当たり前のことが伝わらなくて、伝えてはいけなくて。
繋いだ手の温度差が埋められない。
お前がそれを“優しさ”だというのなら、俺は。
● 追憶ユールタイド 13 ●
悲鳴をあげている暇はなかった。
一斉に発射された弾丸が降り注ぎ、雪を弾き散らして地面を穿つ。
アレンはに抱かれて宙を跳びながら、先刻まで自分たちがいた場所を見て戦慄した。
一瞬でも回避が遅ければ、間違いなく死んでいただろう。
「大丈夫」
が言った。
少し前まで泣きそうだったくせに、凛とした様子で化け物と向かい合う。
背後に庇われたアレンは咄嗟にその手を掴んだ。
驚きに振り返った彼女に、再び弾丸が殺到する。
その死の導きはの右掌が止めていた。
腕をかざした向こう側には、黒い光が宝石を模した形で浮かんでいる。
防護壁のように攻撃を弾くと、即座に砕け散って無数の輝きとなった。
まるで星だ。
それは襲ってきたものよりも遥かに速いスピードで宙を駆け、例の化け物を跡形もなく破壊した。
残像となった煌めきさえ、瞬時に消え失せる。
「…………………………」
あまりに唐突の出来事に呆然とするアレンの手をが握り返した。
それにハッとなって腕に抱きつく。
慌てて見るまでもなく彼女は無事なようだった。
「な……何だ、今の……。お前も何したんだ……?」
「アクマよ。破壊したの」
は当たり前のことのように言って、もう片方の手をアレンの肩に置いた。
「これが、エクソシストの仕事よ」
その言葉が耳に突き刺さる。
「……俺も、あんなことやってるのか?」
「そうよ。私たちは破壊の聖職者だから」
「あんな化け物と戦うのが仕事なのか?危ない目に遭うかもしれないのに?怪我をするかもしれないのに?」
「そう」
「……死ぬかもしれないのに?」
が確かに頷いたから、アレンは彼女から離れて一人で立った。
よくわからなかった。
愕然とした思いで見上げる。
俺のことが好きで、俺も好きだという、女の子を。
「俺は、お前に、何も言わないのか」
が首を傾げた。
まったく意味が伝わっていないのを見て取って、アレンは悲しくて仕方がなくなった。
「俺はお前が好きなんだろう?それなのに」
視線を滑らせて戦闘の跡を見る。
蹴散らされた雪。えぐられた地面。無残な破壊の匂い。
「こんな、危ないことをしているのに、俺はお前を止めないのか」
その問いかけはにとってあまりにも予想外のようだった。
大きく目を見張って固まってしまう。
アレンとしてはそれが気に喰わない。
どうしてだよ、こんなのは当たり前のことだろう。
「俺は、俺の好きな人に、戦って欲しくなんかないよ」
拳を握り締めたら震えた。
が戸惑っているのがわかった。
彼女はそっとアレンの髪を撫でる。
「私たちは、出逢ったときにはもう、お互いにエクソシストだったのよ」
「だから何だよ。俺のことはどうでもいい。お前の話だ」
「……、アレン」
「どんな理由があるのか知らないけれど。恐ろしい思いをして、怪我するかもしれなくて、死んじゃうかもしれなくて。そんな危ないことするなって、俺はお前に一度でも言わなかったのか」
「……言わなかったわ。あなたは優しい人だから」
「……っつ、どこが!」
好きな相手を、危険に晒したままでいる奴の、どこが。
アレンはそうやって否定したかったけれど、が屈み込んで微笑んでくれたから、そんなことはできなくなった。
「あなたは私が戦いのなかで、命に賭したことを知っているから」
「……………………………」
「でも、本当はそう思ってくれていたのね。15歳のあなたなら絶対に口にしないことよ」
「……、言ってはいけないことなのか」
「そうかもしれない。けれど」
はアレンの強張りを解くように、頬へと優しく掌を添えてくれた。
「ありがとう」
手袋越しに伝わる体温。
「考えてみればそうよね。“アレン”が平気なわけないよね」
「……ばかじゃないのか」
「そうやって、思ってること……全部言ってくれたらいいのに」
「“アレン”が言えないのなら、俺が言ってやるよ」
アレンはの手首を掴むと、指先をぎゅっと握って彼女を睨みつけた。
「お前、俺に……」
「ああ、いたいた!」
そこで遠くから呼びかけられたから、アレンは肩透かしを喰らった気分になった。
仕方なくの向うに視線を投げてみる。
あれは……、
「……あれ?雪合戦ゲームのところにいた店員さん?」
背後を振り返ったが呟く。
駆け寄ってきたのはひょろりと背の高い男性で、確か先刻立ち寄ったゲーム会場にいた人物だ。
彼はアレンが掴んでいたの手を掻っ攫うと、自分の掌で包んでぎゅっと強く握りしめた。
おいコラ、何やってんだ。
「キミ!見つかってよかったよ!」
「は、はい?何かご用ですか?」
は疑問符を浮かべていたけれど、すぐに思い当ったようで顔色を失くした。
「ま、まさか壊してしまったゲーム台の弁償ですか?取り立てですか!?」
「いや、そうじゃないよ。それでもいいけれど」
「おい、何の話だよ」
アレンが不機嫌に口を挟むと、店員はこちらを一瞥して鼻で笑ってみせた。
「坊やには関係ないことさ。お嬢さん、ちょっと協力してくれないかい?」
「協力?」
「君がゲームをひとつダメにしてしまったからね。急遽新しいのを用意しなくちゃいけないんだ。それに手を貸して欲しい」
「わ、私がですか?」
「人手も道具も景品も足りないんだ、頼むよ!」
「部外者のこいつに手伝わせるって?馬鹿言うなよ」
軽くあしらわれたアレンが挫けずに文句を述べると、店員が鬱陶しそうな顔で見下ろしてきた。
何だ、こいつ。駄目だ、こいつ。
嫌な予感しかしない。
「だから坊やはいいんだって。お嬢さん、ゲーム台を壊したことは不問にしてあげるからさ」
アレンはのコートを引っ張って、ぶんぶんと首を振ってやった。
金の瞳が数回瞬く。
すぐに店員に向かいなおると、きちんと頭を下げてみせた。
「景品はお返ししますし、壊したものは直します。それで許していただけませんか?」
「……天使のぬいぐるみ」
「「あ……」」
店員が低く呟いた単語に、アレンとは同時に呻いた。
そのときにはもう、男はの背中に腕をまわし、気安く肩を抱いて歩き出す。
「まさか、あの小さな女の子を探し出して、取りあげるなんてことはしないだろう?さぁこっちに!」
「お、おい!」
アレンは慌てて引き止めたけれど、振り返ったに無音で「待ってて」と言われてしまった。
確かに今更天使のぬいぐるみは取り返せないけれど。
こんな。
続けて薄紅の唇が「ごめんね」と動いたから、アレンは思い切り地面を蹴りつけて、体当たりの勢いでと男の間に割って入った。
「俺も行く!」
大声で宣言すると、嫌そうな店員とは対照的に、が微笑んだ。
アレンは彼女の手を握った。
あたたかい。
ようやくの掌は、ぬくもりを取り戻しはじめていた。
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