さぁ、手を打ち鳴そう。
軽く拳を突き合わせて。
それがオレ達の合図だ。
共に戦場を駆け巡れ!
● 心情の定義 EPISODE 7 ●
涙が出た。
今度こそ止まらなかった。
ずるい。
そしてひどいと思う。
何でそんなことを言うんだ。
オマエを捨てようとしたオレに、どうしてそんな言葉をくれるんだ。
「……っ、何でだよ」
ラビは震える声で呻いた。
呼吸がうまくできない。
涙で胸が詰まった。
をきつく抱きしめて、彼女の肩に顔を埋める。
「なん、で」
「ラビ……?」
「オマエは……っ」
苦しい息を吐き出して、ラビは言った。
「オマエはいつだってオレの隣にいただろ……!」
びくり、と腕の中のが震えた。
ラビはそれすらも奪うように彼女を抱きしめた。
その細い肩に自分の涙がぼたぼたと落ちていく。
「オレ達はどんなときだって一緒だった。嬉しいときも悲しいときも傍にいた。なのにどうしてオマエがオレの隣にいなかったなんて、そんなことになるんだよ……っ」
「だって、私は……」
は戸惑うように手を動かして、ラビの背を撫でた。
慰めのようなその仕草に、ラビは唇を噛む。
「私は結局ラビの優しさに甘えていただけじゃない……」
「甘えればいいだろ、それの何が悪いんさ」
「守れてばかりは嫌だ」
「守られろよ」
本当はそんな権利ないんじゃないかと思う。
けれど口が勝手に動いていた。
ラビは抱きしめたの華奢な体を揺さぶった。
「オレに守られてくれ、」
「ラビ……」
「オマエは、オレがどれだけ自分を救ったか知らないと言ったけれど。オマエだって知らないだろ」
知るはずがない。
知っていなくて当たり前だ。
何故ならそれは、ラビが決して口にしなかったことだった。
「オマエの存在がどれだけオレを救ったか、知らないだろ」
ラビはの後頭部に掌をまわして引き寄せた。
「なぁ、オレもごめん……。最初はオマエのこと、真正面から見ていられなかった。今からオマエみたいな小さな女の子が、オレの知っている暗くて淋しい道を歩かなきゃいけないなんて、そんなの」
見ていられなかった。
どうせすぐに泣いてしまう。
己の運命に絶望して、潰れてしまう。
苦しみに喘ぎ、独り涙を流すしかないんだ。
それはまるで自分の姿を見るようで、だからラビは恐ろしかった。
もう思い知っているそんな悲劇を、別の人間を通してまた目の前に突きつけられるなんて。
「だから傍にいてやろうと思った。誰かが一緒だったら、少しは哀しみが和らぐんじゃないかって。涙を減らせるんじゃないかって。ソレだって怖かったけれど、あの絶望に壊れる人間を見るよりはマシだった」
「…………………」
「そんな姿を見てしまったら、オレだってどうなってしまうかわからない。だから」
だからその小さな手を握った。
襲い来る恐怖に震えながら、溢れそうになる涙に耐えながら。
ラビはの隣にいた。
「オレはオレのために、オマエの傍にいたんさ。オレはオマエが壊れてしまうのが恐ろしかった。まるでいつの日かの自分を見てしまうようで……。オレはそんな自分勝手な理由のために、オマエと一緒にいたんだよ」
まるで吐き出すようにそう告白するラビの言葉を、は黙って聞いていた。
ラビは必死に続けた。
言わなくてはいけない。
本当のことを。
そうでなければ二度と彼女の真っ直ぐな瞳を見つめることは出来ないのだ。
「守りたいなんて言い訳で、傍にいたいのは自分のためだ。そんなことのために、オレはオマエと“友達”になった。……でも、オレの手なんか必要じゃないと思うほどオマエは強かった」
今でも思い出す。
幼いあの日のこと。
「あのとき……、初めてオマエが他人に突き放されたのを見たとき、オレのほうが泣いてしまいそうになったんさ。ああダメだ、傷ついて潰されて、こうやって少しずつ“”は消滅していくんだって。涙を見るのが怖いから、オレは泣くなって言った。けれど言うまでもなくオマエは泣かなかったよな」
小さな女の子。
ラビが守らなければと思わずにはいられなかったほど、細くか弱い少女。
けれど彼女は涙など見せなかった。
哀しみに俯くことも、己の境遇を嘆くこともしなかった。
ただ前を見て、そこに立ち続けていた。
凛然としたその姿が、今もラビの瞼の裏に焼きついている。
「すごいと思った……。あんな苦痛の中で、それでもオマエは膝をつかなかったんだから」
が腕の中で微かに首を振った。
ラビは頷きながら、その体をきつく抱きなおす。
「まったく平気じゃないってことはわかってるさ。でも、オレみたいに笑顔で何でもないフリなんかしないで、真正面から立ち向かってた。逃げないで自分自身と、絶望と戦っていた」
それはなんて強さだろう。
哀しくなるくらいの尊い誇り。
いつだってラビの目に、は眩しかった。
存在そのものが金の光のようだった。
「オレはオマエに憧れていたんさ。本当は、ずっと」
ずっとずっと、もしかしたらあの時から。
初めて出逢ったあの日から。
「前を見据えて、強く歩んでいくオマエを見ていたかった。その姿に、オレはいつだって励まされてた。たくさんの力を貰ってた」
オマエみたいになれたらどんなにいいだろう。
涙を携えて、それでも諦めずに希望のほうへと進んでいく“”。
それは、ラビの思い描く強い自分の姿、そのものだった。
「なぁ、。オレは」
ラビは細く息を吸った。
そしての耳元で告げた。
「オレはずっとオマエの隣に立っていたいと思ってた」
の体が震えた。
ラビの体も震えていた。
二人は互いのそれを抱きこんだ。
「いつまでもオマエの隣で、必死に戦うその姿を見ていたかった。オレはいつだってオマエに強さをもらっていた。絶望に負けない心を、苦痛を笑い飛ばす勇気を、冷たさを癒す温もりを。だから代わりに少しでも傍に」
涙で言葉が途切れた。
声が掠れる。
「違うんさ。昔とは違う。もうオレは、自分の弱さのためにオマエの傍にいたいわけじゃない。ただオマエに貰ったたくさんのものを返したくて」
「……………………」
「違う、違う。そうだけれど、それだけじゃなくて。なぁ、。オレは……っ」
胸が苦しくて、ラビは何度か全身で呼吸を繰り返した。
ただ伝えたいことがあった。
震える手で、の両肩を掴む。
強く強く、その温もりを逃がさないように。
心を乗せた声が、涙と一緒にラビから零れ落ちた。
「オレはただ、オマエのことが好きだったんだよ……!」
だから、傍に居たんだ。
オマエがくれた強さを、力を、温もりを、返したかった。
そして出来ることなら支えになりたかった。
意地っ張りなオマエの、誰にも見せない傷ついた心を癒してやりたかった。
守って、やりたかった。
それはただ、オマエという人間が好きだったからだよ。
「今はもう、それだけ」
二人はそっと体を離した。
少しだけあいた距離。
それを埋めるようにしてラビは手を伸ばし、の頬に触れた。
いつかの、あの日のように。
見つめた先で金の瞳が揺れていた。
それは止まることのない自分の涙のせいだろうか。
それとも……。
「大好きだ、。オレの“親友”」
みたいに微笑むことは出来なかったけれど、ラビはその言葉を彼女に返した。
はただ睫毛を震わせた。
そして自分の頬に触れる、ラビの手に指先を伸ばす。
「私をまだ、そう呼んでくれる?」
「オマエがまだ、オレのことをそう思ってくれてるのなら」
ラビがそう言うと、は肩の力を抜いて微笑んだ。
「ねぇ、バカみたいだね。私達は結局、互いを追いかけていたんだよ。ずっと一方的に力を貰っていたんだって」
本当に馬鹿みたいな話だった。
はラビの優しさで前を向き続け、彼の隣を立つことを目指していた。
ラビはの強さに励まされて、彼女の傍に居場所を求めていた。
互いがその力の源になっていることも知らずに。
ラビは止まらない涙の中で囁いた。
「オレはオマエの支えになれていた?」
「うん。私はあなたの支えになれていた?」
「当たり前だろ」
「だったらお互い様だね」
「お互い様だな」
「私達はきっと本当の“友達”になれるね」
「オレ達は絶対に本当の“友達”になれるさ」
そう言って、けれどラビは首を振った。
「もうずっと前からそうだろ、大親友!」
その瞬間、が抱きついてきた。
勢いよく首に腕をまわされる。
小さくて柔らかい体がぶつかってきた。
ラビは真正面からそれを受け止めた。
強く抱きしめ合う。
いつものように、ありったけの親愛を込めて。
ラビは何だか嬉しくて、くすぐったくて、思わず笑い声を漏らした。
そして理解した。
自分には資格がないとか、いつかは駄目になるとか、そんなことはどうだっていい。
ただ、ラビはを守りたいと思っていた。
今までも、今でも、心の底から。
そしてそれは、彼女も同じなのだ。
互いに強くそう望んでいると知ったとき、どうして絶望に負けることができるのだろう。
自分達はどうしようもなく“友達”だった。
それ以外の関係になど、初めからなれるはずがなかったのだ。
二人は声をあげて笑い、互いの背中を叩いた。
思えばこの絆は、今をもってさらに強く結ばれたのかもしれない。
自分たちはようやく真正面から向かい合えたのかもしれない。
「ありがとう、ラビ」
笑んだ声でが言った。
そして体を離すと、そっと立ち上がった。
痛む片足を庇いながら、それでも起立する。
の手が、ラビへと差し出された。
「行こう。そして戦おう。私達は絶対に負けないのだと証明するために!」
「ああ、行こう。オレ達の絆を思う存分見せ付けてやろうぜ!」
ラビはの手をしっかりと握った。
そして身軽に立ち上がると、反対の掌を突き出す。
二人の間で高い音が打ち響く。
続けて拳をつくると、再び互いのそれを突き合わせた。
まったく同時で、目を見張るほど息のあった動作だった。
これは合図だ。
心をひとつにして、何かに立ち向かうときの約束。
二人だけの秘密。
ラビとはしっかりと手を握り締め、見つめあった。
そしてにやりと不敵な微笑み交わしたのだった。
闇が深まる。
月は完全にその姿を潜め、空を支配する漆黒。
世界は静寂に満ちていた。
ふいにそれを突き破って、大きな音がした。
奥に落ちていた瓦礫の山が吹き飛び、その下から異形の姿が這い出してくる。
地面すらも踏み砕いて、半人半獣のアクマは唸った。
「エクソシストが……っ」
蹄を突きたて立ち上がり、己の居場所を確認する。
どうやらあの巨大な槌に、随分と遠くまで突き飛ばされたらしい。
前方に視線をやると壁に大きな穴が開いていた。
そこから見える連立した壁面にも同じような大穴が見える。
そのまた向こうも、そのまた向こうもである。
一体何枚もの壁を突き破ってここまで追いやられたのか検討がつかない。
アクマは忌々しげに頭をひとつ振ると、敵の姿を捜し求めて猛然と駆け出した。
走り抜けるのは楽だった。
己の体の構造としてもそうだし、道は吹き飛ばされた時にすでに開いているのだ。
穴を辿れば、自然と奴らのところへと行けるはずだった。
もちろん警戒を怠ったわけではない。
憎きエクソシスト共がいまだに大人しく元の場所にいるはずはなく、どこかに隠れ潜み、不意打ちを狙ってくる可能性は高かった。
けれど。
けれど、である。
所詮は子供二人と言えなくもないのだ。
一人はケガを負っているため、もはや先刻のようには戦えまい。
そしてさらなる自信は奴ら二人の技を破ったというところにあった。
小娘の放つ黒い光も、小僧の操る炎の蛇も、自分に通じなかった。
だとすれば圧倒的にこちらが有利、これからはじまるのは愉快な殺戮でしかない。
一方的に奴らをいたぶり、殺すことができるのだ。
アクマは思わず舌なめずりをした。
狂気に赤い三つ目が爛々と輝く。
血が欲しい。死を与えて、命を奪いたい。
欲望が抑えきれなくなり、アクマはさらに駆けるスピードをあげた。
その時だった。
ふと、前方の闇に何かが見えた。
ゆらり、ゆらりと揺れる赤。
それは夜になびく鮮やかな炎色の髪だった。
アクマは空間のど真ん中に立つ少年の姿を認めると、足を止めた。
その建物は工場に連立して建てられた、大きな倉庫だった。
四方の壁面を覆う背の高い金属棚と、そこに積み上げられた大量の袋。
そして打ち捨てられた機械の残骸。
それらに囲まれて、ラビは悠然とそこにいた。
アクマは内心眉をひそめていた。
何故このガキは隠れることもせず、自分の前に姿を晒したのだろう。
それにもう一人はどこへ行った?
不審に思うが、それでも口元には笑みが浮かぶ。
ああ今からこの人間を殺せるのだ。
その柔らかい肉に刃を突きたて、迸る熱い血を浴びることが出来る。
アクマは興奮に体を震わせた。
それを冷たく見やって、ラビが口を開いた。
にやりと吊り上る唇。
「イラッシャイマセ。ようこそオレ達のステージへ!」
アクマは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
ラビがその眼前で両手を広げる。
すらりと伸びたそれが優雅に動いた。
「さぁ、今からはじまるのは楽しい科学の実験ショー!」
「…………………」
気でも違ったのか、とアクマは思った。
目の前の少年を観察する。
仲間を傷つけられたときの彼の激昂は凄まじかった。
自責の念でも感じているのだろうか。
それともあの女があのまま死んだか。
アクマは自分の口元に嘲笑が刻まれるのを感じた。
「エクソシストも所詮は人間か」
けれどラビはそんな言葉には構わなかった。
「ハーイ、今からアクマを気持ちよくぶっ飛ばしてみせまーす。ゲストのオマエ!ご協力頼むさ」
アクマに向けてそう言いながら、槌を片手でバトンのようにクルクルと回す。
そしてさらに声を張った。
「ショーの主演は赤毛のウサギ、そして金髪の子供!」
その時、背後で何かが動く気配がした。
アクマは咄嗟に振り返る。
同時にラビの声が響いた。
「行くぜ、!!」
「おう!!」
男前な少女の返答と共に、アクマの視界に金髪が翻った。
積み上げられた機械郡の上から、小柄な影が飛び出してくる。
は不敵に微笑んでいた。
同時に黒光が閃き、刃となって放たれる。
それは次々に飛散して、壁に天井に床に突き刺さった。
一瞬にしてコンクリートが解体、砕け散る。
舞い飛ぶ残骸の嵐。
危機を感知したアクマは、咄嗟にに氷槍を差し向けようとした。
しかしそれより早く、今度は側面からラビが踊りかかってくる。
「お客さーん、ウチの子に手ぇ出さないでくれさ!」
振り下ろされた槌をアクマは片腕で受け止めた。
ガッチリと組み合ったそれの向こうに、ラビの壮絶な笑顔がある。
「悪ぃけど、すでに腹わた煮えくり返ってんだよ……。よくもアイツに怪我させたな」
アクマの目の前で、その翡翠の瞳が細められた。
けれどそこに宿った高熱の炎は、少しも陰りはしなかった。
「を傷つけた奴は、もれなくオレの鉄槌が下されるんさ!!」
強く放たれた言葉と同時に、槌が弾かれ、再び獣のように襲い掛かってくる。
アクマの左脇腹が砕け散り、破片が床に落ちた。
しかしそれは瞬時に透明な液体と化して、蠢きながら元の位置へと戻っていく。
一瞬氷のような凍てついた色を見せたかと思うと、失われたはずのそこは綺麗に復元されていた。
「こんなものか、エクソシスト!」
アクマは残酷な笑みを見せた。
ラビは槌をまわしながら言う。
「なるほどな……。オマエは対象を凍結させるだけじゃなく、自らの体すらも氷に変えて再生することができるのか」
「ああ、そうだ。だからわかるだろう?貴様たちに私は倒せない!」
半人半獣のアクマの能力は、空間凍結。
対象領域内を凍えさせて敵の動きを止める。
そして氷槍を放ち、その肉体を貫通、血液を凍らせて全身を壊死させるのだ。
さらに自らの体を氷に変えて破壊を防ぐのである。
確かにまともに考えれば、エクソシストたちに勝ち目はなかった。
けれどラビは強気に微笑む。
「それはどうかな!?」
ラビはアクマに向けて舌を出して見せると、続けて叫んだ。
「読み通りさ、!!」
「オーケイ、だったらアレで行こう!ラビ、覚えてる!?」
「当ったり前だろ、オレ達の悪戯ファイル、ナンバー642さ!!」
そんな会話と同時に、再び黒い光刃が空間を切り裂いた。
アクマは即座に身構えたが、しかしそれらが破壊したのは打ち捨てられている機械郡、そしてそこらじゅうに積み上げられた大量の袋だった。
鉄製の棚ごと粉々にされ、中身が飛び散る。
それは白い粉末で、アクマには小麦粉や砂糖のように見えた。
「どこを狙っている!!」
アクマはをせせら笑った。
あの女、やはりもう戦える状態ではないらしい。
凍りついた腕と足を融解したようだが、それだけではどうしようもないのだろう。
先刻見た傷の状態から判断するに、燃えるような冷たい痛みが彼女を襲っているはずだった。
そのせいで自暴自棄になっているのかもしれない。
そう思うのも無理のない様子で、はひたすら倉庫内を駆け抜け、そこに存在するものを破壊していった。
コンクリート、鉄、そして袋から飛散する白粉。
あらゆるものが粉々になり、粉塵となって視界を塞いだ。
「小娘よ、これは目くらましのつもりか?それとも本当に己の攻撃も制御できなくなったか!?」
「よそ見してんじゃねェ!!」
の気配を追っていたアクマの眼前に、再びラビが躍り出た。
白で埋め尽くされた空間で、粉塵を突き破って襲い掛かってくる。
赤い髪がまるで炎のようにたなびいた。
「オマエの相手はオレさ!!」
ぶんっ、と空気を切って槌がアクマの頭部に振り下ろされた。
アクマは即座に氷槍を創り出し、それを受け止める。
弾かれ離れた互いの武器が旋回し、再び激突。
轟音が響き、さらに二人は腕を振るう。
ラビの威力を乗せた打撃と、アクマの鋭い槍撃が嵐のような激しさで打ち合わされた。
互いに攻撃をかわしきれずに、いくつかの傷が刻まれる。
アクマはすぐにそれを修復したが、ラビはそうにもいかずに凍てついた赤を溢した。
長期戦は不利だ。
ラビはそう判断して体重をかけて槌を押し切ろうとしたが、そこで己の武器が徐々に色を失っていくのに気がついた。
組み合った氷の槍からその冷気が移り、ラビの槌まで凍らせようとしているのだ。
咄嗟に後退しようとしたが、アクマに柄を掴まれて邪魔される。
ラビは小さく舌打ちをした。
そうされたことで、近距離にいるアクマの放つ冷気に四肢に痺れを感じ出したのだ。
「どうした。威勢がよかったわりには随分と動きにくそうだが?」
アクマがラビを嘲る。
けれど強い声がそれに答えた。
「うちのラビを馬鹿にするな!」
聞こえてくる間にも凄まじい速さで移動している気配がする。
閉ざされた白煙の向こうで、はいまだ破壊を続けているようだ。
「その子はね、やるときはやる男なんだぞ!」
瞬間、ラビとアクマの狭間で幾数もの光が閃き、二人を引き離した。
「いいかアクマ、よく覚えておくことだね!お前なんてその、お馬鹿で、お調子者で、えっちくて、ヘタレで、年上のくせに全然頼りないラビに!!」
「おーい!何でオレけなされてんのさ!?」
ラビは思わず冷や汗をかいてそう訴えたが、はそのまま続けた。
「そんなラビに絶対敵いっこないんだから!!」
「信じてくれてありがとな、ちくしょう!!」
それはそれで嬉しいのだが、どうにも彼女の言い分はひどい。
ラビは半眼になって唇の端を吊り上げた。
「そこまで言われちゃ期待に応えないわけにはいかないさ……。それに。コイツが敵わない相手はオレじゃなくて」
言いながらきつく槌の柄を握りなおす。
「オレ達、だろ!!」
そして強く床を蹴り、ラビは団服を翻らせる。
同時にまた爆発音。
円を描き、疾風となって駆け巡るの行動範囲が徐々に狭まってきていることに、アクマは気がついた。
けれど意図が読めない。
目の前にいる小僧も邪魔だ。
ラビの槌が地面をかすめて跳ね上がり、アクマは氷槍でそれを受ける。
だが凄まじい衝撃に氷は砕かれ、続けて水平に振られた槌を身をひねって回避。
「何が目的か知らぬが……」
低く呟くアクマの胴体に、ラビは渾身の力で己の武器を叩き込んだ。
しかしそれは突如空間に出現した氷の結晶に阻まれる。
「貴様達に勝機はない」
ざわりと膨らんだ冷気に、ラビは咄嗟に槌を振るった。
そうして氷塊を砕き、後ろへと跳ぶ。
アクマは逃がすまいというように、言葉を放った。
「さぁ、銀盤の上で不様に舞い踊れ!!」
その瞬間、アクマから放たれた白い気流が床を舐めるように広がった。
そして見る間に銀色へと変えてゆく。
足場を凍らせて動きを封じる気だ。
ラビは即座にそう判断した。
しかし焦りはなかった。
冷気に手足は痺れているが、それだけだ。
臆する要素にはならない。
自分はたった独りで戦っているわけではない!
「残念!踊るのはいいけど、不様にってのは無理さ!!」
声と同時に黒い光刃が粉塵を切り裂き、ラビの足元に落ちた。
そしてそこへと魔手を伸ばしていた氷を粉々に破砕する。
目を見張るアクマを不敵な笑みで見据えて、ラビは跳躍した。
そして間合いを詰め、凍りついた床に着地。
その寸前で再び黒光が閃き、その足場を覆う銀色を砕く。
氷はラビを捕らえられない。
何度床を駆けようとも、その度に黒い刃が彼を害そうとする氷を完膚なきまでに打ち砕くのだ。
「馬鹿な……っ」
アクマは目の前の光景が信じられなくて、驚愕の声を漏らした。
「何故そのようなことができる……!あの小娘には、お前の動きがすべてわかるというのか!?」
「まさか」
ラビは軽く肩をすくめた。
槌を振るって、着地。
その足場を覆っていた氷は、すでにによって消されている。
「そんなにすごいものじゃないよ」
再び光刃を放ってラビへと迫る銀色を砕きながら、が応えた。
粉塵に隠れてアクマには彼女の姿は見えない。
「ただ考えるだけ。ラビがどう動きたいのかってね!」
「オレもさ。考えるだけでいい。がどう動いてほしいのかってな!」
あり得ない話だ。
アクマには理解できなかった。
けれど実際に自分の眼前でそれは起こっている。
ラビは少しの躊躇いもなく踏み込み、武器を振るい、跳躍する。
その動きにわずかに遅れることもなく、彼の足元を侵す氷がの放つ刃によって存在を無へと還されるのだ。
よほど相手のことを熟知し、信頼していなければ、こんなことを出来はしない。
「く……っ」
アクマはわずかに呻いて、氷槍を作り出した。
十数条のそれが高速飛翔し、ラビへと迫る。
ラビは槌を巨大化させて防御。
アクマは構わずさらに強襲を仕掛ける。
殺到する氷の槍が床を穿ち、ラビの槌を氷結させた。
「つ、つべて……っ」
あまりの冷気に思わずラビは涙を浮かべる。
すると目の前に金髪が飛び出してきた。
「泣くなぁ!」
「ッ」
「泣くと涙で瞼が凍り付いちゃうよ!」
「そういやそうさ!!」
は迫り来る氷槍のいくつかは光刃で叩き落し、いくつは背を逸らしてかわす。
同時に両手をラビの巨大化した槌について、脚に円弧を描かせる。
そして体を回転させ、ラビの隣に着地した。
「時間稼ぎご苦労!」
槌の陰に隠れたは、びしりとラビに敬礼した。
ラビも同じようにしてそれを返す。
「けっこう辛かったさー……。オマエのフォローがなきゃヤバかったかも」
「それはお互い様。さぁ目を開けて。涙なんかで凍りつかせている場合じゃないよ」
「わかってるさ」
そう言うラビの口元には笑みが浮かんでいた。
「準備は?」
「完璧」
「そんじゃ、やるか!!」
「うん!行くよ!!」
は強く頷き返した。
そして次の瞬間、槌の上に踊り出る。
アクマを見据える、金色の瞳。
「砕け散れ!!」
の裂帛の声が響き渡った。
その命令に従って、『晶葬』が発動。
地より巨大な黒水晶が出現し、ラビの槌を覆っていた氷塊を粉々に砕く。
そしてさらに床を覆う氷を破壊しながら、アクマへと迫っていく。
アクマは即座に動いた。
しかしのほうが速かった。
無数の光を放ってアクマを切り裂く。
致命傷を与えることはできなくても、動きを止めるには充分だった。
『晶葬』がアクマの四方を囲み、その存在を内側へと閉じ込める。
「ラビ!」
「イエッサァ!!」
ラビは槌を振り上げた。
上にいたは空中で側転し、背後へと退く。
「舞台は整った!」
「何……!?」
ラビのその言葉に、アクマは素早く周りを見渡した。
粉塵が充満した、空間。
が破壊した鉄、コンクリート、そして小麦粉や砂糖。
先刻粉々にした氷の粒も、その中に混じって空中をただよっている。
「これのどこが……」
アクマは不快気に顔を歪ませ、冷気を放った。
そうしての創り出した水晶の呪縛を砕くために、急激に氷結させてゆく。
その耳にラビの楽しそうな声が聞こえる。
「愉快な科学の実験ショーのはじまりさ」
ラビはそう言いながら、イノセンスを開放した。
浮かび上がる、光を帯びた円。
そのぐるりと連立するひとつ、“火”へと槌を叩きつける。
「さぁシンキングターイム!大気中に一定濃度の粉塵が浮遊している空間があるとする。そこに火を放てば、さてどうなると思う?」
「……………………」
「事故なんかでよくあるのは、炭鉱や石灰の微粉末による炭塵。けれどここに飛散している小麦粉、砂糖、金属粉でも充分に可能なんさ」
「……何が言いたい」
「詳しく説明してやってもいいけど、時間の無駄だろ?」
ラビは軽く指を振った。
片目を閉じて言う。
「その身で存分に体験させてやる!!」
業火灰燼。
『火判』!!
灼熱の風が発生した。
目も眩むような赤にアクマの姿が塗りつぶされてゆく。
慈悲なき鉄槌より、世界に業火が下されたのだ。
静けさを打ち破る轟音。
その夜モントリオールの街の片隅で、すべてを揺るがす大爆発が巻き起こった。
爆風が猛り狂いながら空間を駆け抜け、高熱の刃が世界へと突き刺さる。
業火の濁流が倉庫内に迸り、溢れ、すべてを飲み込んだ。
“粉塵爆発”
それがラビとの引き起こした現象である。
粉塵を撒き散らすことによって、可燃反応に敏感な状況を作り出し、そこに引火させて大爆発を発生させたのだ。
『火判』だけではアクマの氷を溶かすことはできない。
だからこそ“粉塵爆発”の爆風で相手の抵抗を相殺、炎の勢いを大きく向上させたというわけだ。
それはそうとして、
「お、思ってたよりもすごかったさ……!」
地面に突っ伏していたラビは呆然と笑って、そう呟いた。
爆発の瞬間、が発動させた黒光の盾、幾重にも重なった『守葬』の護りの中から、自分達の作り出した炎の海を眺める。
近くでうずくまっていたもこくこくと頷いた。
「文字通り大爆発だったね……!」
「6年前はここまでじゃなかったよな!?」
「うんうんうん!だって私たち教団の厨房でやったじゃない!実験してみようって、粉っぽい物ぜんぶ撒き散らしてさ!!」
「そんで火つけてみたらドッカーンってなって、あとでジジイとかジェリーとかにすっげぇ怒られたよな!!」
「あのお説教はすごかった!!」
「そしてこの惨状もすごかった!!」
二人は何となく手を取り合って辺りを見渡した。
相変わらず炎が燃え盛る倉庫内。
いや、そう言っていいものか。
壁面や天井は綺麗に吹き飛ばされ、外界の様子が丸見えだ。
床と柱はドロドロに融解して原型を留めていない。
もはや“倉庫”ではなくなった空間で、ラビとは床に座り込んでいた。
そこここで蒸気があがり、陽炎が揺らめいている。
『守葬』の護りがなければ、自分達も消し炭になっていたことだろう。
「ちょっとやりすぎさ、ね……」
「うん、でも……」
は目を凝らした。
荒れ狂う炎の中心へと意識を集中させる。
「アクマは……」
そのとき視界に捕らえた影に、は咄嗟に立ち上がった。
ラビも気がついて素早く槌を握る。
視線の先で、業火にその身を包まれながら、アクマがいまだにそこに起立していたのだ。
「どんだけタフなんさ!」
怒鳴りつつもラビは再びイノセンスを解放。
「エ、エクソ、シストが……っ」
アクマの呪いの声と、放たれようとする冷気を封じるため、が鋭く片手を振った。
瞬間、灼熱の世界を切り裂いて、無数の光の刃が高速飛翔。
それに向けてラビは『火判』を放った。
「これで!」
「幕切れだ!!」
飛び出した炎はの光刃を飲み込んだ。
黒い光と赤い炎を纏った刃がアクマを強襲する。
凄まじい咆哮が響き渡った。
同時に轟音。
どうやら先刻の炎が再び爆発を引き起こしたらしい。
「マズイ、崩れる……!」
炎に焼かれて崩落を始めた建物に、ラビは顔を歪めた。
「!!」
名前を呼んで、彼女へと手を伸ばす。
けれど爆風が華奢なその体を吹き飛ばした。
そして床を舐める炎へと落ちてゆく。
は悲鳴などあげなかった。
ただ苦痛への覚悟に、唇を噛んだだけだった。
「くそ……っ」
ラビは考えるよりも早く飛び出して、の小さな体を捕まえる。
片腕に抱き込み、炎の中へと槌を叩き入れた。
「伸!伸伸伸!!」
ラビは己の武器に命じて、その柄を伸ばした。
二人を乗せて空を裂き、炎の海から外界を目指す。
「ラビ!!」
が叫んでラビの頭を庇うように抱き込んだ。
赤を纏い崩落してくる瓦礫の群れを、その金の瞳で睨みつける。
黒い光の刃を放って弾き、細かくしたが、避けきれない石塊が彼女の体を痛めつけた。
「崩壊がはやい……、間に合わない!?」
ラビは顔を歪めて呻いた。
『伸』で自分達が外界へと逃れるより、天井を支える鉄筋や建材が崩れる速度のほうが速い。
何かで身を守ろうとも、下は紅蓮の世界だ。
建物全体が不気味に軋む音がする。
ぱたり、と何かが落ちてきた。
必死に打開策を考えていたラビは、驚いて顔をあげた。
ラビの顔を濡らしたのは血だった。
落下してきた瓦礫のせいだろう、の頭から流血していたのだ。
その赤は白いこめかみを伝い、もう一滴ラビの頬に落ちる。
「、おまえ……っ」
「へいき。それよりラビ」
ラビの片腕に抱かれたは、強い口調で言い放った。
「私を信じてくれるのなら、お願い、絶対に手を離さないで!!」
そんなこと、言われるまでもない。
ラビは思考するより早く、の体をいっそう強く抱きこんだ。
同時に彼女のロザリオから凄まじい光刃が放たれる。
それは空間を裂いて爆発を引き起こす。
衝撃に突風が発生、その乱流の激しさに、ラビとの体は猛烈な勢いで吹き飛ばされた。
床に突き立てていた槌が浮きあがり、そのまま宙を駆け抜ける。
二人の体は炎の壁を突き破って、外界へと飛び出していった。
「どわさっ!?」
「ぎゃあっ!!」
これ以上ないくらい豪快に地面へと墜落したラビとは、それぞれちがう悲鳴をあげた。
同時に爆音が響き、二人はそちらに視線を巡らせる。
例の倉庫、そして連立するいくつかの廃棄工場が大爆発に呑まれていくのが見えた。
「賭けに勝ったみたい……」
が小さく呟いた。
一歩間違えれば自分達もあれに巻き込まれていたはずだ。
は脱出のために爆発を引き起こしたが、それがうまくいかなければ目の前の惨状を増大させるだけで終わっただろう。
これは生き残るための賭けだった。
爆発を起こし、その衝撃に乗ってうまく外に飛び出せるか。
それともただ大爆発を促進させるだけか。
「勝った……」
ラビも呟いた。
舞い上がる煙と炎。
鉄骨や建材が崩れ、撒き散らされてゆく。
赤く染まったその中で、半人半獣の影が崩れてゆくのが見えた。
その時また爆発が起こり、熱風が二人に叩きつけられる。
「勝った」
「勝った!」
「勝った勝った!!」
「勝った、生きてる、がんばった!!」
ラビとはようやくアクマを破壊し、生き延びたことを自覚した。
ぴょんと飛び起きて、手を取り合う。
そのまま跳ねて踊りたい気分だったが、気力がなくてすぐに倒れこんだ。
「ねー、ラビ」
「んー?」
ぐったりと地面に並んで寝転んで、二人は空を見上げた。
炎で赤く染まった夜空。
星は見えない。月もない。
けれど隣で輝く瞳の光は美しい。
「私たち、放火魔だよね」
「放火魔だな」
「建物を爆破しちゃったもんね」
「豪快に爆破しちゃったもんな」
「逮捕されるかな?」
「そのときはそのときさ」
「うん……。今はとりあえず」
「とりあえず?」
「疲れた。寝たい」
「同感。ふかふかシーツにダイブしたい」
「いいね。でもどうしよう」
「どうしような。立ち上がる元気がねぇさ」
「お願い、誰か私たちをベッドに運んでー」
「誰か頼むさ、ヘルプミー」
ラビとはいつのも調子で言い合った。
きっともうす探索隊の人々がここへやってくるだろう。
悪いが保護してもらうことにする。
炎もいずれ止まるはずだ。廃棄工場に可燃物は少ない。
二人はどちらともなく手を繋いだ。
そして身を寄せ合って、微笑んだ。
「もう限界」
「オレも」
「じゃあ寝ちゃおう」
「寝ちゃおうか」
「「二人で」」
ラビとは額を寄せ合うと、深く息を吸い込んだ。
知っている匂いがする。
心地いい気配がする。
懐かしくって、愛おしい。
親愛なる存在、その温もりを感じながら、二人は眠りに落ちるように気を失った。
まるで子供のように、心からの安堵を覚えながら。
えーっと、正直に白状するとですね。
この話は火判が書きたいがために生まれたものです!(爆)
豪快に爆発させたかっただけです、うん満足!!
ちなみに小麦粉や砂糖でも本当に爆発することがあるので、決してマネしないでくださいませ〜。
ラビとヒロインは互いの気持ちを知ることで、やっと本当の意味で“親友”になることができました。
次回でラストです。
改めてヒロインに決意を語ってもらおうと思っています。
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