状況はまさに一触即発。






● 黒の教団 黒の少女  EPISODE 2 ●






何かが絶対に間違っている。


アレンは心底そう思った。
背後には、自分をアクマだと決めつけた失礼極まりない門。
眼前には、自分を殺す気満々の見るからに危ない青年。


何だろうこの状況。
間違っている。何かが絶対に間違っている。






何の運命か「イノセンス」と呼ばれる神の物質に寄生され、エクソシストとしてアクマと戦うことを宿命づけられた少年、アレン・ウォーカーは現在混乱の極みにあった。
あの傍若無人な師匠と別れてはや数日。
言いつけを守ってエクソシストの総本部 『黒の教団』 を目指し、苦労に苦労を重ねてやっと辿り着いたと思ったらコレだ。


一体どーゆーことですか師匠。
きっちりはっきり説明してください本当に心の底から納得できる答えがもらえないと困ります。と言うか現在進行形で困ってます、どうしてくれるんですか。


半ば現実逃避ぎみに遠い空の下のクロス・マリアンに訴えるが、本人に届くはずもなく。


「この『六幻』で斬り裂いてやる」


目の前の青年は冷たくそう言い放つと、漆黒の刀を構えた。
どうしてそうなるのか全力で問いただしたい衝動に駆られたが、そんな余裕はなさそうだ。
黒髪の青年が携えた闇色の刃が、力の波動を纏う。


(刀型の対アクマ武器!!)


迸る殺気にアレンは息を呑んだ。


まずい。この人本気だ。
慌てて片手を前に突き出して、


「待って、ホント待って!僕はホント敵じゃないですって!!」


止まるように要求するが、アレンの声など聞く耳持たず。
青年は刀を突きの型に構えてこちらへと突進してきた。


(くそ……っ)


こうなれば仕方がない。
胸中で舌打ちをして、アレンは青年の攻撃を防ぐべく、発動した左手をかざす。
衝撃を覚悟した。


その時だった。




「神田ーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」




緊迫した戦場に気持ちがいいくらい響き渡る声。
少女の声だった。
強く、不思議な存在感。
きっと遠くからでも人を振り向かせるような、そんな力を持っている。
そしてその声は、アレンと青年の頭上から、突如として降ってきたのだ。


アレンは反射的に顔をあげた。
彼女はそこにいた。
そり立つ門を、まるで地をそうするのと同じ要領で駆け下りてくる。
そのスピードは人間の身体能力をはるかに上回っており、たちまちに姿が迫る。
顔を蹴られて泣き叫ぶ門番など眼中外で、彼女は突然弾かれたように跳ねた。
踊り子を思わせる鮮やか動きで小さな身が宙を舞う。


「なっ!?」
!?」


アレンと青年の驚愕の声が重なった。
と呼ばれた少女は不敵な笑みを浮かべたまま、


「覚悟!!」


そう叫んで飛びかったのは――――――――――アレンではなく、少女が神田と呼んだ青年だった。
一体どういうことかという当然の疑問をアレンが抱くより早く、神田は舌打ちをして降ってくるを防ぐかのように刀を構えなおす。


「ちょ……っ!?」


アレンは目を見張った。
そんなことをしたら少女の華奢な体は真っ二つだ。
見たところ彼女は武器らしきものを何も持ってない。空中にいるため避けることも不可能。


少女の身を案じてアレンは声を上げようとしたが、それは永遠に喉の奥に封印されることとなった。


何も持っていないはずの片手が神田の刀へと振り下ろされる。
途端響き渡る、甲高い音。
それはまるで剣撃の音だった。
しかし、見開いたアレンの目に映ったのは力の軌跡だけ。



黒い閃光のようなものが、少女の手と、青年の刀との間で弾けたのだ。



正体の分からないその光は空気に衝撃を伝え、突風を巻き起こした。
その風に乗るようにしては空中で身を翻すと神田の刀を持つ手を上から鷲掴む。
それを支点に腰を回して彼の胴体に蹴りを入れ、間一髪で防がれたのも気にせずに、さらに体をひねってもう片方の足も叩き込む。
そして横薙ぎに振るわれた『六幻』を足場に高く跳ぶと、神田の遥か頭上を超えて彼の背後に降り立った。
振り向きざまに斬り上げられた刀を再び正体不明の黒い光が弾き、いくつもの閃光がの周囲を舞った。


「っ…………テメェ!!」
「はっはっはっはっはー!やっと追いついたぞ神田めー!!」


は神田に掴みかかりながら、にやりと笑った。
青年を睨みつける勝気な瞳。前かがみのけんか腰。
その光景を呆然と眺めながらアレンは思う。


なんだアレ。


どうしようものすごく関わりたくない。
無理なのはわかっているけど、全体的に無視して先に進みたい。
だってまた変なのが降ってきた。
しかも意味がわからない。
何故彼らはあんなことをしているのだろうか。
服装から見るに、目の前で刀をぎりぎり押し合いへし合いしている二人は仲間だろう。
それなのにどうして、敵だと勘違いしている自分をほっぽいて内輪揉めなどを繰り広げ出したのだろうか。


「………………」


とりあえず放置されているのをいいことに、アレンは不自然極まりない登場をした少女を観察してみた。
先ほどはあまりの速さに顔もろくろく見えなかったが、こうして眺めてみるとえらく整った容姿をしている。
通った鼻筋、長い睫毛、桜色の唇。
肌は透けるほど白く、大きな瞳は蜜のような金色。
少しくせのある長い金髪は耳の上でひとつに結われ、反対の耳には黒曜石のピアスが光っている。
漆黒の服に身を包み、動きやすそうなミニのプリーツスカートからはニーソックスを着けた足がしなやかに伸びていた。
しかしいくら容貌が美しくても、アレンは引き攣った表情でしか彼女を見ることができなかった。
それもそのはず、は神田と胸倉をつかみ合って、


「甘いよ神田。私から逃げられると思ったかー!」
「逃げてねぇだろ別に!!」
「さぁ手当てをしよう!大丈夫よ、ものすごく痛いだけだから!!」


どこに隠し持っていたのか明らかに治療道具ではない刃物類・薬物類を取り出して心から楽しそうな微笑みを浮かべているからだ。


……………………………………どうしよう人種的にものすごく関わりたくない。


本能が告げている。
何となくだけど絶対的にそう思う。
ダメですか、このまま帰っちゃダメですか。


…………………………………………………………………………ダメですよね。



「あ、あのー……」


アレンはとりあえず目の前で激戦を繰り広げている二人に声をかけてみた。
だが、しかし。


「だから違うっつてんだろ!!」
「ハイハイ注射が怖いんですねー。大丈夫!恥ずかしくなんてないぞお子様めっ」
「テメェの耳は風穴かー!!」
「安心して、ちゃんと心の闇にしてあげるから!」
「なんでそうなる!!」
「それに私はいい先生だよ、治療費は出世払いでいいからとか言っちゃう心の広い先生だよ!!」
「黙れ!もうお前黙れ!!」


無視ですか。完璧に無視ですか。


存在を忘れられて、嬉しいような悲しいような、複雑な気分になるアレン。
その眼前では神田がのぶん投げた薬瓶を『六幻』でもって叩き落としている。


「うっわ危ない!さすがにマジな刃物は駄目でしょ」


は鼻先をかすめた刃を、ステップを踏むような身軽さで避けた。
同時に指先を軽く振る。


「っ!」


その瞬間バチィッと鋭い音が周囲に響き、漆黒の閃光が爆発した。
光は『六幻』と、それを握る神田の右手との間で弾けたようだ。たちまち神田の掌は柄から離れ、火に触ったかのような勢いで引き戻される。
は吹き飛んできた『六幻』を片手で受け止めると、ヒュンと回して逆手に構えてみせた。


「危ないので没収ね」
「……っ、危ねぇのはテメェのほうだろ。イノセンス使いやがって。返せ!」


神田のその言葉を聞いてアレンはやっぱり、と思う。
先刻からという少女が操る黒い光。力の波動は本物で、正体こそわからないものの、対アクマ武器と見て間違いないようだ。


「やだ。反抗期真っ最中の神田には『六幻』は返せないね」
「ふざけんなよ、テメェ今がどんな状況かわかって……!」


そこまで言って神田はハタッと言葉を止めた。
も気がついたようで小さく、あ、と呟く。
アレンは何となくこれからの展開が読めてしまい、頬を引き攣らせた。


「アクマ!!!!!」

「やっぱり……」


どうやら思い出されてしまったようだ。
殺されかけたのにその後すぐさま存在を忘れられ、放置されていたという状況もおかしかったのだが、こうなってしまっては再び命の心配がでてくる。困るなぁ。本当に困るなぁ。
神田は勢いよく門前を振り返り、まだそこにアレンがいることを認めると瞳をきつくした。


「逃げてなかったとはいい度胸じゃねぇか」
「ねぇ、あれだけ時間あったのに」
「テメェのせいでな……!」
「私のおかげか!」
「なに照れてんだよ、誉めてねぇよ!!」


神田は無駄に頬を染めたに怒鳴り散らすと、その右手を彼女に向かって差し出した。


「『六幻』を返せ」


瞳は真っ直ぐアレンを捕らえたまま。


「こいつは俺が殺る」


刃のような鋭い眼差し。
殺気を孕んだ硬い声音。
思わず硬直してしまいそうな緊迫した気配。

それを。


「やだ」


はいとも簡単に打ち破いた。


「………はぁ?」
「やだ。神田はだめ。見学」


心底理解できないというマヌケな表情で聞き返す神田に、はあっさりそう返した。
当たり前のこと言うような表情で続ける。


「だって神田にやらせたらすぐに殺しちゃうでしょ」


その言葉を聞いてアレンの頭に明るい考えがよぎった。
あれ?この子、僕のこと助けようとしてくれてる………?
もしかしてそのために出てきてくれたのか、という嬉しい解釈をもって見つめれば、は花のような微笑みを満面に浮かべたのだった。


「そんなの駄目だよ。こんなところまでわざわざ出向いてくれたんだから、これ以上ないくらい丁重に。跡形もなくなるくらいに。完膚なきまでに。手間暇をかけて全力で叩き潰さないと!!」


うん、期待した僕が馬鹿でした!


わかっていた。
わかっていたんだ。
感覚で、それもある意味直感的に、あの子はまともに話が通じる人じゃないだろうなってことぐらい。
そしてこれから僕が何を言っても止まってはくれないだろうな、ってことぐらい。
わかっている。
けれど。


アレンは無駄だと思いつつも、両手を挙げて無抵抗をアピールしてみた。


「だから誤解なんですって……!僕は……」
「よーし。華麗にぶっ飛ばすぞー」


やはり話を聞く気はないようだ。
あまりに殺る気満々のに、さすがの神田も冷や汗をかいている。


「おい、……!」
「さて。今回のお騒がせでお邪魔虫、度胸だけは誉めてやろう!なアクマはどんなのかな、っと」


そう言って、は神田の背後からひょこりと顔を出した。
その時になって初めてはアレンの顔をまともに見たようだ。
金色の瞳がふいに、大きく見開かれる。


「………?」


驚愕の表情で見つめられて、アレンは不思議に思いつつも、その眼差しに居心地の悪さを感じていた。
美しい色をしたそこに自分の姿が映し出されているのかと思うと、何故だか気恥ずかしい。
その感覚から逃れたくて彼女から目を逸らそうとした矢先だった。
突然、風が動いた。


「え……、っつ!?」


視界からの姿が消えた。
そう思った時にはもう世界が回り、背に強い衝撃を受けていた。
全身が地面に叩きつけられる。


「待て、!そいつは違う!!」


神田の声を遠くに感じる。
考えるよりも先に体が動いた。


真っ直ぐに突き下ろされる刃を発動した左手で弾く。
検圧が頬を撫でる。




風が止まった。




アレンは詰めていた息を細く吐き出した。
胸の鼓動がひどく速い。額を伝う冷たい汗。
自分になにが起こったのか、咄嗟に理解出来なかった。



ただ、見上げた先に冷たい金の瞳。




硬直したアレンをが無表情に見下ろしていた。







ヒロイン暴走。(早いな!)
出会ってすぐに押し倒される主人公。 なんだか可哀想です。