本当は望んでいたのかもしれない。
あなたの拒絶、“大嫌い”。


そうでなければ、離れることなど出来やしないのだから。






● 恋船旅路  EPISODE 2 ●







「……で?」


絶対零度の声で神田は問い質した。


「申し開きはあるか」


言葉と同じくらい冷ややかな視線で見下ろすのは金色のつむじだ。
彼の眼前に正座させられたは冷や汗をだらだらかきながら口を開いた。


「いや、あの、ちょっとはしゃぎ過ぎたと言いますかもうすぐ冬だし寒中水泳なんてものをね健康マニアとしてはやっちゃおうかと」
「阿保か」
「仰る通りで!」


とりあえず言い訳をしてみたのだが、ばっさりと切り捨てられてしまった。
謝るついでに土下座をしてみる。
もうこうなったら斬られる覚悟でいったほうがいい。
長年の勘がそう告げていた。


「すみません、私もまさかこの歳で船から転げ落ちるとか思ってもみなくって!」
「……………………」
「地下水路がやたら深くて本気で溺れかけたとか笑えないよねぇアハハ」
「……………………」
「いやはや、あれには私も驚いた……」
「……………………」
「………………………………、ごめんなさい」


神田が何も言ってくれないので、地面に伏せたままもう一度謝罪する。
いつものように怒声とか罵り言葉とか六幻とか拳とか、そんなものを浴びせられるほうがいい。
こんな沈黙はかえって居た堪れなかった。
アレンだけでなく神田とも妙な雰囲気になってしまって、は我知らずに息を詰める。
笑え。いつもみたいに。
何も気にしてないフリで、“”を演じなければ。


「かん……」


口元を笑みの形にして顔をあげた途端に、何かを投げつけられた。
顔面に衝突して手元に落ちてきたそれは真っ白なタオルだ。
神田は自分のトランクを閉めながら無愛想に言った。


「使え」
「……え」
「風邪を引きたいのか」


面倒くさそうな口調だったけれど、がぽかんと固まっていると、タオルを奪い返して金髪に被せてくれた。
がしがしと乱暴に拭いてすぐに離れる。


「自分でやれよ」


ガキじゃねぇんだから、とだけ吐き捨てて、神田は背中を向けて行ってしまった。
それを追いかけながらラビが「ちゃんと拭くんだぞ」とお兄さんぶった声をかけてくる。
最後に上着を着せ掛けられたから、ハッと我に返った。


「本当に、馬鹿じゃないんですか」


振り返らない。
顔は見ない。
サイズの合わない黒いコートの上から両肩を握られる。


「あの神田にまで心配されるって相当ですよ」
「……確かにね」


はそれだけ呟いて、背後のアレンから離れた。
頭からタオルを取って髪の水分を吸い取る。
ぐちゃぐちゃに濡れていて、どうにも一枚じゃ追いつかなさそうだ。


「寒くない?」
「平気」


短い言葉だけを交わす。
は自分に着せられたアレンの団服を握り締めた。


「……ありがとう」


笑え。いつもみたいに。


「アレン」


何も気にしていないフリで、“私”を演じなければ。


「ねぇ、見てみて!」


は靴音を響かせて駆けてゆく。
立っているのは巨大な船のデッキだ。
海を渡るために乗り込んだそこで、弾んだ声を出してみせる。


「絶景よ。海平線があんなに綺麗に見える」


手すりに体をぶつけるようにしてしがみつき、輝く蒼色の線を指差した。


「やっぱりここは『ヤッホー』とか叫んでおくべきかな!」
「…………………………」
「私壮大な風景を見ると、山じゃなくてもやってみたくなるんだよねー」
「…………………………」
「アレンはそんなことない?ほら、気持ちいいよ『ヤッホー!!』って」
「…………………………」


返事がないことは何となく想像していたので、はまったく気にしなかった。
声を届ける先の水面が煌めいている。
陽の光を受けて眩しいばかりだ。
先刻自分の逃げ込んだ水はひどく暗く冷たくて、全身が凍えてしまったというのに、どうして今はこんなにも違う表情をしているのだろう。
一種の恐ろしさを感じては身を引いた。
踵で鳴らすデッキ板が濡れてゆく。
振り返れば髪や服から零れ落ちた雫が飛び散った。


「……、いつまで」


海風に金髪を流しながら、アレンを見つめた。
波音がする。カモメが鳴く。屈託なく微笑む。


「いつまでそうしているつもりかと、あなたは私に訊いたけれど。本当は答えを知っているのでしょう?」


いつでも明るく振舞って、馬鹿みたいに笑って、それが“私”ならば。


「いつまでも、よ」


永久に、“”で居続けなければいけない。


「この生命いのちが続く限りね」


あなただって同じ決意をしているくせに。
そんなことを思えば、アレンも微笑んだ。
笑顔は互いを騙しあう武器……仮面でしかない。


「駄目ですよ」


あまりに完璧なアレンの笑みには戦慄する。
けれどピエロは死んでしまった後だからそれも残像だ。
次の瞬間には演技をやめた銀灰色の瞳に射抜かれた。


「僕達は“本当”を暴き合ってしまったのだから」


アレン・ウォーカーという少年はとても柔和な顔立ちをしていて、周囲の評価に漏れずもそう認識していた。
ともすれば“可愛い”と評されてしまう容姿である。
それを、覆された気がした。
戦闘中でさえここまでのものではないだろう。
所詮彼は慈悲でもってアクマと対峙しており、破壊のあとには安息を願う優しさしか残らない。
そんな彼が今、気遣いというものを全て捨て去ってしまっていた。
ぶつけられるのは自分勝手とも言える感情だけだ。


「もう」


剥き出しの想いの正体。
にはわからない。
ただ彼の表情は鋭く切なく、胸の奥に迫ってきていた。
間違っても“可愛い”など言えないほど、少年は荒削りの様子でそこに居る。


「遅い」


そうね、これが本当のあなただとしたら、私はとんでもないものを暴いてしまった。
ひどい痛みを増やすばかりだというのに。
我知らずに後退すれば固い手すりに阻まれた。
逃げられない。
ここは船。先刻とは違って、深すぎる海の上だ。
せめて背中を見せずに向かい合うけれど、それも苦しいようだった。
流れ落ちる水滴が何度も頬を伝って涙のように見せてしまうから。





また名前を呼ばれて“嫌だ”と思った。
彼はもう遅いと言ったから、以前のような関係には戻れない。
そんなことにもわかっていて、だからこれ以上の離別を告げられるのはごめんだ。


「!」


咄嗟に手をあげる。
こちらに向って放り投げられたそれを掌で受け止めた。
突然のことに驚きながら見てみると、それは金色の鍵だった。


「オマエの部屋のキーさ」


船内へと続く場所に立ったのはラビで、遠くから大声を寄越してくる。


「今夜は船上で泊りだかんな。部屋取ってきた。さっさと行って着替えろよ」


わざとらしさもなくいつも通りの調子で言われたので、は目を数回瞬かせた。
それから肩の力を抜く。


「いやぁ、案外この格好も悪くないかなってね」
「へぇ?つまり“水も滴る”」
「“イイ乙女”!」
「鏡見て来い、ヤバイくらい惨めな感じだから」
「うそっ!」


マジでマジでと言うラビに、も笑い声を合わせた。
おかげで同じ表情をアレンにも向けることができた。


「じゃあ、お先に」


断りを入れてから歩き出す。
船内に入る瞬間、ラビだけに聞こえるように囁いた。


「ごめん」
「何が」
「気を遣わせちゃったね」
「当然だろ。それより、これからどうするんさ?」
「……着替える」


的外れな答えを返したに、ラビは少し焦れたようだった。


「オマエな」
「髪の毛結んでよ!」


は遮るようにして親友に向き直った。
翻った団服の裾までもがいつも間にか濡れている。
本当は寒くて仕方がないから、震えないように力を込めた。


「着替えの服も選んで。ラビのセンスに任せるからさ」
「……、いつもオレのコーディネートをイヤがるくせに」
「今日は特別」


はタオルで顔を強く拭いながら、最後の一言を吐き出した。


「…………ごめん。ちょっと、ちゃんと、笑わせて。そうじゃないと」


続きはぷつりと出てこなくなってしまったから、白い布地の向こうに見た親友に笑いかけた。


「ね、お願いマイベストフレンド!」


その途端、引き寄せられる。
それなりに強引だったから、額をラビの胸にぶつけてしまう。
少しの痛みと温もりを感じた。


「バカ」


優しい声と頭を撫でられる感触。
よく知った匂いに包まれて、はつかの間目を閉じた。




















「今度は海の中に逃げる気か?」


一生懸命に金髪を拭いていたら、前触れもなく問いかけられた。
船室だというのにやたら広い空間だ。
特に裕福な女性向けにだろう、内装まで充実させてくれている。
鏡台に並んだ化粧品の数も、クローゼットにかけられた貸衣装の数も、数え切れないほどだった。
今回の同行者が皆男性なにとっては、何となく申し訳ない感じだ。
バスルームの豪華さにも落ち着かなくて早々に出てくると、神田が部屋の中にいたものだから、ちょっと肩をすくめてしまう。


「座れば?」


不法侵入のことはとやかく言わずに椅子を勧めたけれど、神田は扉横にもたれたまま動かない。
特に何も言ってこないのでも気にしないことにした。
そうして髪を乾かすことに夢中になったころに、先の質問が飛んできたのである。
は手を止めて神田を振り返った。


「……なに?」
「地下水路の次は海の中かって訊いてんだよ」


面倒くさそうに繰り返して、横目で睨みつけてくる。


「二度と溺れたくなけりゃ、さっさとケリをつけろ。見ていて不愉快だ」


は本気で不機嫌そうな神田の顔を眺めて、ゆっくりと髪の毛を拭く作業に戻った。
長さがあるからなかなかの手間だ。


「……神田さぁ」
「何だ」
「本当に、意外と、お母さん属性だよね」
「………………喧嘩売ってんのか」
「いや、でもリンクには負けるけどね!」
「勝ちたかねぇよ!!」


全力で怒鳴られてもは表情を変えなかった。
神田は舌打ちをして、壁から背を離す。
大きな鏡台、その銀色の面に映った少女に、真正面から向かい合う。


「今のお前には腹が立つ」


臆面もなく、躊躇いもなく、きっぱりと言い切られたものだから、いっそ清々しい気分になった。
確かに現時点の自分は神田にとって相当なものだろう。
“大嫌い”の部類に入るかもしれない。
そう言ってくれるあなたが私は大好きだけどね、と心の中で囁いた。


「いつまで続けるつもりだ」


刺さる質問。
優しい尋問。
それはアレンと同じ問いかけで、声音も厳しいばかりなのに、どうしてだか胸がいっぱいになる。
はタオルを脇に置いてブラシを手に取った。
ちょっとだけ指先が震えたことには気づかれていないはずだ。


「私は」


金髪を梳いてゆく。そっと、ずっと、流してゆく。
どれだけそうしても直らない癖毛が気に入らない。
神田みたいだったらいいのに。
彼みたいに真っ直ぐだったら良かったのに。


「私は、いつも通りよ」
「嘘吐け」
「いつも通りにしていたいのよ」
「…………………………」
「でも駄目みたい。そんなの無理だって、言われちゃった」
「オイ」


そこで唐突に神田が動いた。
アレンのことを思い出していたは咄嗟に反応できない。
距離を詰めてきた彼に、肩を鷲掴みにされた。
乱暴に引かれて振り返ってみればやけに間近に神田の顔が見えた。


「お前」


驚いて目を見張るを神田は観察している。
確かなものを発見しようと、眼差しを突き立ててくる。
鏡越しではなく、真実向かい合ってみれば、神田はやはり何かを危惧するような表情をしていた。


「まさか、あいつを……」


その続きは騒音に掻き消された。
バンッ!!と大きな音を立てたのは開かれた扉であり、同時にその原因が部屋の中に飛び込んでくる。


「よっ、!約束どおりコーディネートしに来てやった、ぜ……」


尻すぼみになってゆく声の正体はラビだ。
は視線だけで振り返る。
何故かというと、神田の顔が近すぎて、うまく身動きが取れなかったのだ。


「……オマエら何してるんさ?」


きょとん瞬いたあと、不審そうに訊かれた。
けれどそれはまだ穏やかなほうだ。
ラビの斜め後ろにいた少年はというと、わずかに瞠目したかと思えば、すぐさま冷ややかな声を吐き出した。


「本当に、何を、しているんでしょうね?まったく検討もつきません」


ラビへの返答に見せかけて、間違いなく室内へと詰問であるその言に、神田は舌打ちを隠さない。
捕まえたときと同じくらい乱暴にを突き放した。


「邪魔な奴」
「何の邪魔ですか」
「うるせぇ、黙ってろ」
「言わせているのはそちらでしょう。君こそ言動を自重したらどうです?」


当たり前のように発生した不穏な空気。
アレンと神田は睨み合ったまま互いに譲らない。
傍で縮み上がるラビが哀れだったので、が言った。


「あんた達がケンカすると船が沈没しそうなんでやめてくれる?」


ちょっと呆れた調子を含ませてやる。
アレンと神田は一瞬黙ったけれど、その口は見事にへの字に曲がっていた。


「お前が言うな」
「君が言わないでください」
「それも私のセリフかな。いつもは私に礼儀がないだの、勝手に入ってくるなだの言うくせに、どっちもノックがなかったってのはどういうことなの」


珍しくもっともなことを言ってやれば、今度こそ二人は沈黙した。
は上半身を曲げて床の上に手を伸ばす。
実は神田に捕まれた弾みでブラシを落としてしまっていたのだ。


「ま、いいんだけどね」
「「…………………………」」
「友達だから別に」


櫛を拾い上げて身を起こす。
すると微妙な顔のラビと目が合った。
不思議に思って首を巡らせると、他の二人はもっと微妙な顔をしていた。
言うならば怒りと苦しみを混ぜ合わせたような。


「……ほんと、船が沈没しそうだからケンカしないでよ」


それは、思わずが真剣に頼み込んでしまうほどに。




















非常に気まずい沈黙が空間を満たしている。
それもそのはず、の部屋に今はアレンと神田の二人きりなのだ。
部屋主はというとラビと一緒に脱衣所に引きこもってしまっている。
コーディネートするのだから当然だと主張されたけれど、やはり納得できないものがあった。
親友だからって、男が女性の着替えを手伝っていいものか。


(親友……、“友達”、ねぇ)


アレンは頭の中で繰り返して、腹の中で嘲笑した。
仲間だの友達だのもう面倒くさい。
彼女はそう思っているからこそ、自分と距離を置こうとしているのだから。
大切なその関係性を守るために。
“アレン・ウォーカー”を守るために。


「馬鹿ばかしい」


思わず呟けば神田に睨まれた。
彼は無遠慮にのベッドに腰掛けている。
『六幻』から手を離さないのは、強い苛立ちの表れのようだった。


「そう思うのならあいつに構うな」


吐き捨てられてムッとする。
苛立っているのはアレンも同じで、ともすれば神田よりもひどい感情だった。


「君に言われる筋合いはありません」
「……いつかも俺にそう言ったな」


細められた瞳に宿るのはやはり敵意だ。
神田はアレンを戦うべき相手だと認識していて、それを忠実に実行しようとしている。
……受けて立ってやる、と思った。
アレンにとって一番の敵は本人で、他に尻込みしている余裕などありはしない。
同じだけの強さで見つめ返せば、神田は再び口を開いた。


「お前はあいつとの関係を、“自分達が決めるものだ”と言った。だから俺に口出しするなと」
「その通りでしょう」
「どうだかな」
「……何が言いたいんです」
「それこそ俺が言ってやる義理はねぇが」


そこでアレンは驚いた。
神田が笑ったからだ。
強い嘲りを込めて、こう告げられたからだ。


「あいつはもう選んでいる」


鋭い音を立てたのは『六幻』の鍔。
鞘とぶつかり合って、空間を割ってゆく。


「お前と“仲間”でいることを選択している。言葉でも態度でも示しているだろう。まさか気づいていないとは言わせないぜ」


それを聞いて蘇ったの笑顔がアレンの喉を苦しめる。
神田の言は責め苦ではない。
傷つけてくるのは結局彼女自身だ。


「それだってのに、お前は無闇に突っかかるばかりだ」
「………………………」
「おかげであいつは混乱している。対処法を決めかねている。……お前、何がしたい?」
「…………、僕は」
「あいつは“”だ。少なくとも此処ではそうでなくてはならない」


わかっている、そんなこと。
所詮僕だって“アレン”で、だからこそ理解できるはずなのに。
思考とは裏腹に本当ばかりを求めてしまう。本能のように“彼女”を欲している。
神田の糾弾は的を射ており、アレンに反論の余地はない。
受けて立つと決めているから逃げるつもりなんてないけれど、やはり理性で語れるものを持ち合わせてはいないのだ。


「……“あいつ”に近づくのは、気に喰わないと言っておいたはずだ」


鋭利な言葉がとどめを刺そうと放たれた。
神田の顔にはもう笑みはなかった。
アレンはようやく理解する。
“あいつ”。
神田の言う“あいつ”とは、僕の呼ぶ“あの子”のことだったのか。
もうずっと……、初めて逢ったころから?


「……ほんと、馬鹿ばかしい」


アレンは神田に聞こえないようにもう一度呟いた。
それは彼のことを言っているのではなくて、自分自身に向けた嘲りだった。


「どうして、君は、そう割り切ることができるんですか」


やけに素直な気持ちで尋ねてしまった。
神田もそれを察したようで、一瞬だけ困惑に似た表情を浮かべる。
珍しい顔を見てしまったものだ。


「……あいつは」


神田はアレンから目を逸らした。


「あいつは、自分の意思で、こんなクソみたいなところに留まっているんだ」


彼の手は相変わらず『六幻』にかけられていて、けれどそれはもう痛いほどに握り締められているものだから、鋭い音は聞こえない。
軋むように響くばかりだ。


「己にも、その“想い”にも、相応の覚悟があるんだろう」


「君と同じで?」


だから今度はアレンのほうが斬り込むように訊いてやった。
即座に返される刃としての視線。
痛いけれど受け止めた。
生命いのちに覚悟を決めた者同士だから、君は“”を戦友と呼ぶんだろう。
仲間だと、思っているんだろう。
でも僕はそれだけじゃ嫌なんだよ。


「すみません、神田」


やっと伝えられた謝罪だったけれど、それは逆に彼の逆鱗に触れたようだった。
神田は乱暴に立ち上がって、感情のままにアレンの胸倉を掴もうと手を伸ばしてくる。
その直前。
白の少年と黒の青年の間に、金髪が割って入った。


「「「!?」」」


あまりに突然だったので、三人が三人とも驚愕する。
まずは前進していた神田とが衝突して、体格の差で負けた少女の方がアレンに向かって倒れこんでくる。
まるで玉打ちのように頭をぶつけ合ったものだから、全員がしばらく無言で痛みに悶える羽目になってしまった。


「〜〜〜〜〜〜〜っつ、ってぇな!このバカ女!!」
「そ、それだってこっちのセリフよ!何だって二人して扉の前に突っ立ってるのよ!」
「あぁもう……っ、いいから今すぐ僕に謝罪してくださいよ!!」
「何で俺が!」
「何で私が!」
「僕はこの場から動いてないんだから、突進してきたそっちが悪いに決まってるでしょう!?」
「「言いがかりだ!!」」


仲良く反論されてアレンとしては不愉快だ。
ついでにぶつけた鼻が猛烈に痛い。
とは身長差があるから、頭突きをされたのがそこだったのだ。


「……オマエら、ホント何やってるんさ?」


に続いて脱衣所から出てきたラビが、呆れ顔でそれぞれ顎やら額やら鼻やらを赤くした三人を見やる。
全員涙目でちょっと面白い。
けれどこんなことを思っているのがバレたら危険だし、下手をすると争いに巻き込まれかねない。
そう判断したのだろう、の肩を後ろから掴んで引き寄せた。


「まぁまぁ、ケンカはそれくらいにして。どうさ!可愛いだろ?」


わざとらしく主張されたけれど、神田は口を閉じたし、アレンに至っては動きまで止まった。


「……また女装か」
「すみません神田さん。私は生まれたときから女なんですけど」
「そいつは知らなかったな」
「なにをー!?言っとくけど、実際に女装大会に出たら私なんて絶対あんたに惨敗なんだからね!!」
「………お前、それでいいのか」
「……………いや、うん。今のは間違えた。自分が可哀想になる感じに間違えた」


そんな神田との馬鹿なやり取りも、アレンにとってはどうでもいい。
とにかく目の前を見つめるのに忙しい。
だって金髪はいつもと違う風に結い上げられているし、飾られた花だって見たことない。
団服の代わりに纏うのはサテンのワンピースだ。
光沢のあるコーラルレッドの生地は胸元のリボンで切り替えられている。
レースをあしらった白いボレロの下は袖がないようで、その露出に(ラビの奴……!)と思わずにはいられなかった。


「貸衣装も化粧品も種類があったからさー。めいっぱいおめかししてやったんさ。……カワイイ、だろ?」


ラビはの肩を抱き、金髪に顎を乗せてアレンを一瞥した。
その含みのある眼差しと声にイラッとする。


「どこのパーティーに行くつもりですか」


おかげさまで皮肉が口を突いて出た。


「ドレスが大の苦手のくせに。顔面からこけても手は貸しませんよ」
「平気。そのときは華麗に前転してみせるから」
「何て助けがいのない!」
「二回宙返り一回ひねり下り、背面倒立でフィニッシュよ!」


君はどこのスポーツ選手だ。
そう突っ込みたいけれど、やはり憎まれ口しか叩けない。


「……本当に、可愛くない」
「でしょうね」


アレンがしまったと思う間もなく、が言い切った。
やけに強い調子で同意されたので目を見張る。
けれど彼女はもうアレンに見ることなく、ラビを振り返った。


「ありがとう。お礼に甘いものでもおごるね」
「マジで!?やったー」
「適当に買ってくる。神田は和菓子でいい?」
「蕎麦がいい」
「お茶しようって言ってるのに何で蕎麦……。あ、まんじゅう蕎麦とかがいいの?」
「いるか、そんなゲテモノ!」


怒ったような神田に返すのも普段通りの笑顔で、アレンとしてはかなり引っかかる。
だからが「行ってきまーす」と言って部屋から出ていこうとしたとき、自分達の微妙な空気も忘れて呼び止めてしまった。


「待って、


彼女に続いて廊下に出たところで何となく扉を閉ざす。
それを背中に刺さる神田とラビの視線が痛かったからかもしれない。


「待ってよ」


アレンがそうしているうちにが歩き出そうとしたものだから、ちょっと焦った声が出た。
腕を捕まえようとして躊躇う。
前回二度も振り払われていては、仕方のないことだった。


「なに?」


それでも予想以上には気にしない風で、普通に足を止めるとこちらを返り見る。
アレンは意味もなく緊張した。
何故だろう。ドレスのせいか、知らない令嬢と向かい合っているみたいだ。


「……その格好で行くつもり?」


とりあえず思ったままを口にすると、不思議そうに首を傾げられた。


「寒くはないけど」
「そういう意味じゃなくて……。知らない人に声をかけられそうだから」
「まさか。この歳で誘拐なんてされないよ」
「………………………」


何だか通じない。いつも通り通じない。
仕方がないのでアレンは肩を落とした。


「ちょっと心配なだけ。……迷子札でもつけて行く?」
「それこそ、アレンじゃあるまいし」
「悪かったな」
「そんなことないけどね。……ひとりで大丈夫よ」


先回りして言われてから、アレンは今更自分が何をしたかったのか理解した。
一緒にいたかったのだ。
ただ、の隣を歩きたかった。
着飾っているからというのもあるけれど、もう少しちゃんと話をする必要があるのは明らかなのだ。
神田に糾弾されて、ますますその想いは強くなった。
けれどはそれすら“いらない”と言う。


「アレンこそ迷子になるんだから、部屋で大人しく待っててよね」
「……、そんなに」


大好きなはずのの笑顔が、今では憎たらしくて仕方がない。


「そんなに、僕は迷惑ですか」


核心を突いた質問に、金色の瞳が大きくなる。
ああ、駄目だ。またこんな気持ちになる。
壊したい。突き崩したい。君を滅茶苦茶に掻き乱したくて堪らない。


「僕を買いかぶるのはやめてくれ。そんな風に遠ざけられて、平気だと思っているのか」


傷つけたくないくせに、自分のためだけに歪んだ表情に、優越感を覚えている。
は苦しげにアレンを見据えた。


「あなたこそ私を買いかぶらないで」


痛いように告げられた言葉は、ますますアレンに自己嫌悪を抱かせた。


「前にも言ったでしょう。私は“嫌い”だと言われて、平気でいられる人間じゃないのよ」


それっきりは踵を返して行ってしまった。
廊下の角を曲がって、その後ろ姿が見えなくなったところで、アレンは目眩に襲われる。
扉にもたれかかって顔を覆った。


「なんで……」


言っても仕方がないことだ。
悪いのは自分だということもわかっている。
けれど、


「何で、そんな言葉まで、信じるんだよ……っ」


“嫌い”だなんて、嘘に決まっているじゃないか。
どうしてわからない?
信じなくていいことまで、彼女は鵜呑みにしてしまう。
それは僕達が信頼に足る“仲間”だから。


(壊したい)


自分の意気地のなさも、の純粋さも、粉々に砕いてしまいたい。
そうすれば破片が互いの心を突き破るとわかっていても、アレンは願わずにはいられなかった。


(壊してやりたい。……


彼女への感情は“恋”だというのに、どうしてこうも穏やかでいられないんだろう。
その理由を、例えばあいつなら。
あいつなら知っているだろうか。僕に教えてくれるだろうか。


(ねぇ、セルジュ)


先に逝ってしまった親友は応えない。




















思わず頭を抱えたくなった。
何だか部屋の隅で蹲って、いじいじといじけたい気分だ。
それほどまでには落ち込んでいた。
らしくないとは思うけれど、溢れ出す負のオーラは止まらない。


(あんなことを言うなんて……、みっともないったら)


握った拳を額に押し当てれば、金の前髪がくしゃりとなった。
せっかくラビが整えてくれたものだから、慌てて直してため息をつく。
親友は約束どおりたくさん笑わせてくれた。
戦友はいい加減にしろと喝を入れてくれた。
それなのに調子を取り戻せないなんて前代未聞の異常事態だ。
いつもなら一発で回復できるのに、これはどういうことなんだろう。


(アレンは仲間でしょう、“”)


だからそのように接しなければ。
そう考えるようにしているはずなのに、アレンはアレンで拒んでくるし、“”はうまく演じられないしでもうさんざんだ。


(いつもと同じよ。何度だってやってきたことよ。“嫌い”だと言われたから何だっていうの)


思い返すだけで痛む胸など、えぐりだして捨ててしまえ。


(私が彼を“仲間”だと信じていれば、それでいいでしょう)


ずっと、そうやって、生きてきたはずでしょう?
嫌われて、拒絶されて、突き放されて、それでも私が仲間を“好き”なら。
それで、いいじゃない。


「ほんと、みっともない!」


は自分に向って怒ってみせると、両頬を叩いて目を閉じた。


「うじうじ悩んでる場合か!これから任務よ、お仕事よ!しっかりしなさいこの馬鹿!!」


叱咤を口にして顔をあげる。
暗く沈むのはお終いだ。
さぁ、お菓子を買って楽しいお茶会にしよう。
私は“仲間”とそうやって過ごしたいのだから。
は無理やりに笑顔を作って廊下を進んでいった。
人影はない。
夕方に差し掛かる少し前の時間なのだから、誰かとすれ違いそうなものだったけれど、人ひとり見当たらなかった。
他の客はみんな部屋に引きこもっているのだろうか。
まぁ装飾からいってかなりの豪華船だから、乗っているのはお金持ちばかりなのかもしれない。それならおいそれと姿を見せないのも納得ができる。
しかし今回は教団も奮発してくれたものだ……。


そんなことを考えながらは辿り着いた食堂室の扉を開いた。
目の前に広がってゆく優雅な空間。
の部屋も相当だったが、その比ではない広さだ。
整然と並べられたテーブルと椅子の群れ。白いクロスに銀食器。室内はどこも花とリボンで飾られている。
遠くでウェイターを呼ぶベルの音が響いた。
さすがに食堂室には客の姿が見られた。ちょうどお茶の時間帯だから当然だろう。
着飾った紳士淑女の座する間をすり抜けて、は厨房の方へと向った。
ウェイトレスが怪訝な顔をしたけれど、にっこり微笑んでおけば問題はない。
いつも通り女性に笑顔を振りまきながら、カウンターを覗き込んだ。


「すみません」


声をかければ年かさのコックが顔を出す。
彼は少し驚いた様子を見せたあと、接客用の表情を取り繕った。


「何か御用でしょうか、レディ」


このような船に乗る客は自分から出向いたり、ことわりの声を掛けたりしないものだから、コックは大層を訝しく思っているようだった。
表情だけの微笑みにそれを察する。
だから気負うことなく言った。


「部屋でお茶会をしたいんです。お菓子とお茶をいただけませんか?」
「……、そのためにわざわざ?お申し付けくだされば私たちのほうでお届けにあがりますよ」
「いやぁ、ものすごく食べるのがいるので。ものすっっっっっつごく!!!」
「は……?」
「あまりに大量だから運んでいただくのが申し訳ないんですよ。だからここまで参上しました」
「は、はぁ……」
「さぁ、コックさん!とびきりおいしいのをお願いしますね」


が明るい口調でにこりと笑うと、コックも釣られたように唇を緩めた。
もう礼儀的な感じはしない。
それが嬉しくてはますます笑顔を深める。


「じゃあとりあえずスイーツを片っ端から。ケーキにクッキー、スコーン、シュークリーム、アイス、ゼリー、クレープ、チョコレート……」
「そ、そんなにですか!?」
「お団子やあんみつも!あとまんじゅう蕎麦」
「まんじゅう蕎麦!?」
「飲み物は紅茶とコーヒーと日本茶と……、忘れちゃいけない豆乳!!」
「とうにゅう……?」
「豆乳」


訳がわからないとばかりに復唱されたそれには頷いてみせる。
顔を輝かせてそれらの登場を待つのが、コックは一向に動こうとしない。
しきりに冷や汗をかきながらこちらを見ていた。


「あ、あのぅ……」
「はい、何ですか?まんじゅう蕎麦が難しいのなら別々で結構ですよ。私がこの手で合体させますから」
「……そうではなくて。いや、それもどうかと思うのですが……」


歯切れの悪い口調で言い、コックは困ったように頭を下げた。


「申し訳ございません。この船には“とうにゅう”という物は置いておりませんで……」
「………………、え」


数拍の沈黙の後、は思わず大声をあげてしまった。


「えええええええええ!ないんですか!?」
「は……、はい……」
「健康飲料のキング、豆乳様が!?」
「とうにゅうさま?」
「そんなちょっと今すぐ港に取って返してもらいたいくらい意外なんですが、えええええ、ないんですか!?」


ちょっと本気で混乱してしまったは繰り返し確認した。
冷静に考えればこんな豪華客船にあるわけがないのだが、健康マニアにそれが通じるはずもない。
いつもと調子が違うというのだからなおさらだった。


「あ、あのあの!だいず!大豆はありますか!それさえあれば私が自分で潰して煮て漉して作りま……っ」


「作るのかよ」


そこで唐突に突っ込みを入れられた。
目の前のコックにではない。
一応でも客あるにそんな無礼な振る舞いをするはずもなく、声音から言っても彼では有り得なかった。


「つーか、豆乳って作れるのか?」


次は呆れた調子でため息をつかれた。
頭の上にそれを感じる。
距離が、近い。


エクソシストである自分がこうも簡単に背後を取られるなんて。
それに加えて聞き覚えのある、この声、話し方、そして、


「なぁ、お嬢さん」


腰に回された掌の熱。
ぐいっと引き寄せられては彼の胸へと背中から倒れこんだ。


(どうして)


思うことはそれだけだった。


(どうして、ここに)


首をまわして斜め後ろを見上げる。
自分を抱き寄せた人物を。


「久しぶりだな。会いたかったよ」


まず見えたのがそんな言葉を吐く唇で、続いて褐色の肌、高い鼻梁、整った眉。
見覚えのある、美しい顔。
そして、闇と狂気を抱いた紫暗の双眸だった。




「再会を祝して奢ってやろうか?……豆乳以外をな」




シルクハットを指先で押し上げて、ティキ・ミックはにっこりと微笑んだ。










ティキ・ミック、再来。(仮タイトル)です。^^
絶対に出てきて欲しくないタイミングで出てくる。それが彼の真髄です。(ひどい)
ただでさえややこしい事態なのに、ティキのせいでもっとややこしくなりますよ!
しかしアレンとヒロインの雰囲気が微妙すぎて書き手ながら笑えました。
ヒロインはこれ以上アレンから拒絶されたくない。拒絶されない自分になろうと努力しています。
アレンとしてはそれが気に喰わない。だからますます“拒絶”のような態度を取ってしまう。
はっきり言って悪循環です。
見ていてもどかしいかもしれませんが、最後までお付き合いくだされば光栄です。
よろしければ引き続きお楽しみくださいませ〜。