お花畑があなたの王国。
銀の鈴に心を託して。白い貝に絆を断たれて。
頭を失くした乙女たちが、真っ赤なお花を咲かせてる。

君臨するあの子はメアリー。
どうぞ、女王様とお呼びください。







● マザーグースは放課後に  EPISODE 6 ●







「此処に来るように命じたのは、・ウォーカーひとりのはずだが?」


ぞろぞろと入室してきた日本語同好会のメンバーを見やって、学園の理事長サイモン・シャフトーは眉をひそませた。
そんなことも気にせずに、ラビは豪華な室内を見渡している。
神田も壁に掛けられた東洋の剣に興味を持ったようだった。
背後で普通に話し出した二人に呆れつつ、はサイモンに向かって頭を下げる。


「申し訳ございません。彼らは付添いです」


とりあえずそう言って顔を俯けると鼻が出そうになった。
慌てて身を起こしたところで、隣からティッシュを差し出される。
その手を辿ると当然のようにアレンがいて、彼だけが事実の付添いに徹してくれるつもりのようだった。


「他の三名は追い出しましょうか」


淡々と訊いたフェルディに、サイモンが首を振る。


「まぁ、いいだろう。彼らに聞かれて困ることでもない」
「そうおっしゃるということは、任務のお話でしょうか」


にティッシュを押し付けながら、アレンが穏やかな調子で問いかけた。
サイモンは彼を一瞥する。
その瞳の色は息子のソロモンと違って、砂漠のように乾いた茶色だった。
顔立ちや髪色は似ているだけに、その違いが印象に強い。


「捜索はいまだ難航しています。解決が遅れていることはお詫びいたしましょう」


丁寧に謝罪を述べた後、アレンは双眸を細めてみせた。


「しかし、僕が追加で派遣されてきてからまだ日も浅い。お呼び出しを受けるほどのことだとは思えませんが?」


完璧な笑顔で淀みなく語った彼に、はため息をこらえながら思う。
珍しく……いや、もうあまり珍しくもないが、アレンは怒っているようだ。
恐らくはの半裸絵を描いたジャックに対して。
それを多くの人目に晒したソロモンに対して。
そして、そのせいで陥ってしまった現状に対して。


「アレン、わかっているくせに挑発するのは悪い癖よ」


が指摘すれば横目で睨まれた。
軽く肩をすくめてサイモンに向き直る。


「お呼び出しを受けた理由はわかっています」


だって心底うんざりしていたので、言葉に吐息が混じらないようにするのが難しかった。


「私ひとりを指名したということは……、『温室のオフィーリア』についてですね」


ずばりと言うとサイモンは鷹揚に頷いた。
アレンはにしか聞こえないように舌打ちをした。
本当に、この人はどこまでも、私が矢面に立つことを嫌がる。


「任務の話を持ち出して、煙に巻くつもりかと思ったが」


サイモンはアレンを冷たく見たあと、さらに温度を下げてを睨み付けた。


「自覚はあるようだな。重大な規律違反を犯しているという、自覚が」


即座にアレンが反論しようとしたので、は彼の手首を掴んで止めた。
今度こそ真っ向から睥睨されたけれど気にしない。
サイモンもそのまま続ける。


「君にはくどいくらいに“目立つな”と言い渡しておいただろう。それが何だね、あれは」
「謝罪の言葉もございません」
「何故あんな絵を描かれてしまったのだ」
「何故、と言われましても。……天才画家に恋のアドバイスをした結果、としか」


どう説明したものかと考えあぐねて、結局は素直に返したのだけど、サイモンには怪訝な顔をされてしまった。


「……つまり、ジャック・フィッシャーが勝手にやったことだと?」
「このように冴えない容貌ですので、私もモデルは断りたかったのですが。好きでもない女の意見など聞かないと突っぱねられました」
「回避の方法はいくらでもあったはずだろう。そもそも特待生と交流を持つこと自体、避けるべきだとは思わなかったのか?」


おっしゃる通り。
そう応えようとして、先を越された。
アレンではない。頭の後ろからだ。


「“関わるな”、はアンタの息子に言うべきセリフさね」


が返り見れば、ラビは高価そうな壺を片手にしていた。
そのまま裏返して底を検分する。


「こっちがいくら避けようにも、ソロモンがに絡んでくるんさ。おかげでルイスやらジャックやらも纏わりついてくる」


この部屋に来る道すがら、あの絵を飾った真犯人が誰か、仲間たちには伝えておいた。
けれど、もう少しあとにしたほうがよかったかもしれない。
もちろん黙ったままでいるつもりなんてないけれど。
神田が壁の刀を手に取って、鞘から引き出しながら言うから、ますますそんな気がしてしまう。


に文句を言う前に、元凶であるソロモンを何とかしろ。なんだったら俺が黙らせてやってもいいんだぜ」


理事長相手にも態度を変えない二人に、は相変わらずだなぁと思ったけれど、さらにアレンまでもが便乗してしまった。


「初めに潜入した馬鹿二人が目立ってしまったから、その後に入ってきたに大人しく捜査をするよう要求するのはわかります」
「誰がバカさ」
「さり気なくけなしてんじゃねぇよ」
「しかし、その努力を見ず、実情も知らぬまま、彼女だけを責めないでいただけますか」


背後からの抗議の声を、彼は当然のように無視した。
サイモンだけを見つめて言い募る。


「最初から理事長は、教団の介入に懸念を抱かれていました。生徒たちに余計な負担をかけるのではないかと」
「ああ。だからこそ隠密調査を依頼した」
「僕たちとしても、出来る限りそのお気持ちにお応えしたいと思っていますよ」
「ほう?」


アレンの言にサイモンは片眉を跳ね上げた。


「そのわりには自由奔放に振る舞ってくれているようだがね」
「悪目立ちをしているのはだけです。そして、そうなってしまったのは、先ほど僕の仲間が言った通り」


銀色の瞳を細めたアレンは、静かな調子で告げた。


「あなたの息子……、ソロモンが原因ですよ」


「呼んだか?」


思いがけず返事があって、皆は揃ってそちらを振り返った。
理事長が腰かける机、その横手にある扉が開く。
出てきたのは間違いなくソロモン本人で、彼の背景からそこが小さな書庫室であると知る。


「先に弁解しておこう。盗み聞きをしていたわけじゃあない」


驚く一同にソロモンはさらりと笑ってみせた。


「中で本を読んでいただけだ。此処はちょうどいい隠れ場所でな」
「ソロモン、お前」
「申し訳ありません、父上。何やら深刻そうな様子でしたので、耳を塞いでいるべきかとも思ったのですが」


渋面のサイモンに向かって一礼した後、ソロモンは笑んだ視線をアレンに送った。


「ああもはっきりと名指しされては、返事をしないわけにもいかんでしょう」


そう言ってにこりとしてみせる。
アレンも彼に穏やかな微笑みを返した。
しかし、その目は当然のように笑っていなかったので、としては嘆息ものである。


「バッドタイミングね、ソロモン」
「そうか?これはこれでいい機会だと思うが」


が半眼で言っても、ソロモンは普段の調子を崩さなかった。


「一度お前達とは話がしたいと思っていたのだ。父上も交えてな」
「こちらも同意見ですよ」
「気が合うな、アレン」
「本当に」


本心から笑っているだろうソロモンと、表面だけ笑顔を保っているアレン。
その会話を傍で聞いているのはかなり居心地が悪い。
ましてやは話の中心人物だから、より強くそう感じてしまう。


「そこの男子生徒たちは、お前に・ウォーカーを構うなと言いたいようだぞ」


息子の態度にか、若者たちの応酬にか、サイモンは呆れのため息をついた。
ソロモンは颯爽と歩き出し、優雅に片手を広げてみせる。


「なるほど、当然の訴えでしょうね。……けれど」


理事長の机の前で足を止めると、こちらに顔だけを向けた。
眼差しはに。
わずかにぶれることもなく、真っ直ぐに注いでくる。


「それは外野がとやかく言えることでしょうか?他者の意見など関係ありませんよ。……俺が求めているのは彼女だけです」


熱度の高い視線が、妙な錯覚を引き起こす。
は瞬きを止めた。
微笑んだままのソロモンに睨み付けられる。





どこも触れられてはいないのに、彼の熱が全身に迫ってくる。


「他の生徒の目も憚らず、ジャックやルイスを焚き付けてまで、俺がお前を追い詰めるのは、それだけの理由があるからだ。……まさか、わからないほど鈍感ではないだろう?」
「……残念ながら、あなたの目の前にいる女はそのようよ」
「あくまでかわすつもりか……。まぁ俺はそれでも構わん。けれど、そんな態度では止めろとも言えないはずだ」


吐息混じりに苦笑すると、ソロモンは体ごとに向き直った。
きちんと編んだおさげに金眼を隠す眼鏡。
校則違反のない服装。
正体を偽るためのそれを、ゆっくりと引き剥がすかのように、ソロモンは唇を動かす。


「お前はお前の好きに振る舞えばいい。その代り、こちらもそうさせてもらおう」


不意に彼は微笑みを消した。
いつも穏やかな彼がそうすると、アレンとはまた別の違和があった。
ああ、私はまだ。
“ソロモン・シャフトー”という人間の素顔を知らない。


「俺を諦めさせたいのなら、今のように避けて回るな」


低い、声だった。


「本性を見せろ」


まるで命令するような。


「そうして、お前に溺れた愚かな男を、毅然と拒絶してみせることだな」


どうして。
どうしてこんなにも距離があるのに、覆いかぶさられているような、強い圧迫感を受けるのだろう。
は負けん気で強く唇を引き結んだ。
それを合図にしたように、ソロモンは表情を一転させる。
普段の柔和な瞳に戻ると、振り返らないまま父親に進言した。


「理事長、彼女は素晴らしい素質の持ち主ですよ。特待生にしても足らないくらいなのに、放っておけと言うほうが難しいでしょう」
「……それは、公私混同の意見ではないだろうな」
「もちろん。俺がそんな不様なことをするとお思いですか」
「いや」


反射的に否定した理事長に、ソロモンは満足そうに頷いた。


「どうやらは無理やり自分を押し隠しているようです。……その理由は」


ちらりとアレンたちを見やったあと、満面の笑みを浮かべてみせる。


「詮索いたしません。父上が認めていらっしゃることなら、口出しする方がおかしいでしょう?」
「うむ……」
「けれど、優秀な人材は放置できない。この学園にいる限り、生徒は生徒。そして監督は俺の役目です」
「しかしな、ソロモン」
「俺に言わせれば、悪目立ちしているのは本人の責任ですよ。彼女の隠し方が中途半端なだけです」


ソロモンは当たり前のように断言した。
その指摘を受けて、は苦い気持ちになる。
ジルにも言われたばかりだ。
私はどうやっても“私”を隠ぺいし切れない。
アレンが傍にいるならなおさらだ。


「此処に来た目的を隠すことと、己の能力を否定することは、イコールではないはずです。失礼ながら、父上はそこを履き違えていらっしゃる」
「…………………………」
「そして、彼女はそれを承知した上で、あえて従おうとしているようです。……他にも何か、隠したいことが、あるのかもしれませんね」
「……もういい、ソロモン」
「本来能力を持った人間が、強引にそれを誤魔化せば、混乱が生じるのは必至。俺が何もしなくても、遅かれ早かれ同じことが起こる。ならばこの手で管理させていただきますよ」


すでに話の外に追いやられていたは、その声を聞きながらゆるりと鳥肌を立てた。
つまり、全ては計画通りだというのか。
ソロモンはエクソシストたちを追及するつもりはない。
けれど、の本質を暴露するためならば、自分の立場をも利用すると言っているのである。


「アレン。神田とラビも」


ソロモンは三人の名前を呼んで、微笑みの種類をわずかに変えてみせた。


「俺にはお前たちの目的を暴くつもりはない。必要ならば協力だってしよう。……知りたいのはのことだけで、皆の邪魔をしたいわけではないからな」


もしかしたら。
もしかしたら、彼はすでに勘付いているのかもしれない。
は粟立った自分の腕を抱きしめた。
彼がこの場に出てくる前、私たちはどこまで口にしてしまっただろう。
教団の名は?任務のことは?


「それでも俺が目障りだというのなら、彼女にアドバイスを頼む」


言葉の最後でソロモンはを見、足を進めて近づいてきた。
頬に手が伸びてくる。
掌のぬくもりが触れた途端、は背筋がぞっと暖かくなるのを感じた。


「“能力のない振りは止めて、早々にソロモンと決着をつけろ”、とな」


すぐ近くで琥珀色の瞳が光っている。
まるで時間をかけて熟成させた蜂蜜酒みたいだ。
少年の穏やか眼差し。優しい指先。
けれどその正体は、ジャックが垣間見せた凶暴な欲と同じなのだ。
ソロモンは私を望んでいる。
全てをさらけ出せと迫っている。
怖いと思うのは何故なの、メアリー。
は心の中で菫色の瞳の少女に呼びかけた。
あのときどうしてあなたは、ジャックを強く拒絶できたの?


に触らないでください」


そんな声と共に、唐突にソロモンの手が遠のいた。
その腕を掴んでいるのはアレンだ。
いつの間にかは彼の背後に押しやられていて、わずかによろけたところをラビが支えてくれる。
神田に肩を引かれてさらに後方に下がらされた。


「君の主張はわかりました」


ソロモンを見るアレンは無表情だった。
そのことに嫌な予感がしたは彼を止めようと思ったけれど、神田とラビが前に出ることを許してくれなかった。


「けれど、だからといって彼女の立場を悪くする行為が、正当化されるとは思えません。やり方が卑怯ですよ」
「そうか?俺は真っ向からで攻めているつもりだが」


アレンとは対照的にソロモンは笑顔を忘れない。


「俺は俺の持つすべてを使って、を手に入れようとしているだけだ」
「この学園内において、それは脅しに近いものでしょう」
「確かに一理ある。、迷惑なら言ってくれ。はっきりと振られたのなら潔く身を引こう」
「……彼女にそれが出来ないとわかっているくせに」
「さぁ、どうかな」


ソロモンがしらばっくれたので、アレンは彼の腕を振り放した。
そのまま掴んでいたら力を込めてしまいそうだったのだろう。
代わりのように拳を握り込む。


「どうせもう気が付いているのでしょう?……僕たちには話すことのできない“事情”があるんです。だから、余計なことをしないでください」
「お前たちの邪魔はしないと言ったはずだ」
にちょっかいを出すのなら同じです」
「……ほう。公私混同をしているのは、俺ではなくお前ようだな。アレン」
「どういう意味ですか」
「それこそ、わかっているくせに」


ソロモンはくすりと笑ってを見た。
神田とラビの肩越しに鋭い眼差しを受け取る。
弧を描いた唇が刃を吐き出す。


「噂で聞いたぞ、。俺とアレンがしていることは、どこか違うのか?」
「どこか、って」
「二人ともお前が欲しいと言って、自分の手札を使い勝負をしている」
「…………………………」
「お前はアレンの気持ちを拒否していない。だからこそ、彼の勝手を許している。そうだろう?」


ソロモンはますます研ぎ澄ませた視線を、からアレンに戻した。


「そして、は俺の気持ちも拒否していない。だったら同等の権利が与えられて然るべきだ。……アレン、俺はお前と同じことを彼女に仕掛けているだけだぞ」
「………………………………」
「他人を非難する前に、自分の行いを顧みることだな。卑怯はどちらだ?」


完璧な笑顔でソロモンはアレンを見下ろす。


「俺はお前に手を引けとは言わないし、そんな立場でないことも自覚している」
「……僕と君は同列ですか」
「ああ、客観的に見ればな。決めるのはだ」


表情を失くしたままのアレンの肩を、ソロモンはそれでも気安く叩いてみせた。


「俺はお前たちを阻まない。そして、それとこれとは別問題だ。言っただろう?俺を排除したいのならば、さっさと選べとを急かしてくれ」


それが出来ない理由がにはある。
第一に、ソロモンが望んでいるのが“能力のある女性”だからだ。
根拠は本人以外に知る由もないが、彼はがそうであると決めつけている。
否と言うのならば、その理由を示さなければいけない。
つまり、ソロモンを納得させるには、“隠す”という行為一切を止める必要があるのだ。
”という人間をすべて見せたうえで、「あなたの要求に足る女ではない」と告げるしか、己の眼力に自信を持っている彼を諦めさせることは不可能だろう。
けれどには、どうしてもこの学園内で、自らをさらけ出せない“ワケ”があった。


(私は正体を明かせない。それに)


は眼前に立つ二人の少年を見つめた。
アレンとソロモン。
彼らはどちらも私に選択を迫っている。
そうなれば、がソロモンを拒んだ時点で、アレンにも答えを出さないといけなくなる。
曖昧にしたままではどちらも納得しないだろう。
自身としてもそんな不誠実ことはできない。
けれど、“”はアレンを受け入れず、“私”は彼を求めている。
矛盾した二つの応え。結論はいまだに「わからない」。
それを許してくれるアレンに甘えたままでは、どうやってもソロモンと向かい合うことなど出来なかった。


(ソロモンを拒絶すれば、それはそのままアレンに返る)


は神田とラビ、そしてアレンの後ろに庇われたまま、何も言えない自分に気が付いて舌を噛んでしまいたくなった。
こんなにも情けないことはない。
“尻軽女”というあだ名は的を射ていたのだと自嘲する。


「ソロモン」


自己嫌悪に吐きそうになりながら、が呼んだ名前はそれだった。
アレンは振り返らなかった。
それでいいと思った。


「アレンとあなたは同列じゃないわ」


はっきりと告げればソロモンは興味深そうな顔をした。
は今度こそ、神田とラビを追い越して、アレンの横に立つ。


「あなたは私を掌握したいがために、ジャックに指示を出した。そして、ルイスと争わせようとしている」
「ああ。それがどうかしたか?」
「どうして他者を巻き込むの」
「俺は俺の手札を使ったまでだ」


ほら。そういうところが、ね。
は哀しくなって少しだけ微笑んだ。


「あなたは皆の上に立つ人よ。だから、それが当然だと思っているのかもしれない」


ソロモンに向かってはっきりと首を振ってみせる。


「けれど、これは私たちの問題でしょう?あなたの都合で他の人に迷惑をかけないで。……アレンは自分の気持ちのために、他人を利用したりしないわ」


囁くように告げれば、隣で目を伏せる気配がした。
馬鹿ね、アレン。
あなたが否定したって、私はそれが事実だと知っているのよ。


「ジャックは喜んであなたに協力したのかもしれない。でも、ルイスに関しては違うでしょう。彼女が個人的な感情で私を嫌うのならば仕方ないけれど、あなたの策略で心を乱されるようなことがあるのならば、それは私の望むところじゃない」


は唇から笑みを去らせた。
眼鏡越しに強くソロモンを見つめる。


「そして、いくらあなたでもしてはいけないことよ」


不意に、ソロモンが吹き出した。
そのまま口元を覆って笑い出す。
ちょっと意外な反応だったので、は軽く肩を持ち上げた。


「な、なに」
「いや、すまない。面白い展開になったなと思って」
「おもしろ……って」
「俺のライバルはアレンだと思っていたのだが。このぶんだとルイスのようだな」


ソロモンは愉快そうにくつくつ笑う。


「お前はルイスに嫌われるのも、競い合うのもイヤなのか」
「当たり前でしょ」
「だが、俺がいなくても彼女はお前をライバル視したと思うぞ。間違いなくそうなっていたはずだ」


だから何を根拠に。
はそう言い返してやりたかったけれど、ソロモンはあっさりと両手を挙げてみせた。


「わかったよ、。お前がアレンのやり方のほうがいいと言うのなら、俺もそれに倣おう。……今度から一対一で口説くことにする」
「それはどうでもいいけど。ルイスのことは?」
「もちろんフォローしておく。まぁ、あいつは今更何を言っても聞く性格ではないがな」


うん、でしょうね。
は考えるまでもなくそう思って、がっくりと頭を垂れた。


「ついでにジャックにも言ってくれる?私をモデルにした絵は描かないでくれって」


長いため息と共にそう吐き出した。
直後だった。


ジリリリリリリリリリリンッ!!


突如としてけたたましいベル音が、学園中に響き渡った。
神経に障る不吉な音だ。
咄嗟に体を強張らせたは、横から強く手を握られた。
見なくてもわかる。この感触は知っている。
それこそ反射のように引き寄せられたから、はアレンの胸に額をつけて、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
まるで、懺悔するように。

































「何事だ」


鳴り止まないベル音に神田は顔をしかめている。
ラビが答えを求めてフェルディを見たが、彼女も困惑している様子だった。


「この音は……」
「火災警報か!」


断言したのはソロモンだ。
即座にエクソシストたちを追い抜いて廊下に駆け出す。
周囲を見渡すとサイモンに向かって言った。


「父上、奥の教室から煙が出ています」
「奥の教室?そこは確か」


慌てて立ち上がった父親に、息子は頷いてみせた。


「ジャックのアトリエです」
「ジャックの?」


ソロモンに続いてアレンとも理事長室を飛び出した。
左手奥だ。
濁った灰色の煙が、床から天井をめがけて、這うように広がってきている。
じりじりと感じる妙な熱は、炎によるものなのだろう。


「この校舎には、理事長室と、特待生のためにあつらえた作業部屋しかありません」


わずかに裏返った声でフェルディが教えてくれる。


「あそこは確かに、ジャック・フィッシャーが絵を描くのに使っている場所です……!」
「……っつ」


説明半分で走り出そうとしていたは、ソロモンに腕を掴まれて引き戻された。
乱暴ではないが、逆らえない力で押しやられる。
背中からアレンにぶつかったけれど、ソロモンはだけを見つめていた。
こんな状況でも彼は微笑んでみせる。


は先に逃げろ」
「でも」
「お前を危険な目に遭わせられるものか」


ソロモンは当たり前のようにそう言うと、視線をの向う側へと投げた。


「父上。フェル先生。彼女たちを校舎の外へ誘導してください。ジャックのところへは俺が行きます」


きっぱりと告げたソロモンをサイモンが引き止める。
彼は怯えることなく、気負う素振りすら見せずに、笑顔だけを残して床を蹴った。


「ソロモン!」


が彼の背中に叫んだのと同時だった。
横手から煙を突き破って何者かが突っ込んできたのだ。
あまりにも唐突な登場に、ソロモンはおろかその場の誰もが息を呑む。


「ジル……!?」


飛び出してきた少女の体をソロモンが全身を使って受け止めてやった。
衝突の痛みに顔をしかめながらも、髪をふり乱したジルの背を撫でる。


「ジャックを助けにきたのか」


ジャックの双子の姉は顔面を蒼白にしていた。
瞳はせわしなく空をさ迷い、自分を抱き留めているソロモンにさえ定まらない。
そのまま彼を突き飛ばして前進しようとする。
ひどく取り乱した様子のジルを、ソロモンは強引に捕まえた。


「待て!待つんだ、ジル!」
「ジャ……、ジャック……、ジャックが!」
「落ち着け!大丈夫だ。あいつのところへは俺が行く」


ソロモンが言い含めたけれど、ジルは必死に首を振り続けた。
真っ直ぐな黒髪が煙の中で健気なほどに揺らめいている。


「だめ、だめ、ジャック……ッ、絵が、燃えてしまう!」
「絵なんてどうだっていいよ!」


悲鳴のように言うジルに応えたのは、なんとジャック本人だった。
それも達の背後から走り込んできたのだから驚きを隠せない。


「ジャック……、お前、アトリエにはいなかったのか」


安堵のため息をついたソロモンを振り払って、ジルが弟の傍まで転がってゆく。
姉に抱きしめられながらもジャックは急き込むように叫んだ。


「俺は少し出てたんっス!でも中にはまだメアリーさんが!」
「なに?」


ジャックの口から飛び出してきた名前に、ソロモンは眉をひそめた。
素早く煙の出どころに目を走らせる。
もう随分と視界は悪くなってきていた。
ベルの音に負けないように、ジャックは大声を出した。


「メアリーさん、俺にさんの絵を片付けるよう言いに来たんっスよ!あんまり怒るもんだから、じゃあちょっと待っててって、玄関ロビーに向かった隙に……、こんな……っ」


言葉の最後は後悔の呻きに変わった。
ジャックは我慢できなくなったように駆け出そうとしたけれど、その体にはジルが抱きついたままだから上手く動けない。
否、姉が弟を必死に足止めしているのだ。


「ジル、離せ!」
「だめ!だめ、行かないで!」


自分を突き放すことのできないジャックの懇願を、ジルは頭から拒絶した。


「行ってはだめ!炎に撒かれてしまう!」
「あそこにはまだメアリーさんがいるんだぞ!?」
「だから何!?」
「なに、って……助けにいかないと……!」
「あなたがすることじゃない!そんなのいや!」
「ジル!!」
「あんな人のために、危険なことをしないで!!」


掠れた声で叫んだジルに、ジャックは表情を凍らせて硬直した。
信じられないものを見るように双子の姉を凝視している。
その様子に神田が舌打ちをして、ジルの体ごとジャックを押しのけた。


「お前は姉貴のお守りをしてろ。救助は俺たちがやる」
「その必要はないわ」


聞こえてきたのはまたもや新たな声だった。
今度は煙が噴出してくる方向からだ。
灰色の帳を掻き分けて、二つの影が姿を現した。


「ルイス!」


ソロモンが目を見張って彼女の名前を呼んだ。
ルイスはその美しい顔を煤で真っ黒にしている。
髪も熱風に煽られて、乱れに乱れていた。


「ソロモン、手を貸して。私にはもう支えきれない」


煙に咳き込みながらルイスがその場に崩れ落ちた。
ソロモンはもちろん、ジャックもジルを置いて傍に駆け寄る。
何故ならルイスがメアリーを連れていたからだ。
瞑目した彼女の体を肩に乗せて、必死に引きずってきたようだった。


「メアリーさん、メアリーさん!」
「大丈夫よ。意識を失っているだけだわ」


ぐったりとしたメアリーを、ジャックが何度も揺すぶるから、ルイスが渋面で制止する。
ソロモンは気絶している少女の状態を確かめながら訊いた。


「ルイス、どうしてお前がメアリーを?」
「『温室のオフィーリア』のせいよ。ジャックに文句を言ってやろうと思って、アトリエを訪ねたの」


彼女は大きく息をつくと、スカートの裾を払って立ち上がろうとした。


「そしたら煙が出ていて……。驚いて中に入ってみたら、炎の傍にメアリーが倒れていたってわけ」


ジャックが咄嗟に手を差し出したけれど、ルイスは壁にすがって起立してみせた。
横目で画家を見やる。


「誰かの恨みでも買ったんじゃない?」
「……どういうことっスか」
「あなたの描いた絵が、ズタズタに切り裂かれた上で、燃やされていたわ」


ルイスは咳を交えながら吐き出した。


「いえ、あれはジャックへの当てつけではなく、あの子に対してかもね」


ぼさぼさになった亜麻色の髪を流して、ルイスはこちらを睨み付けた。
それこそ憎しみにも似た嫌悪を込めて。


「――――――――――火が点けられていたのは、“”の絵よ」


その言葉を耳が捕らえた瞬間、嫌なものが体中を巡って、は顔色を失くしてしまった。
寒気がする。
炎が迫っているというのに、どうしてだろう。
は指先を握り込んだ。誰にも気づかれたくなかった。
ソロモンたちが皆、自分を振り返っているから、絶対に気づかれてなるものかと思った。


「ノンキに話してる場合じゃねぇさ!」


その場の空気を変えるようなラビが言った。
ついでのように脇へと移動させられる。
掴まれた肩から手が離れるとき、なだめるように叩かれたことは、以外知らないはずだ。


「もう誰も残っていないのなら、さっさと逃げようぜ」
「ラビの言うとおりだ。早くしないと此処にも火が回る」


神田も同意して前に進み出た。


「動けない奴は?」
「メアリーは俺が運ぼう。ジャックはジルを連れていけ」


ソロモンがすぐさま応えた。両腕で意識のないメアリーを抱き上げる。
ジャックは心配そうに彼女を見ていたけれど、ジルも放っておけないようで、指示通りに姉の傍に戻っていった。


「ルイスさんは?」


尋ねたのはアレンだ。
神田の横まで歩み寄ったところで、本人に首を振られる。


「平気よ。自力で逃げられるわ」


アレンは気遣わしそうにルイスを見たけれど、その背後からどうっと煙が奔出してきたから、再確認する時間はなくなった。
破裂音と破壊音が重なり合う。
扉を焼き払い、物々を呑み込んで、ついに真っ赤な炎が廊下に雪崩出てきた。


「走れ!」


ソロモンが鋭く命じた。
フェルディが皆を誘導しようと先頭に立つ。
震える足がもつれるから、サイモンが彼女の肩を支えてやった。


「皆、こちらに!」


教師陣の指示に従って、生徒たちが後ろに続く。
炎が爆ぜる音と、鳴り止まないベル音と、乱れた足音が混じり合う。
は走る速度を調節して、最後尾につこうとした。
フェルディとサイモンの背後にはラビがいる。
行く手に何かがあれば彼が対処してくれるだろう。
生徒たちの中心には神田が走っているから、万が一動けない者が出ても安心だ。
そうなれば問題はひとつだけ。
誰も取り残すことのないよう目を配らなければならない、一団の最後尾である。


「遅れているぞ、。大丈夫か?」


そんなことは知らないソロモンが訊いてくる。
純粋に心配そうな目で見られて、はどう応えるべきか迷った。
その間にアレンが囁く。


「いいよ、後ろには僕がいる」
「アレン」
「さっさと逃げなさいよ。鈍くさい子ね」


まるで邪魔をするようにルイスが口を挟んできた。
そう言う彼女こそ、最後尾を譲らないのだ。
アレンとが何度か交代しようとしたけれど、そのたびに高飛車な態度で追い払われる。


「早く行って。走りにくいわ」
「でも、ルイス」
「安心しなさい。あなたと一緒に死ぬつもりなんてないから」
「辛かったら遠慮なく言ってくださいね」
「ええ。アレンくんにはね」


こちらには鼻を鳴らしてみせたのに、アレンには微笑んでみせたから、は思わず口をへの字にしてしまった。
何だろう、この対応の違い。
まぁ好感度の差だろうけど。


「!?」


そのとき警報音の種類が変わったから、は咄嗟に顔を振り上げた。
何だ?何かの合図だろうか?
前の方でサイモンがホッとしたように言う。


「ああ、防火扉が作動したようだ」


その言葉を契機としたように、天井付近で音がする。
けれど位置がおかしい。
が首を傾げたとき、ソロモンが勢いよく振り返ってきた。


!アレン、ルイス!」


猛烈な勢いで防火扉が降りてくる。
炎を遮断する鉄の壁。
しかしそれは、名前を呼ばれた三人より、“前方”でのことだった。


このままでは、炎から逃れる道を塞がれる!


追い打ちをかけるように背後で爆発が起こった。
熱風に乗って火が散る。
最後尾のルイスを取り込もうとするように、次々と周囲の物が瓦解してゆく。


「あぶな……っ」


はルイスの元に戻ろうとしたけれど、ひどく乱暴に突き飛ばされて、転がるように床に倒れ込んだ。
その足先に防火扉が着地する。
熱も炎も遮ったそれを、愕然と見上げる。


「そんな」


即座に拳を打ち付けたけれど、それはびくとも動かなかった。
どうして。
そればかりを思う。
を突き飛ばしたのはアレンだ。
そうして彼は、こちらに一瞥もくれず、ルイスの元へと駆け戻った。
が最後に見たのは崩れ落ちてくる柱、その真下にいる二人の姿だった。


「アレン、ルイス!」


名前を呼んだけれど、当然のように返事はなかった。
はロザリオに手をかざす。
イノセンスを発動しようとしたところで痛いくらいに腕を掴まれた。


「何をするつもりだ」


押し殺した声でサイモンが問うた。
五指が喰い込んできて、は即座に返事ができない。


「ここで正体を晒すつもりか?」


は一瞬絶句して、すぐさま頬を赤くする。
それは怒りのためだった。


「言っている場合ですか!」
「くそっ、ボタンが効かない!」


の怒鳴り声に、ソロモンの舌打ちが重なる。
彼は壁に埋め込まれたスイッチに何度も掌を叩きつけていたが、防火扉にまるで変化がないことを見て取ると、その脇のボックスを開いて赤い斧を掴み出してきた。
とサイモンに向かって叫ぶ。


「どいていろ!」


直後にソロモンは防火扉に斧を振り下ろした。
鈍い音をたてて刃が鉄に突き立てられ、その周囲が大きく陥没する。
しかし、それだけだ。このまま突破するのはどう考えても難しい。
事実ソロモンの腕には嫌な震えが走り、骨と筋肉への衝撃に表情を歪めていた。
それでも彼は諦めることなく、打撃のポイントを変えて、何度も斧を操ってみせる。


「やめろ、ソロモン!」


を止めたときと同じように、サイモンがソロモンを制止した。


「この防火扉を外側から開くのは無理だ!」
「仮にも扉ですよ。開かないわけがありません」
「そうだとしても、お前がする必要はない……!」


自分への負担を顧みず、鉄扉への攻撃を止めない息子に、父親は懇願するように訴えた。


「そんなことを続ければ手がおかしくなるぞ!お前は作曲家だろう、楽器に触れられなくなったらどうする!!」


ソロモンは応えなかった。
ただ返事の代わりのように、防火扉を斧で殴りつける。
ついに木の柄がへし折れて刃の部分が床に落ちた。
ソロモンは足先すれすれに刺さったそれを気にすることもなく、手の中に残った棒を躊躇なく放り出すと、斧で探り当てた扉の窪みに指先をかける。
そのまま全身の力を込めて持ち上げようとした。


「ソロモン……!」


は彼の名前を呼んだ。
何故なら炎に熱せられた鉄の扉、深くえぐったそこに触れたソロモンの手が、じゅうと焼け付く音がしたからだ。
肉が焦げる嫌な臭いが鼻をつく。
それでもソロモンは構わず防火扉を押し上げようとする。


「ソロモンさん、本当に手がダメになっちゃうっスよ!」


メアリーとジルに寄り添うジャックが叫べば、彼は苦痛に息を乱しながらもきっぱりと言った。


「構うことか」


そんなソロモンの横に、と神田、ラビが並んだのは本当に同時だった。
三人の力が加わって防火扉は一気に床から離れる。
それでもまだ人がひとりくぐり抜けられるかどうかの隙間だ。


「チッ、思いのほか火の勢いが強いぞ」
「このまま防火扉を開いたら、ここも危ないさね」


揃って掌を焼きながら、神田とラビが呻く。
は振り返らずに声を張った。


「ジャック!メアリーとジルを連れて逃げて!」
「父上とフェル先生も!」


すかさずソロモンも言い放った。
正直に言って他を構っていられないのだ。
早く鉄の壁を突破し、中の二人を引っ張り出さなければ。


「アレン!ルイス!」


は炎に負けないように叫んだ。
それに呼応するように、甲高いルイスの悲鳴が耳に飛び込んできた。


「ルイス!?ルイス、どうした!!」


ソロモンが呼びかけたけれど先ほどの余韻が残るだけだ。
はどうしようもない焦燥感に襲われる。
反射的に低く身を屈めると、ソロモンたちが持ち上げた防火扉の下を、一瞬でくぐり抜けた。


「ごめん、みんな!」
「な……っ、!」


ソロモンの声が追ってくる。
一人分の力がなくなった上に、いまだに隙間は少ししかできていない。
のような小柄な少女が身を滑り込ませるだけでギリギリだ。
後を追うことのできないソロモン達に謝罪を残して、は防火扉の内側に転がり入ると、即座に立ち上がって周囲を見渡す。
視界が捕らえたのはアレンの後姿だった。
赤い炎に囲まれて片膝をついている。
その上に圧し掛かっているのは、燃え盛る巨大な柱だ。


「アレン!」


名前を呼んで走り寄ったは、ぎくりと足を止めてしまった。
アレンは柱を慎重に押しのける。
火の粉を被らないように右手で庇ってやっている。
そう、アレンの体の下にはルイスが倒れ込んでいて、彼女は恐怖に凍りついた表情で“それ”を見つめていた。
アレンの発動した、白く大きな左手を。


ああ、さっきの悲鳴はアレンのイノセンスを見てしまったからか。
頭の冷静な部分でそう考える。
アレンはルイスを助けるために、何のためらいもなく左手を発動したのだ。
そして、怯えた目を向けられている今でも、それを貫こうとしている。
能力の露見とルイスの反応に時差があったのは、しばらくの間彼女が気絶していたからだろう。





何事もなかったかのようにアレンが見上げてきた。
ちょっと呆れた風に笑ってみせる。


「どうして戻ってきたの。先に逃がしたのに」
「……、ソロモンが自分の手を犠牲にしてまで、降りてしまった防火扉を押し上げてくれたの」


は無表情に応えた。
他にどういう顔をしていいのか、すぐには思いつかなかった。
アレンは軽く目を見張る。


「ソロモンが?」
「あまりにも懸命な様子だったから、私たちもイノセンスが使えなくて」


こんなのは言い訳だ。
ショックに固まっているルイスを見やると、は自分のロザリオに触れた。
イノセンスを発動させて、周囲の炎から身を守る、黒光の防御壁を創り出す。


「アレン、先にルイスと脱出して。私じゃ彼女を抱えてあげられない」
「君は?」
「炎を消してから行く」
「わかった」


普通に言い合うエクソシストたちを、ルイスは呆然と眺めていた。
アレンは彼女に微笑みかける。
それは何だか申し訳なさそうな笑顔だった。


「すみません、ルイスさん。僕のこと、気持ち悪いと思うんですけど」


言い置いてから左手を元の状態に戻す。
きちんを手袋をはめてから願い出た。


「避難する間だけ、我慢してくれますか」


そうして返事を待たず、抵抗も許さずに、ルイスの体を抱え上げる。
は刃を放って窓のガラスを消し去った。
新たな空気が入り込んで、炎に勢いを与えてしまう。
黒い盾の向こうで渦巻いた赤に、ようやくルイスが口を開いた。
それはアレンがを置いて行こうとしたからのようだった。


「ま、待って!あの子はどうするの!?」
「ああ、大丈夫ですよ」
「何が……っ」


その瞬間アレンは窓から飛び降りた。
唐突の落下にルイスの悲鳴が尾を引いてゆく。
は二人を見送ると、光の防御壁を爆ぜさせて、一気に炎を切り裂いた。
そうすることで存在を塵へと変える。
全方向に能力を展開してやれば、消火にはそれほど時間がかからなかった。
そのまま出火元であるジャックのアトリエまで行き、消し炭になった自分の絵と対面する。
そして、その傍に落ちていた、ある“モノ”とも。


「やっぱり……」


は嫌な予感の的中に呻くと、その“モノ”も刃で切り裂いて消滅させておいた。
ジャックはこれを見たのだろうか?メアリーは?ルイスは?
苦い思いを噛み締めながら、踵を返して窓辺に寄る。
見下ろした先には当たり前みたいにアレンがいた。
隣には彼の上着を羽織ったルイスが座り込んでいる。
二人の微妙な距離感を見て取ったは、熱で変形した窓枠を蹴って空中へと身を躍らせた。
アレンが手を差し出してくれたから、そこに掌を乗せて着地する。


「火傷してる」
「アレンこそ」


不満そうに言われたから、飛び降りてきた勢いで抱きついた。
右手は繋いだまま。
手袋越しでもわかるくらい強く握れば、吐息のように微笑まれる。


「君が気にすることじゃないよ」


そう小声で囁かれたから、もっと力を込めてやった。
本当にこの人は“アレン”を大切にするのが苦手だ。


「痛い」


苦情を言ったアレンの背中を優しく撫でる。
しばらくの間、手は離さなかった。
校舎から出てきたソロモン達を迎えるまで、火傷した掌が疼くのも構わずに、ずっと繋いでいてやった。
そうして、いたかった。










ようやく事件発生です。
この火災はかなり尾を引くので覚えていていただけると嬉しいです。
ヒロインとソロモン、アレンとルイスの関係にも影響してきますので!

次回は青春学園的な展開かと思います。
糖分的にはいつも通り期待せずに!よろしければお付き合いください。