呪いには簡単に触れるくせに、この手を握りはしないのか。






● 黒の教団 黒の少女  EPISODE 5 ●






「入んなさい!」


黒髪の少女のその言葉に、アレンはようやく解放される。
神田はしぶしぶといったふうに『六幻』を収め、はさっさとアレンの膝の上から降りた。
どうやら彼女は、アクマでも理想の『クロス元帥の弟子』でもないアレンには興味がないようだ。


………………………………………………何か腹立つ。


アレンはそう思ったけれど、下手に絡むとまたもや命の危機がやってきそうなので気にしないことにした。


そうしてアレンは団員である彼らに連れられて建物の内部へと進む。
門から奥に続く石畳には先が見えない。
前を歩く少女が黒髪を揺らしながら言った。


「まったく……入団者を殺そうとするなんて」
「ねぇ、世の中には怖い人もいるもんだね」
「なんで君が言うんですか……っ」


背後からしみじみとした調子のの声が聞こえてきて、アレンは頬肉を痙攣させた。
今の台詞は絶対に彼女の口から出てきていいものではない。
アレンを間に挟んで前後二人の会話は続く。


「また神田が突っ走ったのね」
「そうなのリナリー。もうホント神田ってばおバカさん!」
「テメェにだけは言われたくねぇよ」

「それにが悪はしゃぎしたと」


神田の不機嫌そうな声にはびくともしなかっただったが、リナリーのその言葉にはぐっと息を呑んだ。


「…………ごめんなさい」


突然小さく呟かれた声。
その口調は明らかにしょげていた。
アレンが驚いて振り返ると、は神田の隣でしゅんとうなだれていた。


何だこの人。
今までありえないくらいゴーイングマイウェイだったくせに。
そんな子供みたいな顔で、本当に申し訳なさそうにして。
あまりに素直なその態度に、アレンは被害者にも関わらず何だか罪悪感を持ってしまった。


「あ、あの……」


もういいから気にしないでください。
思わず口を突いてそう言いそうになったが、が見上げてきたので言葉を封じられる。
彼女は捨てられた仔犬みたいな表情で、頭を下げた。


「本当にごめんなさい。今度からは新入団者の不安定な心を気遣って、もっと派手な歓迎を展開します。 格なる上は産まれてきたことを後悔するほど面白い目にあわせてあげられるようにがんばります」


「……………………………………………」



なにを。
何を謝っているんだろうこの人。


神田もリナリーもいつものことだと言わんばかりにため息をついているが、アレンの目には入らない。
アレンは思わず飛び出しそうになった言葉の数々を無理に飲み込んで、


「………………………………………………そうじゃなくて、君は僕に言うべきことがあると思うんですけど」


ものすごい努力の結果、そう言った。
色々な感情のあまり、声が若干震えていたが気にしないでくれると嬉しいなと思いつつ。
そしてそんなアレンの言葉を受けたは小さく首を傾けた。
少し考えるような間があって、それからぽんっと手を打つ。


「ああ!」
「わかってくれましたか!」
「私に殺されなくてよかったね!!」
「本当にね!!!!!!!!!!!」



違う!
確かにそうだけど違う!!
根本的に何かが違う!!!
アレンはもう我慢できなくて、思わず怒鳴った。


「いいから今すぐ僕に謝ってください!!」
「え?なにを?」


どうしてそうも悪びれなく聞き返せるのか、アレンには心底不思議だった。
もうすんだことだし、そこまでとやかく言う気はないが、仮にも自分は彼女に殺されかけたのだ。
しかも人違いとかいうなんとも理不尽な理由で。


たった一言の謝罪を期待した僕は変ですか。


絶対そんなことない!
強くそう思って、アレンはをきつい眼差しで見つめた。
しかし彼女は普通に言う。


「ああごめん、やっぱりあの歓迎じゃ不満だった?もっと豪快なのがよかったんだね。じゃあやり直すよテイクツーで」
「あれ以上なにをするつもりですか君は!あれより豪快な歓迎ってどんなのですかって言うかあれは歓迎じゃない でしょう、どう考えても!!」
「おわっ不満が盛りだくさんだね。いいよいいよ、今から思いっきりやり直してあげるから。むしろ在団者までも巻き添えにする勢いでがんばるね!」
「そんなの頑張らなくていいわよ、


のわけのわからない決意を慣れたようにそう切り捨てて、リナリーが足を止めた。
どうやら教団の本塔に到着したらしい。
リナリーはアレンを振り返ってにっこりと笑った。


「自己紹介がまだだったわよね。私は室長助手のリナリー。室長の所まで案内するわね」


……………………………………何だかここに来て初めてまともな笑顔を向けられた気がする。


奇妙なところに感動して、アレンは口元を緩めた。


「よろしく」


アレンがリナリーにそう返事をすると、神田がくるりと踵を返した。
もうどこかに行ってしまう気らしい。


「あ、カンダ」


アレンは思わず声をかけて、それからしばらく考えて、


「……と、


何となく嫌だったが一応彼女の名前も付け足した。


「って、名前でしたよね」


そう言うと、神田は鋭い眼差しで振り返った。も不思議そうにこちらを見る。
アレンは二人に向かって右手を差し出した。


「よろしく」


そうしていつもの笑顔を浮かべた。


目の前の二人には殺されかけたという事実がある。
本音を言ってしまえば笑顔を向けてまで仲良くしたいような印象はないのだが……。


(でも、仲間だ)


そう、彼らはこれから共に戦う仲間なのだ。
だからこれは当然の行動だ。
それに、人としての礼儀だとも思う。
アレンは今までそうやって生きてきたし、これからもそうするつもりだった。
しかし、神田は差し出されたアレンの手を一瞥する。


「呪われてる奴と握手なんてするかよ」


冷たく言い放たれたその言葉にアレンがなにか思うより早く、


べしん!


これ以上ないほど小気味良い音をたてて、が神田の頭をぶん殴った。


「失礼!神田失礼!第一印象は大切にねっ」
「……………………っ!!」


思わず頭を押さえてうなだれた神田が、かばりと顔をあげる。


「テメェ人のこと言えねぇだろ!!」


しかし怒鳴られた本人は、それを綺麗に無視してアレンを見つめた。
金の瞳が瞬く。わずかに首を傾けて、金髪を流して。


「でも私も、その手は握れないかな」


予想もしていなかった言葉にアレンは目を見張った。


「……………………それは、どういう意味ですか」
「別に呪いがどうとかじゃないよ」


それは知っている。
彼女はこの左眼に触れたのだ。
呪いに、何の躊躇いもなく、その指で。
けれど、そうだとするとますます訳がわからなくてアレンは眉をひそめた。


「じゃあ、なんで……」
「おい、!」
「うるさいなー、第一印象サイアク男」


は絶対に人のことを言えないようなことを言って(アレンにしてみれば正直、神田よりの方が第一印象は悪い)、会話に割り込んできた神田を見やった。
なだめるように彼の肩をぽんぽんと叩く。


「そんなに急かさなくっても手当ての続きならちゃんとしてあげるって」


明らかにそんなことを話していたのではないのだが、彼女がそう言った瞬間、神田は固まった。
そして見る見るうちに顔色が悪くなっていく。


「な……っ、テメェまだそんなこと言って……っ」
「当たり前でしょ。このさんに二言はないの」


何故だかは誇らしげに胸を張る。
その輝かんばかりの笑顔を神田は数秒見つめて、そして、


「あっ、神田!?」


逃げた。


アレン達に背を向けてものすごいスピードで走り去っていく。
必死だ。何だかよくわからないが神田は必死だ。


「あのバカンダめ……。この私から逃げられるとでも思ってるのか」


ふっふっふっ、となんとも怪しい笑い声をもらしたかと思うと、は片手を振り上げた。
無駄に高らかに宣言する。


「よーし、その期待に応えよう!今すぐ応えよう!いざっ」


そう叫ぶなりは神田の後を追って駆け出した。
彼女の金髪が空気に残像を残して通り過ぎてゆく。


!神田は別にいいけれど、物は破壊しちゃダメよ!」


背中にかけられたリナリーのその言葉に、は足を止めずに振り返って大きく手を振った。


「まっかせなさーい!またねリナリー!」


またね、とを見送っているリナリーの隣で、アレンは呆然と瞬いた。
猛烈な速度で走り去ってゆくの後ろ姿を見つめる。
小さなその背。
金髪が跳ねている。


何なんだあの人。
思うのはやっぱりそれだけだ。
けれどアレンは行き先を失くした自分の右手に視線を転じて、わずかに顔をしかめた。


彼女はこの手を取らなかった。
それは神田も同じだけれど、彼の場合その理由がはっきりしているから(気持ちのいいものではなかったけれど)、まだ納得はできた。
それなのに。


「どうして……」


ぽつりと呟くとリナリーが不思議そうに見てきたので、慌てて口をつぐむ。


「何でもありません……」


そう、何でもない。
あんな、わけのわからない人のことなんて。
それが礼儀だと、当然だと思ったから握手を求めただけで、どうせそれほど親しくなるつもりなんてなかった。
あの人は苦手だ。
殺されかけたとか、そういうのを抜きにしても何だか近づきたくない。関わりたくない人種だった。
だから、どうだっていい。
この手が拒まれたからって、どうだって。


そう思うのに、妙に重くなった心。
アレンは右手を固く握り締めた。


行きましょう、と言うリナリーの声には咄嗟に反応できなかった。


遠くで神田の怒鳴り声がしている。







アレンはヒロインが苦手です。
品行方正な彼にはしてみれば突拍子のない彼女は理解不能な人種、ということです。
関わりたくなんてないけれど、握手を拒まれたことは気になる様子。

次は眼帯の彼が登場です。(と言っても完全に出てくるわけじゃないけれど……スミマセン!)