何だったらいい?
どんな人間ならあなたを守れる?

私はね、ラビ。
結局のところ、あなたが傷つく姿を見たくないだけなんだよ。






● 心情の定義  EPISODE 6 ●







獣のような叫びが、意思とは関係なく自分の口から放たれた。
その時にはもう、ラビは巨大化させた槌でアクマへと踊りかかっていた。
激情を乗せたその一撃がアクマの体を吹き飛ばし、地面へと叩き伏せる。
同じことをしてやりたいと思った。
コイツがに与えた仕打ちと、痛みをそのまま、いやその何倍をも返してやらなければ気がすまない。
何故ならコイツは傷つけたからだ。
ラビの大切な。
大切な……?
何だというのだろう。
は、自分の。
思考がまともに働かなくなり、ラビはただ抑えきれない激情だけで動いていた。


「お前!よくもッ!!」


目にも止まらぬ速さで走りこみ、己の武器を振るう。
アクマは何とか足を動かしてそれをかわしたが、二撃目は避けきれずに片腕を盾にした。
それは粉々に粉砕され、威力を受けきれずにさらに吹き飛ばされる。
ラビはそれを追おうとしたが、アクマの尾である蛇が頭をもたげるのを見て、槌を振り上げた。


イノセンス、第二開放。
『判』


掲げた槌の周りに、丸い印が光を帯びて浮かび上がる。
黒い柄をくるりとまわし、連立するそのうちのひとつ、『火』へと叩きつける。


「業火灰燼」


ラビは己の武器を、地面へと振り下ろした。


『火判』!!


その瞬間、床に浮かび上がる円と“火”という文字。
自ら発光し輝くそこから、凄まじい勢いで炎が噴き出した。
ラビの怒りをそのまま具現化したかのように、赤の奔流は荒れ狂う。
巨大な火の塊はそのまま天に向けて疾走、アクマの体を包み、拘束し、何もかもを灰へと還す。
そのはずだった。


パリ……ン、と奇妙な音がした。


同時にラビの表情は凍りつく。
いや凍りついたのは表情だけではなかった。
目の前のすべてが停止し、虚ろな白に覆われていた。
『火判』さえも灼熱の色を失くし、パリパリと氷結していく。
そこにそびえたっていたのは、熱を失った炎の蛇のなれ果てだった。


「そんな……っ」


ラビは我知らずにうめいていた。
標的を焼き滅ばすために召喚された『火判』までもが、アクマの能力によってその存在を凍らされてしまったのだ。
パァン……!と美しい音を響かせながら、『火判』が跡形もなく砕け散った。
その向こうに悠々と佇む半人半獣のアクマ。
ラビは敵を睨みつけ、もう一度槌を振り上げた。
しかしそこで異変を感じる。
足が痺れたようになり、がくりと膝をつく。
声を出そうとすると喉がひどく痛んだ。
違和感を吐き出すようにして咳き込む。


(何だ……!?)


そうして無理に起き上がろうとし、地面に手をついたところでようやく理解する。
掌が床に張り付き、凍りついてしまったのだ。
いまや空間を支配しているのは凄まじい冷気だった。
全身は氷のように冷え切っており、四肢が凍えて言うことを聞かない。
喉の痛みはあまりにひどい冷気を吸い込んでしまったからか。
このまま息をし続けると肺まで凍りつく可能性があった。
マズイ。ここには怪我を負ったも、一般人のコーネルもいるのだ。
このままでは全員なかよく凍死することになってしまう。
しかしそうわかってはいても咳が止まらない。
あまりに急激に冷やされて、ラビの視界が霞んだ。
そして次に目に飛び込んできたのは、黒く煌めくの光刃だった。
それがラビに迫っていた十数条の氷槍を粉々に打ち砕いたのだ。
ラビはハッとして、唇を噛んだ。
血が出るほどきつくそうして、意識を引き戻す。
ラビは凍えてほとんど自由にならない体を無理やり動かした。
を傷つけられたこと怒りと、そしてそんな彼女に助けられた己への叱咤を熱に、床に張り付いた掌を引き剥がす。
肉までも剥がれ落ちたが、皮膚の感覚すらもなくなっているのが救いだった。痛みは感じない。
ラビは血まみれになった手で槌を強く握った。
途端走った違和感は柄まで凍りついていたからだったが、そんなことに構っている余裕はなかった。


「オ、マエ、は存在が寒い、んさ!!」


冷気に声を詰まらせながらも、ラビは己の武器に命じた。


「大槌小槌、満満満!」


その瞬間、アクマが目を見張るほどの大きさに槌は変化を遂げた。
ラビはそれを振りかぶり、容赦なく敵へと叩きつける。
しかしいくら武器が巨大化しようとも動きの鈍くなったその攻撃では、アクマの体をかする程度だった。
アクマは嘲笑を浮かべたが、それはラビも同じだった。
にやりと笑い、続けて武器に命令する。


「伸!伸伸伸!!」


唐突に槌の柄が伸び、かすめていたアクマの体を後方へと吹き飛ばした。
破壊の武器は敵を捕らえたままどんどん伸びていき、いくつもの壁面をぶち破る。
連立する工場群のはるか端までその存在を弾き飛ばす。
破壊された壁が凄まじい音をたてて崩れ去った。
もうもうと巻きあがる白煙。

アクマの気配が完全に遠ざかると、ラビはすぐさま踵を返した。
寒さで強張った足を無理に動かして走る。


!コーネル!!」


大声で叫ぶと、瓦礫の影から返事があった。
ラビを呼んだのはコーネルだった。
彼はこの異常事態に、それでも怪我を負ったのもとに必死に這って行ったらしい。


「何とかしてくれ!が……っ」


悲痛なコーネルの声に、ラビは全力でそこに駆け寄った。
そして息を呑んだ。
は上半身を瓦礫にもたせかけて、何とか身を起こしていた。
しかし突き立った氷槍がそのまま肉体を侵食し、流れ出た血すらも凍らせてを覆っていた。
ラビは一目でこの状態はマズイと判断した。
このままでは全身の血が凍りつくのが早いか、凍傷になって肉が壊死するのが早いか。
それはも承知の上らしく、蒼白な顔で少しだけ笑った。


「ごめん。しくじった」


ラビは言葉が出なかった。
かわりにコーネルがへと手を伸ばす。


「だ、大丈夫なのか……?」
「触るな!!」


咄嗟にラビは叫んだ。
コーネルは飛び上がるほど驚いて、手を引っ込めた。
ラビは苦しい息を吐き出し、の傍に膝をつく。


「今触れれば氷ごと肉体が破損するかもしれない。絶対に触るな」
「な……っ、じゃ、じゃあどうすればいいんだよ!?」


そんなこと、オレだって知るか!
そう怒鳴ってしまいたかった。
どうすればいい。
冷静な判断が出来ない。
たかが目の前の人間ひとり、傷ついたくらいで、何てざまだ。
未来のブックマンが聞いて呆れる。
胸を掻き毟りたくなるような焦燥に襲われて、ラビは顔を歪めた。
その目の前で、凍えた息を吐き出しながらが言う。


「コーネル。だいじょうぶだよ」
……」
「でも、ちょっとお願い。あれ、取ってきてくれるかな」


は震える指先でコーネルの背後を指差した。
コーネルは振り返り、戸惑いに目を瞬かせる。


「あ、あれってどれだ?」
「どれでもいいから。燃えてるやつ」


それを聞いてラビは眉をひそめた。
が何をするつもりか一瞬理解できなかった。
否、理解したくなかったのだ。
コーネルはわけがわからないまま進んでいって、ランプから燃え移った炎を宿した木材を掴んだ。
そっと運びながらへと手渡す。
は微笑んだ。


「ありがとう」


そして止める暇もないくらい無造作に、凍りついた己の体にその炎を押し付けた。


「――――――っ!?」


氷と衣服、そして皮膚が焼ける匂いがした。
ラビは息を詰める。
そして何か考えるより早く、の手を掴んで、そこから引き剥がした。


「バカ!やめろ!!」


自分でも驚くぐらい、激しい怒声だった。
を掴む手にも、無意識に力がこもる。
けれど目の前の少女は、いつもの瞳でラビを見上げた。


「離して」
「ふざけんなよ、オマエ……ッ」
「アクマはまだ破壊できていない。だったら私は戦う。でも手足が動かないんじゃ話にならないでしょ」


確かに戦闘は終わっていない。
の『天葬』もラビの『火判』も氷結させられてしまった事実から考えると、二人が力を合わせてやっと勝てるかどうか、といったところだ。
けれどだからといって凍りついた自分の体に炎を押し付ける馬鹿がいるものか。
ラビはそう思ったが、口には出さなかった。
何故ならその馬鹿は、今自分の目の前にいるからだ。


「や、やめろよ、……!」


震えた声でコーネルが言った。
一般人の彼から見れば、の行動は狂気の沙汰でしか有り得ない。
はコーネルを振り返って笑った。


「ごめんね、驚かせて。でもモタモタしてられないんだ。嫌な思いをさせちゃうけど……、目を閉じて鼻を塞いでいてくれると嬉しい」


そうすれば自ら皮膚を焼く異常な光景も、鼻を刺す異臭も感じずにすむ。
しかしそれに頷ける人間など、どれくらいいるだろう。
コーネルは泣きそうな顔で首を振った。
は困ったように瞬いて、それから言う。


「だったら逃げて。門の外に探索隊ファインダーの人がいるから、保護を求めれば助けてくれる。アクマに気づかれるかもしれないから明かりはつけられないけど……、このゴーレムに道案内をさせるから、後ろについていけばいい」


は急激に下がっていく体温に唇を震わせながらも、襟首から自分のゴーレムを取り出した。
そして割れてしまったコーネルのランプのかわりに、自分の持っていたそれを差し出す。


「門に近づいたらこのランプをつけてね。そうしたら向こうから気がついてくれるから」
「で、でも……」
「オマエはそうしろ」


とりあえずはそう判断して、ラビも頷いた。
コーネルは目を見張る。
苛立った心のまま、ラビは言い捨てた。


「ここにいられると足手まといだ。さっさと行ってくれ」
「…………っ」
「オマエが居ると迷惑なんさ」


その途端、に軽く蹴りを入れられた。
がくがく震えている足で、よくそんなことが出来たものだと思う。


「ラビ、もうちょっと言葉を選ぼうね」


それだけ呟くと、は再び炎を自分の体に近づけた。
ラビは咄嗟にその手を打ち払った。


「だから、やめろって言ってるだろ!!」


もうどうしようもなかった。
本気の声で怒鳴りつけても、の瞳は強さを失わない。
これは何を言っても聞かないときの目だ。
だったらこっちも彼女の言い分を聞いてやる筋合いはない。


「コーネル、も連れて行け」
「な……っ」
「二人で逃げるんさ」
「ラビ!」


初めてが口調を荒げた。
ラビがここまで彼女の意思を無視したことは、これが初めてだったのだ。
そしてそれは的確な判断ではなかった。
単独で向かって行ったところで、あのアクマを破壊できる可能性は低いのである。
怪我を負っているからといって戦力であるを帰すのは、得策ではない。
いつものラビになら考えるまでもなくわかることだ。
はラビを見つめて口を開こうとした。
しかしそれより先に声がする。


「な、何でだよ……っ」


呻くようにそう言ったのはコーネルだった。
彼は拳を握り締めて、ラビを見据えた。


「何で俺にをあずけるんだよ!何かあったらどうするんだ!!」
「コーネル、アクマはオレが……」
「悔しいけど俺が足手まといなのはわかる!だったらお前がなんとかしろよ、を守ってやれよ!!」


その言葉にラビは瞠目した。
も震える双眸を大きく開いて、コーネルを見上げる。


「俺はもうお前とは何の関係もない人間だけど、は違うだろ!恋人なんだろ!?好きな女の子を他の男にあずける馬鹿がどこにいるんだ!!」
「ちょ、ちょっと待つさ、コーネル……」
「私たち、別に恋人じゃないんだけど……」


二人が冷や汗をかきながら訂正を入れると、コーネルは一瞬、固まった。
それから目を瞬かせてラビとを見る。


「………………………嘘だ」
「いやいやホントだって!なぁ!」
「うん、その通り!」
「嘘だ嘘だ嘘だ!だってお前がみたいな可愛い子を前にして、手を出さないはずないだろ!?」
「うわーオレって信用ねぇ!」
「さっすがラビだね!」
「そんなお前にちょっかい出されて、それでも一緒にいる女の子なんて、恋人以外あり得ないじゃないか!!」
「オマエえらい極端だなー!」
「あり得ないとまで言われちゃったよ!」


ラビとは思わず眉を下げて顔を見合わせたが、それでもコーネルの勢いは止まらない。


「でも、だって……、大切な人なんだろ!?」


コーネルはその藍色の瞳で、真っ直ぐにラビを見つめた。


は昼間、お前のために俺のところに来てくれたんだよ!店の前で変な歌を熱唱しようとしたり、突然お客に絡んだり、さんざんとんでもないことしでかしてくれたけど、それでも……っ」


そこでコーネルは一度、ぎゅっと歯を食いしばった。
拳を握りこんで、瞳を揺らす。
けれど決してラビから目を逸らさなかった。


「それでも、必死になって今のお前のことを伝えてくれたんだよ!お前の事情とか、気持ちとか、全部ぜんぶ!俺に疎まれることも、お前に怒られることも覚悟して、それでも会いに来てくれたんだ!!」
「………………」
「そんな人をどうして他人に任せたり出来るんだよ……っ」


ラビは浅く息を吸った。
そうしないと、呼吸が止まってしまいそうだった。
コーネルの目が訴えている。
純粋な感情が、ラビを責めている。


「自分のためにあんなに一生懸命になってくれる人を、どうしてお前はその手で守ろうとしないんだよ!!」
「………………っ」
は、お前の大切な人じゃないのかよ!?」
「っ、黙れよ!!」


気がつくと叫んでいた。
胸が苦しくてどうにかなってしまいそうだ。
ラビはもうコーネルを直視することも出来なかった。
吐き出すようにして言う。


「黙れよ、そんなこと……っ」


そんな、こと。


「オマエに言われなくたってわかってる……!!」


他人に言われるまでもない。
知っているよ。
思い知っているよ。
はオレの何かって?
そんなこと、決まってるだろ。


「オレが一番わかってるんさ……っ」


たいせつな、ひとだよ。


でもだからってどうすればいい。
もう傍には居られないんだ。
笑顔にさせることも、温もりに触れることも、出来ない。
オレはオレの自分勝手な理由で、を放棄するしかないんだ。
かつて、コーネルをそうしたように。


そんなオレに誰を守れって?


ラビは何かを振り払うようにして顔をあげた。


「オレにはオマエたちを守れない。あのアクマはそんな生易しいレベルじゃない。だからコーネル、を連れて逃げてくれ」
「お前……っ」
「いいから行けよ!!」
「どうして……!」
「頼むから……っ、オレはオマエにもにも、傷ついてほしくないんだよ!!」


目を閉じて、思わずそう叫んでいた。
少しの間、重い沈黙が流れた。
その張り詰めた空気を打ち破ったのは、の笑い声だった。
ラビはぎょっとして彼女を見つめた。
コーネルも同じような顔をしている。
この状況で笑い出すだなんて、気が違ってしまったとしか思えなかったのだ。
けれどは本当に嬉しそうで、どうやら寒さと痛みに狂ってしまったわけではなさそうだ。


「あっはははははは!なーんだ、こんなに簡単なことだったんだ。グタグタ悩んで損した!ばっかみたい!」
「お、おい、……?」


ラビは冷や汗をかきつつ呼びかけたが、はそれには答えずコーネルを見上げた。


「あのさ、コーネル。私とラビは恋人じゃないんだよ」
「え……、じゃ、じゃあただの友達……?」


とりあえずそう返したコーネルに、ははっきりと首を振った。
それを見てラビは胸の痛みを感じたが、何か思うより早く、が言った。


「ううん。私達は親友」


びくりと目を見張ったラビの眼前で、金髪の少女は微笑んだ。
それはラビのよく知っている、どこまでも暖かいの笑顔だった。


「最高の、大親友」


吐息のようにそう言って、は瞳を閉じた。
体温を奪われ蒼白になった唇で、言葉をつむぐ。


「ねぇ、傷ついてほしくない相手のことを、何て言うと思う?」
「…………………」
「困っていたら無条件で助けたいと思う相手のことを、ただその無事を祈ってしまう人のことを、何て呼ぶ?」


震えた指先が、ゆっくりと握り締められる。
どれだけ色を失っても、の微笑みは消えない。


「そして相手のことを考えて、本気で怒ってくれる人のことを、何て呼べばいい?」


はぁ、と凍えた吐息を漏らして、は囁いた。


「私なら、その人を“友達”って呼ぶよ」
……」
「私から見れば、あなた達二人はやっぱり友達だよ。例えもう微笑み合うことは出来なくても、それでもやっぱり心のどこかでその絆を求めてる。その想いが今もあなた達を繋いでる」


どんなに突き放しても、突き放されても。
真剣にその人のことを考えて、怒ってくれる人ならば。
ただひたすらに安息を願い、傷つくことを恐怖と感じる相手ならば、それはやはり特別な相手なのだ。
大切な人なのだ。
は目を開いて、ラビを見上げた。
あまりに真っ直ぐに見つめられてラビは肩を揺らす。
が笑った。


「友達なら、こういう時どう言えばいいかわかるでしょ?ラビ」
「…………………」


ラビは咄嗟に声を出そうとした。
けれど言葉にならなくて、ゆっくりと唇を閉じる。
握りこんだ拳が震えた。
何だか泣いてしまいそうだった。


「オレ、は」


どうしろっていうんだよ。
わからなくて苦しいから、わかることだけを言うしかないじゃないか。

ラビは一度強く目を瞑って、開いた。


「逃げてくれ、コーネル」


祈るような気持ちで、藍色の瞳を見つめる。


「オレの、こと。まだ少しでも友達だって思ってくれてるなら、……逃げてくれ。オレの頼みを聞いてくれ。オレはオマエに傷ついてほしくない。だから……っ」
「…………………」
「だから、……逃げてくれ。コーネル」


これでいいのか、わからない。
どう言えばいいのか、こう言ってしまっていいのか、何一つ判断がつかない。
けれどひとつだけ確かなことがあった。
ただ自分は彼に無事でいてほしいのだ。
見つめる先の藍色の瞳が怖かった。
これからそこに映し出される感情が恐ろしい。
今更こんなことを言ったって、コーネルは決して自分を許さないだろう。
あんなにひどく突き放しておいて、こんなのはむしが良すぎる。
けれど嘘はつけなかった。
の金の瞳に、そんな魔法をかけられていた。


「お前……」


長いような沈黙の後、コーネルが呟いた。
肩の力を抜くようにして、そっと。


「お前、やっと本当のこと言ったな……」
「え……?」


吐息に混じる笑顔のような表情に、ラビは目を見張った。
その瞬間、思い切り横っ面を殴られた。
突然のことに悲鳴をあげて、の横に転がる。
涙目で見上げると、コーネルが眉を吊り上げていた。


「言っておくけど、これくらいじゃ許さないからな」
「は……?いや、ちょ、マジで痛ぇんだけど……!」


ラビは真っ赤になった頬を押さえながら訴えたが、コーネルはそれを無視した。
そして瞳をゆるめて言った。


「でも今はお前の頼みを聞いてやるよ。……俺は今日までずっと、お前のこと友達だと思ってたんだから」
「コーネル……」


どういう顔をすればいいんだろう。
他に思いつかなくて瞬きをすると、背を叩かれる。
見下ろすと間近にの金の瞳が見えた。
その途端、視界が滲んだ。
ラビは慌てて目をこすって、の腕を掴む。


「ほ、ほら!オマエもコーネルと一緒に行くんさ!」
「えーやだ」
「やだじゃねぇ!」
「やだもんっ」
「可愛く言ってもダメ!つーかむしろ気持ち悪ぃ!!」
「なんて失礼な!はいマイゴーレム、行ってこーい!!」


はそう言うと、まだ動く右手で自分のゴーレムを投げた。
そしてコーネルをせっつく。


「ホラ早く!道案内が行っちゃうよ!」
「いや、でも……」
「コーネル、私達ならだいじょうぶ」
「……………」


その強気な笑顔に、コーネルは戸惑いつつも立ち上がった。
ラビが止めようとしたが、それはの手によって封じられる。


「あなたは友達との約束を守って。私もそうさせてもらうから」


コーネルは口を開いたが、結局なにも言わずに閉じた。
それからに向けて頷いた。


「わかった……」
「コーネル!」


ラビが声をあげたが、コーネルはただ頷くだけだ。


は、冗談は言っても嘘は言わない。それくらい俺にだってわかるよ」
「でも……っ」
「ちゃんと守れよ」


コーネルは囁くように告げた。
ただ真っ直ぐに、藍色の瞳でラビを見つめて。


「お前の、大切な人……なんだろ」
「………………」


言葉を失うラビに、コーネルは少しだけ微笑んだ。
そして一度気遣わしげな視線をに送り、踵を返した。
羽ばたくゴーレムの後を追って、駆け出す。


「ありがとう……。どうか、気をつけて」


まるで祈るようなの呟きが、彼の後ろ姿を追いかけていった。













さて、ここからが問題だ。
はそう思って、ため息をついた。
氷に覆われた自分の体からは、体温がどんどん失われている。
肉体に入り込んだそれが、血液を氷結させてくのがわかる。
全身が凍えてうまく力が入らない。
早く対処しなければ死んでしまうだろうということは、考えなくてもわかった。
は唇を噛んで、炎の灯った木材を握り締めた。
本当は湯を使うのが良いのだが、それが出来ない以上、乱暴だがこうやって溶かすしかない。
凍りついた足にそれを押し付けた途端、激痛が走った。
鋭い痛みが局部を刺し、意識が飛びかける。
思わず悲鳴をあげそうになったが、必死に喉の奥で押し留める。
すると突然、炎を取り上げられた。
目を開くとぼんやりした視界に、ラビの顔が見えた。
怒ったような泣き出しそうなその表情に、は苦笑するしかない。


「ラビ……、返して」
「………………」
「ここに残った以上、私が戦わないわけがないでしょ?わかってるくせに」


ラビは無言で首を振った。
それから何度か浅く呼吸して、苦しみを振り切るようにを見つめた。


「オレが、やる」
「え……?」


ラビはぐいっとを引き寄せた。
片手を背にまわして、抱きしめる。


「オレがやるから。しがみついてろ」


そう囁く声は震えていた。
は胸が締め付けられるような思いがして、目を閉じた。
よく知っている体温と匂いが、冷え切った体を包んでくれた。
親友の優しさに哀しくなる。
彼はだけにその痛みを背負わせまいとしてくれているのだ。
自分勝手なの意地に、付き合ってくれると言うのだ。
涙が滲みそうになった。
炎がそっと、足にかざされる。
激痛にはラビにしがみついた。


「ひぅ……っ、くっ」


悲鳴を無理に押し殺す。
ラビの手がの後頭部を抱いて、その胸に押し付けてくれる。
くぐもった声で、は言った。


「ラ、ビ……、ごめ、ん、ね」
「いいから。黙ってろよ」
「うう、ん。こういう時、は、何か話し、てた方が、いいんだよ」
「無理言うなよ……。オレにはそんな余裕なんてねぇさ。何を話せって……?」
「じゃ、あ、私が話して、あげる。とある子供、と、ウサ、ギのお話」


は必死に口を動かした。
そうしたらずいぶんと楽になった。
意識を痛みから逸らしているからだろうか。
それとも抱きしめてくれる腕の暖かさのせいだろうか。
は口元に笑みを浮かべた。


「とあるところに、黄色い髪の子供と、赤毛のウサギがいました」


ラビは少しだけ肩を揺らして、それから唇を開いた。
けれど結局言葉にしたのはこれだけだった。


「…………黄色じゃなくて、金髪の間違いさ」
「どっちでもいいよ。まぁここは、ラビの意見を優先させよう」


語尾のほうで痛みが強くなったから、は呼吸を乱してラビに掴まる手に力を込めた。
揺らぐ意識の中で、それでも続ける。


「金髪の子供は、ね……急に独りぼっちになって、知らない場所に連れてこられたの。怖くて淋しくて仕方がなかったのに、どうにもできなくて。どうしようもなくて。ああこれからはたった独りで生きていかなきゃいけないんだなぁ……って」
「……………………」
「無理に納得して、変に強がってた。苦しくても悲しくても、誰にも頼ってはいけないんだって、思い込んでた」


それが当然だと思っていた。
だって誰も私を理解してはくれないでしょう。
自らの手で、己の全てを殺した、異端の存在など。


「けれどね、そんなとき赤毛のウサギと出逢ったの」


今でもその時のことを、鮮明に覚えているよ。
あたたかな髪の色も、私を見つめる翡翠の瞳も。
そっと触れてくれた、優しい手も。
心の奥底に刻み込まれている。


「最初は……、ねぇごめん、本音を言うと、同情されているんだと思ったんだ。突然現れた変な子供を、可哀想だと、思ってくれたんだって……」
「何だよ……、ソレ」
「ごめんね、わかってる。今はもう知ってるよ」


あの頃の私は心が傾いていて、あなたの優しさを曲解していた。
でもすぐにそうじゃないのだと理解した。
共に過ごす度に、思い知らされた。


「だって楽しいことがあったら、ウサギは子供のところに来てくれた。腕を引いて、一緒に走って、顔を見合わせて笑ってくれたんだもの」


は微笑んだ。
けれど何故だか涙がこぼれそうになった。


「子供が誰かに突き放されるたびに、ウサギは手を繋いでいてくれた。“ダイジョブさ。オレがいるから泣くな”って」
「……………………」
「私、泣いたことなんてなかったのに。ラビのほうが泣きそうな顔でそう言うんだもの」


強く掴んでくれた、掌の優しさ。
気味が悪いと罵られて、信用できないと蔑まれた時。
の傍で、ラビは言ってくれた。
涙を堪えた表情で、ただひたすらに。
“大丈夫、オレがいるよ”
ずっとそう伝え続けてくれた。


「泣いたことは、なかったけれど。ラビがそう言ってくれたから、泣かないでいられた。ずっと……本当は、いつだって泣きたかったけれど、泣くもんかって必死に」


そこでは小さく悲鳴をあげた。
鋭い痛みが肉体を突き刺し、そこから焼け付くように燃え出す。
抱きしめてくれるラビの手に力がこもった。
も彼にしがみつく。


「う……っ、ぁ」
、もう喋るな」
「……っ、嫌。聞いて。きっと今じゃなきゃ言えない」


こんな時じゃなきゃ、私は素直になれない。
それに今を逃せばきっと、この絆は途切れてしまう。
は荒くなった息を押さえつけて、もう一度口を開く。


「挫けるもんか、下を向くもんか、そう思ってここまで来たんだ。ねぇラビ。私はあなたの手を握り返したかったんだよ」


そう言うと、ラビの体が少し強張った。
息を呑む気配がする。
は痛みに耐えて必死に続ける。


「ずっとずっとあなたの優しさに見合う人間になりたかった。繋いでくれる手に応えたかった。“泣くな”って言ってくれたから、そうしていたいと思った。それ望んでくれたから、笑っていようと決めた。私は」


ねぇ聞いて。
今まで恥ずかしくて言えなかったこと。
心の底に隠していた、私の本音。


「私はラビと本当の“友達”になりたかったんだ」


胸が苦しい。
感覚が痛みに支配されている。
けれどそんなことはどうだってよかった。
これだけは伝えたかった。
終わってしまう前に、ただ彼に。


「ラビは私を“友達”だって言ってくれた。いつだって傍にいてくれた。優しく背中を押してくれた。それがどんなに“私”を救ってくれたか、あなたは知らないでしょう?」
……」
「“私”はきっとラビがいなければ“”にはなれなかったよ。どれだけ……、どれだけありがとうって言っても足りないんだ、そんなのはもうずっとわかっていた、だから……っ」


はきつくラビを抱きしめた。


「だから、決めたんだ。あなたの隣に立てる人間になろうって」


涙が溢れた。
けれど絶対にこぼすものか。
それは自分への誓いだった。
ラビにと捧げたいと思った強さだった。


「あなたが私にくれた温もりを、優しさを、全部ぜんぶ返したい。いつもあなたがそうしてくれたように、傷ついたのなら傍にいて、悩んだのなら一緒に考えて、独りじゃないよって、手を繋いでいたい。そう思ってた。そう思っているよ、今でも」


それは約束だった。
が一方的に交わした、二人の約束。
それが本当の“友達”になるために、が考え付いた唯一の方法だった。
じゅう、という嫌な音が止んだ。
融解が終わったのだ。
肌に走る痛みが遠のき、は体の力を抜いた。
それでもラビを離しはしなかった。


「私達は互いに孤独だったから、傍にいることが出来た。“独りぼっち”ではなくなって、“友達”になれた。けれど結局、私は“庇護される者”でしかなかった……」


いつだってはラビに守られていた。
助けられているばかりだった。
彼はどんなときも一緒にいて、大丈夫だって言って、共に笑ってくれた。
けれど、ねぇ、私はあなたに何も出来ない。


「それじゃあ、本当の“友達”じゃない。そんなのは嫌だった。嫌だったんだよ……、ラビ」


カラン、と乾いた音がした。
ラビが手にしていた炎を取り落としたのだ。
それを遠くに聞きながら、は再び襲ってきた痛みを堪えていた。
局部を刺す激痛はなくなっていたが、無茶をした代償として全身を痺れさせるような疼痛が発生していたのだ。
はラビの胸を押した。
少しだけ体を離して、痛みに朦朧としながらも囁く。


「私はいつだってあなたに追いつきたかった。背丈も、体格も、優しさも、強さも」


追いかけて、追いかけて、追いついて。
あなたがくれたものを、何十倍もの温もりにして返してあげたかった。
そのために必要なものなら、何だって欲しかった。
努力など惜しむものではなかった。


「どうしてもあなたの隣に立ちたかった。守られてばかりは嫌だ。私もあなたを守りたい。少しだって傷ついて欲しくない。だから私はここにいる。逃げたりなんかしない」


戦おう。
敵はアクマだけじゃない。
絶望や孤独。
あなたを害する闇。
私を陥れる弱さ。
何にだって負けてたまるか。
守ってみせるよ。
大切なあなたが、決して傷つかないように。


「痛みがなんだ、怖さがどうした。そんなもの全力で笑い飛ばしてやる!」


震える体を押さえ込んで、疼痛を振り払う。
は瞳をあげた。
そして腕を伸ばす。
心を伝えるように、掌でラビの両肩を掴んだ。


「私は負けない。あなたがくれた強さを無駄にはしない。そしていつか立ちたいんだ。あなたの隣に」


どうか私を見ていて。
絶対にあなたの隣に並んでみせるから。
必ずあなたを守ってみせるから。
はその金の瞳でラビを見つめた。


「ねぇ、ずっと言いたかったんだ。たくさんの優しさをありがとう。たくさんの温もりをありがとう」


そうしては微笑んだ。



「大好きだよ、ラビ。私の“親友”」



ああやっと言えた。
心の底から伝えたかったことを口にすることが出来た。
意地っ張りで、素直じゃない私の、精一杯の本音。
困っていたら助けたいんだ。
悲しいなら抱きしめたいんだ。
だからどうか本当の心を教えて。
何時だって、私はあなたの笑顔を祈っている。


だって、ねぇ、私達は“親友”なんだもの。



「だいすきだよ」



鈍痛に霞む視界でそう言うと、唐突に抱きしめられた。
乱暴に腕の中へと引き込まれる。
傷がひどく痛んだが、それよりもは目を見張った。
ラビは震えていた。
を掻き抱いて、ただただ小さく。
まるで子供のように。



そして温もりの雫が、の肩を静かに濡らしていった。










火判!火判!!(←大ファンです)
とりあえず一回目の火判が書けて満足です。(喜)
そしてコーネルとの絆、ヒロインのラビへの想い。
いつだって傍にいてくれたラビにその優しさを返したくて、ヒロインは彼を追いかけていたのです。
ラビを守るためには彼以上に大きくて強い存在にならなければいけないと、ずっと思い込んでいたんですね。
その結果が健康・鍛錬マニアです。(笑)
次回は再び戦闘・流血シーンありです。ご注意を。