き立ててあったから」


首肯するから台詞を奪うようにしてルイスが答えた。
それにしても、まるで宝探しのような罠だ。
落とし穴の底に食べ物が置いてあるなんて!


「今自分もはまりたかったなー、って思ったでしょ」
「……君だって、全部食べたいがためにわざと落ちたくせに」


が囁いてきたから、アレンも同じような音量で返す。
ちょっと面倒くさいなと思う。
いつも通りと話したくても、此処では生徒たちの目がある。
それは学校だろうと寮だろうと違いはなくて、アレンはに聞きたいことも聞けないままだった。
案の定ふたりの内緒話は女子生徒たちに邪魔される。


「アレンくん、クック・ロビンの復讐事件に興味があるのね」
「放っておけばいいわ。犯人もそのうち飽きるでしょう」
「そうそう。それより、午後の授業が始まるわよ」
「選択科目はもう決めた?」


きゃっきゃと華やかな笑い声が周りに満ちる。
アレンは何となく理解する。
皆が知らず知らずの内に手を出してしまった、クック・ロビンの紙細工。
そして起こり続ける、危険なのか遊びなのか、判断しかねる復讐事件。
この“学園”という閉じた場所では、それらを深刻に受け止めることが出来ないのだろう。
しょせん犯人は学園の中に居て、そうそう滅多なことはやらかさないと、無意識のうちに信じているのだ。
全ては内側で起きた出来事。ならば、犯人だって崩せはしないはずだ。
この完結した、自分たちだけの世界を。


もいい加減に決めちゃいなさいよ」
「そうよ。もう転校してきて二ヶ月じゃない」
「ねぇ、私と一緒に日本語の授業に出るっていうのは?」
「ああ……うん。ごめんね」


は曖昧に微笑んで片手を振った。
此処での彼女は本来の快活な性格を潜ませ、やたらと皆から距離を置いている。


「午後はその……個人的に使いたくて」
「もしかして、例の同好会?」
「えー!いいなぁ、羨ましいなぁ」
「私も入りたいわ。紹介してよ」
「あそこは留学してきたばかりの部長が、唯一安らげる場所らしいから……。彼が慣れてきたらおいおいね」


盛り上がる一同から逃げるようにして、はカバンを片手に席を立った。
もちろんアレンとは目も合わない。


「それじゃあ」


校内に響き渡る予鈴。おさげ髪が教室から出て行く。
それを見送ったルイスは、冷ややかな言葉を放った。


「授業もろくに受けずに、皆の憧れの先輩たちを独り占めしているなんて。いいご身分よね」


いやいや、あれで本人はいろんなことを我慢してるんですよ。
思いきり暴れたいとか。
女の子たちを口説きたいとか。
たぶん僕と何でもない話をして笑いたいとか。
アレンはそんなへのフォローをいくつも思い浮かべたけれど、結局口から出てきたのはこれだけだった。


「憧れの先輩たち?それって男性ですか?」


どこの馬の骨だ、このやろう。

































と話したいこと。
一つ目、クック・ロビンの復讐事件について。
事のあらましはクラスメイトから聞き出したが、どうにも腑に落ちない点が多い。
ああ見えては頭の回る方なので、アレンが一人で考えるよりも的確な、納得のいく答えを持っているはずだ。
そもそも彼女が「クック・ロビンの復讐を止めるまで、教団には帰れない」と言う理由を聞かなければならない。
そこまで解決に入れ込む理由は何だ?
ただのイタズラならば放置したっていいだろう。
はエクソシスト。此処にいる理由は任務のためで、犯人捜しではないのだから。


二つ目、任務について。
ずばり進捗具合を確認したい。
かなり珍しいことなのだが、今回は手こずっている。
此処に潜入してからすでに二ヶ月も経っているのがその証拠だ。
教団への報告には、“何者かに邪魔された”とあったが……。
誰にどう妨害を受けたのか。
アレンはてっきりソロモンの勧誘がしつこくて、任務に支障をきたしたのかと思ったのだけれど、それは本人に否定されてしまった。
……つまり、クック・ロビンの復讐事件が、任務遂行を阻んでいる?


三つ目、これは、重要。


「“皆の憧れの先輩たち”って、誰だ?」


アレンは廊下を歩きながら独りごちた。
ルイスに確認したところ、は午後の授業にも出ずに、部活認定すらされていない同好会へと入り浸っているらしい。
メンバーは三人。
つまり彼女以外の二人が、“皆の憧れの先輩たち”らしい。
ちなみに男だ。どっちも男だ。間違いなく男だ。
は毎日美男子に囲まれて、学園の午後を過ごしているようだった。


「ソロモンの誘いを断ったって、それじゃあ駄目だろう!」


アレンは独りぶつぶつ言う。
授業中で人気がないのをいいことに、苛立ちのため息を隠さない。
そして足取りの迷いも隠せない。


のやつ、どっちに行った……?」


誰にともなく問いかけてみるけれど、返ってくるは虚しい沈黙だけで、アレンは自分が迷子だということを正確に理解した。
先輩男子を侍らせているに、一発お見舞いしてやろうと後を追ってきたというのに、道のりは果てしなく遠そうだ。
行きかたを尋ねたくても現在5限目の真っ最中。
こんな時間に廊下をウロウロしている人なんて、僕以外に……


「アレンくん」


居た。
名前を呼ばれた方を振り返ると、栗毛の少女が立っていた。


「ルイスさん」


アレンは驚いて目を見張る。


「どうしたんですか?授業は?」
「抜けてきたわ。もう単位は取っているし。趣味で選択しただけの教科だったから」
「そうですか……。あ、そうだ」


予想外のルイスの登場を受けて、アレンは思わず助かったとばかりに言った。


「すみません。が所属している、同好会の活動場所って知っていますか?」
の?どうして?」
「あぁ、僕は彼女を探して……」


そこまで口にして、アレンは言葉を止めた。
微笑んだまま「しまった」と思う。
にこやかだったルイスの顔が、途端に冷ややかになったからだ。
そういえば、彼女たちは仲が良くないのだった。


を探している?どうしてかしら」
「え、えーっと……。ちょっと用事が」
「なぁに、それ」
「大したことじゃありませんよ。そういうルイスさんは僕に何かご用ですか」


とにかく話題を変えた方がいいと英国紳士の直感で知ったアレンは、この世の憂いを吹き飛ばすような微笑を浮かべた。
誤魔化せ、全力で誤魔化せ。
だってルイスの機嫌を損ねると、にとばっちりがいきそうだ。


「……私は部室に行くところよ。そうしたらあなたの姿が見えたから」


ルイスは冷たい表情のまま、腰に手を当ててみせた。
見事にくびれたラインに白い指先が沿う。
や神田のせいで鈍感になりがちなアレンの目から見ても、ルイスは相当な美貌の持ち主だった。
すらりと背が高く、スタイルもいい。
雰囲気で言うとセイに近いかもしれない。
いいや、もっと似ているのは、


「……瞳の色」
「え?」
「綺麗な蒼ですね」


アレンは無意識に言ってしまいながら、一度だけ見たルル=ベルの疑似を思い出す。


(グローリアさんに、似てる)


アレンですらそう感じるのだから、は当然だろう。
もしかしたらルイスに嫌われることは、彼女にとって想像以上に痛いことかもしれなかった。


「眼だけ?」


ルイスは半眼になって、ふふんと笑った。
アレンはを思って睫毛を伏せた。


「いいえ。あまりに美しいから、口にしてしまっただけです。まるで誰も行くことのできない、煌めく海の底のようだ」
「あら、詩人」
「気に入っていただけました?」
「それはあなたの返答しだいかしら」


真っ直ぐな亜麻色の髪を揺らしながら、ルイスはアレンの目の前まで歩いてきた。
少し身を乗り出して顔を突き合わせる。
鼻先が触れそうなほどの距離だったから、アレンは自然と後ろに退がった。


「……何か?」


何となく身構えるアレンに、ルイスは満面の笑みで言う。


「あなた、舞台に興味はない?」
「は?」


紅く艶やかな唇から飛び出してきた言葉は完全に予想外のものだった。
アレンはもう一歩後退する。
ルイスはその間に三歩進んで距離を詰めてきた。


「一目見たときから思っていたの。アレンくん、私の相手役になってくれないかしら?あなた今度の演目にイメージがぴったりなのよ」
「今度の演目って……」
「ああ、もちろんクリスマスには間に合わないわ。年明けの話よ。『ロミオとジュリエット』」


そう続けながらもルイスの眼はアレンを観察していた。
顔のパーツをひとつひとつ丹念に視線で撫でられているのがわかる。


「そんな、無理ですよ」
「どうして?」
「演技なんてしたことありません。それに、ルイスさんの相手役ともなると、主役級でしょう?」
「ええ、それはもちろん。演ってほしいのはロミオよ」
「ほら、とても僕なんかじゃ務まりませんよ」


何て無茶を言い出したのかと、半ば呆れ気味にアレンが吐息をつけば、ルイスは自信満々に胸を張ってみせた。


「心配しないで、脚本は変えてあるから。ほとんどは私の演じるジュリエットしか出ないわ」


それはそれでどうだろう。
どうやらこの学園の演劇部は、ルイスのために存在しているようなものらしい。
いかに彼女の魅力を伝えるかに力を注いでいるのだろう。
そうでなければ、『ロミオとジュリエット』をヒロインの独壇場になどしないはずだ。


「もちろんそれなりには出てもらうけど。私が指導すれば一カ月もかからないはずよ。……ねぇ、お願い。私のロミオになって?」


ルイスは指を組み合わせて小首を傾げてきた。
窺うような視線で顔を覗き込まれる。
潤んだ瞳の上目づかい。狙いはわかっていても、完璧に“可愛い”。
はこういう風に自分の外見を武器にして、物事を有利に運ぼうとはしないから、何となく新鮮な気持ちになる。
彼女も少しはルイスを見習った方がいいかもしれない。
アレンは思わず苦笑した。


「そうは言っても、問題があるでしょう?」


情けない笑みを自覚しながら、アレンは自分の左頬に触れた。


「ここに大きな傷跡があるんです。……こんな顔の男が舞台には立てませんよ」
「あら、そんなことを気にしていたの?」


ルイスは驚くほどあっさりと言い切った。


「重要なのは心の在り方よ。そこから醸し出される人間性。私はあなたのそれを、ロミオにぴったりだと思ったの。顔の傷なんてどうだっていいわ」


先刻までの殊勝な演技を止めて、彼女は真っ直ぐな瞳をアレンに向ける。
表情は真剣そのものだ。


「私は“ジュリエット”。身を焦がす愛に、身分も家族も捨てて、恋人を選ぶ。深い苦しみに犯されながらも、共に生きる希望を掴み取ろうとする。……あなたがそうさせるのよ、“ロミオ”」


アレンは我知らずに息を止めた。
ルイスの白い手が胸元に当てられる。
そのまま流れる動作で吐息を感じるほどに接近された。
長い睫毛の下の蒼い双眸。唇の熱が、近い。


「私を“ジュリエット”にして。アレンくん」


ぞっ、と。
あまりに緩やかに鳥肌が立って、アレンは咄嗟にルイスの腕を掴んだ。
そのまま距離を取って離れる。


(とんでもないな……。さすがは銀ボタンってやつなのか)


一瞬でもルイスの演技に呑まれた自分を叱咤しつつ、アレンはやんわりと彼女を遠ざけた。


「……ごめんなさい。やっぱり僕にはできません」
「ほらね。あなた、好きな人がいるでしょう」


ルイスがずばりと言った。アレンはわずかに肩を揺らす。


「それがいいのよ。恋をしている人を相手にしたいの。特に、あなたみたいな優しげな外見の男性が、たった一人の女性に焦がれているっていうのが堪らないのよね」
「……ルイスさんの思い込みです。僕は別に恋なんて」
「私に迫られて拒否するってことは、他に好きな子がいるってことよ。違う?」


アレンがどうにか誤魔化そうとすれば、ルイスは当たり前のことのように言い切った。
素晴らしい断言ぶりだ。
そして素晴らしい自信だ。
それを笑い飛ばせない美少女だということが何ともいえない気分にさせる。
というか、僕の恋心は見抜かれ過ぎじゃないのか?
プシュケからはじまって、セイにルイス。
本当に、女の人って、怖い。


「アレンくん」


笑顔で圧力を掛けながら名前を呼ばれた。
アレンも同じ表情のまま後ずさる。
そして、


「逃がさないわよ!」
「逃げますよ!!」


ルイスが手を伸ばしてきたので、踵を返して走り出した。
だって捕まったら本当に相手役をさせられそうだ。
ルイスの演技はさすがというべきもので、やたらと神経を揺さぶってくる。
そんな調子で、の口から聞きたい言葉を、延々と囁かれてみろ。
あまりにも辛すぎる。


「待ちなさい!!」


ルイスが響く声で命令してくるけれど、アレンは廊下を駆け抜け、一気に階段をくだる。
……フリをして、踊り場の窓から中庭へと飛び降りた。
膝を曲げて着地の音を殺す。
校舎の壁にはりつくと、耳をそばたてて、追跡の足音が一階に向かったのを確認。
はぁ、と大業なため息をついた。


「まいったな……」


どうやらとは別の意味で、自分もルイスに目をつけられてしまったらしい。
彼女は自己主張のはっきりとしたタイプだし、演技に対してはプライドもあるだろう。
この件に関してアレンに譲ってくれるかどうか。


「まいったなぁ」


深々とした嘆息は、一瞬自分のものかと思えた。
心の中で呟いたのと本当に同時だったのだ。
けれど声が違っていたから、アレンは横手を振り返る。
午後の陽の光に輝く赤金の癖毛。半分にされた琥珀色の瞳。
壁面に背中をあずけて、彼はそこに蹲っていた。


「これじゃあ、ベティに会いに行けないじゃないか」


弱り切った様子で呻いたのは、どこからどうみてもソロモン・シャフトーだった。
アレンは何度か瞬いて確認。
憂いを帯びた美しい顔も、制服に並んだ金ボタンも、彼がソロモン本人だと告げている。


「あぁ、愛しのベティ……」


悩ましげなため息をつく唇が、の頬に触れたのを、僕は確かに見たはずだった。


「ベティって、誰ですか?」


反射的に問いかけていた。
ソロモンも同じような調子で返す。


「俺の馬だよ。相棒でもある。純白の毛並みに、漆黒の蹄を持つ、この世で一番美しいレディさ」
「……う、うま?れでぃ?」
「走るときの音色が堪らないんだ。前後の蹄で純正律の和音を奏でながら、一気に音階を駆け上がる」
「はぁ……」
「少し調子が悪いと十二平均律になるけれど、それはそれで実に趣のある音なんだ」
「そ、そうなんですか……」
「いつもの周波数比からずれ、それによって生じたうなりが、程良いヴィブラートとなってこの身を抱きしめ……」
「……………………………」
「…………、いつからそこにいた?」


あまりにソロモンが意味不明な発言をするので、アレンは冷や汗をかいて黙り込んだ。
そうすればようやく彼もこちらに気が付いてくれたようである。
目を真ん丸に見開いてアレンを見、慌てたように立ち上がった。


「確かルイスのクラスの転校生だったな。すまない、つまらない独り言を聞かせてしまっ……」
「ソロモン様ー!」
「どちらにいらっしゃいますかー!?」
「げっ」


遠くから届いた呼び声に、ソロモンは美少年にあるまじき呻きを漏らした。
すぐさま元のように屈みこむ。
アレンが呆気に取られていると、必死の形相で手を振られた。
どうやら“お前も隠れろ”と言いたいようだ。
同時にルイスが連呼する自分の名前も聞こえてきたものだから、アレンはソロモンの指示とは関係なく、急いでその場にしゃがみこんだ。


「あら。ルイスさん」
「ああ、ソロモンの親衛隊の」


二人が身を隠した壁の向こうで、ルイスと女子生徒たちが鉢合わせたようだ。
それを聞いてアレンは隣を見やった。
ソロモンの親衛隊って……。
視線で問いかければ当の本人は膝に顔を埋めてしまった。


「ルイスさん、ソロモン様を見かけませんでした?」
「いいえ。あなた達こそ、アレンくんを知らない?昨日転校してきた、白髪の男の子なんだけど」


今度はソロモンがこちらを見た。
意外そうに眺められたから、アレンはぶんぶんと首を振っておく。


「そんな男の子、見ていませんわ」
「そう……。お互いに逃げられたようね」


ルイスと女子生徒たちはため息をこぼし合うと、互いの健闘を称えて別方向に歩いて行った。
諦めたわけではないだろうけれど、とりあえずは目の前の危機が去ったので、アレンとソロモンは揃って肩を落とす。
何となく顔を見合わせて苦笑した。


「助かりました……ね」
「ああ、そのようだ」


ソロモンはそのまま地面にあぐらをかいた。
お金持ちのお坊ちゃまがする行動ではない。
けれど彼はこだわらない様子で、ポケットからチョコレートを取り出してきた。


「一息つこう。食べるか?」
「ありがとうございます」


アレンは素直に受け取って、それを口に放り込んだ。
途端に妙な刺激が舌を刺す。
ソロモンは眉をしかめている。


「何だこの味は。ジャックのやつめ……、食べ過ぎだと取りあげてやったのに。まともな菓子ですらないとはな」
「あはは……。お菓子なら僕のをあげますよ」


アレンは非常食として持っていた棒付きのキャンディーをソロモンに差し出した。
彼はそれを受け取ったけれど、まじまじと眺めるばかりで口にしない。
よく考えたら、こんな子供っぽいお菓子は、次期侯爵様が食べるものではないかもしれない。
アレンは棒を摘まんでキャンディーを口から離しながら言った。


「いらなければいいんですよ。気にしないで」
「いや、食べる」


ソロモンは変に強張った様子で頷くと、一気に包装を剥いでキャンディーを咥えた。
目を見開いたかと思うとすぐさま脱力する。
そうして破願した。


「うまいなぁ、これは。初めて食べたよ。シェフの作る菓子とは大違いなんだな」


どうやら気に入ってくれたらしい。
アレンも釣られて微笑んだ。


「ね、おいしいですよね。これで本当に一息つける」
「ああ。……一度食べてみたかったんだ、こういう絵本に出てくるような菓子。棒付きキャンディーにピンクのわたあめ、色とりどりのクッキー」
「あとは、お菓子の家とか?」
「そう!魔女と会うのは絶対にごめんだが、子供のころはヘンゼルとグレーテルが羨ましかった」


ソロモンは声を立てて笑うと、再びキャンディーを舐め始めた。
しばらく無言でそれを味わう。
最初と比べて半分ほどの大きさになったところで、アレンは隣の彼へと訊いてみた。
との一件があるが、地べたに並んで座って、同じお菓子を味わう少年に対して、自然とそうしてしまっていた。


「ところで、ソロモンはどうして逃げていたんです?」
「……お前こそ」


また、しばらく無言。
キャンディーにちゅっとキスをして、ソロモンは嫌そうに唇を開いた。


「……自分で言うのも難だが」
「はい」
「この学園には、ソロモン親衛隊、というのがいてな」
「さっきの女の子たちですよね」
「ああ。……俺を慕ってくれているらしいが、こうも毎日追いかけまわされては身がもたない」


つまり、ファンクラブの面々の相手をするのが面倒になった、ということみたいだ。
ソロモンは本当に億劫そうな口ぶりで続けた。


「今日だって、5限目が自習になったから、ベティに……俺の愛馬に会いに行こうと思ったのに」
「あの有様ですか」
「そうだ。彼女たちの気持ちはうれしい。だが、どうにも俺は不協和音を奏でる輩が苦手でな」


女の子たちの黄色い悲鳴を、不協和音と言うとは。
アレンはソロモンのモテっぷりを妙なところで納得した。
ついでにその感性が一般のものと随分かけ離れていることも。


「ベティの奏でる美しい純正律は、一心に聴くべきものだ。そうだろう?」
「え?ええーっと……」
「だというのに、調律されていない声で掻き乱すとは……。音楽への冒涜にも等しいぞ!彼女たちはせめて簡単な和音でも身につけてから話してもらいたいものだ」
「そうなると、僕も黙ったほうがいいですか……?」
「いや?お前からノイズは聞こえない。一貫して穏やかな音を保っている」
「はぁ……。自分じゃわかりませんが」
「ちなみに俺の一番の理想は、長調Uの第七副音を出せる人だ」
「今度こそまったくもってわかりませんが!」
だよ」


理解し難い会話の中で、唐突にその名前が出てきたので、アレンは一瞬息を止めた。
ソロモンがキャンディーを舐めあげる。
その舌は着色料で真っ赤になっていた。


「彼女の声、吐息、心音……すべてが見事に調和している。あれほど優美な旋律を奏でられる人間がいたとはな……」


陶酔したかのように、うっとりと目を閉じた、ソロモンの横顔を見つめる。


「本当に素晴らしい。彼女は生きた音楽、完璧な芸術品だよ」
が?」


アレンは思い切り怪訝な声を出してしまった。
ソロモンが目を開けて振り返ってくる。
お互いが困惑に眉根を寄せていた。


「どうした、急に音色が乱れたぞ。お前、意外と振れ幅がひどいな」
「だって、ソロモンが変なことを言うから。ですよ、。あの無駄に元気でいらないことばっかりやらかす、万年暴走娘!それがそんな綺麗な音を出せるはずが」
「……誰のことを言っている?」


今度は顔までしかめられたので、アレンはハッとして口をつぐんだ。
そうだった。此処でのは地味で大人しい、一般的な女子生徒を演じているんだった。


「そ、そういえば!」


アレンは誤魔化すために声を張った。


「僕はを探していたんです」
を?じゃあ何故ルイスに追われていたんだ?」
「う……っ。ま、まぁいろいろありまして……。それよりソロモン、彼女が所属している同好会を知っていますか?」
「ああ、それなら」


ソロモンはそこで不意に手を動かした。
腕を伸ばして真っ直ぐ前方を指差す。
もう片方の手で棒付きキャンディーを振りながら言った。


「ちょうどいいところに通りかかった。彼が部長だよ」


アレンはソロモンの指揮に合わせるように、彼のしなやかな指先を辿って、限界まで目を見開いた。
中庭を歩いていたその人物は、美しい黒髪の青年だった。
艶やかなそれを首の後ろで結い、ブレザーの背に流している。
窮屈なのが嫌なのか、ネクタイは取り払われ、第二ボタンまで開けられたシャツ。
その隙間からわずかに覗いた刺青には見覚えがある。
邪魔くさそうに教科書を小脇に抱え、大股でずんずん歩いていく彼に、ソロモンが声をかけた。


「やぁ、今から同好会の活動か?」


黒髪の青年は足を止めて首を巡らせた。
こちらに向けられた顔は刃を思わせる端正さだ。
その瞳でアレンを認めると、盛大な舌打ちをする。
ソロモンは苦笑しながら立ち上がった。


「初対面だろう、そう邪険にするものじゃない。彼は転校生だよ。名前は確か……アレンだったな?」


そう水を向けられて、アレンもゆっくりと起立する。


「ええ。……アレン・ウォーカーです」


名前を名乗って手を差し出そうとすれば、それより早くこう言い捨てられた。


「誰がお前と握手なんてするかよ」


それはこっちの台詞だ。
アレンは眼前に立った青年を笑顔のまま睨み付けた。


「随分なご挨拶ですね。先輩」


嫌味を込めてそう呼んでやると、青年の眼光も鋭さを増す。
ソロモンは相変わらずキャンディーを舐めながら言った。


「おやおや、初めて会ったとは思えない音のぶつかり合いだな。相手を威嚇する視線、殺した息、押し込めた心音……。なかなかの闘争曲だ」
「お前はくだらないことを口走るな」
「すまない、作曲をするときの癖でね」


赤金の髪を揺らしてソロモンは肩をすくめてみせた。
キャンディーを持っていないほうの手で青年を差し、アレンに向かって言う。


「こちらはユウ。ユウ・カンダだ。ファーストネームで呼ぶと、凄まじい怒りを発してくれるぞ」
「つまり絶対に呼ぶなということだ。お前も面白がって口にするのは止めろよ」
「わかった、わかった。……アレン、神田は高等部の3年生で、俺のクラスメイトだ。日本から来た留学生だから、まだ英語が完璧じゃない。たまに無視されるが悪気はないんだ。気にすることはないよ」
「……絶対わざとでしょう、それ」
「ああ?何か言ったか?聞き取れなかったな」


アレンが低音で呟けば、神田は即座にそう返してきた。
その態度には腹が立つが、人付き合いの悪い彼のことだ。
確かに聞こえない振りをしたほうが、此処では角が立たないかもしれない。


「最初はもっとひどかったぞ。筆談しか受け付けてくれなかったからな」
「ええ?いくらなんでもそれは」


アレンは呆れ返って神田を見やった。
当の本人はふんっ、とそっぽを向いてしまう。


「話せるようになったのは、が転入してきてからだよ」
「……ほんと、いくらなんでもそれは」


露骨すぎるだろう。
続いたソロモンの言葉にアレンは思う。


「彼女は神田の母国語が話せたからな。二人はすぐにうち解けて、お互いに言葉を教えあっているようだ。同好会はその延長だろう」
「……と、いうことは」
「そう、彼らが所属するのは“日本語同好会”だ」
「うわぁ、興味ない」
「安心しろ。テメェなんか頼まれても入れてやらねぇよ」


思わず本音を漏らすと、すぐさま切って捨てられた。
神田はもう一度アレンを睨みつけると、ソロモンに別れも告げずに歩き出す。
その後を追えばきっとのところに行けるだろう。
けれど嫌だ。何か嫌だ。
自分のプライド的に許せない。


「いいのか?部長が行ってしまうぞ」


ソロモンが傍で首を傾げているから、返事代わりにキャンディーを噛み砕く。
イライラを乗せて咀嚼した。


「いいんです。馬の骨その二に案内させますから」


を囲んでいる馬の骨。ルイスの言うところの “皆の憧れの先輩たち”。
そのうちの一人が神田だったなら、もう一人の正体は決まっている。
タイミングよく彼の声が聞こえてきたから、アレンは鬼の形相でそちらを振り返った。


「………………………」


そしてちょっと絶句した。


「だーから!纏わりつくなっつてんだろ!!」
「そんな、アニキ!」
「釣れないこと言わないでくださいよぉ」
「俺たち一生あんたについて行きますぜ!!」


中庭を歩いてきたのは赤毛の青年だった。
一応指定のシャツは着ているものの、色つきのインナーが透けて見えている。
ボタンは全開。ブレザーは腕まくりされていて、手首につけたアクセサリーがジャラジャラと音をたてる。
腰に巻かれたベルトも、踵を踏みつけた靴も、校則違反に違いなかった。
彼を見ていると、先ほど神田の格好がマシに思えてくる。着崩し方が段違いだ。
しかも耳には輪っかのピアス、顔には医療用の眼帯をつけているのだから、余計にひどく感じられる。


「オマエら全員ついてくんな!俺は今から部室に行くんさ!!」
「それでしたらそこまでお見送りを!!」


赤毛の青年が咆えれば、即座にそう返される。
彼の後を金魚の糞のようについて回っていたのは、どこからどう見ても素行の悪そうな少年たちだった。
はっきり言って不良だろう。
わざわざ長学ランを着ている者までいたから、アレンは変なところで感心してしまった。


「……あれは?」
「この学園の問題児集団だ」


半眼になってソロモンに訊くと、彼は至って普通に応えた。


「ああいう輩はどこにだっている。もちろん、この学園にもな。彼らは例に漏れず徒党を組んで、他の生徒に絡んだり、授業をボイコットしたりしていたんだが」
「……だが?」
「彼が不良たちを纏めあげてくれたんだよ」


ソロモンはそう言いながら、赤毛の青年に片手を振ってみせた。


「ラビ!今日も精が出るな」
「んなんじゃねぇさ!こいつらどこまでもついて来るからもうホント迷惑……」


そこで勢いよく振り返った彼と、アレンは思い切り目が合った。
途端に硬直される。
冷や汗を浮かべながら凝視されたから、アレンはにっこりと微笑んでやった。


「どうも、こんにちは」
「あん?何だこいつは」
「ラビさんにガンとばしてんじゃねぇよ」


普通に挨拶をしただけなのに、何故だか不良たちに取り囲まれる。
先ほどの神田の件もあって、どうにも機嫌の良くないアレンは、表情はそのままに思わず言ってしまった。


「は?」


そこ潜ませた強い苛立ちが伝わったのだろう、不良たちが一気に身を引いた。
それでも逃げるわけにはいかないので、ビビりながらもアレンに凄んでみせる。


「おうおうおうおう、何だその態度は」
「舐めてんじゃねぇぞ、コラ」
「そのお綺麗な顔に傷でも作ってやろうか、ああん?」
「それなら間に合ってます。あと、僕転校二日目でまだよくわからないんですが」


アレンは小首を傾げて微笑んだ。


「これ、いじめですか?いじめですよね?そういう調子に乗ったことされると、転校生の不安定な気持ちのせいにして、うっかり非道なことをしてしまうかもしれませんが、正当防衛ってことでどうぞご了承くださいね」


流れるようにそう言いながら拳を固めたところで、不良集団の前にラビに飛び出してきた。


「阿呆!オマエら、魔王にケンカ売ってんじゃねぇ!!」
「ま、まおう?」
「あ……、あぁ、違った!転校生!転校生に絡むな!!」


アレンがぎろりと睨み付けると、ラビは真っ青になって訂正を入れる。
両者を無理やり引き離し、アレンを背中に庇うと、少年たちに向かって言い放つ。


「いつも言ってんだろ、他人様に迷惑かけんな!理由もなく突っかかんな!女の前以外でカッコつけんな!両親と教師を敬え!お年寄りを大事にしろ!雨の日に捨て犬を拾え!!」
「それただのいい人じゃないですか」


アレンは思わず突っ込んだけれど、ラビは返事もせずに続けた。


「……いいか、オレは今からコイツに詫びを入れる。オマエたちのしたことに落とし前をつける。それを見られるわけにはいかない」
「ラ、ラビさん!」
「そんな、俺たちのために……っ」
「わかったら、とっとと行けって」


翡翠の隻眼を半分にして、彼は心底面倒そうに言ったけれど、不良集団は揃って感動の涙を浮かべていた。
アレンは満面に呆れの色を浮かべていた。


「すみません、アニキ!ありがとうございやす!!」
「おい、トロトロすんな!引き上げるぞ!!」
「ラビさん、また明日!少年ジャーンプと焼きそばパンをお持ちしますからね!!」
「それじゃあ俺らはこれで!」
「「「「「失礼しやっす!!!!」」」」」


少年たちは揃って90度のおじぎをすると、名残惜しげな視線をラビに向けながら、ぞろぞろと校舎のほうへ引き上げていった。
それを見送ったアレンは言う。


「お詫びは焼きそばパンでいいですよ、アニキ」
「うーわー、もうマジごめんさー」


ラビはくるりと振り返って、拝むように掌を合わせた。
ソロモンがおかしそうに笑う。


「不良集団のボスがそう簡単に頭を下げていいのか?」
「からかうなよ、ソロモン。オマエは知ってんだろ。どうしてオレがこんな目にあってんのか……」
「どういうことです?」


アレンが腕組みをして促せば、ラビではなくソロモンが口を開いた。


「ああ、紹介が先だな。彼はラヴィウス。ラヴィウス・ラ・ララム・ラキーム・ラディノだ」


誰だそれ。
アレンはそう思って怪訝な目で赤毛を眺めてしまった。
彼は気まずそうに両手の人差し指を突き合わせている。


「通称ラビでーす……」
「発音が面倒だからな。みんなそう呼んでいるよ」
「むしろ何故そんな長ったらしい名前になったのか心底疑問なのですが」
「文句ならに言えよ」


ラビはアレンにしか聞こえないようにぼそりと呟いた。
どうやらこの変てこな偽名はの案らしい。
それはそうとして、受け入れてしまったラビにも問題があると思う。


「彼も高等部の3年生、俺のクラスメイトだよ。神田と同じ時期に転校してきたのだが」


ソロモンは舐め終えたキャンディーの棒を、まるで指揮棒のように振ってみせた。


「神田は見た目も態度も目立ってしまう性質タチだろう?だから不良どもが突っかかっていったのさ。そして、返り討ちにされた。それも目にも止まらぬ一瞬の早業でな」
「……おかげでアイツら、自分たちが誰にぶっ飛ばされたのかわかってなくって。意識を取り戻したときに傍にいた、このオレの仕業だと思い込んじまったんさ」
「とんだ勘違いですね!」


アレンは思わず声をあげてしまった。
だってこの学園の不良たちを締め上げたのは、実際のところ神田なのである。
それがよりにもよってラビの功績になってしまうだなんて。


「だってアイツら否定しても信じてくれないんだもん!オレはただ、ユウが放置しちまったから、仕方なく保健室に運んでやっただけなのに!!」
「その親切が裏目にでたのさ。留学してきたばかりの転校生を庇って、喧嘩を吹っかけた自分たちを瞬殺し、その後介抱して“もう無駄な争いはするな”と諭してくれた、漢気あふれる“ラビ”アニキ。これはすでに彼らの中で揺らぐことのない信仰だよ」
「っつ……あー!もう!カンベンしてくれさ!!」


ラビは涙目で叫んで頭を抱えると、いつものバンダナがない赤毛を、両手でぐちゃぐちゃに混ぜた。
アレンは吐息混じりに言う。


「いいじゃないですか。誰の言うことも聞かなかった不良たちが、君の意見には耳を傾けるようになったんでしょう?」
「ああ、こちらとしては大助かりだ。父上……理事長も、お前には感心していた」


ソロモンも頷きながら礼を口にする。
考えてみれば非常識な神田の下につかれるよりが、ラビのほうがよっぽどよかったのではないだろうか。
アレンはそう思ったのだけど、当の本人に食ってかかられる。


「あんな強面のやつらに四六時中付き纏われてみろ!怖いだろ!普通に怖いだろ!!」
「そうですか?」
「オマエはそうじゃなくても、他の生徒がそうなんさ!おかげでオレはみんなに敬遠されちまったんだよ!女の子なんて寄り付きゃしねぇ!!」
「それが本音ですか」


顔を覆っておいおい泣くラビに、アレンは冷ややかな視線を浴びせた。
この馬鹿ウサギ、何をそんなに嘆いているかと思えば、相変わらず女性絡みだったか。


「せっかくの学園ライフなのに!女の子がわんさか居るのに!誰一人としてお近づきになれんさー!!」
とは仲がいいじゃないか」
「アイツは別!!!!」


ソロモンのフォローをラビは大声で否定する。
おかげでアレンは冷たい眼差しに殺気まで混ぜてしまった。


「へーえ……、僕が会えなかった2カ月間ずーっと一緒だったくせに?そんなこと言っちゃうんですか言っちゃうんですね、なんていいご身分なんだろう!」


本人にしか聞こえないように低音で言ってやれば、ラビは真っ青になって震えあがった。
腕組みをしたまま顎をあげて見下ろすアレンの肩をガッと抱く。
わざとソロモンのほうに方向転換してから言った。


「そういやぁ、どうしたんさ転校生!オレになんか用事さ!?」
「そうだ、ラビ。アレンはを探しているらしい。同好会の活動場所まで連れて行ってやってくれ」
「お安い御用さ!」


ソロモンがアレンの代わりに願い出れば、ラビは元気よく応えて歩き出した。
もちろんアレンの肩を抱いたままだ。
それが鬱陶しかったので、思い切り足を踏んで離れさせた。
何だか悲鳴が聞こえたけれど、無視して後ろを振り返る。


「ソロモン、ありがとうございました」
「いいや。お前と話せて楽しかったよ」


赤金の髪の少年は、少しだけ照れたように微笑んだ。


「こちらこそ、キャンディーをありがとう。またな」


ソロモンは颯爽と身を翻す。
そういった動作のひとつひとつに無駄がなく、洗練されていて美しい。
ひらりと片手が振られた。


によろしく」


笑顔で見送っていたアレンは、その言葉に瞳を細めた。
ソロモン。
現理事長の息子で、未来の侯爵様。
さすがは指揮者兼作曲家というべきか、話す内容には音楽用語が多く、感性も理解しがたいものがあった。
けれど。
けれど、彼の印象は、最初と随分違ってきていた。
それはファンの女の子から必死に逃げていた事実や、気にするでもなく地面に座り込んだ姿や、安っぽい棒付きキャンディーを大喜びで食べてくれたことが原因だろう。
自分の身分を鼻に掛けず、屈託なく振る舞う姿勢には、間違いなく好感が持てた。
育ちの良さと性格の穏やかさを滲ませた笑顔が、アレンの意識から消えない。


「ソロモン・シャフトー……か」


疑いのない愛情で育まれた少年。
誰にも非難されずに、陽のあたる場所で生き、未来さえも約束された人間。
僕とは……、いいや、“僕たち”とは大違いだ。
ソロモン・シャフトーというのは、対峙する者に親しみと尊敬、そして僻みにも似た気後れを抱かせる人物だった。


「あんな人が本当にいるんですね」


人生において欲しいものを全て持っているような。
アレンが小さく呟けば、ラビは肩をすくめてみせた。


「オレたちとは別世界の人間さ」


確かにそうだと思って、アレンは首を振った。


「ここでだけの出逢いです。友達になってみたいな」


そうして歩き出しながら、独り言のように付け足した。


に恋をしていないのなら、ね」










神田先輩とラビ先輩登場。(笑)
学園でのイメージは、神田⇒寡黙でミステリアスな留学生、ラビ⇒泣く子も黙る不良のボス です。
とんだ勘違いですね!byアレン
公式パロ(Dグレ学園)と被らないようにしようと思ったらこうなりました。
あとはソロモンですね。相変わらずぐいぐいきてます。
前回の反省を生かしてキャラ付けしてみたら、びっくりするくらい書きやすくなりました。
よろしければ可愛がってやってください。

次回はアレンが日本語同好会に乗り込みます!よろしければ引き続きどうぞ。