「久しぶり」って言って。
ずっとその声が聞きたかったんだ。






● 黒の教団 黒の少女  EPISODE 6 ●






は幸せだった。
それはもう幸せの絶頂だった。
自室のベッドに寝転んで、先刻の幸福を反芻しては切なげなため息をつく。


「あぁ何て素敵な顔色だったんだろう神田……、真っ青だよ最高だよ……!」


桃色に染まった頬で呟けば、思わず手に力が入りすぎて抱きしめていたクッションを見るも無残に引き千切ってしまった。
しかし、それでもは気にせず幸せに浸っている。
それもそのはず、神田の“手当て”をこれ以上ないくらい充分にしてあげられたのだ。
は大変満足し、そしてその時の神田の抵抗っぷりを思い出しては穏やかな微笑を浮かべる。
途中いらない邪魔が入ったが、どうにかこうにか神田イジメ、もとい手当てを無事やり遂げることができて本当によかった。


はうっとりと夢のような幸福に身を委ねる。
けれどそれを引き裂くようにして、突然室内にベルの音が鳴り響いた。


ジリリリリリン!


その大きな音にの眉がひそめられた。
同時に彼女の団服の襟首から黒いゴーレムが飛び出してくる。
は幸せタイムを邪魔された不機嫌さを隠そうともせずに、そのゴーレムに向かって言った。


「もしもし?誰」


無線を繋げて、相手の予想はついているが、一応そう聞く。
少しの間のあとゴーレムからは馴染み深い声が漏れてきた。


『あーもしもし?オレオレ』
「そんなずいぶん前に世間を騒がせた詐欺に誰が引っかかるもんかサヨナラ」


は予想通りの相手に取り付く島もなくそう告げると、思い切りよく無線を切った。


はぁ、これで幸せタイムに戻れる……。


ジリリリリリン!!!


一瞬笑顔の戻ったの顔が再び歪んだ。
心なしか先刻より荒っぽくなったベルの音に、同じくらい荒っぽく無線を繋ぐ。


「うっさい」
『オマエなに話も聞かずに切ってるんさ!オレオレ詐欺じゃね……』
「この番号は現在使われておりません再度番号をお確かめの上かけなおさないでください、かけなおすともれなく私の逆鱗に触れますあしからず」


ブツン!
一方的に言って、またもや思い切りよく無線を切る。


ふぅ、なんだかやり遂げた気分……。


何となく感慨にふけってみるが、無線のベルはそれでも鳴る。


ジリリリリリン!!!!


「しつこいなー、なにがしたいの?」
『わざわざ電話してんのに何だよその言い草!お前オレが嫌いなんか!?』


三度無線を繋ぐと半泣きの叫び声がゴーレムから飛び出してきた。
はっきり言ってうるさい。
けれどそう言ってしまえば本気で泣かれてしまいそうだ。
それは面倒くさいので、さりげなくゴーレムを自分から引き離しつつは言った。


「そんな事ないよ。それだけで私の友情を疑う気?そんなんだからラビは駄目なんだよ」
『ダメとか言った!!』
「ダメダメだよ」
『ひっでぇ!最低!!』
「最高の間違いでしょマイベストフレンド。元気だった?」


少しだけ声のトーンを変えて、そうでなくても自然と零れ落ちる笑みに乗せて。
がそう言うと無線の向こうでラビは黙った。
そして少しだけすねたような調子で、


『………元気だったとか訊くの、遅い気がするさー』
「そ?」
『あんだけオレで遊んどいて』
「だってしばらくぶりなんだもん。そりゃあラビをいじりたくもなるよ」
『うっわ、嫌なこと聞いた!いじるとか!!』


うん、とは叫ぶラビに特に反論せずに頷いただけだった。
奇妙なその沈黙にラビはまた間を置いて、それから呟く。


『……やっぱり待ってた?』
「うん。早く言え」
『言えって……。まぁいいさ。あー、その、
「うん」
『……………久しぶり』
「久しぶり」
『なんとか元気。ジジィも』
「そっか。よかった」
『ん。連絡できなくてごめんな』
「いいよ。ブックマンの仕事でしょ。わかってる」


本当に久しぶりに聞く友人の声に、は今まで心に溜め込んでいた淋しさが溶けてゆくのを感じていた。


電話の向こう側にいる、ラビという名の青年。
彼はにとっては一番古い友人だった。
固い赤毛に黒いバンダナ。翡翠のような緑の瞳の右側は、常に眼帯で覆われている。
いつもへらへらした笑顔を浮かべていて能天気に見られがちだが、鋭い洞察力で物事の本質を見抜く者だ。


彼はエクソシストであり―――――――――――ブックマンの後継者でもある。
ブックマンとは闇に生きる存在。謎を伴侶とする者達のことだ。
隠された真実、裏歴史を記録する相にあり、ラビは時々本職を勤めるため師匠と共に前触れもなく姿を消してしまうことがある。
だからこうして連絡がとれたときの二人の会話は、他愛のないものでも特別だった。


「で、どしたの。今まで音信不通だったのに、なにか大事な用?」


は今度はゴーレムを引き寄せながらベッドに寝そべった。抱きしめるようにして頬を近付ける。


『いやー?ただ仕事がひと段落したからさ、ゲンキかなって思って』
「つまりヒマなんだね」
『そうとも言う』
「言うなよ」


無線の向こうで、ラビが楽しそうに笑った。
聞きなれた、けれど懐かしい声が耳に心地いい。


『それより最近どうさー。ユウ元気?変わったことあったか?』


神田の名前を出されて、は先刻の彼の素晴らしい顔色を思い出し、ラビに一部始終を話したくなったが我慢した。
やっぱりあれは実際に会って話さないと面白さが半減する。
あーでも言いたい、早く帰って来いラビ!


「心配しなくても神田は相変わらずおバカだし、私も相変わらず乙女お約束の逆境に陥ってる。変なんだよねー、そろそろ白馬の王子様が迎えに来てくれてもいい頃なのに。はて」
『何でだろうなー、自分の胸に聞いてみろー?まぁ変わりなくてヨカッタさ』
「何だそのキレイなまとめ。あ、そう言えば」


は神田イジメの全貌を話したくてむずむずする心を抑えて、別の話題を探し、思いついて口にした。


「今日新しいエクソシストが来たよ」
『へぇ、入団者か。めずらしいな』
「なんかクロス元帥の弟子だって」
『ふぅん。で、なんではそんなに不満そうなんさ?』


さすが幼馴染と呼んでも過言ではないくらい付き合いの長いラビである。のたった一言で、その不機嫌さを感じ取ったようだ。
不思議そうに尋ねられて、は今日やってきた入団者のことを詳しくラビに伝えた。
自分の『クロス元帥の弟子』のイメージとは正反対だった彼の容姿、言葉使い、行動。
よろしく、と笑顔で差し出された右手。


そういえば、名前はなんて言ったっけ。


の話し方が面白かったのか、無線の向こうでラビがけらけらと笑っている。


『そりゃあすごい奴だな。なんつーの?善人の見本?』
「んー……。でも、そんな完璧な人間っていないと思うんだよね」
『何でそう思うんさ』
「乙女のカン?」
『すっげアテになんねぇーーーーーーーーーーーーーー!!!!』
「信じろ」
『無理言うな?』


明らかに笑いを含んだ声でそう言われて、はうむむと眉をひそめた。
そうしてもう一度、今日やって来た『クロス元帥の弟子』を思い出す。
綺麗な白髪の少年だった。
銀灰色の優しい瞳。柔和な顔立ち。
そこに浮かべられた完璧な笑顔。
本来なら人好きのする彼の印象を思い出すにつれて、何故かの眉間の皺は増えていく。
別に彼が嫌いなわけではないけれど。
何となく感じているこれは“違和”だ。


「あれ、もしかして本性じゃないんじゃないかな」
『考えすぎじゃねぇの?』


笑いながら軽く流すラビに、は拳を握った。
ゴーレムを鷲掴んで力強く言う。


「わかった。そこまで言うならこのさん、一肌脱いであげよう!」
『はぁ?つまり?』
「新人のアレなところを見つけ出す!絶対見つけてやる!!」
『……………………………』


また何を言い出したんだコイツは。
そう思って沈黙するラビをいいことに、は一人盛り上がる。


「そもそもエクソシストにまともな人がいるわけないんだよ!そうだよそうだよ私としたことがなんて不覚、忘れてた!!」
『いやいや、エクソシストでもまともな奴いるだろ!』
「いないよ、ラビとか神田とかがその代表じゃない!」
『えーオマエに言われたくないと思うオレは間違ってる?』
「間違ってる!」
『言い切ったさ、コイツ』
「しかもあの人、クロス元帥の弟子なんだよ!?それでまともなわけがない!!」
『なぁ、オマエさ。クロス元帥に憧れてるって嘘だろ?嘘なんだろ?』


クロスに対するあまりの言い草にラビは声を引き攣らせたが、は構わずに言う。


「やっぱり私の夢を裏切るくらいだもの、あの笑顔には何かとてつもない秘密が隠されてるんだよ!」
『………………例えば?』


恐る恐るラビが聞くと、は少し黙った。
そして至極マジメな声で囁く。
まるで秘密の話をするかのように。


「目から怪光線が出るとか」
『…………………………………………。悪いこと言わねぇから考え直せ。な?』
「耳からピンクのあれを召喚するとか!」
『ピンクのあれって何!?つーかもうそれ人間じゃねぇじゃん!!』
「とにかくそれくらいヤバイ何かを隠してるんだよあの人は!!」


妙な自信に溢れては断言した。
無線の向こうのラビには見えないのに、わざわざベッドの上に立ち上がる。


「よーし、この私が化けの皮をはがしてやる」


は神田イジメに続く楽しみを見つけてにやりと笑った。
豪快な歓迎テイクツーのはじまりだ。
























そうしてとの会話を終わらせ、無線を切ってラビは吐息をつく。
耳に残る昔なじみの少女の声。


「正体を暴かれて喜ぶあの人の顔がはやく見たいなぁ!」


やけに明るいその調子。
言っていることは難だが、元気そうでよかったと心から思う。
それにラビは知っている。
普通の人とはまったく違うその突拍子のない行動が、彼女の面白いところであり、自分の好きなところなのだと。
まぁ初めての奴は驚くかもしんないけど。
時間が経てばそのうちのことが好きになるさー、と一人ごちてラビは空を見上げた。


「でも、死なない程度にしてやれよ


呟いた唇には、これ以上ないほど楽しそうな笑みが浮かんでいた。







ラビとヒロインは古くからの戦友です。
無線を切りまくったのは二人によくあるじゃれあいで、ラビが嫌いだからではないです。(笑)