可愛いマフェットお嬢ちゃん。
蜘蛛の巣に囚われてみればよかったのにね。
そうすれば羽根をもいでもらえたのにね。


そのきらびやかな紗で隠した、ちっぽけな自分に気づけたのにね。







● マザーグースは放課後に  EPISODE 4 ●







「かんだー!ラビー!聞いてよ、アレンってばどこにもいな……い……」


むくれたように落ち込んだように言いながら、引き戸をスパンと開け放ったの声は、徐々に小さくなって最後には沈黙に変わった。
アレンが振り返れば、金の瞳が何度か瞬く。
そして大きく見開かれた。


「何してるの?」
「土下座」
「オレがな!!」


の疑問にアレンが応えれば、床の上からラビが咆えた。
そのとき身を起こされたから、即座に右脚を振り下ろす。
ガスンッという破壊音を響かせて、ラビの体すれすれに踵をめり込ませた。


「誰が顔をあげていいって言いましたか」


アレンは満面の笑みでラビに問いかけた。
赤毛の青年は正座したまま縮みあがり、再び額を床に押し付ける。


「スミマセンっしたー!!」
「よろしい」
「いや、よくないよ。腹黒魔王的にはいいかもしれないけど、さん的には意味不明だよ」


涙ながらに謝罪するラビと、満足げに頷くアレンを見て、は冷や汗を浮かべている。
俺は関係ないとばかりに窓辺で遠くを見ている神田に問いかけた。


「これ、どういうこと?」
「俺に訊くな。目の前のものが全てだ」
「……私の目がおかしくなければ、さんざん探し回っても見つからなかったアレンが、すでに日本語同好会の部室にいて、久しぶりに会ったラビに土下座させているように見えるんだけど」
「ああ、それ以上でもそれ以下でもねぇよ」
「……………もうさぁ、なんて言うかさぁ」


は半眼になって二人を見やったが、すぐに顔を逸らして妙に明るい声で言った。


「涙と笑顔で彩られた、感動の再会シーンだね!なんてあつい友情なんだろう!眩しすぎてとても直視できないよ!!」
「見ろ!こっち見ろ!オマエのせいでオレが殺されかかってる様を、しかとその目に焼き付けろ!!」


土下座したままラビが泣き叫ぶ。
その間には靴を脱ぐと、身軽に段差を昇ってきた。


「そんなことより、アレン」
「そんなことより!?親友の窮地を言うに事欠いて!!」
「ほら、どいて。そこ座る場所じゃないから」


促されてアレンは自分が腰かけている物を見下ろした。
正方形のテーブルだ。やけに背が低い。
しかも机板と脚の間に、綿の入った布団が挟み込まれている。


「これ、何?」
「コタツよ。日本の伝統的な暖房器具」


はいそいそと腰を落とし、足を布団の中に入れた。
ちなみに神田も先刻からそうしている。
アレンは二人に倣って床に直接座り込んだ。
正しくは草で編まれた、敷板のような物の上にだが。


「やっぱり冬は畳にコタツよね!」


どうやら独特の匂いと手触りがするこれは、“タタミ”というらしい。
の満足そうな顔を眺めながら、畳に正座してコタツに入ってみる。


「……あったかい」
「いやぁ、一度入ったら抜け出せない罠だよ?ヘタレ兎もラストサムライも腹黒魔王も、全員まとめて無力化しちゃうこと間違いなし!」


そこで三人は同時に蹴りを繰り出した。
痛みに跳ね上がったは、さらにコタツの天井板に膝をぶつけて悶絶する。
畳の上を転がりまわる馬鹿に、アレンは普通に問いかけた。


「それで、君は今までどこに行っていたの?僕ずっと探してたんだけど」
「心身をとろかすコタツの魔力に抗うとは……!なに?あんたたち心が凍えてるんじゃないの?勇者のあっついハートで浄化させてあげようか?」
「はいはい、君は心が蒸発して脳みそが沸いてるんですね。いいから質問に答えろ」


そこでにっこりと微笑んでやれば、が飛び起きた。
長年の勘で身の危険を察知したらしい。
その横手でラビがコタツに入りながらぶつくさ言う。


「部室にいるからって連れて来たのに、オマエがいなかったもんだからさー」
「ああ、すれ違いになっちゃったのね……。私もアレンを探しに行ってたんだけど」
「おかげでオレが責められたんだぜ!?」
「それで正座に土下座?」
「そう!ひどいだろ!?久しぶりに会ったってのにこの仕打ち!!」
「あ、ラビ。みかん取ってー」
「喉が渇いた。茶を淹れろ」
「何だか足が痛いのでクッション貸してくれません?」
「誰か聞けよ!!!!」


ラビは涙ながらにアレンの所業を訴えたのに、本人を含む全員に無視されたので、ますます声を張り上げた。
その間も左手でにみかんを放り投げ、右手で急須に湯を注ぎ、続けて押入れから座布団を引っ張り出してくる。
ちなみに部員である三人の分はすでにあるから、アレンだけにそれを手渡した。
そのときちらりと押入れの中が目に入って、アレンは感心の吐息を漏らした。


「すごいですね、この部室。和服まであるんですか」
「昔ここの生徒の中に、日本文化が大好きなお嬢様がいたんだって」


「ラビ、お茶葉入れ忘れてる」と茶筒を手にしたが説明してくれる。


「お金に物を言わせてこんな和室まで作っちゃったみたいよ。彼女が卒業してからは放置されてたらしいんだけど、このたび日本語研究会が発足したので、これ幸いと使わせてもらっているの」
「へぇ」


アレンは改めてぐるりと室内を見渡した。
出入り口は木枠にガラスをはめ込んだ引き戸になっていて、中に入れば低めの段差が設けられている。
靴を脱ぐ文化のためだろう。
下足置き場からあがれば空間を仕切る襖。
それを開ければ6畳の和室が広がる。
きちんと床の間や押入れ、窓の障子まで作られていたものだから、アレンには驚きだった。
こんなにもちゃんとした日本風の部屋を見るのは初めてだ。


「神田に言わせると、間違いだらけらしいけどね」
「そうなんですか?」
「茶室を造ろうとしたんだろうが、いろいろと足りてない。まぁ、普通に過ごす分には関係ねぇよ」


「それより茶!」と急かされたので、が立ち上がって戸棚から湯呑を持ってくる。
その表面に描かれた文様に、アレンは目をぱちくりさせた。
何故ならそれは見事にデザイン化された、神田とラビの名前だったからだ。
深い赤が基調の渋めの湯呑には、日本風な文様に織り交ぜて、本当にさり気なく“神田”と書かれている。
ド派手なオレンジで前衛的な柄が広がる湯呑には、“ラビ”という文字がでかでかと鎮座していた。
とアレンの分だけが、味も素っ気もない深緑のものだ。


「何これ」
「ああ、作ったの」


があっさりと言った。
アレンはその顔を凝視した。
彼女は何でもない口ぶりで、急須からお茶を注ぎながら続ける。


「この学園、陶芸の授業まであってね。焼き物って一度作ってみたかったから」
「…………………………」
「私たち二人の湯呑は元々この部屋にあったものだけど」
「…………………………」
「アレンも欲しい?今度作ってこようか?」


湯呑を差し出されながら普通に訊かれた。
アレンがぽかんとしたまま受け取らないので、は首を傾げつつコタツの上に置く。
神田とラビにもそれぞれの湯呑を手渡した。


「驚くのはまだ早いさ、アレン」


ラビがあっちぃとか呟きながら茶を啜る。


「このコタツも、作だから」
「は……?はぁ!?」


アレンは口を開いたままラビを振り返って、そこでようやく驚愕の声をあげることができた。
バンッと両手で机板を叩く。
湯呑が跳ねあがったが知ったことじゃない。


「これ!これを!?が作ったんですか!?」
「木工の授業と、電工の授業と、裁縫の授業を掛け持ちして、三週間かけて作りましたー」


はみかんの皮を剥く手を止めて、指折り数えてからアレンに報告した。
ちょっと涙を拭う振りをする。


「母さん、あんたたちのために夜なべして作ったんだよ……、命を削ってがんばったんだよ……っ」
「嘘つけ。徹夜明けの女がここまでコタツを担いで来られるかよ」
「これ背負って颯爽と現れたもんだから、さすがのオレ達もビビったさね」
「だってこの部屋、見栄えのためか暖房器具がひとつもなくってさ。すごく寒かったんだもん。もうほんと泣けるくらい……ってアイター!みかんの汁が目にぃぃいいい」


わざとらしく泣き真似をしていたは、そこで本当に泣き始めた。
眼鏡を取って顔面を覆う。
同じようにみかんを食べていた神田に、「うるさい」と皮を投げつけられたものだから、金髪にそれを引っかけたまま叫ぶ。


「っあー!柑橘類の汁ってもはや凶器だよね!新鮮さも相まってか染みる!もぎたてフレッシュで染みる!!」
「あぁ……このみかん、また園芸部の手伝いとか言ってちょろまかしてきたんさ?」
「今朝方ね!」


早起きしましたとも!と力強く言われて、アレンはようやく開きっぱなしの唇を閉じた。
の剥いたみかんを一房口に放り込む。
おいしい。確かにおいしい。
湯呑の中のお茶は熱々で言うことなしだし、コタツは離れがたいほど気持ちが良い。
だが、しかし。


「おい、馬鹿」


低音で呼びかければがびくりとした。
ハンカチで涙を拭いながらも、こちらへと視線を向けてくる。


「な、何ですかアレンさん。今日はまだ怒られるようなこと何もしてな……」
「君は大人しい平凡な女子生徒を演じてたんじゃなかったの?」


冷たい調子で訊いてやれば、潤んだ瞳を何度も瞬かれた。
それにイラッとして三つ編みを片方引っ張ってやる。


「この馬鹿、何を芸術的方面に才能を発揮しちゃってるんだ!」
「は……?はい?これくらい普通でしょ!?」
「異文化の湯呑やコタツをあっさりと手造りしてしまう学生が、普通なわけないだろう!?」
「いや、これ表向き神田への贈り物だから!留学生な部長を歓迎する気持ちだってことで、きちんと誤魔化してあるから!!」
「それはそれで腹立たしい!!」


嫉妬丸出しな台詞を叫んで、今度は両方の三つ編みをぐいぐいしてやれば、結び目が緩んで髪がほどけてしまった。
ウェーブのきつくなった金髪が背中に流れる。
久しぶりに髪を下した彼女を見た気がして、アレンは咄嗟に黙り込んだ。
正直に言えば、三つ編みよりも、いつものサイドテールよりも、何もしていない今のほうが好きだったりする。
それはきっと女子学生でも、エクソシストでもない、“”だからだ。


「……とにかく!」


アレンはちょっと赤くなった頬を誤魔化すために、咳払いをしてから言い放った。


「君がそんな風じゃあ、ソロモンに目をつけられても仕方がありませんよ」


には探究欲と度胸、そして根性があるだけなのだが、やたらと呑み込みが早いため、それを“才能”と取られても不思議はない気がする。
何ていったって未確認生物だし。
常人の理解を遥かに凌駕した馬鹿だから、と出逢ったばかりのソロモンが、彼女を気にするのも頷けるのだ。
いくら授業中に大人しくしていようが、本来の性格を潜ませていようが、やはり隠せるものではないのかもしれない。


「いんや。アイツはに惚れてるだけだろ」


ラビがさらりとそんなことを言ってきたので、アレンは思わず肩を揺らしてしまった。
そういうことに興味のない神田さえも頷いている。


「バカ女は馬鹿なりに努力してるぞ。湯呑もコタツも、人目につかないように造っていたしな。……ソロモンがこいつに構うのは別の理由だ」


漆黒の眼がすっと細められた。


「特待生云々は言い訳に過ぎない。あの男はを傍に置きたいだけだ」


アレンはを見た。
彼女は急須にお湯をつぎ足しているところだった。


「私には」


頬に落ちかかってくる金髪を耳にかけながら、俯きがちに言う。


「そうだとは思えない」
「……恋愛に関しては、君の意見は参考にならない」


思わずアレンは呻いたけれど、に首を振られた。


「あの人は学園のトップよ。自分の信用を落としてまで、女に近づこうとするなんて。そんな馬鹿げたことはしないはず」
さぁ」


コタツの上に顎を置いて、ラビはへらりと笑った。


「恋ってのはみーんなバカになるもんなんさ。特に男は、なぁ」
「……そうなの?」
「そこにイイ例がいるだろ」


半笑い視線を投げられたから、アレンはラビに目つぶしを喰らわせた。
誰が馬鹿だ、誰が。


「おま……っ、片目のオレになんてことするんさ……!」
「明日からは両目に眼帯してきてくださいね。こう、クロスさせる感じで」
「だせぇ!想像しただけでだせぇ!!」


ぎゃあぎゃあわめくラビを放置して、アレンはに向き直った。


「ソロモンの目的はどうでもいい。とにかく無暗には近づかないようにして。エクソシストとしても、女の子としても」


にしては素直に頷いてくれたので、アレンはホッと胸を撫で下ろす。
おかげで金色の瞳が自分を見ていることに気が付けなかった。
はそっと睫毛を伏せて囁く。


「それより、そろそろ本題に入りましょう」


ラビが騒ぐのを止めた。
壁にもたれていた神田も身を起こす。
湯呑を置いたが、アレンたちを見渡す。
その顔は紛れもなくエクソシストのものだった。


「――――――――任務の話よ」

































「イノセンスを盗まれた?」


アレンは我が耳を疑って、聞いたばかりの言葉を繰り返した。
そうすれば、その場にいた全員が気まずそうな顔をしたので、盛大な呆れの吐息を漏らす。
コタツに肘をついて痛む頭を支えた。


「……エクソシストが三人も居て何やってるんですか」


反論なし。
アレンは続ける。


「大体君たち教団歴長いんでしょう?そして自称も含みますが、僕よりも年長なんでしょう?しっかりしてくださいよ本当にもう何やってるんですか、っていうか仕事しろ」
「ごもっともで!」


一番に頭を下げたのはだった。
さすがはアレンに怒られ慣れているだけはある。
そして非を認めた場合においては素直なだけはある。
机板に額を押し付ける彼女の肩を、ラビが慰めるようにして撫でた。


は悪くないさ。顔あげろって」
「イノセンスが盗まれたのは、バカ女が転入してくる前だ」


と違って謝る気配も、反省する素振りもない神田が、腕を組みながら説明する。


「最初に任務を命じられたのは、俺とラビの二人だ。その内容は“学園に隠されたイノセンスを回収すること”」
「確か、前理事長の所有物だったんでしたっけ?」


首を傾げるアレンを黒の瞳が一瞥する。


「所有というよりネコババだな。前理事長は教団のサポーターだったのだが、イノセンスに魅入られて、勝手にこの学園へと持ち込んだらしい」
「それを食い止められなかった教団も教団だと思うさ」


半眼で口をへの字に曲げるラビに、が肩をすくめてみせる。


「前理事長は血筋も人柄も良くて、宗教心の篤い人物だったそうよ。教団へのサポートにも巨額の富を費やしていた。だから教団側としては、彼の裏切りは晴天の霹靂だったみたい」
「この件を暴いたのは、表向き現理事長となっている。実際のところはルベリエだがな」


アレンは神田にひとつ頷いて、口元に手を当てた。


「つまり、現理事長はルベリエ長官の信頼に足る、本当の意味での支援者というわけですね」
「その通りさ。シャフトー侯爵家は、前理事長に負けないくらい、教団にわんさか金をつぎ込んでる」
「敬虔なサイモン様は、ルベリエ長官の密命を受けて、前理事長を失脚へと追い込んだ。結果、前理事長は失踪。……実質、処刑されたのでしょうね」


平坦に語ったに、ラビが嫌そうな顔をした。
神田もちらりと彼女を見やる。
金の双眸が静かに閉じられた。


「教団は裏切り者を許さない。死をもって償わせるはずよ」


それからぱちりと目を開けると、普段と同じように笑ってみせた。


「とにかく、この学園へと持ち込まれたイノセンスを回収しなければいけない。隠し場所は聞き出しているから、あとは探して持ち帰るだけ。……それが予想外に厄介だったよね」
「どういうこと?」


アレンが尋ねると神田が舌打ちをした。
ラビも深いため息をつく。


「イノセンスは面倒な場所にばかり隠されてたんだよ」
「まぁ、教団の目を誤魔化すためだろうけどな……。ホント骨が折れたさ」
「数もそれなりだから、時間がかかるだろうってことで。休校にして大捜索するかって話になったんだけど」


確かにそのほうが効率はいい。
アレンはそう思ったけれど、に手を振られた。


「ほら、この学園って事情が事情な子もいるじゃない?休校にしたところで、帰る場所がない生徒がね」
「ああ……」
「それに加えて、子供たちの学ぶ時間を奪うのは可哀想だと、現理事長が強く訴えたのよ」
「おかげで潜入・隠密捜査になったってわけさ」


いったんの締めくくりのようにラビが言った。


「そんで、派遣されたのがオレとユウ」


このあたりまではアレンもコムイから説明を受けている。
本題はここからだ。


「学園側は大勢の探索隊ファインダーが入るのを嫌い、生徒に化けられるエクソシストのみでの調査を希望した。そこでまず神田とラビが潜入したものの、女子寮など女性しか入れない場所での捜索が難航……結果としてが任務に加わったんですよね」
「そうよ。それが二か月前」
「ホントはリナリーも来るはずだったんだけどなぁ」
「……彼女は別件で中国に行ったきりです」


残念とばかりにぼやいたラビに、金髪が大きく頷いたので、アレンは思わず冷ややかに返してしまった。
昨日本人も言っていたように、はリナリーの訪れを待っていたようだ。
これにはちょっと、ちょっとだけ、嫉妬心が疼く。
だって、実際に転校してきたのがアレンだったから、がっかりしているように見えるではないか。


「とにかく!女子生徒としてが来てから、任務遂行に問題はなくなって、順調に進んだんでしょう?それが唐突に停滞した理由は何です?」
「ずばり、“イノセンスが盗まれた”からよ。探していた最後のひとつが、ね」


ここで話が冒頭に戻るのか。
アレンが何とも言えない顔をすると、は身をすぼめてみせた。


「情けない話で申し訳ないけれど。前理事長が隠した場所から、イノセンスがひとつ持ち去られていたの。それも痕跡を辿る限り、神田とラビが潜入してすぐに」
「つまり、が転校してきた頃には、すでにイノセンスは奪われていたということですか」


呆れるアレンに神田は平然と応える。


「ああ。犯人は俺たちにイノセンスを回収されるのを恐れて、早々に別の場所へと移したようだな。順に探し出していたから気づくのに遅れた」
「いや、あの。少しは反省してくださいよ……」
「何をだよ。ぶん取り返せばいいだけの話だろ」
「おかげで僕が追加で派遣されてきたことをお忘れなく」


相変わらず傍若無人な態度を取る神田に、アレンは半眼になって釘を刺しておいた。
まったく、とんでもない先輩たちだ。


「ほい。ここで登場、クック・ロビンさー」


険悪な雰囲気になったアレンと神田の間に、ラビが何かを投げ置いた。
見覚えがありすぎるそれは、校内で流行している例の紙細工である。
これが何だと言うのだろう。今の話には関係ないはずだ。
アレンはそう思ったけれど、頬杖をついたラビは構わず続けた。


「イノセンスが持ち去られているのを発見したとき、そこにはこんなメッセージが残されていたんさ」


あとを引き継ぐようにが口を開く。


「Who killed Cock Robin?“I,”said the Sparrow,“With my bow and arrow, I killed Cock Robin.”」


ルイスのように完璧ではないけれど、綺麗な声でワンフレーズを歌いあげると、もう一度普通に言い直した。


「誰がクック・ロビンを殺したの?“私です”とすずめが言った。“弓と矢で、私がクック・ロビンを殺しました”」


アレンは肌がざわりとするのを感じた。
得体の知れないものが背筋を這いあがって、肩からゆっくりと腹に降りてくる。
全身を包み込まれたところで呟いた。


「イノセンスを盗んだ犯人は、“クック・ロビン”……?」
「恐らくは」


はその紙細工を取り上げると、自分の掌に乗せて見下ろした。


「第一の事件はフェル先生が被害者のものではないわ。それよりもずっと前に始まっていたのよ。……黒の教団がこの学園に乗り込んだ時点でね」


白い鳥。胸を真っ赤に染めたクック・ロビン。
に弄ばれて、さえずるように動く。


「今も起こり続けている傷害事件は、全て私たちに向けたメッセージでしょう」


彼女は不意に力を込めて、紙細工を握り潰した。


「駒鳥を殺したすずめ……教団に向けた、ね」


アレンは不吉さが去らない自身の体を片腕で抱きしめた。


「それは、つまり……。前理事長を追いやった、教団への復讐ということですか」


は一度瞬いて、軽い動作で手の中の物を放り投げた。
くしゃくしゃになった紙細工は見事にゴミ箱へと落ちてゆく。
底に当たる軽い音を聞き届けてから、彼女は後ろに両手をついて天井を見上げた。


「そうね。前理事長の信奉者が、教団に嫌がらせをしている……って考えるとしっくりくるようだけど」
「君の推理では違う?」
「そんな大げさなものじゃないよ。ただ腑に落ちないことが多いだけ」


はそのまま目を閉じた。


「不審点その一。何故、持ち去られたイノセンスはひとつだけだったのか」


この話題は以前に出たことがあるのか、神田とラビは黙って聞いている。
アレンだけが首をひねった。


「どういう意味です?」
「前理事長の意思を汲んで教団に奪還されたくないと思ったのなら、全てのイノセンスを隠すのが筋だと思わない?」
「うーん……。持ち去ったそのひとつしか、隠し場所を知らなかったんじゃないですか?」
「それでも、探そうとする素振りすら見せないのはおかしいわ。私たち、捜査自体には一切妨害を受けていないのよ」
「……、確かに“クック・ロビン”の復讐事件は、直接教団に危害を加えるものじゃありませんしね」


アレンは呟きながら頭の中でまとめてみる。
何者かに奪われたイノセンス。それはたった“ひとつ”だけ。
その他は奪還される気配すらなく、何者の干渉も受けてこなかった。


「つまり、犯人は前理事長の失脚を知って、黒の教団が学園に乗り込んでくるだろうことを予測。その時点でイノセンスをひとつだけ隠した。それ以降は捜索を傍観しつつも、童謡に引っかけた傷害事件を起こして、何らかのメッセージを発しているということですか」
「改めて考えてみると意味不明さね。何がしたいんさ」


アレンの感想はラビが代弁してくれた。
起こっていることは整理できても、気持ちはそうもいかないようだ。
は少し苦笑したあと続けた。


「不審点その二。何故、童謡『誰が駒鳥を殺したの?』になぞらえた事件を起こすのか」


そう言われたから耳の奥で再生される。
ルイスの、の声で、マザーグースの歌が。


「あの紙細工を流行らせたのだって、ワンフレーズずつ事件を仕込んでいくのだって、随分と面倒なことよ。教団を批判したいのなら他にも方法はあるでしょうに」


確かにやり方が回りくどい。アレンも事件の詳細を聞いて思ったものだ。


「それもイタズラとも取れるような、微妙な手口ですしねぇ……」
「そもそも何でそんな歌を引っ張り出してきたんだ。言いたいことがあるなら、直接くればいいものを」


神田が苛立たしげに吐き捨てたけれど、内容には同意しかねる。
それができないからこんな方法を取っているのだろうし。
その“理由”が問題なのだ。
ああでもないこうでもない、とアレンが考え込んでいると、が視線を落として囁いた。


「不審点その三。……そもそも、犯人なんて、存在するのか」


これには神田とラビも反応を示した。
アレンと一緒になって疑問符を浮かべている。
三人で俯くを見やる。


「真っ当に考えれば、犯人は前理事長の心酔者よ。イノセンスの隠し場所をひとつでも知っていたわけだし、それは間違いないと思う。けれど……」


首を振った弾みで髪が肩を流れる。
金糸みたいだ。光をよって作ったみたいな。


「裏切り者に近しくあった人物を、ルベリエ長官が見逃すとは思えない」


輝く金髪に隠された顔、その口元から暗い言葉が飛び出してきて、アレンは奇妙な気分になった。
何であれ、が教団上層部に繋がることを言えば神経がざわめく。
彼女がそこに信頼を寄せているのだからなおさらだ。


「実際に何名かの生徒と教師は放校になっているのよ。教団に反してイノセンスを持ち去るほど、前理事長を支持していた者がいたのならば、その時点で学園から追い出されているはずでしょう」
「……つまり」


アレンはの顔を引き上げたくて、わざと続きを奪い取るようにして言った。


「“犯人”となり得る者は、すでに此処にはいないはずだと?」


金色の瞳が見えた。
は無表情だった。
そのままひとつ首肯して、力を抜くように笑ってみせる。


「私の考えすぎかもね。……とにかく、イノセンスを取り戻さないと。その一番の近道は、“クック・ロビン”の正体を暴くことよ」


そうして掌を打ち鳴らした。


「さぁ、アレンも加わってくれたことだし!がんばって事件解決を目指しましょー!」


“おー!!”と掛け声を合わせたのはとラビで、アレンは何となく神田と顔を見合わせてため息をついた。
どうやら話は予想以上に込み入っているようだ。
学園に潜む、存在しないはずの“犯人”。
前理事長を追い込んだ罪を告発し、その原因となった黒の教団を、責めようともしない僕たちを非難している。
クック・ロビン。
殺された駒鳥の復讐。
その目指すところは何なのか、アレンは測りかねていた。

































「先に寮へ戻ってて」


下足置き場で靴を履いていると、背後からそんな声が聞こえてきた。
振り返ってみればが襖を閉めているところだった。
アレンは屈めていた身を起こしながら訊く。


「なんで?」
「教室に忘れ物しちゃって。取りに行ってくる」
「アホ」
「んーじゃあ、お先に」


単語でけなして神田はスタスタと歩き出す。
ラビはアレンを待っていてくれたけれど、視線で伝えると軽く手を振って踵を返した。
二人の背を見送ってから顔を戻せば、が不思議そうに見上げてくる。


「アレンも先に帰っていいよ?」


ローファーに脚を突っ込みながらそう言われたので、アレンは反射的に足払いを喰らわせてしまった。
ぎゃあっ、と悲鳴があがる。
思い切り尻餅をついた彼女の傍に跪いて、片方の足首を鷲掴みにした。


「ばーか」
「は、はい……!?てゆーか痛い!お尻も足も痛い!!」
「ああ、たったの二か所だけですか。僕的には漏れなく全ての痛覚に訴えてやりたい気分なんですが」
「何を?この世の理不尽さを?謂れなき暴力を!?」
「そして死を」
「うわぁ、殺す気だった!」


涙目で叫んだの脚を、アレンは真っ黒な笑顔で引っ張る。
這いずり逃げようとしていた彼女の体は下足置き場へと落ちた。
何だか悲鳴をあげているけれど、気にせず踵を掬いあげて靴を履かせる。
両方そうしたあとパッと離してやったので、ローファーに覆われた足は勢いよく床へと激突した。


「痛ぁっ!これはもう青アザできるレベルの痛さだよ!」
「内出血ごときで済んでよかったですね。さぁ、早く立って。そんなところで寝転んでいるなんてみっともないですよ」
「誰のせいか早急に考えて!たぶん手を貸してくれてもバチは当たらないからさぁ!」
「じゃあ、はい」


要求されたので差し出してみる。
は潤んだ瞳でそれを見つめたあと、反動をつけて一気に立ち上がった。
そのままぺちんっと掌をはたいてくる。


「痛い」
「お返しよ」
「何だ。手を繋げるかと思ったのに」


何でもないように言ってやれば、がうろん気な目を向けてきた。
アレンは廊下に出ながら続ける。


「今、それを避けただろう」
「……いや、ここ学校だから」
「誰も見ていないのに?」


返事はため息だけだった。
部室に鍵をかけて歩き出したの隣に並べば、やはり吐息混じりに呟かれる。


「アレン。この場所を甘く見ないほうがいいよ」
「?どういうこと?」
「ちょっと仲良くしていたら、すぐに噂を立てられるってこと」


は何とも微妙な笑顔を浮かべてみせた。


「本当にすごいんだから。こーんな小さな話でも、尾ひれ背びれをつけた立派な噂に育ててくれるの。巨大すぎてアレンのお腹にも納まりきらないってくらいに、ね!」
「相変わらず明るく皮肉るね。つまり?」
「“あの三つ編み眼鏡は、神田先輩とラビ先輩を両天秤にかけている。大人しそうな顔をしてとんでもない尻軽女だ”」
「……そんなこと言われてるの」


あっさりした口調で告げられた内容に、アレンは驚いて歩調を緩めてしまう。
反面はペースを落とさずに部室棟から出て、所属クラスのある校舎へと入っていった。


「まぁ。私たちは任務の関係で、三人でコソコソしてるから。変に親密に見えるのかもね」
「それにしたって。どうしてだけが非難されるんだ」
「神田もラビも最高学年だし。超美形留学生と不良集団のボスってことで、みんなから一目置かれているからじゃない?」


「私だけ何の変哲もない女子生徒だものね」と付け加えて、は身軽に階段を昇っていく。
翻るスカートの色も丈も、団服とはまったく違う。
アレンは視線をあげて彼女の背中を見つめた。


「遅かれ早かれアレンの耳にも入ると思うよ」
「僕が反論してあげようか」
「二股じゃなくて、どっちかが本命だって?」


肩を揺らして笑うに、アレンはにこりともせずに返してやった。


「僕が本命だって」


教室の扉に手をかけたまま、は動きを止めた。
驚きにか何なのか、体を強張らせたまま固まっている。
アレンは足早に近づいていって金色の瞳を覗き込んだ。


「………………………………」


続けて何か言ってやろうと思っていたけれど、が形容しがたい表情をしていたので口を閉じる。
何だその顔。
唇をひん曲げて、眉間に皺を寄せて、頬を淡く染めている。
アレンとしては受け止めかたがわからない。


「……調子に乗った発言をした自覚はあるけれど。その反応は何?」
「わからない」
「またそれ」
「だって何かアレンにそういうこと言われると“うわぁ”ってなるんだもの、うわぁあああああって」
「なに、ダメージでも受けてるの?」
「ぐわぁぁああああああああ!!」
「断末魔を先にあげるとはせっかちですね、。ちょっと待って今すぐ殺ってあげるから」


心臓のあたりを押さえて攻撃を喰らった振りをするの頭を、アレンは真横から捕まえてやった。
指先にギリギリと力を込めれば今度こそ本物の悲鳴があがる。
面倒だからそのまま扉を開いて教室の中へと連れ込んだ。
ぞんざいに開放してやれば、彼女は泣きながら自分の机まで這っていく。


「うぅ……、この調子で全身痛くさせられるのかな……」
「うん。そして死」
「アレンは私を殺したいのか口説きたいのかハッキリして!」


何だかとんでもないことを叫ばれた気がして、アレンは半眼になりつつの後に続いた。
ごそごそと机の中を探っているから、隣の席に腰かけて待つ。
窓の外。
鮮やかな朱色に染まっている。
空気の綺麗な場所だからか、夕焼けがとても美しく見えた。


「あったあった」


は取り出してきた教科書をカバンの中にしまった。
アレンは彼女に視線を戻して、ふと気が付いて言う。


「そういえば、髪は下したままでいいの?」
「あ」


教室の中では……というか学園内では常に三つ編みにしていたものだから、違和感を覚えて訊いてやれば、はしまったという顔をした。


「下したままはマズイ、かな」
「目立つから?」
「そう。ちょっと編むね。アレンは先に」
「帰りません。待つよ」


はっきり告げてやればようやくも理解してくれたみたいだ。
神田は問題外にしろ、ラビはすぐに察してくれたのに。
やっぱり僕は“本命”じゃないのかな。


「……髪」


ちょっと暗くなって、触れていたくなって、ポーチからブラシとヘアゴムを取り出してきたに囁く。


「僕が結んじゃだめ?」


訊きながら手を伸ばして指先で掬う。滑らかな金色の髪。
は目を数回瞬かせてから応えた。


「アレンって三つ編みできるの?」
「……た、たぶん?」


感傷的な気持ちから申し出たのに、やたらと現実的な返しをされて、アレンはちょっとたじろいた。
言われてみればやったことない。
師匠の髪をいじったことはあるけれど、ひとつに縛っただけで、三つ編みなんて高度なスキルは習得していなかった。


「なせば成る!」
「アレンってたまに大ざっぱよね」


拳を握って頷いたアレンに、が何か言ったけれど無視だ。
彼女を窓の方に向かせると、椅子を引きずって近くに寄る。
ブラシで金髪を梳いてゆく。


「ちょっと伸びたね」
「ああ、二ヶ月間切ってないから」


そんな会話を交わしつつ、毛束を首の後ろで二つに分ける。
さらにそれを三等分ずつに。


「……………………………」


髪を触られているからか、は極力動かず大人しくしている。
アレンは初めてのことに四苦八苦していたので、自然と言葉少なになる。
不意に訪れた静寂。
夕焼けに浸る教室。
聞こえてくるのは、校庭に響く運動部のかけ声だけだ。


「なんか、不思議」


静かな空気に溶かすように、が小さく言った。


「学校の教室で、お揃いの制服を着て、アレンと私が座っているなんてね」


彼女はそこで声を出さずに笑ったようだった。
毛先がアレンの指先を滑る。
解けてゆく三つ編み。
ああ、やり直しだ。
けれど、そんなことよりも抱きしめたい。
アレンは強くそう思ったけれど、深く長く吐息をつくと、再びブラシを金髪に当てた。


「……そうだね。まさか君とクラスメイトになるなんて」
「ね。私たち、お互いにエクソシストじゃなければ、こんな風に出逢っていたのかな」
「どうだろう。僕は孤児だったから、学校には行けなかった気がする」
「そう……。私も」


は何か言いかけたようだったけれど、続きを打ち切ってしばらく沈黙した。


「……そっか。私たちは、イノセンスに選ばれていなければ、一生知らない者同士だったのね」


不意にしみじみとした調子で囁かれて、アレンは銀灰色の瞳を伏せた。
自分の左手を見下ろす。
手袋をはめた掌に、金髪が寄り添っている。
これは僕の呪われた能力だけど、同時に絆なのかもしれない。
頬に刻まれた傷跡がマナと僕を繋ぐように、との関係性を結んでくれた。


「そんなことないよ」


アレンは結い終わった髪を引っ張って、を振り向かせた。


「出逢っていたよ。イノセンスがなくても、きっと」


そう思えるくらいには、僕は君が好きだよ。
ペンタクルなんて貰わなくても、マナを父として愛していたように。


「エクソシストだから、君を好きになったんじゃない」


アレンはの瞳を間近に見つめて微笑んだ。


「そう思うから」


優しく告げれば彼女も笑った。
唇が近い。このまま触れてしまいたくなる。
真っ赤に燃える空を背景に、滑らかなの口唇が動いた。


「ぷっ……、あははははははは!」


唐突に吹き出したあと爆笑された。
アレンがぽかんとしているうちに、は自分の髪を持ち上げてみせる。
つまりアレンが編んであげた三つ編みをだ。


「すごい!前衛的すぎる!」


大喜びしているけれど、要は笑われているのである。
アレンは自分の作品をじっくりと眺め直してみた。
一応編み目は確認できるものの、大きさはてんでバラバラで、あちこち毛がはみ出している。
ちょっとこれでは外を歩けない感じだ。


「なせば成りませんでした……」


両肩を落として髪をほどこうとすれば、はその三つ編みもどきを背の後ろに隠してしまった。
何の真似だと思って見やると、やたらと嬉しそうに言われる。


「こんな素晴らしい作品を壊すつもり?」
「……そんな頭で帰るつもり?」
「うん。最高よ」


馬鹿にしているのか何なのかわからない口調で、それでもは思い切り微笑む。


「ありがとう」


鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で立ちあがると、三つ編みもどきを翻して教室内を歩いてゆく。
途中胸ポケットから眼鏡を取り出してきた。
次にこちらを振り返ったときには、その金色の瞳はレンズの向う側だった。


「アレンって意外と不器用さんよね」
は意外と器用だよね……」
「そうかな?まぁ、どっちかっていうと勉強よりは絵を描いたり物を作ったりするほうが好きだけど」
「でも君、頭もいいだろう」
「それはラビに教わってるからでしょ」
「じゃあ君は僕に教えて。正直に言って、授業が全然わからない」


話の流れからこれ幸いとアレンも自分の机に教科書を取りに行く。
そういえばこの教科は課題が出ていたはずだ。
がわざわざ回収に来た理由に気が付いて、慌てて該当ページを開いてみた。


「…………………………」


そこで数秒停止した。
何だこれは、と思う。
思うだけで何となく悟っている。
無言で教科書を机の上に置いた。


「アレン?」


が呼びかけてくるのを聞きながら、アレンは課題ページに挟まれていたものを手に取った。
手紙だ。
可愛らしい封筒に、可愛らしい字で、アレンの名前が書いてある。
封を切って中身を読んでみたら、案の定な内容が綴られていた。


「それって」


黙ったまま便箋を折り畳んでいると、がずばりと訊いてきた。


「ラブレター?」


一応質問口調だったけれど、確認に過ぎないだろう。
アレンは手紙を元の状態に戻すと封筒を裏向けてみる。
差出人の名前は知らない女子生徒だった。学年もひとつ上だ。
まさか転校二日目で、顔も覚えていない女性に、告白されるとは。


「行かなくていいの?」


アレンが返事をしないでいたからか、は暇を持て余すように、教卓に腰かけて足をぶらつかせた。
膝の上にカバンを立てて、そこに顎を乗せてみせる。


「お呼び出しでしょ」
「……行かないよ」
「どうして」


素で驚いた顔をされた。
アレンのほうがびっくりだ。
は首まで傾げている。


「女の子を待ちぼうけにさせるつもり?」
「先に君を寮まで送る」
「私は一人で帰れるよ」
「もうじき暗くなるだろう」
「だったらなおのこと、早くその子ところに行ってあげないと」


当たり前みたいにそう言われた。
アレンは教科書を閉じようとしていた手を止めた。
ああ、いけない。ページに皺が寄る。


「いいな、アレン」


間違っても嫌味ではなく、純粋に羨ましそうに呟かれた。


「私も女の子と仲良くしたいなぁ……」


バンッ!!と音をたてて教科書を叩き閉めた。
驚きに目を瞬かせるの前まで、アレンは乱暴な足取りで近づいてゆく。
教卓の上に座った彼女のほうが視点が高い。
おかげで見上げるかたちになる。


「無神経」


吐き捨てるように言って睨み付ければ、が大きく目を見張った。
その顔が気に喰わなくて教卓についた手を握る。
邪魔なカバンは彼女の膝から排除してやった。
床に転がり落ちたそれを目で追うの、三つ編みを片方掴んで引っ張った。


「少しも妬いてくれないのは、まぁ予想の範疇だからいいとして」
「や、やくって……」
「さすがに告白されてこい、って言われるとは思わなかったよ」


ほら、ね。
そんなことちっとも考えてなかっただろう。
アレンはの反応を観察する。
この人は単純に“女の子”を気遣って、“女の子”からの好意を羨んだだけだ。
そこに“アレン”は介在していない。
けれどそんな思考が働かないこと自体、アレンにしてみれば問題だった。


「ねぇ」


柔らかく研がれた爪。
心に引っ掻き傷を残してゆく。


「離れていた二ヶ月間、少しは僕を思い出した?」


意外なことを訊かれたように、は咄嗟に応えてくれない。
僕にとっては明白な事実に頷かない。
アレンは自嘲気味に笑った。


「君のことばかり考えていた僕に、何を言われてこいっていうんだ」


返事はあったのか、なかったのか。
どちらにしろ欲しくはなくて、アレンはの首裏に掌を当てた。
そのまま引き寄せてキスをする。
いつもと身長差が逆だから不思議な感じだった。
伸びあがって受け止める口唇。


「ア、アレン……!」


戸惑い気味に呼ぶ声を遮る。
口づけを繰り返す。


「眼鏡、邪魔だな……」


取り上げてしまおうかと思ったけれど、肩に手を置かれてしまったから止めた。
指先を絡める。抵抗を封じる。


「ちょっと……っ」
「なに」
「何じゃなくて!待っ……」


逃れようとする唇を追って塞ぐ。
ああ、うん。首が結構きつい。
もう少し屈んでほしくて、後頭部に手をまわした。
弾んだ三つ編みがアレンの頬を叩く。傾いだ体を抱きしめる。


「ねぇ、まって……!」


そんな懇願に応えるように、唐突に教室の扉が開かれた。
アレンは反射的に動きを止める。
少しだけ唇を離して視線を投げる。
スライド式のドアに手をかけたまま、ぽかんとこちらを見ていたのは、二人の女子生徒だった。
どちらも見知った顔だ。
名前はまだ覚えていないけれど、同じクラスの女の子たちだろう。


「こんにちは」


アレンはにっこり笑って挨拶をした。
ちなみ体勢は変えていない。
教卓に座ったを引き寄せて、キスをする寸前の距離で、普通にクラスメイたちに訊く。


「どうしました?忘れ物ですか?」
「え、ええ……。課題が出ていたのを思い出して……」


呆然と頷く少女にアレンは微笑んだ。


「そうですか。どうぞ、取っていってください」
「はぁ……」
「僕たちのことはお気になさらず」


そこで顔の向きを戻してキスをしたら、我に返ったようにが抵抗してきた。
振り回される拳に殴られ脚に蹴られる。
全身の毛を逆立てた猫みたいになっては咆えた。


「馬鹿!馬鹿アレン!」
「何、急に」
「この状況で何やってるのよ!」
「キス」
「見られてるでしょうが!」
「ああ、大丈夫。僕は気にしないから」
「私がするし、彼女たちもしちゃうでしょー!?」


息を切らす勢いで怒鳴ってくるから、アレンはどうどうと肩を撫でてやった。
真っ赤になった頬を擦って、涙の浮かんだ目元にキスをする。
ついでに唇にも軽くしたら、今度こそ脇腹に靴先を叩き込まれた。


「お、お邪魔しました……!」


女子生徒たちはそこで限界がきたようで、に負けないほど紅潮させた顔を隠しながら、一目散に廊下を走り去っていった。
ああ、出て行くのならドアを閉めてほしかったのに。
アレンはのん気にそんなことを思ったけれど、の様子からこれ以上は無理だということもわかっていた。
彼女は教室から飛び出して、クラスメイトの背中に叫ぶ。


「待って待って!お邪魔とかじゃないから戻ってきてー!!」


必死の呼びかけも虚しく、静寂の戻った空間で、は崩れ落ちた。
がっくりとうなだれて呻く。


「これでまた新しい噂がたつわ……。“尻軽女、転校生をたぶらかす!”ってね……」
「僕が反論してあげるよ」


アレンは教卓に体重を預ける。
痛む脇腹を押さえながらも、満面の笑みを浮かべてやる。


「たぶらかそうとしてるのは、僕のほうだって」


その瞬間、ローファーがふっ飛んできて、見事にアレンの顔面に直撃したのだった。










前にどこかで書いたかもしれませんが、ヒロインは芸術的なことが得意な子です。
でも頭を使わずに感覚だけでやっちゃうから、ちょっといろいろ飛び抜けてます。
絵だったらティエドール元帥が顔を覆っちゃう感じ。(笑)
話的にはようやく潜入捜査の目的が語られましたね。4話目にしてやっと!
今回はイノセンス探しです。ついでに盗んだ犯人も見つけ出します。
よろしければ一緒に推理してみてください。

次回はまた事件が起こりますよ〜。引き続きお楽しみいただければ嬉しいです。