この世にはくだらないことが多い。
その筆頭がに出逢ってからの自分だ。
無理やり握られたあいつの手を、暖かいと思ってしまうなんて。
何て腹立たしい感情。
● 泡沫の祈り EPISODE 2 ●
「「「…………………………………」」」
アレン、ラビ、リナリーの三人は沈黙していた。
何となく顔を青くして、互いから目を逸らしている。
ただひとり、神田だけが壮絶な怒りのオーラを纏って、向かいのソファーにいるを睨みつけていた。
鋭いその眼差しにも彼女はびくともせずに眠っている。
神田はおもむろに『六幻』に手をかけた。
「やっぱり斬る」
「「「それは駄目(です)(さ!)(よ)」」」
三方向から同時にそう言われて、神田は舌打ちと共にソファーに深く身を沈めた。
けれど刀から手は離さなかった。
「テメェら全員、バカ女の味方か」
「私は当然そうよ」
「オレも基本的には……。でも今の話はちょっとなぁ」
リナリーは大きく頷き、ラビは半眼で冷や汗をかいている。
アレンが痛むこめかみを押さえつつ、話をまとめた。
「えーっと……。つまりは怪我人相手に手当てと称した制裁を下し、妙なあだ名を強制して、さらには頭からお湯をぶっかけた、と。何て言うか……、さすがって感じですね」
本当にさすが、何ともアレな初対面だ。
ラビのときも同じことを思ったが、どうにもとその友人達の出逢いは殺伐としている。
こんなのでよく今のように仲良くなれたものだ。
けれどの味方であるリナリーがぷんぷんしながら言った。
「それだってのいいところよ。怪我人を放っておけないのも、言いたくない様子ならそこにこだわらないのも、血まみれの姿をみんなに見せたくなかったのも、この子の優しさだわ」
「そうさなぁ。すっごくわかりにくい優しさなんさ。でもユウだって今はもうわかってるくせに」
「………………ふん」
ラビに笑みを向けられて神田は顔を背けた。
そんな彼を目が合って、何となくアレンは言う。
「僕はの味方ってわけじゃありませんけど……。この人が何かしでかすときは、それなりの理由があることは知ってますからね」
「完璧に味方じゃねぇかよ」
「そ、それに!眠っていて避けることのできない人に斬りかかるのは、どうかと思いますよ」
「“眠っていて避けることができない”?」
神田はハッと鼻で笑った。
流れるような動作で立ち上がる。
アレンが何をする気かと訝しく思ったときには、すでに『六幻』が抜刀されていた。
そして目にも止まらぬ速さでへと振り下ろされる。
それは完全に対象を破壊する斬撃だった。
アレンは顔色を失くして思わず腰を浮かした。
けれどそこで硬直する。
鋭い剣戟の音。
ようやく斬り伏せられた風がアレンの頬を叩いた。
神田の刃は止まっていた。
の頭上ギリギリで、ピタリと静止している。
彼女を覆うように発生した黒光の盾が、その凶刃を阻んでいたのだ。
あまりに一瞬のことだったので、ラビもリナリーも動けずにいた。
神田だけが驚きもせずに口を開く。
「目が覚めたか?」
その問いかけに、は気だるそうに身じろぎをした。
「…………覚めない。眠い。もう起こさないでね……」
薄っすらと開いていた瞳が、再び閉じられた。
その途端、光の盾は空気に溶けるように消失する。
はイノセンスの発動を解き、力を抜いてリナリーの肩にもたれかかった。
神田はそれを見届けると、『六幻』をおさめてソファーに腰掛けた。
「これでわかっただろ。本気で斬りかかっても、コイツは簡単には始末できねぇんだよ」
「……………………」
「遠慮するだけ無駄だ」
アッサリと断言されて、アレンは力を抜くように腰を落ち着けた。
そのときにはすでに寝息が聞こえていた。
は寝つきの良さはちょっと尋常ではない。
たった今、友人に本気で斬りかかられたというのに。
ラビが苦笑いの表情で長い吐息をついた。
「ユウ……。昔っから言ってるけど、本気のはやめてくれさ」
「もしが防げなかったらどうするの?」
リナリーは眠るを抱きしめて、非難めいた視線を神田に投げた。
けれど彼は平然と返す。
「そいつがそんなヘマをするかよ」
「それはわかってるけどさー。見てて心臓に悪いんだって」
「うるせぇ。俺はいいんだよ。出逢ったころから言ってるからな」
「なんて?」
きょとんと瞬いたラビを睨みつけて、神田は口元を笑みの形にした。
それは鋭い刃を思わせる、壮絶な微笑だった。
「俺はお前が大嫌いだ。俺の視界に入りたければ、斬られる覚悟をしてからにしろ」
「…………………………」
「そう言った。そうすれば近づいてこないと思ったからな」
「…………それで、見事にその目論見は外れたんか」
「ああ。このバカ女、腹立つことに笑いながら」
『あっはっは、返り討ちにしてやる!!』
「そう言いやがった。それからは毎日、命がけだ。こいつがちょっかいかけてくるたびに、宣言どおりに斬りかかってやった。けれど何度追い払ってもけろりとした顔で話しかけてくるんだよ。不意打ちで飛び掛ってくるわ、勝手に俺の蕎麦を食うわ、無理やり喧嘩に割り込んでくるわで、本当にさんざんだ」
神田は言っているうちにいろいろ思い出してきたらしく、眉間の皺を二本ほど増やした。
その向かいでリナリーがぽんと手を叩く。
「最後それってアレでしょう?神田に謂れのない文句を言ってきた人たちがいて、が仲裁に入ったって」
「仲裁?違うな。アレはそんな良いものじゃねぇ」
「あー、それならオレも見てたぜ。確か相手の男達に“このユウちゃんは黒の教団最強のバイオレンス男です。感情表現の主が斬撃です。取り扱い要注意人物なので、もっとソフトに!優しく!楽しく!弄んであげてくださいね!!”って笑顔で頼んでたさ」
それを聞いてアレンは頭が痛くなるのを感じた。
そのときの状況が鮮明に想像できる。
いつも通りの態度で絡まれた神田の横から、笑顔のが登場する様を。
きっとその目は不敵な光を放っていたことだろう。
「俺は喧嘩を売ってきた奴らよりも、のほうを斬りたくなったからな。遠慮なくそうしてやった」
「延々と戦い続けてたよなー。オレもしばらく観戦してたけど途中で寝ちゃったもん」
「その後、兄さんに大量の反省作文を書かされていたわよね」
「ああ、懺悔室にこいつと二人で閉じ込められて……。駄目だ、やっぱり腹が立つ。斬るしかないな」
神田は低くそう言うと『六幻』に手をかけて、立ち上がろうとした。
けれどふいにその動きが止まる。
怪訝そうに振り返られてアレンは目を瞬かせた。
視線を下ろしてみると、無意識の内に自分の手が神田のコートを掴んでいた。
もとより止めるつもりだったが、考えるより先にそうしていたことに何だか驚く。
それから言葉に困った。
「え、えーっと……。これは」
「離せよモヤシ」
「いいえ、ナイスよアレンくん」
「そうさ。ほい、ユウも座って座って」
リナリーが笑顔で頷き、ラビも反対側から神田のコートを引っ張る。
ソファーに戻されて不満気な顔をする神田に、ラビは笑った。
「もう斬りかかるのもやめればいいのに。昔は大嫌いだったかも知れねぇけど、今はオマエだってのこと好きなんだろ?」
楽しそうにそう言われた瞬間、神田の顔が嫌そうに歪んだ。
これ以上ないくらい複雑な表情である。
しばらく言葉を失ってから、神田はため息をついた。
「………………好きではない」
「またまたぁ。照れんなって」
「テメェの目は飾り物か。どこが照れてるって言うんだ」
「だってオマエら何だかんだ言っても一緒にいるじゃん。すっげぇ仲良しじゃん」
そう指摘されて神田の顔がますます歪んだ。
その後ろでアレンもなんとなくむすっとする。
ラビの言う通り、どれだけケンカをしていても結局は一緒にいる神田とは仲が良いとしか言えないのだ。
それは入団当初から感じていたことだった。
けれど神田は激しく不本意そうに口を開いた。
「別に俺とこいつは仲が良いわけじゃねぇよ」
「えー。ユウってばそんなこと言っちゃってさ」
「が聞いたら怒りますよ」
アレンは少し複雑ながらもそう言った。
すると神田にじろりと睨まれた。
「怒るかよ。俺達は仲良しごっこをしているわけじゃねぇ。ただ意見が合っているから一緒にいるだけだ」
「意見が合ってる……?」
それを聞いてアレンは思わず瞬きをしてしまった。
何故なら普段の彼らはとても意見が合ってようには見えないのだ。
一緒にいられるのならば気は合っているのだろうが、意見の不一致から事あるごとにやりあっている。
アレンは軽く首を傾けた。
「そうは見えませんけど」
「表面上のことじゃねぇよ。もっと根本的に……」
そこで神田は言葉を切った。
しばらく何かを思案するように瞳を伏せる。
黒い双眸がさらに深い暗へと色を深めた。
それから神田はアレンを見た。
じっと顔を眺められて、アレンは居心地の悪い思いがする。
何だか落ち着かない。
神田の視線はどこまでも冷ややかで、こちらの心まで射抜くような瞳をしていた。
「な、何ですか?」
「俺はお前が嫌いだ」
唐突にそう言われた。
アレンは軽く肩を震わせ、驚きに目を見張る。
神田が自分を嫌っていることは知っていたが、何故今この時に、改まって言うのだろう。
アレンは心が重く塞がるのを感じながら、神田を見つめ返した。
「そんなことは知ってますよ。けれど今はの話をしているんでしょう。どうしてそんなことを言い出すんですか」
「俺とは意見が合うが、お前とは合わない。決定的なところが正反対だからな」
「だから……」
「だから俺はお前が嫌いだ。に近づくのも気に食わねぇ。そういうことだ」
「そ、そんなこと……っ」
アレンは怒りの熱が頬にのぼってくるのを感じた。
「そんなこと、君に言われることじゃない」
銀灰色の瞳で神田を睨みつける。
塞がっていた胸が燃えている。
そんなことを言われたくなかった。
どんな理由があろうと、誰かにとの関係性を否定されたくなかったのだ。
何故そう思うのかはわからない。
けれど怒りというハッキリとした形で、それはアレンの中に存在していた。
「それは僕と彼女が決めることですよ」
低くそう言うと、神田は瞳を細めた。
腕を組んでアレンを睨み返す。
「ああ、お前たちの勝手だ。けれどそれを腹立たしく思うのも、俺の勝手だろ」
「ちょっと、喧嘩をしないで」
「いいんですよリナリー。うやむやにするよりマシです」
「おいおいアレンまでのってどうするんさ。ユウも、変なこと言うなよ」
「黙ってろよ。お前らだって感じたことがあるだろう。こいつは他人をかばって死ぬ人種だ。の大嫌いな、そんな死に方をする奴だ」
どこまでも冷たい声で神田は言った。
リナリーとラビは口をつぐみ、瞳を暗く翳らせた。
アレンは目を見張る。
意識しない内に拳を固く握り締めていた。
「…………どういうことです」
「言葉通りだ」
神田はその唇に冷笑を浮かべた。
ひどく整ったそれとは対照的に、アレンは苛立ちに顔を歪めた。
「それじゃあわかりません」
「あーあーちょいタンマ。いったん落ち着こうぜ」
ラビが妙に明るい声で割り込んできた。
アレンと神田は思わず彼を睨みつけてしまったが、その顔に貼り付けた笑顔は消えなかった。
「なんつーか、これはあんまり楽しくない話題なんさ。そう簡単に他人が話していいことじゃなくって!なっ」
「………………………」
「って、こんなんじゃ納得しねぇよな……。ああもうユウのせいだぜ!こんなこと言ったら後でと喧嘩だってのに……」
「ラビ!でも……」
「いいって。オレだけが怒られればいいんさ」
困ったように瞬くリナリーに、ラビはにへらと笑ってみせた。
軽く片手を振って気にするなと告げる。
どうやら彼は、了解もなく口にすればに怒られるようなことを、一人で背負って話してくれる気のようだ。
アレンは思わず何か言おうとした。
けれどそれより先にラビの瞳に哀しみが滲んだから、口を閉ざさずにはいられなかった。
「グローリアが、さ」
その声は、とても静かだった。
「の師匠が死んだ理由がさ、コイツのトラウマってやつなんだよ」
「トラウマ……?」
「そ。すっげぇ痛い心の怪我。たぶん、一生癒えないでっかい傷跡」
ラビは哀しく微笑んで、アレンを見つめた。
「グローリアは、を庇って死んだんさ」
一瞬、意味がわからなくてアレンは困った。
鼓膜は言葉を捕らえているのに、それを理解するのに随分時間がかかった。
よくわからない。
握りこんだ拳が震えた。
「詳しいことはオレも知らない。ただ5年前、任務中にグローリアは死んだ。弟子を庇ってアクマに殺されたんさ」
「……………………」
「そんな情のあることをする女じゃなかったはずなんだけどな。たぶん、が一番驚いたんじゃないかと思う。はいつだってグローリアに見捨てられないように必死だったから。弱さを許さず、甘えを禁じた師匠には、いつ突き放されでもおかしくないからって、必死に」
必死に、生きてきたのだ。
過去の己を捨てて“”になった瞬間から。
師だけを仰いで、がむしゃらに生きてきた。
弱さや甘えを見せるようであれば、グローリアは容赦なくを責めた。
そして躊躇うこともせずに、弟子を見捨てた。
そんな女だった、はずなのに。
「部隊は壊滅状態だって聞いたとき、オレは心臓がつぶれる思いがしたよ。は無事なのかって。グローリアの心配はしなかった。あの女がくたばるなんて考えられなかったから」
「…………けれど、死んだのはグローリアさんだったんですね……」
「そうさ。は生きていた。グローリアに庇われて、たった独り、生き残った……」
「独り……ですか?」
呆然と訊くと、ラビは頷いた。
「転々と転がる屍を辿って救援部隊がそこに到着したとき、はグローリアの死体を抱いていたって。どちらの血かわからないほど、全身を真っ赤にして」
壮絶なその光景を想像して、アレンは息を詰めた。
向かいでリナリーが顔を覆った。
ラビの声はいっそ穏やかな調子で続く。
「帰還したは、何が起こったかよくわかってなくて。コムイが何度も言い聞かせてもグローリアが死んだことを信じなかった。嘘を言わないでって、魂が抜けたみたいな顔で笑ってた。でもは持ってたんだよ、グローリアが死んじまった証拠を」
「証拠……って」
「ピアス」
ラビはまず自分の耳を指差して、それから向かいのソファーで眠るのそれを指し示した。
彼女の左耳に光る、黒曜石のピアスを。
「あれはもともとグローリアのものだったんさ。殺されたときに千切れて飛んだあのピアスを、は握ってた。震えて開くことも出来なかった拳を無理にこじ開けて、その証拠を認識して。あとはもう……、見てらんなかった……」
そこでラビは初めて言葉に感情を見せた。
声が震えて、片手で自分の腕をきつく掴む。
顔を覆ってしまったリナリーが細く言う。
「“”が私達の前で涙を見せたのは、そのときだけよ。床に伏して、声をあげて泣いて、血を吐くように叫んで……。見ているこちらが苦しくて死んでしまいそうだったわ……」
「グローリアは“”の世界の中心だったからな…………」
それを失って“”は一度、崩壊しかけたのだ。
彼女は今まで誰にも涙を見せなかった。
けれどその要であった師匠が死んだことで、何かが確実に壊れてしまったのだ。
「だからは、お前のような人種が大嫌いだ」
ラビやリナリーとは違う、まったく感情を宿さない声がそう言った。
アレンは神田を見た。
彼の横顔は美しく、鋭く、それこそ刃のようだった。
「こいつはいまだにグローリアも自分自身も許していない。当たり前だ。何よりも守りたいと思っていた者が、自分を庇って勝手に死んだんだ。己を殺すように責めて、血を吐くほど後悔をして、そして誓いを立てた。二度とこんな悲劇を繰り返さないと」
それは、世界への約束でもあった。
「もうわかっただろう。にお前が近づくのを気に食わないと言うわけが」
神田は瞳をアレンへと向けた。
アレンは心臓に痺れを感じていた。
指先さえままならない。
拘束してくる真実と、抜き身の刀のような眼差し。
「は自分自身をないがしろにする人間が大嫌いなんだよ。それが守るためだろうが何だろうが関係ねぇ。己の命を盾や道具にして、死んでいく人間を絶対に許さない。その命を大切に想っている者がいることにも気づかず、簡単に捨て去ってしまう者など認めはしない。身体も心も拒絶して、受け入れるものか」
「………………………………」
「お前はそれだろう。だから俺はお前が嫌いだ」
神田は斬りつけるような鋭さで、アレンに向けて言い放った。
「そんなくだらない死に方をする馬鹿が、俺達は大嫌いなんだよ」
その声を聞きながら、アレンは古くはない自分の記憶を辿っていた。
神田と初めて任務に行ったときに、彼が見せた激昂。
あの老人と快楽人形の絆を守りたいと、そのために自分が犠牲になると、そう言ったアレンに神田は怒りでもって応えた。
殴られた頬はもう痛みを失ったのに、今でも熱を帯びているようだ。
そしてさらに思い出すのはの信念だった。
あれは公爵家の霊廟の地下、薄暗い逃走路でのことだ。
そこで彼女が告げた言葉は、以来アレンの胸に響き続けている。
苦しいほどに内側からアレンを揺らし、目の前に浮かび上がるの表情と、耳の奥で再生される声。
『お願い、あんたも選んで。守るために死ぬのではなくて、それを貫くために生きることを』
はエクソシストだった。
心からそれを貫いていた。
彼女がこれまでどれだけの仲間を失ったのか、どれだけの苦痛を乗り越えてきたのか、アレンは知らない。
けれどその死がに命を守ることを固く決意させた。
その哀しみと後悔が、世界を終焉から救うのだと強く誓わせた。
“”はエクソシストとして生き抜くことを、確固たる意思でもって選んでいるのだ。
守る決意ならアレンだって同じである。
けれど、そのためなら自分を犠牲にしてもいいと思っていた。
それがアレンとの絶対たる違い。
埋めようのない隔たりだった。
ああ、今も途方もなく優しいの願いが聞こえる。
『お願いだから……っ』、
儚くも強い、彼女の祈りが。
『その決意の果てで、生きることを選んでよ……!!』
飛び散った涙を思い出して、アレンは左眼に刻まれた呪いの傷跡を撫でた。
「…………怖いと、言われました」
アレンは吐息ほどの声で囁いた。
「は僕を“優しい”と言った。優しい人が怖い、って」
胸の内で切ない衝動が暴れまわっていた。
呼吸が苦しい。
けれど頭の中はやけに鮮明で、アレンはそっと傷跡の上に指を滑らせた。
「優しい人は、それに命を賭けて死んでしまうから……。そうやっていなくなってしまったんだって。みんなみんな……、グローリアさんも」
だからあの時、彼女はあんなにもアレンの行動を許せないと言ったのだ。
過去にそうやって何度も大切な人を失ってきたから。
その度に守られることしか出来なかった自分を責め、無力さを呪ったのだろう。
犠牲によって自分だけが救われ、それ故に負った彼女の責め苦はどれほどのものか。
アレンには想像もつかなかった。
守りたかった人々が優しさに命を賭けて死んでしまうから、あの金髪の少女は決めたのだ。
もう二度と、そんな悲劇を認めない。繰り返させない。
今度こそ、すべてを守ってみせると。
「だからあの時、あんなにも……」
アレンは指先が震えるのを感じた。
それを殺したくて強く握りこむ。
全身が冷たくなったかのように感じた。
黙り込んでしまったアレンに、ラビが言いにくそうに訊く。
「あの時って……、が言ったのか?グローリアのことを……?」
「………いいえ。ただ僕がひとりを逃がそうとして、その時に少しそんなことを言っていただけです」
アレンは瞳を伏せたまま続けた。
「グローリアさんがを庇って死んだことは、今はじめて知りました」
知っていれば、もっとあの時の彼女を気遣うことができただろうか。
ぼんやりとそう考える。
すでに遅すぎるということを知っていても、思いを馳せずにいられなかった。
ラビは気まずそうに瞬いて、何度か頷く。
「だ、だよなぁ……。が言うはずねぇもんな」
けれどそこでラビは目を見張った。
ひどく驚いた表情で神田を振り返る。
「じゃあ何でユウは知ってるんさ。オマエがと知り合ったのはグローリアが死んだ後だろ?」
「ああ、そうだな」
神田は興味なさそうに答えたが、ラビは誤魔化されずに彼の肩を掴んだ。
真っ直ぐにその漆黒の瞳を見据える。
「が話したのか?コイツが?あれ以来、誰の前でもグローリアのことを語らなくなったってのに?」
「………………俺が無理やり話させたとでも言いたいのか?」
「そんなことは……」
ラビは言いよどみ、瞳を揺らした。
神田は彼の手を振り払う。
睨みつけられて、ラビは細く囁いた。
「けれど、グローリアの死はの心の傷だ。一生消えないほど、大きな。それを自分から話したって?」
「そうだ。コイツが自分で言った。テメェが心配するようなことはひとつもねぇよ」
神田はアッサリとそう告げたが、ラビの目は納得していなかった。
じっと見つめられて、神田は吐息をつく。
それからに視線をやって、小さく吐き捨てた。
「本当に面倒くさい女だな」
けれど言葉とは裏腹に、声は少しだけ優しかった。
神田はラビの方に顔を戻して言う。
「俺はグローリアを知らない。けれどそいつと俺は似ているらしいからな。が話す気になったのも、そのせいだろう」
「グローリアとユウが……?」
ラビは目を見張って問い返した。
向かいでリナリーも驚いた顔になる。
「誰がそんなことを言ったの?似ていないわよ」
「知るかよ。が言ったんだ」
「はぁ!?が!?何でさ!!」
「だから知らねぇっつてんだろ。こいつ曰く、初めて会ったとき俺に“似ている”と言っていたのがグローリアで、ある時まで本当にそっくりだと思っていたんだと」
それを聞いて生前のグローリアを知るラビとリナリーは顔を見合わせた。
そしてへと目をやり、最後に神田へと戻る。
二人は声をそろえた。
「「絶対に似てない(さ)(わ)」」
「………………断言したな」
「だって!似てねぇもん!!」
「そうよ。そんなこと思ったこともないわ」
そこで神田がうるさそうな顔をしたから、ラビは両腕を使ってさらに力説した。
「ユウは知らんだろうけど、グローリアってのは、そりゃあもうすげぇ女だったんさ!見た目はとんでもない美女だけど、口を開けば罵詈荘厳!おまけに拳や蹴りまでついてくる!オレもさんざんイジメられたし、なんて何回殺されかかったか!!」
聞いてもいないのにラビは顔を青くして、グローリアについて訴えた。
どうやら彼は前に言っていた通り、かなりのトラウマがあるらしい。
リナリーが苦笑しながら付け加える。
「けれど明るくて楽しい人だったわ。いつもいい意味で期待を裏切ってくれるような、そんな人よ」
「まぁ確かに愛嬌はあったな……。ユウには欠片もない社交性ってやつさ」
「うるせぇよ」
舌打ちをした神田を見つめて、リナリーは続ける。
「神田が似ていると言うのなら、はどうなるの?関わった人間すべてを巻き込む台風の目のようなところなんて、グローリアさんにソックリよ」
「だぶん同じ人種なんだろうさ。泣く子も無理やり黙らせて自分の世界に引きずり込むゴーイングマイウェイ!…………オレは断然のが好きだけど」
ぼそりとラビは付け加えた。
どうやら似たもの師弟も、それなりに違うところがあったらしい。
ようやくアレンが顔をあげてそちらを見やると、ラビは笑ってみせた。
詳しいことを話してくれるのかと思えば、彼は話題を元に戻してしまった。
「ま、そう思うのは親友の贔屓目と、オレのグローリアに対するトラウマのせいかもしれねぇし!とにかくユウとグローリアは似てないと思うぜ」
「はどうしてそんなことを言ったのかしら……?」
リナリーが唇に手を当てて首をかしげた。
神田が興味のない声で答える。
「簡単な話だ。だけが知るグローリアがいて、それと俺が似ていると言ったんだろう」
「えー、でも納得できないさ!そもそも何でそんな話になったんだよ、がグローリアのことを口にするなんてよっぽどのことじゃんか!!」
「うるせぇな、耳元でわめくな!いろいろあったんだよ、いろいろ!!」
「いろいろって何さー!!」
嫌そうに追い払ってくる神田に食いついてラビは吠えた。
胸倉を掴んでがくがくと揺さぶっている。
ついにキレた神田が『六幻』を抜刀したが、ラビは退かなかった。
「駄目だぜ、ユウ。話してくれるまで逃がさないさ!」
「テメェな……!」
「僕も聞きたいです」
騒ぐ二人の後ろからアレンは言った。
自分でも驚くぐらい、はっきりした口調になった。
ラビとリナリーが目を見張って視線を投げてくる。
神田が黒髪を揺らし、ゆっくり振り返った。
アレンはその瞳を見据えて口を開いた。
「僕の行動がを傷つけてしまったのなら、それを最後まで知らなくちゃいけない。……彼女は君に何て言ったんです?」
「…………………………」
「教えてください、神田」
真っ直ぐに見つめると、神田の視線が返ってきた。
彼はやはり冷たい視線をアレンに注いでいた。
それでもアレンは目を逸らさなかった。
逸らすわけにはいかなかった。
あの時のの涙は、アレンの左眼の傷跡を今も辿っている。
拭う手を見つけなければいけない。そう思った。
ふと、神田の目が細められた。
腕が優雅に動いて『六幻』がおさめられる。
彼はソファーに戻ると、アレンの顔を見ずに言った。
「どうしたって俺はお前が嫌いだ。に近づくのが気に食わねぇ」
「構いません」
「……聞いてどうする」
「それは、聞いた後で決めます」
「……………………面倒くせぇ」
神田は長いため息をつくと、アレンを見た。
そして忌々し気に告げた。
「一度しか言わない」
「神田……」
「途中で何を思っても口を開くな。俺はお前の感想なんかに興味はない」
声はどこまでもぶっきらぼうだった。
けれど言われた言葉にアレンは目を見張る。
神田がこういう態度を見せたとき、はいつも“大好きだ!”と言っていたっけ。
そんなことを考えているアレンを、神田は強く見つめた。
「いいな?」
「……はい。ありがとうございます」
アレンが少しだけ微笑むと、神田はそれを見ようとはせずに目を逸らした。
心底邪魔くさそうにため息を吐いて、口を開く。
伏せられた睫毛の下で黒い瞳が微かに揺れた。
「そう言えば、あの時も血まみれだったな。俺達はいつだって傷だらけで向かい合っていたのか…………」
そうして神田は、そっとの名前を呼んだ。
それは初夏の頃だったと思う。
細い針金のような雨が絶えず天から地上へと降り注いでいた。
けぶる空気が世界を白く染めている。
靄のかかったその風景を、神田は列車の窓越しに見ていた。
任務を終えて教団に戻る途中だった。
イノセンス発見の情報はデマであり、無駄足を踏んだ神田の機嫌が良いはずもない。
パートナーがいないだけマシかもしれなかった。
こんな気分で他人と顔を突き合わせていられる自信などないのだから。
神田は通り過ぎてゆく景色をひたすら睨みつけていたが、ふいに個室の扉をノックされて数時間ぶりに視線を動かした。
入るように命じると、探索隊の男性が扉から姿を現す。
彼は一礼すると口を開いた。
「本部より緊急の連絡が入りました」
「本部から……?」
「はい。どうぞ」
眉をひそめながら神田は差し出された受話器を受け取った。
耳に当てれば微かな雑音と共にコムイの声が聞こえてくる。
『ああ、神田くん?君、今どこにいる?』
「スイスの北西だ」
『だったら近いね。今すぐベルンの街に向かってくれないかい?』
「……どういうことだ?」
即座にただならぬ気配を感じ取って、神田は回線の向こうに意識を集中させた。
コムイは慌ただし雰囲気で続ける。
同時に書類をめくる気配と、科学班員の走り回る音が聞こえてきた。
『そこに派遣した探索隊から救援を要請されたんだよ。まだ何があったかわからないけれど……』
「わからない?無線が途中で切れたのか」
『うん……。最後に悲鳴が聞こえたよ』
「…………殺られたか」
『それを確認してきて欲しい。そしてアクマがいるようなら破壊を』
「わかった」
神田は頷くと、コムイから詳しい目的地の位置を聞き、手早く無線を切った。
受話器を探索隊に返して個室に戻る。
背中越しに告げる。
「先に行く。お前たちは後から来い」
「え?でも……」
戸惑う探索隊を後ろに残して、神田は個室の大窓を開いた。
途中で留具に引っかかったので遠慮なく叩き壊す。
そのまま窓枠に足をかけると、悲鳴のような探索隊の制止の声が響いた。
神田はそれを無視して、猛烈なスピードで走る列車から飛び降りた。
轟音が響く空間で黒い髪が白い霧の中に舞う。
飛び乗り乗車もさることながら、飛び降り下車もいつものことだった。
ベルンの街はそう遠くはなかった。
人間離れした速度で駆けることのできる神田にとっては、森を抜ければすぐの距離だ。
雨のせいでじくじくとした地面が厄介だったが、文句を言う相手もいない。
神田は舌打ちをしつつ先を急いでいた。
救援を求める無線が途中で切れたとなると、それはこれ以上ないまでに緊急事態を示している。
その地に派遣されていた探索隊がアクマを発見し、そのことを教団に報告する直前で殺されたのだろう。
よくあることだ。
探索隊を皆殺しにして逃げられる前に現場に辿り着き、アクマを破壊しなければ。
そう考えながら神田は走り続けていたが、ふいに『六幻』を抜刀すると、泥を跳ね上げながら急停止した。
素早く視線を巡らせる。
油断なく構えてイノセンスを発動させた。
(何か、来る)
それはやけにすばしっこい気配だった。
身のこなしもスピードも、普通の人間のそれを遥かに凌駕している。
白い靄のかかった黒い森で神田は感覚の網を張り巡らせた。
(アクマか?)
一瞬思考したが、すぐにやめた。
アクマかどうかは自分にはわからないし、こんな場所にいる時点で普通の人間でもないだろう。
斬ってみればいいだけのことだ。
やがてその気配はぴたりと動きを止めた。
どうやら向こうもこちらに気がついたらしい。
呼吸を殺し、身を隠されてしまった。
しばらく沈黙が森に落ちた。
どこかからこちらを見ている視線を感じる。
神田は細く息を吐き出して、相手の位置をさぐった。
降り注ぐ雨を拭う余裕はないから、雫が目に入らないように気をつけなければならない。
視界は最悪。
地を這うように霧が広がっている。
ならば相手はどこから自分を見ている?
相手の視線が、神田の背中から面前に移動した。
その瞬間、急に気配が乱れた。
神田はすぐさま反応して右手にある大木を仰ぎ見た。
なるほど、あそこなら霧に巻かれずこちらを見下ろせるはずだ。
位置は上から4本目の太い枝。その根元!
『六幻』を振りかざし、強く地面を蹴る。
「そこか!」
気配に向かって鋭く刃を打ち下ろす。
同時にいくつもの黒い閃光が瞬き、神田の刀を撃退した。
緑の向こうに垣間見えた姿に神田は目を見張った。
弾き返された『六幻』を振って後退し、同じように地面に着地した相手を見据える。
白い靄越しに声がした。
「や、やっぱり神田だ……」
そして一歩を踏み出してくる。
神田はイノセンスを構えたが、相手は気にせず姿を現した。
「こんなところで会うなんて、びっくりしたよ。おかげで居場所を悟られちゃった……」
霧の中から浮き上がるようにして出てきたソイツは、見覚えのある少女だった。
彼女は雨避けに被っていたフードを取りながら、不覚そうに呟く。
暗くよどんだ空の下で、陽の光のように金髪が輝いた。
同色の瞳が神田を見ている。
「テメェ……」
神田は低く唸ると、少女は軽く手を振った。
『六幻』の発動をいつまでも解かないでいたからか、顔をよく見せるようにもう一歩近づく。
「どうもお久しぶり。でっす」
確かに会うのは1ヶ月ぶりだ。
が先に任務に発ち、神田もそのあと別件に就いた。
彼女はもう教団に戻っていると思っていたのだが……。それとも再び任を命じられて出ていたのか。
けれどそんなこと今はどうでもいいので、神田はに低く尋ねた。
「何でテメェがここにいる」
「そっちこそ」
「先に訊いたのは俺だ」
「だったら先手必勝で答えようかな」
「勝負じゃねぇだろ」
「神田とは常に戦ってばかりだったから、ついね。とりあえず刀を下ろしてくれない?」
はにこりと笑うと、向けられた『六幻』の刃に指先をつけた。
神田は少しの間沈黙していたが、舌打ちと共に刀をおさめる。
コイツはいつまで経っても俺を恐れない。
何度刃を向けても平然としているのだ。
本気で斬りかかったことも数え切れないほどあるにも関わらず、この態度なのである。
冗談で怖いだの何だの騒ぐことは多々あるが、本当の意味で恐怖を訴えることはなかった。
それがさらに神田を苛立たせる原因になっていた。
凶器を向けて慄かない者など、低能なアクマ以外に知らないというのに。
言われたとおりに刀を引くと、は口を開いた。
「私は今までフランスで任務に就いていたの」
やはりまた別件の任務を任されていたのか。
それにフランスと言えば隣国だ。距離的に近い。
何となく事態が読めてきた神田に、は続けた。
「それが解決したから、国境を越えたのね。それでスイスに入ってしばらく経ったころに、コムイ室長から緊急連絡が入ったんだ」
「…………………………」
「何でもベルンの街に向かってくれって。急ぎだって言うから、探索隊の人を置いて列車から飛び降りてきちゃった。森をつっ走ったほうが早いと思ったからさ」
「……………………テメェもかよ」
「やっぱり神田も?」
「不本意だがそうだ」
「じゃあ一緒に行こう。任務は道ずれ、ってね」
「…………嫌だと言っても目的地は同じだ。それに勝手について来るつもりなんだろう」
「もちろん。あ、ベルンの街に着いたら正義のヒーローらしく登場するつもりだから。ご協力よろしく!」
が明るく笑って敬礼したから、神田は眉をひそめた。
またわけのわからないことを言い出したと思ったのだ。
「正義のヒーロー?」
「そう。仲間のピンチに遅れて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!イノセンスレンジャー、レッド参上!ってね」
「………………馬鹿ばかしい」
「そんな不満そうな顔しないでよ。一緒にやれば楽しいって。神田ブルー!とか」
「お前な」
「ああ、青は嫌い?じゃあ黄色ね。イエロー!でもこのキャラは難しいんだよ、いつも何時もカレーを食べていないといけないんだから」
「いい加減にしろよ」
神田は吐き捨てるように言った。
先に立って歩き出したの背を睨みつける。
それは氷を思わせる冷たい視線だった。
「どうせ向こうは死体の山だぞ。よくそんなことが言えるな」
この緊急事態においてあまりに普段通りのに、神田は苛立ちを感じていた。
これから自分達が行く場所は戦場だ。
そしてそこにはいくつもの屍が転がっていることだろう。
血の匂いが充満し、死の世界が存在している。
それなのにこの娘の態度はいつもと同じでひたすら明るい。
泣き喚かれても迷惑だが、これはこれであんまりだと神田は思った。
不愉快な気分が胸を満たして、を睨みつけずにはいられない。
けれど背中を向けたまま彼女は言った。
「私の心配してくれるの?ありがとう!」
それはやけに元気な声だった。
言う間も霧の中をずんずん突っ切ってゆく。
ただひたすらにベルンの街に向けて。
「でも大丈夫。私は、バカやってられるうちは平気だから」
神田は思わずを見つめた。
そしてその両拳がきつく握り締められているのに気がついた。
止まない雨に負けないように、が告げる。
「弱音なんて吐き出したら、我ながらかなりヤバイと思うけどね」
「…………………………」
「だからそのときまでは心配しなくて大丈夫だよ」
「………………お前」
「へいき」
言葉の最後で、は奥歯を噛み締めたようだった。
気のせいかとも思ったが、彼女の強く固めた手は力の込めすぎで白くなっている。
神田はそっと目を細めた。
決して開かれることのないその掌。
そして普段通りの態度を装うことで、はあらゆる絶望と恐怖を握りつぶしているのだろうか。
神田にはわからなかった。
わかろうとも思わなかった。
もしそうだとしても、それはの戦いだ。
自分がどうこう言う話ではない。
だから神田は黙ったまま大股で歩いての隣に並んだ。
そしてその後頭部を軽く殴った。
見開かれた金の瞳を見下ろして、短く告げる。
「行くぞ」
「……うん!」
二人は再び黒い森を走り出した。
予想以上にひどいな、と神田は思った。
スイスの西に位置するベルンの街に足を踏み入れる。
着いたそこは文字通り廃墟だった。
崩れた建物。倒れた木。壊れた柵。吹き飛んだ花壇。
人々が慈しみ育ててきた生活の全てが、粉々に砕かれて地面の上に転がっていた。
どこかで火が燻ぶっているのか、焦げ臭い匂いが漂っている。
そしてそれに混じって、別の臭気も。
「いやなにおい」
が言った。
視線は地面に注がれていた。
そこを赤く染める液体に。
「血だ」
は一度強く唇を噛むと、何かを振り切るように辺りを見渡した。
そこここに衣服が散らばり、その内側に灰のようなものが溜まっている。
アクマのウイルスにやられて砕け散った人間の成れの果てだ。
は大声で叫んだ。
「誰か!誰か生きていませんか!!」
「おい」
神田は咄嗟にの腕を掴んだ。
引き寄せながら言う。
「止めろ」
「………………止めろ?」
「アクマにまで聞こえる。俺達の居場所を晒すつもりか」
「それこそ望むところよ。アクマがいるなら出てくればいい」
は冷静に返すと、腕を振って神田の手から逃れた。
神田は舌打ちをした。
こいつは頭が悪いのかと思う。
それではこちらは何の対策も出来ないではないか。
出てくる敵に包囲されて、そこに突っ込んで行かざるを得なくなる。
神田はを冷ややかな瞳で見下ろした。
「テメェは真正面からかかっていくしか能がねぇのかよ」
「確かに利口な策じゃないよ。でも、そんなこと言っている場合でもない」
「なんだと?」
「どちらにしても破壊しなければならない敵だもの。数が多ければ一気にケリをつければいい。それが無理でも分散させる戦法はいくらでもある。それに……」
は神田を見もせず、辺りに油断なく視線を巡らせながら言った。
「こちらにアクマを引きつけることができれば、まだ生き残っている人たちが安全になるでしょう」
その言い分に、神田は眉をひそめた。
結局はそれが目的か。
思っていた通り、こいつは甘い人間のようだ。
視線の先でが自分の胸元に手をかざす。
そしてそこにあるローズクロスに触れた。
「私達は囮よ。悪意の的になるためにいる。身を晒すのは当たり前、躊躇っている暇なんてないはずよ」
「それで負けてりゃ元も子もねぇがな」
「負けるつもりはない。自分でやったことにも責任を取る。あなたには迷惑をかけないつもりだけど」
そこでようやくが振り返った。
そして雨で青ざめたように見える顔で、いつもと同じ強気な笑みを見せた。
「一人きりと、二人いるのとでは、ずいぶん勝算が変わってくると思わない?」
「………………協力しろと言いたいのか」
「あなたもエクソシストなら一緒に戦ってくれるかな、と思ったんだけど。私達に与えられた役目は同じ。アクマを破壊することなのだから」
「……………………」
「イノセンスレンジャー、レッドからのお願いだよ。頼りにしてるぜ、神田ブルー!」
「誰がだ!!」
「イエローだっけ?まぁどっちでもいいや」
神田は怒鳴ってやろうと思ったが、その時にはもうはどんどん街の中に入って行ってしまっていた。
仕方なく舌打ちをして後に続く。
砕かれた石畳を踏みしめて、雨を掻き分けながら進む。
二人は通りを駆け抜けて敵と生者の姿を探した。
けれど辺りはしんとしていて、悲劇は過ぎ去ったかのように静謐な空気に満ちている。
どうやらこの一角は壊滅のようだ。
来るのが遅すぎたか……。
神田は路地に転がった衣服と灰に視線をやりながら、前方で息を切らすに言った。
「おい、お前」
「誰かー!……って神田が返事してどうするの」
「諦めろ。生き残りはいない」
「………………ここにはね。神田、あそこまで行こう」
は腕をかざして遥か前方を指差した。
神田が視線をやれば、けぶる雨の向こうに細長いシルエットを捉える。
この街のシンボルだ。
「時計塔か」
「うん。探索隊はあそこを調査していたみたいなの」
「コムイがそう言っていたな。なら、あそこでアクマに襲われたのか」
「そう考えるのが妥当だと思う。…………行ってみればわかるはずだよ」
神田はを見た。
そして彼女が頷くのを確認すると駆け出した。
置いていかれることなく隣を疾走する金髪を横目に言う。
「まだアクマがいるとしたらあそこだな」
「探索隊はあの塔で奇怪現象と思われる噂を調べていたからね」
「敵もそれに導かれて来たのか……」
「恐らく。……急ごう。まだ助けられる人がいるかもしれない」
そう口にしながらは走る速度をあげた。
神田はそれを見て、彼女に告げる。
「言っておくが」
神田は黒髪を揺らしてのほうに瞳を向けると、その顔を鋭く睨みつけた。
「俺がここに来たのは任務のためだ。それを遂行するために邪魔だと判断したら、俺は誰だろうが見殺しにするぜ」
「………………」
「お前も死にたくなかったら妙な情なんて持たないことだな」
「妙な情、ね」
「絶対に俺の足を引っ張るなよ」
「ずいぶん冷たいなぁ」
答えながらは半眼で微笑んだ。
本気で睨みつけてやったのに、またこの態度だ。
神田は眉をしかめたが、は気軽にこちらの背を叩いてきた。
「そんなこと淋しいこと言わないで!神田がピンチになったら私が助けてあげるからさ」
「ハッ、そんな事態があるかよ」
「まぁ危ない状況なんてないほうがいいけどね……、神田!」
言葉の最後でが鋭く名前を呼んだ。
二人は土埃をあげて足を止める。
行く手には破壊された噴水の残骸があった。
その横手に続く路地に、淡い光を見つける。
そこに潜んでいた人々は悲鳴をあげたが、こちらの姿をよく確認すると涙声で叫んだ。
「エ、エクソシスト様!!」
二人は目を見張った。
眼前にいる数人が身に纏った服に驚く。
それは白い団服で、彼らが探索隊の者であることを示していた。
彼らは薄く発光する結界装置の中に身を隠しており、よく見ると街の住人であろう人々の姿もある。
そこにいる全員で縋るようにこちらを見ていた。
「どうしてこんなところに……」
が言いながら近づき、張り巡らされた結界に触れる。
その内側から探索隊の男性が答えた。
「時計塔に調査に行った者たちから連絡が途絶えたのです。ようやく通じたと思うと、アクマに襲われたことを告げて、それっきり……」
「………………それで?」
「大量のアクマが飛び出してきて、街を襲いました。私達は住民を避難させようとしましたが、間に合わず……。生き残っているのはここにいる者たちだけです」
「あなた達の無線は?教団には連絡したの?」
「いえ……。アクマにすべて破壊されてしまいました。まだその辺りに敵がいるかと思うと、動くに動けなくて……」
「そう……」
はわずかに視線を落としたが、すぐに振り上げて、そこにいる人々を見た。
「とにかくあなた達は無事で……」
その言葉の途中でハッとしたように息を呑んだ。
結界に手を叩きつけて言う。
「怪我人がいるの?」
「は、はい……」
の視線の先を追って、神田は瞳を細めた。
そこに横たわっていたのは探索隊の男性で、ぐったりと目を閉じている。
白い団服の脇腹部分を流れ出た血が真っ赤に染めていた。
は踵を返しながら告げた。
「結界装置を解いていて」
「え……?で、でも」
「街にはもうアクマはいない!それに私達がいるでしょう、いいから早く!!」
神田は腕を組んで、路地の入り口からそのやり取りを見ていた。
は素早く走っていって、近くに建っていた店の扉に手をかけた。
半壊していてうまく開かなかったらしく、容赦なく蹴り壊すと、そのまま中に進入する。
もう咎めるものは誰もいないが、これ以上ないまでに堂々とした不法侵入っぷりだった。
そしてすぐさま飛び出してきた彼女は、数本の酒瓶と大きなタオルを抱えていた。
結界装置の解除された路地に駆け戻って怪我人の傍に膝をつく。
歯と手で布地を引き裂き、手早く止血点を縛る。
そして酒瓶を地面に叩きつけて割り、中身をタオルに染み込ませると血の滲む脇腹に巻きつけた。
アルコールで消毒された布を当てることで応急処置を施す。
けれど怪我人の呼吸は浅く、嫌な汗をたくさんかいていた。
はその額に手を当てて呟く。
「早く治療しないと危ない……」
「放っておけ」
神田はの背に向けて言った。
いつもと変わらない口調だった。
路地の壁に手をついて、続ける。
「そいつはもう助からない。足手まといになるだけだ。ここに置いていけ」
「……………………」
「他の探索隊は街の住民を連れて逃げろ。俺達は時計塔に向かう。いいな?」
は答えなかった。
だが微かに肩が震えたように見えた。
彼女の代わりに一人の探索隊が呻くように言う。
「な、何ですかそれ……。彼を見捨てろって言うんですか!?」
「そう聞こえなかったか?」
神田は冷ややかに返した。
その瞬間、また別の探索隊が怒鳴る。
「ふざけるなよ、仲間を置いていけるか!!」
「その仲間が死にそうなのに、こんなところにコソコソ隠れていたのはお前らだろう」
「アクマがいたからだ!そうでなければとっくに……っ」
「時計塔にいた奴らはどうした。あいつらは仲間じゃなかったのか。アクマに襲われたと知ったお前たちに何が出来た?」
「そ、それは……!」
「仲間を見殺しにしたんだろう。それでいい。どうせお前らには何も出来ない。今度もそうだ」
神田は冷たい瞳で路地裏に座り込んだ一団を見下ろした。
薄暗い空間で、黒い双眸が氷の光を宿している。
細い雨がまるで飾りのようだった。
「そいつを見殺しにしろ。自分達が助かりたければな」
これが戦争だと、神田は考えた。
犠牲なしの救いは有り得ない。
誰かが死んで、その上に他の誰かが生きるのだ。
そうでなければ何も変わらず、終わることもない。
この聖戦と呼ぶに値しない争いも、またそうなのだ。
ふいに胸倉を掴まれた。
その動きは余裕で見切れるものだったが、神田は何となく避けずにそれを受け入れた。
目の前で狂気にも似た輝きを宿す探索隊の瞳が揺れている。
「ふざけるなよ……っ、お前はいつだって俺達を見下しやがって!!」
男は感情を露にしたが、神田の表情は変わらない。
掴んだ胸倉を引き寄せて探索隊は怒鳴った。
「エクソシストがそんなに偉いのか!!」
「ハッ。イノセンスに選ばれなかったハズレ者よりはそうだろう。お前らは今回サポートすらまともに出来なかったな。そのざまで俺に何が言える?」
「……っ、俺達だって必死に戦っているんだ!世界を守るために命を懸けている!それを……っ」
「だから死なせたくない、か?」
神田は探索隊がそれを口にする前に、そう言ってやった。
「そして、死にたくないと言うんだろう。だったらなおのこと、ここから消えろ。戦場で誰もが生が主張できると思うなよ」
神田は自分の胸倉を掴んでくる探索隊の手首を捕らえた。
ギリッと力を入れれば痛みに悲鳴があがる。
神田はふいにくだらなくなって、唇に冷笑を浮かべた。
「言っただろう。もうここでお前たちに出来る事はひとつもない」
「何を……っ」
「死ぬのが嫌なら逃げ失せろ。お前たちの命のくらい、いくらでも代わりはいる」
「ふざけるな!!」
探索隊は怒りに顔を真っ赤にして、もう片方の拳を振り上げた。
神田は半ば呆れて言う。
「馬鹿が。俺に勝てるとでも……」
「と、見せかけて私の一人勝ちー!!」
唐突にそんな声が響き渡った。
そして神田は後頭部をぶん殴られる。
その衝撃に驚いて目を見張ると、眼前の探索隊も同じように後ろ頭を押さえていた。
どうやら同時に叩きのめされたらしい。
神田は視線を横に滑らせた。
掴み合っていた自分と探索隊の間、そのすぐ傍に、が仁王立ちになっていた。
「このさんの完璧なる勝利だね。まさに漁夫の利!」
彼女は満足そうに頷きながらそう言った。
神田は唖然としたまま、じんじんしている後頭部を押さえていた。
他の者もこの深刻な内容の喧嘩に普通に割り込んできたを、目を見張って眺めている。
しばらくすると徐々に怒りが湧いてきて、神田はを睨みつけた。
「テメェ……!」
「うるさい負け犬が」
は吠えようとした神田の口元に指先を突きつけた。
そして意外にも真剣な表情で口を開く。
「今そんなことを言い争っている場合?ガチンコ勝負なら教団でやることだね。それなら私も邪魔はしない。…………意味のないケンカじゃなければだけど」
「どっちにしろテメェには関係ねぇだろ……!」
「それも今はどうでもいいことだよ。ねぇ、ちょっとそこの噴水に頭を突っ込んで冷やして来れば。こんなところでグダグダやってるうちに怪我人を運ぶことが出来る。時計塔に向かうことだって出来るのよ」
「…………………………」
「お互いに譲れないものがあるのなら、いくらでもぶつかり合えばいい。でも今はその時じゃないでしょ?…………わかってくれるかな」
は真摯な瞳で神田と探索隊を見つめた。
しばらく沈黙が続いた。
は決して目を逸らさない。
先に手を離したのは神田だった。
舌打ちと共に、掴んでいた男の腕を振り放す。
そうすれば探索隊もハッとしたように手を引いた。
はそれを見て、少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう。殴っちゃってごめんなさい」
「い、いや……。こちらこそ」
探索隊は口ごもりながらも謝罪を口にした。
頭に血がのぼっていた彼も、に殴られた衝撃と冷静な声に落ち着きを取り戻したらしい。
本当は早く喧嘩を終わらせて次の行動に移りたかったろうに、彼女は急かすことなく本人たちにその選択を委ねた。
強制したのでは意味がないからだ。
人間というのは厄介なもので、強いられると反発を覚えるものである。
それでは避難どころか怪我人を助けることなどできない。
なるほど、のやり方は上手いと言える。
それでも腹立ちはおさまらないから、神田は苛立たし気に彼女から目を逸らした。
その傍でが探索隊に言う。
「あなたは元気みたいだから、怪我人を背負ってくれる?」
「あ、ああ……」
「応急処置で止血はできた……、急げば絶対に間に合うはずよ。他の探索隊のみんなは避難の誘導を。子供と女性、それとお年寄りを優先してください」
「……わかりました」
「アクマはもういないから、一気に駆け抜けて。ここから離れてね」
うずくまった人々を見渡して、はしっかりとした口調で指示を出した。
それは不安に慄く人々に対する、的確な対応だった。
最後に少しだけ声を柔らかくして告げる。
「私達は時計塔に行くから。これはあなた達にしか出来ないことだよ」
「エクソシスト様……」
「よろしくお願いします」
「は、はい……!」
探索隊たちは一気に頬に生気を取り戻すと、隣の者を気遣いながら立ち上がった。
死地から開放されるために希望を持って歩き出す。
は怪我人を例の男の背に乗せるのを手伝い、肌と団服を真っ赤にして戻ってきた。
路地の入り口で避難を開始した人々を見守り、時には手を貸す。
神田はそれを無視して歩き出そうとしたが、不意に声が飛んできた。
「あなた馬鹿ですか。もっといっぱい考えろ」
カタコトな口調でそう言われて、神田は怒るより先にの顔を凝視してしまった。
その口から放たれた言葉が、久しく聞かない、懐かしいものだったからだ。
目を見張る神田には続ける。
「嘘や偽りなく自分の考えを言えるのは良いこと。でも場合考えてください。ケンカする意味ない」
「お前……」
「言葉を合わせる気もないですか。馬鹿」
「日本語が喋れるのか」
「少しならブックマンのじーさんに習いましたよ。っ……あー舌噛みそう!やっぱりラビみたいにはいかないか……」
言葉の最後だけ英語に戻しては掌で自分の頭を叩いた。
必死に思い出すような仕草で、また日本語を喋り出す。
「他の人に聞かれたくない。がんばります。変だけど容赦せよ」
「……本当に変だな」
「合わせろって言ってるのに。聞き取りのほうは完璧ですよ。さぁ喋れ」
「……………………何が言いたい」
神田も仕方なく日本語に切り替えてを見た。
彼女は一瞬、神田が合わせてくれたからか、それとも聞き取ることができたからか、少しだけ口元を緩めた。
けれどすぐに表情を引き締めて告げる。
「あなたの言ったこと、否定はしません。犠牲によって救われることだってある」
「その通りだな」
「でも、賛成はしない」
はっきりとそう言ったを、神田は見つめた。
返ってくる眼差しはひたすらに真っ直ぐだ。
「犠牲を払って救われる命はあります。けれど誰かを犠牲にして救われた者が、本当に幸せだと笑えるか」
「だったら全員なかよく死ねというのか」
「考えが狭いですね。もっと広い視野を持てよ」
「………………お前の日本語は無性に腹が立つな」
神田が顔をしかめてみせると、はそれ以上言わずに、別の話題を口にした。
「…………さっき、どうしてあんなこと言ったんです。バカンダ」
「何のことだ」
「お前の命の代わりなんていくらでもいる、って。………………戦場に立つ私達が一番わかっているはずでしょう。そんなわけがないと」
「…………………………」
「ああでも言わなければ立ち上がってくれないとでも思いましたか。これだから不器用さんは困るな」
「…………結局何が言いたいんだお前は」
「さっきのことに、真面目に答えようと思って」
神田が瞬くと、は少しだけ目を細めた。
頬についてしまった血を手の甲で拭いながら、そっと告げる。
「あなたはあなたの好きにすればいい。足手まといだと思えば私も見捨てればいい。けれど私は最後まで諦めたくない。可能性の限り、誰の犠牲も許したくない。………例えこの手を振り払われても、あなたのことだって見殺しにはしません」
「……………………」
「あなたに“助けて”なんて、絶対に言いません。その代わり私も私の好きにします。私がここにいる理由も、エクソシストとしての誓いも、同じもの……たったひとつの想いなのだから」
ふいに、の瞳が強くなった。
内側から輝くような光がある。
それは燃え上がる信念だ。
「守るよ」
神田はしばらく言葉を失った。
それは目の前の少女から、およそ年齢にはそぐわない、強すぎる意志を感じたからだ。
一体どんな人生を歩み、どんな決意をすれば、ここまでのものが出来上がるのか。
同時に危うさも感じた。
この娘は犠牲を否定するあまり、それに命を懸けてしまうのではないかと思ったのだ。
強すぎる意思は、愚かな潔さも伴うものなのである。
「…………お前は」
神田はそっと声を低くして囁いた。
「ここまでくるのに、何を失った?」
静かに問いかけると、は少しだけ微笑んだ。
それは翳りのある暗い笑みだった。
「……………………それを並べ立てるような、自虐の趣味はありませんよ」
それっきりは黙り込んだ。
神田も何も言わなかった。
隣に立つ少女が睫毛を伏せてしまったからだ。
その瞳に涙が溜まっているのに気がついて、さらに沈黙は濃度を増す。
恐らく彼女は“失ったもの”を思い出してしまったのだろう。
慰めてやる気はさらさらない。
けれど自分のせいでこんな事態になったことを正確に理解している神田は、何とも言えない妙な気分になった。
泣いている女は鬱陶しいと思うが、必死に堪えている相手にはそれも言えない。
ふいにの肩が震えたので、神田は思わず彼女を見た。
金の瞳にはいっぱいに涙が溜まっている。
わずかにたじろいた神田の目の前で、は口元を覆ってぽつりと呟いた。
「………………舌噛んだ……!」
「………………………」
神田は一瞬絶句した後、英語で罵りながらの後頭部をぶん殴った。
そしてもう二度とこの女に慣れない言語を話させまいと誓ったのだった。
遂に、でもありませんがヒロインの師匠が死んだ理由をアレンが知ることになりました。
この出来事は今でもヒロインを縛り続ける心の闇です。
グローリアと同じような行動を取ってしまうであろう性格の持ち主であるアレンが、これからどのようにヒロインと関わっていくのか。
私にもわかりません。(オイ!)
とにかく今は神田とのオリジナル任務ですね。
まだまだ本当の意味でヒロインに冷たくあたる神田が、書いていて新鮮でした。
あとは妙な日本語を喋るヒロインも。(笑)
彼女はブックマンの教育のおかげで、ほとんどの言語が喋れます。(日本語はマイナーなので少しカタコトですが)
次回から戦闘に入ります。毎度のことながら流血などに加え、少し残酷な表現もありますのでご注意を。
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