三通目。
ミックスフルーツタルト。
溢れんばかりの果物が、口の中で賑やかに笑う。


どの顔も愛しいなんて、当たり前の不思議。






● 追憶ユールタイド 7 ●






「寒くない?」とに訊かれた。
確かにアレンはコートを着ていないから、このまま屋外にいては体が冷えてしまうだろう。
すでに両腕には鳥肌がたっていた。
けれどそれは彼女も同じだし、何だか口を開きたくなかったので、無言で立ち上がって歩き出す。
無視したうえに背中を向けてやっても、は気にすることなく隣に並んできた。


「アレン、これ」


言いながら手紙を差し出された。
反射的に受け取ったけれど、封を切る気になれない。
そんなアレンの様子を見やって、が苦笑めいた表情を浮かべた。


「……上着を取ってくるね。先に行ってて」


それだけアレンに言い残すと、彼女は小走りに建物の中に入っていった。
独りになって足を止める。
真冬の風が冷たい。吐く息が凍る。
お前には権利がない。
神田にそう言われた。


「わかってるよ、そんなこと……」


わざわざ言葉にされなくたって知っている。思い知らされている。
だって美味しいケーキも、夢みたいなお菓子の家も、ついでのように渡されたジュースも、本当は俺への贈り物じゃない。
“俺”、宛てじゃ、ないんだ。


「やっぱり……、出て行こう」


アレンは小さく呟いて、そのとき唇が震えたから、強く強く噛み締めて走り出した。
屋内に飛び込んで廊下を駆け抜ける。
階段を下って、いくつも角を曲がる。
目指しているのは“外”だった。
どこだってよかった。とにかくこの敷地内から脱出することだけを望んだ。
あの綺麗な金色の瞳が存在しないところまで、一目散に逃げてしまいたかった。


けれど、アレンの方向音痴は、こんなときにも如何なく効果を発揮した。
行けども行けども出口らしきものに出くわさない。
それどころかどんどん奥に入り込んでいるような……。


「迷路か、ここは……!」


こんな場所で生活している奴らの気が知れない。
アレンは憤然と吐き捨てたけれど、それで現状が改善するわけでもなく、ついに疲れ果てて廊下の壁に寄り掛かった。
立っていられなくて膝を抱える。
どうしよう、もしかしたら此処からは逃げられないのかもしれない。
このまま、ずっと、閉じ込められて……。
子供ながらの想像力で強い恐怖心を抱いた、そのとき。


「あれ?」


頭上から声が降ってきた。
アレンは飛び上がるほどに驚いて、恐る恐る背後を振り返る。
そこにはきょとんと見開かれた翡翠の隻眼があった。


「アレンじゃん。何やってるんさ?」


首を傾げて訊いてくるのは、眼帯の青年だった。
その赤毛にも見覚えがある。
神田と同じく、目が覚めたときに、傍にいた人物だ。


「お前……」
「ん?……ああ、そっか。オレの名前もわかんないんだっけ」
「……………………………」
「オレはラビさー。オマエとは仕事仲間で、友達」
「……ともだち?」
「そ。オレ的には仲いいほうだと思うけど」


ラビはへらりと笑って、アレンの前にしゃがみ込んできた。
その笑顔に不信感を抱く。
俺がこんな、能天気そうな男と、友達だって?


「……俺、友達いないから」
「なに寂しいこと言ってるんさー!……って、あれ?サーカスで旧友に会ったってから訊いたけど?」
「知らねぇよ、そんなもん」
「あー……。そいつらと出逢う前まで記憶が後退してんのか。そっかそっか」


否定するアレンを軽く流してラビはひとりで頷いている。
それに苛立って口元を曲げたけれど、続いた言葉には表情まで歪めてしまった。


「だからそんな、ムダに尖がってるってわけか」


自分の膝に顎を乗せたラビは、こちらを見つめて瞳を細めた。
その奥に冷たい光が閃いた気がして、アレンは咄嗟に立ち上がって距離を取る。
何だか嫌だ。こいつは嫌だ。
観察するような視線が気に喰わない。
アレンはラビに残して駆け出そうとした。
その直前で腕を掴まれて、瞬く間に肩の上に乗せられる。


「な……っ、おい!降ろせよ!!」
「ばっか、喜べよ!肩車は子供の特権さね」
「うれしくない!!」
「間違えた。オレの肩車に関しては、子供との特権さね」


アレンにはその意味がわからなかったけれど、の名前に反応して口をつぐんだ。
ラビは気づかず陽気な鼻歌を歌っている。
こいつは俺をどこに連れて行く気だろう?
抵抗しようにも、肩に担がれた状態では、逃げようがなかった。
だから仕方ないのだと、胸中で言い訳を繰り返しながら、アレンはラビに問いかける。


「なぁ、……」
「んー?何さ?」
「……………………15歳の俺って、どんな奴?」


小さく消え入りそうなその疑問に、ラビがちらりと見上げてきた。
居心地が悪いからそっぽを向く。
口が勝手に言葉を吐き出す。


「べ、別に、お前らの馬鹿みたいな言い分を信じたわけじゃないからな」
「…………………………」
「嘘をつくならどんな答えを言うのかなって、……ちょっと興味があるだけだ」
「今のオマエとあんま変わんねぇさ。“最近”は、な」


一瞬黙り込んだラビだったけれど、驚くほどあっさりとそう言ってのけられた。


「違いは敬語くらいじゃねぇの。の前では、普通に乱暴な口きくとき多いけど」
「……でも、“ブス”は言わないんだろ」
「そりゃあなぁ。だってかわいいし」
「……………………………」
「カワイイだろ!むちゃくちゃ愛くるしいだろ!」
「くるしい。理解するのに苦しい」
「……まぁオマエはの外見に惚れたわけじゃねぇからな」


ラビは憮然とした表情のままだったけれど、こちらの言い分をしぶしぶながら認めてくれた。
アレンとしてはそれよりも、ついでのように呟かれた内容が気になる。


「……俺、あの顔に騙されたわけじゃないんだ」
「どちらかというとイヤがってたな。好みじゃないって意味じゃなくてさ」
「?じゃあ、どういう意味で?」
「“もう少しでも可愛くなかったら、ここまで嫉妬しなくてすんだのに”って意味で」
「…………つまり何だ?あいつが美人なせいで、寄ってくる男が多いから、気に喰わないってことか?」
「そうそう」


当たり前みたいに頷かれて、アレンは思い切り眉を寄せた。
何となく青くなりながら訊いてみる。
答えは予想がつくけれど、もう一度だけ確認してみたかった。


「…………………………………なぁ、俺本当にあの女が好きなのか?」
「だからぞっこんラブだって」


不愉快な表現を再度聞かされて、アレンはラビの頭に突っ伏した。
絶望を抑えきれない。
だって、何で、あんな奴を。


「俺、自虐精神でもあるのかなぁ……」


思わず呟けばラビが一瞥をくれた。
雰囲気で問われたので、ため息を堪えながら言う。


「あんなの一緒にいたって劣等感が強くなるだけだろ」
「……劣等感?」
「俺は素性のわからない、薄汚れた孤児だぜ?おまけに気色悪い左手を持ってる」
「………………………」
「しかも今はジジイみたいな白髪に、目立つ顔の傷だ。それを、あんな」


アレンは皮肉に笑って、吐き捨てるように続けた。


「あんなお綺麗な顔の女に、相手してもらおうだなんてな」
「前言撤回さ」


ラビが言った。
冷たい声だった。
同時に肩の上から振り落とされて、アレンは床に転がる。
悲鳴はあげなかった。
そんなものは喉の奥に封じられた。
自分よりずっと長身の青年に、真上から冷ややかに見下ろされる。


「今のオマエと、15歳のオマエは、全然違う」
「な……何だよ、急に……」
「確かにアレンってやつは卑屈なくらい自分のことを良く思ってねぇよ、でもな」


ラビ自身の陰のせいで、彼の翡翠の隻眼は、まるで燃えるように光っていた。


「それのために、を引き合いに出したりしない。自分を嘲るために、アイツをけなしたりはしない。絶対に」


そこで少しだけ頬が動いた。
浮かんできたのは微笑みだった。


「オレの友達は、“アレン”を傷つけるためでも、他人を貶めたりはしない奴なんさ」


そんなつもりじゃなかった。
アレンは幼い心のまま、反発と否定を口にしようとしたけれど、ラビの笑顔が哀しそうだったから、結局きつく唇を引き結んだ。


別に。
別に自分を嘲笑しようだなんて考えも、それによって他人を馬鹿するつもりもなかった。
けれど無意識に選択してしまったのだろうか。
昔から延々と続く劣等感は、容赦なくアレンを見下している。
その比較対象に、を選んだことによって、否応なしにレッテルを貼ってしまったのだ。
彼女のように恵まれた女性は、どうせ自分のような人間を、対等には見ないだろうと。
恋人なのだと告げられて、それを信じられなくて、違うのだと言いたくて、そのためにアレンは自身を卑下した。
同時にをも、否定してしまったのだ。


「……お前も、あいつのこと好きなのか」


次に口を開いたとき、アレンはそう問いかけていた。
ラビは苦笑する。
呆れた風に首をすくめてみせた。


「親友だからな」


誤魔化されたとのかとも思ったけれど、確認する間もなく手を引かれる。
何事もなかったかのようにまた肩車をされた。


「アイツはオレの、世界一バカで可愛い親友なんさー」


歌うように軽く言われる。


「そんでオマエは、そんな女に惚れこんじまった、世界一バカで豪気なオレの友達!」


肩越しにこちらを見て、ラビはにやりと笑った。
その視線にも口調にも嘘は混じっていないように思えたから、アレンは反射的に頬を赤くする。
何だよ、さっきはすげぇ冷たい目で見下ろしてきたくせに。
今はそんな、誇らしげに、“アレン”を語るなんて。


「〜〜〜〜っつ、うっさい馬鹿!」


照れ隠しに頭を叩いてやれば、弾みでポケットから何かが落ちた。
ひらりと足元に舞ったそれを、ラビが屈み込んで拾い上げる。


「何さ、コレ。手紙じゃん」
「あ、それは……」


アレンがどう言ったものか戸惑っているうちに、ラビは勝手に封を開けて中身を取り出した。
便箋を広げて読み上げる。


「『三人目。兄貴風を吹かせるのが好きな、正体ヘタレ兎。』……これオレのこと?ひっでぇ言いようさー」


ラビは半眼で呻いた。


「『ヒント。本のあるところに出没します。ブックマンだけに!』」
「ダジャレか!!」


思わず突っ込んでしまったアレンへと、ラビが手紙を渡してくる。
仕方なく受け取って確認してみると、やはり3の番号がふられていた。
それにしてもまさか三人目がラビだったなんて。


「なぁんだ。オマエ、オレに会いに来たんさね」
「いや、これは偶然……」
「でもごめんなー。預かってるケーキ、部屋に置きっぱなしなんさ」
「…………………………」
「一緒に取りに行くかー」


何でもないことのように言われるけれど、アレンとしてはうまく呑み込めない。
そうやって一人で悶々としているうちにラビが自室に辿り着く。
開け放たれた扉の向こうは、目を見張るほどの本の山だった。
汚い。汚すぎる。
散らかり放題だ。
最初に目を覚ました場所も紙で溢れかえっていたが、この部屋も負けないくらい書物に囲まれていた。
「とりあえずコレな」と言って、ラビに白い箱を渡される。
開けてみると中身はやはりケーキだった。
今回はフルーツタルトだ。
バニラが香るカスタードクリームの上に、ラズベリーやオレンジ、ピーチ、キウイなどがところ狭しと並べられている。
艶やかなシロップが塗られたイチゴは、わざわざハートの形にカットされていた。
見るからに美味しそうだ。
今すぐかぶりつきたくなるくらい、魅力的な三つ目のケーキ。
けれど。


「…………………………」


ラビの頭にフルーツタルトを乗せたまま、アレンは動けないでいた。
彼は彼でまだ何かを探しているらしく、自室を荒らしまわっているのだから、思う存分考え込むことができた。
ポケットに戻した手紙。そこに書かれた人物。辿り着いた先で手渡されるお菓子とプレゼント。
それが意味するところを、“俺”はこれ以上受け取っていいのだろうか?
その答えはもう、アレンの中で出ていた。


「なぁ、あのさ……」
「ラビ!」


アレンが躊躇いがちに口にしようとした名前を、背後から別の誰かが呼んだ。
軽やかな足取りで部屋に入ってくる。
淡い照明に金髪が光ったから、アレンは何故だかどきりとした。


「よーっす。
「よっす、探したよー」


二人は軽く片手を挙げて向かい合うと、特に言葉もなくその掌を重ねた。
軽いタッチをしたあと、指の間を握って話し出す。


「何さ、オレも探してたんだぜ」
「そうなの?」
「チビアレンを捕まえたからな。オマエのところに戻そうと思って」
「ああ、二人は一緒だったのね」
「だってオレ、三人目だしー」
「それもそっか」


が明るく笑った。
ちなみに手はラビと繋がったままだ。


「ねね、それでさ。ブックマンのじーさん知らない?」
「ジジイ?何でさ?」
「上着を貸してほしくて。アレンが寒そうだから」
「ああ、なるほど。それならオレの小さいころのを……ってオイ!!」


そこでラビが叫んだ。
は「ぎゃあ!」と悲鳴をあげた。
何故ならラビに肩車をされたままのアレンが、その脚を思い切り振り上げて、の顎を蹴り飛ばしたからだ。
距離が近かったので避けることもできずに、金髪が流れて後ろに倒れゆく。
そのままばたりと床に撃沈した。


「ダ、ダイジョブさ!?」


慌てて膝をつくラビの肩から飛び降りて、アレンはフルーツタルトを白い箱の中にしまった。
傍にあった本の山を薙ぎ払って、机の上を無理やり空けると、そこをきちんと置いておく。
それから衝撃に頭をぐらぐらさせている少女を振り返った。
真っ赤になった顎。涙を浮かべた瞳。
痛みに強張った肩をラビに抱いてもらっている。
その全てが気に喰わなくて、アレンはを睥睨した。


「いいか、お前」


何だろう、この気持ち。よくわからない。
ただ暴れ出したいような衝動があった。


「もう俺を追ってくるな」
「アレ……」
「その名前は!」


彼女が口にしようとしたものを、アレンは強引に遮る。
我慢できなくて強く足を踏み鳴らした。


「その名前を呼んでいいのは、お前じゃないんだよ」


は目を見張っただけで何も応えなかった。
代わりのようにラビの表情が固まる。
アレンはただ金色の瞳を見つめる。


「お前の呼ぶ“アレン”は、……俺じゃないんだよ」


傷ついた様子を見せるかなと思ったけれど、は無表情のままゆっくりと双眸を細めた。
何だよ、その顔。
ラビのほうがまだいい。気持ちが読み取れる。
は笑みも涙も見せずに睫毛を伏せた。
何でだよ。
突き放した俺のほうが、こんな、哀しくなるなんて。


「……っつ」


アレンは耐えられなくなって走り出した。
否、逃げ出した。
ラビの部屋から脱出すると、今度こそ外を目指して足を進める。
背後から声が追いかけてきた。
ではない。ラビだ。


「今日はクリスマスなんだぜ、アレン!」


だからどうした。
アレンは振り返らない。


「だから、今からでも遅くない、素直になれよ!って、オレはオマエに言いたかっただけなんさ!!」


俺は素直だよ。
心のままに、拒絶してやったよ。


「おいコラ、誕生日プレゼントにの際どい写真用意してやったんだから戻ってこい!!」
「そんなもんいるかぁ!!」


絶対返事をしてやるかと思っていたのに、アレンはそこで思わず怒鳴り返してしまったのだった。