いつでもどこでも君は問題児。
もう僕の手には負えません。
でも他の人にも委ねません。


逆行思想、僕は君を一体どうしたい の ?







● 遺言はピエロ  EPISODE 7 ●






(キス……)


アレンはぼんやりと考えていた。
もう何日も前のことなのに、気がつけば意識はそちらへと引っ張られる。
手にした十数本のナイフを順に放り投げ、受け止めながら悶々とする。


(エニスもセルジュも、何だってあんな……)


妹のほうを思い出せば左頬が熱くなり、兄のほうを考えれば手の甲が疼いた。
あの二人はなぜ気軽にキスなどできるのだろう。
エニスは幼かったからといえば頷けるし、セルジュも女たらしだと思えば納得できる。
そのはずなのに、アレンは何度も何度も記憶を反芻してしまうのだ。
自分の頬に触れた可愛い唇と、の手に落とされた妖艶な口づけを。


(キス、なんて。本当に好きじゃないとしちゃいけないのに)


こんな考え、師匠に聞かれたら鼻で笑われる。ラビには「ガキだな」と言われるだろう。
けれどアレンにしてみれば絶対的な意見だった。


(純情ぶるつもりはないけれど。気安くしていいものでもないだろう)


とりあえずセルジュには止めるよう注意しておくべきか。
考えれば考えるほどむしゃくしゃしてきて、アレンはジャグリングのスピードをあげてみた。
刃物を扱っているのだから少しは集中できるかと思っていたのに、そうでもなくて余計に苛立つ。


(大体、セルジュのことはで……!)


「アレン」


そこで唐突に声をかけられた。
アレンは心底驚いたけれど、ナイフ一本落とすことなく振り返る。
視線をやれば長い三つ編みの人物が立っていた。


「フリッツ」
「ちょっといいか」


手は止めなくていいと身振りで示されたので、アレンはジャグリングを続ける。
徐々にナイフの本数を増やしてゆく。
そうしながら半眼でフリードリヒを見やった。


「また血まみれじゃないか」


頭から、腕から、脚から、ありとあらゆる箇所から流血している友人を眺める。
かなり恐ろしい光景で大変な感じだったが、アレンは驚かない。
むしろ呆れ返ってため息をついた。


「相変わらず猛獣に好かれるね……」


そう、このフリードリヒという男はやけに猛獣に懐かれまくるのだ。
それも溺愛といっていいほどの扱いを受けるので、加減を間違えた動物たちによく噛まれたりかじられたり引っかかれたりしている。
おかげで流血沙汰は日常茶飯事となっていた。
その特殊な体質もあって有能な動物曲芸師になれたとはいえ、こうも毎回スプラッタな姿を見せられては友人としては胸が痛む。


「いい加減、もっと厳しく躾けなよ」
「厳しく、だって?」


アレンは正しい意見を述べたと思ったのだけど、フリードリヒはさっと青ざめた。


「あんな可愛い動物たちに鞭でも振るえというのか?……お前がそんな酷いことを言う子だとは思わなかったぞ……!」
「いや、あの……。相思相愛みたいで何よりです」


苦悩に歪んだ顔で本気で嘆かれてしまってはもう何も言えない。
否、何も言うまい。
動物たちに負けず劣らずフリードリヒも彼らを愛しているようだ。
アレンが認めると途端にデレッとされた。
それは例えるならば産まれたての仔猫を目にした少女のような反応だった。


「そ、そうなんだ……。お前にも紹介しただろう。今俺が受け持っているにゃんこなんだが……」
「あぁ……。あの、ライオンね。ライオンなのに“にゃんこ”って名前のあの子ね」


頬を染めるフリードリヒとは対照的に、アレンはげっそりと返した。
昔から彼はネーミングセンスに難がある。
ちなみにアレンが目にした“にゃんこ”とは、血に飢えた眼の獰猛なオスのライオンだった。
はっきり言ってかなり怖い。間違ってもそんな可愛い名前が似合うような存在ではなかった。


「お前に会いに行こうとしたら寂しがってな。さんざん引き止められてしまったんだ」
「その結果が、それ……?」


アレンがナイフの柄を掴んでくるりと回しながら問えば、フリードリヒは照れくさそうに頷いた。
無表情党の彼がこんな風になるのは、間違いなく猛獣のことだけである。
普段は冷静でしっかりした性格なだけにちょっと苦笑してしまう。
そのとき第三の声が割って入った。


「おい、またかフリッツ。早く医務室に行けよ」


同時にボールをいくつも投げつけられた。
アレンは驚くことには驚いたが、全てキャッチしてナイフと交互に回し始める。
顔は動かさずに視線だけを向けた。


「いきなり投げて寄越さないでよ、セルジュ」


苦情を言ったが満面の笑みで流される。
セルジュはアレンが自主練習をしていた天幕の中に入ってくると、改めてフリードリヒの怪我を確認した。


「今日もにゃんこは元気だな。どれだけラブラブなんだよ、お前たち」
「何だその妙な表現は」
「言ったのは俺じゃない。ちゃんだよ」


アレンはそれを聞いてジャグリングのペースを乱してしまった。
何とかナイフとボールの軌道を修正する。
耳だけでセルジュとフリードリヒの会話に集中した。


「“フリッツさんとにゃんこが羨ましい。私も猛獣たちとラブラブになりたいなぁ”ってね。その言い方があんまり可愛かったから、思わず俺まで口にしちゃったのさ」
「どちらにしろ、どうかと思うぞ。お前……またを追いかけ回していたのか?」


そうそう、それ。それが聞きたい。
アレンは無言でフリードリヒに頷く。


「あまり彼女に構うな。……あぁそうだった。アレン、俺はのことで頼みがあって来たんだ」


そう口にしながら、彼はセルジュを押しやって近づいてきた。
練習用のテントだからスペースは広くて物が少ない。
それでも接近されるのは少しばかり危険だった。何せアレンは延々と刃物を投げ受けし続けているのだから。
他の相手ならば制止しただろうけれど、フリードリヒには長年の勘がある。
アレンの信頼どおりに彼はナイフが触れるちょうどギリギリの位置で立ち止まってくれた。


「何だ、俺の嫁の話?」


セルジュも興味を持ったようで、入り口近くに置いてあった用具に背をあずける。
勝手に聞く体勢に入った彼にフリードリヒは一瞥を送った。


「原因はお前にもあるんだぞ」
「俺?俺が何かしたか?」
「あぁ、いつも通りに面倒なことをな」
「……フリッツ。何の話?」


セルジュと言い合う彼にアレンは問いかけた。
話題が読めない。目を瞬かせる。
フリードリヒの黒い瞳がこちらを向いた。


のことなんだが」
「うん」
「その……何と言うかだな」
「?」
「……やはり、本人から何も聞いていないか?」
「だから、何の話?」


アレンはフリードリヒを見上げる。
その濡れたような静かな双眸は草食動物を思わせた。
もしかして彼が猛獣に好かれる理由はこれだったりして……


「どうにも、彼女は団員達とうまくいってないようなんだ」


そんなくだらないことを考えていたアレンは、フリードリヒの言葉を聞いて必要以上に驚いてしまった。
思考が止まる。手だけは止めない。
操られるようにジャグリングのための動作を繰り返す。
アレンはフリードリヒをまじまじと見つめて、彼が冗談を言っているのではないと再確認した。
そもそも彼はセルジュやミハエルと違って、そんな真似をする性格ではなかった。


「うまくいってないって……、つまり」
「なんだ。ちゃん、いじめられてるのか」


やけにあっさりセルジュが口にした。
明確な言葉にされてアレンは何だかまた驚く。
フリードリヒが眉をしかめた。


「そういうわけじゃない。を輪に入れようとしない女性団員が多いというだけだ」
「それを“いじめられてる”って言うんじゃないか?何でまた嫌われたんだ?あの子、人当たりよさそうなのに」


確かに。
アレンはまた無言で頷く。
は理由もなく嫌われる性格ではない。
個性が強いから合わないと感じる者もいるとは思うが、本気で避けられるまで迷惑をかけられるほど察しの悪い人間でもなかった。


「本当にどうして?」


アレンは何となく嫌な気分になりながら尋ねた。


「教団……じゃなくて、僕達が所属しているところでは友達も多いし、女性にも人気だったのに」
「理由はみっつあるな」


フリードリヒは指を三本立ててみせた。
一つを折って言う。


「第一に、見た目だ。眼の色は珍しいし、髪の色も派手だろう?顔も舞台映えするから、早々にいい役をあたえられるんじゃないかと危惧されているようだ」
「ははぁ、つまり嫉妬か」


途中でいらない口を挟む団長は放っておいて、フリードリヒは二本目の指を折る。


「次は俺たちのせいだな。幹部の面々と仲が良いから、贔屓されているように見えるらしい」
「それを言うなら僕だって」
「お前にはキャリアがある。はまったくの新人だ。その差は大きいだろう」


反論しようとしたアレンは即座にそれを封じられた。
フリードリヒの言う通り、サーカスでは何よりも芸の経験と腕前がものをいう。
アレンはブランクがあるものの、数日練習をすれば昔の勘を取り戻していた。
そんな様子を見て、団員たちも不平不満は言えなくなってしまったらしい。
団長たちの旧友だということも大きな要因かもしれなかった。


「お前は俺たちと下積みを共にした仲間でもあるしな」


暗にそれを肯定されて、少し俯いてしまう。


「三つ目は?」


何とか気を持ち直して訊けば、最後の指が折られる。


「これが一番の問題だ。……セルジュ。お前のせいだぞ」
「えー?」


フリードリヒに鋭い視線を投げられて当の本人は驚いた顔をした。
というよりは“びっくり”という言葉を表情に貼り付けてみた、といった感じだ。
要するにわざとらしい。


「俺のせいでちゃんが仲間外れにされてる?何だソレ。笑えない展開だな」


笑んだ口元でそんなことを言ってみせる。
昼間でも薄暗いテントの中に灯されているランプのガラス傘を外しながら、セルジュはフリードリヒに続きを促した。


「詳しく聞こう」
「つまりお前が、後先も場所も立場も考えずに、を口説いたのがいけなかったんだ」
「んん、じゃあ何か」


セルジュは懐からナイフを取り出すと炎の上にかざした。
刃にはオイルが塗られているから、瞬く間に燃え上がる。


「この俺に人目を忍んで恋をしろって?無茶を言うなよ」


そこでフリードリヒはセルジュにまともな反応を諦めたようで、アレンだけに言葉を次いだ。


「あの女たらしの団長が、新人の娘に一目惚れした。ゆくゆくは嫁にするつもりだという噂が流れている」
「事実じゃないか。尾ひれも背びれもついてないなんて、つまらん」
「それは当然贔屓云々の話に現実味を持たせるだろう?そのうえ、セルジュは女性に人気がある」
「へっえー。俺ってばそんなにモテモテで」
「おかげでは数人から目の仇にされてしまった。俺に直接抗議しに来た者もいる。“団長のお気に入り”と一緒に仕事などできないと……」
「見くびられたものだな。俺はきちんと公私をわける男だっていうのに」
「……おい。先刻からごちゃごちゃとうるさいぞ、セルジュ」


さすがにイラッとしたらしいフリードリヒが、三つ編みを揺らして振り返った。
同時にセルジュが火の点いたナイフを投げる。
それはフリードリヒの頬を掠め、アレンがジャグリングに使っていたものとうまい具合にぶつかった。
接触した刃から刃へと炎が移り、二本揃って手元に落ちてくる。
それからセルジュは同じようにして次々と投擲し、アレンのナイフを全て燃え上がらせた。
数を倍に増やされた挙句に火まで点けられては、鬼団長としか言いようがなかった。
しかも合間に挟んだボールには点火させるわけにはいかない。
目と腕を動かして程よい距離を保つ。
アレンは自分の持てる技術を駆使して、燃え盛るナイフと色とりどりのボールを操ってみせた。


「うまいうまい」


セルジュはヒューと口笛を吹いた。ついでに拍手までされる。
アレンはそれを半眼で睨みつけた。


「お褒め頂き光栄です。……で?弁解とかないの?」
「ないなぁ。恋に言い訳は無粋だ」


きっぱりと言い切られて嘆息する。
けれどセルジュは声の調子を真面目なものに変えて続けた。


「当の俺が何を言っても事態を悪化させる。そもそも団員との不和はちゃん自身が解決する問題だ。今後のことを考えれば、“団長のお気に入り”ってだけじゃないと実力で証明していく他ないだろうさ」


正論といえば正論。突き放した意見でもある。
フリードリヒは肩を落とした。


「そう言うと思った……。だから、アレンに頼む」
「僕に?」
「ああ。セルジュの言葉はもっともだが、俺は放っておけない。何とか助力してやりたいんだ」


やはりフリードリヒはどこまでいっても兄貴分な性格のようだ。
入団したての気遣う姿は、昔自分に声をかけてきてくれたときと重なる。
アレンは少し微笑んだ。
それでも首を縦には振らない。


「うーん」
「それとなくでいいから、本人に話を聞いてきて欲しいんだ」
「……フリッツ。女性団員が君のところに直談判をしに来たのはいつ?」


アレンが尋ねると、フリードリヒは不思議そうな表情になった。


「今朝だが……。それがどうかしたか?」
「じゃあ3日だ」


明確な日数を口にして、アレンは腕を振るった。
右に左にと次々に空を切る。
手首と指先で細かい軌道を修正し、確実に狙いを定める。
背後でセルジュがまた口笛を吹いた。


「3日経っても事態が変わってなかったら」


そしてアレンは最後の一本を投げた。


「本人に話を訊くことを検討してみるよ」


言うと同時に的の裏のど真ん中へナイフが命中した。
その一撃で、天井から釣り下がったそれの揺れはぴたりと止まる。
表面が戻れば、そこには円形に並んだ柄。
射止めたボールを燃え上がらせて、全てのナイフが突き刺さっていた。
あまりに正確な狙いにセルジュだけでなく、フリードリヒまでが拍手を送ってくれる。
アレンはにっこりと笑った。
それから心の中でに言う。


まったく、どこに行っても人騒がせだね君は。




















「これは、どういうことだ……?」


ちょっと呆然とした口調でフリードリヒが呟いた。
それは女性団員が彼の元にへの不満を持って行ってから3日後。
つまりアレンが言い指したまさに当日の朝だった。


「ほら。だから、言っただろう」


大量の朝食を掻き込みながら、アレンは当たり前のような顔をしていた。
口にした言葉は若干発音が不明瞭だったが、それはご飯が美味しいせいだ。
サーカスの中でも一際大きなテントの中、食堂として使われているそこで、アレンはもぐもぐしながら言ってやる。


「すぐに事態は変わるって」


返事はない。
フリードリヒは本当に信じられないという表情で固まっている。
彼の視線を追って、アレンもそちらを見た。
隣の長テーブルだ。
サーカスの女性団員がまとまって座っていて、その中心には金髪の少女が居る。
にこにこと微笑む彼女に周囲の者は顔を赤くしていた。


「うふふ、嫌だわちゃん」
「そんなお世辞ばかり言って。やめて頂戴」
「貴女みたいな美人に誉められてもねぇ」


「お姉さま方の美しさに敵う者などいませんよ」


は双眸を潤ませて、うっとりと微笑んだ。


「そもそも綺麗さとはたったひとつのことを指すのではありません。私を美人だと言ってくださるあなたがいれば、その青い瞳が素敵だと思う私がいるように……どの女性も一人残らず美しいんです。此処にいるお姉さま方が、まさにそれを体現してくださっているではありませんか」


視線を一周させて、ほぅと感嘆のため息をついた。


「どうしてそんなにもお綺麗なんでしょう……。何か、不思議な魔法でも使ってるんですか?それとも神様が与えてくださったとびっきりの奇跡かな」


少しも詰まることなく流れるように、それも真剣に言われて、女性達は照れてますます顔を赤くする。
の口は止まらない。


「皆さん、一人ひとりがとても綺麗で可愛らしいです。立ち振る舞いも感心してしまうばかり。気立ての良さと有能さが惜しげもなく表れていて……それに比べて自分の粗暴な言動が恥ずかしい」


うん、君は恥ずかしい。もっと違うところが恥ずかしい。
アレンは外野でそう思う。


「此処にお世話になってからは、教養のなさを嘆くばかりの毎日なんです。せめてもっと言葉を知り、表現を駆使できればよかった」


は震える睫毛を伏せて、切なげに胸を押さえてみせた。


「そうすれば、お姉さま方の魅力を余すことなく語って差し上げられたのに……」
「まぁ、そんなっ」
「もう充分よ!」
「落ち込まないで。ほら、美味しいご飯をあげるから」
「はい、あーんして」
「わぁ、ありがとうございます!うれしい」


「「…………………………」」


そのあたりでアレンもフリードリヒと同じ反応になってしまった。
予想できていたことだし、教団でもさんざん目にしてきたような光景だが、改めて過程を見せ付けられると本当に凄い。
誉めていいのかわからないけれど、無駄なくらいに物凄い。


「つまり、……どういうことなんだ?」


混乱して冷や汗の止まらないフリードリヒが訊いてくる。
どうやら彼は本気で目の前の光景についていけないようだ。
それも仕方がないと言えば仕方がなかった。
何せに不平を唱えていた数人までもが、今や彼女ときゃっきゃウフフと戯れているのだから。


「つまり……ね」


激しく口にしたくないが、説明しないわけにもいかない。
アレンは嫌々ながらも口を開いた。


「何というか……は女性が大好きなんだよ」
「…………そういう性癖なのか」
「違う違う。変な意味じゃなくて」
「訳がわからないのだが」
「僕にもだってわからないよ。とにかく、っていうのは相手のいいところを見つける努力をする人で……」


ああもう本当に面倒になってきた。
目の前のアレが全てだとか言って逃げたら駄目かな。
アレンは一瞬そう思ったが、を心配してくれたフリードリヒに対して、それはあまりに酷いので止めた。


「……誉められるのが嫌いな女性はいないだろう」
「はぁ……まぁ……、そうだな」
「そして彼女たちは芸人だ。美しくあろうと気を配っているし、舞台に立つ者としての自負もある。だからああいうことを言われて余計に嬉しいんじゃないかな」


アレンもまさか3日であそこまでになるとは思っていなかったので、そんなことを口走ってみる。
フリードリヒは小刻みに頷いていたが、唐突に止まった。


「い、いや!でも……皆が皆、賞賛には慣れているはずだぞ」
「だからこそ嘘もわかるし、適当な言葉を聞き分ける。……のあれはね、本気なんだ。それも心の底からの大賛辞。なかにはああやって」


「もう!あんまりからかわないでよ!!」


「照れて怒る女性もいるけれど」


「あぁ、ごめんなさい!私の言葉が気に障ったのならどうぞ叱ってください。あなたの心が和ぎ、微笑みに変えられるのならば、全て受け入れますとも。……ふふっ、でも怒った顔も魅力的」


「ずっとあんな調子だから、腹を立てるのが馬鹿らしくなってくるんだ」


言っているアレンがまさに馬鹿らしくなってきたところだ。
フリードリヒはぐらぐら揺れている頭を片手で支えて目を閉じた。


「ま、まぁ……。問題が解決したのなら、よかった……」


そう言う口元が震えている。
頭で理解できていないのに無理やり自分に言い聞かせているようだ。
気持ちはとてもよくわかるので、アレンは無言で彼の広い背中を叩いてやった。


「よっ、おっはよー」


同時にセルジュの明るい声が食堂中に響き渡る。
団員達と挨拶を交わして、彼は事もあろうか女性陣のほうへと近づいていった。
いつも通りにちやほやされるだけで満足すればいいものを、目ざとくの姿を発見して驚いてみせる。


「あれ、ちゃん?みんなと仲直りしたんだ」


瞬きながらも彼女の前に立ったものだから、アレンは表情を強張らせた。
フリードリヒも即座に顔色をなくす。


「あの馬鹿団長……、せっかくうまくいっているというのに」
「まさか……余計なことをするつもりじゃ……」


いくらセルジュでも、そのへんはわきまえているだろう。
アレンとしては親友を信じたかったのだが、彼は予想以上に自由な人間に成長していたようだった。


「じゃあお祝い」


セルジュはそう言うなり固めた拳をに突き出した。
もう片方の手で彼女の掌を引き寄せ、無理にでも受け取らせる構えだ。
アレンがおいおいと思ったときには、魔法のように手の内から薄紅の花を出してみせていた。
そういえば昔から彼は手品が得意だった気がする。


「あんたに似合う花を探してきたんだ。可愛いだろう?」


茎の部分をに握らせて微笑むものだから、アレンは頭が痛くなった。
女性団員の声がますますそれを酷くする。


「お花をあげたってことは……、やっぱり団長はちゃんに本気なんですね!?」


そう言う根拠がわからなくてフリードリヒを見る。
彼はアレンの耳に口を寄せて小さく教えてくれた。


「セルジュは本当に気に入った女性にだけに花を贈るんだ。ちなみに今まで2人しかいない」
「……エニスとパティ?」
「よくわかったな」


そんなのは考えるまでもない。
アレンは頭痛どころか目眩まで感じはじめていた。


「それは家族と仲間だろう!……つまり、が初めてなんじゃないか………」


有り得ない。
そう思って頭を抱える。
せっかくが事態を好転させたのに、これで“団長のお気に入り”という一点においては言い逃れができなくなってしまった。
アレンはフリードリヒと一緒になってどうしようかと気を揉んだけれど、その心配をよそには微笑んだ。


「皆さんもいかがですか」


唐突に訊かれて全員がきょとんとする。もちろんセルジュもだ。
はそれ以上確認を取らずに腕を伸ばす。


「やっぱり美しい方には美しいお花が似合いますものね」


そうしてテーブルの端に備え付けてある紙ナプキンを取った。
手が動く。
指先が白を操って、瞬く間にそれを完成させてしまった。


「はい、どうぞ」


笑顔で一番近くにいた女性に差し出した。


「す、すごい……」


驚嘆の声が漏れる。
アレンもフリードリヒも揃って目を疑っていた。
何故ならが、紙ナプキンで驚くほど精巧な花を作ってしまったからだ。
茎や葉もきちんとついているし、花弁は綺麗に何枚も重なっている。
素材が紙だということを除けば、どこからどう見ても完璧な薔薇だった。


「ニセモノでごめんなさい。……本物は、愛する男性に貰ってくださいね」


は少しだけすまなさそうに笑ってみせた。
そして握っていたピンクの花をくるりと回す。
立ち上がってセルジュの前に立つと、普通の動作でそれを彼の髪に挿してやった。
やけに愛らしくなった青年には言う。


「本当に可愛いお花ね、セルジュ。私より似合ってる」


これにはさすがの女たらしも咄嗟に反応できなかったようだ。
セルジュが何度かまばたきをするとは口元を緩めた。
そうして可憐な顔に颯爽とした笑みを浮かべると、ひらりと片手を振ったのだった。


「ごちそうさま。それじゃあ団長、お姉さま方。また練習でご一緒しましょう」


最後にそれだけ言い置いて、は軽やかに食堂から立ち去ってゆく。
翻る金髪、その後姿を、全員で見送った。


「「………………………」」


アレンとフリードリヒは何となく沈黙した。
に紙の薔薇をもらった女性は顔を真っ赤にしており、その周りにもぽーっとなっている者が数人。
他は花を髪に挿された団長を見て、可愛い可愛いと喜んでいた。
セルジュは苦笑してそんな彼女たちに応えてやっている。


「……アレン」


フリードリヒがぼそりと呼んだ。
続きを聞きたくないような気がしたが、耳を塞ぐわけにもいかない。
アレンが黙ったままでいると、彼は心底不思議そうに訊いたのだった。


「彼女は一体何なんだ?」
「ただの馬鹿なだよ」


アレンは即座に答えて席を立った。




















線だ。
いや、正確にはロープ。
にとってはどちらでもいい。
重要なのは素材ではなくて、細長い物が空にあるというこの舞台だった。


(右足、左足……次は両方揃えてバランスを……)


テントの入り口の近くに座り込んで天井付近を仰ぐ。
そこには綱渡りの練習をする団員達の姿があった。
命綱を腰につけ、ネットを敷いてはいるが、気を抜けるような高さではない。
は彼らの体の動きを目で追いながら反復する。


(右、左、右、そこで一回転……。あぁ自転車に乗ったりもするんだ。それもすごいけれど……)


「な、なぁ」


考えに夢中になっていたは、しばらくその呼びかけに気がつけなかった。
声が小さくてかなりの距離を取られていたのも原因だ。
何度か繰り返されたところで慌てて目をやれば、弱りきった顔のミハエルが立っていた。


「なぁ……、あのさ……」


ぼそぼそ言われる。
が入団してもう何日も経っていたが、人見知りの彼は一人だとろくに会話もしてくれないままだった。
だからいつも通り先回りして微笑む。


「あぁ、すぐに出て行くから」


は本当にそうしようと思って立ち上がったけれど、焦ったようなミハエルに止められた。


「ち、違うって!別に追い払ってんじゃ」
「え?でも」
「誤解すんなよな!!」


力強く言って、ミハエルは懸命に近づいてきた。
それでも十歩手前あたりで止まってしまう。
申し訳なさそうに見てくるから、は手を振った。


「私、そろそろ練習に戻らなきゃいけないの。だから気にしないで」
「あぁ……。お前、休憩中だったんだ」
「そう。遅れたらパティさんに怒られちゃう」
「うん、姉さんは怖いから急いだ方がいい」


確かにそうだと思ってはミハエルに「じゃあ、またね」と告げた。
歩き出そうと一歩を踏み出したところで腕を掴まれる。
今度こそミハエルは距離を詰めてきていたのだ。
人見知りの……理由はわからないが特に自分を避けていた彼がそんなことをしたものだから、は本当に驚いてしまった。


「ミハエル?」
「……あ、あのさ、


初めて名前を呼ばれた。
嬉しくなって頬が緩んだが、ガチガチになっている姿を見ては笑えない。
ミハエルは緊張しているわけでもなく、やはりが苦手でどうしようもない様子だった。
強張った手で掴まれているからちょっと痛い。
そこまでして引きとめてくれているものだから、彼が少しでも楽になるように考えた。
とりあえずできる限り距離を取ってみる。触れた手はそのままだから、あまり意味はないかもしれない。
ミハエルはそんなには気付かずに言う。


「お前、ここんとこずっと、俺らの練習見に来てるよな」
「う、うん」
「次から止めてくんない?」


は目を見張ったが、何か思うより先にまくしたてられた。


「あ、いや!迷惑とかじゃないから!お、俺、お前とうまく喋れないけど、そんなんじゃ絶対ないから!!」


必死に弁解した後、彼はしゅんとうなだれてしまった。


「……俺、アレンの友達となかよくしたいのに。うまくいかない」


その動作も表情も何だか小動物みたいで、は何となくミハエルがフリードリヒに懐いている理由と、フリードリヒがミハエルに構う根拠を目にした気がした。


「ごめんな。でもホントそんなんじゃないから……」
「うん、わかってる。それで、ミハエル」
「あ、あ、そう。あのな、あいつらまだ上手くないから」


ミハエルは腕を振り回しながらも今練習をしている団員達を指差してみせた。


「お前がいると、あいつら緊張して失敗しちゃうよ。まだ経験が浅いから人目に慣れてないんだ」


はようやく彼の言いたいことを理解し、急いで謝罪を口にした。


「ごめんなさい、私邪魔になっていたのね」
「ずっと見てられるのが困るってだけだ」


ミハエルはぶんぶんと首を振る。
は綱渡りの練習をしている彼らに視線をやって、心の中でもう一度謝った。


「余計な目があってはいけないんでしょ?もう来ないようにするから」


自分で言いながらは落胆していた。
ようやく問題解決の糸口になりそうなものを見つけたのに。
けれどそのために他人に迷惑をかけるつもりは毛頭なかった。


「ミハエルはそれを教えにきてくれたのね」
「う、うん……。あ、でも来るなっていうのは、あいつらが練習しているところだけで!」


残念に思っているのが顔に出てしまったのか、ミハエルが言葉を急く。
腕をぎゅっと握りなおされた。
また少し距離が縮まって、碧いビー玉みたいな眼が覗き込んでくる。


「な、なぁ、お前さ。綱渡りに興味あんの?」
「え?うん、そうよ」


正しくは違うのだが、否定するのもおかしい。素直に頷いておく。
するとミハエルはちょっとだけ微笑んだ。


「やってみる?」
「……いいの?」
「うん。お前って身が軽いだろ?見込みがある」
「そう言ってくれて嬉しいよ。でもまだ踊りを覚えている最中だし」
「バランス感覚が鍛えられるんだ。姉さんの教えるダンスにだって繋がってる。やって損はないぜ」


内緒話をするみたいに、彼は囁いた。


「あいつらはまだ人目に弱いけど。俺はもう何年もやってるから平気だ。だから、お前がその気なら綱渡りを見せてやる」
「ミハエルが?」
「何だよ。俺はこの中じゃ一番うまいんだぜ?」
「それは知ってる。セルジュに聞いたもの。でも」


は少し言葉を考えて、それから眉を下げて微笑んだ。


「ミハエルは、私といると気詰まりじゃない?」
「……あのなぁ」


ミハエルは表情を変えた。
つまり今までの強張った様子を全部消して、思い切り呆れた顔をしてみせたのだ。


「それって芸を教えるうえでどうでもいいことだろ。お前は俺の後輩なんだから、素直にご教授されてりゃいいじゃん」


はそれを聞いて自分の失言を悟った。
どうやらこのサーカスには団長の考えが徹底されているらしい。
個人の感情よりも集団としての向上を重視する……。なるほど、厳しくもやりがいのある場所だ。
そしてそれはの性質にもよく合っていた。


「ありがとう、ミハエル」


は姿勢を正すと、きちんと頭を下げた。


「それでは、ご教授よろしくお願いします。先輩」
「うむ。任せろ!」


仰々しく言ったに、ミハエルも同じ調子で返す。
そして二人は顔を見合わせると、初めて一緒になって笑ったのだった。




















って何なの?」


心底不思議そうにミハエルが訊いてきた。
何だかつい最近も同じような質問を受けた気がする。
アレンが思わず隣のフリードリヒを見上げれば、「俺は知らない」とばかりに首を振られてしまった。


サーカスの公演日が迫ってきていた。
稽古は最終段階に入っており、今日は初めてのリハーサルが行われている。
裏で自分達の芸に使う道具を準備してきたアレンたちは、ようやく観客席にまわって腰を落ち着けたところだ。
キャリアがあろうが、団長たちの旧友であろうが、新入団員であることを自負しているアレンは雑用に走り回っていた。
それでも途中で「俺達の仕事だ」とルシオに追い返され、フリードリヒとミハエルと合流、一緒にリハーサルの見学をすることになったのである。


「あの馬鹿がなんだって?」


嫌そうに聞き返せばフリードリヒに軽く頭を叩かれた。


「こら、そんな言い方をするんじゃない」
「アレンってに対してだけひどくね?他の女には無駄に優しいのに」
「失礼な。僕は誰にだって親切だよ」


ぼやきながらアレンは客席に深く身を沈めた。
何だか嫌な話になりそうだ。
聞きたくないという雰囲気を醸し出してみたのだが、ミハエルは構わずに疑問をぶつけてきた。


「だからさー、何なのアイツ。おかしいって」
は未確認生物だからね。それはそれはおかしいだろうね」
「そうじゃなくて。……いや、そうなのかな。何かすごく変わってるよな」
「あんな変人、僕は他に知らないよ」
「まぁ、確かに不思議な子ではあるな」


グダグダと言い合うばかりのアレンとミハエルを見て、フリードリヒが話に修正をかけた。


「それで、ミハはどうしてそんなことを言い出したんだ?綱渡りの練習中に何かあったのか?」
「あぁ、うん!そうそう、そのことなんだけどさぁ。アイツすっげーの。超呑み込み早いんだ。最初はロープから落ちまくってたくせに、いったんコツを掴むとあっという間だったぜ」


それは初耳だ。
そもそもアレンはしばらくの間、がミハエル指導の元で綱渡りの練習していることすら知らなかった。
しかもその事実を本人ではなくセルジュに教えられたとあっては、猛烈に納得できないものがある。


(まぁ、仕方ないんだけど)


アレンは一人ため息をついた。
実はサーカスでの生活は多忙を極めていて、とは夜の見回りでしか顔を合わせない日がほとんどだったのだ。
それもエクソシストとしての言葉を交わすばかりだから、今や彼女に関する情報は自分よりもセルジュたちのほうが知っていると言っていい。
おかげでアレンはどうしてが綱渡りなどやり始めたのか、まったくわからないままでいた。
エクソシストとしての仕事もあるから、きっと忙しさで目を回しているだろうに。


の奴、ある日突然ロープの上をたったかたったか歩きだしてさぁ。さすがに俺も驚いちゃったよ。アイツはきっと体を使う勘が抜群なんだろうな」
「あぁ、床の上でアクロバットをさせてもすごかったぞ。あれはアレンと同等だろう。軽業師になれる腕前だった」


まぁ、それはエクソシストなので当たり前といえば当たり前だ。
そう思うアレンの横でミハエルが声をあげた。


「それなんだよ、アクロバット!!」
「な、何?急に大声出さないで……」
ってばロープの上でそれをやりだしたんだぜ!?」
「はぁ!?」


アレンは本気で驚いてミハエルに負けない音量で叫んでしまった。
即座にフリードリヒに口を塞がれる。
リハーサルの指導をしていたパトリシアに鋭い視線を送られて、全員で手振り身振りで謝った。
ミハエルは縮み上がりながらも続ける。


「なっ、変だろ?おかしいだろ?アイツ何なわけ?」
「それ以前に意味がわからない……。どういうことなの?」
「いやぁ。なんかな、ロープの上でじっと立ち止まっていたかと思うと、いきなり跳び上がって宙返りに側転、倒立して着地!……そのあと見事に落っこちてた」
「な、何でそんな馬鹿な真似を……」
「わっかんねぇ。確実に綱渡りでやる動きじゃないんだよなぁ。しかももっとおかしいことに」


アレンは何度か頷いて、ミハエルに先を促した。


「アイツが落っこちるときは、決まってロープのないところに行こうとしたときなんだ。まるでそこに足場があるように動いて……、そのまんま落下」
「それは、……確かに妙だな」


フリードリヒが眉を寄せて難しい顔をした。
アレンとしても同意だ。
綱渡りをしているというのに、ロープのない空中に着地しようとした?
不適切なアクロバットをしようとしたことも含めて、の行動はおかしいとしか言いようがない。


「んで、つい昨日、ロープの数を増やして欲しいって頼んできたんだ」
「ロープを?」
「一本じゃ足りないということか?」
「うん。それはもう綱渡りじゃなくなるぞって言っといたけど。マジわけわかんねー……。アイツ何がしたいんだ?」


ミハエルの言い分は正当だ。というよりもサーカスの常識だ。
の考えていることはどこまでも推測できない。
アレンたちは揃ってうーんと呻ってしまったのだが、不意に、


「そんなの決まってるだろう」


頭の上からセルジュの声が降ってきて驚いた。


ちゃんは、今までにない新しい芸をしようとしてるんだ」


あっさりと断言されて、アレンは目を見開く。
同時に変な気分になった。強い感情であるが正体はわからない。
いつの間にか傍に来ていたセルジュに、とりあえずは訊いてみる。


「……は、君に何か打ち明けているの?」
「いいや」


普通に首を振られてホッとする。
そのあとで何故安堵するのか、自分自身を不思議に思った。
胸を押さえるアレンの目の前で、セルジュは肩をすくめてみせた。


「ただ、練習を見た限り新しい芸ができそうだと思ってさ。あの子もそのつもりなんじゃないか?」
「ええー?でもアイツまだ新人だろ。そんな勝手をされてもなぁ」
「馬鹿だな、ミハ。しようとも思っても出来ない芸人のほうが多いんだ。可能性があるのなら全部やってもらわないでどうする」
「それで、ウチのサーカスに貢献しろと?」


フリードリヒがずばりと言ってやると、セルジュは声に出して笑った。


「ああいうタイプは山ほど稼いでくれるんだよなぁ。発想型バンザイ!ちゃーん、どうか奇抜な芸を編み出してくれ!!大丈夫、経験や技術は後から追いついてくるものさ。何なら俺が手取り足取り教えてやっても……」


言葉の最後でニヤニヤと厭らしく笑う。
それを見たミハエルは半眼になり、フリードリヒは顔をしかめた。


「あ、何か今イラッとした」
「俺もだ。どうして此処の団長はこうも鬱陶しい感じなのだろうか」


アレンも二人の意見に賛成し、大きく頷く。
セルジュは拗ねてぶーぶー言ったが、容赦なく飛んできたパトリシアの声に黙らされた。


「団長!遅刻ですよ。遅れて来ておいて、何を呑気に喋っているのかしら」
「あ、あぁ……パティ、悪い」
「いいから早くおいでなさい。あと、そこの三人」
「「「……は、はい」」」
「五月蝿い」
「「「すみません」」」


姉さんの一言でセルジュはしゅんとしてしまい、アレン達も限界まで小さくなる。
その様子が可笑しかったのか、舞台袖から女性団員の笑い声が聞こえてきた。
パトリシアが手を打ってそれを諌める。


「さぁ、次は貴女たちの番よ。本番通りに踊ってちょうだい」


いくつもの元気の良い返事があった。
パトリシアは客席の最前列を指差し、セルジュを促す。


「団長はそこで。ご相談したいことがありますので、しっかり見ていてください。……居眠りしたら承知しないわよ」
「何で最後で脅すかなぁ……。ハイハイ、ばっちり拝見させていただきますよっと。みんな、俺が怒られないようにその可愛さで釘付けにしてくれよ?」


そう言って色男の代表のような顔で笑うものだから、女性陣がきゃあきゃあ言う。
うわぁ、団長モッテモテー。
アレンはうんざりと思う。パトリシアも嫌そうな表情だ。


「もういいかしら。……始めるわよ」


また彼女の手が叩かれる。
それを合図にして照明が落ち、すぐさま舞台の上だけが照らし出された。


そして女性団員によるダンスが始まった。
振り付けはアクロバティックな動きよりも体の柔らかさを見せるようなものが多い。
全体的に優しく、女性らしい雰囲気で満たされている。
時折混ざる激しい動作がそれを引き締めていた。
さすがパトリシア監修のダンスだと、アレンは心から感心する。
けれど、


「……なぁ」


途中でミハエルが呟いた。フリードリヒも小さく言う。


「あぁ……、あれは」
「まずいね」


アレンは二人の言いたいことを正確に理解して、頷いてみせた。
視線は一点に据えられている。
それは舞台の上で踊る歳若い女性。


「あれじゃあ、は駄目だ」


くるりと舞う金髪に、銀灰色の瞳を細める。
アレンの顔は完全にサーカスの一員のものだった。










アレンとヒロインが一言も会話してねぇー!狙い通りです。(笑)
同じ場所にいるのに珍しいことですが、一度こういうのをやってみたかった。
別の人間なんだから、お互いが自分の世界を持っているのが当然で。たまにはそれを感じるのもいいんじゃないかと。
それにしてもアレンは随分ヒロインについて詳しくなってきたなぁ。

次回はヒロインが悪目立ちして、アレンが青春な話です。(わかりにくい!)
ぐいぐい出張ってくるオリキャラたちも含めて、楽しんでくださると嬉しいです。